上京するに当たって、一番苦労したのは間違いなく部屋探しだった。
 成績優秀とはお世辞にも言えない俺が入れた大学は、レベル的には中堅どころ、評判を聞くにまあまあ悪くないところらしいのだが、交通の便がかなり悪い。最寄り駅から徒歩三十分以上とか、人を呼ぶ気がないだろう、と抗議をしたくもなる。
 もっとも、学科の性質上広い土地が必要だっていう話だから、仕方ないっちゃ仕方ない。幸い単車の免許は取っているので、通学はそれで行ける。
 だから別に住むところは駅から離れててもよかったんだが、ネックは予算の少なさにあった。
 食費込みで月六万。諸々のことで出費がかさむのを考えると、それが俺の出せる限界だ。八方手を尽くせば食費はそこそこ減らせる。しかし、家賃はそうもいかない。
 敷金礼金も含め、極力少額で済む場所を不動産屋ハシゴしまくって探した結果、十二件目でようやく条件ぴったりの部屋を見つけた。
 築三十年、八畳一間のキッチントイレバス付。
 これで月三万五千、敷金礼金合わせて一万と聞いた時は、有り得ない好条件だと思った。勿論即行で契約した。
 そう、有り得ない好条件だ。
 普通に考えてみれば、俺はここで疑うべきだった。
 上手い話には裏がある。何の意味もなくそんな格安設定するようなお人好しがいるなんて勘違い、どう見てもする方が悪いだろう。
 結果として。
 明るい学生生活の始まりに、俺は怪奇現象と向き合うことになった。
 まずは、花粉の鬱陶しい、よく晴れた春の日の話からだ。




 作りだけは妙にしっかりしたボロアパートの一階に、大家さんの自室はある。
 錆びに錆びて足を乗せたらそのまま踏み抜きそうな階段を下り、呼び鈴すらないドアを荒い手付きで何度かノックすると、腰の曲がった爺さんが顔を覗かせた。
 さっきまで寝てたのか、瞼が半分落ちている。

「あの、朝早くにすみません。ひとつ聞きたいことがあるんですが」
「確かあんたは……くぁふ……二階の五号室だね。一昨日越してきた」
「そうです」

 努めて。
 俺は冷静を装い、頷く。

「もしかしてあそこの部屋、何か……何か、出ます?」
「出るよ」
「ちょっ」

 あっけらかんと即答されて、抗議の言葉も一瞬忘れた。
 口を開け、躊躇い、むぐむぐと閉じて、少し深呼吸をする。
 待った。落ち着け俺。怒鳴っても何の解決にもならないから。

「どうして契約する時教えてくれなかったんですか」
「だってそんなこといちいち言ったら、いつまで経っても部屋が埋まらないでしょ。そもそも君、安すぎるって思わなかったの」
「いや、そりゃ思いましたけど」
「出なけりゃ少なくとも二倍は取ってるよ」
「…………ですよね」
「もし君が出てくんなら、まあ止めはしないけど。でも契約金と今月分の家賃は返せないからね」

 当然の話で、ぐうの音も出なかった。
 つまりあれだ、騙される方が悪いってやつ。かといって条件的にはイーブンだろうし、一点、その大きな一点にさえ目を瞑れば、優良すぎる物件と言っていい。
 例え“いわくつき”であっても、この時の俺には他の選択肢がなかった。

「で、どうするの」
「……引き続きお世話になります」

 ということでしょんぼり部屋に戻ると、早速怪奇現象に遭遇した。
 八畳一間の室内、最低限の衣服を突っ込んだホームセンター製のプラスチック引出しと、実家のお古のポンコツテレビ。申し訳程度に中身の入った本棚、洗濯物を吊したハンガー、冷蔵庫にキッチン辺りはぱっと見問題ない。
 三つ足の丸テーブルに、何故か出した覚えのないコップが置かれていた。しかも麦茶が中途半端に注がれている。
 慌てて冷蔵庫をチェックすると、気のせいでなければペットボトルの容量が減っていて、コップに入ってる量と微妙に合わない。
 暑くもないのに、こめかみを冷や汗が伝った。

「実害は、ないっちゃないんだがなあ……」

 昨日もそうだった。カップ麺の空容器がいつの間にかゴミ袋に突っ込まれてたり(これは有り難くもある)、出した覚えのない本が床に転がっていたり(二十ページ辺りに栞が挟まれてた)、何か酷く生活感のある現象なのだ。
 ホラー物とか幽霊話は特別好きでも苦手でもないが、現実に遭ってみると確かに怖い。振り向けば誰かがいる、みたいな疑心暗鬼に囚われる人の心境も、今なら何となくわかるかもしれない。
 それでも。
 慣れるしかないだろう、と、俺は残りの麦茶を飲み干した。
 まだぬるくはなかったのが幸いだった。




