1304に綾を運び、三階へ戻って撒き散らされた吐瀉物を1301から取ってきたキッチンペーパーと雑巾で丁寧に拭き取った健一は、胃液の匂いが染み付いた両手を洗ってから綾の部屋に戻った。さすがに雑巾は再利用できない感じになっていたので捨ててある。そういえば使い古しのタオルがあったかな、と思い出し、今度縫って埋め合わせにしておこうと心に決めつつ、細身がくたりと横たわったベッドに近寄る。
 健一の足音に気付いてか、慎重な動作で綾が身体ごと振り返った。その顔色はまだ悪く、浮かべられた笑みにも力がない。

「ごめん、ね。迷惑かけちゃった、よね」
「……今はそんなこと気にしないでください」
「ありがと。健ちゃんは、優しいな」

 そう言うと、綾は左手を健一に伸ばした。頼りなげに開かれた指が彷徨い、戸惑い混じりに迎えた健一の右手を弱く握る。
 触れた箇所を支えに、ゆっくりと上体を起こしていく。ベッドの縁に足を投げ出し、まだ危なっかしいものの、健一の力を借りて綾は立った。

「屋上行こ。ちょっと、外の空気が吸いたい」
「わかりました」

 思っていたよりも足取りは確かだが、辛そうであることには変わりない。故になるべく刺激を与えないよう、一歩一歩に気を配った。階段では一段先を行き、鉄製の重い扉を、手を繋いだまま開く。
 金属の軋む音と共に、視界を淡い夕暮れの色が満たす。いつの間にか随分時間が経っていたらしく、夜が近かった。
 僅かに遅れて屋上へと踏み入った綾は、そっと結んだ手指を解き、すぐそばの壁に寄り掛かった。何となく距離を置くのは躊躇われて、健一もその隣に座る。ざらついた灰色のコンクリートは、腰を下ろすにはあまり向いていない。尻にちくちくした痛みを感じながら、ぼんやりと綾の視線の先を追う。申し訳程度に空間を囲う、跨げば軽く乗り越えられそうな低い柵と、マンションの周囲に並ぶ建造物。飛び抜けて高いわけではないこの場所からは、地平線は見えなかった。

「……落ち着きました?」
「うん。少し、楽になったかな」

 深呼吸をしてから、綾はすっと目を閉じる。
 その睫毛が震えていることに気付き、地面に投げ出されていた左手を、十三階からここに連れ出した時と同じように健一は握り、包んだ。仄かに冷えた肌はそれでも温かく、柔らかい。
 何故だろうか、今になって、綾も「女の子」なのだと強く実感した。
 控えめに掴んだ手が、いつもの大胆さからは想像も付かないほどにたどたどしく握り返してくる。

「あの……えっと、撮影の方は、上手く行ったんですか?」
「大丈夫だったよ。健ちゃんや冴ちゃんが応援してくれたから。あ、あと一応管理人さんも」
「……そんなついでみたいな感じで言ったら、八雲さん怒りますよ」
「そこはちゃんとできたってことで帳消しにしてほしいかなあ」

 出会った当時の綾は、一人ではコンビニに行くので精一杯だった。それを考えれば、無事に撮影を終えられたのは大きな進歩だと言っていい。喜ばしいことだ。しかし、現実に綾は酷く消耗して帰ってきた。朝の様子を思い返す限り、体調が悪かったわけでもない。ここ数日は程々に食事を摂っているし、充分に眠ってもいるはず。なら、いったい何があって、こんなにも弱っているのか。
 訊きたかった。が、安易にそうすれば、また吐いてしまうかもしれない。有り得ないとも言い切れない想像に縛られて、健一は口を開けなかった。だからせめて安心させようと、右手の力をほんの少しだけ強める。
 眺め続けた空は、やがて完全に陽が落ち、夜の色に染まった。風がいくらか肌寒くなる。
 綾が再び話し始めたのは、尻の微かな痛みにようやく慣れてきた頃だった。

「帰りの電車でね、知らない人に、おっぱいを触られたの」
「痴漢、ですか?」
「たぶん。ずっと私の胸見てたし……それだけなんだけど、すごく気持ち悪かった」
「………………」
「私ね、胸を触られるのって、気持ちいいことだってずっと思ってたんだ。自分でそうするのもだし、健ちゃんにしてもらった時はもっと気持ちよかったから、他の人にされてもおんなじだって思ってた。でも、違うんだね。知らない人にされるのは怖かった。嫌だった。今日、やっとそれがわかった」

