「そんなわけで、髪切ってほしいんだけど」
「何で私なのよ」

話は数時間前まで遡る。
白米に黒髪混入事件(大袈裟)の翌日、霊夢は境内で箒をしゃかしゃかと動かしながら、散髪を果たして誰に頼むべきか考えていた。 自分でするほどの技術もないし、さりとて村の散髪を専門に請け負うような者に頼むにも金がない。 我ながら悲しい事実だが本当に金がない。 そうなると自然、残された選択肢は無料で切ってくれそうな相手を探すというものだけだ。
なのでとりあえず片っ端から頭に浮かべてみたのだが、

「魔理沙は……アウト。昨日散々遊ばれたし、それにそんな器用そうに見えないもの。同じ理由で紫も。 ていうかあいつに頼んだりしたらアフロになっても文句言えないわ……。 咲夜……はできそうだけどいっつも忙しそうだし私の言うことは聞かないだろうなあ。 妖夢は? 刃物に慣れてるし白玉楼の庭師やってるくらいだから…… あー、いや。そもそも幽霊って髪伸びないでしょ。散髪の経験もないはず……」

脳内の顔に次々と×印が付いていく。
うーん、うーんと首を悩ませていると、不意に後ろから尖った何かで背中を突かれた。

「誰よ……ってあんたか」
「あんたとは酷い言い草ね。伊吹萃香って名前があるんだから」
「タダ飯喰らいの居候はあんたで充分よ」
「いや、私ちゃんと働いてるし。ほら、こうやって」

言うと同時、塵や木の葉があっという間に、一箇所に集まる。
萃香が持つ萃める力。凄まじい規模の破壊も引き起こせる破格の力だが、霊夢からすればゴミ掃除くらいにしか使えない。

「で、難しそうな顔してどうしたの?」
「髪を切ろうと思っててね。でも、お金ないし」
「貧乏巫女だもんねー」
「天罰」
「ふみゃっ!」

脳天に拳骨を振り下ろす。
火花が散りそうな一撃に首を縮める萃香。

「何すんのさ!」
「私が赤貧生活を強いられてる原因はあんたにもあるって自覚しなさい」
「痛っ、痛い! 角をそんな強く掴まないで、お、折れるー!」
「誰かお賽銭でも萃めてくれないかしら」
「………………」
「…………何よその顔は」
「別に。そうだ、私が霊夢の髪、切ってあげようか?」
「あんたできるの?」
「馬鹿にしないで」
「どうするのか言ってみなさい」
「えっとね、まず初めにその辺から金属を萃めて鋏を作って、」
「却下」
「えー……」

こいつに鋏を作らせたら、どれだけ巨大な獲物ができるかわからない。
以前に、酔っ払いと刃物は一番まずい組み合わせのひとつだろう。
そう思い、霊夢は萃香をリストから外した。
ぶーぶー横で頬を膨らませる鬼っ子を蹴っ飛ばし、転がっていく姿には見向きもせず他の当てを探す。

「あとは……」
「ねえ」
「むむむ……」
「ねえねえー」
「うっさい。今度は何よ」
「あの人形遣いに頼めば?」
「………………あ」

すっかり忘れてた。
確かに、人形はほぼ全て自作、器用さで言えばおそらく幻想郷で一、二を争うだろうアリスなら、 髪を切るくらい訳はないかもしれなかった。 霊夢は拳骨を下ろしたその手で萃香の頭を撫で、

「よく思いついたわ。ありがとう」
「お礼は酒一升でいいよー」
「まあ、考えとくわね」
「れ、霊夢が太っ腹になった……!」

余計なことを口走った馬鹿の後頭部を玉串で思いっきりどついてから、留守番を任せ霊夢は魔法の森へ向かう。
道中多少面倒なこと(ルーミアとかミスティアとか)に巻き込まれながら、 無事に着いた先での第一声が「そんなわけで、髪切ってほしいんだけど」である。 理解の早いアリスもアリスだが、霊夢は霊夢で傍若無人過ぎる。

「ああもう、仕方ないわね……。ちょっと待ってて」

追い返すのは無理だと早々に諦めたアリスは、室内にスペースを作り諸々の道具をどこかから取り出してきた。 服に髪が付かないようにするためのエプロン、タオル、ブラシ、霧吹きに櫛、姿見。鋏も散髪用の特殊なもので、三、四種類はあった。
妙に手際の良いアリスに霊夢はジト目を向ける。