 半月掛けて実験めいたことをして、当初の印象通り、慣れさえすれば実害は皆無だというのがわかった。
 どころか、この奇妙な同居人(怪奇現象相手にそう言うのも変だが、これが一番しっくり来る)は意外と世話焼きらしい。
 例えば、食べ終わった後適当に積み重ねておいた皿が、気付けば水に浸けられていたり。
 喉が乾いたなと思いつつトイレに入って出てみると、テーブルの上に向かい合わせで二つのコップが用意されていたり。
 どうやらこっちを追い出そうだとかビビらせようだとか、あるいは呪ってやろうだとか、そんな意図は全くこれっぽっちもないことを悟れば、むしろ便利なほどだった。

「ある意味、運が良かったのかね」

 教授の講義をメモったノートに目を通しながら、ぽつんと正面に置かれたコップへ聞かせるように呟く。
 ……一応何度か対話を試みたのだが、返事らしい返事は未だになし。筆談やモールス信号、テレパシー的な何かも全部駄目。別段期待をしていたわけではないものの、他の手が思い当たらなくなった時には、つい軽く舌打ちをしてしまった。
 気の合う奴がいそうなサークルを探して入ったが、たかだか二週間ちょいで急に親しくなれるはずもなく。一人暮らしをしていると、時折妙に寂しく感じる瞬間がある。
 これがいわゆる、ホームシックってのだろうか。
 早すぎんだろ。

「あんたが喋れればなー」

 基本的に、俺が見てる間は何もしない。謎のルールでもあるのか、それとも極度の恥ずかしがり屋だったりするのか。色々想像してみたが、まあどれも不毛な妄想止まりだ。ともかく、全ては俺の視界の外で行われる。
 つい、とおもむろに視線を外して数秒、その僅かな間でコップの中身はどこかに消え去っていた。
 慌てて飲んだのかもしれないと思うと、何だか可笑しい。
 知らず緩んだ口元に気付き、俺はそうかと頷いた。
 話を聞かせる相手がいるだけでも充分だってことを、今更ながら理解したのだ。




 越してから一ヶ月もすると、姿の見えない同居人がいることにも違和感を抱かなくなった。
 部屋を出る時には「いってきます」と言うようになったし、帰ってきたら「ただいま」の言葉を忘れない。リットル百円の安い麦茶はいつも冷蔵庫に二人分補充している。
 気が向けば、俺の方でコップを用意する。それでもちゃんと手を付けてくれるし、人の目を盗んでおかわりに走ったりもしない。
 ちょっと朝どたばたしてて片付けできなかった日の帰り、部屋を綺麗にしてくれたこともあった。散らかしたものの収納場所まで完璧。自分でやるよりよっぽど丁寧で驚いた。
 ……まあ、そんな感じで。
 相変わらず正体不明な同居人の存在も当たり前になってきた頃、サークルに一人、女の先輩が入ってきた。
 話によれば前に所属してたところがどうにも肌に合わなかったらしく、今は適当にふらふら良さげな場所を探してるんだという。
 うちのトップが無駄におおらかなのもあって、その先輩は即日加わり、そして一週間も経たずに俺より馴染んだ。
 とにかく人付き合いが上手いのだ。
 決して饒舌ではないものの、大抵の会話にするりと混ざって自然に溶け込む。基本は聞き手だが、妙な知識が豊富で、時折謎の雑学を披露しては相手を笑かしたりする。
 あと、周りの変化にも目敏く気付く。
 他の女が髪型やアクセを変えてたりすると見逃さずに指摘して褒めるし(そのせいでやたらと同性にモテてる)、雰囲気の違う奴には声を掛けて悩み事を聞き出したりもしていた。
 面立ちは端正ながら、細いというより痩せてて胸も平たくて、ぶっちゃけ性的魅力には欠けるタイプだが、面倒見が良く嫌味のない性格にはみんな好感を持っていただろうと思う。
 で、件の先輩は常々、変人が好きだと公言していた。
 それについては何も言うことがない。人の好みは様々だ。
 しかし、そんな先輩に「気に入った」なんて正面切って宣言されたとなると、話は変わってくる。
 つまりそいつは、お前は変人だって指差されたようなもんだろ。
 平々凡々とした人生を送ってきた自負のある俺は、最初こそ本気にしなかったが、しばらくしてどうやらリップサービスの類じゃなかったらしいと悟った。
 例えば、帰り際にちょっと呼び止められて駅まで送らされるとか。
 いきなり髪の毛をわしゃわしゃ掻き回されるとか。
 他にも枚挙するに暇はないが、特別扱いされていることに間違いなく、同じサークルのメンバーからは冗談四割のやっかみを受けるようになった。残りの六割はたぶん本気だ。先輩を狙ってるのも何人かいるみたいだし。
 俺としても悪い気はしないのだが(これまでの人生で女性にモテた試しはなかった)、何か裏があるんじゃないのか、という疑いも晴れない。
 しかしそんな要らん懸念が当たることもなく。
 六月の頭、俺は何故か単車の後ろに先輩を乗せていた。