 繋いだ手を通して、震えが伝わってくる。
 星を見上げる綾の瞳には、うっすらと涙が滲んでいた。

「ねえ健ちゃん、どうしてなのかな。気持ち悪いことなのに、嫌なことなのに、どうしてあの人は私の胸を触ったりしたのかな」
「綾さん……」

 ――壁がある。
 綾と世間を隔てる、厚く高い壁。
 例えば『普通』なら、電車で行ける距離をわざわざタクシーを使って向かったりはしない。痴漢の心理を考えるようなことはしない。金は節約できるならするべきもので、痴漢は理由がどうであっても犯罪だからだ。それを人は『常識』と言い、そこから外れた者を排斥する。
 上手く折り合わせを付けられる人もいる。自身の特異さを誤魔化して生きられる人もいる。だが、それができない人間もまた、世の中には確実に存在する。綾がそうであるように、『普通』の基準がそもそも違えば、場合によっては意思疎通すら叶わない。
 あまりにもズレ過ぎた綾が『普通』でいようとするのは、おそらく、無理なのだ。
 他人に合わせられないまま、傷付いて、傷付けて、それだけで終わってしまう。

「前に、大概の人は電車に乗る、なんて僕が言ったからですよね」
「……え?」
「その方が普通だからって。だから綾さんは、電車で行って、帰ってきたんですよね」

 間違いなく、発端はその発言だろう。
 自惚れてもいいならば、他の誰でもない、自分がそう言ったからこそ、綾は『普通』になろうとした。

「だったら、僕のせいです。綾さんはいつも通りタクシーで帰ってくれば、こんなことにはならなかったはずです」
「そうなのかな。……だとしても、電車に乗るって決めたのは、私だよ。健ちゃんは悪くない。絶対、健ちゃんのせいなんかじゃない」
「でも、」

 納得できず反論しようとした瞬間、健一の視界を影が塞いだ。
 隣にあった綾の身体が正面から覆い被さるように近付き、触れる。薄い白衣一枚を纏った胸が健一の顔を埋めた。そのまま中腰で、綾は健一を抱きしめる。ただ言葉を遮るには荒く、けれど抗議というには優し過ぎる動き。

「健ちゃんは、美しいね。やさしくて、美しい」
「そんな……僕は」
「私が、そう思うの。嫌われてない、疎まれてない、見捨てられてないって。健ちゃんに、大事にしてもらえてるんだって」
「……見捨てられるわけ、ないじゃないですか」
「じゃあ充分だよ。それとも、健ちゃんはまだ自分が悪いんだって思ってる?」
「……はい」

 綾の束縛から無理に逃れることはせず、言葉だけで認める。
 健一の意思が頑なであるのを察した綾は、その後頭部に回した腕の力を抜いた。
 僅かな距離が生まれ、互いの視線が真っ直ぐに合う。

「なら、おっぱいを触ってほしいな」
「え?」
「健ちゃんが悪いって思ってて、何かしないと気が済まないっていうんなら、私のおっぱいを触ってほしい」
「……いや、訳がわからないんですけど」
「知らない人にされたら気持ち悪いことでも、健ちゃんがしてくれれば気持ちいいから。だから、思い出させて。そうするのは気持ちいいんだって。嬉しいことなんだって。もう一度、健ちゃんが私に教えて」

 浮かべられた、穏やかな笑み。
 けれど綾の声には、どこか切実な色が含まれていて。

「あ……っ」

 綾がそっと添えた左手に導かれ、健一の右手が白衣の下に滑り込んだ。すべすべとした腹を指で軽く擦り、膨らみの底に到達する。ブラジャーも何もない、生の感触。いつかも味わった柔らかさにくらくらしながら、ぎこちなくも指を這わせた。服を盛り上げ、掌で覆うようにして、人肌の熱を感じる。間近で鼻に掛かった声が聞こえ、心臓が小さく跳ねた。
 以前、蛍子を襲いかけた時――綾に諭され、窘められ、支えになってもらったことを思い出す。
 自分は、辛い目に遭って苦しんだ綾の、支えになれるだろうか。

(……違う。そうじゃない)

