1.シャウトは僕の魂だぜ!(朝と夜の物語)

双児の人形は世界を廻る。
物語を探しに、綴られた世界の頁を捲り、数多の生と死を見つめ、 人形師たる彼が生まれてくるに足る、魂の在り処を求めて彷徨う。
そう、全ては二人の主人、傾かざる冬の天び――――

「イエ―――――――― ィ!」
「五月蝿いっ!」

菫の姫君が細い腕で強烈な一撃をかます。イヴェーr……ロマ男はダウン。
綺麗にボディへ入ったからか、少し泡を噴いているように見えるが気にしていたら終わらない。むしろ始まらない。

「宝石宝石騒がしいのよ。ちゃんと言えてない癖して、まだ背後からざっくり殺られたことを根に持ってるのかしら」
「随分毒舌ねヴィオレット」
「そういうオルテンシアは大人しいわね。猫でも被ってるのかしら?」
「曇った夜空みたいに真っ黒な性格はしてないから」
「……言うわね」
「だいたい貴方、囁き声が小さ過ぎて聞こえないのよ」
「そっちこそ、可愛い子ぶっても中身の黒さは隠せてないわよ」
「ふふふ…………」
「うふふふふ…………」

長旅を経て、価値観の相違からかそれとも性格の違いからか、菫の姫君と紫陽花の姫君は実に刺々しい関係を構築していた。
お互い『彼の求める物語を探す』という目的は合致しているのだが、如何せん朝と夜では反りが合わないらしい。
ちなみに、未だ生まれて来れないロマ男は時々奇声を上げるようになった。
ストレス発散にいいのかもしれないが鬱陶しいことこの上ない。
鎮圧役は、何故か流れで菫の姫君が担当。
昏き夜、死を司る右手の人形は見た目と違いかなりの武闘派なのだった。
だってその方が楽に黙らせられるし。

「……それにしても、いつこれは戻るのかしらね」

爪先でつんつんとつつかれるロマ男。最早これ扱い。
紫陽花の姫君は言葉の続きに深い溜め息を挟み、

「昔はもっとまともだったのに……」
「……ねぇ、私思うのだけど、本当に昔はまともだった?」
「………………」
「………………」
「私達、こんな人に作られたのね」
「人生悲観しそうだわ。人じゃないけど」
「そうね……っ! ムッシュ、いきなり起きないで」

唐突にロマ男がむくりと起き上がった。
きょろきょろと周囲を見回し、激しいボディブローが打ち込まれた腹を擦る。それから首を傾げ、呟いた。

「どうも前後の記憶が曖昧なんだが……腹に物凄い一撃を貰った気がするんだ。二人とも、知らないかい?」
「いいえ、何も」
「存じませんわ」
「そうか。ならいいんだが……」

こんな時だけ息のぴったり合った双児の返答にまだ納得できないのか、 うーん、と悩む彼を目前に、二人は心中で冷や汗を流していた。
どことなく不穏な空気を誤魔化すようにオルテンシアが質問を向ける。

「あ、あの」
「何だい?」
「何故ムッシュは最近よく叫ぶのですか?」
「それは私も訊きたいと思っていました。お答えいただけますか?」
「構わないよ。それは……」
『それは?』
「僕の魂だからさ!」

熱弁するロマ男。絶句する二人。

「シャウトする時だけ、僕はこの世界の何もかもから解放されるんだ。運命も、宿命も、全て関係なく」
「………………」
「だから決して舌が回らないとかつい間違えたとかノリで叫んでみたとかそういうことじゃない。そういうことじゃないんだよ」
「………………」
「ということで、君達も一緒に! イエ―――――――― ィブフッ!」

ヴィオレットの抉るような重い腹への一撃と、オルテンシアの意識を刈り取るような鋭い顎への一撃が同時に入る。
今度は白目を剥いて昏倒するロマ男。口から出る泡の量がこころなしか増えた気がする。二人、意に介さない。

「私達、このままでいいのかしら」
「……いいと思う?」
「……愚問だったわね」

嘆息。
紫陽花の姫君もまた、武闘派だった。


―――― オチねぇ。


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2.都合により大幅に短縮させていただきます(焔)

システムメッセージ:
『物語が何者かの介入もしくは一身上の都合で消去されました。
 頁が破られたので歴史はなかったことになったようです。
 紛失したデータの復旧を試みましたが、元のデータに戻せる確率は一厘以下。
 よって、不可能と断定し新規に物語を立ち上げることにしました。
 劣化は否めませんがご了承の程をお願い致しm……ザザ……ッ』
「フゥウ―――――――― ! Salut、我が愛娘達よ。
 レイザーロマンHGだフゥウ――――――――! 今日は如何お過ごしかな?
 ちゃんと僕が生まれてくるに足る物語を探してくれているかな?
 ならいいんだフゥウ――――――――
 しかし困ったものだね、どうにもこの世界は不安定だ。おかげで僕もなかなか生まれて来れない。
 二人とも苦労させてすまないねフゥウ――――――――!」
「……ムッシュ、その格好は何ですか」
「これかい? いつも同じ服装では退屈してしまうのでね、着替えてみたんだが……似合っているだろう?
 特にこのレザーパンツがフゥウ――――――――!」
「……ムッシュ、その語尾は何ですか」
「僕は美しい花を讃えているだけだよ。別にどこもおかしいところはないだろう?
 自画自賛のように聞こえるかもしれないが君達も変わらず美しくて何よりだよフゥウブフォァッ!」
「はぁ、はぁ……オルテンシア、そろそろ息の根を一度止めた方がいいとは思わない?」
「そうね、ヴィオレット。どうせ殺しても死なないし。私達の主人だってことはこの際忘れましょう、目を瞑りましょう」

以後数分、放送禁止の光景により割愛。
頬を血糊で濡らした二人は遠くを見るようにまだぴくぴくと痙攣している何かから視線を逸らし、

「暗い弔いだったわね」
「ええ。見送る者達の嘆きの声がいくつも聞こえたわ」
「棺を焼く焔が揺らめいていたわね」
「ええ。生命(いのち)の焔(ひかり)が吹き消されたわ」
「また出逢える時もあるのかしら」
「詩が灯され続ける限り、いずれは」
「なら祈りましょう」
「新たな地平線に、我らの求める物語があることを」
「黒き死の夜を越えて」
「白き生の朝を迎えられるように」
「さぁ、廻りましょう、オルテンシア」
「そこに憧憬があればいいわね、ヴィオレット」
「フゥウ――――――――!」
「騒がしいっ!」
「グボァッ!」

跳ね上がった上半身、喉元に鮮やかな爪先の蹴りが直撃。
白目を剥き泡を噴いてどさりと倒れる彼を二人はしばし見つめる。

「……今度こそシリアスに行こうと思ったのに」
「物事はそうそう上手く進まないものなのね」
「破られた頁には、ちゃんとした物語が綴られていたのよ」
「わかってるわ。私達も、やればできる。ただ、運がなかっただけ」
「…………それって結構致命的よね」
「言わないで。泣きたくなるわ」
「紫陽花は本当に濡れやすいのね」
「誤解を招く言い方をしないで」
「事実じゃない」
「貴方って菫らしく本当に毒々しいわね」
「なっ……! 貴方こそ、」
「イエ―――――――― ィ!」
『今度はそっちかっ!』
「ぶふぇらばっ!」


