いつからだろうか―――― 。 これまで守る立場にあった僕は、気づけば、守られるようになっていた。 それは僕が弱くなったから? ……いや。彼女が強くなっただけなのだ。 僕の手で守れるもの 初めて出会ったのは、四歳の時だった。 ひとつ年下の、おどおどしてて、気弱で、怖がりな性格の女の子。 彼女は母親に連れられた公園で誰かの飼い犬に吠えられていたのだ。 飼い主らしき人はなだめようとしてたけど、いっこうに治まる様子はなくて。 母の足下に隠れて、震えて、女の子は泣いていた。 どうしてかはわからない。 ただ、助けよう、と思った。 今考えれば馬鹿な話だ。僕だってその犬は怖かった。 大型犬だったし、あの牙で噛み付かれたら手足がちぎれちゃうんじゃないかと想像して、実際足ががくがくしてたのだから。 ……それでも僕は、ほとんど迷わなかった。女の子とその母親の前に出て、手を広げ、二人を守るように犬を睨んだ。 大丈夫だよ、と言いたくて。安心してほしくて。口にはしなかったけど、伝わればいいと思った。 しばらくして、犬は落ち着き飼い主の人がぺこぺこと謝り去っていった。 膝から力が抜け、僕はがくんと崩れ落ちて尻餅をついた。情けなかった。 そんな僕に、彼女は近づいて―――― 「ありが、とう」 ちっちゃな手で、僕の手をぎゅっと握りしめてくれたんだ。 何よりそれが、嬉しかった。そして、さっきよりも強く、激しく、感じた。 名前も知らない子なのに。初めて会ったばかりなのに。 このかよわい女の子を、守りたい、と。 ◇ 小学校が一緒になった。 相変わらず彼女は気弱で、友達も少なかった。 やり返さないからいじめっ子の格好の標的だったし、それにいじめられてることを誰にも言わない。 自分はこんなに弱いから、我慢するしかない、我慢してればいいんだと考えてるらしかった。 だからいじめはエスカレートして、でも彼女を狙う奴らは随分狡猾で、大人にはほとんど尻尾を見せなかった。 陰湿で、せこいやり方。表立って殴られるよりもよっぽど堪えるやり方。 教科書に切り傷を入れられ、ノートに落書きされ、筆箱の鉛筆が残らず折られたところで無関係な僕がキレた。 相手はわかっていたから、主犯の奴らを呼び出し問い詰めた。 どうして彼女をいじめるんだと。何の理由があるんだと。 「だってさ、なんかむかつくんだよ。いっつもおどおどしてさ。だからほら、ストレス解消ってやつ? わかるだろ?」 物凄く理解できたのでストレス解消のために全員を思いっきり殴った。 奴らは僕がそんな行動を取るとは思ってなかったらしく、倒すのは比較的楽だった。 ただ、それでも多対一であることに変わりはなく、結局こっちもぼろぼろになってしまって。 何でもないような顔で教室に戻ると、彼女にどうしたの、と訊かれた。 「別に。……ちょっと転んだだけ」 顔に痣を作っておいてそんなんじゃ言い訳にもならなかっただろうけど、彼女は察してくれたのか、それ以上追求はしなかった。 後日、いじめが沈静化したことを知って、僕は安心する。根本的な問題の解決には至らなかったとしても、 ―――― 彼女を守れた。 気を遣われたことは情けなくとも、それが何より誇らしかった。 そして、これからも守っていきたいという思いは、ますます強くなった。 だから僕は、見ていなかったのだ。 弱いままだと信じていた、彼女の目を。 ◇ 十五歳、身体測定の日。 初めて彼女に背を抜かれた。とても、とてもショックだった。 僕は小学校の頃、クラスで中くらいの身長で、中学生になってもおおよそ変わらないポジションにいる。 対して彼女は前から数えた方が早く、一番差が激しい時は僕と頭ひとつ分は違っていた。 彼女の母親はお世辞にも背が高いとは言えないから、きっと身長に関してはそっちの血筋なんだろうと納得していたのだ。 でも、十三歳の中頃から、彼女の背は急に伸び始めた。 何か特別なことをしたわけじゃない。いつも同じように過ごしていただけ。 十四の頃には僕と3cm差しかなくなり、そして遂に、僕は彼女を見る時、視線を少し上に向けなきゃいけなくなった。 