「ライナー? 今大丈夫?」

最近〆切に追われ巡回の仕事以外はほぼ引きこもり状態だったので、体調が心配です。
何か手助けができればいいのですが、集中しているところを邪魔することもないでしょう。

しかし、今のうちにこれだけは伝えておきたくて、扉越しに声を掛けました。
数秒後「大丈夫ですよー」と返事が聞こえてきます。
私はノブに手を掛け、そっと部屋に足を踏み入れました。

「作業は……どう?」
「峠は越えましたよ。あとちょっとで終わります」
「そっか。良かった……夕食はいつもより豪華にするからね」
「はい、ありがとうございます」

少し和んでしまいましたが、本題は違います。
一拍置き、意を決して私は話を持ちかけました。

「ライナー。そのお仕事が済んだら、またダイブ屋に行かない?」
「え? いいですけど……仮想世界ですか?」
「うん。……駄目、かな」
「そそそんなことは! すぐにやっちゃいますね!」
「あ、無理はしないでね。頑張って、ライナー」

また凄い勢いで両手を動かし始めたライナーの様子に満足して、部屋を退出します。
では私も、張り切って買い物にいきましょうか。
頑張れば頑張った分だけ、喜ぶ顔を見られるはずですから。


翌日、ダイブ屋ホーライにて。
支障なくバイナリ野に入り込み、件のものを検索、展開準備。
あとは起動させるだけという段階まで来て、私は……正直、躊躇っていました。

これを見せることは、つまり、私が背負っているものの重さを突きつけるのと同じです。
……ライナーは優しいから。必要のないところでも、傷ついてしまうのではないかと、そう思うのです。

「…………ライナー。もし、」
「もし?」
「私が―――― 苦しんでたら、ライナーはどうする?」
「勿論、手を差し伸べます」
「……どんなことでも?」
「どんなことでも」
「どうにもならないとわかってても?」
「それでも、俺にできることがあるなら」

断言するライナーの目は、嘘をついていない色を湛えていて。
私の中の躊躇いや戸惑いはその姿を見た瞬間、すうっと溶けていくのがわかりました。
こんな私は、浅ましいのでしょうか。だって、きっと辛い思いをさせてしまうのに、それよりも嬉しかったのですから。
例え力及ばなくても、迷わず手を差し伸べてくれるのだという、彼の決意が。

「……うん。ありがとう」
「いえ、当然ですよ」

何故当然なのかは、訊かないことにしました。
今はまだ。私の望む答えは、返ってこないような気がするので。
期を見て次に求めた時、それが最高の返答であることを、祈ろうと思います。

「ライナー、覚悟して。これから貴方が見るものに対して」
「……そう言うってことは、また何かあるんですね」
「全て、終わってから話すから」
「…………はい」

覚悟は、決まりました。
一歩を……踏み出しましょう。










鮮やかに 萌える緑 新しい 小さき生命 永遠に――――



長い苦難の果てに、その騎士は封印された書庫へと辿り着いた。
暗く閉ざされ、空気は澱み、年月と共に積もった埃と黴の匂いが満ちた空間に。

蝋燭に光を。無限にも見える広がりを持つこの場所に於いてはどうにも心許ない明かりだが、それでもないよりは遙かにいい。
剣を抜く必要はないだろう。ここに、魔物の禍々しい気配は感じられない。
ただ神経を張り巡らせることだけは忘れずに、騎士は奥へ奥へと進む。

空気が、死んでいるように静かだった。
ブーツの足音さえも大音声として響き渡る。
橙色の炎がじりじりと燃えていく。照らされる視界の先には、高く聳え立つ色褪せた本棚。
そこに並べられた、無数の本、本、本。背表紙に綴られた名のどれもに見覚えはなかった。
騎士にはさしたる学もない。解らなくて当然だが、その全ては常人が扱うべきでない書籍である。
開けば最後、精神を焼き尽くされる代物も、一冊や二冊どころの数ではなかった。

目的は書庫の最奥。最も厳重に封をされた区画。
その中に眠る、開かずの本と呼ばれるものだ。

伝説―― あるいは、吟遊詩人の歌と共に語られる、是非も判別できぬ口伝。
それは一人の魔女が成した奇跡。世界を救う英雄伝。
幼い頃の騎士は、子供心に思ったものだった。世界を救った魔女は、ではどこへ消えたのか。
物語は魔女の行く末を語らない。人知れず姿を消すことが美徳なのかもしれない。
だが、少年は納得できなかった。それだけのこと。

成長し、青年となり、腕を磨き騎士となり。
ある日彼は、ひとつの噂を耳にする。
遠くまで威を示す高き星降る山に、閉ざされた書庫があり、そこには伝説として語られる魔女が封印されている、と。
思い出すのは過去の記憶。一人行方をくらました、魔女の顛末。

