ミュールの同居から始まった一連の騒動が終結し、再び二人暮らしを始めた私達でしたが。
困ったことに、その……どうもこれまで通りではいられないようです。

顔を合わせれば朝の挨拶などを口篭もったり噛んだり。
食事の席でも何を話せばいいのかわからず自然会話の数が減り。
夜、就寝時だって最近はひとことも交わさない日すらあって。
要するに、私とライナーの関係はとてもギクシャクした感じになってしまっているのでした。

理由は熟考せずともすぐに判明します。
というか、あまりしっかり思い出したくありません。

……ああもう、本当に恥ずかしい……っ。

あの時の自分が口走ったことを脳裏に浮かべるだけで、顔が真っ赤になります。
恥も外聞もなく、ひた隠しにしていた気持ちを叫び放ってしまった私。
しかも、あんなぼろぼろ泣いてしまって、あれほど情けない痴態を晒したのは何百年以来でしょうか。

「愛してる、なんて言ってしまいましたし……」

うわぁ、うわぁ、と羞恥心が振り切って、鏡の向こうの私はまるで熟れきった林檎のよう。
頬の熱を冷ますためにも布団に包まり目を閉じて、そうすれば少しは落ち着くかと思いました。

―――― 勿論、嬉しかったのです。
ライナーに抱きしめてもらって、好きって言ってもらえて、きっと長い間生きてきた中で一番幸せでした。
でも、嬉しいのに、幸せなのに、いざライナーを目の前にすると、何も考えられなくなるのです。
頭の中が真っ白になり、何を言おうかわからず、どうしよう、と混乱して。
結局、私がライナーに伝えたいと思うことはひとつたりとも口にできず逃げ出してしまう。

そんな自分をどうにかしたいと考えているのですが、身体は言うことを聞いてくれません。
……せめて、また手くらいは握れるようになりたいです。指が触れただけで反応するようでは遠い話ですが。

「ライナー……」

その日は久しぶりに夢を見ました。
大唄石公園で、私とライナーが肩を寄せ合い、やがて顔が近づき――――

―――― おかげですっかり目は覚めました。










「ひっさしぶりよねー……」

私は懐かしい風景を一通り見回し、んーっ、と大きく深呼吸をひとつ。
ようやくまたプラティナに戻ってきたけれど、いったいどれだけ顔を出さなかっただろうか。

「えっと、確かここを出たのが……いいや」

面倒臭くなったので考えるのを止める。
時間なんて関係ない、大事なのはまた帰ってきたということ。
そして、長らく会ってなかった人の姿を見られるということだ。

……詩姫になると決意して、プラティナを離れ数ヶ月。
ソル・シエールの各所を巡り、私は人々の集まる村や街で謳い生活していた。
一所に留まることはあまりなかったけど、お客さん達の評判はそこそこ良かったと思う。
私の詩で喜んだり楽しんだりしてくれれば嬉しかったし、その感動を伝える言葉は旅の原動力になった。

本当に、色々なところへ足を運んだ。
それは思い出巡りにも似ていて、私はそれこそホルスの翼の端から端まで歩き通したのだった。

カルル村ではオリカに会った。
宿屋でオルゴール屋を経営していて、旅のお供にとひとつ貰い、今でも夜は必ず一度蓋を開いて聴いている。
優しい音で奏でられる聖歌には、オリカが込めた気持ちが表れてるようで。

ネモではラードルフさんが忙しそうに働いてた。
ほとんど話をする機会もなかったけど、何だか凄く充実してるみたいで、私の公演を見に来た時も豪快に笑ってた。
教会に関しての噂は前よりさらに良くなる一方で、私はそれがラードルフさんの近況代わりだと思ってる。

ほたる横丁では相変わらずスピカが商魂逞しく頑張ってた。
裏世界での人脈はさらに広がったらしく、たまたまその場を通りがかった亜耶乃さんと親しそうに話しているのを見て少し眩暈が。
いつか天覇を乗っ取ったりするんじゃないかという心配は杞憂じゃないはず。

イム・フェーナではリルラがちょっとしょぼくれていた。
アル兄ぃがいないのだー、と悲しそうな表情をするリルラを見ていると、私も改めて思い知らされる。
でも、アル兄ぃも夢を追いかけたのだと、わかっているから。帰ってくるって信じよう、と私は彼女に言い聞かせた。
……大変癪ながら、クルシェも一緒に。もし本当に帰ってきたら絶対からかってやる。

