「ご主人様、今日もお疲れ様です」
「ああ、いつも悪いな、朱里」
「いえ! これも軍師の務めですし……それに」
「それに?」
「わたしはご主人様に色々と教えるの、楽しんでますから」

 にっこりと可愛らしい笑顔を浮かべてそんなことを言い残し、朱里は部屋を出て行った。
 扉が閉まるのを最後まで見てから、俺は執務の後片づけを済ませ、寝台に座る。
 そのまま背から倒れ、何とはなしに天井を眺めた。

「……これで、よかったんだよな」

 こんな台詞誰かに聞かれようものなら、不安がってるのかと心配されてしまうかもしれない。 でも、それほど俺にとってあの時の決断は重いものだった。今でも少しだけ、迷いが残っているくらいには。





   『帰るべき場所』





 泰山の神殿で、この世界の象徴たる鏡を干吉に手渡された時――
 白光に飲み込まれながら、薄れていく記憶と景色の中で、俺が一心に想っていたのはみんなのことだった。
 別れたくない。離れたくない。そう強く、強く願って。
 俺に向かって必死に手を差し伸べる、愛紗、鈴々、朱里の姿が見えた。
 その後ろから凶手を閃かせる左慈の前に立ち塞がる、星、翠、紫苑の姿が見えた。
 外でも仲間が戦っている。俺の帰りを待っている人達がいる。
 ……一瞬だけ、元いた世界のことを考えた。
 母さん。父さん。聖フランチェスカの友人。そこは本来俺が生きてきた場所で、俺が戻るべき場所で。
 きっとこの外史が消滅しても、全てが元に戻れば、俺は激しい寂しさを感じながらも長い夢を見ていただけと割り切り、 今は懐かしくすら感じるあの日々をまた過ごすんだろうと、そう思う。
 だけど。

「ごめん、みんな」

 大事なものを、俺は見つけてしまったから。
 これからも、ずっと大事にしていきたいと、思ってしまったから。
 だから、俺――

「一刀さまぁっ!」
「お兄ちゃんっ!」
「ご主人様ぁっ!」

 俺を呼ぶ声の方へ、手を伸ばした。
 小さく、細く、柔らかい三人の指と、俺の指がしっかりと絡み合う。
 精一杯の力で引き上げられて、あんなにも遠く感じていたみんなの顔と、声が近くなって。

「俺は、みんなのいるところで生きていきたい……っ!」

 喉の奥底から、魂の芯から出した叫びと共に、世界が真っ白に染まり、俺の意識も離れていった。
 最後に――

『それが、あなたの選んだ答えなのね』

 そんな言葉を、聞いた気がした。



 結局俺は泰山の神殿で、危うく貂蝉に人工呼吸をされそうなところでギリギリ目覚めることができた。マジ死ぬかと思った。
 ……まあそれはともかく、無事に世界は続いたらしい。
 貂蝉の言うところによると、正確にはあの時を境に新たな外史として発生した、つまり俺達がこうして存在しているのは、 厳密には別の歴史、砕いて言えば新たに始まった物語、ということなんだが、いまいち実感がない。
 ただ、もう世界を繋ぐ道は閉ざされて、俺が天界、現実世界に戻ることはできないと言われた時、 少しだけ寂しく感じながらも、ほっとしたのは事実だ。
 これで、俺が彼女達を残してしまうようなことは無くなったのだから。

 むしろ大変なのはその後だった。
 華琳や蓮華、都に戻ってからは月や詠達に事の顛末を説明し、白装束の奴らは二度と出てこないと納得させてから。
 泰山での戦いで減った人員を補充しつつ、さらなる国の安定に臨む必要があった。
 現実世界に帰ればそこで終わり、後のことなんて考えなくてもよかったんだろうけど、そういう訳にもいかない。
 仮にも俺は一国の主、数え切れないほどの民の命を背負った人間で、その責任を軽々しく放棄することは許されないからだ。
 ここに残るというのは、そういう重荷も含めてだった。
 幸いにも魏と呉、ふたつの大国を併呑し、比類無き勢力を持っているので、他の小国に攻められる心配はない。
 その分民に負担を掛けることなく、街の人々は安心して暮らせるし、治める側だって内政に力を注げる。
 軍事と内政、どちらに関しても指折りの将がいることだし、俺が不安がる理由は全くどこにも存在しなかった。

 唯一、左慈と干吉はどうなったか、という話だが――それも貂蝉が聞かせてくれた。
 道術を巧みに使い、名だたる猛将たる三人を翻弄した左慈だが、やはり三対一では分が悪かったらしい。
 紫苑の弓で動きを封じられたところで、星と翠、二人の槍を躱し切れず致命的な傷を負い、膝をついた。
 そこで俺が愛紗達に引っ張り出され、新たな外史の発生を感じ取った干吉が、方術で瞬時に左慈の隣に移動、 最早自分で満足に立ち上がることさえできない左慈を背負い、

「それでは私達はここで失礼しましょう。目的も達せられなかったことですしね」
「……これからどうするつもりかしら?」
「さあ。私は彼がいればそれだけでいいんですよ。神仙らしく、二人でゆっくり隠遁でもしましょうか。 ああ、北郷一刀にはもう手を出しません。命を狙う必要もありませんしね。……では、これにて」

 貂蝉にそう言い残し、どこかへ去ったという。
 以来、一度も俺の前に現れていないから、手を出さないというのは本当なんだろう。 斥候に探させた方が、と提案した朱里を貂蝉が止めたことも、充分な判断材料になると思う。
 ――他に前と変わったことは、と言えば、俺自身のことくらいだろうか。
 何だかんだで貂蝉も街の住人として居座っているみたいだし、みんな相変わらずだ。
 内政が落ち着いてから、魏の領地は華琳が、呉の領地は蓮華が治めることになり、彼女達はそっちに居を移したけれど、 それは元から決まってたことだった。今でもよくこっちに来る。
 現在は都が洛陽なので華琳の方が近く、わたしの方が遠くて不便だ、と蓮華にぼやかれたが、そこは我慢してほしい。
 まあ、その後に「遠い分、一緒の時はいっぱい一刀に甘えちゃおうかしら」なんて茶化していたから大丈夫だろう。
 ……半分くらい本気っぽかったけど。
 華琳は華琳で「統治なんて面倒よねぇ。いっそ誰かに任せちゃうのはどう?」だなんて言い出して、正直少し焦った。
 お互い、次に会った時が、少し楽しみでもあり、怖くもあり。

 そんなみんなを見ていると、俺も頑張らなきゃなと思う。
 とはいえ、多くの戦いを経ても俺はやっぱり一介の元学生で、とにかく弱い。
 剣の腕は愛紗達一騎当千の猛将には遠く及ばず、政務も朱里や紫苑らの助け無しではまずやっていけない。
 頼れる部分は、仲間なんだから頼っていいと思う。でも、できないからといってそのままにしておくのは許せなかった。 だってそれは、甘えだ。
 これからの俺には、時間がある。いつか帰る日が来るかもしれない、この日々も終わるかもしれない、 なんていう心配もなくなって、ずっとここにいる、離れない、そう約束することができた。
 だから、俺ももっと強くなって、戦乱の治まった今も苦心しているみんなの負担を少しでも減らしたい。
 ……そのために必要なら、どんな努力も苦労も惜しむつもりはなかった。

 六人の中でも教えるのが上手い愛紗や星からは剣術、特に応用的な戦いの術を学んでいる。
 二人とも得意としている獲物は違うけど、それでも武器の扱い方は俺より全然優れてるし、基礎の部分からして明確な差がある。
 正直ボコボコにのされる毎日だけど、その中で知ることは多い。理屈じゃない、感覚としてだ。
 ぶっ倒れない程度に夜は筋力トレーニングもしている。それもまた、必要な苦労。