>相変わらずオチてくれません。
>何か勝手に双児が漫才を始めるんですが。ネガティブに動く。
>あとロマ男さん、ちょっと自由過ぎです。
>……でもホント何で昨日のは消えたんだよぅ。真面目に書いたのに。
>↑の注釈。Mixiに一度書いた分が、何故か消失したのです。即ち一身上の都合。


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3.崩れ落ちる風車(見えざる腕)

誰が加害者で誰が被害者か。
……そんなの、見ればわかるに決まっている。

床に広がる赤黒い液体。最早ぴくりとも動かない肢体。
死体は物言わぬ、魂の抜けた人形だ。いずれ腐る。腐り落ちる。
驚愕と憎悪に彩られたまま固まった表情。
死後硬直で解くこともできない手には酒瓶が握られ、中身を零し床の液体と混じり合っていた。
……どちらが血で、どちらが葡萄酒だろうか。

―――― どちらでもいい」

混ざれば関係ない。酒に溺れたあの男なら、血が葡萄酒になっていたとしてもさして驚かない。あるいは、自分も。
ならば今口に含んだのは、葡萄酒ではないのかもしれない、と思い、彼は苦笑した。我ながら、虚ろな笑みだと感じた。

店内にもう人はいない。とうの昔に皆走り去っていった。
そして、眼前に横たわるこの屍を作った者も、既に何処かへ消えてしまっている。
追う気はない。そんな気はまるで起きなかった。
だいたい、もし追いついたとして何をしようというのか――――

―――― ああ、そういう選択もあったか」

奴を殺した男を殺す。憎しみの矛先を変えれば、また自分は生きる理由、生きる意味を見出せる。
……と考えてみても、微塵も身体は動きはしない。
もう、どうでもよかった。舞台は終わった。幕は降ろされてしまったのだ。予想し得ぬ闖入者の手によって。

殺さば殺す。人が人を殺せば、いずれその業は己に返ってくるだろう。
流された血の量だけ死者が存在し、建てられた墓場の数だけ悲しむ者が存在する。
昏い感情は憎悪と怨恨を呼び、復讐の舞台を生み出していく。
死から始まる略奪の連鎖。奪われれば奪い、奪った者がまた奪われ、 それはドミノ倒しのように続き、廻る歯車のように繰り返す。

かつて戦場で風車と称えられた赤髪の男は、その場に於いて、ただの殺人者でしかなかった。
馬を駆り、濃密な死の匂いを纏った剣を振るい、女子供、老若男女構わず、数多の首を刈り落とした。
地に溜まりを作るほどの血を流し、浴びて、それでも刃を収めなかった。

走り去った彼もまた、男に恨みを抱いていたのだろう。
黒き剣で腹を刺し貫いた時、そして抜いて男が崩れ落ちた時、彼は何を思ったのか。
哄笑の中で、殺人者となった己の決断を嘆いたか。
それとも、手ずから復讐の舞台を降ろしたことに満足したか。

酒と薬に溺れ、己と同じ腕、さらに片目をも喪い、かつての蛮勇、その面影はなく、堕落した金髪の男。
それでも、最早殺す価値さえないほどに落ちぶれていても、復讐心は欠片も揺るがなかったのだ。
片腕ではできる仕事も限られ、恋人には見限られ、腕の痛みが夜毎に身を苛み、疼いては過去を思い出す日々。
……奴を殺せば、無き腕の疼痛も消えてくれると思ったから。
そのためだけに、異国を巡り、探し続けた。一度は捨てた刃を取り、復讐劇の終幕を目指し続けた。

道程は長く―――― されど、その終わりの、何と呆気ないことか。

腰を下ろし、杯を満たした葡萄酒に口付ける。
例えばこの血の色に似た酒も、人の手によって作られ、こうして並べられるのだろう。
葡萄酒に人生を捧げる者がいるのなら、自分は残された人生を如何に過ごすのか。

「…………っ」

生きる意味を喪うと、あれほど恐れ怯えていた疼痛が、何よりも生きていることを証明してくれる。
己はまだ死んでおらず、続く人生の中途に立っていることを。
それこそが、ここにいる、という実感。ならば何をしよう。
奪われたものは還らない、取り戻せない、しかし再び得ることはできないか。
遅過ぎるかもしれない、でも、今度こそ、自分は彼女を愛し、良い父親になれるのかもしれない。しれない、のだ。

崩れ落ちた風車。もう永遠に廻らない。
帰る場所もないのなら、新たな道を探しに行こう――――

―――― ああ、金髪の男は知らない。
風車が壊れても、風は吹き続けるのだということを。
その風の行き先は―――― 葡萄酒色の液体に濡れた、黒き刃。


>『鳶色の瞳の少年』は、果たして誰の子供でしょうか。
>赤髪か、金髪か。どちらにしろ、待っているのは不幸以外の何物でも。
>鎖は容易に切れず、だからこそ連鎖するのです。


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4.ギャグキャラは死なないの法則(呪われし宝石)

「嗚呼……これなら胸を張って送り出せr」
「ふぅんぬっ!」

彼の台詞は途中で遮られた。背後から男がスコップを振りかざし、フルスイングで側頭部を強打したからだ。
闇の中で血が飛び散る。悶絶の声。肢体の倒れる鈍い音。
随分気合の入った掛け声だったので、どうやら全力の一撃だったらしい。
その証拠に、吹き飛び転がった彼の頭は見事なまでに陥没。どう考えても生きてはいない。

「はぁ……はぁ……っ」

赤い液体が滴るスコップを投げ捨て、男はふらふらと彼がいた位置まで歩み寄る。
誘われるように、導かれるように、あるいは、糸に引かれるかのように。
そこにあるのは、滴る血よりも鮮やかな赤色をした、原石。
これまで掘られ売りに出された宝石が路傍の石に思えるほどの大きさを持つ、美しき原石。
存在することそれ自体が、奇蹟。そう断言しても決して間違いではない、目にするだけで震えが走るものだった。
後に世界最大と謳われるその宝石は、鉱山の管理者を自らの欲望が赴くままに動かすに十分な魔力を持っていた。
……そう、それは魔力と言って差し支えない。ただ「在る」だけであらゆる者を狂わせる。
誰もが欲し、誰もが求め、その結果誰もが奪い合う。そんな悪魔の誘惑。
慎重に、落とさぬよう汚さぬようそっと取り上げ、鉱山の管理者は計算を始める。
いったいどれほどの値がつくのか。一生働かず、遊び呆けてもまだ余りあるのではないか。
薔薇色の近未来を想像し、己が作り出した死体の存在も忘れ金の塊とも言えるそれを懐に入れようと、

