初めにその考えに至るべきだったんじゃないかと思う。
 綾とホタルを頭の中で見比べてみれば一目瞭然、身長こそさして違わないものの、身体のラインは全く別物だ。
 だからまあ、サイズぴったり、と行くはずもないわけで。

「うーん……健ちゃん、どう思う?」
「……えっと」
「正直に言っていいよ」
「……じゃあ、あんまり似合ってないです」
「だよねぇ」

 背丈と同じくらいの大きな鏡に映った綾の格好は、端的に言えばバランスが悪かった。
 濃い灰色をした革製の長袖と、オレンジの色が映える鋭角なイメージの強いズボン。 確かにそれは蛍子が着れば似合うのだろうが、食生活上痩せ気味な割に出るところは出ている綾に合わせるとちぐはぐな印象を見る者に与える。 というか、上着を突き上げる胸が明らかにおかしい。服の丈が短くなって、少しお腹が晒されている。

「やっぱり胸かなぁ。何かちょっときつい感じだし」
「サイズが違うって言ったんですけどね……」
「自分より小さいって思ったんじゃないかな。ホタルさんは結構大きい方なの?」
「他の人と比較したことはないですけど、まあ、普通よりは大きいんじゃないかと」
「ならきっとそうだよ。健ちゃんはホタルさんより大きいって言わなかったんでしょ?」

 平均水準以上の蛍子とサイズが違う、と言われれば、だいたいの人間はもっと小さいと考える。
 つまり、ちゃんと伝え切れなかった健一のミスである。が、綾は似合わない服を着ていても、一向に気にする様子はなかった。 むしろ楽しそうな顔で蛍子から貰った他のものを物色している。時折手に取っては身体の前まで持っていき、しばし悩んで戻す、その繰り返し。
 五分ほど掛けた後、結局どれもピンと来なかったのか、普段通りの服に着替え始めた。
 一種アンバランスな体型をしている綾に似合うものは、実は意外と少ないのかもしれないと健一は思う。

「でもさ、こんな服が似合うなら、ホタルさんって相当美人なんだ」
「どうなんでしょ。随分告白とかされてたみたいですけど……あ、そういえば、ホタルと綾さんは知り合いのはずですよ」
「え、そうなの?」

 当然のようにブラジャーを着けないまま、綾はタンクトップに首を通しながら驚いたような表情を浮かべて振り返る。 手が止まった所為で、豊満な二つの膨らみが中途半端に服に引っ掛かり、下向きにぷるんと震えた。
 健一はゆっくり視線を逸らし、頷く。

「どこで知り合ったのか全然わからないんだけど」
「去年、同じクラスにいたって聞きました」
「同じクラス? えー……健ちゃんの名字って、絹川だよね」
「はい。勿論ホタルもです。絹川蛍子」
「あっ」

 その名前を耳にした途端、今重大な事実に気付いたというように綾はぽんと手を叩いた。

「……何だ、そっか。ホタルって蛍子ちゃんのことだったんだ。うん、同じ名字だもんね。どうして気付かなかったんだろ」
「さあ……」
「じゃあ健ちゃんは、蛍子ちゃんの弟なんだね」
「そうなりますね」
「そっかそっか、なるほど……」

 しきりに納得する仕草を見せる綾は、しかし特に喜んでいる風でもない。
 蛍子ちゃん、と呼ぶくらいだからある程度の面識はあるのだろうが、もしかしたらそこまで仲良くはなかったのかもしれない。 互いの性格を考えても気が合うとは到底思えないし、同じクラスだからといって話をする間柄とも構わない。どこで接点があったのか。

(……あ、そういえば一つ共通点があるな)

 蛍子は絵を描き、綾はオブジェを作る。それは学校の教科で言えば『芸術』として一括りにされるものだ。
 美術部に入っていたらしい姉と綾が、その辺で関わりを持ったとしても不思議ではないだろう。
 とはいえ正面から訊ねる気にもなれず、いつもと何ら変わらない白衣スタイルで行くことに決めた綾をひとまずは置いて、 自転車の準備をしに下へ向かう。そうして階段を下りている間に、さっきの疑問はすっかり頭から飛んでいってしまった。