 政務に関しても、普段こなしてる分とは別に、朱里から前にも増して色々と教わることにした。
 字の書き方から始まり、国の仕組み、予算や兵糧、街の統治や税率に関してなどをより詳しく。
 朱里は「ご主人様ができない部分はわたし達がやりますよ?」と言ってくれたけど、 やっぱりここも甘えっぱなしなのは嫌で、せめてしっかり理解くらいはしておきたい。
 おかげで日々の執務も段々と早い時間に終わらせられるようになって、自由時間が増えた。
 その時間に何をしているかというと、まあ、色々だ。うん、色々。鍛錬とかも含めて。
 ……そういえば、最近ほとんど一人で寝てないなぁ。ほぼ毎日誰かと枕を共にしてる気がする。

「それでかな」

 久々に、目を閉じれば瞼の裏にはぼんやりとひとつの光景が浮かび上がっていた。
 そこに映っているのは、他でもない自分自身と、この世界で出会った女の子達の姿。
 みんな聖フランチェスカの制服を着て――紫苑や貂蝉なんかは教員っぽい服装だけど、学校生活を楽しんでいる。
 有り得ない情景だ、とは言い切れなかった。そうなる可能性は確かにあったのだから。

『外史の突端になった影響かしらね。ご主人様は今、別の外史と繋がってるのよ』

 最初にそれを見た時、貂蝉に相談するとそう言われた。
 俺は一度世界の終端に辿り着き、新たな外史を自らの想念で生み出す際、同時に生まれかけていたその物語に触れ、 縁を引っ張ってきていた、らしい。持って来れるだけの縁があったのはきっと、それが別の俺が選び取った物語だからだと思う。
 あの時俺は、こちらで生きていくことを強く願った。その想念が突端となり、外史の方向性を固定したんだろう。
 ならば、もしそう思わなかったんだとしたら……たぶん俺は現実世界に戻っていた。
 ただ、同じように見えても、あれは厳密には『元々俺がいた世界』ではなく、俺の想念によって発生した外史だ。
 そう言い切れる理由がある。……向こうに、こっちでは死んだはずの公孫賛や周瑜、華雄までいた。
 死者は生き返らない。現に今俺のいるこの世界、この外史では、三人は亡くなったままだ。
 それがどうして向こうでは生きているのか――その辺も貂蝉がまとめて説明してくれた。

『ご主人様を除いた彼女達は皆、この世界で規定されていた存在よ。でも、こっちとは違い、 向こうの世界ではご主人様以外の子達が異分子、外的なもの。だから、新生した外史の中で、 再び新しい存在意義を与えられた結果、生き返った……ように見えたってところかしら?』
『じゃあ、この世界だとそういうのはないってことだな』
『ええ。ご主人様がどこにも行かずに続く物語、という形を取っている外史だもの。再構成というよりも、更新ね』

 それを聞いて少し寂しくも感じたけど、仕方ない。死人が蘇る方が、本来有り得ない奇跡なんだから。
 しかし貂蝉、お前って本当説明させるには便利な奴だよな……。それ以外じゃなるべく関わりたくないが。

「……向こうも、幸せそうだ」

 ふと、思う。
 誰も彼も欠けてない、みんなが揃った完全な、びっくりするくらいのハッピーエンド。
 そんな可能性を実際に叶えてしまったあっちの世界と、一国の主としてたくさんのものを背負うことになったこの世界。
 もしかしたら、前者の方が幸福に満ちているのかもしれないと。
 でも――

「自分の居場所で生きるのが、一番いいんだ」

 戦いの日々に流され、自然と思い出すことが少なくなった家族のこと。
 みんなにだって、そういうものはあるだろう。愛紗や鈴々のように、それが既に失われているのだとしても、 記憶は、思い出はこの世界にある。この世界にしか、ない。
 俺だって、正直未練たらたらだ。もう二度と会えないっていうのは結構辛い。
 だからこそ――そんな想いをさせたいとは、思わないから。

「なあ、向こうの俺。みんなを幸せにしてくれよ……」

 小さく、呟く。
 そして密かに、こっちも負けないくらい、頑張ってやるからな、と誓った。
 今日だけは、扉の外や窓の側に誰もいないことを、心から願った。










 群雄割拠の時代が終わり、俺達に残された使命は、長く続いた戦乱の爪痕を少しずつ癒していくことだった。
 街には民が住み、地を耕し食物を育てる。それを元手にし、あるいは税として納め、日々を生きている。
 内政を司る人間は民を纏め、問題を減らし、皆が快く暮らしていけるよう尽力する。
 考えるべきことは山ほどあった。三国を統一したとしても、まだ小さな戦いはそこかしこで起こるものだからだ。
 どんなに良心的な統治をしたって不満は出てくるし、野心を持つ者は隠れて機を窺っている。
 何かを守るために、別の何かを切り捨てなければならない時も、一度や二度じゃなかった。
 その度に落ち込んで、またみんなに気を遣わせて、自分のことを不甲斐ないと思って。
 でも、誰かを傷つけたりすることには絶対慣れちゃいけないと、強く心に決めていた。
 そうしてしばらく、ひたすら領土経営に力を注いでいた頃。

「……不穏な動き?」
「はい。幽州の西方で、前の戦いの残党が集まってるみたいです」

 各地の斥候、そのうちでも俺達には馴染み深い幽州方面に放った者から、そんな情報が入ってきた。
 残党が集まること自体は比較的よくあるんだが、問題は敵の進行先と戦力。
 朱里の話によると、どうやら啄県を目指しているらしい。
 勿論曹魏や孫呉と正面切ってぶつかった時のような大軍ではないけれど、もう結構な規模に膨れ上がっていて、 街に常駐している兵数だけじゃちょっと厳しいだろう、という結論に達した。

 さて、困ったのはそこからだ。
 こっちから軍を派遣しようってことになったのはいい。他の場所なら華琳や蓮華に頼んだ方が早かったかもしれないが、 幽州に一番近いのは洛陽に陣取った俺達だし、何より都を移す前まではそこにいたのだ。縁も恩もある。
 しかし、必要な兵数はさほど多くもなく、率いる将は誰か一人いればいい、と朱里が提案してからは大騒ぎ。
 特に最近調練や仕合以外でほとんど武器を握ることのなかった四人が揃って自分が行くと言い出して、 危うくそれぞれ獲物を持ち出しかけたところで俺と朱里が何とか止めた。紫苑、頼むから笑って見てないでくれ……。
 ちなみに、四人の言い分はこうだ。

「このごろなーんにもなくてつまらないのだー。鈴々が行きたいのだー」
「それを言ったらあたしもだよ。くぅー、血が滾るーっ!」
「わ、私はですね、その……久々に戦場を走り回りたくなったと言いますか、腕が鈍っているか心配になったと言いますか」
「平和な世もいいものですが、常に緊迫感を強いられるあの感覚を久々に味わいたくなったのですよ」

 前から順に、鈴々、翠、愛紗、星。
 全員これ以上ないってほどわかりやすい理由で、相変わらずっちゃ相変わらずなんだけど、このやりとりは少し頭が痛くなる。
 もっとまともで大人しい決め方をしてくれと懇願した結果、普通のじゃんけんで一人を選ぶことになった。

「では行くぞ……」
「あ、ちょっと待って」

 愛紗の号令でいざ、という直前の場面で、俺は制止を掛けた。
 四人が全く同時にこっちを見る。ちょっとみんな目怖いよ。

「ご主人様、唐突にどうしました?」
「いや、今回の討伐は俺もついていこうと思って」
「…………え?」

 またも同時に、今度は朱里と紫苑も加わり六人が怪訝な表情を浮かべこっちを見る。ほとんど針のむしろ。
 思わずそのプレッシャーに喉が詰まるが、このまま何も言わないと確実に誰かに責められそうなので先手を取った。

「しばらく色々忙しくって、遠出はしてなかったからさ。それに、幽州の方には久しぶりに顔を出したい」
「でもご主人様、わざわざこんな時を選ばなくてもいいと思いますわよ?」
「俺が行けば街の人達は安心してくれるだろうし……洛陽周辺の人が実際のところ俺達の統治をどう思ってるかは 何度か市に行ってみてわかってるけど、向こうはどうなのか、そういうのを自分の目で確かめたいんだ。 誰と行くにしても、命の危険は心配しなくていいしね」