「いやー、後輩くんの家、楽しみだな」
「……別に楽しいものはないと思いますけど」
「そうかい? 私男の子の部屋ってほとんど行ったことないからさ」

 話の流れで誘導されて押し切られた。
 衆人環視の状況で退路を断たれた上、最後には泣き落としという名の脅しだった。思いっきり目薬差してたけど、そこには誰も突っ込まない辺りが理不尽だ。
 当然ながら二人乗りを想定していなかったので、ノーヘル。大通りなんか走ったら確実にしょっぴかれる。
 腰に回された細い腕に得も言われぬ気持ちになりつつ、裏道や人気の少ない道を選んでいく。おかげでいつもの二倍近い時間がかかったが、事故らず無事に帰ってこられた。
 物珍しげにアパートの外装を眺める先輩に部屋の場所を指差してみせ、鍵を開けて中に入る。
 普段の癖で「ただいま」と言い、背後でくすりと笑われた。

「お邪魔します、っと。律儀だねえ」
「馬鹿にしてるんなら追い出しますよ」
「いや、そんなつもりないって。私実家暮らしなんだけど、弟とか帰ってきても無言だからね。背中蹴っ飛ばして言わせてるけど」
「少しだけ弟くんに同情しました」
「お、なら今度はうちに来る?」
「どうしてそうなるんですか……」
「君は私のお気に入りだからね」

 靴を揃え、隅に鞄を置いて、とりあえず麦茶を振る舞う。
 女性らしからぬ豪快さで一気飲みをした先輩は、室内に視線を巡らせて感心したように腕を組んだ。

「男の子の部屋ってもっと汚いイメージあったんだけどな。意外や意外、随分綺麗じゃん」
「あー、なんつーか、同居人みたいなのがいるんです」
「ん? もしかして女の子?」

 おもむろに人差し指と中指の間に親指を通した握り拳を掲げる先輩。
 下ネタもいける口らしいが、こっちは反応に困る。

「違います」
「じゃあ男の子!?」
「何故目を輝かせますか」
「男二人でルームシェアなんて、なんかかっこいいなと」
「ご期待に添えず申し訳ないですが」
「え、そうなると……オカマさんとかその辺?」
「有り得ません。というかどうしてそうなるんですか」
「だって、女の子でも男の子でもないんなら選択肢はそこしかないでしょ。当然の帰結だって」
「……性別も知らないんですよ。実際に姿見たことないんで」
「なにそれこわい。ストーカーさん?」

 さっきから質問責めだ。しかも気のせいか追及が厳しい。
 どう説明したものかと考え、結局ありのままを伝えるしかないと結論付ける。とんとん、とテーブルを指で叩き、

「ここ、実は滅茶苦茶家賃安いんですけど」
「うん」
「いわゆる“いわくつき”の物件でして」
「……えっと」
「出るんですよね」

 ひび割れの音が聞こえそうな感じで先輩が固まった。
 予想外の反応に内心驚く。

「ま、基本的にいい奴で、害はないです」
「ほっ、ほんとに?」
「じゃなかったらとっくに引っ越してますよ」
「そ、そっか。そっかそっか。もう、びっくりさせるなあ後輩め」

 わざわざ隣まで寄ってきて肘打ちしてくる先輩をスルーして、空になったコップに追加の麦茶を注ぐ。
 さんきゅー、と軽い一声が横から聞こえ、素早い動きでコップを先輩の左手が掴んでいった。肘打ちが届く距離のまま、今度は妙に上品な仕草で麦茶に口を付ける。
 いつの間にか、空いた右手がちょこんと俺の服の裾を握っていた。

