「要するに、あなた達見ていてもどかしかったのよ」 とりあえず夕食を手っ取り早く片づけ、私達三人は外へと出ました。 先頭を行くミュールはさして急いでもいない足取りで、振り返りこちらと向かい合ったまま話を続けます。 「ライナーは天然を通り越して嫌味なくらい鈍いし、シュレリアも自分を偽ってばかりで」 「そ、そんなことはありません」 「そんなことないって」 「……その割に随分息が合ってるのよね。ライナー、気づかないなんて嘘でわざとだったんじゃないの?」 「違うっての!」 「まあいいけど。だから私がちょっとお節介を焼いたわけ。有り難く思いなさい」 「親切の押し売りみたいですね……」 「感謝の気持ちが足りないわ」 「……有り難いと、思っていますよ」 「ああ。俺も、ほら……何だ、感謝してる」 「……そう。精々二人で頑張るといいわ。私はお邪魔かしらね」 「正直…………」 「言うようになったわねシュレリア」 一瞬顔を背けたミュールの頬が、微かに照れで赤くなっているように見えたのは気のせいでしょうか。 「シュレリア、ライナー、覚えてる?」 「何をですか」 「猫」 「…………はい」 「忘れるわけないだろ。あんなに大事にしてたのに」 「……私は、あの子を失って思ったわ。いえ、思い出したというべきかしら」 一呼吸、僅かな間を置き、 「それぞれの命は、唯一無二だということを。代わりのない、尊いものだということを」 「ミュール……」 「人間は私を道具として扱ったわ。それは今でも恨んでる。憎しみは消えない。 でも、私を道具として扱った彼らはもういない。そして子だけに罪はないわ。 それを教えてくれたのはライナー。過去の呪いから私のことを開放してくれたのはね」 「そんな、俺は大したことしてないよ」 「素面でそう言えるあなたは十分大した人間だわ。もっと胸を張りなさい。私にここまで言わせたんだから」 「どうして貴方はそこで……」 「シュレリア」 いきなり真剣な声で名前を呼ばれ、思わず身体が強張ります。 はい、と返事をし、気を引き締めて私はミュールの目を見つめました。 「私は自分がしたことを、今でも間違っているとは思わない」 「………………」 「だけど、失われた命には、謝るわ。償えない分は、生きて償う」 「……それが、貴方の答えですか」 「ええ。そして、もうひとつ、忘れていたものに対する答えを」 歩みが止まります。 風景を注視していなかったのでどこに向かっていたのかわかりませんでしたが、ここは、 「ダイブ屋、ですか」 「この時間でもやってるのかしら? 閉まってるなら天文台まで行かなくちゃならないけれど」 「確か大丈夫だったと思います」 「ならライナー、シュレリアにダイブして。バイナリ野で待ってるわ」 「あ、ちょっとミュール!」 ライナーの呼び止めを完璧に無視し、ミュールは夜闇に消えていきます。 おそらく、ではありますが、その行く先は導力プラグでしょう。 あそこからなら彼女は苦もなくバイナリ野までアクセスできるはずですから。 ミュールが何を見せようとしているのか、今はわかりません。 しかし、待つ結果は悪いものではないと納得して、私はライナーに催促しました。 「……行こう?」 「あれ、アヤタネ?」 「ここからは僕もご一緒させてもらうよ」 バイナリ野に着くと、ミュールだけではなくアヤタネも待ち構えていました。 わざわざ彼を連れてきたということ、その意味を考え、私は表情を強張らせます。 少なくとも、ただの雑談をするためにここまで来たわけではないのですから。 「ああ、シュレリア様、そんな身構えなくていいんですよ」 「しかしアヤタネ、貴方までいるとなると、いよいよ……妙ですね」 「シュレリア、その顔は何」 「いえ別に」 「……取って喰うわけじゃないんだから、ライナーも複雑そうな顔をしない」 「俺は単純にこの状況がよくわからないだけなんだけど」 「それはそれで駄目だと思う……」 はぁ、とミュールは嘆息。 「決まらないわね。こっちは真面目な話をしにきたのに」 「しょうがないよ母さん。