起きる。
朝を告げる太陽が、安物のカーテンを通して目覚ましがわりになってくれた。
時刻は現在9時20分。目覚めは悪くなかった。






今日こそはどうしても仕事を見つけなければいけない。
自分はお金に執着しない人間のつもりではあるが、先立つものがなければどうしようもない。
前の街で稼いだお金だって、そう多くはない。すぐに尽きてしまう。
仕事を探す兼このあたりの地理を知るということで、外へ繰り出してみた。






晴れの日に歩くということは、何とも当たり前のことである。
でも、僕にとっては日々を過ごすための重要な要素となっている。ギターにはかなわないけど。
自然は、感じるものであってほしい。この街は、今までの場所に比べてそういう点で単純にいいと思った。












5分ほど歩いてみると、小さな喫茶店が立っていた。店の後ろのほうには綺麗な花が花壇に並んで咲いている。
ちょうどいい、喉も少し渇いてきた。普段なら自動販売機ですます所だが、今日もなかなか日差しが強い。
せっかくだから休ませてもらおう。




ドアを開けると、喫茶店独特の鈴の音。ほのかにコーヒーの香りがする。
「いらっしゃいませー」どうやらこの店のマスターらしき男の人が挨拶をして近づいてくる。
「あなたは初めてかな?うちにくるのは。どうも人の顔を覚えるのが癖になっちゃってねー。
何にしますか?いや、ちょっとまって。せっかくだから僕に予想させてもらおう。う〜ん・・・
君はどことなく渋い感じがするからキリマンジャロのブラック?いや待てよ、それならダージリンのほうがぴったりかな・・・
さすがに緑茶とかはないよね。それはうちにおいてないんだけど。意表をついてオレンジジュースとか?」
次々とありとあらゆる飲み物の名前が出てくる。やはりこの男の人はマスターらしい。


「・・・よし、君のご所望はブルーマウンテンじゃないかい?。そうだろう?」
しばらくしてそう彼が強い勢いで聞いてきたので、思わずうなずいてしまった。
「やっぱりねー、そうだと思ったんだよ。長年この仕事やってるとね、お客さんそのものをみるようになってくるんだ。
だから、好みくらい見た目で分からないとプロとは言えないんだよ。でも君は特に当てるのが難しかったね」
そう僕に話しかけながらコーヒーを淹れてくれる。すごくいい香りがしてきた。
あまりにも嬉しそうに淹れてくれるので黙ってそれを見ている。
言えるわけがない。最初はオレンジジュースを飲もうとしてこの店に入ってきたなんて。













何となくで頼んでしまったコーヒーだったが、味は文句なくおいしかった。
普段はあまり飲まないほうだけれど、ここのコーヒーなら飲んでもいいかなと思ってしまう。
僕がコーヒーを飲んでいる間にも、マスターは嬉々として話しかけてきた。
「この店の名前って聞いたことないだろう?wisteriaっていうのはフジの花のことなんだ。
最初店を建てるときから植物の名前がいいとは思っていたんだけどね。
ここは楓街だから、maple treeっていうのは一番に考えたんだけど、それじゃああんまりにもそのまんまだし。
なるべく、新鮮な感じの名前にしたくて、この名前に落ち着いたってわけ。」


「君は、最近ここに来たんだろ?定住するのかい?」そう聞いてきたので首を振って意思表示をした。
「そうか、残念だなぁ。ここは、住むにはとてもいい所だと思うよ。晴天率も高いし、自然に恵まれてるし。
まあ、君の人生だから好きにやればいいけどさ」自分にもコーヒーを淹れながらも言う。


ゆっくりとコーヒーの味を確かめながら彼の話を聞いていると、彼の口から気になる言葉が出た。
「君は仕事とかはもう見つけたのかな?もしそうでなかったら・・・いやできたらでいいんだけど・・・
ここで働いてはくれないかい?実はこの店は私が一人で切り盛りしていてね。
本当は周りに高校生とか人はいるにはいるんだけど、こちらの事情であんまり雇いたくなくてね。
そうは言っても仕事は結構あるし・・・どうだろうか?考えてみてはくれない?
長くはやらなくてもいい。君がやりたい期間だけでもいいよ。」

こちらとしては願ったりだ。
懐に忍ばせておいているメモ帳とボールペンを取り出し、急いで書いた。
[お世話になります]
すると、彼は笑顔で、
「そうか!なら君を正式な従業員として今任命しちゃうね。いや〜良かった良かった。
一時はこの店閉めようとまで考えたんだけどね。そうしなくてもよさそうだ」
彼はうれしそうだった。が、僕には嬉しさと同時に不安もあった。―――――迂闊に返事をしてしまった。
そう自分を苦々しく思った。彼には伝えねばなるまい。



[僕は見ての通り言葉がしゃべれません。子供のときからそうなんです。
だから今まで僕は客商売の仕事は経験がない。普通喫茶店では働けないと思うのですが]
そう伝えると、彼は笑ってこう言った。
「いや、いいんだよ別に。確かにお客さんはにぎやかな人も多いし、話し相手をするのも立派な仕事だ。
でもそれは僕が引き受ける。元々、口はよく回るほうだからね。
君は、飲み物とか料理とかを作ってくれればいい。あ、あとで僕が作り方は教えるから」






残りのコーヒーを流し込み、マスターに挨拶をして、店を出る。
そういえば、午後の予定は何も決めていなかった。どうしようか。





ギター、かな。やっぱり。