 代わりとか、お礼とかじゃなくて。
 ただ、助けたい、と思うのだ。
 少し歪んでいても。どこかおかしくても。あの時綾が自分を救ってくれたことに、変わりはない。
 だから、

「あったかい……あったかくて、気持ちいい。気持ちいいよ、健ちゃん」
「嫌じゃないですか?」
「うん。よかった。健ちゃんとしても気持ち悪かったらどうしようかって、ずっと思ってたんだ。でも、そんなことなくてよかった。健ちゃんにしてもらうのは、やっぱり気持ちいいんだね」
「……そういうこと言うと、こっちも我慢できなくなるかもしれませんよ?」
「別に我慢しなくてもいいんじゃないかな。気持ちいいことを健ちゃんとするのは、大歓迎だし」

 ――僕に恋愛は向いてない、けど。
 それでも、これが彼女のためになるのだと、信じよう。

「わかりました。今日は、遠慮しません」
「え、ほんと? ほんとに健ちゃん、やる気になってるの?」
「綾さんが我慢しなくてもいいって言ったんじゃないですか」
「いつもの健ちゃんなら絶対断ると思ってたんだけど……まあ、その方が私も嬉しいかな。あ、そういうことなら下行く?」
「えっと……綾さんはどっちがいいです?」
「うーん、どっちかっていうと、部屋の中でゆったりしたい感じ」

 声のトーンこそいつも通りのものに戻ってはいるが、胃の中身を一度吐き出してしまったからか、顔色は良いとは言えない。時期的には初夏、夜になれば外は程良い涼しさになるものの、ベッドの上よりも体力を使うのは間違いないだろう。あまり無理をさせたくない、と思い、綾の言葉に頷いた健一は先んじて腰を上げた。
 繋いだ手はそのままに、そっと綾を立たせる。来た時と同じゆったりしたペースで階段を下り、再び1304に踏み入った。玄関の電灯を点け、真っ直ぐ寝室に向かう。

「あ、待って健ちゃん」
「はい?」
「ちょっと、お風呂入ってもいいかな。汗掻いちゃってるし、吐いちゃったから、臭いが気になるんだ」
「それなら僕はここで待ってますよ」
「一緒に入ってもいいよ?」
「……今日は遠慮しておきます」
「うん、わかった。お楽しみは後に取っておくね」

 かちゃり。ベッドからは少し離れた、脱衣所に続く扉が閉められ、健一は一人残された。
 最初に綾を連れてきた時の痕跡、脱ぎ捨てられた衣服がまず横目に入る。そこから必死に視線を逸らし、何とはなしに周囲を見回していると、ふとひとつのことに気付いた。
 ……何だか、殺風景だよなあ。
 例えば1303の健一の部屋と比べれば、この寝室はかなり広い。しかし、ベッドの他に置かれているのは精々衣装箪笥くらいで、本などの娯楽物は皆無だ。以前ビデオを借りた時も、自分のところにはテレビがないから、と言っていたのを思い出す。
 何もない、わけではない。玄関と寝室の間には、さらに巨大なアトリエが存在する。今まで綾が数々の『作品』を生み出した、おそらくは彼女にとって大事で、必要な場所。制作活動に没頭するための、得難い環境。
 これが、綾の望んだ居場所だというのなら――本当に、彼女には『作ること』しかないのかもしれない。

「……何だかなあ」

 もっと上手く生きられるのなら、誰だって初めからそうするはずだ。
 適度に他者と付き合って、健全な生活をして、周りに合わせ、流されて日々を過ごしていく。大多数に埋没してしまえば、目立つことも、弾かれることもない。『普通』の輪の中にいるのは、それこそ『普通』の人間にしてみればさして難しくもないだろう。
 だが、健一はもう知っている。綾も、冴子も、そして自分自身も、社会に於いてはどうしようもなく異端であることを。
 冴子と肉体関係を持って以来、殊更そう感じるようになった。
 ――今も。不思議と、健一の心は穏やかで、静まっている。これからすることに関して、抵抗はまるでなかった。

「健ちゃん、お待たせ」

 ベッドの端に腰掛け、とりとめのない考え事をしていた健一は、戻ってきた綾の言葉に俯けていた顔を上げた。
 湿った長い髪をゴム紐か何かで束ね、ブラジャーとショーツのみを身に着けた姿で、健一の左隣に座る。そのまま遠慮なく擦り寄ってくるので、どうするべきかと一瞬迷い、何となく左の肩に背後から回した手を置いた。間近で香る、シャンプーらしき淡い匂い。
 心持ちがどうであろうとも、身体は正直だ。下腹部に血が集まり、ズボンの前面を押し上げる。綾は目敏くそれを察した。