 紫苑の問いに対して正直に答え、六人を見渡す。

「……駄目、かな?」

 呆れたような溜め息も、見事にシンクロしていた。










 結論だけ先に言えば、十五分にも及ぶ壮絶なじゃんけん勝負の末に勝ち抜いたのは星だった。 負けた三人は物凄く悔しがってたけれど、そればかりはどうしようもない。
 斥候の情報を参考に、すぐ動かせるだけの兵を早急に集め、纏め上げるのに数日。
 鎮圧軍の準備をしている最中、執務が一段落したところで俺はふらっと街に繰り出した。
 断じてサボっているわけではなく、そう、気分転換だ。一応視察も兼ねてる。一応。

「うーん、やっぱり賑わってるなぁ」

 行き交う人々や店を構える商人の笑顔を見ると、何だかすごく報われたような気分になる。 俺達が頑張った結果としてこの光景があるのなら、これから先もやっていこうと思えるんだ。

「おっ、太守様! 今さっきちょうど肉まんができたんです。おひとついかがですか?」
「有り難く貰うよ。おっちゃんも営業頑張ってね」

 お腹も空いていたので、受け取った肉まんにすぐかぶりつく。

「ん、うまい」

 行儀悪いよなぁ、と思いつつも、足は止めなかった。
 少しだけ速度を緩めて、道を行き過ぎる子供やお年寄りと挨拶を交わし、当てもなく歩く。
 不謹慎だけど、護衛がいないと気楽でいい。街中で襲われる可能性も無きにしも非ず……とはいえ、 実際は一度もそんなことはないんだから、楽観視するのも当然と言えば当然だ。巡回だってしっかりやってるし。

「あー……いい天気だ」

 こんな日はどこかで昼寝するのもいいかもしれない。
 戻ったらさっさと残りを終わらせてしまおう、そう考えていると、遠くから地響きが聞こえてきた。 それは次第に音を大きくして、近づいてくる。
 激しく嫌な予感がした。

「ご主人様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」
「うおっ!?」

 俺が避けられたのは、日頃の鍛錬の成果……ではなく、きっと偶然だろう。
 恐ろしい速さでさっきまで俺が立っていた場所を何かが通り過ぎた。
 一瞬のうちに繰り出された、丸太のような腕での抱擁……いや、ベアハッグ。
 あんなのに捕まったらまず助からない。全身の骨を粉々に砕かれる。

「あ、危ねえよ!」
「どうして逃げたのかしら? 折角ご主人様を見つけたから、愛の抱擁と口づけをしようと思ってたのに」
「例え天地が引っ繰り返ってもそれは嫌だ!」
「あらん、相変わらずイ・ケ・ズ。でもそんなご主人様もやっぱり素敵よん♪」

 予想通りというか、貂蝉だった。
 ああ、周囲の人が見事に引いてるよ……。皆さん本当にすいません。俺も迷惑なんです。

「色々言いたいことはあるが、とりあえず帰れ」
「出会い頭にそんな言葉、酷いわ……しくしく」
「頼むから止めてくれ……。マジで泣き顔とか見た目きついから……」
「つれないわねぇ。御主人様ったら、もうちょっとくらい私に優しくしてくれてもいいじゃないのよん」
「死んでもごめんだ」
「んもう、冷たいわぁ」

 と言いながら熱い視線を注いでくるのはどうしてだ。
 怪物と呼んでも差し支えないこの変態マッチョのせいで、さっきまでいた街の人達は綺麗さっぱり姿を消してしまっている。
 いつも顔を合わせる度に服を着てくれと思うんだが、その願いは叶いそうにない。
 そもそも、こいつがまともな服を着たとしても、事ある毎に奇声を上げてビリビリ破きそうだ。なら着せる意味すらないだろう。
 結局、俺は背後から襲われないように気をつけて接するしかないらしかった。

「それでご主人様、討伐の話はどうなってるのかしら?」
「何でお前が知ってるんだよ」
「だってあたし、そっちにもよく出入りしてるもの」

 そうだった……。
 貂蝉は華蝶仮面繋がりで星との交流も深く、とにかく力だけはあるので荷物運びには最適だからと労働要員にも数えられている。
 その辺は前から変わってないけれど、しかしこいつをすんなり入れる警備体制にも問題があるような気がするぞ俺は。

「まあ、明日には出られるかなってところだ」
「星ちゃんったら張り切ってたわよぅ。ご主人様と一緒だからって珍しく浮かれてたわ」
「いや……きっとそれだけじゃないと思うけどな……」
「だって二人寄り添って行くんでしょう? 何もない方がおかしいじゃないの。 ああっ、あたしもご主人様と二人っきりで熱く、激しく睦み合いたいわぁ!」
「絶対に有り得ないからな、言っとくけど」

 自分自身を抱き、クネクネと気味の悪い動きをし始める貂蝉。怖い。正直一刻も早くここから逃げたい。

「御主人様ったら恥ずかしいのね、そんな照れ隠しまでして。でもウブなところも可愛いわよん♪」
「いい加減そこから離れてくれ……」
「でもご主人様、もしかしたらそういう可能性もあったかもしれないのよ」
「ど、どういうことだよ」
「外史が人の想念によって形作られるものなら、ご主人様があたしを邪険にしない世界だってあるかもしれないでしょう?  それどころか、あたしと燃えるような愛の巣を築いている世界の存在だって否定はできないわ」
「…………」

 言われ、想像してしまった。
 俺が貂蝉に優しく接する世界。貂蝉の抱擁を受け入れる世界。貂蝉ともう描写するのも恐ろしいほど濃厚なキスを交わす世界。 貂蝉と同じ寝台で目にしただけでも一週間は夢に出そうな巨根を後ろから何度も突き立てられ――

「あ……っ」

 ヤバい。一瞬意識が飛んだ。
 無意識のうちに身体が震え始める。壮絶な寒気と共に、脳裏に浮かべた空想の情景がフラッシュバック。

『ほうらご主人様、あたしの、立派でしょう? どぅふふ、これがご主人様のあそこに入るのよ』
『貂蝉……』
『さあ行くわよぅ!』

 強制シャットダウン。

「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃ! アナルだけは、アナルだけは……!」
「んま、ご主人様ったらナニを想像してたのかしら。失礼しちゃうわ」

 がくがくと頭を抱えてしゃがみ込んだ俺を、貂蝉は襟元を掴み引き上げる。
 それでようやく正気に戻った。今日は確実に夜魘されそうだが。

「そ、そうだよな。冗談だよな」
「あたしは冗談じゃなくても一向に構わないわよん。 ご主人様が情事の相手役として誘ってくれないかって、いつでも待ってるんだから」
「冗談にしてくれお願いだから」

 実のある話をひとつもせず、俺は仕事に戻ることとなった。
 一応出てくる時に声を掛けたのでその辺はお咎めなしだったけど、どうやら俺の顔は相当青ざめていたらしく、 例によって執務を手伝ってくれていた朱里には滅茶苦茶心配を掛けた。それは申し訳ないと思ってる。
 大方片づいた頃には落ち着いて、多少なりともおぞましい想像を振り払うことはできた……んだけれど。

「うぅ、近寄るな、だ、誰か、襲われる……っ!」
「おはようございます……ってどうしたんですかご主人様!?」

 出立の朝だというのに、やっぱり俺は魘されていたそうだ。
 起こしに来てくれた愛紗に対し、夢の内容は決して口に出して言えなかった。










「では、行ってくる」
「星……ご主人様を頼んだぞ」

 みんなに見送られ、俺と星は洛陽を後にした。
 約一万の兵を率いて目指すは北、幽州の地。
 状況を鑑みるになるべく急ぐのが得策だが、大所帯なのでどうしても動きにくくなってしまう。 だから、予め一日の進行速度を決めて、一定距離まで移動したら休むようにしている。
 幸い道中には腰を据えられる街も多く、兵達から不満の声は上がらなかった。
 ただ、出る前に連絡は回しておいたけど、駐屯先である街の住人は武装した大軍を見て不安がっているようだった。
 それを申し訳ないとは思う。でも、家を一つ一つ回って謝るわけにもいかないし、 事情を説明したって与えるプレッシャーは変わらない。
 俺にできるのは、人々の理解が深いことを祈るのと、予定通り一泊した次の日の朝に街から出ることだけだ。
 星の日頃の調練の賜物か、兵達はよく纏まっていてもたつきも少ない。
 さして時間も掛からず、目と鼻の先に幽州が見えるところまで来れた。