「それは僕のイエ―――――――― ィ!」
「ひっ!?」

……有り得ない声を聞いて、男は振り返った。振り返って、しまった。
後ろ、ほんの四歩分ほどしか離れていない場所に立っていたのは、先ほど殺したはずの彼。
そう、確かに、確かに殺したはずなのだ。
まだ手には柔らかな人体の感触が残っている。投げ捨てた凶器には血がこびりつき、周囲にも赤い液体は飛び散ったまま。
というか、見ればしっかり即頭部が陥没していた。脳漿が脳髄がずるずると、どろどろと流れ出ていた。
これで死んでいない方がどうかしている。

人は常識を逸した光景に出会ってしまった時、動けなくなるものである。
男も例に漏れず、がくがくと全身を震わせ恐怖の表情で彼を見据えていた。目も離せず。
子供が見れば一生トラウマに残りそうな、 大人が見てもしばらく悪夢に見そうなグロテスクな姿で彼はゆっくりと男へ近づき、肩に手を置く。
その仕草はほとんどゾンビのそれ。男は声も出ない。

「……いいかい、もう一度言うよ? それは僕のイエ―――――――― ィ! だから返してください」

ここで返さない人間は、よっぽど肝が据わっているか欲深いか無謀かのどれかだ。
硬い仕草で上下に首を振り、原石を渡す。渡し、男は脱兎の如き速度で逃げ出した。
それをぬぼー、と見送って、彼……イヴェールは呟く。

「何故逃げたんだろうか……」

家に帰って妹に訊いたら、鏡を見てくださいと言われた。
まだ顔が戻ってなかった。慌てても仕方ないので傷口を適当に洗い一晩寝たら治った。大変インスタントな人体である。

以後、宝石商、細工職人と原石を店に行き、前者には鑑定を、 後者には加工を頼む度にぐしゃっと殺されかけるのだが、同じように頼み込むとちゃんと了解が取れた。
結果どうにか妹に婚礼祝いのプレゼントとして渡すことが出来、激しく喜ばれるのだが、 毎回血液やら内臓やらを流したりはみ出させたりしてくるので、ベッドのシーツが汚れて仕方なかったという。

先人曰く―――― ギャグキャラは決して死なない。
妹に愛情表現(と言う名のセクハラ)をしては殴り飛ばされ星になってきた彼にとって、 ギャグシーンでの死亡は絶対に有り得ないのだった。

「……ところで、あれってギャグシーンだったのかしら」
「存在自体が冗談なのかもしれないわね」

Q、其処にロマンは在るのかしら?
A、(笑いの)ロマンなら。


>物語自体が冗談。一人どころじゃありません。
>ウチのロマ男(じゃない?)ならきっとやってくれる!
>というか『pierre』って言えてない時点でギャグです。
>ちなみにあのシーン、私は何度か聴いて噴きました。
>シリアスなシーンのはずなのに笑っちゃうよー。


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5.忘れないで(星屑の革紐)

懐かしい声を、聞いた気がした。
だから―――― 呼ばれた名前が自分につけられたものだと、その時はわからなくても。声のした方へと、近寄ったのだ。

『こんにちわ、はじめまして!』

初めて出会った時から、少女は見えない何かを見ようとしていた。
生まれた時からほとんどなかった視力。感じられるのは、微かな光。
そしてそれさえも、何れ失うと医師には告げられていた。

……どうして、どうして私の名前は『星』なのか。
父は夜空に煌めくそれを示すけれど、私には遠過ぎて届かず、 どんなものなのかも知らず、だから、どうしても好きなんてなれないよ。
そう言っては力無く笑う少女の傍に『彼女』はいつも立っていて、 手の甲や顔を慰めるかのように舐めては悲しげな泣き声を上げた。

初めはまだ絆も弱く、屋外へ出ても上手く歩くことすらできなかった。 速度が抑違うから距離も離れて、何度も少女を転ばせてしまう。
どんな小さな段差でも、それは少女にとって崖と何ら変わりなかった。
怪我の度合いは違っても、満足に出歩けないことには変わりなかった。

どれだけ太い革紐を握っていたとしても。
彼女達を繋ぐ『見えない絆』は、あまりに細く。
その所為でずっと、少女は孤独だった。孤独にさせてしまっていた。

それでも家族になったから。
二人はいつも一緒にいて、同じ寝具で眠り、同じ食卓を囲み、同じ父親を慕い、そして同じ世界で生きた。
大地に染み込む雨水は、いつか草花を育てるだろう。
根雪の下で春を待つ花は、いつか鮮やかに咲き誇るだろう。
懸命に、懸命に。空を、星空を目指し育つ絆。
一人と一匹……否、二人を結ぶ『見えない絆』。

だから、例え視力を完全に失って、永遠に暗闇の中を彷徨うことになっても。
手を引いてくれる妹がいる。革紐が手の中になくとも、きっと。

散歩の途中で急に吹いた突風。
不安定な足下。揺れて、流れる身体。
周囲が見えない少女は革紐を離し、足を滑らせ背から倒れていく。
背後には崖。浮遊感と、喪失感。けれど、不思議と怖くはなかった。
信じているから。愛しい妹を、互いを繋ぐ星屑の革紐を。

伸ばした手を、少女は誰かに掴まれた気がした。
どこか懐かしい温もり。土に染みた雨の匂い。

『嗚呼……可愛い私のお姫様、愛しい私のetoile』

ずるずると、服の袖をくわえられ、引っ張り上げられる。
布の破ける音がして、このままだと落ちてしまう、そう思って、もう片方の手を伸ばす。
見えないからわからない。どこに伸ばせばいいのかも。

『あなたの歩む道程が、星屑のように輝くことを』

―――― 少女はそこに、光を見た。
掴み取る。暗闇の中に輝く一条の希望を。信じた絆を。
手指で感じる皮の感触。一度は離した革紐。
今度はもう、離さない。絶対に、絶対に――――

傷だらけの帰り道、父に叱られ抱きしめられた日。
姉妹で顔を見合わせ微笑み合った瞬間も、今は遠く。

弱っていく妹に対し、姉は何もできなかった。
ただ傍にいて、甲斐甲斐しく世話を焼き、調子を尋ね、頭を、背を、 尾を撫でては、優しさと寂しさ、悲しさの入り混じった笑みを浮かべる。

妹が傍にいたから、少女は自分の名前が好きになれた。
妹が傍にいたから、何処へだって往けた。怖くなかった。
妹が傍にいたから、生きていく強さを、得られた。幸せだった。

「ありがとうね……愛しい妹、大好きだよ」

『彼女』は夢を見る。つかの間の夢を。
優しい朝の追憶と、別れを迎えた夜の幻想。

『こんにちわ、はじめまして!』
『ふふ、アナタの指は、小さくても温かいわね』
『そんな……嗚呼、どうしてこの子が……!』
『私がいなくなっても……アナタは、幸せになってね』

