柊浦市の外れ、山々の間。
 そこは、都市部との距離がおよそ20kmで、そこへ行く道路も碌に整備されていなかった。つまり一言で言って田舎だった。

 その地域を南浦という。



 殆どの人々が自営業を営む、長閑な山間の村。



 その南浦の、また外れの方。山に続いている小高い丘の上の一軒家の、あるひとつの部屋。


 その部屋はたたみ8畳ほどの広さで、ベット、箪笥、照明などの家具は全部揃っている。
 今は夜だからカーテンは閉められているが、その大きな東向きの出窓からは、陽が昇れば大量の朝日が射し込んでくることであろう。

 清々しい気分で朝を迎えることは、生きていることの励みになる。
 だから、"そういうこと" の為の工夫が、この部屋、いやこの家にはたくさん凝らされていた。



 つまり、この家には病人がいるということだ。










    I'm looking forward to your reply ...











 その部屋には少女がいた。いや、15歳だから微妙な年頃なのだが……まぁ、少女としておこう。
 少女の名前は藤崎小夜[ふじさき こよる]。彼女は今、自分のベッドの上に座っている。

 栗毛色の肩よりちょっと下まで伸びた髪の毛は、今は結ばれることもなくそのまま遊ばせてある。
 夏の名残の半袖パジャマは、もう何年も着続けているので少し熟れていた。そのアイボリー地にキャロットカラーのシンプルなチェックの柄は、「はなやか」なものが多い彼女の服の中では、珍しく「元気なイメージ」のあるもので、それで彼女はこのパジャマを気に入っていて、どうにも捨てられずにいるのだ。
 背は150cm ほど、やはり病人故か、少しだけ痩せているように見える。
 瞳にはまだあどけなさが垣間見えるのだが、目鼻立ちはすっきりとしていた。十人のうちの十人が「可愛い」と判断するような、そんな容姿の少女だ。

 そんな少女、小夜は、ベッドの上ですぐ隣の壁に寄りかかりつつ、手紙を読んでいた。

 浅葱色の便箋の上に走る、鉛筆の素っ気ない、けれど丁寧な文字。
 もう何度も繰り返して呼んでいるので小夜はすっかりその内容を覚えてしまっていたが、それでも、一字一句丁寧に目を通している。

 便箋は一枚だけではなかった。ベッドの上には、前後も分からなくなってしまうほどに散らばっているものや、封筒から僅かに顔を覗かせたものなどがいくつか散乱していた。


 すべて、これまでに家族から届いた手紙の中の一部である。





 彼女がここ、南浦のはずれの小高い丘の上の一軒家に来たのは、もう随分昔のことである。
 生まれつき体が弱かった彼女に対して、5歳の時に医師が下した判断は "郊外で療養すれば良くなる" だった。
 "治る" と言い切らず "良くなる" という医者の表現のとおり、それは特効薬ではなかった。体調は次第に回復しているが、此処に来てから、もう10年も経ってしまったのだ。

 家族は仕事の都合を理由に南浦に引っ越すことを断念していた。だから小夜は、今も、この家に家政婦と二人暮らしをしている。
 長い休みになると家族はやって来るが、それ以外ではあまり姿を見せることはない。

 だから彼女にとって、その手紙だけが、日常に於ての唯一の家族との繋がりのようなものだったのだ。































 一通り目を通した私は、そう言えば、最後に貰ったお手紙の返事を書いていないな、ということを思い出した。

 一昨日届いたのだから一昨日書けばよかったんだけど、残念なことに、一昨日は少し体調が優れなかった。それで、ベッドに寝ているだけで一日が終わってしまったんだっけ。
 いけない、急いで書かなくちゃ、と私は体を起こす。今日はそんなに辛くないから。少しぐらい騒いでも大丈夫。

 お返事も、手紙と同じ、兄さんがいつも買ってきてくれる浅葱色の便箋に書く。
 浅葱色は叶わない願いを叶えてくれる色だと兄さんは言っていた。私は兄さんを信じてるから、この便箋が大好き。

 私は私の椅子に座る。毎年高さを合わせてもらっているから、全然つらくない。
 引き出しから新しい便箋とペン、インク壺を取り出す。いつからか私はこんなペンを使って手紙を書くようになってた。


「えっと……そろそろ夏も終わりますね。どうですか、元気ですか? ……私は、一昨日はちょっと寝込んでしまいましたが、でも、とても元気です……」


 私は手紙に嘘を書いたことはなかった。こんなコトを書いたら心配するかもしれない、けど、私は、私のことをきちんと知っておいてほしい。
 私のこと、忘れてないかな?
 私の顔も、私の声も、好きなものも、嫌いなものも、全部、ぜんぶ――――

 父さんや母さん、兄さんが、忘れたりするはずがないって、私は信じてる。だから私は、精一杯、私であり続けたいんだ。


「小夜さん」

 ドアをノックする音と、私を呼ぶ声が聞こえた。私の世話をしてくれている真依さんの声だ。
 私が返事をするとドアが開いた。真依さんは、盆に薬と水の入ったグラスを乗せて持ってきてくれた。そうだ、そろそろお薬の時間だったっけ。