だってライナーだし」 「アヤタネ酷ぇ!?」 「……帰ってもいいですか」 「ああもう、全部無視して続けるわよ。シュレリア、このキーワードで検索して」 「…………これは」 「早くしなさい」 とりあえず言われた通り、私はミュールが示した単語で検索、情報を取得します。 検索結果は、一件。仮想世界プログラムです。過去に見たことのない、最近作成されただろう新規の物。 誰の製作か、そこにひとつの確信を得つつファイルの展開を始める私の横で、ライナーがアヤタネの説明を受けていました。 「ハーモニウスを覚えているかい?」 「シルヴァホルンにあった奴だっけ。ミシャがダウンロードしてミュールの前で謳った」 「そう。でも、あの詩には原曲があるんだ。今から、それを見せようと思う」 ―――― 母さんの『答え』は、そこにあるよ。 アヤタネが告げ、微笑みました。 本当に嬉しそうに。母が選んだ道を祝福するかの如く。 そんな自分の子を見て、ミュールも微かに、口元を緩めているようでした。 展開は終わりプログラムが起動します。 微睡みの刹那、私の耳に届いた詩は、優しい、声色をしていました。 ――――小鳥はただ鳴く、この世界を想って ――――小鳥はただ歌う、この人々を想って その日、小さな祝福と共に、一羽の小鳥が生まれ落ちた。 翼を羽ばたかせ飛ぶこともできず。 まだ右も左もわからない幼き生命。 何も知らない、か弱い小鳥には、けれどたったひとつ、できることがあった。 それは歌うこと。 ただ、小鳥はその綺麗な鳴き声で奏でる。 ある時は母を想う癒しの歌を。 ある時は父を想う慰めの歌を。 ある時は人々を想う祈りの歌を。 やがて翼も乾き、空を飛べるようになっても。 広い世界を知って、行ける場所が増えていっても。 小鳥は決して歌うことを止めなかった。いつも、いつまでも、その声を響き渡らせていた。 ……自分の歌は何も生まないことを、小鳥は理解していた。 歌で父や母、子供達のお腹が膨れるわけではない。 雨を降らし、雪を呼び、雲を退け、太陽を導く力があるわけでもない。 ああ、それでも、小鳥は歌いたい、と思う。 どんなに気持ちを込めても、現実は少しさえ変わらないのかもしれない。 ああ、それでも、小鳥は歌っていたい、と思う。 だって、幸せはこの胸の中にあるから。歌うことで、自分の幸せをみんなにも伝えることができるはずだから。 ―――― 私の歌、聴いてくれてる? 世界中に母が、父がいるなら、いつか大地をその子達が満たすだろう。 そして生まれ来る子達には、優しい大人になってほしい。 自分を培ってきた全てに、自分を育ててくれた全てに、感謝できるような大人に。 大地を満たした子達は、いずれ新たな母や父となるだろう。 そして大人になったかつての子達が生命を授かるならば、我が子のために祈ってほしい。 これからも、穏やかで優しい世界に祝福され、平和な刻の中で生きられますようにと。 人は相手を信じ、愛し合える。 親を慈しみ、子を憂える。 大事なものを大事にしようと、そう思える。 それがどれほど尊いことか。それがどれほど、素晴らしいことか。 この世にふたつとない、いのち。 大きな、大きな世界の中にある、かけがえのない宝物。 ―――― 私は歌うよ。生命の歌を。ここにいることの、喜びを。 小鳥には母がいた。父がいた。 だから世界に、生まれることができた。 それだけは嘘にならないのだから。本当だったことなのだから。 どんなに苦しんでも、幸せを見失いかけても、過去の想いを忘れたってそこにある、絶対不変の真実。 Faura yerwe murfan anw sol ciel Faura sonwe murfan anw sol ciel ee 届くだろうか。 母に、父に、愛しい世界に。 小鳥の歌は、届くだろうか。 Faura yerwe wis enclone tou marta Faura sonwe murfan anw fatele 答えが返らなくてもいい。もう小鳥は忘れない。 