side:智


 デート。
 この三文字の単語には、どこか不穏な響きがあると僕は思う。
 恋人が相手なら極めて健全なものだけど、恋人以外の相手が対象な場合、途端に後ろめたさが付き纏う。
 勿論、そんなものは言い方次第だ。ただ休日に待ち合わせて遊びに行くだけ、と表現すれば、不実さは影を潜める。
 意味はない。
 いくら言葉遊びをしたところで、事実が変わるわけでもない。
 ――だから、一種の後ろめたさが消えないのも当然のことだった。

「じゃ、行ってくるね」

 だいぶ前から、茜子とは半同棲状態。
 文字通り帰る家のない茜子は、うちに来る前は路地裏生活をしていた。
 見た目以上に逞しい。料理はできないながら、意外とサバイバルスキルが高い、らしい。
 確証を持てないのは、僕が知り得る限りそういう技能を発揮した姿は見たことがないから。
 もしかしたら猫と同じように食料を調達したりしてたのかもしれないけど、今はもうその必要もないわけで。
 時折夜に出かける(予想では猫会議)のを除けば、ほぼ一日中うちにいる。
 買い物には抜き打ちで検査が入る。
 特に書籍や雑誌の類は念入りに。
 隠していたあれこれもいつの間にか捨てられていた。
 プライバシーはいずこへ。
 ……ともかく、外出の際にも茜子には行き先を告げるようにしている。
 同居人に対する当然の配慮だ。
 そこに嘘があってはならない。
 でも、今回ばかりは本当のことを言えなかった。
 宮和とのデート。
 先週に約束をして、金曜にある程度の細かい予定を決めた。
 メインはオフィーリアのガトーショコラセット。
 女の子=甘い物大好き。色々規格外な宮和もご多分に漏れない。
 以前のお礼として僕のおごり。過剰に高くはないけど安くもない。
 お財布に優しくないこと間違いなし。
 ただでさえ我が家の食費は増加の一途を辿っているというのに。
 小食の茜子より、割と頻繁に顔を出するいの方が主な原因。
 もっとも、ついつい餌付けしてしまう僕もいけないと思う。
 閑話休題。
 友達との約束がある、と茜子には言った。
 嘘は吐いてない。多少の追求も無難な返答で躱した。
 玄関まで付いてきて僕を見送る茜子の表情は読めない。
「行ってらっしゃい、智さん」とその口が小さく動く。
 それに頷いて、ドアノブから手を離し僕は外に出た。
 アパートの階段を軽く駆け下りる。
 ちなみによそ行きの普段着。下はスカート。
 着地すると広い布がふわりと浮き上がる。
 律儀に校則を守って制服着用で出かけるのは自殺行為だ。
 今でも問題は起こしたくない。呪いが消えても、バレたら大変。
 私服は迷彩になる。僕らはそうして街の風景に溶け込む。
 南聡の女学生、という属性を取り除けば、目立たず人波に紛れるのも容易だった。

「んむー……」

 何となく、やな予感がする。
 決して僕の勘は鋭くないし、もう才能もなくなってしまったはずだけれど。
 行き先を明言せずに出てきたからだろうか。
 あるいは、ほとんど追及してこなかった茜子の態度が引っ掛かっているのか。

「んー……ま、いっか」

 考えてどうにかなるものでもない。
 悩むことをやめ、さらに数分歩き駅前の待ち合わせ場所に着く。
 周囲を見回すと、既に宮和が来ていた。
 ちゃんと言った通り、私服姿だ。
 天災さんは、意外とセンスが良かった。
 地味ながらシックな色合い。落ち着いてお嬢様然とした宮和によく似合っている。
 ちょっと――いや、かなり新鮮。
 カメラが手元にあったら収めたい。

「ごきげんよう、和久津さま」
「宮、こんにちは」
「和久津さまの私服、初めて見ますわ」

 学園の外で会ったこと自体、そういえばなかった。
 というか、ほとんど僕は制服以外の恰好で出歩かない。
 大人の都合と言えなくもない感じ。

「それじゃあ行こっか」
「提案がございます」
「何?」
「折角の和久津さまとのデートですので、是非ともデートらしいことを」
「たとえば」
「映画などいかがでしょう」
「ジャンルはどんな」
「めくるめく官能の世界にいざなうような」
「えっちぃのだめです。禁止です」
「それでは、和久津さまにお任せいたします」
「いや、僕も今何やってるかはわからないんだけど……その辺は実際に見て決めればいいかな」

 行き当たりばったり。
 適当な判断が結果的に上手く左右してくれるのを祈っておく。
 肩が触れ合わない程度の距離を取って出発。
 まず目指すは映画館。デートが、始まった。










side:茜子


 怪しい。
 思い返せば、いくつか不審なところがあった。
 ぷらんぷらん乙女は本当に平然とした顔で嘘を吐くが、他の誰に見抜けなくとも、茜子には僅かな表情、仕草の変化を察知できる。毎日寝食を共にしているので、今日に限ってこころなし緊張気味だったのもすぐわかった。
 顔に似合わず神経が図太いというか、ちょっとやそっとじゃ表向き動じないあの智が、である。
 またそれとは別に、女としての勘が告げていた。間違いなく女性絡みの何かだ、と。
 だから敢えて、追及はしなかった。こちらが疑ってないと思わせ、安心させる。
 そうして泳がせてから、こっそり後をつければいい。

「……にしても、ヤツはちょっとモテ過ぎでは」

 ただでさえ茜子の敵は多い。その上第三勢力まで現れるとなると、さらなる警戒が必要だ。
 というか、今でも外では女じゃないのか。正体バラしてないのにモテるとかどういうことか。
 友達。
 出る前にそう言っていた。
 呪い持ちは基本的に友達を作らない。るいも、花鶏も、こよりも、伊代も、家族や近しい人間を除けば皆一人だった。
 他者こそが自分を殺す要因だと知っていたから。
 孤独であることが生き残るために取れる最善の手段だと理解していたから。
 誰かと接触すれば、その分リスクを負う。
 人間関係が死に直結する。
 深くは付き合えない。決して隙を見せてはならない。
 薄氷の上を歩くような日常。
 その中で茜子は囲われぬことを選び、智は脆い日常に埋没することを選んだ。
 ――出会う前から続いていた、和久津智の時間を思う。
 ちょっと嫉妬。
 我ながらベタ惚れな自覚はある。

