○かわいい10のお題
Cosmos から拝借)



1、屋根の上の小鳥(神戸小鳥)
2、空を指差す君(天王寺瑚太朗、此花ルチア)
3、二人、連れ添って(天王寺瑚太朗、中津静流)
4、冗談言って互いに傷つく(天王寺瑚太朗、此花ルチア)
5、亀を模したメロンパン(天王寺瑚太朗、鳳ちはや)
6、走り去った子供(中津静流)
7、眠る姿(天王寺瑚太朗、千里朱音)
8、駆け回る犬(神戸小鳥、天王寺瑚太朗)
9、小さな手足、一生懸命な説明(千里朱音、天王寺瑚太朗、しまこ)
10、腕の中の仔猫(天王寺瑚太朗、鳳ちはや)





1、屋根の上の小鳥


 同調した視界に自分の姿を見て、あたしはようやく集中を解いた。
 羽ばたきの音と共に、黄金の鳥が肩に留まる。人差し指で嘴に触れると、爪の先を軽くつついてから、近くの家屋の屋根へと飛び移り、そしてそのまま砂のように崩れ去った。
 契約を維持するのも、もう辛い。

「……瑚太朗君、頑張ってたなあ」

 滅びの歌は、今も鳴り響いている。
 それは鍵の力でありながら、人が齎した救済だ。
 あの日、あたしの手を離れた鍵は、確かに死んだ。視覚共有をさせた物見鳥で見つけた時には既に、ほとんど身体も崩壊しかかってた。
 鍵を背負って運んでたのは、瑚太朗君。
 その瑚太朗君に指示を出してたのは、おそらく会長さん。
 二人が大きな組織に所属してるということはすぐわかった。森では鍵をめぐっていつも二通りの人達が小競り合いを起こしていたから。
 オカ研のみんなも、きっと、そうだったんだろう。
 平穏な日常を失って初めて気付いたのは、瑚太朗君だけじゃない。あたしが否応なくドルイドとして生きなきゃいけなかったように、瑚太朗君もまた巻き込まれ、そして選んだ。
 会長さんと一緒にいること。
 本当は危ない目になんて遭ってほしくなかったけど、瑚太朗君自身の選択だ。否定できるわけない。
 だから、せめて幸せでいて、と願った。
 願ったのに。
 世界は滅びかけてて、瑚太朗君は必死に戦ってる。
 いろんなものと。理不尽と。
 あたしはまだ少しだけ残っているパワースポットのエネルギーと、自分の命を使って、いくらかの契約を維持していた。お父さんとお母さん。ちびもす。宿り木の知識で作成した特殊な物見鳥と、瑚太朗君の命を繋ぐもの。
 鍵がいなくなった今、約定を果たす理由はない。帰る場所も、使命もなくなったあたしが、それでもここにいるのは、瑚太朗君のためだった。
 役には立てた。今日までに消費した命は、決して少なくない。仮に世界が終わらなくても、あたしはたぶん、そう長く生きられないだろう。
 けど、それじゃ駄目。
 瑚太朗君との契約はまだ続いてる。
 あたしが死ねば、瑚太朗君も死んじゃう。

「大事なのは……諦めない、こと」

 チャンスは、この時しかなかった。
 街は木々に侵食されている。コンクリートの建物を貫き、固い大地を裂き、生きてる人も死んでる人も飲み込んで、全てを自然に還そうとしている。
 それはおそらく、通常の腐敗では有り得ない、命の転換だ。
 飲まれた生命は樹へと変ずる。
 転換した命は、別の形になって残る。