最期に――――
『忘れないで。私はアナタを愛してるから。いつも、いつまでも、『見えない愛情』で繋がっているから。
 ……etoile。私の誇れる愛娘。アナタを助けることが、傍にいることができて、本当に良かった――――

幸せな未来を祈って。
妹は姉に、永遠の離別を告げた。

もう二度と、自分を呼ぶ声が聞けなくなったとしても。
築いた思い出が決して失くなることはない。
そして、母が娘に遺した、贈り物。冷たくなった彼女の腹から取り出された、小さな温もり。新たな家族、少女の妹。

「……行きましょう。私を、連れて行って」

星屑の姉妹は荒野を駈ける。
それは懐かしくも美しき、思い出の在り処。
閉ざされた瞳の中に広がる、煌めきに満ちた、世界。


>聴きまくって考えるに、急に吹いた〜のところでエトワール嬢にどう考えても何かあったようにしか思えません。
>でないと強くなれた〜のところでプルーが鳴いた理由を説明できない。
>そこから『弱い姉だ―― 』の四行は、ふたつの場面で使われてるのかも、と。
>前述の何かあったシーンと、プルーを見送るシーン。
>ああでもこれ本当に何度聴いても飽きない。凄い好き。


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6.ドン・キホーテの愚行さえも(緋色の風車)

夢に見る。今も。幾度でも。
毎日……そう、毎日だ。

家屋を灼く焔。焦げた肉の臭い。緋色に染まった視界。
馬の嘶きと蹄の音。そこかしこで響く悲鳴と、何かが飛び散る、転がる音色。肌にひりつく激しい熱を纏った風。
逃げろ、と誰かが言い、胴体を一突きにされた。
助けて、と誰かが言い、脇腹から血を流し倒れた。
死にたくない、と誰かが言い、綺麗に首を飛ばされた。

この世の地獄を背に、彼は走った。たったひとつの≪宝物≫を、大切な少女の手を取って、全てから遠ざかるように走った。
制止の声も耳には届かない。恐怖が心を煽り、急かし、足がもつれても、転びそうになっても、二人は止まらない。止まれない。
振り向くことはできなかった。遠くより徐々に迫る蹄の音から少しでも離れようと、強張った、歪んだ表情のまま。
ふとすれば震えて動かなくなってしまう身体を叱咤して。
外れの森で身を隠し、燃え盛る住処を、村を、呆然と眺めた。

何が起こったのか。何が襲ったのか。どうして、こうなったのか。
全てが解らない。判然としない。それでも、危険だけは感じたから、逃げた。何もかもを捨て置いて逃げた。
二人を動かすのは、原初の本能。死を回避しようとする、意思。

されど、幼い少年と少女の力の、何と小さきことか。

戦うことも叶わず、刃向かうことさえ許されない。
抱き合う身体の温もりも、安堵を得るには足りなかった。
きっと、きっと大丈夫だと、そう言い聞かせ、草木のヴェールを隠れ蓑に、 死神が過ぎ去るのをじっと待った。待つしか、できなかった。

……これは、悪夢だ。
彼の人生で最も緋く凄惨な、最悪の災厄。

襟布を掴まれる。少女の肢体が、宙に浮く。
瞬間、少年は走り始めていた。無様な、不恰好な姿を晒しながら。
一度だけ振り返ったその時の光景が、忘れられない。
怯え縋るような瞳。己を引き留めんとする、細く儚い声。
背中に灼きついた、最期の――――

『待って、待っ……!』

逃げ出した。
少年は、少女を置いて逃げ出した。
馬に跨る―――― 血に染まる剣を持った、緋色の風車から。

あの時、少女は彼を恨んだだろうか。
それとも、彼にだけは逃げてほしいと、そう思っただろうか。
……どちらであろうと、関係ない。本質は変わらない。
大切に想っていたのに、見捨てて逃げた。逃げ出してしまった。
その事実は、決して揺らがないのだから。

少しだけ、彼女が生きているかもしれない、と考えた。
でも、可能性は限りなく低い。無いに等しい。
一切の躊躇も容赦もせず、人々の首を刈っていった『アイツ』に捕まって、無事に済んだとは到底思えない。
あるいは……死ぬよりももっと、恐ろしい目に遭わされたのかもしれなかった。

絶え間ない自責と後悔の念。
それは永劫の苦痛だ。彼を苛み続ける、憎悪の焔。

『アイツだ……アイツを見つけ出して、この手で、殺してやる!』

例え地を這い蹲ろうとも、血に手を染めようとも、絶対に、復讐だけは果たすと。夢の中の少女に、彼は誓う。
そのための『力』を。身を守ることしか出来ぬ『楯』ではない、
確実に、一切の迷いも揺らぎもなく殺せるような、強大な『剣』を。

ドン・キホーテの愚行さえも、力及べば愚行とは呼ばれない。
風車に勝る力があったならば、彼とて道化にはならないのだ。

そして、少年は青年となり、青年は男となり、黒き剣を手に、酒場へと踏み入る。
それは一瞬。割れるグラスも、客の悲鳴も意に介さず、目標へと近づく。
今やあの頃の面影がほとんど残っていない、隻眼にして隻腕、頬を赤くし酒を煽る燃えるような赤髪の男へと。

「何者だ貴様、ふぐぉああぁ!」
「Bon soir」

刺す。抜く。葡萄酒のような血が飛び散る。
倒れる男。嗚呼―――― 復讐は、これで成された。

「Au revoir」

狂笑。もう、何も残っていない。
このためだけに、彼は生きてきたのだから。
いつか、あんな男のためにでも復讐を誓う者が、自分の前に現れるかもしれない、と思った。
……そこで殺されるなら、またそれもいいと思った。

かつて己の身を灼いた焔に殺められるその瞬間にも、彼は笑った。
やっと―――― やっと、彼女の許へ行けると。

もし、生まれ変わることができたなら。
今度は君の、君の傍で――――


>シリアスに。行ってみました。
>盗賊は家屋焼かないですよね。盗むものがなくなっちゃう。
>私的には少年=ローランサンです。風車→宝石→腕?
>本質は変わらない、というのが結構サンホラ全体のキーワードかも。


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7.時間もないので小ネタばらまき(天使の彫像)

・『天使』の出現

銃弾飛び交い、兵士の波がぶつかり合うその戦場の中心に、突然大質量の物体が降ってきた。
今にも銃口を互いに向け撃とうとしていた時のことで、あんまりにもあんまりな闖入者の登場に、 彼らは揃って硬直し同じ方向を見る。そこには、

「天使が降ってきたぞ―――― !」
「あ、あれはまさか!?」
「知っているのかジョニー!?」
「戦乱の最中に失われたと言われている【神の手を持つ者】と称された彫刻家、
 オーギュスト・ローランの稀代の傑作『天使』だ!」
「厭に説明くさいがよくわかった! しかし何故戦場に!?」
「知らん! だが見ろ、敵も味方も皆銃を下ろしているぞ」
「そうだな、俺も何となく戦う気が失せたな」
「あの神々しさ、聖母の如き微笑みを前にして、醜い争いをしていられるわけがないだろう。
 ああ、『天使』は平和をもたらしに来たんだ」
「……一人誰か像の下敷きになってる気がするんだが錯覚か」
「気のせいだ」
「アレが降ってきた辺りにクレーターができているのは」
「威光を示したんだろう」
「……俺、帰ったら故郷に戻ることにするよ」