背が伸びるにつれて、彼女の性格も変わっていった。 一人二人と友達が増えた。剣道部に入って大将にまで上り詰めた。元々良かった成績は維持し続けた。 弱気な部分を取り去り、明るく前向きに頑張り始めて、けれどお化けとかの類は変わらず苦手だった。 そんな彼女を見て、どうしてだか僕は――寂しかった。 それが何故かはわからなくて、だからどうにも悔しくて、色々なことに打ち込んだ。 まだ誓いを忘れてないから。彼女を守る、守りたい。そう思った気持ちは色褪せていないから。 いつか、初めて出会った時のようなことがあったならば、僕がまた彼女の前に立つんだと。 ……たぶん、それは僕の、たったひとつの矜持だったんだろう。 僕が守る。守るからそばにいられる。守れなければ―――― ―――― どうなるのか、わからなくて、怖かった。 ◇ 殴られて、殴り返した。視界が一瞬スパークする。痛みを振り払うように神経を集中して今度は左の拳。 相手が崩れ、よし、と思ったところで横から顔に衝撃が来た。鈍い音と共に身体が傾き、肩口から地面に倒れる。 あとは無抵抗。ひたすらに蹴られ、踏まれ、反撃なんてできるはずもなく、意識が遠くなる。 ……話は単純で、彼女に喧嘩を売ろうとしていた男子生徒数名を僕が物理的に止めた、それだけ。 理由なんて知らない。相手が別の誰かだったら全く意に介さなかっただろう。その対象が彼女だから、で十分だ。 結果は全治一週間の全身打撲。丸二日は布団の上で過ごすことになった。 こうなることは自分でもわかっていたのだからどうしようもない。それでも、抑えられなかった。 廻り廻って、彼女に迷惑を掛けることになったとしても。感情が空回りしているのだとしても。 他に、縋るモノはないから。僕には守ることしかできないから。 目が覚めた時、彼女がいた。お見舞いに来たよ、大丈夫? そう言った。 僕は大丈夫だと返して眠りに就き、もう一度起きたら彼女はいなかった。 次の日、僕を殴った奴らが一人残らず欠席したことと、彼女が剣道部を退部したことを知った。 ―――― 彼女自身の、言葉によって。 「……ごめん」 「謝らなくていいよ。わたしが、自分で選んだんだから」 「でも僕は、」 「ううん、違う。気づいて。わたしは守られるだけは嫌なの。わたしも、守りたいの」 「………………」 「だから強くなったんだよ? あなたの、力になりたかったから」 ほんの僅かに空いた窓の向こうから、降り続く秋を誘う雨音が聞こえた。 手を握られる。ぎゅっと、包まれる。やさしくて、あたたかい。 雨は僕の過ちを流して、彼女は僕の間違いを許して。 ……ああ、知らなかった。 何気なく、だけど強く、僕はずっと、もうずっと、守られてたんだ。 「…………うぅ、うくっ」 「どうしたの? 痛いの?」 「……違う。違うんだ。悔しくて、なさけ、なくて……っ」 泣きながらその手を握りしめる。今だけは絶対に離したくなかった。 あんなに小さかった手は、僕と同じくらい大きくなっていた。そんなことにも気づかなかった。 馬鹿だ。どうしようもない馬鹿だ。本当に弱かったのは、僕の方だった。 やがて気持ちが落ち着いて、僕は涙を拭う。 その時には、心に決めていた。 「…………ねぇ。今からでも、誓っていいかな。僕は、やっぱり―――― 君を守りたいから」 「……うん。お願い。いろんなことからわたしを守って。わたしも、あなたを守るから」 甘え続けるのは嫌だった。 どんなに惨めでも、滑稽でも、力が足りなくても、守りたい、そう思ったのは嘘じゃない。 だから自分自身でなく彼女に誓う。他の誰でもない、この僕が、彼女の力になることを。 そして、彼女も僕を守ってくれるのだという、その気持ちを忘れない、と。 ―――― 今更だけど。 僕は、彼女が好きだ。 ◇ 大学卒業後、一年の同棲生活を経て、僕は彼女に結婚を申し込んだ。 安定した職に就き、お金に困るようなことはない。両親に話もした。勿論、彼女の両親にも。 僕達の仲は半ば暗黙のうちに承認されていたけど、これはけじめだった。改めて口にして、初めて僕は資格を得る。 何しろ結婚というのは人生の大きな節目みたいなもので、故に疎かにするわけにはいかない。 