 特に部活にも入っておらず、またスポーツが好きなわけでもない健一は、自分には人並みの体力しかないことを知っている。 一人なら苦もなく来れるような距離でも、綾を後ろに乗せた状態でペダルを漕いでいれば息だって切れてしまう。 事実、出発してから五分で健一は結構必死だった。
 ……が、それにしてもだ。綾のあの体力の無さはちょっと大丈夫なのかと思う。

「も、もうちょっとくらい行けると思ったんだけどな……」
「だから無理って言ったじゃないですか」

 今日は私が健ちゃんを乗せて漕いでみたい、と言い出したところまではよかった。 問題はそこからで、出発して百メートルも進まないうちに綾の足はぴたりと止まり、くてっと自転車のハンドルに体重を預けてダウン。 結局健一と交代することになり、休憩を挟んで再度漕ぎ出したのである。

「だって、風切って走るのって格好いいかな、って思ったんだよ」
「ちゃんとご飯も食べないような人が、男一人余計に乗せて走るなんて無茶です」
「むー、じゃあちゃんとご飯食べて元気になったら、また私が健ちゃん乗せて漕いでもいい?」
「それは別に構わないですけど」

 一番辛いのは漕ぎ始めだ。スピードに乗ってしまえば、二人乗りでもさして苦にならない。
 後ろ、落ちないよう健一の腰に腕を回し抱きついている綾は、離れまいと胸を押し付けてくる。 背中越しに伝わる柔らかさに少し気を取られかけもするが、そんな馬鹿馬鹿しい理由で事故を起こしたくはないのでなるべく意識から外そうとする。
 一人の時よりも速度は遅いが、ハンドルを握る手や耳元で風が流れているのを感じた。
 綾も同じだろうか、とふと考え、一瞬振り向こうとすると、腰にあった感覚が消える。 それで綾が腕を解いたことに気付き、健一は慌ててブレーキを掛けた。軽い摩擦音を響かせ、自転車が急停止する。] その挙動を意に介さず、綾はすっと自転車前面のカゴからスケッチブックを抜き取り、まるで引っ張られるかのように道の端へと走っていく。
 一連の動きに、健一はすぐ理解した。これは前に二人で出掛けた時にも見た光景だ。
 形が歪んだ、古かったり錆び付いたりしているものに惹かれる性質。
 ほとんど魔法めいた速さと正確さで、スケッチブックに対象と寸分の違いもない絵が描かれる。 鉛筆で擦ると下の凹凸に合わせたものが浮かび上がる、そんな印象を健一が抱くくらいに自動的な模写だった。 スケッチブックを見ずにやっている辺り、目にした瞬間綾の頭には緻密なコピーが出来上がっているのかもしれない。 そのコピーが正しいかどうかを確認するための、一種の儀式にも思えた。
 作業を終え、閉じたスケッチブックを片手に綾が戻ってきて、本当に申し訳なさそうな顔で呟く。

「ごめんね、今日はよそ見するまいって頑張ってたんだけど」
「いえ、まあ、綾さんと出かける時に、こういうことになるだろうなってのはわかってましたから」
「だからさ、健ちゃんが一緒にいてくれてすごい助かってるんだよ。私だけじゃ、たぶん帰れなくなるかもしれないし」
「それは何と言うか……あ、それじゃ目を瞑ればいいんじゃないですか?」
「うーん……健ちゃんには悪いけど、ちょっと怖いかな」
「……ですね。今想像してみたら、僕も怖いと思いました」

 上手く折り合いを付けていくしかないのだろう。
 ある意味、この人とやっていくのに一番必要なのは根気なのかも、と心の中で頷き、健一は再び綾を乗せて走り始める。
 それから寄り道をすること数度、どうにかこうにか件のレンタルショップまで辿り着けた。 自転車から降り、二人揃って建物を見上げる。陽が暮れてしまったので辺りは暗いが、宣伝のためかライトアップが派手で、 おそらくかなり離れても見つけられそうな目立ち方をしていた。

