―――― 懐かしい夢を見た。 私がまだ幼かった頃の記憶。 たった一人の友達が、私にとっての全てだった。 その背を追い、手を繋ぎ、いつまでも一緒にいたいと思っていた。 いつまでも一緒に、いられると思っていた。 でも、繋がりは失われてしまった。 あまりにも呆気なく、途切れてしまった。 出会ってからそれまで、求め合い通わせた心と心は近づき過ぎた。 別れの瞬間が想像できないほどに。終わりの時を受け入れられないほどに。 だから、あまりにもそれは辛く哀しく痛かった。 以来もう二度と、他人の心に踏み込むことがないように、と。 私は泣きながら、自分自身に誓ったのだ。 ―――― 懐かしい夢だった。 とても些細で、傍から見れば馬鹿馬鹿しく思えるような、そんな昔の話。 「……そっかぁ。おばあちゃんの遺言、ね」 帰路の途中、私は彼女に言わずにいたことを全て話した。 来るはずのない人からの手紙。願われた行き先。多くの疑問とその答え。 そして、祖母といた頃のたくさんの思い出。 彼女は何を返すでもなく、時には頷き、時には不思議そうな顔をし、けれど一度たりとも嫌悪の色を見せなかった。 最後、件の手紙の実物を見せると、苦笑の声を聞いた。 「いこいちゃん、おばあちゃんに愛されてたんだね。よくわかる」 「そ、そう……かな?」 「うん。間違いないよ。普通こんな手の込んだことしないだろうし」 「……だね」 「素敵な人だなぁ。あたしも一度会ってお話してみたかったなぁ」 「私も、もう一度会いたい。当たり前のようにいてくれたから、いなくなると、声、こんなに聞きたくなるんだね」 「おばあちゃんはいこいちゃんから見て、どんな人だった?」 思い出す。 縁側。桜の花びら。風鈴とうちわ。どこかの紅葉。雪と足跡。 厳しいことも言われて、謎掛けみたいな言葉もあって、でもいつも、さよならの前に、また来なさい、と微笑んでくれた。 自分のために嘘をついた。 他人のために嘘をついた。 傷つけないように遠ざかって。 傷つかないように距離を取って。 今になって気づく。 きっと祖母は、そんな私の生き方を見抜いていたんだろう。 誰の間にも、そう、祖母との間にもあった境界線を、知っていたんだろう。 勝てないなぁ、と思う。 もう二度と比較はできないのだから、それこそ永遠に負けっぱなしだ。 ―――― でも、いつか胸を張れるようには、なりたい。 ちらり、前を歩く彼女の横顔を目に焼きつける。 凛々しくも可愛くも何ともない、特別でもない、そんな私の友達。 ……どうしてあたしなん? 友達、他にもいたでしょ? 行きの電車で訊いた疑問の言葉。 その答えを、今なら用意できた。 「そうだね……根岸さんに、ちょっと、似てる」 「え? あたしに? ……どの辺ですか」 「教えなーい」 「な、なにそれー! ほとんど生殺しだよー! 気ーにーなーるー!」 ……歩み寄ってほしい、と言った彼女は。 いつかの祖母と、同じ表情をしてたから。 この人なら私の手を引いてくれるって、どこかで信じていたんだ。 「根岸さん」 「ん?」 「私、根岸さんとここまで来れて、よかった」 「…………あたしも」 空を見上げる。 その彼方に祖母がいるかどうかなんてわからないけど、もし、もしいるのなら。 今の私が、見えていてほしい。私の声が、聞こえていてほしい。 すぅー、と思いっきり息を吸い、 「おばあちゃーんっ! わたしー、見つけたからねーっ!」 叫びは、遠く響く木霊となった。 私は彼女と一緒に、ただ、笑い合った。 「ただいまー」 「おかえり。旅行は楽しかった?」 「うん。……すっごく、いい経験だった」 「そう。じゃあ、洗濯物は自分でお願いね。これからちょっと買い物に出るから」 「はーい」 自宅に着いたのは二時頃。 会話もそこそこに母が出かけ、帰ってすぐ家には私一人になった。 とりあえず洗濯物を全部洗濯機に突っ込み、スイッチを入れて動かす。 ういんういんと音を立てるのを確認してから、荷物をひとつひとつ取り出し、仕舞っていく。 あらかた片づけ終わり、鞄とナップザックを畳んで収納、それから自分の部屋に戻った。 割と疲れが溜まっているのか、随分と瞼が重い。 夜になるまで一眠りしようと目覚まし時計を手に取ろうとして、机の上に薄い物が乗っているのに気づいた。 「…………え?」 それは、手紙だった。 ほんの数日前に見た封筒。形も、色も、全く違いはない。 祖母からだという確信にも似た予想を抱きつつ、封を開ける。 ……出てきたのは、押し花の栞がひとつ。 その栞に使われている花は、あの花畑で見た種類だ。 「……おばあちゃん」 きっとこれは、祖母にとって、とてもとても大切なものだったんだろう。 何となくそう思う。私が受け取っていいんだろうか、とも。 少し、戸惑い。 そっと、傷つけないように持って、机の引き出しに仕舞った。 いつか消えていくこともあるけど、この確かな形は絶対に失くならない。 いつか変わっていくこともあるけど、私の名を呼んだ、あの優しい声を忘れない。 ふたつの手紙も一緒に仕舞おうとまず机の上のを右手で取って、 ぽとり。 小さな紙が一枚、落ちた。 拾い上げてみるとそれは便箋で、表には何も書いてない。 そして、うっすらと透ける黒の文字色。 疑問に感じながら引っ繰り返した手紙の裏には、 「…………ぷっ、あ、あははははっ!」 私は思いっきり、思いっきり笑った。 ―――― 本当。最後の最後まで、祖母らしい。 ありがとう、と。 小さく、随分と遅い別れの言葉を呟いた。 もっと 祖母が残した、そんなひとこと。 それが何より私には、嬉しかった。 back|index |