言葉に迷う。
聞こえなかったわけではない。だが、少女の第一声が本当にそれであるのかは疑ってしまう。

見えてるか、と訊ねる台詞は異常だ。自分が普通『見えない存在』であると言っているのと同じなのだから。
視界に映らない人間など存在しないだろう。そんな質問をされると、正気の沙汰かとこちらが訊きたくなる。


…………だが、だがしかし。
彼女から感じる多くの違和感、圧迫感、存在感…………ヒトが扱える言語では表せないような"なにか"。
それらが先ほどの問いを当然としてしまっている気がした。


異常な世界に在って、何故かしら俺の思考は冷めていた。
今までこんな出来事には一度たりとも遭遇したこともないが、受け入れられそうだと思えたのだ。

ようやく答えが固まった。
佇む少女に向けて、声を返す。

「見えてるが」

当たり前の返答。ここで「見えてない」と言えるなら馬鹿だ。
それを聞いた彼女は俯き、そう、とひとこと呟いた。



静寂。



ただ両者が黙っているだけなのに、あまりにも空気が息苦しく感じる。
…………久しぶりに、夜が怖くなった。世界が恐ろしくなった。
目の前の少女がいる、それだけで。

この状況が耐えられなくなり、今度はこちらが質問をする。
思いつく限り、問いを。

「何処から出てきた?」
「其処から」
「…………どうやって」
「なんて言えばいいのかしら……そうね、空の向こうから」

さもそれが当たり前のこととばかりに返ってくる言葉。
抽象的な答えに拍子抜けし、続かなくなる問い。

だが、最後に。
ひとつだけ、訊かなくてはならないことがある。

「お前…………………………いったい、なんなんだ」

彼女は、変わらぬ表情で。





「死神」





きっぱりと、口にした。










reason-2










足音もなく少女が動き出す。
こちらに近づき、立ち止まる。

「…………あなた、何者?」

突然そんなことを訊かれても困る。
俺は人間だ。異常者でもない、仙人でも賢人でも聖人でもない。ましてや神様でもない。
ただの、何でもない、何処にでもいるヒトだ。

「あんたが考えてるようなモノじゃない。その辺を歩いてるような人間と何ら変わりないよ」

事実を伝える。
が、納得できないのかまだ疑わしそうにこっちを見てくる。
それは俺と同じ年頃の少女がするような表情で、死神なんて断言されてもそれだけでは信じられそうもない。

なので、試す意味合いを込めて、ひとつ言ってみた。

「なぁ。…………死神だっていうんなら、何か証拠を見せてくれないか」
「証拠? これでいいの?」

彼女は実にすんなりと、まっさらな空間から何かを出した。
長い柄、先の方から曲線を描き伸びる金属。
街灯に照らされ鈍く輝くソレは、伝承上の死神が持っているという鎌にしか見えなかった。

―――――― あまりにも、冗談にしてはできすぎてるな」
「わたしもそう思うわ。死神といえば鎌。いくらなんでも安易よ」

そもそもこの現実自体が冗談めいているのだが、否定してしまえばお終いだ。
嘘偽りではない。受け入れなくてはならない、絶対の真実。

(ずいぶん俺も物分かりがいいもんだな)

納得できる方が、どうかしているんだろうか。夢だと認める方が、普通なのだろうか。
わからない。……いや、本当は、自分が普通かどうかなんてどうでもいいんだ。


「………………今まで、わたしの存在を認識できた人間はいなかった」

誰に聞かせるでもなく、彼女が呟く。

「あなたが初めて。わたしが"見え"た存在は。…………きっと、それには意味がある」

雲のような得体の知れない、カタチのない"なにか"を掴もうとしている、そんな声。
真っ直ぐこちらを見つめる目は、今までなかった色を湛えていた。



ひらり、と黒い法衣の様な服を翻し、

「また会いましょう。近いうちに」

そこまで言い終わった時には、もう姿はなかった。
…………そういえば、あとひとつ。訊き忘れていたことがあったのだ。

「あんた、名前は」

虚空に放ったはずの問いに、返ってくるはずのない答えは確かに聞こえた。



―――――― ディス」



静寂の中、俺はまたひとり残される。
…………先ほどまでの出来事は、冗談にしては鮮明すぎた。











何故かしら所在無くなり、帰路に着く。
景色は目に入らない。胡乱な頭で、考えるのは死神と名乗る少女のこと。



今まで、超常現象の類は信じていなかった。
具体的に挙げるならば、幽霊、宇宙人、超能力者、神様などだ。
それに…………希望とか、奇跡も信じてはいない。昔に厭というほどそれらが存在しないと実感したから。

ともかく、だ。
ごく一般的な思考をしている俺でも、いくら馬鹿馬鹿しい出来事に遭遇したとしても、アレを夢のひとことで済まそうとは思えない。
生々しすぎた。現実的すぎた。自分を纏う空気、冷たいソプラノの声、色はないのに悲しげな表情、闇に映える大鎌。その全てが、冗談だと割り切れない説得力を持っていた。

"ディス"。最後の問いは帰ってこないことを前提に訊いたのだが――――――
死神にも、名前はあるのか。現代社会において常識とも言える事実は、彼女には当て嵌まらないとてっきり思っていた。


「ディス…………か」


また会いましょう、と彼女は言った。
きっとその通りになるのだろうという妙な確信がある。出所の知れない、決定事項のような。

理由もわからない。ただ、ほんの僅か興味が湧いた。





もしかすれば、俺を前に向かわせる"なにか"が見つけられるのかもしれないと、そう思って。