「……あまり根を詰めては、ダメですよ」

 私が手紙を書いていたのを見て、さりげなく真依さんはそう言った。一昨日のことがまだ心に残っているんだと思う。

「はい。わかってます。でも、大丈夫ですから」

 だから私は元気に笑って盆を受け取った。真依さんも私の姿に微笑んでくれた。

 真依さんはまだ若い女の人で、今年の春から此処に住み込んで働いてくれている。明るくて、気立てがよくて、ちょっとだけおっちょこちょいな可愛いひと。
 その前までいてくれた千枝子さんの職場での後輩で、私のことを聞いて、千枝子さんがさって言ってしまうなら自分が代わりに、と名乗り出てくれた、ありがたいひと。
 まだ半年だけど、真依さんの笑顔は私を何度も助けてくれた。すごく嬉しい。そして、すごく幸せ。



 10分ほど真依さんとお喋りをする。私は一日中真依さんとお喋りしているのだが、真依さんは辛くないのかな、とかときどき思う。
 私と違っていろいろな事を気にかけながら、そのうえ私の世話をしているのだから、本当にすごい。










 「それでは、おやすみなさい」と、真依さんが部屋を去った後、私はもう少しだけ手紙を書く。
 明日手紙を届けにきてくれたら封筒を渡そうと思っていた。あの人なら、たとえ渡す手紙がなくても寄ってくれるだろうし。

 そこまで考えていて、そのひとのことを手紙に書きたくなった。


「……兄さん。兄さんはいつも、どんなふうに手紙を出していますか? ポストに投函しているのでしょうか。
 知っていると思うけど、私のいる此処では、たった一人の郵便屋さんがみんなのお手紙を毎日配っています。ボブカットの似合う、かっこいいひとです。そのひとは、手紙を届けるときに、逆にみんなから届けてほしい手紙を預かってくれるのです。
 そのひとは『どうせ出向くんだから、ついでにその場で受け取ってもいいだろう』と言って仕事をこなしてくれるのです。かっこいいですよね。だから、そのひとのうしろの荷台の中には、切手や消印判子まで入ってるんですよ」


 そこまで書いたら、いちどうーんっと背中を伸ばす。そのひと……穂積さんを思い出した。
 強い瞳をしたひとだった。なんで南浦で仕事をしているのか解らないけど、穂積さんも、やっぱり南浦から必要とされてるひとだと思う。
 『小夜さんの紅茶は美味しいな』って前に来たときに褒めてくれたから、それ以来私が紅茶を淹れることに凝っているのは、私と真依さんだけの秘密。
 穂積さんには何度お礼を言っても足りないと思う。だって、普通はこんな田舎では郵便なんか届かないでしょうに。



「…………手紙って、すごいですよね。離れていても、ちゃんと気持ちが伝わるんです。兄さんから新しい手紙が届く度にそう思います。
 私はそんな手紙が好きです。そして、そんな手紙をちゃんと運んでくれる郵便屋さんがすごく偉いと思います。だって郵便屋さんがここまで来てくれなかったら、こうして手紙を出すこともままならないんですよ?」


 ふと時計を見たら10時を回っていた。わ、意外と遅くなってしまった。
 いつも9時ちょっと過ぎには寝ているんだけど……いちどバランスを崩すといけないから、急いで寝ようと思った。


 そこから終わりの挨拶を書いて、一通り読み直して、宛先を書いて、封筒に入れて、それを机の上に置いたまま私はベッドに戻る。
 ベッドの上の便箋をきちんと片付けてから私は横になって、目を瞑った。





 季節は夏の終わり。秋の始まり。
 南浦の秋は、朝霧がとても綺麗だ。季節が代わると気候もがらりと変わるので、10月上旬で真っ赤な紅葉を愉しめる。

 今年もそんな季節が来るんだなと思いながら、意識は眠りの中に落ちていった。
















 にょわっ! 風疾です。

 ようやく完成しました。小夜さん話……まぁ、プロローグよりももっと前の話、とでも言いましょうか。
 頑張ってらぶりーに仕上げましたが、どうなっているかは謎です(何
 むしろ伏線というか本編の補足と言うか方向性と言うか……そう言うのが滲み出てますね(汗
 まぁ、読んで頂ければ幸いですよー

 季節ネタに便乗したいので、本編は暫く凍結してしまいます。秋を待ってくださいね。

 では。風疾でした。心一さんどうぞー♪










2003/06/10











はいはーい、こちら神海ですー♪
秋弍さんから戴きました、『浅葱色の便箋』より藤崎小夜さん話。
私が思いっきり惚れ込んだ、私的最強ヒロインの名を欲しいままにしている彼女なんですが(ぉ
一挙一動、言葉遣いに地の文まで、嗚呼もう素晴らしきかな。
学校にて『便箋』を読む度に授業中でも関係なく悶えてる私ですが(嫌)、ありがとう秋弍さん、これだけで一ヶ月生きていけます(マテ

ではでは、秋弍さんありがとうございましたー。