「………………」 私は集中を解き、周囲を見渡します。 ……ここに来てからどれほどの時間が経ったでしょうか。 どうにも、朝夜の境目すらないこの空間では、時の流れを忘れてしまいます。 アルトネリコ、プリズムガーデン最上部、リンカーネイション。 限りなく空に近い場所であり、彩音回廊の加護なしでは生命が存在出来ぬ塔の最重要施設。 リンカーネイションに訪れて、今日で四日目になります。 ライナーにはしばらく帰れないと言ってはありますが、少し、心苦しく思いました。寂しくも。 ですが、自らのすべきことのために、私はまだここを離れられません。離れません。 食事も摂らず。睡眠も取らず。 三日半の全てを、私はひとつの事柄に費やしていました。 レーヴァテイルの集中力は、人間とは桁が違います。詩を謳わずとも、それに準じた行為に意識を定めるのは難しくないでしょう。 また、生命維持管理を塔に一任している私には本来、栄養の摂取も肉体の休息も必要ないのですから。 目の前にある、宙に浮いたグラスノ結晶。 いえ、正確には、それはグラスノ結晶ではありません。 特殊な製法で作成された、まだ中身のない、ヒュムネクリスタルです。 「……ちゃんと、できているでしょうか」 ずっと、先ほどまで私は幾度かの休憩を挟みながら、ヒュムネクリスタルに想いを込め続けてきました。 そうして込められた想いは、詩になります。塔が受け取り、詩という形にするのです。 ヒュムノスエクストラクト。塔を制御し操作する、レーヴァテイルの最たる力。 でも、この詩にそんな力は宿っていません。 私の想いに、何かを動かすような力はないでしょう。 クレアさんのように、レーヴァテイルの、塔の力を借りない、ただ人の心に語りかける歌でもなく。 オリカさんのように、詩ですらなく、歌でもない、懐かしい音色を箱に閉じ込め奏でるのでもなく。 またミシャのように、自由な心を声に乗せて、誰かに聴かせるために謳うような詩姫の詩でもなく。 私は私の、私なりの想いを以って、詩を紡ごうと決めたのです。 レーヴァテイルであることを、私は誇りに思っています。 塔の管理人であることを、私は有り難く思っています。 そして、今ここにいることを、私は幸せに思っています。 ―――― 答えは、そこにありました。 伝えたいという気持ち。 感じたいという気持ち。 そんな願いの全てが、私がライナーを想う心が、それこそが詩になるのです。 「……信じましょう。私の、想いを」 手に取り、掲げたクリスタルは、光を反射して淡く煌めきます。 しばらく眺めてから懐に仕舞い、立ち上がりました。座り過ぎで足が震えていますが、待てば調子も戻るでしょう。 「帰ったら、ライナーに何て言いましょう」 ……きっとこんな長い間どこに行ってたんですか、と心配そうに問われますね。 それに対する誤魔化し方を考えながら、私は心踊る自分がいることに気づき、苦笑しました。 本当に……ライナーは、私にたくさんのものを、与えてくれますね。例え隣にいなくても。 「Was yea ra flip 0x1011001101 enter altonelico」 変換、転送。 帰るべき、場所へ。 今、私達の前にひとつの大きな問題が横たわっています。 即ち―――― 「結婚式、どうしようか」 「そうですね……」 プロポーズして指輪まで渡した以上、ライナーには結婚の意思があると見ていいわけで。 勿論、私も……はい、ライナーとはずっとそうしたいと思ってましたから。 でもお互い結婚は初めて、手順などに関しては全く知識を持ち合わせていません。 どういうものか、くらいは私だって本を読んで理解してますが、いざ実際にやってみるとなると、何から手をつけていいのやら。 「……こういう時はあれこれ悩んじゃ駄目。出かけよう、ライナー」 「え? どこへですか?」 「ネモまで。教会に行って、ラードルフさん辺りに訊けばわかると思う」 エル・エレミア教会では冠婚葬祭の類も承っていると聞きます。 冠葬祭がどうかまでは知りませんが、結婚の儀式は神職の範疇だと書物には記してありましたし。 それに、ラードルフさんなら例え神職でなくとも笑って引き受けてくれるような気がしました。 思い立ったが吉日、その日のうちに私達はグングニルでネモに降り立ちました。 突然のことでしたが教会側は快く迎え入れてくれ、護衛の方に先導され教会本部まで徒歩で移動。 ちょうど仕事が一段落していたらしく、本人にはすぐ会うことができました。 「おお、二人とも久しぶりだな!」 「はい。