以後も、争いを止めるかのように『天使』は人々の前に姿を現したという。
落下地点の破壊を目の当たりにして、まだ戦いを続けようとする者は誰一人としていなかった。
人間、その場で誰が最も強いか、本能で察するものである。


・現実をも超える想像力で

彼はただ、石の中に彫られるべきものの形を見ていた。
それは初めから、在るべくして在る真実の幻想。
道具を手に、削り、磨き、少しずつその幻想へと近づけていく。

「………………!」

最後の一振りで、完成した。
必要なのは、幻想をも紡ぐ愛情。
現実をも超える想像力は、それを見事に象る。
【神の手を持つ者】と謳われた彼の眼前に佇む彫像。

1/1、等身大クロニカ様。

満足そうに汗を拭う彼の後ろ、工房の奥には、他にもいくつかの完成品が飾られていた。
等身大ルキア、等身大エリス、等身大ラフレンツェ、等身大ヴィオレットに等身大オルテンシア。

稀代の彫刻家、オーギュスト・ローラン。
彼は重度のフィギュアフリークだった。


・足げく通った修道院の

誓いを破っているような後ろめたさを感じながら、彼はもう幾度目かも知れぬその場所へと赴いていた。
ひっそりと建てられた、決して大きくはない修道院。
そこは修道士や修道女も多く住んでいるが、行き場のない捨て子なども受け入れていて、いつも賑やかな声が絶えない場所である。

……大丈夫だ。逢いに来たわけではない、私は様子を見に、声を聞きに来ただけだ、と自分を納得させ、壁に身を寄せる。
室内で響いているのは、無邪気な幼子達の笑い声。 親を持たぬ彼らに翳りの色はなく、心の底から楽しそうにはしゃいでいるようだった。

「………………」

僅かな躊躇い。
しかし、どうにも我慢できず、彼は壁を登り始める。
一見ではまず判別不可能な、微かな取っ掛かりに指を、爪先を掛け、絶壁にしか思えないそこを蜘蛛のようにがしがしと。
ご丁寧に、指を傷つけないよう軍手まで持参していた。
建物の屋根まで辿り着き、腹筋と腕の力のみで這い上がる。
足音を立てぬよう慎重に歩き、ステンドグラスの透明部分に顔を近づけ、中の様子を窺う。
そんな彼をもし見つけた者がいたならば、間違いなく叫んだだろう。「変質者!」と。
だが誰にも見咎められず、彼は心ゆくまで室内の光景を堪能することができた。
はしゃぐ子供達。短パンやスカートから覗く眩しい太腿。一様に浮かべた自然で純粋な笑みの表情。

稀代の彫刻家、オーギュスト・ローラン。
彼は、ロリコンかつショタコンでもあった。

「ああ、あんな子供達に囲まれてみたい……」


・遺された祈り

誰に非があったのでもない。
ただ、その焔を灯すために、別の焔が必要だっただけのこと。
その生命を産み落とすために、失われる生命があったというだけのこと。それだけの、こと。

だが、彼には許せなかった。
どちらがより尊いか、という問いは無意味だ。
そういうことではない。判然たる事実として、彼の愛した者はこの世から去ってしまった。
だからこそ、妻の焔をその魂に宿した我が子を、憎んだ。憎んだのだ。

故に、一緒にはいられなかった。
負の感情を抱えながら共に暮らしていれば、いずれ破綻するだろう。
憎しみを持っていても、子に対する愛はあった。愛があるから、傷つけたくはなかった。

……自分は、つくづく女々しいと思う。
失ったものの重さに耐え切れず手放したのに、今度は手放したものの大切さに今更気づいて、 滑稽にも、愚かにも、せめて声を聴くだけならばと修道院に通いつめるのだから。

親として、何ができるだろうか。何ができただろうか。
彼は彫刻家だ。人の心を動かせる、そんな力を持つ人間。
だが彼には、我が子の一人も満足に喜ばせられなかった。

足りない。何もかもが足りない。
だから求めた。魂を、己の全てを篭めた『それ』を。
作ろうと思った。償いか、祈りか、あるいはそのどちらもか。

もう、時間がない。
蝋燭の焔は、既に弱り始めていた。

生命を削るように石を彫り。
心血を注ぐように愛を刻んだ。
天使の幻想。大事な人の、母の微笑み。

やがて、翼を得た彫像は羽ばたいていくだろう。
花が枯れても。銀色の砂時計、その砂が零れ落ち終わっても。
遺された祈りと共に、願われた在り処へと、必ず。


>……あれ? 短い?
>今回は小ネタ的なものをよっつ。前半みっつが酷いです。
>これも結構抽象的でいまいち掴めないよなぁ。


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8.It's beautiful life.(美しきもの)

ここから、何が見えるだろう。
君の許まで行けば、きっと、わかるのかな――――

「……はじめまして」

可愛い赤子。天使のような幼子。
君は私の指をその小さな手で握り締めて、無邪気に笑ってた。
穏やかに微笑む母と、苦笑して頭を掻く父。
両親に見つめられる中で、私は初めて君をそっと抱いた。

自覚もほとんどなかったけれど―――― その日から、私は君の姉になった。
新しい家族を迎えて、嬉しいような照れ臭いような、でもとても誇らしい気持ち。
少し過保護と言われるくらい、世話を焼いた。一緒にいる時間も、君がいれば楽しかった。寂しくなんてなかった。

ああ、それなのに。
大きくなればなるほど君は弱って、いつしかベッドから離れられなくなってたね。
私は隣で、いつも歌った。君が聴いてくれる限り、歌い続けた。
穏やかに眠るまで、ずっと。それが私にできた、数少ないこと。

春の日は、風が外で咲き誇る木々の花弁を運んだ。
窓辺で囀る鳥を見て、君は細く優しい眼差しをしていたね。
夏の日は、青く流れる空で自由に泳ぐ雲を眺めた。
遠くから響く蝉の時雨を聴いて、君は目を閉じ感じ入っていたね。
秋の日は、黄金色に輝く月を二人で見つめた。
草に隠れて鳴く虫の羽音を知って、君は儚げに微笑んでいたね。
冬の日は、遙か彼方まで広がる雪景色を瞳に灼きつけた。
微かに入り込む木枯らしを受けて、君は苦しそうに咳き込んでいたね。

時間が、止まってしまえばいいのに。
そう願っても針は進んで、季節は過ぎて。
君が次第に弱っていくのを、見守ることしかできず。

どんな辛い夜が訪れても、眠れない日が続いても、窓の外の景色だけが全てでも、
「心配ないよ」と笑って言うだけ。その笑顔のまま、君は静かに息を引き取った。

「短過ぎるよ……」

君はその目で何を探してたの?
狭い世界に閉じ込められて、どんな気持ちで生きてたの?

