古い話だ。
 そして、今にまで残る話でもある。
 永遠の少女。
 不死たる姫君の伝承。
 色素の抜けた白髪に、死蝋の肌。幽世の美貌。
 生と死の境に立つもの。
 悠久に横たわり続くもの。
 死神さえも寄り付かぬ、この世の死を支配するもの。

 ――不死の姫に手を出してはならぬ。
 彼のものは何をも恐れぬが故に。
 真なる意味で死を知らぬが故に。

 姫君が如何にして生まれ、仮初の永遠を得たのか、伝承には記されていない。
 ただ、少女はそうであると。
 禁忌の二文字と共に、過去は語っている。



 冬になれば、餓えるのが常だった。
 辺境の痩せた土地で育つ作物には限りがある。必死に土を耕し、種を植え、時を待っても、村の人間すべてが年を越せるほどの量は得られない。
 だから、大人達は子供を産んだ。
 労働の当てを求めてのことではない。売るためだ。
 村の長は商人に伝手を持っていた。長らく、それは続けられてきた。
 男よりも女。見目麗しければなお好まれる。
 満足に物を食べられぬ環境では、優れた容姿を持っていてもすぐに陰る。そのため将来を見込まれた娘は、早々に奴隷の身へと落とされた。
 引き取られれば、村で餓えて死ぬよりかはいいかもしれない。
 だが、奴隷となった先に待つのは、大抵理不尽な扱いだ。
 男なら労働力として買われれば良い方。些か趣味の悪い貴族が戯れに、壊すことを目的として買い集める場合も儘ある。
 女も同じだ。ただの慰め物なら、まだ気楽な境遇と言えなくもない。奴隷になった時点で、人権などという言葉は彼らにとっての端金と共に捨てられる。
 娘も、そんなありふれた境遇の一人だった。
 齢は十ほど、村の売り物としては若干歳が行っている。

 彼女の両親は、過酷な環境にあって珍しく善良だった。
 目先に釣られる金で娘を売らず、確かな愛情を以って育てようとしていた。
 故に彼らは、餓えと病で命を落とした。
 残された娘を育てるものは誰もいない。扱いに困り、引き取る先がないならと、村全体の所有物として売り払ったのだ。

 手枷足枷を着けられ、放り込まれた馬車の中には、おそらく同じような立場の少女が幾人か詰められていた。皆一様に俯き、やがて必ず訪れる絶望に打ちひしがれている。自分も「そうなる」のだろうと、世間知らず故の乏しい想像力で、娘は身体を震わせた。
 荷車に揺られてどれだけの時間が足ったのか、順調に進んでいたはずの馬車が突然止まり、俄かに外が騒がしくなる。
 馬の嘶きと複数の足音、断末魔の悲鳴。
 重い何かがどさりと落ちる音を聞き、荷物の一人が恐る恐る荷台から外を窺った。
 幅広の曲刀や手斧を持った男達が、そこにはいた。
 商人を狙う野盗の類も、この辺りには多く出没する。彼らは大抵貧窮した村人の成れの果てだが、徒党を組み、数の暴力で襲い掛かる。娘を買った商人は護衛を数人雇っていたが、渋って安い金しか出さなかったため、あまり質が良くなかった。
 野盗達は賢くない。しかし、奪うことには慣れている。
 すぐに全員が荷台から引きずり出された。辺りには護衛らしき人間と、馬車を操っていた商人の死体が転がっている。夥しく流れただろう血は、既にそのほとんどが乾いた土に染み込んでいた。
 並べられた娘達の身体に、蛇のような下卑た視線が這いずり回る。
 野盗の手に渡れば、まず長くは生きられない。より酷いところへ売られるか、使い捨ての慰み物にされるかだ。反射的に逃げ出そうとした一番年上の少女は、見せしめに斬られて殺された。
 どうして産まれたんだろう、と、娘は思った。
 こんな辛い目に遭うために、理不尽に売られて捕らえられて、自由なんてどこにもない、そういう短い一生を過ごすために、自分は生を受けたのか。
 手枷で縛られた、碌に水も飲めず、痩せ細ってかさかさになった手を握り締める。
 だったらせめて。
 抗って、最後は自分で選んで、死んでしまいたい。

