最初は、本当に、軽い気持ちだったのだ。
刺激の少ない毎日に飽き飽きした友人が、夏の休み、せめて気持ちだけでも涼しくなりたいと言って提案した遊び。
遊びと言うには些かリスクの高いそれは、けれど退屈していた私達にとって、すごく魅力的な案に思えた。
何しろ、陽射しの強さからか、昼間は暑くて外に出る気も起きない。
宿題は明日でいいや、明後日でも平気かな、と後回しにしてばかりだけど、 どうせ八月下旬に焦って終わらせるわけだし、要するに面倒なことを先にやるか後にするかの違いだ。
私は後にする派で、友人達も大概そうだった。だから気楽にその誘いにも乗って、 決行日の夜、お互い親しい間柄の私を含めた四人で、 できれば夏休み中は近寄りたくもないと考えていた場所―― 学校の前で待ち合わせをしていた。

集合時刻は、深夜零時。
幸いと言うべきか、遅刻する子もなく、全員が予定通りに揃った。
首謀者の友人が、守衛さんに声を掛ける。
忘れ物をしたんですけど、怖いからみんなで入っていいですか……。 そんな申し出に苦笑して頷いた年配の守衛さんは、正門と正面玄関の鍵を開けてくれる。 これで第一関門は突破。呆気ないね、と守衛さんの姿が消えてから、四人で笑う。
夜の学校は明かりも最低限で、警報機の赤いランプと、宿直らしい先生がいるんだろう職員室の電気と、 あとは窓から射し込む月の光だけ。見えそうで見えない、そういう暗さ。
今更ながらに、私はぶるりと小さく震えた。
怖いのは特別嫌じゃない。好きでもないけれど、きゃあきゃあ騒ぐほど幽霊とかが駄目なわけじゃないし、 一人取り残されたりしなければ大丈夫だと思う。

……ここに来たのは、肝試しをしよう、と彼女が言ったからだ。
学校ならいつも見慣れてる場所ではあるし、万が一何かあっても守衛さんや宿直の先生がいるから、 なんて理由で選んだ……のは本当だけど、やっぱり肝試しと言ったら夜の学校でしょ、という友人の言葉が直接のきっかけ。
ホラー漫画の見過ぎじゃないかって言葉は口に出さず、確かに私もそんなイメージを学校に持っていたので、 つい同意してしまった。他に候補もなく、じゃあ学校でいっかとあっさり決定。
こうして訪れた校舎、偶数の人数であることを考慮し、行動は二人一組で。
ちなみに忘れ物があるのは嘘じゃなかったりする。わざと置いてきた、という注釈を抜けば、だけど。
つまり、肝試しの内容は、その忘れ物を二人で取ってくることだ。
四階、一年生の教室の窓際にある机。横に掛けられた鞄の中に入っている、 言い出しっぺの彼女が近くの神社で適当に買ってきたお守りを持って下駄箱のところに戻ってくる。
十五分経っても先に出た方が戻ってこなかったら、もう一組も出発。 両者共にストップウォッチで行き帰りの時間を計り、 遅かった側が早かった側にコンビニで何かを奢る、という約束が交わされている。
罰ゲーム付きとあっては油断も手抜きも許されない。女子高生はみんないつも財布の中身が寂しいのだ。
例え出費が147円の飲み物一つ分だとしても、痛いものは痛い。
じゃんけんで出発順を決め、結果、私と発案者の子のペアが後組になった。
ストップウォッチの時間は誤魔化さないよう釘を刺してから、見送る。

「……どのくらいで戻ってくるかな」
「うーん……十分弱、かなあ」

一人はオカルト大好き、でももう一人は怖いの全然アウト、というちぐはぐな組み合わせなので、ちょっと予想がつかない。
待つ時間は長く感じるよね、なんて会話をしながら、私達は十五分を移動せずに過ごした。