「いざ、ストーキング」

 即決即断。
 電気を消し、合鍵をポケットに仕舞う。
 尾行するならサングラスは必須。とりあえずこれもポケットに。
 さっと靴を履いて外に出る。アパートの錆びた床が金属音を立てる。
 鍵穴に鍵を差し込み、反回転。戸締まり確認。女装少年物を愛好しているらしい隣人が住む部屋の前を足早に通り過ぎ、階段を降りる。踵の鳴らす鋭く乾いた響きが少し心地良い。
 視界の先で見慣れた背中が曲がり角を右に折れた。
 軽く走って追いかける。ついでにサングラスを取り出して掛ける。
 あとはコートがあれば完璧だが、残念ながら和久津宅にはなかった。
 心だけはハードボイルドな探偵で、茜子のストーキング、開始。
 彼はまだ、気付かない。










side:処女同盟


 その日もこよりは、役に立たないゴーグルを首に掛けて街中を歩いていた。
 ほとんど身体の一部とも言えたインラインスケートは家の押入れに眠っている。
 才能がなくなったことによる、些細な弊害。
 今や、履いたところで立つのも難しい有り様だ。
 滑るなんてもってのほか。壁から手は離せない。十中八九一歩目で転ぶ。
 顔を擦りむいたりしたらもう目も当てられないので、絶賛封印中。
 いつか自力でちゃんと扱えるようになりたいとは思っている。
 自転車を買うという選択肢は結局なしにした。
 盗まれるのは嫌だし、何より乗りこなしたとしてもすごく似合わない気がする。
 ……何となく想像。
 智か伊代辺りならママチャリでも違和感がなさそうだった。
 花鶏はライダースーツのイメージが強過ぎる。
 るいだと逆に走ってる姿しか思い浮かばない。
 茜子は未知数。二人乗りで後ろにいるか、前カゴに収まってる感じ。
 ちょっぴりおかしくて笑う。
 リボンで結われた二本の髪が、小さく揺れる。

「…………およ?」

 視界の先。
 雑踏に紛れてはっきりとは見えないが、覚えのある横顔を捉える。
 珍しい私服。いつも制服でいるから、一瞬気のせいかとスルーしかけた。

「ともセンパイ……だよね?」

 休日だからと駅前まで遊びに来ていてもおかしくはない。
 しかし、隣にいるのが茜子ではなく別の誰かだということに気付く。
 知らない女のひとだ。
 遠目からでも大人しい印象を受ける。
 お嬢様、という陳腐な単語が脳裏を過る。
 距離が開いていて会話は聞き取れない。ただ、二人の仕草で関係を推測する。

「むむ、随分と仲良さそうですよ」

 呟く。
 漠然とした危機感が鎌首をもたげる。
 一人で近付くには色々とリスクが大きい。茜子のようなステルス機能をこよりは所持していない。
 しかし、ここで智達を見失えば相手の正体もわからずじまい。
 そう判断して、懐の携帯に手が伸びた。
 アドレス帳から最初に「は」の欄を探す。
 花城花鶏。登録件数はさほど多くないのですぐに見つかる。
 番号をプッシュ。三度目のコール音が途切れて繋がった。

「あら、こよりちゃん。ようやくわたしに身も心も委ねる気になった?」
「そんなことより花鶏センパイ、緊急事態ですよう!」

 かくかくしかじか。
 とっても便利な事情説明。

「ということで、鳴滝は引き続き追跡任務を続ける所存であります!」
「じゃ、こっちは伊代に連絡を取っておくわ。皆元は……確かあいつ、携帯持ってないのよね」
「家なき子さんはこういう時難儀ですよねえ」
「ったく、仕方ないわね……。わたしがどこかで回収しておくから、経過報告はお願い」
「了解であります!」

 切れた電話をポケットに入れ、充分に離れた場所で様子を窺う。
 応援が到着するまでの間、目を離さなければいい。それだけならば、難しいことでもないだろう。
 智が動き出したのを見て、こよりは雑踏へと飛び込んだ。










side:智


 付近の映画館をひとつずつチェックしていく。
 競合するのを避けているのか、あるいは黒い利権問題が絡んでいたりするのか、重複はなし。
 子供向けのアニメと見るからにべったべたな恋愛物、ミステリと十数年前の特撮。
 表通りから少し外れたところにあった、未成年お断りな映画館は無視した。
 名残惜しげな宮の、無言の訴えも封殺する。

「というか」
「はい」
「どうしてそんなに見たがるんでしょうか」
「密室、ふたりきり、いけない気持ちのみっつがヒントでございます」
「……解答権は放棄する方向で」
「正解すれば漏れなくスターリン文庫自選集を」
「いりません」
「残念です」

 慎重な協議の結果、何故か特撮に決まった。
 ここは割り勘。客入りが全く望めないせいか、普通よりは安い。
 中はそれなりに広く閑散としている。意外に人はいたが、それでも席の半分も埋まっていなかった。
 どの列にも座れる。前に客の頭が来ない場所を選び、僕は飲み物とポップコーンを買いに行く。
 宮和が興味を持ったからだ。
 お互いあまり食べそうにないので量は少なめにしてもらった。
 紙コップのお茶を渡し、隣に再び腰を下ろす。

「これが、ぽっぷこーんなのですね」
「食べたことないんだ」
「憧れておりました」
「コンビニでも買えます」
「初めて食べる時は映画館でと決めていたのです」

 宮和のこだわりはいまいちよくわからない。
 苦笑するこちらをよそに、細くたおやかな指が僕の手にある容器のポップコーンをひとつつまむ。
 引き戻され、小さな唇へと向かう。
 仕草は優雅に。不自然さを感じさせない滑らかな動きで薄黄色の粒が吸い込まれる。
 咀嚼と嚥下の間には二秒もなかった。
 こくりと喉が鳴る。宮和の口元が微かに緩む。
 ポップコーンの味は、乾いた塩の味だ。
 飽きにくいよう調整された人工食品。
 下賤な食べ物だと言う人も、いるかもしれない。