彼女を守ると決めた以上、何事も中途半端にしたくはなかった。 僕の意思ははっきりしていて、では彼女はどうなのかというと、あの日、既に答えをもらっていた。 惨めに泣いた日。改めて誓った日。大切なことに、気づいた日。僕は一度、告白をしている。 断られるかもしれない、という思いはあった。しれない、なんて曖昧な言葉なのは、一応僕も彼女が好意を持ってくれていることを知っていたから。 それがわからないほど鈍くはない。ただ、親愛の情でないとは否定できなかった。 ……その答えは、今、僕の隣にいる彼女が証明してくれる。 僕と同じ場所で、同じ時を過ごして、同じ気持ちで、同じ未来を見ている彼女が。 「…………もうそろそろだね」 「うん。……大丈夫かな。このまま無事ならいいね」 彼女のお腹に手を置く。あたたかさと共に、小さな鼓動を感じた。 僕達二人の、子供。息子か娘かは産まれるまでのささやかな楽しみだ。 産むことには迷わなかった。確かに負担は増えるだろう。生きるだけでも難しいのに、子供まで抱えるのは大変なことだから。 でも―――― 守るべき人が増えるのは、とても、とても嬉しい。きっとこんな気持ちを、幸せ、というのだ。 名前、どうしよっか、と訊ねる。 ゆっくり考えよう、時間はあるから、と言葉が返ってきた。 二ヵ月後、僕達の子供は大きな泣き声を上げて産まれてきた。 どこか彼女に良く似た、女の子だった。 それから―――― 「………………さん。父さん」 「…………ん」 僕を呼ぶ声。目が覚める。起きてみれば、娘が僕の身体を揺らしていた。 どうやら眠ってしまってたらしい。窓から入る春の陽射しが心地良かったからだろう。 せっかく久しぶりに顔を出してくれたというのに、ついうつらうつらと舟を漕ぎ、気づけばもう夕方だ。 「ああ、すまないな。疲れは溜まってないはずなんだが」 「いいですよ。父さんがそういう人だってこと、充分知ってますし」 「母さんは?」 「足りないものがあるって買い物に。何だか随分張りきってましたよ」 「はは、じゃあ今日の夕食は豪華になりそうだ」 「そうですね。……あ」 隣の部屋から幼い泣き声が響いてきた。 言葉でない、意思の声。母を呼ぶ声。それに応えるのは、僕じゃない。 「時間的に……ミルクかな。ちょっと見てきますね」 娘が行くと、泣き声はすぐに止まった。安心したかのようにきゃっきゃとはしゃいでいる。 その様子に僕は苦笑して、ふと、昔と言える頃を思い出した。 子持ちになってからは本当に大変な日々だった。 毎日が苦労の連続で、夜泣きに悩まされ、彼女がいない時のおむつ替えに何十度も手間取り。 特に僕の仕事は彼女と違い家でできるものだから、専ら昼間の娘の世話は僕の役目で。 忙しい最中でもちゃんと電話に応えてくれた彼女には頭が上がらない。 でもそれだけ、自分の子供というのは愛しいもので。 成長していく様を見守り続け、僕は今更ながらに両親に対して感謝と尊敬の念を強く抱いた。 命を育てることの、何と難しく、そして素晴らしいことか。 穏やかに眠る幼い姿を眺めてはその有り難さを、幸せを噛み締めたものだった。 やがて、背が伸び、歳を取り、大きな病気にもならず順調に日常を重ね。 小学校から中学校へ、中学校から高等学校へ、さらに受験して大学へ。 僕と彼女は、自分の子供が確実に大人になっていくのを、ずっと、ずっと見ていた。 娘が結婚する、と言った時も、さほどショックではなかった。 本気の目だったから。軽い気持ちでないのなら反対する理由は考えつかない。 ただ、相手と一度会って話を聞かせてもらうことを求め。実際に娘と並んだ男性を目の当たりにして、大丈夫だ、と確信した。 他でもない、僕も彼女も親として、幸せになってほしいと願う気持ちに嘘はないのだから。 結婚してからも娘夫婦は時折顔を出しに来てくれた。 よくこんな優しい子に育ったと、心から思う。……少しだけの、寂しさを感じながらも。 子供はいつか親の元を離れていくもので。 必ず、籠の中から羽を広げて巣立っていくもので。 守られるだけの幼子も、僕と同じ場所に立つようになる。 ……それを決定的に感じたのは、娘が妊娠したと知った時だった。 「…………父さん。私、楽しみで仕方ないんです。彼との間に産まれる、この子の姿を見るのが」 そう言って膨れたお腹に当てた手は、大人になっても小さくて。 ―――― その、小さな手でも、こうして僕らを追い越していく。 娘も、親になって。僕が体験した苦しさも悲しさも全部理解していって。 何もかもを受け継いで、受け継いだものをまた、産まれ行く子に与えていくのだ。 かつて僕は、大事な人を守ろうと思った。 それは何からだろうか。他人の悪意から? 過酷な現実から? 生きていく不安から? ……否定はしない。けれど、その全てよりも強く―――― 「どうだった?」 「ぐっすり眠りましたよ。やっぱりお腹が空いてたみたいです」 「そうか。…………もう立派な母親だな」 「父さんに認めてもらえるなら、嬉しいです」 ―――― 彼女の、そして娘の未来を守りたかった。だから守った。僕が持てる、精一杯の力で。 いつか完全に僕から離れていっても。僕が彼女を好きでいることは、僕と娘が親子であることは、どんなに遠くにいても変わらないことは、確か。 例え僕が亡くなったって、残るものはあるのだから。それが幼い頃から抱いていた誓いへの、答え。 強くなれた? ……わからない。 ただ、今の僕にも、ちゃんと守れるものがあるらしい。 「……さて。母さんが帰ってくる前に、食事の準備くらいはしておこうか。手伝ってくれるか?」 「勿論。私も待つだけじゃ退屈ですから」 「頼むぞ。僕は未だにまともな料理のひとつも作れないからな」 「胸を張ることじゃないですって」 寂しさは、胸の中で燻っているけれど。 僕の大事な人達の笑顔を見られれば、それだけで充分だ。 娘と一緒に彼女の帰りを待つ時間は、何でもない、でも、とても幸せな日々の一頁。 ------------------------------ オリこん作品。49/79位でした。 びしばし言われ正しくその通りと反省しつつも敢えて手直しせずに公開。最後の一行以外。 向こうの作者掲示板にも書きましたが、モチーフとなった曲がふたつほど。 前半がEvery Little Thingの『きみのて』。 後半がriya(CLANNAD)のED『小さなてのひら』。 両者共に歌詞に『守る』という意味合いが含まれているので、テーマも自然とそうなった、なんて話。 わかりやすいように地味に歌詞の引用が混ざってたりします。 「秋を誘う雨音」「何気なく、だけど強く、僕はずっと、もうずっと、守られてたんだ」「泣きながらその手を握りしめる」 このみっつは若干アレンジ入れてますがほぼそのまま。 『秋を誘い連れる雨』『何気なく そして強く 僕はいつも守られてた』『君があふれた僕の この手が握りしめる』ってところです。 対して後者は、藤村流さんに指摘されたように(実はちょっと予測してた)、 「―――― その、小さな手でも、こうして僕らを追い越していく」というところ。 まんまだよなぁ、と。確かに歌詞知ってればすぐわかる。 『小さな手でもいつからか僕ら追い越していくんだ』ですな。この部分のみ狙い通りと言えなくも。 逆に『きみのて』の方には誰も気づかなくて実はちょっと寂しかったりしてましたw ある意味この二曲とセットで完成するおはなしなので、やはりこんぺ用の作品に向いた形ではなかったな、と反省。 ちなみに、あちらでは神海心一ではなく片深悠で出てました。 それでぴんと来た人は凄い。ここここ読まないとわからないってw ググってもまず見当たりません。Yahoo検索ならほぼ一発ですが。いこいのおばあちゃん。 実は結構気に入ってる名前だったり。だって、男だって言っても通用しますよね(マテコラ 今更ですが『あしたの価値』の方で出したらどうなってたか、なんて空想もしましたw 両方前情報なしで見たら同じ作者だってわからないんじゃないだろうか。自信過剰ですかそうですか。 次の機会があれば、またチャレンジしてみたいとは思います。目指せ半分より上っ。目標小さいけどふぁいと私。 |