『嗚呼……綺麗だね』

二人で、窓の外を歩きたかった。
花を摘んで、雲を数えて、月を追って、雪を踏みたかった。
一緒には行けなかったから、だから私がせめてそこにいようと。君の世界で、歌っていようと。

たくさんのことを話して聞かせた。
その度に君は、嬉しそうにしてくれたんだ。
春も、夏も、秋も、冬も、君の代わりに私が駈けた。
そうして君が笑ってくれるなら、それだけでよかったんだ。

逝く時も決して忘れないような、そんな『美しきもの』を。
君は―――― 見つけられたのかな。
私にはわからない。でも、君は最期に笑ったよね。
その安らかな寝顔を、私は、美しいと思ったよ。世界中の何よりも。

君がいなくなって、寂しくなるけれど。
それでも私は歌い続けよう。君の大好きな旋律を。
口風琴の音色に乗せて、大空へと、何度でも――――

……君の生きた証は、この胸に残ってる。
私は忘れない。君と同じ場所に、いつか逝くまで。

―――― 私、思うんだ。
君の人生は、美しかった。どんな景色よりもずっと。
そしてそれこそが、君の探していたものだったんじゃないかって。
だから、だから―――― 私は幸せに生きるよ。
もう終わってしまった、君の煌めきを心に灯して。
小さな花を、胸に抱いて。


>駄目だー。これ実は一番はっきりしてないんじゃないだろうか。
>『君』は弟か妹か。これもどちらでもいいんですが、わからない分筆に迷いが。こうしてる今も腕は鈍りがち。
>儚さ故の美しさ。常人が持ち得ない超越した何か。
>それって、ある意味ずるいですよね。失うまでの、僅かな煌めき。


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9.我が子に血を注ぐが如く(歓びと哀しみの葡萄酒)

ぽたり、と雫が落ちた。
それは固い地面に淡く染み、赤い、鮮明な色を描く。
強張った手指から柄を離し、一歩を引く。逃げるように。

命が、零れていく。

確かな手応えが、まだ残っていた。
刃物で刺す、肉を貫く、人を殺す手応え。

―――― !」

叫ぶ。振り返らずに走り去る。
もう戻れないことを、頭では理解しながら。
これまで築いてきた、築かれていた全てが崩れたのだと。

……でも、よかったのだ。
形振りなど構う余裕もなかった。
自らを突き動かす衝動は激しく、焔の如く鮮烈で。
己の人生を捨ててもいいほどに、彼女は≪宝石≫(かれ)を愛していた。
身分の違い。立場の違い。それが何だというのだろう。
愛してしまえば、関係ない。自分が選び、望んだ人と結ばれ過ごす人生はどんなに素晴らしいものか。

頑なに貴族の権威を守ろうとする父親がいけなかった。
財産を食い潰しまだ足りぬという継母がいけなかった。
次第に傾き見る影もなく衰え行く名家がいけなかった。
言うなれば、そう、生まれたことそれ自体が許されなかったのだ。

愛した人を失い。
父と母と家を保つために、彼女は伯爵家との婚礼を強要される。
そこに愛はない。形だけの、虚飾だらけの婚礼。

……何が、彼女の人生/熟れかけた果実を駄目にしたのか。

それは誰にもわからない。
けれど、傷んだ実はもぎ獲らなければ。
傷から全てが腐り落ちてしまう、その前に。

走りながら、酸素の足りない頭で考える。
婚礼を受け入れていたなら、例え空虚であったとしても、家の名と豪奢な居場所を得られたのかもしれない。
しかし今の自分には、手元に何も残らず、愛した彼を奪った男への復讐を成し、どこに向かうのかも知らず当てもなく逃げている。

……これで良かったの?
……ええ、良かったわ。

自問と、自答。結論はすぐに出た。
ならば行こう。誇りを忘れ、過去を捨て、第二の人生を始めよう。
生きるためなら泥も啜り、身体を捧げ、血を吐こう。

血を。血のような色をした、葡萄酒を。
いつか彼が望んだ情景。広い畑と、仄甘い果実の薫り。
そこに辿り着くまでは、決して―――― 果てない。

そして、我が子に血を注ぐが如く。
彼女は今日も、葡萄酒を作り続ける。
人生とは、時と共に己の血を流し続けるものなれば。
甘く、苦い液体を吸った愛し子達は、如何に育つのか――――


>無理。これでギャグ方面とか無理。即興じゃ思いつかないって。
>まあそんな感じで葡萄酒。濁った血の色に似てますよね。
>日々人は血を流しているのです。それこそ歓びと哀しみの。


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10.御機嫌ようお嬢さん(黄昏の賢者)

まことしやかに囁かれる噂がある。
とある寂れた郊外の公園で度々目撃される、謎の人物。
未だ誰も本名を知らない、その人物は、自らを『賢者』と語った。
歪んだ天才。記憶の永久貯蔵者。欠けた賢人。
一部では皮肉混じりの意図さえ込められる名称を、何故か彼は好んで使うようだった。
面白がっているのかどうかは、定かではない。

そう、彼。彼だ。
片手には杖、口元に蓄えた豊かな髭、左の片目眼鏡(モノクル)が理知的な印象を醸し出し、 シルクハットを被った姿は実に胡散臭……否、紳士然としている。
賢者というよりは、見本のような渋い紳士である。
ただ、背に広がるマントの所為で些か怪盗染みてもいたが。

……まあそれだけならば、噂の根源にはならないだろう。
似た背格好の男性なら少し探せば見つかる(とはいえ彼ほど『決まった』姿はしていないものだ)が、 彼を話題の端に上らせた要因は別に存在する。

―――― つまり、彼もまた解りやすい変人だったのだ。


私が初めて彼と出逢ったのは、ある春の日の黄昏時。
寂れた郊外の公園で、背後から声を掛けられたんです。

「今晩和―――― お嬢さん」
「ひっ! ……貴方は?」
「呼び名は多々あるが……そうだね、君には『賢者』と呼んでもらえると嬉しい。ところで、先ほどから君は何事かお悩みかな?」
「え、その……」

ぶっちゃけ、そんなこと初対面の人間に話すことではありませんよね? ですよね? だから私は俯いて、口を閉ざしました。
けれど彼は私を足下から辿るように見つめ、一人頷き、

「君は、その噴水に恋でもしているのかね?」
「違います」

物理的に無理です。

「ふむ。何度も何度も噴水の周りを廻っていたものだから、よほど御執心なんだろうと思ったのだよ。気を悪くしたなら謝ろう」
「………………」
「ちなみに、君が噴水を廻った回数は11回、歩数にして704歩、距離にして実に約337メートルだ」

