その日も、何ひとつ変わることはなかった。

憂鬱な空の色も、
澱んで濁った大気も、
俯いたままの、同じ顔をした人達も、

……無論自分も、つまらなくくだらない日々に埋もれている。


学校を出た時には、三時を過ぎていた。
残る理由は見当たらない。部活に興味はないし、だいたい皆そんな時間はないだろう。
事実、急ぎ足で校門を出ていく人間は多い。……何に追われているのやら、彼ら彼女らの顔からは焦燥のようなものを感じる。



その人の波の中を俺は、ゆっくりとした足取りで過ぎていった。










reason-1










中学三年生。
俺達14・5歳の、学校に通っている人間の別称だ。
この枠に当てはまるヤツラの九割五分は、受験という人生の岐路を通る。
高校受験というモノは当然するべきだと言われている。仕事に就くのに有利だとか、給料が高いだとか、メリットは世の中が用意しているのだ。
よって、無駄すぎるほどに将来を見据える彼らは高校に入る。理由は後で決めるらしい。

……そうやって必死に意味もわからず勉強をしていることが馬鹿馬鹿くと思えて、俺は受験から遠ざかっていた。
単純なことで、俺には理由がないからだ。目指している将来の夢も、熱中しているモノも存在しない。
進むべき道、迷うべき道。……そんなの、知らない。





何故なら、俺に選ぶ道なんて端からなかったんだから。





そうだ。
自分で自由になる時間はさほどない。ただ、勉強をしているわけでもない。

一人暮らし。
中学生の身の上ではほぼ有り得ない状況だが、実際に俺はその状況下に置かれている。それもだいぶ前から。
両親は既に他界しており、親戚は揃って俺を拒んだ。
その中で、嫌々ながらも引き取ったのは母の姉に当たる人間。
あくまで"嫌々ながら"なので、同じ家に住まわせるはずもない。適当に家を提供し手の届かない所まで突き放してそれ以来顔も合わせていない。
毎月送られてくる僅かな生活費だけでは足りない。特別に義務教育である中学に通いながらのバイトを許可してもらい、それで毎日生きている。

生きるだけで精一杯だ。
こんな俺の何処に受験をするような余裕があるだろうか。
…………いや、正直に言えば。



全てを捨てて、逃げてしまいたいだけなのかも、しれない。











家に帰ったって、しなければならないことも、したいこともない。
今日はバイトは休みだ。急ぐ必要なんてどこにもないから、ひたすらゆっくり歩く。
傍から見れば、俯いて亀のような足取りをしている俺は自殺願望持ちの青年とでも映るのだろうか。
しかし、人通りはない。誰も通らないような道を選んでいるのだから、当たり前と言えば当たり前だが。

音のないアスファルトは、静かだ。
どことなく落ち着いた気持ちになれる。なったからといって、何をするわけでもない、けれど。

さっきの考え。
自殺願望だが、全く持っていないわけでもない。
死ぬつもりはない。が、生きていたいとも思わない。
生きる理由なんて、とうに失くした。護りたい人間もいないし、叶えたい夢もないのだから。
かといって、死ぬ理由も見当たらない。だから、ただ生きているだけ。つまらないと言いながら、ただ生きているだけ。


…………無駄な思考だ。
こんなコトを考えたって、何にもならないだろう、自分?










公園に辿り着いた。
夕暮れにもなって、人はいない。
それもそうだ。この辺は住宅街でもない。街中には珍しい話だが、人が住めるような建物はほとんど建っていないのだから、物好きでもない限りはわざわざこんな所までは来ないだろう。

"物好き"な俺は、静とした公園のベンチに座る。
もう黄昏時だというのに空は蒼く、茜色の太陽はあまりに遠すぎて幻想的とも思えない。

宵が訪れる。
子供はもう帰る時間だ。親がいるならば心配されるだろうが、俺には縁のないこと。
思う存分空を眺め地面を見つめ、風にそよぐ草の音に耳を傾けていた。


一人暮らしの数少ない利点のひとつは、自分の行動に口を出す人間がいないことだ。
誰にも何も言われない。言われる必要も理由もない。実に、望ましい。



静かな空気が好きだ。
だから、公園にひとり佇んでいる。
どんなに他人に"物好き"と指差されようが、こんな己の生き方はもう一生変わらないだろう。


それとも、誰かが俺を"どうにかしてくれる"のか?


…………そこまで思って、ふと自嘲の微かな笑みが零れる。
馬鹿馬鹿しい。理解っているんだ、もう、何もかも誰もかも頼ってはいけないと、救済や共有を求めてはいけないと。



ベンチから立ち上がる。
もう陽は落ち星が瞬き始めた。それなりに発展した都会にしては綺麗な、空。
ゆっくりと宙を向いた顔を身体の正面に戻す。そろそろ帰ろうか、と右足を踏み出しかけ、





目の前に少女がいた。
大気と地面以外何もなかったその空間に、ずっと前から、初めからいたかのような自然さで。

…………自然、すぎた。

確かに、確かに其処には何もなかったのだ。誰もいなかったのだ。
なのに当たり前のように立っている彼女は、あまりにも不自然。
視線は空へ、しかしその闇より深い黒瞳に移るモノはなく、ここではないどこかを見つめている。


その両の眼が、こちらへと向いた。
世界が止まる。酷く酷く静かに、在るのは俺と彼女だけ、かのように。





どれくらいそうしていただろう。
きっと一瞬だったと思う。しかし、有り体に言えば「永遠とも取れる時間」。
呼吸が、鼓動が、世界が戻る。視界の中の少女は、静寂を壊すために口を開いた。










「あなた…………わたしが、見えてるの?」

その時覚えているのは、透き通るソプラノと悲しげな表情だけだった。