「随分大きい店ですね……」
「確かにすごくでっかいよね。うん、これなら目当てのものも見つかりそう」
「あ、自転車置いてきます。綾さんはここで待っててください」
「心配しなくても大丈夫だよ。もうこの辺に気になるものはないしね」

 綾の言葉を信じ、けれどなるべく急いで健一は駐輪場へと向かった。
 小走りで往復。ほえー、と店の屋上付近を見上げっぱなしな綾に声を掛け、中に入る。

「で、本当にアダルトビデオを借りるつもりなんですか?」
「勿論、そのために来たんだから。何も借りずに帰るなんて、そっちの方が変だと思うよ、健ちゃん」
「そうなんですけどね……」

 呆れを含む声を漏らした健一は、内心かなりびくびくしていた。まずこんなところには来たことがなく、 しかも十八歳未満で、おまけに綾という女性と一緒だ。色々な意味で緊張するな、なんて言う方がおかしい。 未成年として捕まるのは絶対に勘弁なので、少しでも実年齢より上に見られるようにと表情だけは真面目に引き締めてみる。 もっとも、効果があるかどうかはかなり怪しいものだが、やらないよりは遙かにマシだった。
 何気なく店内を見渡してみると、相当広くどこに何が置いてあるかがすぐにはわからない。 遠くまで棚がずらりと並び、おそらくその全てにビデオやDVDが陳列されているのだろう、ちらほらといる客らしき人が棚と棚の間を通り抜けている。

「どこかな?」
「……あんまり目立つところにはないような気がしますけど」

 虱潰しに探すのは大変だ。きっと置き場所の案内板みたいなものがどこかにあるはずだと思い、周囲に目を光らせた。
 予想通り、すぐにそれは見つかる。近付いて眺め、

「入口の方から、えっと……左の奥に行けばいいみたいですね」
「左の奥って、あっちの方でいいのかな」
「ええ、たぶん」

 綾が指差す道を進む。新作コーナー、話題作、ホラー、SF――各ジャンルが銘打たれた棚を通り過ぎ、 二人の視界に『18禁』の文字が入る。他の健全なものに追いやられているかのような、店内の端に位置する場所だった。 差分化を図っているのかコーナーの入り口には暖簾が掛けられ、健一はさらに尻込みする。
 しかし綾はまるで躊躇せず、さり気に健一の手を引っ張って突入した。止める暇もない。
 中はこころなしか空気も違う感じで、何というか、微妙に息苦しい。 それは健一が自分自身を場違いだと思っているからかもしれないが、とにかくここが居難い空間であるのは確かなようだ。 思わずきょろきょろと視線を彷徨わせてしまい、我ながら不審者っぽいなあと健一は感じた。

「健ちゃん健ちゃん、ここはここで広いんだけど、どこにあるのかな?」
「あ、綾さん……名前呼ぶの止めましょうよ」
「どうして? 健ちゃんは健ちゃんでしょ?」
「どうしてもです……。お願いですから。あと、静かにしてください。喋るにしてももうちょっと声を抑えて」

 決して小さくはない綾の声に、他の客が一斉に二人の方を見た。すぐに気配は遠ざかったが、視線まではなくならない。 当然ながらこのコーナーにいるのは男性のみで、一人綾だけが浮いていた。同伴している健一も、そうなると注目される。 しかし、余計不安が増幅され挙動不審になった健一にはまるで構わず、綾はひたすらマイペースに目当てのものを漁っていた。
 疑問に思えばすぐ健一に訊ね、困惑し焦りながらも健一はそれに答えるしかない。 アダルトビデオの内情やら何やらに考えを巡らせても、そういうものに全くと言っていいほど触れたことのない健一にはわかるわけがないのだが、 とにかく綾は健一の返答が欲しいだけらしく、ここまで来るともうほとんど羞恥プレイの類である。
 ようやく目的のジャンルを見つけ、綾が三、四本を選んだ頃には、健一の精神力が危険な側に振り切りそうだった。
 ちなみに、レジで精算する時にも一悶着あって、色々な意味で心臓に悪い一日だと思う余裕すらその時の健一にはなかった。
 客のほとんどが前屈みになっていたことに気付いたのは、レジを担当していた店員だけだったという。



