寂しい、と思わなくなったのもきっとあの頃からだろう。
頼ることはある。そうせざるを得ないのだから、例え嫌でも仕方のないことだ。
だが、縋り寄り掛かりはしなくなった。求めるのも願うのもやめにした。

ひとりでもいい。ひとりでも歩いていける。
たった15年間の人生で、それが俺の真実になった。


道は長く続いていて、終わりを知ることは叶わなくて。
…………いや、別に知りたくもない。ただひたすらに進んでいくだけ。

味気なく感じる。理由は頻繁に見失う。
それでも死にたいとは思えない。どれだけ無機質でつまらないことかはわかっているつもりだから。


心の痛覚なんて、とうに麻痺した。
何が苦しいのか。何が悲しいのか。考えても辿り着かない答え。

おそらく、置いてきてしまったのだ。
記憶の中の真っ赤な部屋と、嫌悪を含んだ親戚のあの顔を見た時、その場所に。
もう戻れはしないから。二度と手には入らない。


そして。

俺には、新たに見つけようとする気力も出てこない。


逃避。目を背け、耳を塞ぐ。
酷くそれは楽な行為で。ささやかな自己防衛手段。
精神を殻で覆う。強固で、頑丈で、簡単には壊れない外壁を作る。
メッセージは「近寄るな」。他は無に等しいと錯覚し、触れる存在には傷を与える。

独りになるのは容易く、独りでなくなるのは――― 恐ろしい。

もう壊されるのは御免だ。
一生、そうして過ごすことができればいい。自分が揺らがないまま、ずっと。



でも。



――― 本当に、変わりたくないと俺の全ては願っているのだろうか。




















know-2




















この家にはカレンダーがどこにもない。
今が何時であるかを調べたいと思ったことは少なく、そして別に何時であってもよかった。
昨日と今日と明日、そこに大差はないだろう。自分がいる。時間が過ぎる。その事実があればいい。

一週間は七日。バイトは週三日で、学校は月曜から金曜までの週五日。休みは土日。
自身で一日をしっかりと認識していれば、忘れはしないことだ。
だから、日付を確認するための物なんて必要なかった。

俺の一年には大事な日が存在しない。どれも同じ。
元旦。節分。桃の節句、端午の節句。春分に秋分、夏至に冬至、クリスマスに大晦日。誕生日。両親の命日。
祝ってくれる人はなく、祝う相手もなく。
他と変わらず過ぎ行くだけ。当たり前のように流れるだけ。


それが不満だと考えるのは、もう馬鹿らしいことなのだ。


外気の冷たさと散った木々の葉を思い出し、季節が秋であると今更ながら考える。
この時期は受験生も忙しい。決断の時。迷いの許されぬ瞬間。
必ず何かが変わるのだ。それも、大きく。

どうして変わらなくてはいけないのか。
誰に問うても、自分が納得できる答えは返ってこない。くるはずもない。


…………思考はとめどなく流れ続けて、巡る。
永遠に辿り着かない自問自答。結論のない自己討論。

最近は殊更多くなった。
焦っているのかもしれない、そんな考えが一瞬浮かぶ。

「…………まさか、俺らしくもない」

呟き。言い聞かせるように。
けれど、もしそうなのなら何に焦っているのだろう?
例えば中学卒業というひとつの転機――― 避けようのない変化にか。

それとも。
突然現れた、あの少女の存在にか。

「ディス、か…………」

死神は何を抱えているのだろう。
ヒトでないモノ。ヒトとは違うモノ。

解り合えないとずっと思っていた。
同じ人間とですら、相容れないことがあまりに多すぎるのだから。
互いが互いを破壊しようとする。無意識に、あるいは意識的に。
そうなってしまってから後悔する者、しない者、分かれてはいるが結果に変わりはない。

他人の痛みなど、自ら知覚するのは不可能なのだ。
何かから得る感情は、それぞれ自分だけのもの。肩代わりも同調もできない。


誰にも救いは求めるな。俺の居場所は、俺の中だけだ。


溜め息を一度、思考を外に吐く。
停止。これ以上は堂々巡りになる。

天井を見上げた。特に理由もなく。
白色の光を放つ蛍光灯。スイッチひとつで、消えてしまう明かり。
今は朝だ。日曜日の朝。それなりに外は晴れていて、電気を点ける必要がない。
無駄だとわかっているけれど、でも点けておきたかった。

「…………理由って、必要なの?」

不意に、背後から声が掛かる。
振り向けばそこにはディスの姿。
珍しく立っておらず、椅子に座っている。

「…………さぁ、わからない。でも、必要なんじゃないのか?」

問いには答えを。
俺の返答に、しかし彼女はどこか不満そうな表情を見せた。
全く今日は珍しい。今まで一回たりとも見たことのない顔だ。

ゆらりと腰を上げ、こちらに近づいてきた。
目の前で止まり、視線が合う。

「なら。存在することにも、理由は必要なの?」
「…………………………わからない」

それに対する解答を、俺は持ち合わせていない。
曖昧なひとことを口にして黙ってしまった俺に、彼女はしばらく何も言わなかった。


―――――― 少なくとも私は、在るだけで辛い」

小さく、囁かれた言葉。
けれど聞こえないほどではなく、聞き逃しはしなかった。

「世界に在れば、必ず痛みを知るから。世界中の苦しみを知るから」

悲痛な面持ち。そこにあるのは無ではなく、暗い色。

「それが死神の、私の"在り方"だから」
「…………………………」

どこかで。
俺だけが、苦しんでいるんだと思っていたのかもしれない。
俺だけが、辛い人生を過ごしているんだと思っていたのかもしれない。

他人の痛みをわかろうとしたことがあっただろうか。
考えてみる。記憶を辿り、探り、自分のことを今一度見つめてみる。

「………………俺は」

なかった。どこにも、その努力をしようとする自分はいなかった。
忘却、憎悪、抱く感情は負の方向性ばかり。
理解できないと端から決めつけて。歩み寄ろうとするのは無駄だと吐き捨てて。
最低なのは、何よりも誰よりも、俺だったのか。

「俺は」。そのあとに続くはずだった台詞は言い訳。
傷に触れたことの謝罪でもなく。自分の理解力の足りなさを悔やむモノでもなく。
苦し紛れにも似た、逃避のための行動。


本当に、今更だ。自分を振り返る機会があまりにも遅すぎる。
ここまで馬鹿だったとは思いもしなかった。ここまで、愚かだったとは。

「…………ねぇ」
「…………何だ?」
「あなた、どうしたい?」

それは単純な問いかけ。
けれど俺には、真っ直ぐに響いた。

「………………教えてくれないか。ディス、お前の痛みを」





たったひとつ。知りたいと、願う。
彼女は頷いた。迷いなく、心から。