確かに自分は想いを込めて詩を紡いだのだということを。 ―――― 私の歌は、何も生まないけれど。 ―――― ほんの少しだけ、世界を暖かい光で満たすことができるから。 ―――― きっとみんなも幸せにできる、そう信じてるから。 それは、遍く世界を照らす光。 希望という名の、輝かしい光。 ―――― 私を生んでくれて、ありがとう。 小鳥は少し、涙した。 悲しさの欠片も感じられない、満ち足りた笑みを見せながら。 生きとし生ける、全ての人にこの歌を捧げましょう。 あなたが、幸せと思える世界でありますように。 かつて、数多の詩を紡いだミュールが初めて謳ったのは、人々の幸せを願ったものでした。 今の私にはわかります。ホルス右翼の崩壊で数多の命を失わせた彼女が、人間を大切に思っていたということを。 少なくとも、自らが生まれたことに感謝していたのでしょう。そして、世界とそこに住まう人の幸せを願っていたのでしょう。 でなければあの詩は紡げません。謳えません。こんなにも、私の心を揺り動かしたりはしません。 ミシャがシルヴァホルンでダウンロードした際、ミシャの想いに応じて詩は形を変えました。 故に、ハーモニウスと比べるといくつかの相違点はありますが、根本に流れる想いは決して変わらず伝わってきます。 メタファリカ。それは、言うなれば希望の詩。 生きることそのものに対する希望を謳う、未来へ続く光を想う詩。 祈りはいつか必ず届くでしょう。罪も痛みも乗り越えて、彼女が願った通りに。 ……ミュール。貴方は、これほど素晴らしい詩を紡げるのですね。 素直に賞賛しましょう。確かに貴方は優れています。 でもそれは処理能力の高さではなく、レーヴァテイルとしての力の強さでもなく。 人の心を打つ詩が紡げる……そんな才能、というべきものを持っているからです。 感嘆し、そして思いました。 私も、ミュールのような詩を紡げるでしょうか、と。 謳い手として、いずれそういうものを作れればいいですね。 「…………なぁ、ミュール」 「何?」 「あの詩……何だっけ、俺達がミュールの殻を壊した後、謳ってくれた」 「リグ・ヴェーダよ」 「そうそう。あれを聴いた時にも思ったんだけど」 「勿体ぶるわね。早く言いなさい」 「ミュールってさ、凄くいい詩を謳うよな。俺、感動した」 「な…………」 あ、ミュールが硬直しました。 相変わらず空気を読めていないというかこの馬鹿早速別の女に手出してといった感じですが、 ―――― そこがライナーのいいところでもありますし。 褒められ慣れていないミュールが珍しく声を荒げて怒り、思いきり蹴られるライナーを眺めながら。 私は少々、複雑な気分でいるのでした。 「全く、ライナーも懲りないね」 「そういうアヤタネは止めなくていいんですか」 「母さんを? いえ、あれで楽しんでますし大丈夫でしょう。母さん素直じゃないですから」 「よくできた息子ですね……」 「その言葉は有り難く受け取っておきます」 くすくすと笑うアヤタネを見て、何だか色々なことが馬鹿らしくなってきました。 この状況で、物事を真面目に考える方が損かもしれません。しみじみとした雰囲気もとっくに彼方へ放り投げられましたし。 ですが、 「悪くはない、ものですね」 「シュレリア、何か言った?」 「いえ、別に」 ―――― 余談ですが。 家を出るといった彼女は夜のうちに姿を消し、私はまたライナーと二人っきりの時間が増えると安堵したのですが。 翌日、いつの間にか隣家が引っ越しをしており、新しい住人としてミュールが挨拶をしに来たのです。……アヤタネと一緒に。 「……何故貴方が私達の隣家に居を構えているんですか」 「だって楽しそうなんだもの。ま、精一杯私を退屈させないよう二人で頑張りなさい」 その日、遙か上空から大質量の光が無数に降ってきたという証言をプラティナのそこかしこで聞くようになりました。 原因は知りません。知らないったら知らないのです。ライナーが三日三晩寝込んだことも、何の関係もないのです。 back|index|next |