客は訪れない。 何故なら、竹は道を塞ぐように乱立し、夜は魑魅魍魎が跋扈し、そして私の住む場所までは遠いのだから。 人は辿り着く前に迷い諦めるか、妖の類に喰われるだろう。 ならば妖怪が来るのかと言えば、そんなはずもない。彼らが訪れることには何の得もないのだ。 故に、私は孤独な時間を過ごしていた。 それは未来永劫、揺らがないものだと思っていた。 蓬莱の呪いは、解けるはずがないと。 理由の行方と縋るもの いつかの人妖、その片割れが前触れなくやってきた。 不意にどこからともなく現れて、何の用かと訊ねれば退屈凌ぎに、と曖昧に答えたそいつ……八雲紫。 私が日々の習慣をこなしている間も、ただ横を歩くだけで、別に話しかけるわけでもない。行動を起こすわけでもない。 かといって私を観察しているのかと思いきや、どこかそっぽを向いていたりして。 一体何をしたいのか、さっぱりわからない。 そういえば前に所用で博麗神社に行って、その時に軽く話の種に挙がったことがあった。 巫女曰く、あいつは理解するだけ無駄よ、とのこと。 人間の理解の範疇に収まらないという意味で言っていたのかもしれないが、私も理解できないのなら……と少しばかりの安堵を得た。 だってそれは、まだ、思考は人間から逸脱していないことの証明ではないだろうか。 「あら、手が止まっているわよ」 「余計な世話だ」 今、作っているのは竹細工だ。 随分前から続けている、私の数少ない趣味である。 暇潰しの意もあるが、作るものは皿や飯盒など日用品が大半なため、時々しなくてはいけないことにもなっている。 「……よし、できた」 「竹蜻蛉、ね」 「そう。……あげようか? これは手軽に作れる方だし」 「ではご好意に甘えて」 手渡した出来たての竹蜻蛉を、彼女は手袋をしたまますっと回す。 空に放るようにすると、くるくる風を切って結構な長さ落ちてこなかった。 それから回転数の減った蜻蛉はゆっくりと下降し、地面についたかと思えば彼女の手に戻ってきている。 私には一瞬、落ちたその場所に開く隙間が見えた。なるほど、何度か目にしたが便利な力だ。 「確か、境界を操れるんだったっけ」 「まあ正解ね」 「随分と自由度が高いのね。ひょっとして、それで私の不死性も消せたりするのかしら?」 冗談のつもりで、私は軽く口にした。 まさかそんなこと、不可能だと思いながら。 「ええ、できるわよ」 でも。 こいつは今、なんて言った…………? 「あなたの力は蓬莱の薬によって後天的に与えられたもの。そこには、境界がある。だから、その境目をちょっといじれば」 「ほ、本当か!? 本当にそんなことができるのか!?」 「必死ね。そこまであなたは永遠の生が嫌いなの?」 「当たり前だ! 私が死ななくなった所為で、輝夜の所為で、私はっ……」 生きるということは、生き続けるということは、この世の地獄を見ることと同意だ。 人は死んでいく。ほんの短い間に。 妖怪も死んでいく。人より長い命でも。 そして私は、永遠に死なない。他の全ての生は須臾だ。永遠の、ほんの一欠片ですらない。 世界は変わっていくのに、私だけは変わらず。 世界は移ろっていくのに、私だけは移ろわず。 ……何て惨たらしいのか。私は一体、何の罪を犯したというのか。 「頼む、私を、私を…………死なせてほしい」 「別に構わないけど。でも、物事を為すには代償が必要だと思わない? そうね、例えば腕一本とか。あなたなら容易いわね」 「その程度……っ」 一切の躊躇なしに、左腕を引き千切った。 嫌な感触。凄まじい痛みが身体に走る。 血が馬鹿みたいに溢れて、あっという間に地を赤く染めた。 そして、すぐに腕が再生する。傷が嘘だというように、戻っていく。 結合したそれを、私はまた千切った。また千切った。再生する度、何回も千切った。 ごとり、ごとりと地面に落ちる腕が増えていく。二本、三本、四本、五本……際限なく増えていく。 目の前の彼女は止めなかった。 私の、この執念とも言える感情から来る行動を見ていながら、全く動揺していなかった。 やがて、小さな山のように積まれた腕のひとつを取って、それから無造作に放り。 どうとも例えられない……人間が決して作ることのできない表情で、静かに言った。 「また明日来るわ。その時、あなたの気持ちは変わっているかしら?」 最後に不思議な笑みを残して、去っていった。 私は未だ鈍く在る激痛に耐えながら、積み上げた自分の腕をどうしようかと悩み始めた。食べるのは、馬鹿馬鹿しすぎる。 夜に慧音が現れた。いつもの食料と日用品その他を持ってきたらしい。 今日ばかりは、律儀に来なくてもいいのに、と思った。普段は楽しみにしているのに、自分も現金なものだ。 慧音は荷物を所定の場所に仕舞い、挨拶のひとつもない私の名前を呼びながらこちらに向かってきて、 「な…………!」 絶句した。 私にではない。私の後ろに積まれた腕にだろう。 あるいは、文字通り血の気のない私の顔を見てかもしれない。きっと、どっちも。 「妹紅! お前、一体何をした! 何があった!?」 「別に。何もないって」 「そんなわけあるか! 