「……なあ霊夢」 「ん?」 「お前、随分髪が伸びたな」 やる気なさそうに境内の掃除をする霊夢の背中を眺めながら、魔理沙はそんなことを口にした。 鳥居の足下、軽く腰掛けられる程度の大きさの石部分に座り、傍らに置いた木の器から煎餅を一つ手に取ってはばりぼりと噛み砕く。 「それ、私が持ってきたんだけど」 「細かいことを気にするなよ。困った時はお互い様だぜ」 「あんた全然困ってないでしょうが。そもそも、困った時に助けられた覚えがないわ」 「おいおい、忘れたのか? 霊夢がひもじい思いをしている時に、ちゃんと私は差し入れを持ってきたじゃないか」 「そのひもじい思いをしてた私にご飯を作らせた挙句、大半はあんた一人で食べてたけどね」 「……そんな昔のことは忘れたぜ」 「そりゃ結構ね」 しゃかしゃかと竹箒で砂を掃いていると、首を隠すほどに伸びた黒髪がゆらゆらと風に揺れる。 少しウェーブの掛かったそれを目で追って、魔理沙は霊夢のうなじを見つめた。 「そんなに伸びて、暑くないのか?」 「暑いわね。黒いからすぐ熱持つし、首裏は蒸れるし」 「の割には白いんだよなぁ、お前の肌」 「そう? 実感はないけど」 「……ああ、そっか。いっつも縁側でぼーっとしてるからだな」 「何でそれが肌の白さに繋がるのよ」 「あそこはあんまり陽が射さない」 夏近い時期の陽射しはじりじりと二人を焼くように降り注ぎ、 周囲にほとんど影の見当たらない場所にいる霊夢達の額には汗の雫が滲み出ている。 手の甲で拭い、雲一つない空を霊夢は見上げた。 「もう掃除は止めにしましょう」 「今日は二十分だったな。新記録だ」 「何の記録よ」 「連続掃除時間」 「色々と言いたいことがあるけど……今は一刻も早く日陰に入りたいわ。魔理沙、煎餅忘れないで」 如何にも気だるそうに歩く霊夢の後ろに、苦笑を浮かべた魔理沙が続く。 閑散とした境内から少し離れれば、代々博麗の巫女が生活してきた住居がある。 玄関からは上がらず、迂回して二人が向かうのは縁側。 昼を過ぎて、傾いだ陽射しは僅かながら柔らかくなっていた。 煎餅の器を間に挟み、霊夢と魔理沙は座る。 「……ってもうほとんどないじゃない」 「お茶が欲しいところだぜ」 「全く……仕方ない、淹れてくるわ。煎餅も補給の必要があるわね」 ひょい、と残った最後の一枚をくわえ、霊夢は靴を脱いで台所の方へと消え去った。 その背を見送ってから、魔理沙は暑さを紛らわすためぱたぱたとスカートの両端を掴んではためかせる。 当然向かいからはドロワーズが丸見えだが、誰もいないのだから構わんだろう、と風を誘う。 足音が聞こえたら何事もなかったかのように振る舞えばいい。 「あら、はしたない」 そう思っていると、突然正面から逆さの人影が現れた。 驚いて魔理沙はのけぞり、後ろ手を付く。 「のわっ!」 「壁に耳あり障子に目あり、と言うことだし、もう少し外聞を気にした方が良くなくて?」 「お前は例外だ。神出鬼没にも程があるぜ」 「褒め言葉と受け取っておきます」 「戻ってきたわよ……って紫、何であんたがいるのよ」 「いてはいけないかしら?」 くすくすと逆さなまま微笑むスキマ妖怪の姿を確認して、霊夢は盛大な溜め息を吐いた。 どうせこいつは何食わぬ顔して煎餅も摘まむしお茶だって飲むのよね、と諦めの色が濃い表情で、とぼとぼ台所に逆戻りしようとする。 しかし、それを紫が止めた。 「どうぞお構いなく」 「……珍しい。天変地異の起こる前触れ?」 「失礼な巫女ね。たまにはこういう気分の日もあるのです」 「いつもはそうじゃないって自覚はあるんだな」 魔理沙の的確な突っ込みはスルー、紫は一度スキマにするっと引っ張られるようにして消え、すぐに霊夢の隣に出てきた。 それから何気ない動作で虚空に手を入れ、引き抜く。 細やかな指が掴んでいるのは、湯飲みだった。 「私の分は、藍が用意してくれるから」 「相変わらず苦労してるのね、あの狐……」 「式は使ってこそその存在意義を満たせるものよ」 「雑用としてこき使ってるようにしか見えないぜ」 「それはともかく」 露骨に話を逸らした、と二人は思った。 訝しげな視線を意に介さず、紫は閉じた扇子で霊夢の髪の一束を軽く絡め、持ち上げた。 艶のある黒髪は、重力に従いさらりと流れて元の場所に戻ろうとする。