私は引きました。ドン引きです。
それはつまり、私がずっと悩んでいる姿を見ていたということで、 いちいちこちらの挙動をチェックしては指折り数えていたということですから。 何ですか、性質の悪いストーカーですか、ならどうやってこの場から逃げようかと冷や汗を流し始めた私は、 とりあえず無難に行こうと言葉を選びました。

「あの……私、用事があるので」
「待ちたまえ」

嫌です。

「なるほど……産むべきか産まざるべきか、かね」
「話聞いてますか」
「それが最大の、謂わば問題だ。君もそう思うだろう?」
「ていっ」
「おうっ」

全力でローキック。
少々身重では厳しい動作ですが、ちょっとは効いたのか蹴りを受けた膝を抱えて彼はうずくまりました。
しかしすぐ何事もなかったかのように立ち上がり、私の正面を陣取ります。あ、でも地面についた杖が震えてる。

「さて、では私は去るとしよう」
「………………」
「お別れだ、お嬢さん。そして賢者の予言をひとつ。君と私は、近いうちにもう一度逢うだろう。それを覚えておきなさい」

ばさり、とマントを翻すと、もうそこに彼はいませんでした。
私は溜め息を吐きます。だいたいマントなんてものを着込んでいる人間の大半は、変態と相場が決まっているのです。
二度と逢わないことを祈って、私は公園を出ました。

七日後。
再び公園を訪れた私は、ぼんやりと噴水の縁に座り考え事をしていました。時刻は夜に程近い、黄昏時。
とてつもなく嫌な予感がして、私は振り向きます。そこに、

「やぁ、御機嫌よう―――― お嬢さん」
「今すぐ反転して帰ってください。ていうか帰れ」
「先日の悩み事に対する解答は出たのかな?」

理想的なスルーです。もう腹も立ちません。

「君と別れてから丁度一週間、時間にして168時間、分にして10080分、秒にして604800秒。
 ……と言っている間にも、23秒が過ぎてしまった」

しかも、続いたのはあまりにも偏執的な台詞です。
この人はわざわざ下準備でもしてきたのでしょうか。秒数まで計って、一体何をしたいのか全く以って理解できません。
私はどうしたらいいんですか。

「長いようで短い時間だ。今日の君は随分落ち着いているようで、私は嬉しいよ。
 その様子だと、ついに噴水に告白する決心でもついたのかな?」
「知りません。帰ってください」
「それは失敬。しかしベタネタこそ真理だとは思わないかね?」
「知りません。帰ってください」
「まだ悩んでいるようだね。だから私はここに来たのだよ」
「知りません。帰ってください」
「……やれやれ、君は話を聞かない人だね」

偶然にも所持していたサップグローブを指に通して殴りました。本気と書いてマジです。
彼は錐揉み回転で吹っ飛び転がり、動かなくなります。
証拠隠滅のためグローブについた血を後ろ手で噴水に入れ洗っていると、 いつの間にか背後に彼が立っていました。不死身ですか貴方は。

「私でよければ、その悩み事を聞こう。君とは良き話し相手になれると思うのだが、どうだろうか」
「有り得ません」
「さあ、遠慮なく言いたまえ」

アレですか。
洗いざらい喋らないと開放してくれないんですか。

「……ってもう私の悩み事知ってますよね」
「産むべきか産まざるべきか、かね?」
「はい聞きましたね。じゃあ今すぐ消えてください」
「一人で悩むと健康に悪いだろう」
「このやり場のない怒りはどこにぶつければ?」
「丁度良いところに人形が」
「……何で持ってるんですか」
「偶然だよ。ちなみに、ここを押すと声が出る」
『イエ―――――――― ィ!』
「ていっ」
「ああっ」

妹や娘の尻に敷かれそうな優男の人形を噴水に投げ入れ、念入りに沈めました。
いくつか小銭を散らしましたが気にしていたらやっていけません。
彼は少しだけしょぼくれた表情を見せ、拾い上げた人形をぎゅーっと絞っていました。
デリケートな扱いはしなくていいんですか。声出るのに。

「……君は、明日が来て欲しいと、そう思っているのかね?」
「唐突にシリアス入りましたね」
「無視してもう一度言うが、思っているのかね?」
「今、全力で明日になって欲しいと思ってます」
「ならば、生まれて来る子も、君と同じように人生を愛すだろう」
「前後部分まるで顧みてないですね」
「さようなら、お嬢さん! また逢おう!」

見事に投げっぱなしです。
でも、少し前まで私を苛んでいた悩み事は、気づけば綺麗さっぱりなくなっていました。

「………………もしかしたら」

何だかんだ言って、彼は私の背を押してくれたのかもしれないと。
―――― そう、考えてみたのでした。

『今晩和―――― お嬢さん』
『ひっ! ……誰!?』
「…………やっぱりそれはない」

人々は、畏怖と不理解の感情を以って彼をこう呼ぶ。
(人間的に)黄昏の賢者、と。


>黄昏時に妙齢の女性の背後に立っては「今晩和―――― お嬢さん」と耳元で囁く神出鬼没の似非紳士。そんな駄目イメージ。
>しかしこの曲は何度聴いてもぶるっと来ます。おおう。


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11.それだけで、いいの(11文字の伝言/truemessage)

包み込む腕の中に、温もりを感じて、私は少し涙しました。
嗚呼……何て、温かいのでしょうか。
力を込めれば身じろぎし、けれど安らかなその寝顔が揺らぐことはなく。
すやすやと、すよすよと、何知らぬという顔で眠り続けています。

穏やかであれと、心から願いました。
きっとその願いは、叶わないのでしょうけど。
それでも私は、願わずにはいられなかったのです。

抱き上げる手指に思うより力が入らないことを、事実として私は理解していました。
鏡を見れば、頬やつれ全体的に骨張った身体が映るはずです。
朝が訪れる度、ベッドから離れ難くなる自分の衰弱ぶりが、今は恨めしく、そして悔しく感じます。夜を迎えるのが、怖い。

私の愛し幼子は、元気です。
起きては無邪気に笑う姿を目にすると、もしかしたらこの子は私から生命を持っていっているのかもしれない、とも考えました。

……ならばいつか、アナタは私を殺すのでしょうね。

それでもいい、と思います。
私が死ぬことでこの子が生きられるのなら、残りの人生を、未来を、全てを喜んで差し出しましょう。
この子こそが、私の生きる意味。私の人生の、ただひとつの証。

瞳に灼きついて忘れられない過去があります。
この子が生まれて来た朝。寒い、冬の日の朝。
高らかに上げた産声と、握り締めた小さな小さな手。
どれだけ―――― どれだけ私がこの子を誇りに思ったか、眠れる我が子にはわからないでしょうね。
最高の幸運と思ったか、愛しい我が子は知らずに生きていくのでしょうね。

構いません。
何もかも、知ることがなくともいいのです。

正直に言えば、私はこの子を産むかどうか、迷っていました。
けれど……『彼』は教えてくれたのです。
もし、私が過去を忌むべきものとして捉えているなら、生命を身に宿したことを後悔しているなら、
……いずれ痛みになるであろう子を産むべきではないと。
そして、私が未来を望ましいものとして願っているなら、痛みすら受け入れることを肯定しているなら、
……生まれて来た子もまた私と同じように、人生を愛すだろうと。

