欲求不満、というわけではないのです。 ライナーはいつも優しくしてくれますし、毎日が満ち足りています。 ですが―――― 「……最近、ダイブしてもらってない」 私にはコスモスフィアがないため、詩魔法を覚えるためにダイブする必要はありません。 バイナリ野に私の心は存在せず、ただ無機質な空間が広がっているだけ。 何の目的もなく入り込んでも面白いものは何もないのですから、仕方ないのかもしれませんが。 しかし、やっぱりたまには確かめてもらわないと不安になると言いますか、ああもう! どうして結婚したのにこんな悩みを持たなければならないのですかっ。 「次の、仮想世界を考えなければいけませんね……」 塔内に眠っている無数のデータ、そのうちのいくつか、仮想世界プログラム。 片手で数えられるくらいはライナーと遊んでみましたが、大半が物語の指向を持っていて、 仮想体験をするには充分であっても、自由度が些か足りないと感じました。 謂わば、なりきりの世界。絵本や小説の登場人物になるようなものです。 それもいいのですが、今回私は、何か別のアプローチがないかと思ったのです。 必ず既存のデータを使わなければならない、という規則はありません。 かつてミュールがやったように、新しくプログラムを組み、それで遊ぶのもまたひとつの選択肢でしょう。 では、例えばその方法を取るとして、どんなものを作るか。 私はそこで、足止めを喰らっているのでした。 「ホラーチックに……いやそれは私が怖いし……学園物は……ううん、もう二回もやったもの……」 一から作るというのは、とても難しいことです。 ミュールの手腕に対する評価を上方に修正しつつ、頭を捻ります。 何か、ライナーをあっと言わせるような発想はないのでしょうか。 「…………ん?」 ふと、今私がベッドの中で抱いているぬいぐるみに意識が向きました。 白くふわふわな身体、つぶらな紅い瞳、ぴょこんと飛び出たふたつの耳。私の大好きなうさこ。 この子が動いている様子を、言語を解し私に話しかけてくる姿を想像して、 「ああっ!」 その時私の脳内に、閃光が走りました。 糸口を掴んだような気がします。動くうさこ。喋るうさこ。マスコットキャラクター。 起き上がり、ペンを取り机に向かいます。忘れないうちにメモしておく必要がありそうでした。 どれだけ構成に時間が掛かるのかはわかりません。が、素敵な世界が作れそうだと、不思議な確信が持てました。 ミュールの協力も不可欠でしょう。 さて、どう説得したものかと、そんなことを考えながら、夜は更けていくのでした。 「そういえば、シュレリアと来るのは久しぶりだなー……」 「うん、だからかな……ちょっとどきどきしてる」 未だに昔の癖、私に対する敬語は抜け切れていませんが、ライナーは私をちゃんと、名前で呼んでくれるようになりました。 仕事の場では公私を弁え、上司と部下の間柄を保っていますが、それも人目がある時だけ。 その辺りの切り替えはなかなか難しいとは思います。でも、やっぱり私はライナーには、呼び捨てにしてほしいですから。 でないと、その……もう結婚して夫婦ですし、あれからも何度か……しちゃってますし。 目に見える実感は、ないよりあった方が、当然ながらいいのです。呼び名然り、口調も然り。 ダイブ屋に入ると、室内のほとんどを占拠する機械が私達を迎えます。 何度見てもその大きさに圧倒されてしまいますが、懐かしい、という思いを少しばかり抱くのは、 前に来てからの時間経過が長期に亘るからなのでしょう。結婚式の後も色々と慌しかったですし、尚更です。 ……今回、ライナーにはダイブをしよう、という提案しかしていません。 仮想世界の内容に関しても、わざと前情報は教えませんでした。 知らない方が楽しめる、というのがひとつ。 そしてもうひとつ、ミュールとの共同作成プログラムを見て、驚いてほしいという思惑があってのことです。 私はライナーがするであろう反応を想像し、小さく笑みをこぼしました。 「どうしまし……ああ、いや、どうしたんだ? いきなり笑って」 「ううん、何でもないよ。さ、早くダイブしよう」 早速危うくも敬語を口にしかけたことは不問。 一瞬、怪訝な顔を浮かべましたが、ライナーの表情はまあいいか、というようにいつもの暢気なものへと戻りました。 着々と準備を進め、機械に身を収めた私と外のライナーは、束の間の別れをします。 ―――― 意識の断絶は、ほんの僅かな間。 気付けばそこは無の空間、データの世界、バイナリ野でした。 「……相変わらず何もないなぁ」 そんなライナーのひとことを耳にして、私は苦笑。 それからちょっと待ってて、と告げ、検索を開始します。 細かい条件付けが可能な今回は、発見も容易。すぐに該当のファイルを見つけられました。 「ライナー、準備はいいよね?」 「いつでも大丈夫」 「わかった。それじゃあ、起動するよ」 私の指示に従い、膨大な量のデータが展開します。 バイナリ野内の領域を使って、仮想世界を構築。形作られるのは箱庭の空間。 一度自分で試してはみましたが、ライナーが驚いてくれるかどうか、それは実際入ってみないとわかりません。 少しの期待と、稚気めいた好奇心を以って、私の意識は仮想世界への侵入を果たしました。 「…………ん」 閉じていた目を開きます。 肌に感じる大気。微かな、色々なものが混じった匂い。 全ては幻の感覚ですが、何度体験してもリアルなものだと思います。 「あ、あの……シュレリア様?」 「何?」 「これって……え? ええ?」 隣に立つライナーの表情は、呆然と言える色が濃く。 本日二回目の敬語口調も、どれだけびっくりしてるかが如実に現れていて、私は満足感を得ました。 とん、と眼前の光景を背に、私はライナーの正面まで跳ね、両手を後ろで組んで。 「ようこそ、空想うさぎーらんどへ!」 私はミュールと共同で作成した―――― 過去のソル・シエールでは遊園地と呼ばれていた、 超巨大娯楽施設をモデルにした世界の名を口にしたのでした。 index|next |