「おー、ココは相変わらず元気だね。窮屈そうだし、表に出しちゃっていい?」
「まあいいですけど……。どうするつもりです?」
「ん、見てればわかるよ」

 少し骨張った手指が、健一のズボンの留め具を外していく。チャックを下ろし、露わになったトランクスをめくると、押さえ付けられていた肉棒が視界の先で跳ねた。外気に触れ、ぴくりと微かに震えるのを目にした綾は、愛おしげに裏側を指でなぞる。
 甘い熱と刺激に、背筋がぞくぞくする。

「ふー」
「うあっ、あ、綾さんっ、いきなり息吹きかけないでください!」
「だって何だか可愛かったから、ちょっと焦らしてみようかなって」
「そういうのは遠慮しておきます……」

 仕方ないなあ、というように、今度は両手がペニスを包んだ。
 全体を握り締め、上下に擦る。ぎこちないところもあるが、力加減は悪くなかった。親指と人差し指の輪がくびれの辺りに引っ掛かり、根元に感じる締め付けとはまた違う、痛みに近い気持ち良さを得る。健一の意思とは関係なく、肉棒はさらに膨らんで硬さを増した。
 亀頭から僅かに先走りの汁が流れ出す。それを、不意に伸びてきた綾の舌がおもむろに浚った。
 ざらつきぬめった感触が、敏感な部分を舐め上げる。喉元で抑えていた声が漏れ、綾は嬉しそうに頷く。

「これが健ちゃんの味なんだね。うん、しょっぱくて苦い」
「まあおいしくはないでしょうけど……」

 積極的にさせたいとは思わないが、しかし気持ち良いのも確かなのでやめてほしいとも言えない。微妙な表情を浮かべた健一は、苦笑をこぼしつつ、とりあえず綾に任せることにした。
 じわりと滲む透明な粘液を、細い指と掌で全体に塗りたくる。そうして滑りを良くしてから、何故か綾は身を離した。申し訳程度に留めてあった白衣のボタンを外し、袖から腕を抜いて横に脱ぎ捨てる。ブラジャーを着けない綾の胸が、当然の如く剥き出しになった。
 先ほど直に触りはしたものの、実際目の当たりにするとその大きさがよくわかる。数十分前に味わった、例えようのない柔らかさが脳裏に蘇り、下腹部の膨張が一層増す。それを見た綾はまた笑みを深め、すっと上半身を寄せた。
 添えられた両手が双丘を開く。生まれた隙間に肉幹を迎え入れ、挟み、飲み込む。
 健一にとって、それは未知の感覚だった。

「んしょ、っと。どうかな健ちゃん」
「こ、こんなのどこで覚えてきたんですか」
「ほら、前にアダルトビデオ借りに行ったことあったよね。あの時パイズリって言葉を見つけて、ずーっと気になってたんだ。だからこないだコンビニで買い物してくるついでに、十八禁の雑誌もいっぱい買って、お勉強したの」
「………………」

 如実に想像できてしまう。あられもない白衣姿で十八歳未満禁止の雑誌コーナーに止まり、何の照れも迷いもなく中の一冊を取って、表紙と裏表紙をまじまじと眺め、カゴに入れる、その繰り返し。店員さんと周囲にいただろうお客さんがどんな気持ちになったのか、考えてみると些か気の毒だった。

「実際にやるのは初めてだけど、頑張るね」
「いや、そんな頑張らなくても、っ!」

 谷間から覗く先端に綾が口付けた。そのまま何度も、ちゅ、ちゅ、とついばむように触れる。思わず腰を引いた健一には構わず、舌先が鈴口を抉った。同時、左右の胸を押さえる両手が動き始める。指の刺激に比べればいくらか大雑把ではあるが、擦れる肌の滑らかさ、埋もれた竿の感じる柔らかさ、どれもが持続的に健一を責め立てる。
 綾の動作に合わせ、歪み潰れる二つの膨らみ。眼下で広がる卑猥な光景に、くらくらしてくる。