お久しぶりです、ラードルフさん」 「久しぶり。元気そうで何よりだな」 「ようやく司祭の仕事が落ち着いてな。とはいえまだやることはいっぱいだ。天覇やテルとも連携取らんといかんし、忙しいぞ」 「そうか……忙しいのか……」 「だがまあ、そろそろ後任の育成にも力を入れようか、と思っててな。しばらくはデスクワークになりそうだよ」 おおっと愚痴になってしまったなすまんすまん、と頭を掻く彼を見て、私はライナーと視線を交わします。 無言の通信の結果、私から話を持ちかけることにしました。 「ラードルフさん。今日は私達から、折り入ってお願いがあるんです」 「ん? シュレリア様、そんな改まってどうしました? 私にできることなら請け負いたいところですが」 「実は……その、ラードルフさんに、教会での結婚式を執り行う主導者になってもらいたいんです」 「はぁ。結婚式―――― 失礼ですが、どなたの?」 「私と、ライナーの」 数秒の静寂。 事実を噛み締めるように目前、彼の表情は疑問から理解、そして驚愕へと変化し、 「そ、それは本当ですか!?」 「はい。……こんな嘘なんてつきません」 「いやあめでたい! そうですか、遂に! やったなライナー!」 「え、あ、ああ」 「なら喜んでその嘆願、受けましょう! 何、私の全力を以って素晴らしい式にしてみせます!」 「よろしくお願いします。私達は式の日まで滞在しますので」 「ちょっとシュレリア様、俺それ今初めて聞きましたよ!」 「当然です。今初めて言いましたから」 断られる可能性も皆無ではなかったですし、その場合は別の手段を模索しなければならなかったでしょう。 しかし、教会で行えるのならそれ以上望むことはありません。ラードルフさんのお墨付きなら尚更。 「早速ですが、提案をひとつ。挙式はプラティナの大聖堂で行ってはどうです?」 「大聖堂……ですか」 「恥ずかしながら教会にはあまり広い建物がないのです。シュレリア様とライナーの式なら、参列者もかなりの数になるかと」 その言葉に、私は苦笑で返します。 ラードルフさんが言うほど多くの人が、来てくれるのでしょうか。 確証が持てない故に、そんな態度で表すしかありませんでした。 「ラードルフ、本堂の方は?」 「ああ、そっちが開けられればいいんだが、今はそうもいかない。始終人が出入りしてる状態でな」 「そっか。色々、すまないな」 「いや、構わないよ。ライナーやシュレリア様には世話になった。恩は返せる時に返したい」 義理堅いと思います。 でも、そんな彼だからこそ、私もライナーも、信頼できるのです。 許される時間で、可能な限り話を纏め、私達は教会を後にしました。 泊まる場所は例に習い、宵の奏月です。宿屋の主人には顔を覚えられていますし、クレアさんに会えるのも好都合ですしね。 ……さて。ここからが勝負です。 ライナーに気取られぬよう、どうやって事を運びましょうか。 ライナーには参列者の招待を任せ、私は一人でラードルフさんと打ち合わせをしていました。 彼の手が空く時間を見計らい、教会に足を運んで諸々の取り決めを行います。 一口に結婚式と言っても、手順は多く、定めることもひとつやふたつではありません。 あまり堅苦しいものにはしたくない、という私達の希望により、式自体には入場の制限を掛けないことにしました。 ただ、式自体の報告はしなければ伝わらないので、それをライナーに頼んだわけです。 伝える方法は手紙でも口頭でも構わないと言いましたが、きっとライナーは自分で報告しに行くでしょう。 そういう性格です。そういう性格だから、好きになったのです。 協力者と見込んで、ラードルフさんにはヒュムネクリスタルのことを教えました。 式当日は神父の役割も務める彼の協力は不可欠でしたから。 ライナーには実行時まで絶対に言わないこと、私達だけで事を運ぶことを約束として持ちかけ、快く引き受けてもらいました。 勿論、ヒュムネクリスタルはダウンロードしなければ使えないものであり、それにはライナーの力が必要です。 大事なのは、いつ詩の存在を打ち明けるか。式の途中、どのタイミングで儀式を行うか。 「シュレリア様には、希望のタイミングが?」 「はい。……私はやっぱり、その……誓いの口付けのすぐ後がいいと思っています」 「なるほど。それはこれ以上ないタイミングだ。……しかし、私達二人だけでは難しいですな」 ヒュムネクリスタルの大きさは、両手でも包み隠せないほど。 懐に入れれば不自然な膨らみを怪しまれますし、そもそもウェディングドレスにそんな余分なスペースはないはずです。 