―――― この子には、忘れないでいてほしい。

私は確かに、この子を望んで産んだのです。
母として。親として。詩を灯す、未来の紡ぎ手として。
例え、産んだのが私でなくても。誰であったとしても、その事実は、本質は何ひとつ変わりません。決して、揺るぎません。
この子を私は愛しています。この子は、私に愛されているのです。

だから―――― だから。
ごめんなさい。もう、傍で歩みを見守れなくて。
ありがとう。この世界に、私の許に生まれて来てくれて。

挫けず生きなさい。
どんな苦難が訪れても、諦めず勇敢に立ち向かいなさい。
凛と往きなさい。
アナタの人生は、アナタ自身が切り拓くものなのですから。

私はこの子と出逢えて、本当に幸せでした。
この子がここにいることこそ、私が生きた意味。
生きていってくれることこそ、私の人生の意味。

―――― アナタは、私の幸福そのもの。

願わくば、この地平線(せかい)、愛してくれることを。
私の愛し子、可愛い幸福の子が、自分の地平線(みらい)を目指して生きていくことを。

「幸せに、おなりなさい」

それだけで、いいの。


>母の想いは、そこに集約するのでしょうね。
>愛し子よ、アナタはアナタの幸せを掴めますように。


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12.あともうひとつの伝言(語られざる地平/yaneuraroman)

親愛なる地平線の旅人よ、これで何度目の再会かな?
君達は方向音痴にも程があるのではないかと思うのだがどうかね?

「……余計なお世話です」

ふむ、それは申し訳ない。少々お節介が過ぎたようだ。
私は普段から紳士たろうとしているのでね、時にそれが行き過ぎることもあるかもしれない。故に、先に謝っておこう。
このジェントルマンっぷりに惚れてはいけないよ、と。

「謝ってないと思いますが」
「むしろ顔も見たくありません。帰ってください」

おやおや、菫の姫君。それは少し違う。
帰るのは君達の方だよ。ここは私の居場所で、君達の居場所ではない。
それとも、君達の探している『物語』はここにこそあるのかね?
だとしたら喜んで譲ろうではないか。私もいい加減飽きてきたのでね。
何、不毛の地ではあるが決して悪いところばかりではない。
定期的にどこからか狂笑が響いてくるが、それさえ覗けば比較的平穏な世界だよ。そうは思わないかな?

「全く少しもこれっぽっちも」
「よく平気でいられますね……」

住めば都、何事も慣れてしまえば問題ない、ということだ。
しかし、わざわざ留まって会話を望むとは、君達もまた随分と暇を持て余しているようだね。
それとも、私に会いに訪れてきてくれたのかな?

「……帰りましょうオルテンシア」
「ええヴィオレット、今すぐにでも」

待ちたまえお嬢さん方!

「……何ですか。ふざけたこと言ったら蹴り飛ばしますよ」
「貴方の存在が冗談みたいなものですが」

何、今日はゲストを用意したのだよ。
その辺の地平線をふらりと彷徨っていたので、連れてきたのだ。
彼は最近どうも辛いことばかりだったようなのでね、相談に乗らせてもらったのだが……。
話に聞く限りでは、可愛い娘のような子達にいつも虐げられているらしいのだ。
自分主人なのに全然優しくしてくれないと嘆いていたよ。
実に……実に、同情を誘う境遇だとは思わないかね?

「物凄く嫌な予感がしてきました」
「奇遇ですね。私も同じです」

では彼に来てもらおう。

「イエ―――――――― ィ!」
『やっぱり……』
「嗚呼、誰かと思えばヴィオレットとオルテンシアじゃないか!」

ふむ、既知の人物なのかね。
これは偶然と称するべきなのか、それとも必然と喩えるべきなのか。
ともあれ、後はゆっくり三人で話すといい。私はその間、しばらく他の地平線を覗きに行くとしよう。
ここには必ず誰かがいなければいけないのでね。
一人でも存在していれば『彼女』は満足してくれるのだが…… 誰もいなくなると拗ねて誰かを呪いに行くものだから、なかなか目が離せないのだよ。
……そういうのを『ツンデレ』というらしいのだが、本当かね?

「知りません……というかこれどうにかしてください」
「これとは酷いよヴィオレット!」
「僭越ながらムッシュ、ぶっちゃけ邪魔です消えてください」
「オルタンシア、君まで容赦ないのか! しかも僭越ながら、 なんて前フリと後半部が全然繋がっていないと君の主人は思うんだがどうだろう」
「ムッシュ、過去の賢人曰く、自らの認識をこそ信じるべきとのことです」
「…………つまり?」
「ムッシュの思った通りかと」
「僕は君達をそこまで歯に布着せぬ性格にした覚えはないぐふっ!」

おや、まるで容赦がないね。
……もしかして、もう帰ってしまうのかな?
残念だよ、折角私も別の地平線を久々に廻ることができると思ったのだが。
いや、私のことは気にしなくて構わんよ。往きたまえ、地平線を廻る旅人よ。
君達が風車を廻し続ける限り、朝と夜を繰り返す限り、再び廻り逢うこともあるのだから。それまでは「Au revoir」だ。
この行き止まり、行き詰まった不毛の世界、焔は絶え星屑の光なく詩のひとつさえ灯らない終焉の流刑地に訪れたことにも、 君達にとっては何かの意味を持つのだろう。
さあ、戻りたまえ。君達が望む地平へ、君達の在るべき物語へ。
別れとは、一時の幻想でしかない。私と君達が再び出逢う時、例え互いが如何なる姿をしていようとも、 それが再会であることに変わりはない。
つまり、それが「本質は変わらない」ということだ。
君達は―――― 君達の役割を果たすために。彼を連れて、ね。

では、0301 0805 0103 0501 0901――――

―――― さて、どうしたものかね。
ライフワークを行えないのは大変苦痛なのだが……。
如何せん、私以外の誰も存在しない世界では、妙齢の女性の一人も見当たらないのだから。
……ああ、お嬢さん、君がいるのだったね。だが申し訳ない、君は少々若過ぎる。
誠に残念だが、私はどちらかというと熟女好きなのだよ。

『0304 0203 0601 0901 0404
 0705 0405 1004 0904 0701 0304 1003』

嘘を吐いていたのは誰だ誰だ誰だ(エコー)


>屋根裏の少女の絵のモデルとして過ごす日々。
>『あちら』では変質者として色々指名手配とか顔知られてたりとかで戻ると危ないため逃げてきたとか。
>ヘタレで未だ生まれて来れないイヴェール。
>些か物理的にも精神的にもヴァイオレンスなヴィオレット。
>大人しいように見えて割と容赦ないオルテンシア。
>ストーカー気質バリバリな黄昏の賢者ことクリストフ。
>さて、嘘を吐いているのは誰でしょう。全員嘘とか言うな。



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