追憶の尾翼にも、少し行ってみた。
私とライナーの思い出の場所。ライナーがあんな大事な記憶を綺麗さっぱり忘れてることが判明した時は、 もう本気で蹴り飛ばしてホルスの翼から落としてやろうかと考えた。それくらい悲しかったし、辛かった。
だけど、今は平気。平気じゃないけど平気。ここに来ても、胸を痛みだけが締めつけるわけじゃないから。
誰もいない花畑の中で、誰に聴かせるでもなく、私は謳った。再び笑顔で訪れることができるように。

「二人とも、元気かな」

一周したら、真っ先に顔を出そうと思ってた。
オリカは一回会ってたらしく、少し話も聞いたけど、実際見るのとは勿論違う。
一緒に暮らしているという二人に早く会いたくて、私は期待に胸を躍らせながら大聖堂へと向かった。
仕事中の人達が、物珍しそうな視線をこっちに送ってくるけど気にしない。
そりゃ珍しいでしょうさ。私がわざわざ自分からレアードのところに訪れるなんて。

「レアード、ちょっと顔出しに来たわよ」
「おお、ミシャか。久しいな。旅はもう終わったのか?」
「終わったけど終わってないというか……用事済ませたらまた一周してくるわ」
「……そうか、お前は詩姫として生きる道を選んだのだったな」
「何よ、不満?」
「いや。そうではない。……ミシャよ、私は最近になって思うのだ」

ふっと表情に翳りの色を落とすレアード。
数秒の間を置き、

「お前を指導していた頃や、ライナーを総帥にしようと躍起になっていた頃があった。 私はそれがお前達のためになると思い、また、それが自分にとっての使命だとも思っていたのだよ」
「………………」
「だが、違うのだな。お前は星詠として一生を縛られ生きることを望まず、自由を欲していた。 あの馬鹿息子は、ただ反発したいが故に剣の道を選んだのではなく、その手で多くのものを護ろうとしていた」
「そう、ね。私は……ただ謳い続けて生きるのが嫌だったわ。恐れてた。運命に縛られることに」
「今ならわかる。私は、お前達と向き合っていなかったのだ。自分の主張だけを押し通そうとしていたのだ」
「……私もそう思ってたわ」

そう、思ってた。厳しかったレアードの指導は、トラウマとして残るほど辛くて。
大人は正しさを押しつけてくる。正しければ間違っていないと、それだけを理由にして選択肢を奪っていく。
でも――――

「……レアードは、どうしてライナーを総帥にしたかったの?」
「…………それが息子のためになると信じていたからだ」
「じゃあ、私に厳しくしたのは?」
「……言わなければならんか?」
「うん。言って」
「…………星詠になった時、お前が過ちを犯さぬように。間違わず使命を遂行できるように」
「それって、私達のことを真摯に考えてくれてたからだよね」
「ミシャ……」
「だから、いいの。いいのよ。喧嘩上等。お互い張り合って、より良い答えを出してけばいい」
「………………」
「ということで、とりあえず和解しない? 別に争ってもいないけど」
「……くく、はっはっはっはっはっはっはっは! お前達は、日に日に成長していくな。それを見ているだけで楽しいよ、私は」

しばらく笑い合う。それから、実はちょっと忘れかけていた本題を聞き出すことにした。

「そうそう、ライナーとシュレリア様ってどこに住んでるの?」
「あー、ちょっと待て。地図を持ってこよう」

部下を使えばいいのにわざわざ席を立って裏の方へ姿を消すレアード。
一分も経たず戻ってきたその手には、紙切れが握られていた。
地図の上にペンを走らせ、大聖堂からのルートを示す。なるほど、あの辺りね。何度か通ったことあるし、たぶん大丈夫。

それじゃ、と別れを告げて、私は心持ち足運びも軽やかにプラティナの街並みを眺めつつ、目的地を目指す。
どうしてるだろうか。二人とも仲良くやってるだろうか。
期待が最高潮に達したところで辿り着いた家の玄関、呼び鈴を鳴らし、どたどたと響いてくる足音が近づいてきて、

「はい、今開けます……ってミシャ!?」
「シュレリア様! お久しぶりです!」
「ミシャ……元気にしていましたか?」
「それはもう。世界一周してきましたよ。オリカやラードルフさんにも会ってきました」
「そうですか……立ち話も何ですね。続きは中でしましょうか」

シュレリア様はどうやら変わってない様子で、でもどこか、雰囲気が……そう、落ち着いてないというか。
そわそわしてるような、そんな感じで。そこに私は一抹の不安を抱きながら、居間に案内される。
ひょっこりと廊下から顔を出すとライナーが座ってるのが見えて、