「見守れないのは、さみしいけど」

 あたしがいなくても、大丈夫だよね。
 会長さんとふたりで、生きて。
 かつての“彼”じゃない、天王寺瑚太朗として。
 そのためなら――何だって、賭けてやる。

 やがて世界は変質する。
 朽ちた街の中に、他と寄り添わないひとつの樹木があった。
 そこから繋がる糸の先を知るものは、地上にはいない。





2、空を指差す君


「天王寺。あの星は何だろうか」
「えーっと……たぶんアルデバランってやつだ」

 シェルター生活もかなり続いて、最初の頃にあったようなわくわく感みたいなものもなくなってきたんだが。
 事前に西九条先生から話を聞いてて、正直結構楽しみにしていた。
 外界と隔絶したシェルター内では、空が見えない。
 万が一にもルチアの毒を外に漏らすわけにはいかないし、閉鎖空間からの脱走は俺達としても望むところじゃないのだ。しかもルチアは移動中でさえ、冷凍睡眠によって陽の光を見ることがない。
 そこで前のシェルターを後にした際、次の候補に上がったのが、今、目の前に広がる景色だった。
 プラネタリウムの技術を応用した、人工的な昼夜の再現。
 長くこういう場所で暮らしてきて実感したのは、元来人間は自然の中で生きるものだということだ。いくら順応性が高くとも、ストレスは溜まっていく。時間の経過を、時計の針と明かりの光量でしか知り得ないような状況に置かれ続けていると、空が恋しくなることも一度や二度じゃなかった。
 だからこそ、例え偽りだとわかっていても、一日の流れを肌で感じられるのは嬉しかった。
 最近はだんだん昼も夜も関係なく色々やったりしてたので、こりゃいかんと気を引き締め直すいい機会にもなった。
 いや、だってさ。
 可愛い彼女とずっとふたりきりってシチュエーションに放り込まれたら、そりゃ張り切っちゃうじゃん。
 有り体に言って、猿みたいに盛っていた。
 これでも思春期の男女ペアだ。
 原始的な欲求にだって負ける。
 しかしまあ、今日のところはお互い控えている。
 シェルターからシェルターへ、いくつもの国を渡り歩く途中、様々な場所の星空を目にすることはあった。
 が、そのどれとも微妙に違う。
 作られた天蓋、ともすれば綺麗過ぎる光の列。
 勿論俺もルチアもプラネタリウム的なのは初めてだった。
 実際の夜空を見る方がいいだろうに、それっぽい感じのラベルを貼り付けただけで、何だかデート気分になる。
 最近は非常に規則正しい生活(二十一時就寝六時起き)を営んでいたけれど、失いかけていたわくわく感が蘇って、結構目が冴えていた。
 西九条先生からもらった星座早見盤を片手に、あれは何だ、これは何だ、どこを結べば星座になるのか、なんてのをやり合って、互いに微妙な知識の無さを露呈したりもした。
 意外と星座って知らないもんだ。
 小学校で軽く触れた程度の俺だけでなく、どうやらガーディアンではそういうことを教わっていなかったらしいルチアも、随分素っ頓狂な推測をしてくれた。後で星座早見盤で確認して、照れ隠しにだいぶ殴られた。
 しかも途中からイチャイチャするのがメインになって、軽いスキンシップはものの五分で過剰なレベルに発展。
 結果、

「あ……っ、ま、待て瑚太朗、服が皺になるっ」
「今更だろそんなの。ルチアの嫌がりは口だけだよな」
「ち、ちが……ん、む……」

 キスひとつで、形ばかりの抵抗もなくなる。
 あとはもうなし崩しというか、うん。
 やっぱり新人類というより、猿かもしれない。
 翌朝、今度はしこたま殴られた。
 そういうところも可愛いんだけどさ。





3、二人、連れ添って


 鍵の救済なんてなかった。
 何だかんだで俺が一度死ぬことはなく、勿論静流が命の共有をして喋れなくなるなんてこともなく、拍子抜けするほどあっさり鍵はガーディアン側の誰かが殺して、いつの間にか全部終わってた。
 まあさすがにオカ研の面々が戻ってくるような、そういう都合の良過ぎる展開にはならなかったけど、充分だろう。百点満点とはいかないまでも、七十点くらいはくれるんじゃないかと思う。神様あたりが。
 退学扱いになっていたが、西九条先生に捻じ込んでもらって、幸いながら学園中退という情けない経歴を頂く事態は回避できた。一応超人なので、学園に行かなくても職には就けるんだが、やっぱり学生は本分を全うすべきだろう。
 というか。
 学園物なのに学内での恋愛成分が足りてない。
 もっとこう、二人で弁当あーんとか食べさせ合ったり、一緒に登校したり下校したり、放課後寄り道していちゃいちゃしたり、あるじゃん。大事じゃん。
 その手のことを、全然してこなかったと思うのだ。
 これは人生の七割を損してると言ってもいい。

「そんなわけで、俺は静流の家にやってきたのだ」
「コタロー、誰に話してる?」
「いや、喜びを画面の向こうのみんなに伝えたくて」

 メタるのもそこそこに、イン・ザ・静流宅である。
 双方合意の上で恋人関係になったにもかかわらず、まだ二度目。お互い一人暮らし(に近いん)だし、遠慮するような家族もいないんだからもうちょい積極的になるべきじゃないかということで訪問を取り付けた。
 相変わらず室内は些か寒々しいレイアウトだが、それもひとつの愛嬌だ。物がない分広く使えると考えれば、決して悪い話でもない。