その様子を眺め、 「貴方の髪が伸びた、という話を先ほど聞いたのだけど」 「そんな時からいたのか」 「壁に耳あり障子に目あり、と言ったでしょう?」 「全く、この出歯亀妖怪は……」 「重ね重ね失礼な巫女ね。私は出歯亀妖怪などではないわ。高尚な……そう、とても高尚な人生の散策をしているのよ」 「訳わからないから」 「あら素っ気ない」 初めから理解させるつもりもなかったのか、あっさり自分で振った話題を投げる紫。 その隣の隣で、魔理沙はえっと何を言おうとしてたんだっけ、と頭を捻らせ、唐突に「ああそうだった!」と叫び立ち上がった。 「何よいきなり」 「いやな、何だかんだで有耶無耶になってすっかり忘れてたんだが、お前に提案しようとしてたことがあったんだよ」 「……嫌な予感が凄くするんだけど、一応言ってみて」 「髪、切ってやろうか?」 静寂が縁側を支配した。 霊夢は胡乱な瞳で魔理沙をじっと見つめ、呟く。 「馬鹿じゃないの?」 「馬鹿っていう方が馬鹿らしいぜ?」 「どっちもどっちね」 「一番馬鹿なのはどう考えたってあんたでしょうが。……ってさり気なく後ろで何やろうとしてるのよ」 「見ての通りね」 振り返ると、どこから取り出したのか散髪用の鋏を手に、紫は霊夢の髪を掴んでいた。 感情の読めない不気味な、けれど心なし楽しそうな表情でしょきしょき、と刃音を鳴らす。 切りたい、と、その顔が何より雄弁に紫の心情を語っていた。 「却下」 「どうしてかしら?」 「あんた人の髪なんて切ったことないでしょ」 「そんなことはありません。誰が藍の髪を整えてると思ってるの?」 「自分で」 「自分だな」 「……その根拠は」 「何となくあの狐は苦労人っぽいからだ!」 「あんたは黙ってて。……だって、櫛も使わず濡らしもせずに切ろうとしてる時点で、経験ないって自分で言ってるようなものじゃない」 「……そうだったのか」 「何でそこであんたが驚くのよ」 「いや、私はいっつも伸びると鋏でばっさり切ってたからな」 「後ろ髪を切り落とす、くらいならそれでもいいけどね」 無知な二人に、霊夢は溜め息を吐く。 「あんたらに切らせたらどんな恐ろしい結果になるかわからないし、だいたい私は今くらいの長さでも別に全然構わないの。 だから切るつもりはないわ」 「ちぇっ、つまらないぜ」 「そうね。面白くないわね」 「珍しく気が合ったな」 「ええ、本当に珍しい」 「二人ともさっさと帰れ」 魔理沙と紫はがしりと腕を組み、何かを企んでいることが丸解りな笑みを揃って浮かべた。 霊夢は今すぐ尻を蹴り飛ばして追い払いたかったが、 そんなことをしても魔理沙はともかく紫には暖簾に腕押し糠に釘なのはわかりきっていた。 かといって、第三者を呼んでもややこしくなるだけである。 「……境内で暴れるのだけは止めてよね」 妥協代わりにこぼれた言葉には、疲れた色がありありと混ざっていた。 縁側に腰を下ろしたままの霊夢は、何故か後ろ手を縛られていた。 髪を切らせることだけは回避したが、馬鹿二人はそこで退くほど常識的な性格ではない。 普段決して仲が良いとは言えない魔理沙と紫の意気投合ぶりに辟易しつつ、 とりあえず疲れるのも嫌だしそこまで酷いことはしないだろうから適当にやらせると決めた。 その結果、紫がどこからか引っ張り出してきた紐で霊夢の手首をまず縛り、 早くも不安を覚え始めたところで背後に立っていた魔理沙が懐から何かを取り出したのだった。 「じゃじゃーん」 「……何よそれは」 「見てわからんのか? 髪留めだぜ」 「あー……読めてきた」 「勘の良い巫女ね」 「勘の良くない巫女がいたら困るわ」 「霊夢が特別勘の良い巫女だとは思えんが」 手をわきわきとさせながら、魔理沙は紫に目配せをする。 それに対し紫が頷き、扇子で空をすっとなぞる。傷口が開くように、ぱくりとグロテスクなスキマが現れた。 そこから飛び出したのは、 「これで後ろが良く見えるでしょう?」 紫の身長よりも僅かに低い鏡だった。 不機嫌そうな霊夢と、やけに楽しそうな魔理沙が映っている。 「はぁ……さっさと終わらせてよね」 「善処するぜ」 全く信用できない言葉を皮切りに、魔理沙は霊夢の髪を指で梳いて束ねる。 意外に優しい手つきだったので、まあいいか、と霊夢は目を閉じ委ねた。 しばらく紫も喋らず、穏やかな空気が流れる。 