「さすが星だなぁ。よく統率してると思うよ」
「調練は欠かしていませんからな。愛紗の軍にも負けますまい」
「……鈴々や翠は?」
「聞くだけ野暮というものです」

 確かに。あの二人はそういう小難しいことが苦手だし、勿論疎かにはしてないだろうけど、自分で突っ込む方が好きだからなぁ。

「戦いの際は、主に兵の正しき運用は如何にあるべきかをお見せしましょう」
「はは、楽しみにしてる」

 心なしか、星は楽しそうな声色をしていた。
 俺はそれに苦笑して、彼方でうっすらと揺れる城壁を見つめる。
 この世界では、親も家もない俺だけど……不思議と、帰ってきた、なんて気分になってるんだ。
 愛紗と鈴々、二人に出会った場所。俺が天の御遣いとして皆の上に立とうと決めた、始まりの場所。

 県令の人は俺達を快く歓迎してくれた。物凄い低姿勢なのはできれば止めてほしいけど、 俺の立場的にそんなことは言ってられない。あまり自覚がないとはいえ、一応、三国を制覇した国の主だし。
 俺と星の二人で詳しい状況を聞くと共に、街の兵と合流し、彼我の戦力差を考慮に入れて策を練る。
 敵は数こそ多く油断できないが、著名な将や軍師を据えているわけでもなく、言ってしまえば烏合の衆だ。
 要するに、黄巾の時と同じ要領。兵数にも開きはあるし、こっちが持つ戦力を上手く扱えれば、被害は最小限に抑えられる。

「ふむ。相手の戦力はおよそ七千ですか」
「随分集まったとは思うけど、このくらいの数ならそんなに苦戦しないんじゃないかな」
「主、慢心は禁物ですぞ」
「ああ、油断は絶対しない。兵の命が掛かってるんだから」

 兵は使い捨ての駒じゃない。徴兵で参加した者、自ら戦いの場を望んだ者、動機は様々でも、一様に俺と同じ人間だ。
 家族がいて、それぞれの人生がある。死ねば悲しむ人だっているだろう。
 色々なものを数字で見るようになる立場だと実感はしにくいけど、それは歴然とした事実。
 だからこそこうして、忘れないように自分の目で見る必要があるんだと思う。
 俺はたくさんの人の命を握り、背負っていることを実感する。
 そこまでしてでも守るべきものがあるということを、実感する。

「斥候より報告が入りました! 現在、敵軍はこちらを目指し直進中とのこと!」
「了解、下がっていいよ」
「はっ!」
「どうやら相手は猪の軍勢らしいですな」

 星の皮肉に思わず噴き出す。
 向こうは策も何もない、武器を持っただけの集まりだ。
 しっかり調練された兵に比べれば、圧倒的に御しやすい。

「よし、星、行こうか」

 そんな俺の言葉に、星は頷き、途端に表情を引き締める。
 纏う空気も張り詰め、天下に名だたる勇猛な将が一人、趙子龍の顔つきとなった。
 一万を超える、並べれば眩暈がするほど壮絶な数の兵士を街の外まで動かし、指令を行き渡らせ迎撃の陣を作る。

「皆の者! 敵は有象無象の軍勢、恐るるに足りん! 我が槍に続き、その力、存分に振るえ!」

 響く大音声。味方を鼓舞し、戦の火蓋を切る儀式。
 近づいてきた敵の姿を目視し、各々が武器を構える。そして、

「撃て――――!」

 雨のように敵兵へと降り注ぐ矢の束を合図に、両軍が衝突した。
 総大将である俺は一番後ろで待機。兵力としては、自分で言うのも何だけど直接の役には立たない。
 ただ、俺がいれば確実に士気は上がる。それで今は充分だ。飾りでも構わない。一国の主という立場は、いい餌にもなる。
 流れ矢に細心の注意を払いつつ、高みから伝令の報告を元に状況を把握、指示をそこそこに出して見守る。

「お、あれだな、星は」

 遠目でもわかる。先頭で猛威を振るっているのは、言うまでもなく星だ。相手を巧みにあしらいながら、上手く誘導していた。
 槍を交わし、剣をいなし、矢を弾き、的確に一撃で、一人一人確実に仕留めるその手腕は何度見ても凄い。
 望遠鏡があれば眺めていたいところだけど、それは無理な話。

「……あ、そうか。結構いい案かも」

 レンズを作れるなら、偵察とかに使えないだろうか。
 ……じゃなくて、そんな考え事は後。目の前の戦いに集中。
 星の誘導により敵軍は次第にこっちの陣へ誘い込まれ、分断、包囲されていく。
 そうして状況が有利になったところで一気に叩く、という、 まあ作戦と言っていいのかどうかもわからない単純なものではあるけれど、敵は見事に引っ掛かってくれた。 これでも充分に通用するって見立ては間違ってなかったみたいだ。
 個々の力量を抜きにすれば、戦の基本は数。例えば七千の敵とそのままぶつかれば被害も大きいけど、 それを半分にして片方ずつ潰していけるなら、全部まとめて相手にするよりも遙かに楽だろう。
 ただ、こっちの兵数が向こうより多いことを気取らせちゃいけなかった。 衝突する以前に悟られれば、勝てないと踏んで逃げられるかもしれない。 それを避けるために、待ち伏せる場所として高所を選び、戦力の半分近くを伏兵に割り当て、 一見すると兵力差で負けているように見せた。そして向こうが慢心し引き返せない位置まで来てから一気に兵を展開する、 なんて詠辺りに聞かせれば策とも呼べないと笑われそうな作戦だ。 こんなものに騙されるかどうか正直半信半疑ではあったけれど、予想以上に上手く行ってびっくりした。
 何より、星がいるんだから負けようがない。一騎当千は大袈裟でも、 一騎当百くらいなら余裕な彼女の存在は、圧倒的に過ぎるほど。

「どうにか、なりそうだな」

 思ったよりも早く――敵軍の殲滅は、終わった。
 首謀者らしき数名こそ逃してしまったものの、これで一安心。 こうも壊滅的なダメージを受けたんだから、もう再起は不可能だろう。
 戦う意思のない者は捕虜にし、兵を引き上げ俺達は街に戻った。
 こっちの被害も零じゃない。仕方ないとはいえ、それはとても悲しいことだけど……でも、 ここに住む人々に感謝されながら、みんなの笑顔を守れて、本当によかったと思った。










 行きと違い、帰りはさほど急がなくてもいい。
 先に少数の騎兵を報告に向かわせ、念のため兵の一部を街に残して、俺達は幽州を出た。
 一度来た道を戻るだけだ、移動は滞りなく、これだけの軍だと夜盗やらに襲われることもまずない。
 ところどころの街に寄っては疲労した兵を休ませ、俺は市の賑わいや人々の暮らし、 そういう実情を目に焼きつけて遠征の収穫とする。
 星はというと、諍いを見つけてはちょっと失礼、 なんて言ってふらっと姿を消した直後、例の仮面を着けてはゴロツキを叩きのめし、 警邏の追跡を鮮やかに躱して何事もなかったかのように戻ってくる、ということをしていた。
 いつでもあの仮面を持っていることがまず驚きだが、星、お前は大陸中に華蝶仮面の名を広めるつもりか……。
 一応やってることは治安を守る手伝いだし、まあ手段も奇抜だけど間違ってるわけじゃないのであまり注意もできなかったりする。
 次に各地を回る機会が訪れた時、変な噂をそこかしこで聞くことがないよう祈りたい。
 ……と、ついさっきも十五人ほどを一人で黙らせてきた星の横で考えながら、俺はふと訊いてみた。

「なあ、星の目から見て、この街はどう?」
「そうですな……こちらには前に私も旅の途中に来たことがありますが、その頃と比べて活気が満ち溢れていますな。 民の表情も明るく、良い統治の下にあると言えるでしょう」