 彼女は一時、親に愛された。
 微かな幸福と希望を知っていたが故に、諦めの道を取らなかった。

 後ろ手を動かせなくとも、足枷が重くとも、戦う術はある。
 娘の目を見た、長らしき男が武器を構えた。その様子を一顧だにせず、最も近くにいた一人の右手――曲刀を持つ手首に、全力で噛みつく。
 血と埃と、肉の味がした。
 上がる叫び声に、他の娘がびくりと怯える。避難の視線も構わない。どうせ、すぐに死ぬ身だ。
 襲われた男が、空いた左手で娘の頬を殴った。呆気なく倒れる。足枷の所為で、立ち上がれない。
 泡を噴きながら振り被った男の手には、持ち替えた血塗れの手斧。
 それが娘の頭部めがけて落とされ、

 気付けば、第三者が彼らの前に現れていた。

 何もかもが失われた、老婆のような白い髪。
 青白くつるりとした死蝋の肌。
 血の気のまるでない面は、目元こそ髪に隠れていたが凄絶なほどに美しく、しかし、明らかにこの世のものではなかった。
 身に纏うのは襤褸に等しい外套と、ともすれば風化してしまいそうな古びた履き物。
 姿形は、齢十五に満たぬだろう、少女のものだった。
 が、只々おぞましい。
 そこにあるだけで、魂から凍えるような。
 常ならぬ、存在。

 あまりにも自然に、それは娘と男の間に割って入っていた。
 翳した細い手に吸い込まれるかのように、手斧の刃先が食い込む。
 肉を割り、骨を砕き、人体の幾分かを破壊して止まる。
 その場にいた全員が、目を疑った。
 二つに裂けた手のひらが、手斧を挟んだまま繋がる。赤く濡れた手斧はずるりと死蝋の肌から吐き出され、こぼれた血と肉をそのままに、それは表情を変えず、呆然とした男の手首を掴む。
 瞬間、男が弾けた。
 破裂音さえ発しない。無慈悲なまでの一瞬で、肉片と骨と血と内臓と排泄物と、人間を構成する全ての部品が粉々になって飛び散った。
 赤黒い水と欠片が、生温い雨となって周囲に降り注ぐ。 噎せ返るような死の匂いに、誰もが動けなかった。
 小さく俯いたままのそれは、自らが作り出した眼前の惨劇を何ら気にすることなく、緩やかに面を上げる。
 不死たる姫君の伝承――
 娘はかつて、両親から聞いたことがある。

 それは死に惹かれて現れる、形持つ厄災。
 姫君の眼に魅入られてはならぬ。
 面の前に立つもの、悉くの生を奪うだろう。

 唯一の幸福があったとすれば。
 その時娘は、それの後ろで怯えていたことだ。
 故に、逃れ得た。

 姫君と向き合った野盗が、あまりにも呆気なく事切れる。
 魂の抜けた肉体が一人残らず、地に倒れ伏す。
 彼らは皆、色濃い恐怖の表情を浮かべていた。

 この世の何よりも、おぞましいものを見てしまったかのように。
 呆としていた娘が現状を理解できぬまま、発作的にそれを呼び止めかける。
 か細い問いかけの声に、不死たる姫君は振り返らなかった。
 口を開かず、子供めいた細い足を動かし、娘達に背を向けて歩き出す。
 不意に強い風が吹き、砂埃が舞い上がったかと思うと、少女の姿はいつの間にか消えていた。
 野盗の死体が、有り得ない速度で腐り落ちる。
 やがて風化し赤い砂となって、風にさらわれていってしまった。

 買われた商人が殺され、殺した野盗も死に絶えた場所で、娘達はしばし途方に暮れた。
 しかし、まだ、馬は生きている。僅かに見えた生への渇望を胸に、拙い手付きで娘は馬を引く。

 奴隷になり損ねた娘達が果たしてどうなったのか、それを知るものはいない。
 ただある街で一時期、不死の姫君についての噂が流れた。
 伝承の存在に救われたという者がいたらしいが、与太話の類として、早々に立ち消えたという。





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