何だこれは、誰かにやられたのか!?」 「まさか」 「なら…………どうしてだ?」 問い詰める彼女の表情は、不安げだった。 訝しみと、心配と、その他諸々の感情が心の中を巡っているような、そんな感じだった。 こうなると黙っているわけにはいかないだろう。私は仕方なく、今日の出来事を口にした。少しばかり誤魔化して。 「妹紅は……そんなに、生きているのが嫌なのか?」 「当然よ。私は永遠に対して、憎しみしか感じない。自分の命をおぞましいと心から思う」 不変。何も変わらないこと。全てを置き去りにしていくこと。 輪廻から外れて、人間から外れて、世界から外れて、そうしたら私に何が残るというのか。 終わってしまえばいい。 私は、生きていていい存在ではないのだ。もうとっくに死んでいるはずの存在なのだ。 長く、長く、ずっと、そう、思ってきた。 「―― ずっと前から、死んでしまいたいと、思ってたのよ」 それは本心からの言葉。偽りない、心の奥にあったもの。 誰にも変えられるはずのない、肉体と共に固定された不変の感情。 なのに、 「なら、妹紅は……私と出会ったことも、嫌だと言うのか?」 ……そのひとことが、私を強く揺さぶった。 知らぬ間に、ふっと涙が出て、止まらなくなった。 「……妹紅」 抱きしめられる。 慧音の身体は、あたたかかった。 「私はお前に生きていてほしいと思う。ずっと元気でいてほしいと思う。それでは駄目か? まだ死にたいと、そう思うか?」 「………………いいえ。今は……いいや」 「そうか。ならよかった」 散々泣いて、泣き止んだ私は、慧音に明日までいてほしいと頼んだ。 仕方ないなと苦笑しながら了承した彼女の嬉しそうな顔を、私は忘れないと思う。 一緒の布団の中で、彼女が寝入ってしまった後、そっと抱きしめた身体のぬくもり。 それがあるだけで安らげて、また泣いてしまったことは心に仕舞っておく。 結局あのすきま妖怪は、次の日現れなかった。 代わりに積んであった腕の小山がなくなっていたので、報酬としてくれてやるわよ、と宙に向かって口走る。 きっとどこかで聞いているのだろう。何となくそんな気がした。 もしかしたら、不死性が消せるというのは嘘だったのかもしれない。 あらゆる意味で胡散臭い感じの奴だったし、私の反応を見て楽しんでいただけだったのかも、と。 ただ、そうだとしても、まぁ。それはそれで、いいお節介だったものだ。 ちょっとだけ、本当にちょっとだけ、私はあいつに感謝した。でも腕の痛みの分はいつか三倍返しにしてやりたい。 ふと、自分の髪をいじる。 年月の分だけ伸びたもの。地面に引きずるのは嫌だからそうなったら切るけれど、これを見ると、全部が変わらないわけでもないんだと思った。 ……今度慧音に髪留めをひとつ頼んでみよう。 髪型を変えてみたら、彼女は驚くだろうかと、そんな悪戯心を胸の奥に留めておいた。 -------------------------------------------------- あとがきは大事だけど割と大事にされてないなぁ、と思った今日この頃 言わずもがな(言わないとわからないかも)、これは妹紅さん支援ですが。 本来、紫さん支援の時に使うつもりでいたネタでもありました。 一昨日くらいに"縁の色"の話を局所的にしたんですが、まぁ、縁の色とはゆかり、つまり紫を指すわけですよ。 だったら紫さんは、縁結びとかもするんだろうか、みたいな妄想から生まれたおはなし。 ……いや、別に縁結びはしてませんが、大まかに言えばこれは"繋げる"ってことになるのかなぁ、と。 妹紅さんは輝夜さんを憎んでます。それは、やっぱり蓬莱の薬に寄る部分が一番大きいんでしょう。 父親の敵ー、とかもあるとは思いますけど、永遠を生きる苦しみは他の苦しみの比じゃないよなぁ、なんて私は考えるのです。 不死者を題材にした話は結構あります。でも例えば、昔の偉い人達は自分から不死を望むパターンが多い。 妹紅さんは違いますよね。望んで蓬莱の薬を服したとは言えない。彼女が薬壺を手にした時、それが蓬莱の物だとは微塵も気づいてなかったはず。 だから何より憎しみが先に立つんでしょう。何で私をこんな身体にした、と。 異質とは孤独と同意に近いんだと思います。 だって、非常識は排他されるのが世の中ですよね。そうでなかったら世界は完全な平等に満ち溢れてます。 境界の話じゃありませんが、得をする者がいれば必ず損をする者がいるはずです。 それと似たようなもので(似てないかも)、正常と異常が必ず存在してる。区別されてる。 妹紅さんは、死にません。"普通"は死にます。限りがあります。 故に異常。異質。異質な存在は排他される。 それは辛いでしょう。悲しいでしょう。苦しいでしょう。憎みたくも、なるでしょう。 憎む対象がいれば、孤独からは抜けられます。だって、相手がいるのなら、自分は一人じゃないから。 同類だったとしても、敵だったとしても。一人よりはマシだと、私は少なくとも思うのです。 ……まぁ、そんなおはなし。妹紅さんは排他されてきた身だけれど、それでも愛されているのでしょう、というおはなしです。 |