 前に、市の様子を見に来たと言った朱里にも、まだ俺が一県令だった頃、同じようなことを訊いたのを思い出した。
 あの時朱里は星とほとんど変わらない答えを返してくれて、色々迷惑掛けちゃってるなぁ、と反省したものだけど。
 時が経って、俺はもっと重いものを背負うようになって。
 それでもどうにかやっていけてるのは、みんなのおかげだ。

「ん、そっか。ありがとな」
「私が主に礼を言われる筋合いはありませぬ。ですが、その気持ちは有り難く受け取っておきましょうか」

 だからそう口にした。
 返ってきたのは、星らしい、少しばかり遠回しな照れ隠しの言葉だった。

「あ、主、見てくだされ」
「どうした? 何か珍しいもんでも……」

 ちょっと雰囲気に浸っていたところで唐突に声を掛けられ、星が示す方へ視線を移す。
 弾んだような声色だったので、何かと思ったんだが。

「…………」

 そこは小物を扱う店らしく、女性用のアクセサリーとかがずらりと並べられていた。
 しかし、正直星にはかなり縁遠いものじゃないんだろうか、それ。
 星って女の子っていうよりも武人のイメージが強いし、いや普段から綺麗だし寝台の中じゃ特に可愛いんだけど、 着飾るところをあんまり見たことないし、酒とメンマがあれば充分、とか言いそうだからなぁ。
 まあ、それはともかく。
 わざわざ足を止めたってことは、欲しいものでもあったのかもしれない。
 プレゼントでもしたら喜ぶだろうかと思い、いったい何に目をつけたのかさり気なく訊こうとして、

「店主、これを頂こう」

 瞬殺だった。口を開く暇すらなかった。
 ひょいと軽い足取りで俺のところに戻ってきた星は、嬉しそうな顔を見せて買ったものを掲げる。

「えっと……何これ」
「見てわかりませぬか。仮面です」
「いや、それくらいは俺だってわかるんだけど……どうしてこんなもんを?」

 星が買ったのは、言葉通り仮面だった。顔を覆うものではなく、眼鏡みたいに着けるタイプ。 白を基調とし、両端が黒く塗られている。――簡潔に言えば、形も色も、まんまモンシロチョウっぽかった。

「最近、少々刺激が足りぬと思ったのです」
「はあ……」
「ひぃろぅ、でしたか? 主の話によれば、それは戦いの途中で見た目を変え、強くなるとか。 そこで私も新たな仮面を求め、市を探していたのですが……丁度良いのが見つかりましたので、購入した次第」

 言葉も出なかったのは、決して驚いたからじゃない。感心したからでもない。

「次の機会に新生した華蝶仮面の勇姿をお見せすることになるでしょう」
「まあ、何だ、その。無茶だけはするなよ」

 放っておいても大丈夫、だなんて俺は前に言ったけど。
 今はちょっと、いや、かなり心配になってきた……。余った仮面で三号が増えたりとかしないよな。

「主。先に行きますぞ」
「あ、ああ」

 不安がる俺を他所に、星は実に楽しそうな顔で歩いていく。
 それを見て俺は「ま、いっか」と呟くのだった。










「報告します」
「うん、お願い」
「敵軍首謀者、未だ発見できないとのこと。捜索は続行中です」

 道中の小さな森でしばしの休憩。昨日と一語一句変わらない定期報告を耳に入れる。
 幽州での戦いで取り逃がした首謀者を探すよう命じていたんだけど、まだ見つからないらしい。 ひっそりと溜め息を吐き、俺は報告してくれた兵を下がらせた。

「まあ……発見できなかったら、それはそれで仕方ないんだけど……」

 捕虜の人から人道的な手段(説得とか)で逃走している首謀者達の特徴を聞いたとはいえ、 人相書きが出回っているわけでもなく、怪しい人間を捕まえて確かめるくらいしか方法はない。 変装でもされていたら発見は余計困難になるだろうし、 そもそも一度姿を眩ました相手をこの広い土地の中から探し出せというのは、かなり厳しい要求だ。

「整形技術なんてものがないだけマシなのかもなぁ」
「ほう。主、整形とは?」

 他意のない呟きに、星が反応してきた。

「顔の形を変える、えっと、何て言えばいいかな……天界の、医術の一種だよ」
「それは面妖な……別人になってしまうではないですか」
「よく罪を犯した人が整形してまんまと逃げる、なんて話もあったけど。後は、火傷とかで爛れた皮膚を取り替えたり」
「仙術か何かにしか聞こえませんな……」
「いや、立派な技術だよ。メス……って言ってもわからないよな、刃を顔に入れるんだけどさ」
「痛くないのですか?」
「麻酔するから……あ、麻酔っていうのは、薬でしばらく痛みを無くすことね。整形なんかだと、全身麻酔で寝てる間にかな」
「何と。天界には本当に驚くような物事が多いですな」

 確かに、携帯然り、メール然り、機械なんてのが存在すらしない世界からしてみれば、 俺の元いた世界は全く未知の技術ばかりだろう。

「……しかし、もし私が天界に行けたとしても、整形とやらは御免被りたい」
「ん、どうしてだ?」
「眠っている最中に身体を弄られるなど、想像しただけで怖気がしますので」
「ああ……」
「ですが」

 心底嫌そうな表情をしていたかと思えば。

「主になら、床に就いている時でも少しばかりの悪戯は許しましょう」
「ぶっ!」

 唐突に、そんな鋭い切り返しをしてくるのだから、本当に侮れないというか。
 ちょっと……いや正直、滅茶苦茶ドキドキしたのは秘密だ。胸の中に仕舞っておこう。今度実行するかはさておき。

「その辺散歩してくるよ」
「太守様、護衛を」
「私が行こう」

 軽い出歩きでも二言目には護衛を、と言われる悲しい立場。
 それは納得するしかないとして、星がついてきてくれるのは心強い。
 女の子に守られるのはそりゃ無様だけど、五虎将軍が一人、趙子龍が護衛にいれば襲われても安心だ。
 力のない俺にとっては、分を弁えることがまず肝心。できないことは、仲間に任せればいい。 それがきっと、上手くやっていくコツなんだろうから。

「えっと……丁度いい場所はっと」
「どうしました主、突然辺りを見回して」
「言わなきゃ駄目か?」
「む? ……ああ、そういうことでしたか。これは失礼。何かあったら一声掛けてくだされ」

 一瞬こっちの妙な挙動を訝しむ星だったが、無意識に動く俺の両足を見て納得したらしい。
 悟られるのも情けない話だ。でも、生理現象は抑え切れない。早くトイレトイレ。
 手っ取り早く近くの茂みに身を隠し、下を脱ぐ。
 幸い小さい方だったので、用足しはすぐだった。ふるふる。よし、終わり。
 ズボンを上げ、戻ろうと俺は振り返り、
 ――がさり、と草を踏み分ける音が聞こえた。
 星がいるはずの方向からじゃない。つまり、有り得ないはずの音。

「動くな」
「っ……」
「変なことをすると首が飛ぶぜ。勿論、人も呼んじゃ駄目だ」

 首元に刃物が当てられる。銀色に光る、両刃の剣。
 俺はそのままの姿勢で固まって、声も出せない。文字通り、生殺与奪の状態だ。
 後ろで剣を構えている奴がいったい誰なのか、そんなことさえもわからない。
 ただ、何となく検討はついた。こいつは、いや、こいつらは恐らく――

「お前ら、さっさとずらかるぞ!」

 会話は外に漏れない程度の小声で交わされ、背後で俺を押さえているリーダーらしき男の言葉に二人が追随する。
 慎重に、物音を立てないよう動き始める。迂闊に反抗できない俺も、行動を共にするしかなかった。

(星……!)