「……前にコタローの部屋見て思ったけど」
「ん?」
「私の家、さっぷーけいだ」
「ああ……まあなあ」
「遊べるものとか全然ない」
「俺は静流がいればそれでいいよ」

 恥ずかしいことを言ったらぺしぺし叩かれた。
 どうにも照れ隠しが不器用である。
 嫌そうでないのは救いだ。

「しかし、とりあえずノープランで来ちゃいましたが、どーしたもんですかね。お静さんは意見あり?」

 ぶんぶん。
 正座姿で首を横に振られる。

「んでは僭越ながらわたくしにお任せを」
「何をするつもり?」
「ここはひとつ風呂で裸の付き合いなど」

 ぽかぽか。
 赤面する静流は可愛い。

「冗談はともかく」
「……顔が本気っぽかった」
「冗談はともかく! 恋人的なサムシングというか、ステップアップのためには、もっと肉体的な接触が必要ではなかと」
「肉体的」
「イエス」

 鸚鵡返しに首肯するや否や、一瞬で正座を解いた静流がいつの間にか背後に移り、両肩からこっちの胸に腕を回すようにして寄り掛かってきた。

「こんな感じ?」

 おおう……。
 なんかいいにおいがする。
 吐息も近いし、控えめなアレがアレでアレだ。
 非常に来るものがある。

「ベリーグッド」
「コタロー、英語あんまり上手くない」
「お静さんストレートにきついっす」
「私もあんまり上手くないから、一緒」
「海外とか行かなかったん? ガーディアンの活動で」
「ずっと日本。とーかがそうしてくれた」
「なるほど。あの人らしい」

 雑談を交えながら、胸前で重なる静流の手をそっと握ってみる。一瞬ぴくりとしたものの、すぐ大人しくなったので了承の意と取った。
 すべすべな手の甲を撫でさすり。
 女の子の手ってどうしてこんな可愛いのか。静流だけか。
 そこから腕を辿り、指先でつつ、となぞって、自分の肩辺りまで上る。柔らかい二の腕をちょんちょんつつき、そこで悪戯心が湧いた俺は、少しだけ身体を前に倒した。
 寄り掛かる重さの感覚が僅かに増す。

「っ!」

 上半身をバネのように跳ねさせ、こっちに身を預けきりだった静流を浮かせた。その隙を逃さず、畳を擦って全身から向き直る。で、キャッチ。
 眼前には、静流の驚いた顔。
 超近い。
 掴んでる両肩を離したら、たぶんそのままちゅーだ。
 というかちゅーした。
 ちょっとじたばたして、鼻から息をこぼして、あとは抵抗なし。
 思う存分堪能しました。

「……コタローはえっちだ」

 非難半分、恥じらい半分でそう言われ、唇ぺろっと舐めてにやついたらすげえ殴られた。
 からかうのは程々にしよう、と決めて、そこから夕食時まで、ずっといちゃいちゃしましたとさ。





4、冗談言って互いに傷つく


 ルチアが臍を曲げた。
 誰が悪いかと言えば間違いなく俺なんだが、ひとまず言い訳をさせてほしい。

「そういや最近、ちょっと太ったんじゃないのか?」
「太……!? 私は健康にも気を遣っているぞ。瑚太朗の錯覚だろう」
「でも、昨日の夜触ったお腹もぷにっとしてたし、ふとももの辺りも肉付き良くなってる気がらはどっ!」

 冗談のつもりで言ったのに、内臓ごと抉れそうなボディブローを頂戴することになった。
 3カウントでも立ち上がれない俺を見下ろし、据わった目で「ダイエット、しなければ……」と呟いてその場を去り。
 さっきからずっと、走り込みとかストレッチとかを一人で続けて、それに付き合おうとする俺を無視してくれている。
 単純ながら、これが結構傷つくのだ。
 女性に年齢と体重の話をしてはいけないという定説があるが、ルチアもご多分に漏れず、立派に女の子だったと言えるだろう。
 本当に言ったら絶対殴られるけど。
「悪かった」「ごめん」「デリカシー足りてなかったよな」なんてことをまとわりついて耳元で囁きまくったものの、頑固なルチアはスルーの姿勢を崩さなかった。
 その癖こっちが視線を外すと、拗ねたような表情でちらちら窺ってくるんだから、いじらしいっつーか。