「喉が渇きますね」
「そのために飲み物を買ってきたんだけど」
「和久津さまもお食べになってはいかがでしょう」
「勿論そうするつもり」

 空いた片手で一粒取る。
 口に運ぼうとすると、横から視線が僕を刺した。
 じっと見つめられる。
 徐々に妙な気分になってくる。

「……宮、見つめ過ぎ」
「世間では、食事姿にそそるものを感じると言います」
「そんな話はじめて聞きました」
「学園最強の和久津さまストーカーを自負するわたくしとしては、そういった方のお気持ちも理解できるのですが」
「まるで宮の他にそういう人がいるかのような口振り」
「真実とは目に見えないところにも存在しているものなのです」
「不穏な言葉だ……」

 会話もそこそこに、照明がふっと落ちる。
 映画の始まりを告げる暗闇。スクリーンに淡い光が届き、そこにフィルムが投影される。
 展開も設定も大雑把な怪獣物だ。容赦なく人は踏まれ街も破壊されているのに、悲壮な雰囲気はどこにもない。
 そのうち恐竜めいた怪獣に対抗する別の怪獣が現れる。
 遠巻きに街の住人が見守る中、これでもかとばかりに建築物が蹂躙されていく光景。
 成長した僕は、ジオラマと着ぐるみの存在を知っている。
 原始的な破壊の描写に喜ぶより、そのチープさを抽出して笑う。
 一目でわかるような荒唐無稽さに面白味を見出す。
 現実の呪いが陳腐に思えてしまう、清々しいほど明確なつくりもの。
 この歳になっても案外楽しめるというのは、ちょっとした発見だった。
 入ってから約二時間、ポップコーンの容器を空にした僕達は外に出る。
 映画の音声とはまた違う、雑踏のざわめきが耳に入る。

「良いものでした」
「まあ、宮が楽しめたなら来てよかったかな」
「和久津さまはお楽しみになれなかったのですか?」
「いや、結構面白かった。宮はどんなところが?」
「背中にあったチャックに思いを馳せておりました」
「………………」

 大人に近付いてくると、往々にしてこういった娯楽を素直に見られなくなってくる。
 純粋さを置き去りにしなければ人は社会に出られない。
 誰もが成長せずにはいられないものだと思う。
 ――とりあえず、気を取り直して続き。

「お昼はどうしよっか」
「和久津さまオススメのものを」
「この辺はそんな行き慣れてないです。……じゃあ、折角なのでハンバーガーなど。宮、食べたことないでしょ」
「さすが和久津さま、わたくしのことは何でもお見通しなのですね」
「お見通し違います」
「それにしても、清く正しい和久津さまが学園の外でこれほど多くの悪事に手を染めているとは」
「犯罪行為はしてないよ?」
「これからするのでしょうか」
「そこでどうして目を輝かせるのかと」
「……そういえば、わたくしも今や和久津さまと同じ違法行為を行った身でした」
「割と他のみんなもやってると思うけど」
「甘い言葉で共犯に誘うのが手口なのですね」
「僕がまるで詐欺師のように……」
「ですが……ハンバーガーは確かに食べたことがありません」
「じゃあ、ガトーショコラセットが後に控えてるけど、いい?」
「和久津さまのお誘いでしたら」

 普通なら、進んでジャンクフードを昼食の候補に挙げたりはしないものだけど。
 うん、たまにはこういうのもいいだろう。
 先導のつもりで半歩先に出る。と、宮和に呼び止められた。

「お手を」
「?」
「はぐれてしまっては困りますので」
「今日の宮は何だか押せ押せだ」
「愛でございます」
「せめて友情ってことにしてください」
「愛人でも構いません」
「僕が構います……」

 結局振り払えず。
 お店の中に、踏み入った。










side:茜子


 誰あの女。
 一定の距離を置き、滞りなく追跡を続けた茜子は、待ち合わせをしていたらしい相手の顔を見て目を細めた。
 第一印象は楚々とした御令嬢。
 細やかな立ち居振る舞いに、一朝一夕では染み付かない優雅さがある。
 対する智の表情には、気の抜けたような笑みが目立った。
 緩んでいる。
 自分とはまた違う、その女性に向けられた好意を感じる。
 艶めいたものではない。
 一種の気安さが窺えて、何とも言えない気持ちになった。
 智風に言えばもにょる。
 あの泥棒猫めー、と懐から出したハンカチを無表情のままギリギリと噛んでみる。
 一人芝居はそこそこに。
 動き出した二人に合わせ、さらに追跡。
 数十メートル前を行く背中が映画館に姿を消す。
 ここで致命的な失態に気付いた。

「はっ。茜子さんは文無しでした」

 居候の弱点、逃れられない宿命だ。
 勿論、わざとらしく説明台詞を吐いたところで事態は好転しない。
 仕方ないので張り込むことにする。二時間ほどで出てくるだろうと腹を決める。
 とんとん、と靴で足音を鳴らしていると、どこからか猫が寄ってきた。
 無言で靴に鼻を擦りつけてくる。
 しばらくはあまり真面目に見張らずとも大丈夫そうなので、しゃがんで軽く頭を撫でた。

「ナイスタイミングです、タラバガニラス」
「うなー」

 暇潰しを兼ねて弄り倒す。
 タラバガニラスは無抵抗に身を委ねてきた。
 おなかぐりぐり。
 為すがままで転がる。
 そうしているうちに、一匹、また一匹と猫が増えた。
 路地裏に程近い道の端で思う存分戯れる。

「む……動きましたか」

 視界の隅。
 映画館の出入口に人の流れを見つける。
 名残惜しげに鳴く猫達と別れを告げ、ほんの少し距離を詰めておく。
 雑踏に恐怖は感じない。
 他者との接触を疎ましく思うことはあっても、恐れる必然性はもうなかった。
 かつて過剰なほど身近に存在した死も、今は遠い。
 束縛を失った茜子は、過去と比べ格段に自由だ。

「今度から智さんには盗聴器を持たせねば」

 会話が聞き取れないことに苛立つ。
 しかし、近付き過ぎればストーキング発覚の可能性が格段に上がってしまう。
 智は微妙に鋭いところがある。“群れ”のブレイン役は油断ならない。
 読唇術のスキルが求められる状況だった。