「レース〜、レース〜、レースクイーン♪」
「………………」
「健ちゃんは、レースクイーンが好き〜♪」
「……勘弁してくださいよ。だいたいあれは、綾さんが何か選ばないと帰らないって言ったから適当に取っただけで」
「でも、健ちゃんはいっぱいある中からレースクイーンを選んだんだよね?」
「いやまあ、確かにそれはそうなんですけど」
「別にレースクイーンが好きでも、私は健ちゃんを嫌いになんてならないよ」
「好きじゃないですしだからそういうことじゃ……ああ、もういいです」

 街灯に照らされた暗い帰り道。楽しそうな綾にいじられながら、健一は行きと同じように自転車を漕いでいた。
 背後で聞こえてくる調子外れな歌はなるべく聞かないようにしているのだが、密着している以上どうしたって耳に入ってしまう。
 止めても無駄なのは明白で、健一のレースクイーン好きの謗りは免れられないようだった。
 弁解は諦め、溜め息をこぼして操縦に熱中していると、往路の半分以下の時間で幽霊マンションに帰り着く。
 綾がバランスを崩さないようゆっくりと速度を落として止まる。

「ありがと、健ちゃん。今日は本当に助かったよ」
「どういたしまして。……それじゃ僕はこの辺で帰ります」
「あれ? え、もう帰っちゃうの? レースクイーン見るんじゃないの?」
「見ません。というかどうでもいいってさっきからずっと言ってるじゃないですか」
「そうかなあ。健ちゃんが自分で選んだものだし、もしかしたら気に入るかもしれないよ?」

 それはないと信じたかった。

「ほら、私と健ちゃんみたいにドラマチックな出会いの可能性もあるし」
「僕達のどこがドラマチックだったんですか……」
「だって、死にかけてるところを助けてもらうって、こう、すごくいい感じじゃない?」
「シチュエーション次第じゃそうでしょうけど……週一ペースでそうなってる綾さんが言っても説得力ないかと」
「うーん、そうなのかな」

 悩み始めた綾を見て、健一はここに居続けるといつまで経っても帰れないと思う。
 話を切り上げるために軽く頭を下げ、また明日、と帰路に就こうとするが、そこで呼び止められた。

「ねえ、健ちゃん」
「何ですか?」
「私、健ちゃんには本当に感謝してるんだ」
「……そこまでのことしましたっけ?」
「健ちゃんにとってはどうでもいいことかもしれないけど、私は健ちゃんが一緒にいてくれてすごく助かったし嬉しかった。 一人じゃ行けないビデオ屋にも行けて、いっぱいスケッチもできて、楽しい一日だったんだ。だから、ありがとう」

 心から。
 笑顔でいる綾に、一瞬健一は見惚れた。
 それはただ、純粋な気持ちを伝えようとする言葉で、だからこそ真っ直ぐ響くもの。
 綾の好意がすっと胸に滑り込み、釣られるように健一も破顔した。

「僕でよければまたいつでも付き合います」
「うん、次も何かあったら頼むね。……ってことで健ちゃん、とりあえず今から一緒にアダルトビデオ見ない?」

 ――いい雰囲気ぶち壊し。
 良くも悪くも、綾らしいと言えばらしかった。

「……そろそろ帰ってホタルの夕飯作らないといけないですし」
「じゃあご飯食べたらでいいから。ね、それなら問題ないでしょ?」
「他の問題が山積みだと思うんですが……って、そういえば綾さん、どこでビデオ見るつもりなんですか?」
「え? 私の部屋だよ?」
「素朴な疑問なんですけど、あの、綾さんの部屋にテレビってありましたっけ」

 静寂が訪れる。

「……よく考えたらなかったね」
「それでどうやって見る気だったんですか……」

 綾ならすぐに買ってくることもできるだろうが、しかし今の時間だと確実にどの店も閉まっている。
 明日になるまで待つしかないんじゃ、と思い、綾が妙な笑みを浮かべているのに気付いた。
 健一は例えようもない嫌な予感を覚える。