 きっと星なら、すぐに気づいてくれるだろう。
 だが、この状況をどう打開するか、今の俺には考えもつかない。
 心の中で叫んだ名前も、声にならない以上、届くはずもなかった。










 戻ってくるのが遅い、と星が不審に思ったのは、二分も経っていない頃だった。
 仕草や口調から短い方と踏んでいたのだが、それにしては時間が掛かり過ぎている。
 星は無礼を承知で、主が入った茂みへと足を進めた。
 手で枝を払いながら抜ける。視界が拓け、少し先に湿った跡と尿の臭いがあるのを確認すると同時、 前方、木々の奥に動く人影を見つけた。ぱきりと細い枝を踏み折る音が向こうから聞こえる。

 ……考えるより先に、駆け出していた。

 直進。進行の妨げになる最低限の枝葉だけを背の槍で斬り払い、追いつかんと走る。
 相手はさして速くない。迫る星に気づき抜き足差し足を止めて逃げているが、 余計な物――人質がいるのであまり急げないようだった。
 星の頭の中では、高速でひとつの結論が出される。未だ見つからない先日の戦いでの首謀者、僅かな隙を狙って攫われた主。 結びつけるのは容易だ。如何なる動機があったかは知らないが、自分達の野望を潰した軍、 その総大将に恨みを持つのは、決して不自然ではない。

「何たる不覚……!」

 主の粗相を眺めるような趣味は、星にはない。
 しかし、もっと警戒して然るべきだった。平和に浸り、気を抜いていた自分はあまりにも愚かだ。

「これでは皆に叱られてしまうな……っ」

 警備が杜撰だったかどうか、それを考える時ではないだろう。
 後悔しても仕方ない。今、優先すべきは主の安全を確保すること。
 ここで逃がしてしまえばどうなるかは、想像するまでもなかった。故に、

「主、無事でいてくれ――!」

 己が身を疾風とし、星は駆けた。ただひたすらに、追いつけと。



 後ろの方から小刻みな足音が近づいてくる。
 星か、と思うが俺は振り返れない。三人に囲まれ首根っこを掴まれた状態で、しかもリーダー格の男はまだ剣を仕舞っていない。 いつでも妙な動きをしたら斬るぞ、ということだ。
 おまけに腰の武器も奪われ、例え自由になれたとしても、素手で三対一じゃ敵いそうになかった。
 ……そういえば、前にも人質にされたことがあったなぁ。
 あの時の敵はもっと情けない、典型的過ぎる下っ端戦闘員っぷりだったので逆に大丈夫だと思えたのだが、 今回のこいつらはそう馬鹿でもなさそうだった。いったいどうやって警備の目を潜ってこれたのかはわからない。 ただ、事実として俺は捕まっている。ちょっとは成長してると自負していたのに、これじゃ少しも進歩してないみたいだ。
 悔しくて、歯噛みする。そんな俺の様子を意に介さず、三人は森を出るために走り続けていた。
 それを追う足音はさらに近づき、やがて並ぶ。疾走する細身の影。その姿を認め、俺は目線で無事であることを告げる。
 無言の頷きと同時、星がついに俺達を追い抜いた。 驚き足を止める三人の進行方向に立ち塞がり、鬼気の篭もった表情で槍を構える。

「貴様ら、主を抱えてどこに行くつもりだ」
「アンタに教えてやる義理はないね。黙ってそこを通せよ。さもないと、こいつの命はないぜ」

 再び首元に添えられる刃。気を取り直したリーダー格の男は、人質の有用性をよく理解している。
 人を殺そうというのに躊躇いもなく、刃先が首筋を掠めて薄皮一枚が切れた。鋭い痛みを感じ、俺は小さく呻く。
 それに星が反応して動きかけたが、自制した。脅しじゃない。こいつは本当に、俺をここで殺してもいいと思ってる。
 もう、ほとんど確信していた。幽州での戦いで取り逃がした敵軍の首謀者は、この三人だ。
 仲間を見捨てて逃げたのも、総大将たる俺を押さえればどうにでもなると考えたからだろう。 実際その通りで、自分で言うのも何だけど、交渉材料としてもこれ以上はいない。
 まさか。有り得ない。……そんな楽観的な考えがなかったとは言えないのだから、悪いのは俺だ。 もっと警戒して然るべきだった。襲撃される可能性も、考慮するべきだった。

「ほら」

 男が武器を捨てろと命令する。
 渋々と言った面持ちで星が足下に放った槍は、草の地面に落ちて転がった。

「いいか、動くなよ。少しでも動いたら――わかってるな?」
「くっ……!」

 じりじりと、俺に剣を向けたまま、星を迂回する形で三人は歩く。
 星の背後まで辿り着いたら、そこで終わりだ。今度こそ確実に、逃げられてしまう。

(どうにか……どうにか、しないと)

 つけ入る隙は、絶対どこかにあるはずだ。一瞬、ほんの一瞬でいいから、チャンスを作ることができれば――

「…………」

 その時、星の唇が微かに開いた。
 声は出していない。でも、見間違いでないのなら、それは。

(お任せくだされ)

 そう言っているように、見えた。
 自分を信じてほしい、と。
 家臣のことを信頼するのは、主の務め。
 何より、星が信じられないなんて、そんなことはあるはずがない。
 よし。……俺の命、星に預けよう。

「随分素直じゃねえか。ま、そっちの方が俺は好きだけどな」

 余裕を見せながら、一歩、二歩と星を視界に捉えた状態で遠ざかっていく。
 そして、充分な距離を取り、もう追いつけまいと判断、反転して星から目を外す、その瞬間を待っていた。

「はっ!」

 振り向いた星が手首のスナップだけで何かを投擲。真っ直ぐ飛んできたそれは男の右手を正確に狙い、軽く刺さる。
 男から苦悶の声が上がり、僅かに俺のチェックが外れた。何を投げたのか気になるけど今は悠長にしていられない。
 俺は頭突きを一発。モロに鼻に入り、男が軽く仰け反る。後ろの二人は驚いて動けない。
 それだけの隙があれば、星にとっては充分だった。
 槍の柄を爪先で引っ掛け、蹴り上げる。宙に浮いた己の武器をしっかりと握り、一足で開いた距離を詰め、神速の突き。 まだ俺がいるから身体を刺し抜くことはできない……けれど、星の狙いはそこじゃなかった。
 血色の槍が目掛けるのは、男の持つ剣。

「ふっ……!」
「な、何っ……」

 星の槍は、切っ先が二又に分かれている。その間で刃の部分を挟むようにし、 手首の捻りで回転。結果、男の手から武器が弾かれた。
 剣を飛ばされ呆然とする男の力が緩み、開放された俺が離れるのと同時、星が柄で相手の顔を横殴りにした。
 言葉にならない呻き声を上げて、男は吹っ飛ぶ。
 後は一方的だ。腰の剣を抜く暇さえ与えずに、残りの二人をそれぞれ一撃で昏倒させた。

「っ、はぁー……」
「主!」

 膝から力が抜け、かくんと視界が下がる。
 緊張の糸が切れたのか、ちょっと立てそうになかった。
 駆け寄ってきた星の助けを借りて俺はゆっくり腰を上げ、もう一度、重い溜め息を吐く。

「一時はどうなることかと思ったよ……」
「怪我はありませぬか?」
「全然。あ、ちょびっと首の皮斬られたけど問題ない。それより星、まずは兵を呼んでこいつら縛っとこう」
「……そうですな。主の命を脅かした罪、本来ならば万死に値するところですが」

 呟き、槍を強く握り締める星。
 その気持ちは嬉しいけど……ここは抑えてな。

「主。その程度のこと、私が理解していないとお思いですか?」
「いや、そうは思わない。でも星、今すっごい怒ってるだろ」
「当然でしょう。主に刃を向けたこやつらが、何よりみすみす主を危険に晒してしまった自分が許せぬ」

 星の細い指が、俺の首筋にできた薄い傷に触れた。
 微かな痛みを感じ、思わず身じろぐ。が、構わず指は傷を撫で、首を這い、優しく名残を惜しむように離れる。

「主、私は――――」
「いいよ」

 簡潔に、ひとことで口を塞いだ。
 星が何て続けようとしていたか、わかったから。
 そっと、俺の首元に伸びた腕を取り、指を絡める。……温かい、手だ。

「自分のことを不甲斐ないだなんて思わなくていい。だって星は俺を守ってくれただろ?  星がいなかったらきっと俺の命はなかったと思うし、そもそもちゃんと警戒してなかった俺にも原因はある」
「…………」
「だからさ、星。前みたいに陣営を去る、なんて言うなよ」