可能なら自分から手渡したいのですが―――― 「―――― どうしたらいいでしょう」 「そうですね……式の途中で誰かに受け取るとしても、もう一人、協力者が必要ではないかと」 参列者の一人ならば、何か荷物を持っていても怪しまれることはないでしょう。 式の進行により深く関わっているとなお望ましいです。そんな条件に該当する者を考え、 「…………あ」 「どうしました?」 「いました。理想的な協力者に成り得る者が」 私は、皮肉気なあの表情を脳裏に思い浮かべながら、その名を挙げました。 「―――― ミュールです」 「……ということで、貴方に協力をお願いしたいのですが」 「お断りよ」 即答です。取り付く島もありません。 しかしここで引くわけにはいかず、私はさらに頭を下げます。 「貴方にしか頼める相手がいないんです」 「他に適役がいるんじゃないの? ミシャとか、ほら、あのボケ娘とか」 「いえ。考えましたが、ミシャもオリカさんも、貴方以上には上手く立ち回れません」 「何故? その理由次第じゃ考えてもいいけど」 「入場時、新郎新婦には家族が付添人として付くんです。そして、私の付添人はミュールなので」 「………………はぁ!? 何それ、聞いてないわよ!?」 「だって言ってませんから」 「だいたい何で私があなたの家族なのよ」 「私に両親はいませんし……あなたはある意味、私の妹のようなものでしょう」 「クローンを血縁というのならね。でもそれならミシャもそうじゃない」 「……私は、あなたにお願いしたいと思ったんです。駄目、ですか?」 上目遣いでミュールを見つめ、数秒。 彼女は地の底に響き渡るような溜め息を吐き、私も本当に丸くなったものね、と呟いて、 「いいわ。引き受けてあげる」 「……ありがとう」 「礼なんていいわよ。……ちょっと、嬉しかったし」 「え? 何か言いましたか?」 「何でもない! で、私は何をすればいいの?」 「はい、実は―――― 」 ヒュムネクリスタルを取り出し、話します。 ライナーに知らせずやろうとしていることを。私が紡いだ、詩のことを。 「……なるほどね。面白いじゃない。ライナーの驚く顔が見物だわ」 「貴方ならそう言うんじゃないかと思ってました……」 「その詩がどんなものかも気になるしね。ねぇ、今教える気はないの?」 「ありません。私は式に来た皆さんに、ライナーに詩で想いを伝えるつもりですから」 「そう。ともかく、入場の時あなたに付き添って、誓いのキスが終わったらそれをあなたに渡せばいいのね?」 「お願いします」 「ま、シュレリアが私に頭を下げるなんて貴重な絵が拝めたし、報酬はそれで良しとしておくわ」 これでミュールの了承が得られました。 懸念していた問題もほぼ解決しましたし、後は万全の準備をして当日を待つのみ。 消化すべき事柄はまだまだ山積みですが、頑張りましょう。 ライナーとの結婚式。素晴らしいものに、したいですから。 予想通りというか何というか、ライナーは各地を飛び回って新郎自ら招待をしていました。 おそらくそんな招き方をした結婚式は史上初でしょうが、私達らしい、と納得します。 ファンタズマゴリアを紡いだ時のことを、ふと思い出しました。 想いを集めるために、知り合った人々の下へと訪れたあの時とライナーのしていることは、似ていますね、と。 ……それが、私達のやり方なのかもしれません。この小さな世界の中で、想いを繋げる手段。 そんなライナーの尽力により、多くの参列者が来ることになりました。 新郎の父であるレアード、私の付添人として参加するミュールを始めとし。 式では神父の役を務め上げる、最も今回世話になったラードルフさん。 詩姫稼業を一時休止し、現在プラティナに滞在中のミシャ。 今もカルル村でオルゴール屋を経営しているオリカさん。 ネモではラードルフさんと並び色々と相談に乗ってもらったりもしたクレアさん。 ミュールの息子(体裁としては親戚)、アヤタネ。 イム・フェーナからは長のフラウト、それからリルラ。 ほたる横丁、天覇の仕事をわざわざ放り出して(いつものことらしいですが)やって来る亜耶乃さん。 同じくほたる横丁から、個人的にも私と付き合いのあったスピカさん。 さすがにメイメイは天文台から出られませんし、ジャックさんとクルシェさんは、まだ戻ってきていません。 それを惜しく、また悲しく思いますが、これだけの人が私とライナーのために集まってくれるのは、単純に嬉しいのです。 