「ライナー、何をしているの?」
「あ、悪い。ちょっとだけ待っててくれるか。今手が離せなくて」
「……仕方ないわね」

おもむろに室内へと入ってきたミュールは、問いを終えると軽く肩をすくめてライナーから一歩距離を置いた私の隣に来ました。
どっちが仕方ないのかと言いたいところですが、ぐっと抑えます。
視線を戻し、見守るのは作業中のライナー。猫背の姿勢で、ほとんど動いていません。
代わりに肩から続く両腕が小刻みに揺れ、身体で隠れた机の上、小さなそれを組み上げています。
ほんの僅かなミスも許されない状況。しかしライナーの集中力は高く、動作に迷いも皆無。
普段は剣を握る指先が、今は繊細なタッチで目的の物を完成に近づけていく、そんな光景が背中越しに窺えました。

ふと見れば、何かを雰囲気から感じ取ったのかミュールもライナーの後ろ姿を真剣に眺めています。
無言の時間が過ぎ、硬直はライナーの一際大きな溜め息と共に解けました。

「終わったー……!」
「お疲れ様」

労いの言葉を掛けると、疲れた、けれどひとつのことを成し得た時の笑みが返ってきます。
そのことに満足し、立ち上がると少しばかり正座のし過ぎで痺れた足が震え、私はバランスを崩しました。
あ、と呟く間に視界は斜めへ。倒れると思い目を閉じた瞬間、重力に引かれた身体が抱き留められる感覚。

「大丈夫ですか、シュレリア様?」
「え、あ、うん、平気。平気だから」

途端に赤くなる頬の温度を自覚して、私は慌てながら姿勢を元に戻します。
……自分はこんな恥ずかしく思うのに、やはり不公平ですよね。
全く意識していないライナーを見る度そう思うのですが――――

「……ミュール、貴方は何故にやけているのです」
「別に。ちょっとシュレリア、勘繰り過ぎじゃないの?」
「なっ……! 訂正してください、それでははしたないように聞こえるじゃないですか!」
「そういうところがはしたないんだと思うわよ。……まぁ、そんなことはどうでもいいわ」

さらに反論しようとしましたが、遊ばれているのは明白です。
ぐっと堪え口を噤み、どうでもいいとは何ですか、という叫びを封じました。

「ライナー」
「え?」
「さっきあなたがしていたのは……えっと、何だったかしら」
「ああ、グラスメルクっていうんだけど」
「それは私の知らない技術ね。第二紀にはなかったもの」
「当然です。グラスメルクは第三紀から盛んになったのですから」
「ふうん……そういえばシルヴァホルンの機能が随分変わっていたけど、その技術のため?」
「ええ。よくわかりましたね」
「当たり前じゃない。あそこは私の領域よ?」

ふふん、と平坦な胸を微かに反らすミュール。
また偉そうな態度ですが、その、どことなく可愛く見えるのはどうしてでしょう。

「そう、それでライナー。私にもグラスメルクを教えなさい」
「いきなり命令形か。……まぁ、別に構わないけど」
「ちょ、ちょっと待ってください」
「何? あなたのことは呼んでないわ」
「ライナーは忙しいので貴方に教える時間はありません。そうだよねライナー?」

頷け、という意志を込めた視線でライナーをじっと見つめます。
効果があったのか、すぐにその首は縦に振られました。
ライナーの顔が引き攣っていたのは錯覚でしょう。見間違いです。
満足の行く返事を確認し、私は予め用意していた続きの答えを声にします。

「なのでミュール、もしグラスメルクを学びたいと思ったなら」
「別に学びたいだなんて言ってないわよ。興味があるからちょっと知りたいって思っただけ」
「また貴方は人の言質を取って……とにかく! 私が貴方に教えます! いいですね?」
「……ライナー」
「お、俺に振るな! ……その、まぁ、シュレリア様ももう立派なメルクですし、いいんじゃないかなぁ、と」
「はぁ……貴方、本当に優柔不断ね。それじゃいつか女性を泣かせるわよ?」
「どうしていきなりそういう話になるんだ!?」

優柔不断だというのには大変同意―――― じゃなくて。
ライナーとミュールを二人きりなんかにさせたら、何が起こるかわかったものじゃありません。
それにますます私との時間が少なく……そうでもなくて。

