緩やかに、緩やかに、わたしの意識が浮かび上がってくる。
まだ頭はぼんやりとするけれど、身体を起こして目を擦った。

「むにゃ…………」

ふぁぁ、と小さくあくび。
次第に世界が鮮明になって、物事を考える余裕が出てきた。
外は曇り。窓を閉めているのに、何だか凄く寒い。
昨日の天気予報で明日はここ一番の冷え込みになるでしょう、なんて言っていたのをうっすらと思い出す。

「んー……」

両手を天井に突き上げてバンザイするように伸びをひとつ。
しっかりと眠気を忘れてから目覚まし時計の方に視線を向けて、

「………………え? あれ?」

短針は8に限りなく近い手前、長針は11を少し過ぎた場所を指していた。
つまり、それは、えっと、えっと…………今、七時五十六分?


「ね、寝坊したよぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」


慌てて跳ね起きる。そのままの勢いでどたどたと廊下を突っ走り、リビングへ。
いつも通りというか朝食の類は何ひとつ用意されてなくて、わたしは泣きそうになる。

お父さんもお母さんも、朝は早い。
六時頃には家を出てしまうから、それより一時間近くも遅く起きるわたしのために朝食を作る時間はない。
当然起床予定時刻にぐっすりと寝こけていた娘を叩き起こせるはずもなく。
とにもかくにも大ピンチ。ゆっくり朝ごはん、とかやってる場合じゃない。
食パンを一枚オーブンに突っ込んで、焼き上がるまでの間に着替えを取りに行く。
部屋を往復してパジャマを脱いで洗濯機を回して、どうにか準備ができたのと同時にパンが焼き終わる。
冷蔵庫からアプリコットジャムと牛乳を出し、パンにジャムを塗りコップに牛乳を注いで簡易朝食の出来上がり。
はむ、と急いで食べ進める。五分くらいで何とか消化できた。
あとは洗面所の鏡相手に格闘。髪を梳いて顔を洗って歯磨きして。
全てが終わった頃には、八時十分を少し過ぎてしまっていた。

焦るあまりに靴がなかなか履けなくて、転びそうになりながらも玄関を飛び出す。
表に出れば、そこはいつもの風景。起床時に感じた肌寒さも、今は気にならなかった。

「……遅いぞー。もしかして寝坊でもした?」
「あ、えと、えと…………うん」
「マジか。珍しいなぁ、稚紗が寝坊なんて」
「うう、言わないでよぅ……」
「ま、いっか。急ごう」

そして、昨日と同じように、彼が待ってくれていた。
渡利つかさ。わたしの、幼馴染。

わたしは彼の背を追う形で走る。
歩幅が全然違うから、必死で頑張らないとすぐに離されてしまう。
学校までは歩いて十五分ほど。朝のホームルームが八時二十五分開始だから、結構際どい。

「はっ、はっ……」
「稚紗ー、大丈夫かー?」
「ら、らいひょうふぅ」
「舌回ってないぞー……」

言うや否や、ぐっと引っ張られた。
彼の左手がわたしの右手を掴んでる。風を切る音が聞こえる。
足がもつれながらも、せめて倒れないようにとわたしは駆けた。
流れていく景色が、普段の通学路に思えなかった。

息が苦しくて、少し辛かった、でも。
わたしは安心していたのだ。こんな風に続いていく日常に。

「…………………………」
「……い、生きてるか?」

……ここまでギリギリな登校風景は二度と見たいと思わないけれど。










「わ、忘れてた…………」

昼休みになって、とても重要なことに気づいた。
今日、わたしはお弁当を持ってきてない。
何故かといえば朝が慌し過ぎたからで、冷蔵庫に残り物は皆無だったのに一から作る時間なんてなかったわけで。
つまるところ、昼食がない。何にもない。

「稚紗ちゃん、どうしたのー?」
「あ、え? ううん、なんでもないよなんでも」

クラスメイトに話しかけられて、ついつい嘘をついてしまった。
気を遣われたくないし、わざわざ言うことでもないから。

「…………うぅ」

財布の中身を見て、溜め息。
持ち合わせは運悪く先日使ったばかりでほぼゼロ。パンのひとつもこれじゃ買えない。
くぅ、と小さくお腹が鳴る。わたしはそんなに食べる方じゃないけど、何もないのはやっぱり辛い。
とりあえず空腹が収まるまでの辛抱だ、と目を閉じてぐったりしていた時、どこからか足音が近づいてきた。
それはわたしの方に向かってきていて、ゆっくり身体を起こしそっちを見ると、

「……つかさくん?」
「稚紗、昼、一緒に食べないか?」

つかさくんが弁当を片手に立っていた。
普段彼は仲の良い男子生徒達と昼食を共にしている。
わたしも女子の輪の中で食べることが多く、あまり二人で、という日はない。

本当はすぐに頷いてしまいたかった。
でもそのためには、わたし自身の分がないといけないから。
心配させるのが嫌で言いたくなかったけど、わたしは朝の顛末をかいつまんで話す。

「それで、今日はお弁当作ってきてないの。ごめんね……」
「……だからだよ」
「え?」
「お前が寝坊したって言ってたから、もしかしたらと思って。そしたら案の定飯がないみたいで」
「あぅ…………」
「……今日は俺、あんまり食欲ないんだ。少しだけど、それでいいなら分けてやる」
「…………本当に? 本当に、いいの?」
「遠慮なんかするなよ。いるのか、いらないのか」
「じゃあ、ちょっとだけ……お願い」

そう言ってお弁当の箱を差し出す彼はそっぽを向いていた。
わたしはありがとう、と呟いて箸を借りる。おかずもごはんも半分近く残っていて、お腹が膨れるには十分過ぎるほど。

「ごちそうさまでした」

きちんと箸を仕舞い畳んで弁当箱を返す。
それから、ごめんなさい、と口にした。迷惑かけちゃったよね、と。

「そう思うなら、今度埋め合わせでもしてくれればいいよ」
「……うん。わかった」
「んじゃ、放課後な」

自席に戻っていく姿を見つめる。
その背中が心なしか力抜けているように感じるのは、長年の付き合いの賜物だろう。
食欲がないというのは嘘に違いない。気遣われたとわかると、凄く申し訳ない気持ちになる。

……だけど、やっぱり、嬉しかった。


こんな自分は勝手かもしれないと思いながら。
『おかえし』は何がいいかを考えることで、今日の時間はあっという間に過ぎていった。


next