「しかしまあ、どうしたもんかなー……」

 単純に謝って許してくれるかというと、正直微妙な気もする。とはいえふざけるのは論外(余計こじれる可能性が高い)。
 なら、ちょっと強引に行くしかないか。
 いい加減家庭内別居状態は寂しいし。
 おもむろに立ち上がると、若干慌ててルチアがそっぽを向いたのがわかった。それには気付かないふりをして、一旦この場を離れる。
 閉鎖空間ではあるが、シェルター内は閉塞感をほとんど覚えないくらいには広い。俺はルチアのいるところからぐるっと後ろ側を迂回し、背後の方に付いて全力で走り始めた。勿論身体能力は全開だ。
 数百メートルの距離も、俺達にとっては決して長いものではない。戦闘訓練を受けていたルチアは、こっちの接近をすぐに察せられただろう。けれど、間違いなく意図までは掴めない。
 結果として、ルチアは中途半端に腰を浮かせて振り返っただけだった。
 彼女に触れる直前、トップスピードを一瞬でゼロに落とす。超人の能力がなければできない無茶。驚きの表情に満足しつつ、逃げられないよう強めに抱きすくめる。
 抵抗はなし。
 ぶっちゃけここまでの流れはあんまり意味ないんだが、万が一にも避けられたら凹むので、一種の保険だったってことで。

「こ、瑚太朗、何をするんだ」
「いや、こうしたくなったから」
「……私は太ってるんだろう。抱きしめても気持ちよくないのではないか」
「んなことないって。柔らかいし、あったかいし、いい匂いもする。俺の好きなルチアだ」
「な、なっ」

 ストレートにこっ恥ずかしい発言をしてる自覚はあるが、今は考えない。見るからに頬を赤らめたルチアの耳元で、とどめのひとことを囁く。

「ダイエットなんてする必要ない。今のままのルチアがいい」
「はぅ……うう、瑚太朗がそう、言うなら……」

 くたりと身を預けてきたので、しっかり受け止める。
 当然ながら重くはない。むしろ軽いくらいだ。
 ホント、どうして女ってのはそこまで体重を気にするのかね。
 ともあれ、これで無事仲直り。
 あの程度の喧嘩はじゃれ合いの範疇とも言えるけど。

「さ、じゃあ飯にすっか」
「了解した。……もう少しカロリーには気を遣おう」

 まあ、若干食事の味付けが薄くなったのは、仕方ないだろう。





5、亀を模したメロンパン


 初め、ちはやのあの食いしんぼうっぷりは、魔物使いの力を行使する際の副作用みたいなものだと思っていた。
 魔物を維持するには、命を消費しなければならない――それだけだと随分漠然とした感じで、まあ一口に命と言っても色々あるだろう。生命力と言い換えるなら、肉体的なエネルギーも範疇に入るかもしれない。
 つまり、カロリー。
 さすがに俺も、たくさん食べまくって寿命の代わりにすることができるだなんて思っちゃいないが、あるいは、もしかしたら、確立されていないまでもそういう方法はあったりするんじゃないか。
 とか何とか考えてた時期がありました。
 結論から言えば、全くこれっぽっちも関係なかった。
 咲夜を失った以後、数ヶ月して鳳家のエンゲル係数を調べてみたところ、明らかに男の俺よりちはやの方が食っていた。
 しかもまるで太る様子を見せない。
 無事四月から社会復帰し、晴れて俺達と同学年になった元先輩こと千里朱音嬢曰く、

「考えるだけ無駄よ。そういうものだと諦めなさい」
「……会長はもう諦めたんですか?」
「以前同じ問いをして『私太らない体質みたいなんですよねー』という暴言を聞いてからは、何も言わないことにしているわ」
「ああ、なるほど、会長はお腹に肉が付きやすいんですね」

 その場でめっちゃビンタされた。
 斯様に女性への体重の話は厳禁であることを、己が身で以って証明した俺は、週末に一度実験を試みた。
 休日、特に出かける当てもなく、居間でのんびり過ごしていたちはやに、おやつを出しまくった。幸い予算は潤沢だったので、多少奮発して珍しいものも仕入れてきた。
 そういうところで喜ばせようとしちゃうのは、我ながら甘いんだけど。
 殊更嬉しそうな反応を見せたのが、五皿目のデフォルメされた亀型メロンパンだ。近所のパン屋で買ってきた焼きたて。咲夜はこういうタイプのものを作らなかったらしく、しばらく口にはせずに眺めていた。

「なんだかこういうのだと、ちょっと食べるの躊躇っちゃいますねえ」
「気持ちはわからんでもないけど、お店の人が作ってくれたもんなんだから、おいしく食べるのが一番だろうな」