「もしかして先輩」
「何かな後輩」
「ホラー系とか駄目な人ですか」

 返事は腰の入ったリバーブローだった。
 思わずテーブルに沈んだ。

「ドラマや映画は見る! 怖いけど!」
「……弁解に……なって、ません……」
「うぅ、君はそんなに私を怖がらせたいの!?」

 勝手に怖がっただけでしょう、と指摘する余裕もない。
 二分近くかけてゆっくりと上体を起こし、拳がめり込んだ脇腹を擦りつつ、慎重に呼吸を整える。
 さすがにやりすぎたと反省したのか、先輩はしょぼくれた顔で頭を下げてきた。まだ重いダメージは残っているが、別にボクシングよろしく肋骨を折られたわけでもなさそうなので、気にしてませんよとひらひら手を振った。

「いやでも、うん、ほんとごめん。つい勢い余って」
「それで拳が飛ぶ辺りが先輩ですね」
「ぐ……どーしてこの後輩はひとこと多いかな」
「性格ですんで」
「……よし。そんな可愛げのない後輩のために、ちょいと私が腕を振るいましょう。夕飯作ってやるぜ」
「マジで気にしてないんですけど……」
「何かしらお礼しないと私が申し訳なさで死んじゃう! ね、自己申告だけど腕は確かだから、台所と食材使わせて」

 なんて調子でまた押し切られる。
 まだ夕飯には早すぎる時間だが、鼻歌混じりで冷蔵庫を物色し始めた先輩を見て、本気だと悟った。
 ……まあ、止める理由もないか。
 狭い台所にありものの食材を並べる先輩の後ろ姿に、随分楽しそうだという感想を抱いて。そういえば今日はまだ一度も“出て”きてないな、と思った。

 先輩の料理は俺よりよっぽどうまかった。
 あいつの痕跡は、床に就くまで見つけることができなかった。




 それから先輩はこの部屋にちょこちょこやってくるようになった。具体的な住所は教えてないはずなんだが、休日も普通に現れる。事前にちゃんと連絡はしてくるので、強引なんだか控えめなんだかもわからない。
 我が家の奇妙な同居人については、あの翌日、普通に存在を確認できた。ただ、前より見かける回数は減った気がする。
 ということを先輩に話してみると、

「私はそもそもその同居人さんとやらに会ったことないんだけど」
「先輩がいると全く出てこないんですよね……」
「もしかしなくても、私嫌われてる?」
「さあ。質問しても答えてくれるわけじゃないですし」
「全部君の妄想だったって方がまだ納得できるかな」

 投げやりに酷いことを言われた。

「だってさ、同居人さんがいるって言ってるのは君だけだよ。こんなんじゃ信じる人はいないでしょ」
「俺が入る前から“出た”って話ですけど」
「そっちと同じかどうかはわからないじゃん」
「部屋が片づいてたりするのは?」
「んー……実は君が二重人格で、入れ替わってる間の記憶は君にはないとか。もしくは本当にストーカーさんがいるとか」
「……真面目に答える気ないですね」
「あはは。でも、その同居人さんが実際にいるんだとしたら、ちょっと感謝しなきゃなって」
「感謝?」

 おもむろに立ち上がった先輩は、冷蔵庫に寄って紙パックの麦茶を取り出す。訪問二回目からこんな感じで遠慮がなくなった。
 コップに注ぐのも面倒なのか、腰に手を当てて直接ごくごく飲む。よっしゃ間接、と謎の言葉を発し、その後微妙に頬を赤くして、先輩はこっちを向いた。
 八畳の部屋全体を見渡すように。

「うちのサークル、基本的に仲良しこよしの馴れ合いみたいなとこじゃない? 活動内容は二の次、とりあえず集まってダベろうぜみたいな」
「ああ、まあそうですね。俺も気の合いそうな奴が見つかればって思って入りましたし」
「だからなのかはわかんないけど、結構みんな、あんまり家に帰りたくないオーラ出してんのよ」

 いまいち話の先が見えず、首を傾げる。
 それと同居人に、何の関係があるんだろうか。

「でも君はね、全然そんな風じゃなかった。一人暮らししてると大抵人恋しくなるものなのに、何か妙な余裕があるっていうか」
「余裕……は、今もないと思いますけど。バイト尽くしで」
「私が言ってるのは心のよゆーってやつよ。かといってほら、彼女いるわけでもないみたいだし。そんで、こいつはちょっとひと味違うっぽいぞ、と。それが君を気に入った理由」
「わかったようなわからないような……」
「ま、結局きっかけは“なんとなーく”だからね。たださ、君が全然寂しそうじゃなかったのは、きっとその同居人さんがいるからじゃないかな」

