どうしてこんなことになったのでしょうか。
振り返ってみても、明確な答えは出ません。何故なら、答えそのものがひとつではないからです。

でも、直接の原因を述べるのは簡単です。
ライナーが。ライナーがミュールの同居を受け入れてしまった、それに尽きます。

……何故ですか。何故私達の間に入り込んだんですか。
あ、いえ、決してライナーと二人っきりで暮らす方が嬉しいとか、そういうわけではなく。
勿論ライナーとの生活は楽しいし嬉しかったのですが、その、何と言いましょう。

生まれが、由来が、そして経緯や理由がどうであれ、私とミュールは長い間敵対してきました。
人間を憎み、レーヴァテイルだけの理想の世界を求め人類を滅ぼそうとした、当時最も優秀と謳われたベータ純血種。
彼女は過去二基あったプラズマベルの片方、ホルス右翼を宙空に保っていた一基を破壊し、それによって多くの命が失われ。
共存はできない、解り合えないと知った私は、タスティエーラと協力しクレセントクロニクルでミュールを縛りました。
あの時はそうするしかないと思ったのです。その方法しか、ないと。

でも、結果として、苦難の旅を経たライナーはミュールにさえ共感し、無闇に戦うことなく救う道を選びました。
それは私が選べなかった道です。そして、本当はずっと探していたものでした。
誰も失わず、傷ついても、痛みを越えた先に答えを見つける、そんなやり方。

きっと―――― 私はまだ、割り切れていないのです。
ミュールが犯した罪。その原因が決して彼女だけにあったわけではないことを、もう理解しているが故に。
けれど同じくらい、未来を、人間を信じられなかった、彼女に対する遺恨を残しているが故に。

「それに…………」

距離を掴みかねているのもあるのですが、

「ちょっとライナー。こっちに来てくれる?」
「あーはいはいわかった、今行くからー」
「………………」

少々……いや、かなり、ライナーはミュールに構い過ぎではないでしょうか。










簡潔に言うならば、ミュールには常識というものが欠如しています。
これまでのこと、閉じ込められてきた期間の長さを考えれば当然なのですが、それにしたって、と思う瞬間も多々ありまして。

ではそもそも、常識とは何でしょうか。
おそらくその答えは人の数だけあるはずです。何故なら、常識は個々人が定める枠組み。
当然、当たり前、と言い換えることもできますね。こういうことは自分にとって当然だ、と思う物事が、私にも複数存在します。
そこが重なると共通認識になり、一般的な常識が形作られるわけですが。

……ミュールの常識は、如何せん私達とズレているようです。
ライナーに同行し、ホルスの翼に降り立ったばかりの頃の私も、その、決して常識があったとは言えませんが。
いくら何でもあそこまで酷くなかったと、断言します。断言できます。

一例を挙げましょう。
通常、レーヴァテイルも生物なので、栄養を必要とします。
人間と同じく食事という方法を以って摂取し、体調を保ちますが、私とミュールは例外です。
塔とリソースを共有している限り、私達は死ねません。それはつまり、塔そのものの停止を意味するのですから。
よって、食事は『しなくてもいいこと』なのですが、単純においしい料理を食べるのは娯楽に為り得るわけで。
これまできっと食べる行為をしてこなかったミュールも、何だかんだで毎日の食事に参加するようになりました。

ですが、食事がどういうものかというのを情報で知っていても、実際に体験するとなると話は別です。
私は生まれた頃、第一紀から幾度か経験してきましたが、ミュールにはそれがありません。
故に、簡単なテーブルマナーを始め、食器の使い方、礼儀や行儀についての知識が皆無でした。
何せ最初に三人で夕食の席を囲んだ時は、

「いただきます」
「………………ねえ、ライナー」
「何だ?」
「これ、いったいどうすればいいのかしら」
「そこから教えなきゃなんないのか……えっと、これをこうして、そう、これはこうやって持って、」
「面倒ね。手で掴んだ方が早いわ」
「そういう問題じゃないっ! ああっ、本当に手掴みする奴があるか!」
「……随分熱いわね。ああ、手が汚れてしまったわ」
「服で拭くな! 布巾がそこにあるから!」
「ああもう、いちいちうるさいわね。ライナー、私に食べさせなさい」