 なんて言いながらもあっさり皿を空にするのが、花より団子派のちはやである。その後もひょいぱくひょいぱくと手を止めず、横で見ていた俺が軽く食欲をなくすくらいの量を胃に収めた。
 生命の神秘を目の当たりにした気がする。
 それともあれか、いわゆるお菓子は別腹って奴なのか。
 相当腹に溜まるものも多かったはずなんだが。

「ふぅ、満足ですー」
「そんなに間食して、夕飯は大丈夫なのか?」
「? 平気ですよ?」

 いや当然じゃないですかみたいな顔されても。
 その言葉通り、苦もなく夕食を平らげたちはやに、俺は久しぶりの戦慄を覚えたのだった。





6、走り去った子供


 日記は一度ページを破って放置してしまったから、正確な月日の経過はわからない。ペンを持たない間、半分抜け殻のように過ごしていた。
 瑚太朗がいない。
 その事実はずっと私の心に重く圧しかかっていて、あいぽっどで音楽を聴いても、日記を読み返しても、思い出を懐かしんでも、晴れるどころかさらに痛みを増した。
 辛かった。
 でもそれはありふれたことで、大切な人を失ったのは私だけじゃなかった。自分より一回りも下の子だっていた。
 だから、余計に嫌で。苦しくて。
 ひとり残されて生きてることが、理不尽に思えて。
 仲良しだった子に、きつく当たったりもした。
 たぶん私自身が一番理不尽になってた。
 ガーディアンの中で最も強かったのは私だ。自惚れとか抜きにして、実際にそうだった。力で比べたら絶対勝てる。そういうこと、いまみー以外の人達はあんまり知らなかったはずだけど(医者の真似事ができるのはやって見せたからみんなわかってる)、ずるいのには変わりない。
 強者の余裕、みたいなの。
 驕りとか、もしかしたらあったかも。
 好き勝手に力を奮うつもりはなかったけど、私にそれができてしまうというのは、忘れちゃいけないことだ。
 百にも満たない人数で、これから生きてかなきゃならない。
 私が好きだった、愛してた人の欠けた世界で。
 開き直れたのはもう、本当にギリギリになってから。
 改めて日記を書き直した頃。
 もちろん痛いのとか苦しいのとか辛いのとか、全部消えてはくれなかったけど、信じてたこと、思い出した。
 また会えるって。
 きっと大丈夫だって。
 いまみーが教えてくれた、リライターの能力。
 私の不安とかも、ちょっとだけ、書き換えてくれた。

 こどもが生まれたから、たぶん、一年経たないくらい。
 長い逃避行の果てに、私達は戻ってきた。
 木、いっぱい。街の面影なんて全然残ってない。
 それでも改めて巡るとところどころに見覚えのある景色があるようで、色々変わっちゃったけど、風祭なんだ、ってわかった。

 ゆっくり歩く私の前を、ちっちゃなこどもたちが競い合うように走っていく。その背中を見送って、私はまた、あの場所に向かう。
 奇妙に隙間のある、見上げるほど高い大樹。

「コタロー」

 答えはない。大樹は喋らない。当たり前だ。
 けれど、木漏れ日を落とす枝葉は、私を包んでくれてるようで。背を預けていると、後ろから抱きしめられてるみたいで。
 約束は半分破られて、半分叶った。
 望んだ形では、共にいられない。
 こうしていても私達の間には埋められない隔たりがある。
 おんなじ身体も、おんなじ言葉も、持ってない。
 それでも。
 心だけは、一緒にいる。
 触れ合ってる。

 きっと私は死ぬまで、瑚太朗に寄り添うだろう。
 それは本当に幸せなことだと、思う。





7、眠る姿


 疲れ果てて眠る時ほど、人間は素の表情が出るという。
 ホテルの部屋の中でいつ戻ってくるかわからない朱音さんを待っていると、帰り着くや否やベッドに入るのも惜しんで、ぱったりソファに倒れ込むようにして寝てしまう場面によく遭遇する。
 そういう時の朱音さんは大抵酷い顔をしていて、けれど眠りに就くと途端にあどけない顔になる。いつも気を張っているからか、ギャップが凄まじい。
 何せ寝ている姿は、信じられないくらいに無防備なのだ。当たり前っちゃ当たり前なんだが、軽く頬に触れる程度ではまず起きない。とはいえ眠り自体は浅いらしいので、下手にベッドまで運ぼうとすると目覚めてしまう。結果、毛布を掛けることしかできない。
 今は耐える時だとわかっていても、やっぱりもどかしいものだ。
 もっと朱音さんの役に立ちたい。
 辛いことを背負ってやりたい。
 思うだけなら簡単だろう。
 実行するのは難しい。現実は上手く行かないことなんて山ほどある。だからもやもやして、感情や力を持て余す。