 俺のそんな言葉に、星は何故か驚いたような顔をした。
 ……あれ? もしかして俺、間違ってた?
 内心冷や汗がだらだらと流れ、どうしよう今の俺って物凄い間抜けじゃなかろうかと思い始めた時、

「……ぷ、は、ははははははっ!」
「え、ちょっと待て、何でそこで笑うんだ!?」
「いえ、あ、主、そこであのことを持ち出すのは、ひっ、卑怯ですぞ……っ」

 しばらく星はひぃひぃと息を切らせ、腹抱えてひとしきり爆笑した後、こう言った。

「やはり主はいい。長らく忘れておりましたが、そうでした、主はこういう御方でしたな」
「遠回しに馬鹿にされてるようにしか聞こえない……」
「そんなつもりはありませぬ。ただ、あまりにもこの場の空気にそぐわぬ記憶を持ち出されたので、笑いが止まらず」

 あー……確かになぁ。抱くか抱かないかで問答した状況と比べられると、うん。
 いや、それでもあそこまで笑われるのは何か納得いかないんだが、ともかく星は調子を取り戻したようだった。

「ところで主」
「ん?」
「いつまで手を握っておいでです?」
「わ、あ、悪いっ」

 言われ気づき、慌てて絡めた指を解こうとしたが、星の指はがっしりと俺の手をホールドしたまま。

「あのー……星? これじゃ手、解けないんだけど」
「おや、主は今すぐにでも私から離れたいのですかな?」
「そういうわけじゃ……」
「ふふ、冗談ですよ。――もう少し、このままでいさせてくだされ」

 頼まれるとノーとは言えない日本人。とはいえこれは日本人じゃなくても言えないというか、言わないところだろう。
 愛おしげに星は俺の手を自分の頬に運び、首を軽く傾けて触れ、目を閉じた。
 穏やかなその表情に、妙にドキドキする。普段星は凛々しいって印象が強くて、特に朱里や鈴々と並んで見ると、 それが顕著になるんだが――

(こうしてると、可愛いんだよな)

 新たな星の魅力を発見した気分だ。
 そろそろ人を呼ばなきゃいけないんだけど、ついつい肩を抱きたくなって、空いてる方の手を下からすすーっと。

「……ん?」

 一瞬。
 倒れてる三人のうちの一人が、動いたような。
 気のせいかと思い、視界の端に入ったそいつから目を放そうとした直後、俺の身体は無意識に動いた。

「やばっ、星っ!」

 唐突に起き上がった男が目の前に落としていた自分の剣を素早く取り、腰辺りで構えて走り寄ってくる。
 星は俺に呼ばれてから振り返るけど、遅い。間に合わない。
 絡めた指が解ける。前傾姿勢で星の背後まで俺も走り、リーダー格の男から星が弾いて落ちた剣を拾う。
 男の矛先は星だ。真っ直ぐ突きに来ている。あるいは星なら、 男が到達するよりも早く槍を振るうことができたかもしれなかったが……その時の俺には分不相応ながら星を守らなければ、 という考えしかなく、敵の真剣を前に、星を庇うような形で向かい合っても、意外と冷静でいられた。
 脳裏にふと浮かぶのは、日頃鍛錬に付き合ってくれてる愛紗達の言葉。

『いいですか、ご主人様。相手の動きを、よく見てください。勿論眺めているだけではいけませんが…… そうすれば、こちらはどう動くのが一番良いのかが自ずと見えてきます』
『あのね、ガーッて来たらえいって返して、とりゃーって来たらひょいって避けて、その隙を狙うの』
『今のご主人様に間合いを見極めろって言っても難しいだろうから……そうだな、相手の距離でやらせないようにするんだ。 いきなり詰めたり離れたりして、驚かせる。それで隙ができたら、 体勢を整える暇を与えずに一撃。あたしに言えるのはこれくらいかな』

 ……どうでもいいけど、回想の中でも鈴々は教えるのが不得手だなぁ。
 なんて思考も刹那の間、鍛錬で頭ではなく身体に直接覚えさせた技術が、俺を導いてくれる。 刃を立てて、ぶれないようにしっかり持ち、迫る剣の先端が辿る軌道を予測。 一気に間合いを詰め、そのコースへ下から武器を振り上げる。
 乾いた金属音。衝撃で男の剣は斜めに逸れ、結果として突きは外れた。

「なぁっ!?」
「星、今だ!」
「心得た!」

 そこを星が槍で薙ぐ。刃の腹で横っ面を思いきり叩かれた男は、見事なまでの吹っ飛びを見せて倒れ伏した。
 ちなみに、柄とは違い重く硬いので滅茶苦茶痛いと思う。骨折れたんじゃないのか、と敵ながらちょっとだけ同情。
 俺は今度こそ三人ともしばらく目覚めなさそうなことを確認し、星と共に兵を呼び、縄できつく手足を縛り上げたのだった。










 結局捕虜の人達の証言によって、あいつらが例の首謀者とその手下であることがはっきりわかった。
 絶対抵抗できないようにしてから馬車に放り込み、先に都へ向かわせたのでもう安心だ。
 三人のうち二人は顔の形が変わるほどに腫れていて、星の一撃がどれほどのものか窺える。
 ――殺さなかったのは、ちゃんと罪を償わせるため。それは決して優しさからじゃない。 ただどうなるにしても、彼らはこれから苦しい目に遭ってもらわなきゃならないってことだ。
 まあ、そんなこんなで大立ち回りが終わったその夜。俺は星と一緒に外に出て、背中合わせで月見酒なんかをしていた。
 不謹慎と言うなかれ。今日は散々苦労して危うく死にかけたくらいなんだから、このくらいは許してほしい。
 襲われる心配も、もうないはずだし。……たぶん。

「……なあ、星」
「何でしょう」
「色々と気を取られて見逃したんだけどさ、あの時いったい何を投げたんだ?」

 そう、落ち着いてからずっとそれが気になってしょうがなかった。
 星は暗器使いとかじゃないし、その辺の石を拾う余裕があったとも思えない。 華蝶仮面の時の並外れた身軽さを考えるに、そういうのも得意そうではあるけれど――本当、何を投げたんだろうか。

「これですよ」

 俺の問いに星は苦笑して、懐からひとつの物を取り出した。
 つい、まじまじと見てしまう。薄く平べったいそれは、

「……仮面か」
「ええ。ちょうど袖口に忍ばせておりましたので」
「一応訊くけど、どうしてだ?」
「如何なる状況でもすぐに変身できなければ、ひぃろぅとは呼べますまい」
「神出鬼没なのはそれだからか……」

 少し前の街で買った、モンシロチョウ柄の仮面だった。
 結構手触りは硬く、あんな速度で投げてよく刺さらなかったなと思う。
 いや、刺さって血がついたら使い物にならなくなるし、隙を作るにはあれでも充分だったんだけど。

「主、私からもひとつ、よろしいですかな?」
「ん? 俺に華蝶仮面三号になれって言うつもりなら先に断っとくぞ。星はともかく、あの筋肉ダルマと同列に並びたくはない」
「そのことではありませぬ。……少し考えはしましたが」

 不穏な呟きを残し杯を傾け、器に注いだ酒をくいっと飲み干して、星は言う。

「何故……主はあの時、剣を取ったのです。一歩間違えば、刺されていたのは主の方でしたが」

 真剣な表情で唐突に問われ、俺はうーん、と考える。
 簡潔に理由だけを述べるならば、身体が勝手に動いたとしか言えない。
 でも、星が訊いているのはそういうことじゃないだろう。自分なら、俺のフォローがなくても大丈夫だったと暗に説いているのだ。 俺がわざわざ危険を犯さなくとも、相手の凶手が届くより早くどうにかできた、と。