「……我ながら独り言超寒い」

 毒舌や要ツッコミな台詞も、受け取る他者がいなければ意味のないものだ。
 相方不在は手痛い。そんなことを考えている間に再び二人が動き始める。
 つい走りかけるが、行き先がすぐ近くだとわかって浮きかけた足を下ろした。
 全国展開をしているハンバーガーのチェーン店。
 一部の定番メニューが過剰に安く、その分味がよろしくないことでも有名。
 百円玉が一枚あればとりあえずの昼食も済ませられる。
 自他共に認める健啖家のるいとは真逆の茜子は、ほとんど燃料要らずで活動できる。
 ただし体力は皆無。
 痩せぎすな体格通りのスタミナしか持っていない。
 何か入ってないものかとポケットを探るも、くしゃくしゃのレシートすら見当たらなかった。
 溜め息。
 視界の奥で、並ぶシルエットが自動ドアの境界線を踏み越える。

やっこさんめ、普通にデートを楽しんでやがる」

 何も知らない人間の目には、おそらく仲の良い女の子二人にしか映らないだろう。
 ――茜子は違う。
 たったひとつの秘められた事実が、その状態を鮮やかに反転させる。
 智の表情は遠くからでも判別できた。
 柔らかく、緩んでいる。
 そして隣のエネミー1(茜子さん認定)も、隠し切れない楽しそうな雰囲気を滲ませている。
 ギリギリ。
 暇を持て余して、再度嫉妬に狂う女を演じてみたり。
 ハンカチには歯形が残った。
 帰ったらこっそり洗濯機に放り込む必要がある。
 と、不意に背後から声を掛けられた。
 決して僅かではない驚きと共に振り向く。
 そこには――










side:処女同盟


 追跡を始めてから約二十分、花鶏の到着は存外に早かった。
 見慣れた制服のスカートを翻し、こよりの肩を軽く叩く。
 傍らには伊代とるいもいた。お待たせ、と花鶏はウインクをし、目だけで現状を問うてくる。

「智はどうしたのかしら。この辺にはいないみたいだけど……」
「それが、ともセンパイと女の人はさっきあそこの映画館に入っちゃって」
「ちょっとちょっと、何の話をしてるのよ。というか、だいたいわたし達はどうしてこんなこそこそしてるの?」
「私はいきなり変態に首根っこ掴まれて連れてこられた」
「花鶏センパイ強引過ぎます!」
「しょうがないでしょ。智の一大事だって聞いて、居ても立ってもいられなくなったのよ」
「え、なに、トモが大変なの!?」
「いやー……その、何と言いますか……」
「茅場を差し置いて智が女の子とデートしてる、らしいわ。相手とは随分親しそうだったんでしょ?」
「清楚系のお嬢様っぽい感じでした!」
「それって、花鶏と茜子を足して二で割った感じ?」
「そんな人類がいてたまりますか」

 外見だけは一番お嬢様らしい花鶏と、黙っていれば物静かに見えないこともない茜子。
 足した時点で核融合は必至だ。
 新機軸のキャラクターとしてはありなのかもしれない。

「ま、処女同盟としては見過ごせる状況じゃないわね。敵は少ないに越したことはない」
「覗きみたいであんまり気が進まないけど……その女の子の正体は知っておきたいところね」
「んでも、表向き女の子同士なんだし、別に心配することもないんじゃない?」
「いえ、鳴滝にはわかります! 迸る乙女オーラにビビっと来たのです!」
「ってことは、花鶏と同類?」
「信じたくはないけど、そうなるわね」
「……トモ、超ぴんちだ」

 意見が一致する。
 絡み合う視線が同じ場所へと向く。

「こよりちゃん、伊代、お金は持ってきてる?」
「えーっと……五千円ほど」
「わたしもそのくらいね」
「……どうして私には訊かないのさ」
「家なしのあんたが財布なんて上等なものを持ってるわけないじゃない」
「私だって小銭くらいは持ってるっつーの!」
「財布がないのは否定しないのね……」
「とにかく。映画のチケットも買えない皆元は置いといて、私達なら入れるわ」
「下手に近寄ったら気付かれない?」
「始まる前なら大丈夫でしょ。位置取りさえ間違わなければ問題ないはず」
「でも、るいセンパイを本当に置いてくのは……」
「そーだそーだ! 貧乏差別反対!」
「貧乏人は貧乏人らしく地べたに這いつくばってなさい」
「そっちこそ、自分で稼いだわけでもないのにえっらそーにして」
「喧嘩売ってるの?」
「だったらどーなのさ」

 相変わらず二人の仲は悪い。
 見方を変えれば一種のじゃれ合いとも取れる。
 一触触発の状況はこよりと伊代によってどうにか治まり、結局花鶏が貸し一つという形でるいの分も支払うことになった。
 受付で四人分のチケットを購入する。
 スクリーンがある空間に続く扉は全部で五つ。
 映画館の出入口に程近い廊下側に三つ、その左右、奥にトイレを据えた道の中途に一つずつ。
 発見される可能性を少しでも減らすのなら、踏み入るのはスクリーンの向かい、つまり出入口付近の三箇所が望ましい。
 偵察役としてこよりがまず先行した。
 僅かに開けた扉の隙間から滑り入り、息を殺して智達の居場所を捜す。
 他の客はほとんどいない。選び放題と言ってもいい座席の中で、ターゲットは中心から若干左寄りの位置に腰を下ろしていた。後頭部しか見えないが、それだけでも判別できる。間違いなかった。
 こよりが得た情報を元に、なるべく音を立てないよう同じ扉からひっそりと。
 周囲に怪しまれない程度には堂々と、普通の客を装って右端のルートを進む。
 真横の列を通る時は殊更慎重に。右側廊下の扉より三列ほど前に低い姿勢で身を入れた。
 ここならば、映画が終わってターゲットが出る際にすれ違うことはない。席を立つタイミングをズラすだけで済む。
 一応変装がてら、伊代以外は髪型を変更しておいた。
 るいは根元で結って長めのポニーテールに。
 花鶏はボリュームのある銀髪をまとめて三つ編みに。
 こよりは下ろして花鶏の帽子を被った。
 知った相手に与える違和感は些細なものだが、カモフラージュはこの程度で充分と判断する。