「……ううむ」

 若干ほつれた髪を、撫でるようにして整えた。
 栄養が足りてないせいか、微妙に髪の一本一本が細い。忙しくてちゃんと食事を摂れてないんだろう。肌のかさつきも目立つ。女子力の低下が著しい。
 それでも、朱音さんは美しかった。
 俺の贔屓目かもしれない。
 一般的に見ても美人であることは疑いようがないが。
 ヘタレなところもかわいいんだよなあ。
 なんてことを考えながら、額に張り付く髪を左右に除ける。ふっと近寄って匂いを嗅いでみると、少し汗臭い。風呂にお湯を張っておくべきだろうか。

「ん……」

 こっちの手が気になったらしく、小さく呻いて朱音さんが身じろぎした。動いた表紙に毛布が中途半端にずり落ちて、胸元が露わになる。
 おおう、と思わず声を漏らした。
 背もたれ側に背を向け、両手を胸の前で重ねるようにした姿勢なので、丁度おっぱいが腕に挟まれ、押し潰される形になっている。
 触らずともわかる大きさと柔らかさ。
 半端ない。素晴らし過ぎる光景に、手を合わせて拝む。
 ズレた毛布を直しつつ、深淵の谷間に視線を注ぐ。
 これは起きてる間にはできない。じろじろ胸を見るのは失礼というかすぐバレるというか……いやまあ、寝てる間も失礼なのは間違いないんだが。
 でもほら、触ったこともあるし。
 最近ご無沙汰なので余計に気になる。
 雑誌にも情夫とか書かれてたしなあ。

「……不躾な視線を感じるわ」
「え、あれ、朱音さん、起きてたんすか」
「ぼんやりとね。疲れが溜まり過ぎると、逆に眠れないものだわ」
「添い寝くらいなら喜んでしますよ」
「あなたが嬉しいだけじゃない」
「朱音さんは嬉しくないんですか?」
「嬉し……くなんてないけど、お願いしようかしら」
「じゃあベッドまで運びます」
「紳士的な振る舞いを期待するわね」

 お姫様だっこでひょいと持ち上げた。
 心配になるほど軽い。
 朱音さんは平気そうな口調で返してきたけど、明らかに顔が赤かった。かわいい。

「起きたらご飯食べましょう」
「……それまでに、何事もないといいけれど」
「ですねえ」

 短い平和だ。
 だからせめて一緒にいる時は、何でもしてやりたかった。





8、駆け回る犬


 揺らめく水面のような光の向こうに、文字通りの世界が展開されている。
 それを見守ることができる今の自分は、ある意味神様みたいなものなのかもしれない、と小鳥は思う。
 命の理論、と瑚太朗は言っていた。
 鍵の救済が始まらず、世界が続いていくための可能性。
 そのシミュレーションとしての形が、眼前には広がっている。
 地球誕生から命あるものの果てまで。
 数十億の年月が主観時間での十分単位で過ぎ去り、やがて終末に辿り着く。進化の速度は再始を経るごとに早まったが、結末だけは必ず同じだった。
 しかし、小鳥が求めたのは、瑚太朗のいう可能性ではない。
 あるいは瞬きの間でしかない、救済の直前になる十数年。
 神戸小鳥という人間が生まれてからの、生の記録だ。
 幼少に両親を失い、金枝との契約によって鍵を守る使命を得、瀕死の瑚太朗をドルイドの秘儀で救って、過去の記憶を失った瑚太朗と共に過ごす。それはほとんどの可能性の中で変わりない。
 まず小鳥は、両親が生存する未来を探した。
 死に行く可能性の枝先を手折り、さして掛からずそれは見つかる。
 事故さえ起きなければ、家族はその形を保っていられた。死に収斂しやすくなってしまっているのか、何度か両親を失う分岐点も存在したが、生き残る可能性もまた、決して少なくはなかった。
 ペロを無為に死なせない未来も探した。
 引き取った時点で人間を憎んでいたのだから、小鳥に怯えなくなるまで、敵意を向けないようになるまでには非常な根気を要する。当時の小鳥は世の中を斜に構えて見るところがあり、また世間知らずでもあった。猜疑と憎悪の視線を注ぎ続ける相手に対し、心を砕けるほど優しいとは言えなかった。
 元々、長生きできる身体でもなかったのだ。犬らしく駆け回らせることは叶わず、ささやかな救いを見出すのが精一杯だった。けれど、確かにそれは小鳥にとって“良い記憶”に成り得る可能性であった。
 ――最後に彼女は、それまで辿った全ての未来を破棄した。
 両親が生きていては、決して拓けない。
 ペロに構っていても、手繰り寄せられない。
 幾百、幾千の繰り返しをしたのか。彼女が思いつく限りの、ありとあらゆる道筋を試して、それでも結局、求めたものには行き着けなかった。
 