「……何て言えばいいかな。うん、そう、理屈じゃないんだ」
「ふむ。理屈ではない、とは?」
「確かに俺の武は、星と比べて足下にも及ばない。鍛えてちょっとずつ強くなっていってるとは思うけど、まだまだ全然だ。でもさ」

 腰の剣に手を添え、するりと鞘から抜く。
 頭上に掲げると月光を反射して、刀身は蒼白く輝いた。

「ちょっとは強くなったんだから、自分の手で大事な人を守りたいって思うのは……当然だろ? そう思ったらいつの間にかさ」
「…………」
「あとはまあ、一応星は女の子だし、女の子にずっと守られっぱなしっていうのも情けないから…… いや、今でも充分情けないんだけど、あー、何かすっごい言い訳がましいな俺。やっぱり酔ってるのかな」

 言ってて恥ずかしくなり、剣を収め誤魔化すように杯を煽ったところで振り向き、星の横顔をちらりと見る。
 予想通りというか……その顔に張りついてるのは、にやにやという擬音が思い浮かぶくらいの笑みだった。

「ひとことだけ言わせていただけるなら――百年早いですぞ、主」
「う」
「……しかし、少しも嬉しくないと言えば嘘になりますな」

 一転、しなだれかかるような仕草で、体重を預けられる。

「武人ならば、その気持ちを理解できぬはずはありますまい。 私とて、ただ己が武を示すためだけに槍を振るっているわけではありませぬからな。 戦乱の世が終わろうとも我が身は主の望むままに、主と、主の守らんとするものを脅かす万難を突き穿つ神槍となりましょう。 それが主の言う、自分の手で大事な人を守る、ということに繋がるのですから」
「……ああ」
「その上で言うならば……自ら刃に身を晒したことは、家臣として不満を持つべき点ではありますが、 その気概は賞賛すべきものでしょう。主は本当に、佳き男となられましたな」

 気づけば星は、するりと移動して俺の横に並んでいた。肩と肩が触れ合う。 酒で仄かに赤く染まった頬は艶やかで、こぼれる吐息も熱を持っている。
 ……ヤバい、今ここでそう言っていいのかどうかわからないけど、すっげえエロい。

「主、こっちを向いてくだされ」
「え?」

 条件反射で星の方へと振り返った瞬間。
 不意打ちでキスされた。

「む、むぅっ……!」
「ん……くちゅ、ちゅぷ」

 舌と一緒に熱い液体が流れ込んでくる。灼ける喉越しは、酒のものだ。
 く、口移しか――!

「んんっ、ぷちゅ、ちゅ、ぴちゃ……っ」
「っ、んく……んく……ぷはっ!」
「ふぁ……主、如何でしたか?」
「……甘かった。星の味かな」
「ふふ、それは何より」

 ここまでされて、興奮しないはずがない。
 周囲に人がいないことを確認して、おもむろに星の柔肌へと手を伸ばし――

「では主、そろそろ戻りましょうか」
「…………」

 俺、呆然。
 星さん、これはどう見ても生殺しです。
 そんな俺に星はしてやったりという微笑みを向け、

「適度に焦らした方が、主も燃え上がるでしょう? 続きは床の中で」

 ……手玉に取られるってこういうことを言うんだと思った。
 まあ、実際、夜はいつもより激しくなったんだけど。










「門が見えてきましたな」
「やっと帰ってきた、って気分だなぁ」

 数日後、だだっ広い草原の向こう側にある洛陽の城壁がうっすらと視界に入ると、急に気が楽になった。
 何だかんだで軍を引き連れ総大将として歩き回った長い期間、 誘拐未遂騒ぎも含めてドタバタしていたので、結構しんどかったのだ。
 正直、こんな疲れるなら一緒に行くなんて言い出さなきゃよかったかもと今更思う。

「主はどうやら随分お疲れのようで」
「そういう星は全然余裕っぽいな」
「いえ、そんなことは。これでも結構疲労は溜まっているのですよ」
「そうなのか?」
「あの夜、獣のような主に何度も突かれたせいか、腰がまだ重く」
「ぶっ」
「実は首元にも強く吸われた跡が」
「もういいから勘弁してください」

 愛紗達に見つかったらどうなってしまうだろうか。
 ……がっしり襟を掴まれ、売られた子牛のように尋問されるべく引っ張られていく、なんて光景が簡単に想像できた。

「戻るのがちょっと嫌になってきた……」
「何を言っているのですか。皆の嫉妬を一身に受けてこそ、主の器を示せるものですぞ」
「星、お前絶対楽しんで言ってるだろ」
「まさか。主は私が惚れた男なのですから、その程度のことは容易く乗り越えられるでしょう?」

 微笑したまま問い掛けられても、すんなり納得できるはずもなく。
 ただ、そこまで言われて頷けないのは男じゃないので、そうだな、と返してしまう。
 ……もしかしなくとも俺、自分から墓穴掘ってるよなぁ。
 そんな俺を見て星はくすくすと笑い、

「きっと皆、心配していたかと。私が帰りを待つ立場なら、ほんの少しばかり、不安を覚えますから」
「星がついてたのに?」
「それでもですよ。全幅の信頼を置いていたとしても、過つ可能性は捨て切れない。事実、私は主を危険に晒してしまいました」
「……まだ気にしてたのか」
「さすがにこればかりは隠すわけにもいきませぬからな。愛紗に絞られるのは少々……いえ、かなり辛いですが、 己が未熟さの招いたものと割り切るしかありますまい」
「油断してた俺だって悪いんだし、わざわざ言わなくてもいいことなのに……。庇い立ては、しなくていいんだな」
「安易な手助けは無用。――ですが、その心遣いは素直に嬉しい」
「そっか」

 門が近づいてきた。
 今はここが、俺の帰るべき場所。
 みんなが待ってくれている、大事な、大事な居場所。

「なあ、星」
「はい?」
「とりあえず、みんなにさ。何て言えばいいと思う?」
「ふむ。報告せねばならぬことは多々ありますが……主にはもう、わかっているのではありませぬか?」
「まあね。やっぱり、帰ってきたんならこれしかないよな」

 捨てたものの分だけ、手に入れたものがある。
 だったらあとは、それをしっかり抱えて、離さないようにして、生きていこう。

 愛紗、鈴々、朱里、翠、紫苑、璃々ちゃん、月、詠、恋、霞、ついでにセキト、本当はこの中に入れたくないんだけど貂蝉。
 待ってくれてるみんなに、俺と星は笑顔で応えた。










「――ただいま!」










 あとがき

 謝謝†無双を見て、まあ予想通り採用されてなかったのでお蔵入りにしっぱなしなのも何となく勿体無いような気がし、 じゃあ折角だから人目につくところに出してしまおうかと考えた私は超図々しい。
 そんなわけで、あちらに送ったのを若干加筆修正したものです。どこにも掲載されなかったんだから、もう大丈夫ですよね?
 勿論選ばれなかったのにはそれなりの理由があり、まあぶっちゃけ大して面白くないと自負してしまうわけですが、 ほんの僅かながらでも読んでくださった誰かの目の保養になればいいなぁ、と思います。 一部保養どころか悪夢に出てきそうなのもいますが。
 個人的に一番好きだったのは星さんで、あの掴み難い性格が一発でお気に入りに。 妙なところで抜けているのも可愛らしく、割とおいしいところを持ってく人でしたし、 彼女が好きという方も多いのではないでしょうか。
 一応書いた当時は何度も何度もゲームのテキストを読み返し、 なるべくキャラクターや舞台の設定とズレがないよう努めましたが、 もし違和感を覚えるようなシーンや言動があったなら申し訳ありません。あと展開がありきたりなのは仕様です。 元々、フランチェスカに戻らなかったらどうなるか、という妄想から結実したおはなしで、 そういうのは皆さんも一度は考えたと思いますし。

……と、ここまでは投稿先と同じ内容です。
Night Talkerというところの よろず小ネタ掲示板に送らせていただきました。
案外高評価で嬉しい限り。いやもうホント、えたみすに載せてもまずコメントないからなぁ……(ちょっと愚痴
ともあれ、こういうものが受け入れられるのは有り難いものです。