「なんか、こうしてると、んっ、健ちゃんの形が、よくわかるよ。ちゅぷ、っはぁ、ちゅ、れろ……んん、すごく、あっつくて、おっきくて、んふ、よろこんでる、みたい」
「綾さん……っ、あ、くっ」
「いいよ、遠慮しないで、出しちゃって」

 赤らんだ顔で舌を這わせ、唾液に先走りの汁を混ぜる。流れ落ちる潤滑液が胸の谷間を満たし、ますます水音を激しくしていく。
 時折ツンと立った乳首に指を引っ掛け、甘い声を上げる綾は、それでも手を休めなかった。双丘が挟んだペニスを引き寄せ、再びそこに唇が下りる。亀頭へのキスはそこそこに、視界に映る限りの先端を綾は唇でくわえた。ねっとりとした舌が敏感な部分に纏わり付き、絡み、そして離れた瞬間に吸われる。唐突に訪れた全く別種の感覚に、健一は耐え切れなかった。
 強烈な射精感。根元から尿道に掛けて、重い熱が迸る。勢い良く放たれた白濁はまず綾の口内に飛び込み、驚いて距離を取ったところで唇や頬にも付着した。さらに鎖骨と胸を汚し、最後に僅かな塊を吐き出してようやく落ち着いた。

「んー、んく、んく、ん……ぷはぁ。喉にひっかかるけど、結構いけるかな」
「……えっと」
「えへへ。また汚れちゃったし、今度は一緒にお風呂入ろうね」

 まさか最初からそのつもりだったんじゃなかろうか。
 精液まみれで嬉しそうに提案する綾に戦慄を覚えつつ、健一はティッシュを探そうと腰を浮かせかけた。が、肉棒をホールドした綾はそれを許さない。笑みが獲物を狙う色に変わったのを察知して、健一の額に汗が滲んだ。

「どうせお風呂で落とせるから気にしなくてもいいって。それに、このままの方が健ちゃんもそそるでしょ?」
「まあ……正直に言えば」
「じゃあこれで。私ももう準備万端だから、いつでも大丈夫だよ」

 健一については、訊くまでもなかった。綾の胸の中で、既にペニスは硬さを取り戻している。
 相変わらずというべきか、自分の下半身が如何に正直かを思い知り、複雑な気分になった。が、浸ることさえ綾は許さない。立ち上がり、ベッドに座ったままの健一に圧し掛かるようにして体重を預けてきた。薄いシャツ越しに肌が密着し、ついさっきまで股間の物が包まれていた双丘の柔らかさに心臓が軽く跳ねる。間近でむわりとした汗と愛液の匂いを感じ、否応なしに神経が昂る。
 太腿に絡み付いた綾の足、そこに伝う粘ついた雫は、言葉通り綾がいつでも迎え入れられることを教えてくれた。
 脳の奥が痺れる。全身で、求められているのだとわかったから。
 ――この気持ちを、何と言えばいいのか。
 衝動的に、目の前の細身を抱きしめる。背中に腕を回し、綾の胸が潰れるのも、ペニスを押し付けることになるのも構わず。
 耳元で、安堵したかのような吐息が漏れ聞こえる。

「健ちゃんの腕の中、あったかくて優しいね」
「こんなのでよければ、いつでも……とはいきませんけど」
「ほんと? やった、今度またお願いしちゃおっかな」
「……変なタイミングじゃなければ」

 お互いに薄く頬を綻ばせ、笑い合った。
 後はもう、明確な言葉もいらない。抱きしめられたまま綾が転がり、上下の位置を逆転させる。邪魔にならないよう健一は腰を持ち上げ、対する綾は閉じていた膝をすっと開く。露わになった秘裂にしばし見惚れ、それからゆっくり、慎重な動きで先端を差し向ける。
 蜜を滲ませる陰唇の隙間に、ペニスが割り入った。熱い泥の中を進むように、ずぶり、ずぶりと肉幹を沈めていく。以前、最初の一回目で感じた突っ掛かりはもうなく、膣壁を擦りながら奥へと到達した。健一の根元と綾の割れ目が触れ合い、そこにある熱を伝える。
 ただ、気持ちいい。
 今はそれ以外、きっと、何も考えなくてよかった。