「うわ、本当にできるんだ」
「あんた私に何を頼みに来たのよ……」
「ごめんごめん。でもここまで本格的だとは思わなくて」

鋏は腰に着けるホルスターらしきものに納められていた。
素早い動作でくるり、と指に引っ掛け危なげなく一回転させる様は、扱い慣れている証拠だろう。
しかしアリスはそんな霊夢の質問が気に入らなかったのか、ぶすっとした表情を浮かべて、手に持った鋏で棚に並ぶ人形を示す。

「あの子達の髪は、初めから切り揃えられてると思う?」
「……なるほど」
「髪質は若干違うかもしれないけど、人間と大して変わらないでしょ」
「ん、じゃあお願い」
「今度素敵なお茶請けでも用意しなさいよね」
「特上の羊羹を切り分けて待ってるわ」
「交渉成立、と。行くわよ」

数体の人形を控えさせ、霊夢を部屋の中心、来客用の椅子に座らせる。
髪除けのエプロンは首裏で紐を結び、さらにその上にもう一枚、胸元までを覆う小さな前掛けを着け、 首辺りから服に髪が入り込むのを防ぐ。 鏡を霊夢の正面に置き、リボンなどの髪留めの類を全て外してから、霧吹きで丹念に濡らした。 そうして纏まった髪を櫛で梳くと、切りやすい形に揃ってくれる。

「髪型のリクエストはある?」
「別に。そろそろ夏だし、ばっさり切っちゃって。前と同じくらいまで」
「ふうん……わかったわ、あのくらいね」

背後で頷き、アリスはしかめっ面で鋏を巧みに使い始めた。
梳いて整えた髪を丹念に切っていく。しゃき、しゃき、という刃音が聞こえてくる度に霊夢は少しくすぐったく感じたが、 迂闊に動くと危ないだろうし黙っていることにした。 焦ってはいけない。一度にざっくりと切れば、バランスが悪くなってしまう。 ゆっくりと、着実に余計な部分を落としていくことが肝要なのだ。
後ろ、横、前と長さを揃え、左右の調和が崩れないよう細心の注意を払いながら別の鋏で髪の量を減らす。
僅かに、刃に髪が引っ掛かって痛い思いをするが、そこは我慢。
最後に細かい調整を施し、櫛とブラシで頭に残った髪を落とす。ぱっぱっ、と手で軽くはたき、

「はい、おしまい」

姿見でずっと(正確には前髪を切っている時のみ目を瞑っていたが)散髪の様子を見ていた霊夢は、 感心と驚愕を足して割って水に溶かしたような顔でアリスへと振り返った。

「やるじゃない。少しあんたのこと見直したわ」
「今までどんな評価をされてたのかとっても気になるわね……」
「また次も頼むかも」
「報酬次第ね。あ、帰ったら髪を洗いなさい。切った分がまだ残ってるはずだから」
「至れり尽くせりね」
「理髪店でも開業しようかしら」

椅子から立ち上がった霊夢のエプロンを外す。
それを待機状態の人形に渡し、運ばせた。ちなみに他は、二体が床に散らばった黒髪の掃除、 一体が小道具の片付け、四体がさっきまで霊夢が座っていた椅子の運搬に割り振られている。 何というか、本当に器用な奴だと霊夢は思った。

「目的は果たしたし、帰るわね」
「はいはい。その方が私も有り難いわ」

素っ気なく、外へ向かう。
その途中で霊夢はふと足を止め、

「あ、そうそう」
「何よ」
「今日はありがと、アリス」
「…………………………へ?」

間抜けな声を背中に受けながら、ふわりと空を飛んでいった。
一人、残されたアリスは硬直から解け、しばらく霊夢が消えた空の先、 博麗神社の方角を見つめ、それから肩をぷるぷると震わせて、羞恥に染まった頬を膨らませた。

「ああもうっ、せめて言い返す時間くらい用意しなさいよー!」

怒りのやり場を失って、アリスは思いっきり叫ぶ。
……嬉しい、と思ってしまった自分自身が、恥ずかしいのだった。


後日、さっぱりとした霊夢に話を聞いた魔理沙がアリスの家に訪問して、

「今度から私もお前に切ってもらおうかな」
「な、ななななな、何を……!」

滅茶苦茶アリスが慌てたのは、また別の話。