プラティナの方からも、騎士達のほとんどが出席する旨を聞きました。 予想以上の大所帯になりそうで、大聖堂に入り切るのか少し不安でもあります。 「……ですが、こうして考えているだけで、わくわくするものですね」 適度の緊張と、ここに至る幸福を喜ぶ気持ち。 心が、不思議なほど穏やかさで満ちています。 夢にまで見た衣服を纏い、私は控室で鏡向こうの自分に薄く微笑みました。 この身を彩るのは、純白のウエディングドレス。 胸元にひとつ、髪を飾るようにふたつ、花の形をしたものが添えられています。 着る前にライナーとドレスを見た時、私は綺麗だと、そして着てみたいと思い。 そんな私にライナーは「シュレリア様が着たら絶対素敵ですよ」と言ってくれました。 幸せが、積み重なっていきます。 日々を彩るように、私達の世界を、より芳醇にしていきます。 「シュレリア、そろそろよ」 「付き添いお願いしますね、ミュール」 「……わかってるわ。やるからにはしっかりこなすわよ」 「はい。頼りにしてます」 「…………ふん」 裾に足を引っ掛けないよう、静かに、ゆっくりと立ち上がり歩きます。 その一歩一歩が、私を最高の瞬間へと近づけていきます。 ……今になって、心臓が高鳴り始めました。 ドキドキと。足を進める毎に鼓動は激しくなって、恐れが湧き出ます。 上手くできるでしょうか、という心配が。ライナーは喜んでくれるでしょうか、という不安が。 でも、 「……大丈夫」 少しだけ目を閉じて、私は愛しい彼の笑みを脳裏に浮かべました。 それが、私に力をくれます。小さな勇気と、大きな幸福を与えてくれます。 「―――― 行きましょう」 扉の向こうからラードルフさんの「新婦入場」という声が聞こえ、扉が開きます。 大聖堂には持ち込まれた参列者用の席が並び、中央、こちらから見て一番奥に、新婦と新郎の姿が確認できました。 私は一斉に集中した視線を意に介さず、自然体の表情で私は赤絨毯の敷かれた道を歩きます。 講壇の前に立つライナーの隣に辿り着いたところで、ミュールは予め用意された自席へ。 凛とした、一種荘厳な雰囲気の中、式がここから本当の意味で始まりました。 入場が終わると、本来次は賛美歌です。 しかし、エル・エレミア教会の賛美歌は、エレミア三謳神を讃えるものがほとんど。 その三謳神の一人である私が、自らを讃える歌を望むわけがありません。 故に、些か特殊な流れになりますが、ここは飛ばして進みます。 ……そもそも、この式自体が、正規の形ではないでしょう。 ラードルフさんは元々司祭であり神父でも牧師でもなく、プラティナ大聖堂も結婚式に使われたことは一度もありませんでした。 間違いだらけの私達です。ですが、それは何より私達らしい。 形式にこだわる必要はありません。私は、私が望んだからここにいます。 ライナーも同じ。参列者として訪れた皆さんも、きっと同じ。 ならば何を迷うことがあるでしょうか。心配することがあるでしょうか。不安がることがあるでしょうか。 これは、誓いです。 私とライナーが、永遠に共に在る、という誓いの証明。 そして、私の心を満たす限りない幸福を、世界に誇るための儀式。 「……これより、誓約を行います」 式が進み、ラードルフさんが私達を見て、口元を笑みで軽く歪めました。 言葉は続きます。まずライナー、新郎に、 「新郎、ライナー・バルセルト。貴方は彼女と結ばれ、常に妻を愛し、敬い、慰め、助けて変わることなく、 その健やかなる時も、病める時も、富める時も、貧しき時も、死が二人を分かつ日まで、命の続く限り、貴方の愛しき人に対して、 堅く節操を守り、幸せにすることを誓いますか?」 「はい。誓います」 「新婦、シュレリア。貴方は彼と結ばれ、常に夫を愛し、敬い、慰め、助けて変わることなく、 その健やかなる時も、病める時も、富める時も、貧しき時も、死が二人を分かつ日まで、命の続く限り、貴方の愛しき人に対して、 堅く節操を守り、幸せにすることを誓いますか?」 「はい。誓います」 本来、誓うのは教会の信仰する神です。 ですがこれも、そうすると私に誓うことになるので、愛しき人、としてもらいました。 私はライナーに。ライナーは私に。それぞれ、信頼と愛情を以って、誓約を交わしたのです。 「では、指輪の交換を」 講壇の上に置かれた、ふたつのホワイトリング。 ひとつはあの日、大唄石公園でライナーがプレゼントしてくれたものです。 もうひとつは、それから私が一人で、想いを込めて作ったもの。 指輪の裏側にはライナーと同じように、ヒュムノス語での文句が刻まれています。 