「ライナー!」
「ミ、ミシャ!? あ、ちょっと待っ」
「あら、来客かしら」
「…………へ?」

我ながら、間抜けな声が出てきたものだと思う。
廊下側からは死角になって見えなかった席、ライナーの斜め向かいに腰を下ろしていたのは、

「ミュール!?」
「何、私がここにいて悪い?」
「いや、そういうことじゃないと思うよ母さん」
「アヤタネまで!? ああもう、訳がわからなくなってきた……」

頭を抱える。ああ、ちょっと眩暈がしてきた。
だってレアードは何も言ってなかったんだもの。あ、だけど去り際に少し笑ってた気がする。
まさか……わかってて言わなかったんだろうか。だとしたら、また随分なお茶目だ。レアード、丸くなり過ぎ。

「…………シュレリア様、説明、してくれますよね?」
「ええ、当然です」










「……ということがあったんですが」
「なるほど」

割とはしょった部分もあったけど、おおよその事情は掴めた。
ちなみにミュールは「お邪魔みたいね」とすぐに去り、アヤタネもそれに付いていった。ドライというか。
隣に住んでるみたいだし、後で少しあっちとも話し合っておきたいかな。
それはともかく、説明の内容を全部鵜呑みにするならば、

「ライナー、シュレリア様に告白したの!? 本当に!?」
「あ、ああ……」
「シュレリア様も、あ、あ、愛してるなんて言っちゃったの!?」
「う、うん……」

―――― あれ?
いきなり二人とも、どもって目を逸らして、何この妙な雰囲気。

「……ねぇ、シュレリア様。ちょっと耳貸してください」
「え? あ、はい」

小さな耳元に顔を近づける。そして小声でこう囁いた。

「もしかして……まだ、キスもしてないんですか?」
「……!?」

物凄い勢いで真っ赤になるシュレリア様。
続いてライナーの耳元へも。

「ちょ、ちょっとミシャ!」
「ライナー。シュレリア様にまだキスのひとつもしてないでしょ」
「キッ……!」

危うく叫びかけたのですぐに口を手で塞ぐ。
塞ぎながら、私はひとつ、地の底まで響くような溜め息を吐いた。

……これはどうしたものかしら。

二人とも恋愛経験値が致命的なまでに少ないから、お互い意識し過ぎていると見た。
特にライナー。男なんだからリードしなさいよ、と思うけど、ライナーだから仕方ない。
折角想いは通じ合ったのに、ここで足止めされているようじゃ先は遠いだろう。

「……少し、荒療治が必要ね」

二人に聞こえないよう、呟く。
ライナーとシュレリア様は、ちゃんと結ばれなくちゃいけないのだ。
でなきゃ、身を引いた自分の想いはどこに行けばいいのかわからなくなる。

……幸せになってもらわないと。

そのためにはまず、意識改革をする必要がありそうだった。
なので、もう一度ライナーの方へと向き直り、

「シュレリア様、ライナー借りていきますね」
「いいですけど……ミシャ、ライナーの口を塞いだままですよ?」
「あ」










「死ぬかと思った……」
「ごめんごめん。でも、ライナーが悪いんだからね」
「ど、どうして俺が、」
「言い訳無用。こういうことは必ず男の子に原因があるって決まってるの」
「理不尽だ……」
「我慢しなさい男の子。それより、もう一度訊くわよ。ライナー、まだシュレリア様にキスのひとつもしてないのよね?」
「まぁ、その、うん」
「…………はぁ。このままじゃ、シュレリア様がまた追いつめられて突飛な行動に走るわよ」
「うっ」
「誰かさんがあんまりにも鈍いから告白して、恥ずかしかっただろうなあシュレリア様」
「ううっ」
「同じ過ちを繰り返すつもりなのかなー」
「ううううっ」

自覚は一応あるらしく、冷や汗だか何だかわからないものをだらだらと流し始めるライナー。
私も随分手を焼いたけれど、同棲(ライナーにはそんなつもりなくても)までしてるシュレリア様の苦労はどれほどのものか。
それは美徳でもある。ただ、優しさも行き過ぎれば相手を傷つけたりするのだ。

でも一方で、私は信じてる。
ライナーは失敗を失敗で終わらせようとしない人間だって。
間違ったらそれを正して、より良くなろうとする人なんだって。

「……で、ライナーはどう思ってるの? シュレリア様のこと」
「あー、えっと、ほら、その……何て言えばいいんだろ」
「難しく考えなくていいから。素直に、言ってみて」
―――― 好き、だよ」
「どんな"好き"?」
「わ、笑わないで聞いてくれよ。俺、恋とか愛とか……そういうの、全然知らなくってさ」
「うん」
「だけどそんな俺なりに、この気持ちが何なのかって考えてみてさ。わかったんだ」