「動きますよ」
「うん。健ちゃんの好きにして」

 下から伸びてきた両手が、健一の頬を押さえた。一瞬だけ、唇に触れる感覚。仄かなぬくもりを残して綾は離れ、視線で催促をしてくる。頷く時間さえ惜しく、いきなり全力で健一は膣内を突き上げた。組み敷いた綾の身体が揺れる。弾んだ胸を右手で荒く揉み、肉棒に吸い付く襞を削る勢いで腰を引く。分泌され続ける愛液が、ぐちゅっ、ぐちゅっ、と濁った水音と共に泡立ち、健一が再びペニスを挿入する度、ぶつかった下腹部で音が響いた。
 回を重ねる毎に間隔は短く、早くなり、動きもまた激しくなる。先端が子宮口を何度も叩き、そのまま綾の身体を貫いてしまいそうだった。しかし、乱暴なだけではない証拠に、確かに綾は感じていた。水音を掻き消すような嬌声が耳から頭の中に入り込み、理性の糸を焼き切っていく。
 それが綾にとっての『いいこと』だと、望んでいることなのだという意識さえ、その瞬間は忘れていた。
 純粋に、相手を求める。求め合う。たったひとつの、とても簡単な答え。

「あっ、あ、っ! 健ちゃん、きもち、きもちいいよぉ! 健ちゃんだから、きもちいいんだよぉっ!」
「綾さん……! く、ぅ……そろそろ、出ます!」
「来て、来て健ちゃん! きもちよくして! うあっ、あっ、イク、私、イッちゃう!」

 一際深く沈んだ瞬間、肉棒を絡め取ろうとしていた膣壁がきゅっと強く締まった。壮絶な快感が襲い掛かり、根元に耐え難い衝動が生まれる。健一は反射的に綾の中からペニスを引き抜こうとしたが、しっかりと咥え込まれ、僅かに遅れた。間に合わない。
 小さく呻きながら全てを吐き出した時、健一の心を満たしていたのは、何とも言えない倦怠感と充足感だった。
 重い動作で腰を引くと、膣内に収まり切らない精液と愛液がごぽりと泡を立ててこぼれてきた。

「ふぁ……すごい、私の中、健ちゃんでいっぱいだ……」
「……その、何というか、すみません」
「謝らなくってもいいのに。むしろ、中に出してくれて、嬉しかったよ。健ちゃんもちゃんと気持ち良かったんだなって、わかるから」

 安全日とか危険日とかその辺はどうなんだろうか、という疑問を、口に出しかけて留める。
 楽観視するのはさすがに良くないが、無垢な笑顔を前にして野暮な言葉は掛けられない。意外、というと失礼だが綾もいつも考えなしではないし、多少ズレた倫理観を持っているものの、しっかり常識的な面もある。なので、些か都合良い考えだと自覚しつつも、健一は綾を信じることにした。
 それに。
 自分の選んだ答えは、間違っていなかったと思いたい。
 綾のために、できること。

「あんまり優しくは、できなかったですけど」
「ううん。充分、健ちゃんは優しくしてくれたよ」
「……そう、なんですかね」
「まあ確かに、エッチの最中は健ちゃんって荒っぽいよね。でも結構鋭いっていうか、ずんずん突き上げられると、自分でもびっくりするくらい感じちゃうの。お腹の奥の方がこう、きゅんとする……みたいな? あはは、言っててわからなくなってきちゃった」
「何か、無責任に聞こえるかもしれませんけど……してる時って、そういう意識は全然ないんですよ」
「あ、それは何となくわかるかも。健ちゃん、たまにどこか違うところ見てたりするから」
「違うところ、ですか」
「私を通して私の向こう側を見てる感じ。だからなのかな、的確に気持ち良くしてくれるのは」
「よく覚えてないことを言われると、ちょっと変な感じですね」
「そうかな。私も何か作ってる時のことはほとんど覚えてないし。もしかしたら、私と健ちゃんって似てるのかもしれないね」
「……僕にはとてもそうは思えませんけど」
「別に同意してくれなくてもいいよ。私がそんな風に思うってだけ」

 ひとしきり喋り終えてから、綾は熱っぽい吐息を落とす。
 混ざり合った二人分の汗がベッドを湿らせ、肌に布が貼り付く。
 まだ身体の熱は抜けそうになかった。健一の火照りに気付いた綾が、表情をふわりと蕩けさせる。

「いっぱい汚れちゃったし、今度は一緒にお風呂入ろ?」

 一度は断った提案。
 それを遠慮するには、今の健一は少しばかり抑えが効かなかった。



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何かあったらどーぞ。