「シュレリア様。失礼しますね」 私にだけ聞こえるように囁き、ライナーは左手でそっと、私の右手を取りました。 右の親指と中指で講壇から取った指輪を持ち、こちらの薬指に近づけます。 慣れた感覚。ウェディングドレスに着替えるまではずっと付けていたのですから当然でしょう。 大気に晒され冷たくなっていて、指を滑る金属の肌触りは少しくすぐったいものでした。 「ライナー、行きますよ」 今度は私の番。ライナーがしたように、指輪を右手に、ライナーの手は左手で。 私よりも太く強い、温かな手指。サイズも大きく、しかし緩過ぎずきつ過ぎることもなくすんなりと入ります。 ライナーもここに来るまでは付けていましたからぴったりなのは当然ですが、何度見ても嬉しいものです。 私が作ったものを、ライナーが身に着けてくれる。嬉しくないはずがありません。 「最後に、誓いの口付けを」 誓約は、そこまででひとつです。 言葉で誓い、指輪で交わし、口付けで示す。 全ての手順を経て初めて、私達の婚約は受け入れられます。 頭一つ分低い私は、ライナーの腰に手を。 ライナーが軽く身を屈め、私と同じ目線になるまで顔を持っていきます。 その手が肩に掛かり、押さえつけるというよりも、大丈夫です、と安心させるように力が加わりました。 ……きっと、私の瞳は期待と不安で潤んでいるのでしょう。 目を閉じました。彼の体重を肩に感じ、最高潮に達した心臓の高鳴りを抑えることもせず、 「んっ……」 時が、止まったようでした。 ずっとこのままでいたいと、そう思いました。 触れるだけの優しいキス。十秒か、二十秒か、それとも一分以上か。 受け入れた瞬間と同じく緩やかに離れていく唇を、はしたなくも、名残惜しく感じながら、私達の身体は距離を置きます。 「これで二人は、夫婦となりました。貴方達に、祝福があらんことを祈ります」 ラードルフさんの言葉を聞き、誰かが手を叩きました。 それが広がって、波紋のように拍手の音は増え、大聖堂に響きます。 彼らの方へと振り返り、私達は一瞬視線を絡め、笑みを見せました。 皆が祝福してくれています。 だからこそ―――― 私は、ここで、その祝福に応えたいと思うのです。 最前列に座っていたミュールが、おもむろに立ち上がり私のところまで歩いてきました。 それはもう堂々と。そんな彼女らしさに心中で苦笑して、突然のことに驚くライナーを見やります。 ……ごめんね。黙ってて。 口にはせず謝罪をし、彼女の懐から出てきたものを受け取ります。 参列者方とライナーに向け、両手に乗せ掲げたそれは、ヒュムネクリスタル。 視界の端で、共犯者の二人がしてやったりといった表情を浮かべているのを確認して、 「……皆さん。式を終える前に……この詩を、聴いてほしいと思います。ライナー」 「え? あ、は、はい?」 「ダウンロードをお願い。……大丈夫、信じて」 「……っ、はい!」 「詩の名は―――― アルストロメリア」 既に真名もライナーに教えているので心配は要りません。 詠唱開始。と同時にクリスタルは宙へと浮かび、光の帯が私達の周囲を取り巻きます。 「fou paks ra exec hymmnos alstromeria was yea ra chs hymmnos yor en chsee fwal fwal yor exec drone hymmnos alstromeria enter eoriaansulartonelico」 次第に白光は眩さを増していき、やがて大聖堂全体を駆け抜け染め上げます。 ライナーがヒュムノススペルを唱え終わった後、私は目を閉じ詩の所在を確かめました。 微かな熱が胸の辺りにあるのを感じ、それがダウンロードの完了を私に教えます。 深呼吸。 大聖堂が、静寂に包まれました。 私はライナーに微笑みかけ、今日ここに訪れた全ての人達を瞳に灼きつけて、 「EXEC_ALSTROMERIA」 瞬間、意識は謳うことだけに集中。 レーヴァテイルとして、私はそれだけの存在になります。 ヒュムネクリスタルに込められた想いを塔が受け取り、最も相応しい形に変換。 紡がれた詩、想いを表す言葉、心に響かせるための旋律が湧き上がってきます。 それはあたかも、希望を包んだ花が開くように。 世に咲く喜びを、己の全てで示し、伝えるように。 貴方に出逢えて 私は 恋の喜びを知った その声を聞く度 嬉しくなるの 貴方に出逢えて 私は 喜びの意味を知った その手を握る度 温かくなるの
ねえ、ライナー。貴方は知ってる?