「ん……頭を引っ張られるような感覚は、ちょっと慣れないわね」
「花鶏センパイ、とっても似合ってますっ」
「ふふ、こよりちゃんも新鮮で可愛いわよ。もうムラムラするくらい」
「そ、そういえば映画館って照明が……」
「ダイジョーブ、いざって時はこいつを蹴り飛ばすから」
「……あなた達、絶対無駄に暴れて気付かれないようにしてよね」

 席は左から、花鶏、るい、伊代、こよりの順。
 性的な危険度を考慮してのことである。
 こよりの隣に自分が座るという花鶏の案は、一対三で否決された。
 以降二時間、智達の様子をちらちらと窺いながらも(特にるいは)映画を楽しみ、ターゲットの退出を確認して後を追う。
 ちなみに、上映中幾度となく行われかけたセクハラは全てるいが妨害した。

「ったく、油断も隙もない」
「目の前に青い果実があったら、手を出さない方が失礼じゃない」
「いやー、その論理はどうかと」
「そんなことより、あっちに行ったわよ」

 ツッコミを早くも放棄した伊代が、溜め息混じりで言う。
 次の目的地がハンバーガーショップだと知り、途端にるいが色めき立った。

「ごはんごはんごはん!」
「……次は誰が貸すの?」
「鳴滝めのお財布でるいセンパイの胃袋は満足させられません……」
「わたしもおんなじようなものだし、そもそもこの子にお腹いっぱい食べさせる必要はない、わよね」
「ごはんー! 食べないとしぬー!」

 放っておくとしおしおになる。
 動力源を失ったるいは、ガス欠の自動車並みに役立たずだ。
 まだ一応懐に余裕のある三人が、互いに顔を見合わせる。
 水面下の攻防。
 無言で意思を交わす。

「いいわね?」
「負けても恨みっこなしであります!」
「まあ、これなら公平でしょ」

 腰溜めに構えられた三本の腕が掛け声と共に突き出される。
 じゃんけん。簡単に始められるこの勝負に、後出し以外の必勝法は存在しない。
 かつてそれを難なく可能にした花鶏の才能、思考加速は既に使えず、故に純粋な手の読み合いになる。
 運以上に重要なのは、敵対する相手の情報だ。
 確率の妙に頼らずとも、性格や性質から来る無意識の偏りを見抜ければ勝利は掴める。
 だから花鶏はそうした。
 伊代とこよりの思考をトレースし、ある程度当たりをつけた上で、ギリギリまで緩い握り拳を解かない。
 優れた動体視力が、二人の小さな指の動きを捉える。
 その瞬間、勝敗は決した。

「……勝った!」

 花鶏、チョキ。
 こより、伊代、共にパー。
 残った二名が割と必死な表情で敗者決定戦を行い、結果伊代がるいの昼食世話係になった。

「いい? 五百円までだからね?」
「それじゃ足りないよう……」

 子供のようにしゅんとする。
 と、俯いたるいは短く「あ」と呟いた。

「どうしたの?」
「ねえ、あそこにいるのアカネじゃない?」
「あ、ホントです」
「ハンカチ噛んでるわね」
「また古典的な……」
「見事なまでにサングラスが似合ってないっすね……」

 目立ちこそしていないが、あからさまに様子が不審だった。
 物陰に隠れている茜子の視線の先を辿れば、先ほど智達が入った店がある。
 偶然、と片付けることも、できないわけではない。
 しかしこの場合、全く同じ目的で来ていると考えた方がいいだろう。
 同じ家で暮らしている茜子なら、智が外出した直後に追いかけられる。
 おそらく、こよりがあの二人を発見する前からああしているはずだ。
 合流するのが得策か、現状リーダー的な立場にある花鶏が悩んだところで、能天気にるいが茜子の許へ駆け寄った。
 思わず頭を抱える。が、別段止める理由もない。
 状況をより詳しく知るために茜子の話を聞くというのは、案外悪くない案かもしれなかった。

「お〜い、アカネー!」

 少し弾んだるいの声に、茜子が振り向く。
 その背後、勢揃いの顔触れを見て、表情に僅かな驚きの色を滲ませる。

「茅場、奇遇ね」
「本日はお日柄もよく」
「茜子センパイはこんなところでいったいなにを?」
「ほんのりと探偵気分を味わいつつ、浮気調査を依頼する夫人の心境になってみたり」
「それはただのストーキング」
「今日の茜子さんはグラサン装備でハードボイルドです。迂闊に触れたら火傷するぜ」

 電波発言は適度に放置するのが吉。
 スルーされていじけるポーズを取る茜子に、短い質疑応答を行う。
 そうして花鶏達が知ったのは、智の隣にいたお嬢様風の女性が、智とは『友達』の関係であるということ。
 確かに仲は良さそうだったが、それだけでは何とも言えない。
 この先明確な脅威として立ち塞がる可能性も、否定はできない。
 ということで、暫定的に同盟結成。

「真ピンク・ポッチーズの発足ですよ!」
「だから、エロスなのはヤダ!」

 智が抜けると本当に女の子のみになるので、こよりの台詞はあながちズレてもいない。
 ――まあ、とにかく、そんな感じで。
 とりあえず、無一文の人間がもう一人増えた。










side:智


 ハンバーガーショップを後にした僕らは、しばらく腹ごなしも兼ねて歩き回ってから本来の目的を果たすことにした。
 オフィーリア。
 各種ケーキを売りにした洋菓子専門店。
 男子にはさっぱり縁のない場所だけど、女性には大人気。
 その中でも、店の看板商品であるガトーショコラセットは輪を掛けて売れる。
 だいたいいつも夕方前に売り切れてしまう。健全な学生にはなかなか手の出せない逸品なのだ。
 セットとして出てくる紅茶もおいしいので、僕も何度か来たことがあった。
 こんな時だけは女の子演じててよかったと思う。
 我ながら現金。
 入口の扉を引くと、高い鈴の音が響く。
 幸いにも席は空いていた。ウェイトレスがすぐに駆け寄り、奥の方に案内される。
 案の定男性の姿はどこにも見当たらなかった。