「確か、健ちゃんの部屋にはあったよねえ……テレビ」

 つまるところ。
 今日中にもう一度綾と会うことは、確定事項のようだった。






 人間、思わぬ状況を目にした時は、しばし言葉を失ってしまうものである。
 たまたま帰る方向が同じだった千夜子と他愛ない話をして公園で別れ、そのまま中を突っ切ろうと歩いていたところ、 唐突に右手から乾いた音が聞こえた。続けてどさりと重い物が落ちたような音。続いた二音が気になり、 どうにも不可解な気持ちになりながらもそちらへ向かい、そこで繰り広げられていた光景に硬直したのだった。
 健一の眼前で相対しているのは、二人の女生徒。片方は倒されたように尻餅を付き、もう片方はその相手を憮然とした表情で見下ろしている。 少し離れた場所に鞄が転がっていて、どうやら先ほどの重い音はそれが落ちた時のものらしかった。

「あなた、あんなことしといて言い訳の一つもないわけ?」

 明らかに怒りの混ざった甲高い声をこぼす少女を、健一は知っている。
 別に親しくもないのだが、クラスメイトであり、かつ男子生徒の間では割と名が知れているので覚えていたのだ。
 窪塚佳奈。他クラスに日奈という双子の妹を持ち、姉妹揃って校内屈指の美少女だなんて持て囃されている二人の片割れ。
 遠巻きに見ていた限りでは、勝ち気で何事にも感情的(というと何となくツバメを思い出す)な印象なのだが、 その評価はまだ甘かったらしい。もう一人の女生徒、その頬が赤くなっているのはどう考えても叩かれた証拠で、 今の発言も加味すると、感情的というよりヒステリックだと思う。

「…………」
「アイツとは別れたからどうぞ好きなだけ仲良くしてくださいって感じだけど、 あなたの方が私より女として優れてるだなんて勘違いはしないでよね。この恥知らず」

 あんまりな言い草に健一は一瞬口を開きかけるが自制。ここに現れた時睨まれたので、 また余計なことをしたら恨まれるだけじゃ済まないだろう。言いたいことを言い終わったからか、 健一を無視して去っていく佳奈の背中を見送り、ぺたんと座り込んだ女生徒に手を伸ばした。

「大丈夫?」
「……ええ。病院に行くほどじゃないと思うけど」

 胡乱な目で呟く少女の顔にも見覚えがあることに、健一は今更気付いた。
 もしかしたら、窪塚佳奈より有名なクラスメイト――有馬冴子。
 彼女に関する噂はかなり多く、しかしそのほとんどは信憑性が皆無だ。 もし全てを真に受けるとしたら、彼女は毎日違う男子生徒を誘惑しては捨てている、魔性の女ということになる。 決して積極的ではなく、いつも眠そうな顔でぼんやりしているだけの、 影の薄い印象しかない彼女がそんな人間だというのは、どうしても信じられそうになかった。
 しばらく冴子は差し出された手を見て、それから控えめに掴んだ。
 軽く引っ張り起こす。

「よかった。……あの鞄は有馬さんの?」
「別にいいです。自分で拾いますから」

 頬の手形を凝視するのも失礼なように思え、健一は誤魔化しの意味も含めて鞄を取りに行く。
 冴子の控えめな否定が入るより早く拾い上げ、そこでふと近くの木の葉の間に光る物を見つけた。
 手に取ってみる。特に最近よく目にする、不思議な形状のそれ。

「これは……十三階の鍵だ。1303ってことは、あれ、僕のか?」

 いつの間に落としたんだろうと小さな疑問が頭を掠めるが、とりあえずポケットに仕舞う。
 そうして立ち上がったところで、冴子が不意に声を掛けてきた。

「ねえ、絹川君」
「はい? っと、鞄どうぞ」
「……絹川君は、私の噂を聞いたことがあるの?」
「まあ、どれを指してるのかはわからないけど、いくつかなら」
「そう。こうして優しくするのは、何か下心があってのことじゃないかと思ったんだけど」
「……人を助けるのに理由が必要かな? 僕は有馬さんが尻餅を付いてたから助け起こそうと思っただけだよ」

 何か意図があってのことではない。そもそもここをこの時間に通りかかったのは偶然で、佳奈と冴子に出会ったのも偶然だ。 責められていたのが冴子だと気付いたのだって、手を差し伸べてからである。
 噂の内容も半信半疑なのだから、他の動機なんて持っているはずもなかった。

