プリントを、取りに来たのだった。 明日中に提出しなければならない数学の宿題で、量もそれなりに多い。 次の日の朝、登校してからささっとできるのなら机の中に入れっぱなしでも構わないが、勿論そうはいかない。 あの先生怖いんだよなあ、と提出しなかった時向けられるであろう冷たい瞳を想像し、 入学してまだ六日、そんな早々に目をつけられたくはない。 「よし、ちゃんとあるね」 下校時刻も程近く、もう誰も残っていない静かな教室で、自分の机に手を突っ込む。 数枚の紙を取り出し、それがお目当てのものであることを確認して、一息吐いた。 「……あ、鞄忘れた」 生憎家に帰ってから気づいたので、プリントを仕舞えるような物は持ってきていない。手ぶらだ。 何かちょうどいい袋はないかと教室内を探してみるが、見つからず、 仕方なくくるりと丸めてその辺にあった輪ゴムで止め、素手で持って帰ることにする。 破れるとさすがに困るが、少しくらい折れ曲がってもいいだろう。 元々プリントなんて折って仕舞う物だし、濡らしたりしなければ大丈夫。 むしろ帰ってから問題を解く方が大変だよね、と苦笑し、奏は教室を出た。 六時半。そろそろ陽も沈み終わり、夜になる時間帯だ。最近物騒な話は聞かないが、 心配させるのも嫌だし早く帰ろう、そう思い、僅かに足を速める。階段目指して歩いていた時、ふと、奏は細い音を耳にした。 気のせいでなければ……その音は、今自分が通り過ぎようとしていた教室の扉向こうから聞こえてきた。 そこで無視をしても良かったのだが、何となく、近づいてそっとドアに張りつき、息を潜めてみる。より鮮明に届く音。 それは、旋律だった。小さく、拙いながらもすっと通る、どこか優しげな声。 幼さを含んだ無垢な少年の印象を受けるファルセット。微か過ぎて歌詞の内容まではわからない。 ただ、曲調からして奏の知らない、どこか郷愁を誘う、そんな歌だった。 「………………」 もしその歌声が、何かの片手間に口ずさむような鼻歌だったなら、奏の足は止まらなかっただろう。 しかし、目を閉じて奏は聴き入っていた。 ……すごく、楽しそうに歌ってる。 まるで……歌えることが幸せだと言わんばかりに。 誰に聞かせるでもない、自分が歌いたいから歌う。そういう気持ちが歌声を通して、伝わってくる。 上手さ、下手さの問題ではない。心持ちだ。 本当に、歌が好きでなければ、そんな風には歌えないのだから。 だから。 思わず。 奏は目の前の引き戸を開けてしまった。 後先は……考えていなかった。 「…………え?」 少年の、驚いたような声が響く。 西陽が射し込む教室の中で、出会った二人。 それが始まりだった。 何かあったらどーぞ。 |