私がどんなに幸せなのか。 声を聞くとクラクラして、手を繋ぐだけでドキドキして。 こんな気持ち、もう随分前に失くしたものだと思ってた。 幸せなんて、私には縁遠いものだとずっと思ってた。 忘れてた こんなにも素敵なことを 幸せは この胸の中にあるから それだけで 私は生きていける
だけど、ライナーは私を見てくれたよね。
一緒にドキドキして、好きになってくれたよね。 そんな貴方を、私は本当に愛しく思うの。 言葉では言い表せないくらい。一生を使っても足りないくらいに。 私はいつでも 貴方の そばにいたいと思う どんなに離れても ふたりは同じ 私はいつでも 貴方を 感じていたいと思う 隣にいなくても ふたりはひとつ
迷子になった時、私の手を握り締めてくれたこと。
いつもの帰り道、そっと肩寄せて二人で歩いたこと。 囲んだ食事の席、作った料理をおいしいって言ってくれたこと。 二人きりの部屋、たくさんの話をして笑ったり怒ったりしたこと。 全部、かけがえのない幸せな記憶。 どんなに貴方と離れたって、そのぬくもりは消えなかった。 どんなに貴方が遠くても、思い出は少しも色褪せなかった。 忘れない こんなにも素敵な気持ち 幸せは この胸の中で溢れて 永遠に 私を満たす光
いつだって、私はライナーを感じてる。
貴方が私を想ってくれたように、私も貴方を想うから。 そして、この満ち足りた気持ちがある限り、貴方と過ごした日々を、絶対に忘れないから。 気高い花のように 私は咲き誇る 貴方がいればきっと どこまでも行ける
私は、ライナーを誇りに思う。ライナーとの時間を、誇りに思う。
貴方を好きになった私は、世界で一番幸せな存在だと、胸を張って思うよ。 ライナー。 ―――― 愛してる。一緒に、幸せになろうね。 万感の想いを込めて謳い終え、私は集中のために閉じていた目を開きます。 まず視界に入ってきたのは、静止した世界。誰もが呆然とした表情で座ったまま、硬直していました。 「……シュレリア様」 真横から、優しく手を取られました。 そちらを見れば、ライナーが形容し難い顔で立っています。 知り得る限りの全ての幸福を宿した、泣き笑いのような顔。 唐突に、引っ張られます。勢いで身体がライナーの方へ寄り、肩から倒れ込む形でバランスを崩し、 「あ…………っ」 背中に右手を。膝裏に左手を。 一瞬の浮遊感の後、私はウェディングドレスをはためかせながら、ライナーに持ち上げ抱き締められていました。 自由に動けない感覚と、衆人環視の中抱き上げられている気恥ずかしさで、私は小さく抵抗します。 ですが、まるで御伽噺に出てくる、王子に抱っこをされる姫のようで。 恥ずかしさよりも、何よりも、嬉しさが勝ってしまいました。抵抗も止め、為すがままにされます。 参列者席から、黄色い悲鳴が聞こえました。ミュールの呆れた表情も見えました。でも、それすらももう、関係ありません。 ライナーが、私の耳元で囁きます。甘く、優しく、誓うように。 「―――― 幸せに、なりましょう」 「…………はいっ!」 誓いの口付けよりも、遙かに長く、長く―――― 。 私達は、愛を交わし確かめ合いました。 いつしか、私の詩が紡いだ幸福は、そこにいた人々に伝わり、広がり、心を動かします。 無数の拍手と、たくさんの笑顔、向けられる言葉の何もかもが、私達を祝福してくれたのでした。 「大変だったね……」 「そうですね……あの後なんて特に」 結局、ライナーに抱き上げられたまま私は退場し、二時間後の披露宴で散々に茶化され煽られいじられました。 スピーチを行った、オリカさん、ミシャ、ラードルフさんにミュール、アヤタネにレアードまで持ち出すのだから私は大騒ぎです。 