グラスメルクの設計者は、私です。
故に知っていることも多く、知識の少ないミュールに教授できることもたくさんあるでしょう。
また、逆にこれまで知らなかった方法論に対しても、ライナーの協力によって徐々に強くなってきています。
だいたいライナーはグラスメルクをほとんど直感でやっているようなので、技術や理論は二の次。
知識量だけで言うのなら、おそらく私の方が高いはずです。
そして、知識を活用した説明はライナーの感覚に頼る教えよりもミュールには合っているのではないかと思います。

「……わかったわ、かなり癪だけど、シュレリア、私に教えて頂戴」
「では明日から。詰め込みで行きますので覚悟してください」
「貴方こそ喋り過ぎで先にバテないでよ?」
「どうして二人はそんないがみ合うかなぁ……」
「いがみ合ってなどいません。関係が良好でないだけです」
「そうね。こういうのを水と油って言うのかしら?」
「………………はぁ……」

激しいライナーの嘆息を右から左に流しながら、私は微かな楽しみを感じていました。
それがどんなところから来るものなのか、深く考えるつもりはありません。
答えは、必ずしも出さなければいけないわけではないのですから。

見ればミュールも、本当に微細ではありますが、口元を歪めています。
彼女の気持ちを透かし知ることは、私にはできません。
でも、心を動かした理由が、私と同じであればいいと、そう願いました。










「まず、研磨剤を作ってみましょうか。手順は簡単です、この白い石を粉状に削って」
「………………」
「そうです、あとはグラスノ結晶を混ぜてください」
「………………」
「これで完成です。……ミュール、少しは口を開いたらどうですか」
「だって話すことなんてないじゃない」
「……貴方は。いいですか、もうちょっと社交性というものをですね、」
「説教はいいわ。―――― そんなことより、次を教えて」
「あ、ええ、わかりました。では次は……」

作業に取り組むミュールの表情は、集中したもの。
まだ危なっかしい手つきながらもその顔からは真剣さが窺えます。

最近、彼女はよく外出するようになりました。
だいたい私かライナーが同伴するのですが、これまでほとんど家の中に篭もっていたことを考えると、進歩なのでしょう。
プラティナの町ひとつ取っても、見るところはいっぱいあります。
アプサラニカ広場、デパートメント、大聖堂、ダイブ屋、ギャザーや導力プラグ。
情報として知っていたとしても実際に目にするのとはまるで違うものばかり。
そこには人が集まり、人の生み出す活気や熱気、想いが満ち溢れ存在します。

全てのものには理由があって、例えば塔も人間の手で築き上げられてきました。
同じように、並ぶ家屋の一軒一軒にさえも、作った者、住む者の心が宿っていると思うのです。
それを何と呼ぶか、私は本の知識で知りました。

魂。
世界に遍在する、想いの集積。

私が―――― 私が守ろうとしたのは、人間だけではありません。
世界中の人々と、その人々が大切にしてきた全てのものを。
種族も、区別も、場所も関係ない、ひとことで括るなら、世界そのものを。

一度、ふらっと何も言わず外出したミュールを追跡したことがありました。
気づかれないよう離れた後ろから見守っていたのですが、彼女はホルスの翼を見下ろせる町の端に立ち、

「世界は、こんなにも広く、大きいのね……」

そう、呟いていたのです。
私はその場から去り、そして思いました。

「……彼女には、見えているのでしょうか」

自分が壊そうとしていたものが。私が皆と築き、守ってきたものが。
答えは、眼下の光景を眺めていたミュールの表情にあると、信じたいです。

「…………ちょっと、シュレリア。続けなさいよ」
「ああ、はい。先ほどの研磨剤と唄石を――――
「……何にやついてるの。気持ち悪いわね」
「気持ち悪いとは何ですか。……ただ、少し嬉しかったことを思い出しているだけですよ」

多くを知り始めた彼女は、一度は破壊しようとした全てを認めていっているのかもしれません。
また私の中でも、解り合えないと諦めた相手に対するわだかまりがゆっくり解けているのを感じました。

私達は―――― 互いの価値を受け入れ、歩み寄れるはずです。
今は遅々とした速度でも、いつかは触れ合えるほど近くまで。



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