「よし、できた」 「……ふうん。こういうのもいいかもね」 「だろ? いつも一つに束ねてるのしか見たことがなかったから、今回は左右に纏めてみたぜ」 鏡向こうの少女は、長めの黒髪を横で結わい、どことなく活発そうな雰囲気を醸し出している。 霊夢自身、何となく自分が幼くなったような気がした。 「その髪型を、外の世界ではツインテイルと言うそうよ。双つの尻尾という意味ね」 「確かに、尻尾みたいね」 「霊夢、ちょっと頭を振ってみてくれ」 「こう?」 首を鳴らすように振ると、結わった髪がふらふらと揺れた。 その様子を見て、魔理沙は面白そうに笑う。 「うん、いい感じだ。この調子で他の髪型も試してみるぜ」 「参考資料がここにあるのだけど」 「お、本当か!?」 「あんたはまた妙な物を持ち出してきて……」 紫がいつの間にか用意したらしい大判の本を開いて眺め、悪戯っ子めいた表情を浮かべる魔理沙。 扇子で口元を隠した紫の表情も、にやついているのは間違いなかった。 こいつら組ませると碌なことにならないわね、と再確認して、霊夢はもう少しだけお人形さん扱いされるのを我慢しようと思った。 ……ちょっとでも妙なこと言い出したら蹴り飛ばそう、とも。 「定番のポニーテイルで攻めてみたぜ」 「何に対して攻めるのよ」 「いつも通りと言えばいつも通りかしら?」 「若干上の方で結ったんだが」 「紐できっちり固めればちょんまげになるわね」 「……絶対嫌だから」 「仕方ないな。次は……っと、シニョンヘアだぜ」 「無理ない?」 「貴方の髪の長さじゃ厳しいのね」 「大変だ」 「どうしたの?」 「解けなくなったぜ」 「やると思った!」 オーバーヘッドキックで魔理沙を蹴り飛ばしたりしながら、まあどうにか絡まったシニョンも無事に戻し、 魔理沙の腹の音を合図に一人ヘアスタイルショーは幕を降ろした。 紫は散々霊夢で遊んで満足したのか、また来るわね、とげんなりする予告を残して帰っていった。 どうせ来るなと言っても来るんだし、あまり目くじらを立てても意味はない。 それよりも、置いていった鏡をどうにかしてほしかった。 「使わないのか?」 「一つあれば充分なのよ。あんたこそ要らないの?」 「……一つあれば充分だぜ」 「はぁ……どうしよう。捨てるのも面倒だし」 「誰かにやればいいんじゃないのか?」 「あ、ちょうどいいのがいた」 結局、鏡は萃香に渡した。 名前を呼んだらどこからともなく現れたので、霧にでもなって一部始終を見ていたのだろう。 酔っ払った妙なテンションでけらけらと笑い、今度私の髪も結ってねー、 だなんて言いながら軽々と鏡を持ち上げ、千鳥足で帰っていった。 どうもガラクタの収集癖があるらしく、こういう時は助かっている。主に粗大ゴミの預かり先として。 「……面倒な一日だったわ」 「お疲れ様だぜ」 「これであんたが帰ってくれれば言うことなしなんだけど」 「それは無理だな。何故なら私は霊夢の作った夕飯を食べるからだ」 「お賽銭入れてくれるんならいいわよ。貢ぎ物でも」 「金も物もないが腹は減った!」 「偉そうに言うな。前後繋がってないから」 「めしー、めしー」 「……この粗大ゴミも引き取ってくれないかしら」 「せめて資源ゴミにしてほしいぜ」 それでも夕飯を出してしまう自分は甘いのだろう、と霊夢は思う。 一つだけ―――― 本当に一つだけ、そうすることによるメリットを挙げるとすれば、 魔理沙が自分の作った物を本当においししそうに食べる姿が見られる、ということ。 全く似合わないわねと苦笑して霊夢が顔を上げると、立ち上がって釜から三杯目の白米を盛ろうとしたところで魔理沙が固まっていた。 「霊夢」 「ん?」 「長い髪もいいなと今日思ってたんだが、前言撤回する。なるべく早く髪を切るべきだ」 「どうして?」 霊夢が問うと、魔理沙は無言で釜の中に手を入れ、抜いた。 その指が摘まんでいるのは、長く細い糸のようなもの。 言うまでもなく、霊夢の黒い髪の毛だった。 「………………」 「ちゃんと頭巾は着けてたんだけど……そうね、明日にでも切っとく」 腹の底から搾り出したかのような、深い溜め息を一つ。 そして、霊夢は魔理沙に聞こえないくらいの声で呟いた。 「本当―――― 似合わないことなんて、するもんじゃないわ」 |