「遅い、ね」
「うん。もっと早く戻ってくると思ってたけど」

心配な気持ちを少しばかり抱きながら、協定に従い私達も出発する。
歩いていて気づいたのは、足音が本当に良く響くということ。
上履きの柔らかい足裏でも、ぺたん、ぺたんと廊下中に音が届くようだった。
窓は開いていない。けれど不思議と蒸し暑くはなく、気持ちの問題だろうか、薄ら寒くすら感じた。
ぺたん、ぺたん、ぺたん、ぺたん……。
階段を上がる。一階から、二階、三階を止まらずに抜け、四階に。
終業式の前までは頻繁に見ていた空間も、明かりがないだけで雰囲気が全然違う。 なるほど、夜の学校が肝試しにはぴったりだという言葉の意味がよくわかった。これは、薄気味悪い。
自然と足取りは早くなり、心臓の鼓動も、速度を増していた。

「これ、だよね?」
「そうそう。あれ、もう一個なくなってるじゃん」
「二人ともちゃんと持ってったのかな」

鞄の中に入っていたはずの二つのお守り、その一つがどこにもなかった。 勿論私達が取ったわけもなく、順当に二人が持っていったんだと思う。
負けてなるものか、と密かな対抗心が燃え上がった。

「さ、戻ろう」
「うん」

ここからすぐに離れたいという気持ちも合わさり、帰り道は駆け足になる。
ドキドキしながら階段に差し掛かり、そういえば手を繋いだりしてなかったなと私は振り向いて、

「………………え?」

そこには誰も、いなかった。
誰も。……誰も、いない?
どうして、さっきまで一緒にいたのに、もしかして私だけ走って置いてっちゃった?  ううんそんなことない確かに後ろから駆け足のリズムが聞こえて、聞こえて……聞こえた? 本当に?
―― いつから、一人になったの?

「……ひっ!」

どこからか、声が。声が飛んでくる。
私じゃない。友人達のものでもない。
可愛らしい女の子のような、しわがれた老婆のような、そんな声が。 くすくすと。くつくつと。喉を鳴らして、空気を漏らして、ただ不気味に延々と、 延々とくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくす――――






























「つーかまえた」






























すぐ後ろから、手が伸びてきた。
気づかないうちにじりじりと下がって背を付けていた流し場の、たぶん鏡があるところから、腕だけがにょきっと。
私は恐怖で動けない。唇から情けない、言葉にもならない音だけが漏れる。
ああ、きっとこのまま私はずるずると鏡の中に引きずり込まれてしまうのか、そんな思考だけがふわりと浮かんで、目を閉じた。
けれど引き寄せる力は感じず。代わりに、きゅっと抱きしめられる。

「これに懲りたら、肝試しなんてしちゃ駄目だよ?」

でないと―― 攫われちゃうからね?
そう、耳元で囁かれ、全身の力が抜けた。
そこから先のことは、いまいち覚えていない。
いつの間にか私はお守りを握ったまま下駄箱にいて、あとの三人も同じようにへたり込んでいた。
共通する記憶は三つ。鏡の向こうから伸びてきた手と、くすくすという笑い声。
そして、肝試しをもうするなという、忠告めいた言葉。
罰ゲームは頭からもう吹き飛んでいて、私達はほとんど逃げるように学校から出た。
守衛さんに対する礼も急いで切り上げ、少しでも離れようと、走って、走って。
辿り着いたコンビニでみんな一緒の飲み物を買い、今日のことは誰にも言わないと、頷き合った。
結局あれは何だったのか、四人が同じ夢を見ていたのか、それはわからない。 でも、とても怖かったことだけは確かで、以来、私達は夜の学校には絶対近寄らないようになった。

今でも時折、鏡の向こうに人影を見つけることがある。
あどけない少女のようにも、私と同い年くらいの子のようにも、よぼよぼの老婆のようにも思える。
毎回違うその人影は、私の視線に目敏く気づき、にこりと微笑み返すのだ。
彼女はいったい誰で、どうしてそこにいるのかも、わからない。
わかろうとも、思わなかった。