騎士は誓った。この剣と己が想いに。
噂を信じ、山へと向かい、魔女に施された封印を解こう。

そして彼は旅立つ。
幾つもの深い森や川、街を越え、時に雨に打たれ、雪に埋もれ、獣を狩り、仇なす者を殺しながら。
旅の終わりに……噂が真実であることを、知った。
集めた情報とその身ひとつで道を切り拓く。目指したものは、すぐ目の前だった。

「…………ここが」

一番奥の部屋には、鎖に繋がれ固く縛られた本があった。
騎士は悟る。これこそが私の求めたものなのだ、と。
手に取るため、鎖を外そうとし、

―――― 勇敢なる騎士よ

その時、突如声が聞こえた。
辺りを見回すが、自分以外の人影はない。
まさかと思い、目前の本を注視する。先ほどの声は、そこから出ていた。
深い眠りに就いていた魔女は、訪問者との語らいを望んだ。
……否、対話ではない。一方的な、諭旨だった。

お前がこの本を手に取ろうとするのなら、その前に我の言葉を聞け。 幾たびもの戦い、戦火の中でも決して燃えることのない、消えることを許されない呪われた本。この我の言葉を

彼女は言う。
それは孤独。それは恐怖。それは苦痛。それは地獄。
我が身を苛むは永遠。我が身を押し潰すは、世界の重さ。

汝は―――― その全てを背負う覚悟が、あるのかと。

鎖に触れようとする手が、微かに震える。
かたかたと。ふるふると。魔女は騎士の心の揺れを見逃さない。

手が震えるか? 震えるなら、我を掴み持ち上げるのは止めた方がいい
「……何故、ですか」
汝には家族がいるのだろう? 家で待つ妻のために、子供のために、その手を戻せ。 そして、勇敢なる騎士よ、その足を駆って家路に就くがいい。それしきの勇気では、世界と等価にはなれない

騎士は首を振る。手の震えは収まらずとも。
それでは、ここまで来た意味が、なくなってしまう。

「私は、貴方を助けに来たのです」
その手でか? その心でか? 己が身のみで、我を救おうと?
「はい」
ならば、我が生き続けている術を教えてやろう。自らに呪いを掛け、不死の身体とする術を。 しかし、それは我の代わりに汝が生贄になるということ。我はこの身を以って、世界を破滅へと追い込む魔王を封印する礎となっている。 我が死せば、封印は解けてしまうだろう。その時悪魔がこの地を満たし、世界は新たな生贄を欲するのだから
「………………」

何も、答えられなかった。
騎士は……何も、言えなかったのだ。
俯き、歯を食い縛り、拳を静かに握る姿に、魔女は―――― 安堵を覚えた。

だが、新たな生贄などは未来永劫必要ない。その役目を負うのは、我一人で十分だ

もう伝承にも残っていない、ずっとずっと昔の話。
大地を汚し、人々を絶望の底に沈めようとする魔王とその軍勢を封じるための犠牲として捧げられた少女がいた。
かくして世界は平穏を取り戻し、少女は魔女となり、気の遠くなるような年月を開かずの本として生き続けた。
たった一人の犠牲で、彼女が辛い思いをするだけで、他の全てが平和の中を生きていけるのなら……十分ではないだろうか?

それとも―――― 己が身を呈して身代わりとなり、我をあどけない少女の姿に戻してくれるのか?

返事はない。それでいい。
自分の所為で苦しむ必要は、どこにもないのだから。

もう一度言う。勇敢なる騎士よ、家路に就け。今の幸せを、無駄にすることなかれ


汝は―――― 幸せになれば、いいのだ。


去り際、騎士は一度だけ聳える高き山を、そこにある書庫へと思いを馳せながら振り返る。
その目には、まだ、力ある光が灯っていることに、眠れる魔女は気づくはずもなかった。



na au an Diasee an Diasee eterne










「シュレリア様っ!?」
「…………ライナー」
「今のは……今のは何ですか!? あの詩は――――
「覚えてるんだね。ちょっと、嬉しいような複雑なような」
「茶化さないでください! あれは、シュレリア様が塔を停止させるために謳った詩でした!」

ライナーは仮想世界の中で騎士となり、書庫を進むと同時に、詩を聴いていたのでしょう。
私も、本と化した魔女の役で、自分自身の声を耳にしていました。

……サスペンド。
塔の管理者のみに伝えられるヒュムノスエクストラクト。現在、ソル・シエールで謳うことができるのは私だけです。
その効果は、ホルスの翼を主とした人々が住む環境保持以外の、塔の全機能を休止させるというもの。
当然ながら塔に依存した力である詩魔法も使用できず、レーヴァテイルは無力化します。
生命活動もアルトネリコと連動、同調している私はスリープモードに入り、例外を除き目覚めることはありません。