「ご注文はいかがなさいますか?」
「ガトーショコラセットをふたつお願いします」
「かしこまりました」

 もともとそういう話だったから、メニューは開くまでもない。
 ケーキが来るまでの間、ぼんやりと宮和を眺める。
 目が合った。

「……和久津さま、そんなに見つめられると」
「はずかしい?」
「おへその辺りがきゅんとしてしまいます」
「胸じゃないんだ……」
「もう少し下だったかもしれません」
「せめて上って言ってください」
「和久津さまは恥ずかしがり屋さんなのですね」
「人並みには。それより、宮はどうしてそんな話題ばっかりなのかと」
「女は秘密がいっぱいなのでございます」
「秘密でも何でもない気が」
「隠し事ばかりの和久津さまは、それはもう魅力的で」
「まるで僕が嘘吐きみたいに聞こえる」
「嘘も美徳ですわ」
「そこは否定して!」

 他愛ない会話を楽しんだところで、同時に二人分のケーキセットが来る。
 オーダーから十分も掛からない。注文を受けて作り始めるわけではないのだから、当然と言えば当然。
 適度なサイズに切り分けられた、濃いチョコレートの色が皿の白に映える。
 余計なものがないのは、味に自信があるが故だろう。
 根拠を伴ったそれは、傲慢ではない、一種の誇りだ。
 カップの底が見えるほどに澄んだ、けれど深い琥珀色の紅茶が湯気と共に上品な香りを漂わせる。
 少々値は張る。ただ、値段相応の品質は保障されている。
 軽く目配せ。気付いた宮和は、小さなフォークでガトーショコラの端を切り取り、刺してそっと口に運んだ。
 それだけの仕草で、とても洗練された印象を受ける。
 この美しさを、僕は素直に好ましく思っていた。
 静かにこくりと喉が動く。流れるように紅茶も一口。

「大変、素晴らしいお味ですわ」
「宮は前にも食べたことがあるんだっけ?」
「一度きりでございます。ですので、和久津さまがデートのお誘いを受けてくださった時、天にも昇る心地でした」
「すごい大袈裟……」
「和久津さまもお食べになってはいかがでしょうか」
「うん。こんなにおいしいんだから、ゆっくり食べよう」

 濃厚なのに甘過ぎず、滑らかな舌触りと柔らかさも相まって後を引かない。
 渋味がほとんどない紅茶との組み合わせは、本当に絶妙だった。
 最後の一欠けが名残惜しいと感じたのなんて、いつ以来だろうか。
 程良く冷めて飲みやすくなった紅茶の残りにちびちびと口を付け、お互いカップを空にして席を立つ。
 約束通り会計は僕が済ませた。
 今日一日でだいぶ財布が軽くなっちゃったな、と苦笑する。

「さて、目的は済んだけど」
「デートはこれからでございます」

 かなり強引に腕を組まされた。

「ちょ、ちょっと宮、別にそんなことしなくても逃げないって」
「言質が取れましたのでお離しいたします」
「また不穏な台詞が聞こえた……」
「ここで提案を」
「内容によります」
「人気のない広めの公園で一休みなど」

 人気のない、という辺りにそこはかとなく不安を覚える。
 でも、公園に行く選択肢自体は悪くなかった。
 何より財布に優しい。
 たぶん僕にも優しい。

「決めた。確か少し歩けば、いい感じのところがあったと思う」
「では、そちらに向かいましょう」

 普段通りのにこやかとも言える表情で、わかりやすい変化は見えないけれど。
 もしかしたら、宮和はかなり楽しんでるのかもしれない。
 さっきより若干拘束力の緩んだ腕に視線を下ろし、一瞬考える。
 ――うん、まあ。
 特には困らないし、いっか。










side:真ピンク・ポッチーズ


「あの泥棒猫めー、ギリギリ」
「茜子センパイ、ハンカチ、ハンカチが千切れそうにっ!」
「何というか、無表情でされると微妙に怖いわね……」
「伊代ならこういうの似合うんじゃない?」
「なんですって!?」
「あ、みんな、トモが動いた」

 テイクアウトで各自ハンバーガーを購入した五人は、ささっと食事を済ませターゲットの追跡を再開した。
 次の行き先、オフィーリアは店内がさほど広くなく、甘味を好かないるいが難色を示したこともあり、遠くからの監視に留める。奥の席に座られたので様子はわかりにくいが、悪い雰囲気でないのは確かだろう。
 少し早めのティータイム。
 他の客と比べ、あの二人には優雅さが伴っている。
 ここまで来て一同は、智の相手は同じ学園の生徒――それも同級生ではないか、と当たりをつけていた。
 南総学園。
 古風を通り越して化石めいた学風と可愛らしい女子の制服で有名な進学校。
 仮に友達を作るとすれば、そこでしか有り得ない。

「よくよく考えたら、ともセンパイってあんまりプライベートのことを話さないですよね」
「花鶏辺りが学園に来たりなんかしたら困るからじゃないの?」
「……言うわね、皆元」
「でも、もし連れていったら間違いなく大惨事よね」
「そこの真性レズは守備範囲が超広いですから」
「わたしだってちゃんと選り好みはするわよ。皆元と茅場には未だに興味ないし」
「胸張って言うことじゃないでしょ。……にしても」

 伊代が眼鏡の下の瞳を細める。
 店の奥で談笑している智をじっと見つめ、

「ハンバーガーにケーキ……あんなカロリー高い物ばっかり食べといて、どうして体型を維持していられるのかしら……」
「それはむしろるいセンパイに言うべきことなのでは」
「いやほら、私は体力付けるためにもいっぱい動いてるから」
「というか、いい加減智さんの家にたかりに来るのはやめた方がいいです。働け不良」
「あなたが言えたことじゃないでしょうが」
「……智のカラダについては、わたしも不思議に思ってたわ。男なのに全然毛とかないのよね」

 すぐ脱線する話を、珍しく花鶏が戻す。
 ふと以前、六人で風呂に入った時のことを思い返した。

「実はやっぱり女の子でしたー、ってことはない?」
「正真正銘智さんは男です。チュパカブラに誓って保証します」
「チュパカブラ……」

 茜子を除く各人、しばし想像。

「……そっ、それはともかく! 世の中は不公平で理不尽だと思うのよ!」
「イヨ子、もしかしてまた体重増えた?」
「空気読め巨乳二号」
「別に言うほど太ってはいないんじゃない? むしろお腹辺りは柔らかくて触ると楽しいわ」
「ちっとも嬉しくないわよ!」
「あのー、いよ子センパイも充分過ぎるほどに不公平と理不尽の体現者だと鳴滝めは思うのですが」
「おっぱいメガネは一度その無駄な肉を外すべきです」
「着脱可能だったらどんなに楽なことか……」
「持てる者の傲慢を激しく感じるコメント」
「ですです」