「でも、私の噂、事実無根ってわけでもないのよ」
「……え?」

 心を読まれたかのようなタイミングで。
 冴子は言った。



「私がさっき窪塚さんにぶたれたのって、昨日窪塚さんの彼氏と寝たからなの」



 波乱の訪れを、感じた気がした。
 健一はそれに答える術を持たない。
 明確な答えがあるのかどうかも、わからなかった。










鈴璃「だぁらっしゃあああああああああああああ!」
片深「ぶろあっ!! ……な、何すんねん!?」
鈴璃「アンタいったいどれだけ放置しとけば気が済むのよ! 読者舐めてんの!?」
片深「いやいや舐めてないですよ? 読者さんは神様のようなものですから超敬ってますマジで」
鈴璃「なら、納得行く説明を始めてもらいましょうか」
片深「……君が納得できなかったら?」
鈴璃「この場に赤い華が咲くわね」
片深「誠心誠意させていただきます」
鈴璃「よろしい。で、とりあえずアンタ三ヶ月も何やってたわけ?」
片深「そりゃあ色々ですよ。就活とかバイトとか買い物とかゲームとか」
鈴璃「半分くらい遊んでるじゃないの」
片深「失礼な。ちゃんと文章も書いてました。いやー、勢いで買っちゃったリトバスがくちゃくちゃ面白くてね」
鈴璃「くちゃくちゃって何語よ。……つまりアンタ、浮気してたのね?」
片深「浮気ってまた随分な言い草ですね……。こっちにも一本投稿してたでしょ」
鈴璃「でもその後全然音沙汰無しでしょ? 元からゼロに等しいだろうけど、 もしかしたら片手で数えられるくらいはいたかもしれない読者さんを心配させたのは事実よ」
片深「それについては誠に申し訳ありませぬ。他のはリンクスに登録しちゃったから投稿は規約違反かな、と」
鈴璃「まあ、アンタ日蔭者だもんね。……まあいいわ、責めても現状が良くなるわけじゃないし」
片深「そう考えてくれると嬉しい」
鈴璃「で、これからどのくらいのペースで書いてくつもりなの?」
片深「それなんだけどさ、ほら、こないだ九巻出たじゃん。あの内容がかなり問題で」
鈴璃「○さんと×××して□□□が◇◇しちゃったこと?」
片深「伏せ字ばっかりで全然伝わらないけどそんな感じ。で、まあ、困ったなあ、と」
鈴璃「じゃあどうすんのよ。完結はさせたいんでしょ?」
片深「一回始めたものだからね。できる限り頑張ってはみるけど、唐突に『僕達の戦いはこれからだ!』で終わる可能性も」
鈴璃「………………」
片深「あの、鈴璃さん? カイザーナックルを手に嵌めて何をするおつもりなんですか?」
鈴璃「もうひとつ疑問なんだけど。私っていつ出るの? 予定はあるんでしょ?」
片深「え? ないよ?」
鈴璃「……ちょっと耳がおかしくなったのかしらね。聞こえるはずのない言葉が聞こえたんだけど」
片深「その歳で難聴は結構まずいんじゃないかなあ」
鈴璃「念のためもう一度訊くわね。私っていつ出るの?」
片深「だから予定ないって」
鈴璃「………………何で?」
片深「本編でいうプロローグとエピローグの話は書くつもりないし、千夜子ちゃんの出番作るので精一杯だし」
鈴璃「ふうん……そう、私の出番、ないんだ……」
片深「だから、うん、ごめんね? せめて原作みたいにあとがきで出番をと……」
鈴璃「ふっ」
片深「いやちょっと待ってそんな全力で拳を振りかぶって何しようと、」
鈴璃「きええ――――――――――――――――――――――――――――っ!!」
片深「ぎゃあ――――――――――――――――――――――――――――っ!!」

   片深、鈴璃の一撃で絶命。

片深「次回からあとがきはこんな感じで行こうかと」
編集「悪いこと言わんから止めとけ」



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何かあったらどーぞ。