一息、

「俺……シュレリア様を、幸せにしたい。俺が、幸せにしたいんだ」

……その瞬間、きっと、私の恋は本当の意味で終わったんだと思う。
もう絶対ライナーは、こっちに振り向いてくれることはないってわかったから。泣かなかっただけ上等。よく我慢した私。

涙としゃっくりを気合で飲み込み、ん、と僅かに熱の篭もった吐息を外へ。
笑顔を作る。少し歪んじゃってるかもしれないけど、それでもいい。

「なら決まり。シュレリア様に恥ずかしい思いをさせないためにも、ライナーが頑張らなきゃ」
「あ、でも、俺が……しようとしても、シュレリア様は嫌がるかもしれないし」
「有り得ない」

きっぱり告げる。

「もし私がシュレリア様の立場だったら、ライナーにキスしてほしいもの。勿論時と場合によるけど」
「時と場合?」
「そりゃいきなり人通りある街中で肩抱かれて顔近づけられても困るじゃない?」
「んなことしないって……」
「わかってる。今のは極端な例だけど、雰囲気出ないところでされても嬉しさ半減なんだから」
「じゃあ俺はどうすれば……」
「それは自分で考えて。私ができるのは助言だけ。大事な部分は、ちゃんとライナーが決めないと、ね」
「…………そうだな。うん、ありがとうミシャ」

帰ってきた笑みを、私は素直に受け取れなかった。
だからこのままでは苦笑さえも浮かべられない自分を誤魔化すように、

「……ねえライナー。実践の前に練習、してみない?」
「練習? 何の?」
「キス。私と」
「………………えええ!?」
「ほら、早く肩に手を置いて。優しく。私目閉じるから」
「いやちょっと待ったそんな話進められてもって顔近い近い近いか、らっ!?」
「きゃっ!」

身体を寄せる私をどうにかして離そうとしたライナーが上半身のバランスを崩し、私の方へと被さるように傾いていく。
背の側にはベッド。ぼふん、と柔らかい音がして仰向けに、天井を見上げる形で倒れ、

「あ、わ、悪い!」

視界にはライナーの顔。肩の横に両手をつき、互いに向かい合って見詰め合う姿勢。
たぶん傍目には私がライナーに襲われかけてる風にしか見えないと思い、二人共々硬直したところで、ドアが何故か開いた。
ぎぎぎ、と錆びた機械みたいな動きで音のした方を向く私達。

「二人とも、話は終わ……」
「あのねシュレリア様、これには深い訳が、」
「シュレリア様、決して俺達怪しいことをしてたわけじゃ、」
「ミシャ。あとで少し話をしましょう。私の部屋で。それはもうじっくりと」
「はい……」
「ライナー」
「な、何でしょうか」
「弁解の余地は、ありませんよね?」
「…………仰る通りです」

高速詠唱。
シュレリア様の背後に黒い影―― 魔人シャドウが出現、数秒の時間経過と共に巨体はさらに膨れ上がり、

「ライナーの――――
「俺、今度こそ死ぬかもなぁ……」
「ばか―――――――――――――――――――― っ!!」

大きく振りかぶられたシュレリア様の右腕を正確にトレースするかのように、魔人シャドウの右腕が動く。
平手、ビンタの軌道を描き豪腕一撃。物凄く鈍い音をオプションにライナーが窓を突き破って吹っ飛んでいく。
錐揉み回転で瞬きする間に消えたライナーを見送り、肩で息をするシュレリア様に視線を移して、心に誓った。

……もう絶対怒らせないようにしよう。










結局シュレリア様を説明で納得させるのに小一時間掛かり、しばらく滞在するという名目で借りた空き部屋、そのベッドの上で。
今更溢れて止まらなくなってきた涙を掛け布団でひたすら拭いながら、私は思う。

叶わない想いと知ってもなお、自分はライナーのことが好きで。
好きだから、幸せになってほしくて。
隣にいる人のことを考えるとまだ少し胸は痛いけど、でもそれ以上に祝福したい気持ちがある。

「私って、こんな諦め悪い女だったのね……」

ぐすん、と鼻を啜った。情けない。情けなさ過ぎる。
十年以上も募らせ続けてきた、重い重い恋心。吐き出し終えるにはまだ時間が必要そう。でも、

「……わだかまりは、なくさないと」

でないと、心から祝福できない。
幸せになってね、って、笑顔で言えない。

―――― ライナー、上手くやってよね。

強がっても今はあれで精一杯だった。
それでも、祝福したいと思う気持ちは嘘じゃなかったから。

信じてる。きっと二人は、幸せになれる、と。



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