 貧乳コンビはこういう時だけ無駄に通じ合う。
 無意識のうちに胸を腕で庇うようにし、伊代は半歩下がって本日何度目かわからない溜め息を吐く。
 そこでるいと花鶏が同時に智の立つ姿を認めた。
 レジでの会計を終え、店から出てくる。
 そのまま迷いのない足取りで進み始めた二人を数秒の間眺め、こちらも動き出す。
 尾行にもだいぶ慣れた。
 周囲の人間に怪しまれないようなるべく自然に振る舞いつつ、先を歩く背中からは目を離さずに追い続ける。
 駅とは反対のコース。
 道中、次の目的地について少し考える。

「向こう側って何かあったっけ?」
「しばらく行けばホテル通りがあるわね」
「そそそ、それはやっぱり、ラブでエロスな感じのですか!?」
「こよりちゃんも入りたい? わたしならいつでも準備は――」
「謹んで遠慮させていただきますっ!」
「えぇー」
「不満げな声を出しながら手をわきわきさせないでくださいよう!」

 卑猥な指の蠢きで伊代が過去のトラウマを思い出し、がたがたと身を震わせる。
 それら全てを無視して真面目に追跡を行っていたるいと茜子は、大通りに面した道で智達がすっと姿をくらましたのを知った。気付かれたかと焦ったのは一瞬、急いで二人が消えた付近に駆け寄る。
 一拍遅れて三人も小走りでそちらに向かうと、両脇を植木で固めた、公園の入口が見えた。
 そこそこの広さを持つ、自然公園。
 特筆すべき施設や名所はない。

「こんなところあったんですねえ」
「私は知ってたよ。何日もいると通報されちゃうけど、ちょっと一晩雨風を凌ぐにはぴったりで」
「色気も何もない……」
「……まあ、この歳になると、あんまり好き好んで来るところじゃないわよね」
「そう? 野外プレイにはベストポジションよ」

 極めて迅速に全員が花鶏から遠ざかった。
 大魔王セクハラーのエロ発言は九割九分が本気なので、色々と危ない。
 こよりと伊代に限り、油断は貞操のピンチを招く。

「わたしまともに携帯使えないから、もしもの時はあなたが警察に電話して」
「はいです、伊代センパイ」
「え、ちょっと、そこまでわたし信用ない!?」
「ザマー」
「……っ!」

 久しぶりに揉めた。

「そうこうしてるうちに智さん発見」
「安らいだ顔でベンチに座ってますねー……」
「みんな、隠れるわよ。物音を立てないように」

 そろそろとベンチの裏側に回り、なるべく近くの草陰で息を潜める。
 何とか会話が聞こえる距離。
 呼吸を静め、耳に意識を集中する。

「今日はたくさん歩いて、少しばかり疲れました」
「宮はそんなに運動できる方じゃなかったっけ」
「純正のインドア派でございます」
「胸張って言うことじゃないです」
「和久津さまは、あまりお疲れになられてないのですね」
「程々に鍛えてるので」
「そういえば、体育の時間は惚れ惚れするような活躍をしておられました」
「部活やってる人とかには全然敵わないよ」
「ですが、わたくしの目には和久津さまが一番輝いて見えたのです」

 ――あの智が、相手にペースを握られている。
 それだけで、五人が危機感を覚えるには充分だった。
 宮、と呼ばれた女性はやけに押しが強く、しかも言葉の端々に、智に対する好意めいたものが窺える。
 ただのポーズである可能性もないわけではないが、そうと断じるのは難しい。

(あああ茜子センパイのハンカチが儚く命をーっ!)
(ほぼ無音で千切るってのも器用なものよね)
(この子はまた物を無駄にして……!)
(相変わらずイヨ子はズレてるねえ)
(……何という恐るべき伏兵)

 半分に分かれた最早用無しのハンカチをポケットに仕舞い、茜子は戦慄する。
 万が一、智の正体が彼女に知れたら。
 普通に考えれば、これまで築き上げた関係は呆気なく崩れ去ってしまうだろう。
 爆弾、劇薬とも言える秘密だ。
 同性と思っていた人間が異性だと判明した瞬間、多くの印象は裏返る。
 無防備な姿を偽ることで見られていたという嫌悪感が、全てに先立つ。
 高過ぎるリスクは智に嘘を吐き続ける未来を強いた。
 しかし――彼女はどうも、読めない。
 初めて、あの『才能』を失ったことを惜しく感じる。

「んー……いい天気」
「ずっと室内にいては息が詰まってしまいます」
「宮にしてはまともなことを言う」
「お昼寝には丁度良い陽気でございます。和久津さまもおひとつ」
「そこはかとなく危険な誘い」
「今ならわたくしの膝枕とスターリン文庫自選集をセットで」
「抱き合わせ販売よくないです」
「では、逆にわたくしが和久津さまの膝枕を堪能するというのはいかがでしょうか」
「そんなさも名案みたいな顔で言われても」
「出過ぎたお願いを申しました」
「そういうわけじゃないけど……今回は勘弁してくれると嬉しい」
「つまりそれは、次回を期待してもよいということですね」
「あ、いや」
「和久津さまは、お困りになった表情も可愛らしいですわ」
「……何か、すっごくデートみたいだ」
「デートでございますよ」

 後ろで一部始終を観察していた五人は、智の肩がぴくりと跳ねたのを見逃さなかった。
 ベンチの背もたれとバリケードの役割を果たしている茂みが邪魔になって、詳しい様子はわからない。
 もどかしさが募る。
 聞き耳を立てる身体が前のめりになる。

(あっ、ちょっと伊代、バランス崩れてる!)
(そっちが急に姿勢を変えたから、っ、あ、きゃっ!)
(重いですよう! つ、潰れる〜!)
(まず……!)