本来は、致命的な問題が発生した時の、緊急処置としてのヒュムノスです。
使えば大事になるので、謳う機会はありませんでしたが……あの時は他に思いつかなかったのです。
クロニクルキーもなく残された時間も少ない状態でミュールの動きを封じるには、塔そのものを停止させる方法しか。

「前の……クロニクルキーの時と同じです。今、俺が見たのは、サスペンドに込められた『想い』なんですか?」
「そう。呪われた不死の本となった少女が、自分を助けようとする騎士を諭し家路へ就かせる物語」
「そんな、これじゃまるで…………」
「ライナー、私が塔と共に眠った時、選択肢はもうひとつあったはずだよ。少しでも、考えなかった?」
「…………はい。シュレリア様が俺達に託した世界で、幸せに生きた方がいいのか、って」
「……うん。私もあの時は、そうしてほしいと思ってた」

私はサスペンドを謳うことで、この世界を守りたかった。
そして、心の底から、私一人が犠牲になった結果、皆が幸せになれるなら……それでいいと、思っていたのです。

「……でも! それじゃあ、シュレリア様にだけ全部背負わせて、だから、俺、納得できなくて……」
「わかってる。貴方の選んだ道は、決して褒められたものじゃないけど……それでも私は、何より、嬉しかったんだから」
「俺も……怒られましたけど、自分のしたことを、今は誇れます」
「一歩間違えば、大変な事態になってたのに?」
「シュ、シュレリア様ー……」

ライナー。貴方は、確かに誇っていいのですよ。
救われた私が言うのですから、胸を張っても。

僅かな間、二人笑顔でいられましたが、ライナーがはっと何かに気づいたような表情をしました。
私の心は暗鬱になります。だって、次に続く言葉は。

「……待ってください。この『想い』の中で、魔女がシュレリア様なら……シュレリア様は、いったい何を背負ってるんですか」
「………………」
「シュレリア様」
「私は、塔の管理者として、この世界を保つ役割を持ってる。塔と一体化している私は、グラスノインフェリアより前から生きてるの」
「……はい。前に聞きました」
「それはこれからも、ずっとなの。私が管理者である限り、塔の、この世界の終わりまで、生き続けなきゃいけないの」

不死と定命。私とライナーの間に横たわる、深い断絶。
文字通り私達は、永遠に共には在れないのです。

いつかライナーも、老いることのない私を残し亡くなる日が来るでしょう。
その時になって、私は泣かずにいられる自信がありません。傷つかずにいる確信が、持てません。
そして、私に孤独の寂しさを思い出させたライナーが、自分の所為で私が苦しむのだと、そう考えてしまうのが嫌でした。
だから言わなかった。……ううん、言えなかった。
私を気遣うが故に、離れてしまうのではないかと、恐れていました。

……ああ、それでも。
未来がどんな形であっても―――― 今の私は、幸せなのです。
ライナーと一緒に暮らす毎日を、大事にしたいと思うから――――

「……ライナー、お願い。誓って」
「何を、ですか?」
「残酷なことを言ってるって、わかってる。だけど……私、ライナーといたい。平気だから、だから、これからも一緒にいて」
「………………本当に、平気なんですか? 俺……俺も一緒にいたいですけど、シュレリア様が傷つくの嫌ですよ」
「違うよ、ライナー。傷つくことも、みんな含めて、幸せなの」
「…………わかりました。誓います。俺はシュレリア様から離れません」
「うん。……ありがとう」

受け入れましょう。痛みも、苦しみも全て。
胸に抱いて、微笑んでみせましょう。

「サスペンドには、対となる詩があるのを覚えてる?」
「あ、はい。カイエルの書庫に取りに行きましたし。リ・ネイション、ですよね?」
「そう。停止と起動。封印と再生。リ・ネイションの『想い』もまた、サスペンドと対になってるの」
「…………もしかして、まだ仮想世界に続きがあるんですか?」
「正解。ライナーも、あんな終わり方じゃ納得してないでしょ?」
「あはは、お見通しですか」

だって、前にもこんなの納得できないって駆けずり回ってましたからね。
その優しい性格は、誰かが損をするということに耐えられないのでしょう。

少し、心が軽くなった自分に気づき、自然と笑みが漏れてしまいます。
ライナーは、本当に凄いです。さすが私の王子様……だなんて言ったら、また慌てるかもしれませんね。
そんなことを考えながら、一時停止していたプログラムを再起動。

さて―――― 私は、騎士が訪れるのを待ちましょうか。



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