 会話はできなくても、話を聞いてくれる相手がいるだけで有り難いことだ、と。
 そう思ったのはいつだったろうか。
 今はもう存在そのものに慣れきって、いて当然だという感覚がある。けれど確かに、先輩の言葉はすとんと胸に落ちた。
 八畳一間のこの中には、俺と先輩を繋げたやつがいる。

「先輩」
「ん? ようやく私に惚れたかい?」
「かもしれません」
「………………おおう」

 始まりがどうであれ、何とか俺は上手いこと生きていけている。
 麦茶の減りは三倍になったが、その分一人でいる時間も減ったと思えば、悪くない対価だろう。
 急にしおらしくなった先輩に、冗談です、と小さく告げておいた。
 嘘かどうかまでは、言わない。



 先輩が帰った後の夜。
 いつものようにテーブルを隅へ除け、安物の薄い布団を敷いて寝転んだ俺は、同居人のことを考えていた。
 この時間になると、もう大抵反応がない。あるいは人間みたいに寝てるのかもしれないが、それを確認する術もなし。どちらにしろ、今から呟くのはただの独り言になる。

「あんたがいつまでここにいるのか、俺は知らないけど……色々助かってる。感謝してるよ。改めて言うと何か恥ずかしいし、馬鹿みたいだけど」

 仰向けの姿勢で、両手を頭の後ろで組んで。
 目を閉じて、同居人はこの部屋にいるんだとイメージする。
 姿形は靄がかかっているけれど、人間っぽい輪郭を思い浮かべる。

「で、なんつーか」

 逡巡。
 自意識過剰かね、と思いつつ、一息吐いて、

「かなりの変人だし、微妙に怖がりだけどさ。先輩、悪い人じゃないから。だからもし、気遣ってたりするんなら大丈夫だし。気に入らないっていうんなら、そこは、ごめん。許してほしい」

 つっかけつっかけ喋り終え、しばらくしてから力いっぱい掛け布団を被った。ない。これはない。どこの勘違い野郎だ俺。恥ずかしすぎて死ねる。
 明日になれば都合の良い脳味噌が忘れてくれるんじゃないかという淡い期待を胸に、早く眠れと俺は身体を丸めた。
 勿論朝になってもしっかり覚えていた。
 こんな日に限って目覚ましの一時間前に起きるとか。
 とりあえず、頭を抱えて布団から這い出る。と、テーブルの上に本が一冊置かれているのに気づいた。
 同居人の仕業であることは間違いないが、珍しく読み止しのハードカバーは開かれたままになっている。
 片づけてやるか、と立ち上がり、テーブルに近寄ったところで、何とはなしにページへ視線を落とし、そこで微かな違和を感じた。
 栞紐が、本の間ではなく、右側の中途半端な位置にかかっている。きっちり先端がある行の文字を囲っていて、どう考えても偶然じゃない形だった。
 腰を折り、しゃがんでよく見る。
 栞紐の歪な円が示す言葉。

「……何だよ。言葉、わかるのか」

 持ち上げた本を片手でぱたんと閉じ、心の中で悪態と、少しばかりの感謝を告げる。
 今日は一限からだ。さっさと準備をして出かけよう。
 ついでに、余った時間で部屋の片づけくらいはしようと、気まぐれにそんなことを思った。



“気にしてない”





  ざっくりあとがき

 元々これは某人達と立ち上げようとしていた企画用に書いたものでして、三人でポータルサイトみたいなのを作って、三ヶ月毎くらいにお題を決めてそれに沿った短編を出し合おうぜ、という話をしてたんですが、まあ諸般の事情で頓挫しました。私だけ先に仕上げてたんですが、おじゃんになったのでここで公開することになったわけです。
 ちなみにテーマは「出会い、始まり(的なニュアンス)」。企画の立ち上がりが三月くらいだったので。
 我ながら相当な変化球になっちゃいましたけど、この辺「人間関係の始まりとかきっかけ」みたいな風に捉えてもらえればな、と。





index


何かあったらどーぞ。



めーるふぉーむ


感想などあればよろしくお願いしますー。
簡単なシチュエーションなんかも募集してますので。


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