 集中していた茜子の意識が背後に向いた時には、既に遅く。
 傾いた上半身が茂みにめりこみ、ぱきぱきと乾いた枝を折る音が響くのと同時、前方に投げ出された。
 五人揃って派手に転ぶ。
 勿論、周囲からは丸見えになった。
 硬直。
 突然の不審な物音に立ち上がり振り返った智と目が合う。

「…………みんな、こんなところで、何やってるの?」
「あ、あはははは……」

 誤魔化しにもならないこよりの苦笑いが、虚しく場に広がった。










side:智


 無言で五人をひとつのベンチに無理矢理並んで正座させる。
 罪状:プライバシー侵害。
 いい歳して何をやってるのかと言いたい。

「もう、こんな時だけ息ぴったり合わせちゃって……。どうして誰も止めなかったのさ」
「いやー、ともセンパイが見知らぬ女の人と仲良さそうに歩いてるのを見て、つい花鶏センパイに連絡を」
「わ、悪いとは思ったのよ? でもほら、その……ね?」
「私は、その子が花鶏と同類だって聞いたから」
「何よ皆元、まるでわたしが危険人物みたいな言い草じゃない」
「そう言ったつもりだけど」
「……喧嘩売ってるわね?」

 あっという間に燃え上がるるいと花鶏。
 頭が痛くなってくる。

「二人ともお黙り!」
「あう」
「む……」
「和久津さま、同類、とはどういった意味なのでしょうか」
「ごめん宮、そこはお願いだからスルーして」

 教えると色々危ない感じ。
 もし宮がこれをきっかけに目覚めちゃったりとかしたら、僕は学園にいられなくなるかもしれないので。
 みんなの顔をゆっくりとなぞるように見つめ、最後、不機嫌そうな茜子に視線を留める。

「茜子」
「…………」
「茜子もずっと、みんなと一緒に尾行してたの?」
「智、この子は――」
「空気読めない巨乳は黙っててください」
「なっ……!」
「い、伊代センパイ、どうどう!」
「わたしは牛か!」

 フォローが逆に火へ油を注ぐ。
 まあ、とりあえず暴れる伊代を宥める役はこよりに任せることにして。
 再度、茜子、と呼ぶ。
 短い言葉の裏に問いかけの意を込める。

「ひとつ、答えてください」
「……何を?」
「そこな人がただのトモダチというのなら、何故素直に話してくれなかったんですか」

 返答に詰まる。
 予想していたものではあったけど、突かれると弱いところだ。
 後ろめたい気持ちは隠せない。
 僕が――例え宮和にはそう見えてないのだとしても、異性と手を繋いで、腕を組んで、デートしていたのは確かだから。
 
「えっと……やっぱり、ずるい、かな」
「はい。なので、それでおあいこです」
「今、微妙にそっちのストーカー的行為が正当化されたような……」
「錯覚です。ということで茜子さんは釈放を求めます」
「あっ、ちょっとあなた! ひとりだけ逃げるつもりね!?」
「ねこセンパイだけなんて不公平です! 鳴滝達も、うひゃあ! 花鶏センパイ足触らないでくださ、痺れて……!」
「ふふふ、この状況なら逃げられないわよこよりちゃん」
「ね、燃料切れてきた……」

 説教の時間は五分も続かない。
 何だかんだで有耶無耶なまま流されかかってる状況に思わず溜め息を漏らすと、静かな、楚々とした笑い声が聞こえた。
 いつも浮かべる柔らかな表情ではなく。
 本当に珍しい、綻んだ宮和の顔を見る。

「和久津さまは、とても素晴らしいご友人方をお持ちなのですね」
「大変婉曲的な表現」
「気心が知れているのはよいことだと」
「度が過ぎてるのは問題では」
「愛ですわ」
「その愛が痛いです。……でも宮、ごめん。折角遊びに来てもらってたのに」
「いえ、和久津さまの新たな一面が拝めたので、わたくしは満足しております」
「新たな一面?」

 僕の鸚鵡返しに宮は答えず、ただ笑みを深くする。
 何だか気恥ずかしい。
 照れ隠しに自分の髪をくるくると指に巻きつつ、とりあえずはみんなを紹介しようかと思ったところで、

「智さん」

 真横から声が耳に届く。
 反射的に振り向き、直後、間近に迫った茜子の唇が接触した。
 茫然自失。
 我が家で使っているシャンプーの香りが尾を引く。
 わざとらしく緩慢な動作で離れた茜子は、してやったりというようにニヤリと口元を緩めた。

「痛い愛を、思う存分堪能するがいいのです」

 ――結局のところ。
 僕は茜子に一生勝てないんじゃないかと、まあ、それだけの話である。



 はあ……後で宮和に説明しなきゃ……。










 あとがき

 プロットを練って書き始めた当初、これは30KB行かないかなー、と思っていたらあっさり40KB超えてました。
 昔と比べて明らかに一話一話の分量が増えてます。総合的にはいいことなんですが、ちょっともにょる部分もあったり。
 ……ということで、本当に一部の方にはお待たせしました。るい智をプレイしてからずっとどこかで書きたかった、後日談のおはなしです。正直あの話の二次創作というと、これくらいしかネタは思いつきません。
 登場人物が軒並みハイレベルな会話をするので、その辺考えながらキーボード打つのが大変でした。特に宮和と茜子。原作内でも屈指の電波っぷりを誇る(あと一人は惠)二人の発言はマジ再現とか無理です。茜子さんがちょっと大人しいのはそれが原因。
 あと、実験的に文体を変えてます。可能な限り原作の雰囲気を保ちつつ、最低限必要な描写は挟んでるつもり。るい智は地の文が滅茶苦茶特徴的ですけど、ああいうインテリっぽさを出すのは私には不可能なので、正直結構誤魔化し気味。一文一文を短くして、淡々と改行する感じです。おかげで序盤はずっと違和感がつきまとってたんですが、後半処女同盟の付近からこなれてきたのか、あるいは会話でぽんぽん進むようになったからか、地の文の長さが微妙に増えてたりしてます。いやもう、前半部は一日3KBも進まない遅筆っぷりだったからなぁ……。
 ともあれ、どうにか書き切りました。あとがきをばしばし打ってると、やっと終わったんだなあって気分になりますよね。
 ちなみにタイトルは、主題歌『絆』の歌詞から一部抜粋+付け足し。あの曲はガチ。
 ニッチなジャンルではありますが、読み手の皆さんが楽しんでくだされば幸い。



index



何かあったらどーぞ。



めーるふぉーむ


感想などあればよろしくお願いしますー。


←返信しないで、って場合はこれにチェックどぞー