頬を真っ赤にして俯く私とは反対に、ライナーが随分清々しい顔をしていたのも印象的でした。 ……と言いますか。何故そんな平然と笑ってられたんですか。 酒も入り、最後はほとんど馬鹿騒ぎと化していましたが、何だかんだで楽しかったのは事実です。 これだけの人数に祝われ、彼らから祝福の言葉を得られたのは、かけがえのない経験、思い出になるでしょう。 オリカさんには、 「おめでとー! 収まるところに収まったって感じだよね」とにこやかに言われました。 ミシャには、 「おめでとう。ライナー相手じゃこれからも大変だと思うけど、頑張って」と背を押されました。 クレアさんには、 「あらあら、シュレリアさんもライナーも、本当に嬉しそうね」と指摘されました。 ラードルフさんには、 「お疲れ様でした。二人に、これからも多くの祝福があるよう祈りましょう」と笑いかけられました。 アヤタネには、 「綺麗な花嫁姿でしたよ。ライナーも凛々しかったですし、お似合いでした」と素直に告げられました。 レアードには、 「その、何と言いましょうか……不肖の息子ですが、どうかよろしくお願い致します」と頭を下げて頼まれました。 そしてミュールには、 「……いい、詩だったわ。精一杯幸せになりなさい」と、微笑混じりで呟かれました。 これまで、多くの苦難がありました。戸惑い、立ち止まることも一度や二度では足りませんでした。 迷い、時に傷つけ合い、助け、時にその優しさに救われ、私はライナーと共にここまで来れたのです。 決して、自分だけの力ではなく。 勿論、二人だけの努力が実ったからでもなく。 皆から差し伸べられた手のおかげで、私達の今があります。 ひとつでも欠けていれば、きっと辿り着けなかったでしょう。 「……ライナー」 「はい?」 「今日は……二人きりだね」 「え、あ、はい」 「誰も、もう入ってこないよ。鍵閉めたから」 我が家に滞在していたミシャですが、ミュールの家に泊まる、と手ぶらで出て行きました。 ……おそらく、気を遣ったのだと思います。結婚初夜だから二人きりがいいでしょうとか何とか、そんな感じで。 実は、結婚式のキスはあれで三回目と四回目です。 大唄石公園での一件以来、スキンシップの類は手を繋ぐのが精々でした。 どうにも気恥ずかしいのもありましたし、ヒュムネクリスタルの作成で手一杯だったのも一因。 それが急に二度もしてしまって、しかも初夜で、その……ああ、ドキドキが静まりません。 ライナーが先に持ち出してくれればよかったのですが、正直全く期待できなかったので……。 逃げ出したくなる衝動を抑えて、私は遠回しに言ったのです。でも、まるで気づいてくれません。 ……結婚しても、ライナーはライナーですね。 そんなところも好きなのですから、これこそ正に惚れた弱みです。 自分の頬がかなりの熱を持っていると自覚しながら、私は続けました。 「ねえ、ライナー」 ここは自室。私がまだ離れたくない、もうちょっと話をしようと言ってライナーを連れ込みました。 さり気なくこの部屋の鍵も閉め、今は一種の密室状態です。ミシャもまず戻ってこないでしょう。 そしてお互い入浴を済ませ歯も磨き、もう後は眠るだけ、という状況。全ての準備は終わっています。 肩を寄せ、ベッドに座るライナーの膝に乗り、振り返って私から口付けをひとつ。 本当にただ触れるだけのバードキス。驚き一瞬目を見開いたライナーに微笑みかけ、 「しよう?」 「え?」 「……そこで訊き返す?」 「で、でも……その、いいん、ですか?」 「……恥ずかしいけど。ずっと、ライナーとはしたいと思ってたから。だから―――― 」 私は、 「ライナーと―――― ひとつになりたい」 back|index|next |