……無茶苦茶です。
しかも、その間一度も私には話しかけませんでした。
後は、初めてお風呂を使わせた時のことです。
蛇口の捻り方、どっちがお湯でどっちが水か、シャンプーやボディソープの用途、タオルの意義などなど。
上に挙げた夕食の件で散々な目に遭った私とライナーは、みっちりミュールにお風呂とは何たるかを教え込みました。
鬱陶しそうな顔をしながらも彼女は頷き、入り、まあどうにか問題も発生せずに上がってきたのですが。

「終わったわよ。これでいいの?」
「わぁー! ミュール、服! 服着てない!」
「いいじゃない。この方が涼しいし、窮屈な感じもしなくて楽だわ」
「だ、だからそういう問題じゃないってのっ!」
「…………ライナー、どうしてあなたは目を瞑って横を向いているのかしら?」

本気で訊いてるんですか貴方は。
私は即座に立ち上がり、無言で全裸のミュールを脱衣所まで連れて行き衣服の重要さを十五分に亘って説きました。
それで理解してくれたかどうかはわかりません。
他人と生活をする上で衣服の着用が必要なのは知っているはずなのに、どうもその区分が私達とは決定的に違うらしく。
以前に、裸身を晒すことに対しての躊躇いや羞恥心、自分のそういった行動が相手に与える影響をまるで考えていません。
いえ、考えていないというより、そもそも全くわかっていないのでしょう。
もし私がライナーに……なんて想像するだけで、無理です。恥ずかし過ぎて大変なことになってしまいます。

正直、何度ミュールを追い出そうかと思ったか、数え切れません。
日常は慌しく、私と彼女の関係は険悪一歩手前で、顔を合わせてもほとんど会話はなし。
ライナーも箱入りなミュールの世話で忙殺され、二人きりの時間が随分減りました。
……実に不満です。最近はグラスメルクの教授も休業状態ですし。

―――― 私とライナーの時間が、ミュールに奪われている。
そんな風に感じてしまっても、仕方ないような状況で。
感じてしまう自分自身にほとほと嫌気が差しているのですが、この気持ちはどうにもなりません。

でも、仕方ないと言うのなら、ミュールもそうなのでしょう。
シャドウとして塔内を動き回っていても、それで私達と同じものが得られるはずもありません。
知識には相応の経験が必要であり、経験が伴っていなければ理解は不可能ですから。
私とて、少し前まではライナーに色々と指摘されたものです。
……恥ずかしい思いもたくさんしましたが、その分多くを学び、私はここにいますので。

だからこそ、過去の自分を見ているようで、私はミュールを責めることなどできません。責めようとも思いません。
これからあらゆることを、ゆっくりとでも知っていくのです。
その上で、彼女が何らかの答えを出すならば、私はそれを受け入れましょう。

ミュールがここに来た理由。
彼女は「ライナーに興味があるから」と言いましたが――――

「それだけでは、ないような気がしますね……」

布団に包まりながら、緩やかな眠気に身を任せ、霞掛かった頭で考えます。
しかし纏まった形にはならず、ただ、何かを求めて来たのだろう、と結論づけ、僅かに開いていた目を閉じました。

……答えは、出るものなのでしょうか。
わかりません。今は、推測にしか成り得ません。
ミュールにとって、この生活が望ましいものであるかどうかも。

わからなくても、ひとつだけ、言えることがあります。
ライナーと過ごしているうちに、きっとミュールは気づくでしょう。
私達の持っていなかったものがこの世界には本当にたくさんあるのだということを。
そして、今ある人が、世界が、日常が、どれだけ有り難いことかを。
有り難い。言葉の通り、有ることが難しいもの。
危ういバランスを保っているソル・シエールに、何と相応しい意味でしょうか。
世界と命運を共にする私達に、何と近しい言葉でしょうか。

まだミュールには、理解できないかもしれません。
けれど、私が見る限り、何だかんだで彼女は嫌そうにしていないのです。
―――― それがいつか、楽しさに変わると、いいですね。

……ああ、でも、やっぱりちょっとだけ、釈然としません。
この気持ちは……間違いなく、ライナーの所為ですよね。



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