「卒業証書、授与」

進行役である教頭先生の凛とした声が、マイクを通して体育館内に響く。
そして、一組の担任が教頭と場所を入れ替わり代表者の名を読み上げる。
椅子から立ち上がる音が、静かで厳かな空間に波紋を広げるようだとわたしは感じた。

据え付けられた階段を登り、ステージの上へ。
校長の手よりクラスの全人数分の証書を受け取って降りてくる。

―――― 今日は卒業式だ。
わたしもつかさくんも留年することなく無事に迎えることができた。
出席日数不足や単位の落とし過ぎでこの場にいない生徒も僅かながらいるけれど、席はびっしり埋まっている。
にも関わらず上履きが床を踏みしめる音がはっきり聞こえるのは、これが大事な儀式だからだろう。
三桁もの生徒達が、明日からそれぞれの道へと歩き始める、別れの日だから。

中学校の時は一人一人が壇上まで行って証書を手渡されたけど、高校では纏めてやってしまう。
それによる時間の短縮具合は凄まじく、丁寧に行えば一時間前後も掛かる授与がほんの十分ちょっとで終わるのだ。

一番大事な部分があっという間だったので、何だか拍子抜け。
あとは来賓の祝辞ばかり。有り難いんだか有り難くないんだか、よくわからない話が続く。

未来へ向かって……なんてPTA会長のありきたりな言葉を右から左へ流しながら、わたしはそっと目を閉じる。
胸中に広がるのは、ああ、今日で最後なんだなぁ、という思い。

大学に行く人、専門学校を選んだ人、就職する人もいる。
三年前のようにみんながみんな同じ道を進むことは、もうない。
この日を境に、大きく日常は変わっていくから。何もかもが新しくなっていくから。

これからも今までみたいに付き合える人なんてほとんどいないだろう。
会わなくなる人も、会えなくなる人もたくさんいて。
……それでも。

「校歌、斉唱」

あの頃は良かったと、楽しかったと言える時が来ると信じてる。
そんなに真面目に歌ったことのない校歌も、卒業式くらいはしっかり声を出してもいいと思った。










教室に戻り、証書をここで一人ずつ受け取る。
それから連絡事項と小話を担任がして、呆気なくホームルームが終わった。
途端に騒がしくなる室内。どうやら他のクラスもだいたい同じようなものらしい。

宴会だカラオケだ今日お前の家で徹夜な、などとところどころから聞こえる弾んだ言葉のどれにも構わずわたしは外に出た。
去り際、また会おうね、と友達との約束をして、つかさくんと一緒に校舎を後にする。
もう特別な用事でもない限り、来ることは二度とないだろう。少し寂しい気持ちにもなった。

「お昼はどうする?」
「軽いので済ませようぜ。できるだけ胃は空けとかないと勿体無い」

夜は渡利家、森夜家合同の夕食だ。「奮発するからねー」なんて両家の母が気合いを入れていたので楽しみにしている。
ただ、勢い余ってお母さんとおばさんが作り過ぎる可能性もあるので怖くもあったり。

「先輩っ! 卒業、おめでとうございます!」

……校門に差し掛かったところで、不意に声を掛けられた。
その方へと向いて、わたしは絶句する。目の前に立っていたのは、あの子だった。

「ああ、ありがとう、えっと…………」
「丹那です。丹那草歌」
「ごめん。名前だけ聞いてなかったね」
「いえ、言わなかった私も悪いので……」

そしてさらに驚いたのは、つかさくんが彼女を知っていることだ。
確かにどこかで会っていても不思議じゃないけど、微妙に親しげに話しているのが意外。
しかしどうしているんだろうかと思い、その表情を見てわたしは彼女がここに来た理由を察した。

「あ、あの。ちょっとだけお時間いいですか?」

真剣な色を含む問いかけに、断れないと判断したのか彼が大丈夫か、と訊いてきた。
わたしは何も言わずに頷いて、校舎の方へ戻っていくふたつの影を見送る。
彼の先を行く彼女の背中は……どこか、強かった。
きっとあの子は自分の気持ちを言葉にできるだろう。返ってくる答えがわかっていても。

違う場所で、違う立場で会えたなら、いい関係を築けたのかもしれない。
あるいはこれから、築けるのならいいと思う。

時間にすれば十分ほど。
戻ってきたのはつかさくんだけだった。予想できてたことだけれど。
何というか、彼は呆然としたような顔でわたしを見つめ、

「…………告白された」

わたしはひとこと、


「知ってる」


そう答えて、笑った。










春、日曜。
陽射しの心地良い晴れ空の下、人の流れを眺めながら冷たい柱に寄り掛かる。
駅前は相変わらずごちゃごちゃしてて、そして慌しい。

何故こんなところにいるのかというと、発端は一昨日。
大学から入学前に出た課題に鬱屈していた中、つかさくんが息抜きに遊びに行こうと提案した。
一応終わりは見えていたし、何より二人で出かけるのはご無沙汰だったのでわたしはすぐに飛びつき。
じゃあ日曜、駅前の時計下で待ち合わせ、と約束を交わした。

何をするのかは特に決めていない。
買い物するも良し、どこかでのんびりするのも良し、映画を見るのも良し。
全く計画性のない予定だけど、彼らしいと言えばらしい。それがデートのつもりでないところも。
ちなみに課題の方はというと、当日になって悩まされたくない一心で残りを片づけてしまった。
息抜きどころか見事な推進剤として機能してくれたのだから、効果は予想以上だったのかもしれない。

「………………」

見上げた先にある長針と短針は、一時と二十九分を指している。
彼の姿はまだない。それも当然、集合時間は二時だ。今来るのは早過ぎる。

初めつかさくんは十二時にしようと言った。
昼食を摂るのにちょうどいいし、食べ終わった頃には映画とかも見られるからと。
でも、わたしは午前中少し用事があるから二時にしてほしいと頼んだ。
なのに今、ここにわたしだけがいるのはどうしてか。

簡単なことだ。嘘をついたからである。
本当は用事なんてない。一時過ぎには既に着いていた。

……つかさくんは優しい。凄く優しい。
わたしを気遣ってくれる。大切に思ってくれている。
それが不満なわけじゃないんだけど、ただ、彼は時々いじわるだった。
子供扱いしたりして、何だか……そう、ずるいのだ。つかさくんばかりに主導権を握られてるようで。

だからこれは、抵抗であり、報復であり、ちょっとしたきっかけ。

あの子―――― 丹那さんが変わっていけたように。
わたしも変わっていきたいのだ。もっと強くなって、もっと近づくために。


午後一時三十九分。
途中まで歩いていたけど、わたしの姿を見て走ってきたつかさくんは「待たせたか?」と訊いてきた。
その問いにわたしは満面の笑みで答える。


「ううん、今来たよ」



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