「あれ、小鳥、何やってるんだ?」
「んー。ちょっと人類創造ゲームを一人プレイで」

 用紙に映る世界は、再び急速に人類誕生のプロセスをやり直していた。
 見られてない。そう確信し、小鳥は静かに吐息を落とす。

「何か行けそうなとことかあった?」
「なかなか上手くはできないもんです。小鳥さんシミュレーション系苦手かも」
「シムなシティとか駄目でしたか」
「街を作ると自分の手で壊したくなります」
「破壊神の所業……」

 座る小鳥の隣に、瑚太朗が腰を下ろした。
 最早見飽きた感もある時代の推移を、二人で眺める。

「……あんなことがなければよかったとか、こんな風にできたらよかったとか、生きてると、そういうのばっかりだね」
「まあなあ。何もかも順調に進んでたら、人類は鍵のお世話になることもなかっただろうし」
「瑚太朗君も、いっぱいあった?」
「イエス、オフコース」
「だよね。……うん、そうだよね」

 どうやっても、瑚太朗は必ず一度死ぬのだ。
 逃れられない結果を、運命とするならば。
 彼は過酷を強いられている。
 今も。
 たくさんの代償を払って、ここに立っている。

「まあまあ小鳥さんや、そんなしんみりなされるな。折角の可愛いお顔が台無しだぜベイビー」
「死ぬほど似合ってないというか正直気持ち悪いよ?」
「いきなりトップギアで容赦ない!?」
「フツーに接してくれれば好感度が5くらい上がるのに」
「ちなみに今現在如何ほどで」
「………………聞きたい?」
「すみませんやっぱいいです」

 だからこそ。
 こんな馬鹿みたいなやりとりが、何より大事なのだろう。
 わがままは言わない。
 ただ、彼の力になろうと、神戸小鳥は、思ったのだ。
 小さな希望を、胸に抱いて。





9、小さな手足、一生懸命な説明


 目を閉じると、あの子の姿を思い出す。
 それは大抵眠る時であったけれど、例えば光の眩しさに瞼を落とした時や、貴重な食事をじっくりと噛み締める時だったりもする。
 私は、今世界に生きる人間の中で、最も重い罪を犯した者だ。鍵による救済の再現、その課程でヒトという種を絶滅の間際まで追い込んだ。そして僅かに生き残った彼らの輪からも外れ、こうして瑚太朗と共に命を繋いでいる。
 不幸か、と問われれば、違う、と答えたい。
 恥ずかしいからあまり口に出すつもりはないけれど、愛する人と一緒にいられる。これまで得られなかった、質素で過酷ながらも平穏な日常を、こうして過ごせている。幸福なんてものとは全く縁遠かった私にとって、それは望外の喜びだ。
 でも、私は決して自分の罪を忘れられない。
 忘れることも、許されない。
 確かに瑚太朗は“それ”を背負ってくれたけど、今も背負ってくれているけど、何もかもを預けて、身軽になんてなれないのだから。
 償う方法があるとすれば、背負い続けることしかない。
 辛くても、苦しくても、時に眠れない夜があっても、瑚太朗はそばにいる。今の私には、充分過ぎる境遇。
 故にそれは、未練なのだろう。
 しまこ。
 あの子を残してしまったこと。
 聖女としての宿命を、図らずも約束付けてしまったこと。
 私が加島桜から受け取ったものは、理知さや言葉だけではなかった。継承し続けた彼女達の、記憶と感情。希望と絶望がどろどろに溶け合った、呪いと呼ぶべき魂の欠片だ。
 多くを得たあの子は、いずれ聖女のシステムに苛まれる。
 私が世界を滅ぼさんとしたように。
 知識を引き継ぐからこそ、しまこは全てを知っている。
 きっと、辛い思いをするだろう。
 瑚太朗と三人でいた、馬鹿馬鹿しくも他愛ない時間は、正直に言えば嫌いではなかった。少しだけ、楽しくもあった。
 妹というには幼かったから、気持ちとしては娘に近かった。
 かつての自分に似ていた少女は、当然の如く愚かで。
 けれど思えば、やはり愛しかったのだ。

 私達は、軽々しく子を成せない。
 人の輪から放逐された身では満足な設備も使えないし、私が動けなくなった時点で、かなり行動が制限される。
 そもそも、子供を産んだことも育てたこともないのだ。マニュアルは持っていても、まず無事に産めるのか。産めたとして、きちんと育てられるのか。新たな命を、大事にできるのか。問題は山積みで、それを解決する手段はほとんどない。
 二人でいることに不満はないけれど、寂しく感じる時だってある。身を寄せ合い、肌を重ねても、ふと心に落ちる影が私達を躊躇わせる。
 そんな日ほど、あの時のしまこが脳裏に浮かぶのだ。
 別れ際の姿は今でも、はっきりと覚えている。
 涙で顔をくしゃくしゃにして、小さな手を握りしめて、懸命に罪の所在を訴える、そういう姿を。
 元気でいるだろうか。
 ひとりになってないだろうか。
 泣いたり、してないだろうか。
 わからないことは、こんなにも苦しい。
 でも、その心の痛みこそが、生きている何よりの証だった。

「ねえ、瑚太朗」
「ん、どうしたん?」
「そろそろ本気で、こども、作りましょうか」
「……まさか朱音の方からそんな言葉を聞くことになるとは」
「嫌なのかしら」
「いやいやまさかむしろこっちからお願いします」
「そう。……ま、こんなものよね」
「初体験なんて随分前の話だしなあ」
「処女の方がよかった?」
「朱音ならそれだけで嬉しいよ」

 いつか、私は死ぬだろう。
 瑚太朗も。あそこに残った皆も、しまこも。
 よほどのことがなければ、確実にあの子より私達は早く果てる。けれど罪人として追われた私が、しまこに託せるものはひとつだけだ。
 やがて受け継がれる、知識と記憶。
 その中に、この幸せな想いがあればいい。
 悲しみや諦め、苦しみよりも尊くてあたたかな――。
 それが私に送れる、ささやかな愛の形。
 ひとりの人間としての、祈りだった。





10、腕の中の仔猫


「瑚太朗、ちょっとこっち来てください」

 二人での散歩途中、昼下がりの公園に寄ったところでちはやが俺を呼び止めた。
 草陰にしゃがみ込み、何やら楽しそうに眺める先には、茶ブチの仔猫の姿。前を歩く親猫に付いていく形で、目の前を横切ろうとしている。

「わあ、かわいいですねー」

 おいでおいでー、と伸ばしたちはやの指に、仔猫はあっさり釣られてきた。振り向いた親猫もまた、吸い込まれるようにちはやへと寄ってくる。相変わらずというか、やたら動物に好かれるヤツだ。
 俺も隣で真似をしてみたが、親子揃って近付くどころか見向きもしやがらない。舌を鳴らしたり音を立ててみたりと色々試しても、気持ちいいくらいに無反応だった。
 世の理不尽を感じる。

「瑚太朗はダメダメですねえ」
「うるせえやい。んなこと言ってると飯手抜きするぞ」
「あっ、そういうのはずるいです! ほら瑚太朗、私が抱き上げて触らせてあげますから」

 ひょいと腕の中まで持っていっても、全く抵抗しない。俺にも魔物使いの才能があったらな、と思わなくもなかったが、ともあれ折角の機会だ、大人しい仔猫の頭を、なるべく優しく撫でてやる。
 一瞬顔をしかめたように見えたものの、その後は為すがままだった。細く柔らかな毛の感触と、人とは違う生命のぬくもりを味わう。
 十二分に堪能してから手を離すと、仔猫はにゃあと一鳴きして、ちはやの腕で身じろぎした。

「今降ろしますね」

 そっと地面に解放し、じっと待っていた親猫と共に再び歩いていく仔猫の後ろ姿を見送って、ちはやはぽつりと呟いた。

「咲夜がいた頃は、猫、飼えなかったんです」
「あいつ滅茶苦茶苦手だったからな……」
「生き物を飼うって、すごく難しいのは知ってますけど……今度捨て猫を見つけたら、連れて帰ってきてもいいです?」
「俺はいいよ。あの屋敷を猫屋敷にするくらいでも」

 抜け落ちてできた隙間も、時間が埋めていく。
 喪失の痛みだって、少しずつ癒えるものだろう。
 割り切るとか、忘れるとか、そういうわけじゃない。
 ただ、新しく始めるだけだ。

「それじゃ早速探しましょう!」
「捨て猫は探すもんじゃないだろ」
「んー、それもそうですね」

 俺達は回帰する。
 あいつがちはやに与えようとしていたはずの、平穏な日常へと。





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何かあったらどーぞ。