長らく、互いに相手を見据える。
ほんの僅かな間さえも目を逸らさずに、逸らさまいとでも言うように。


沈黙はしばらく続いた。
意思の遣り取りでもない。記憶に焼きつけたかっただけなのかもしれない。
その佇まいを。世界にたったひとつの、存在を。

できるならば。この時間が、いつまでも続けばいい。

叶わないことだ。俺達は目的があって此処にいる。
決めるために。指し示すために。



「…………訊くわ。"死神"たる私に、どうして人間と同じような"こころ"があるのか」



問いは単純、
答えは唯一。

求められているのは汎用的なものでもない。
この世界で、俺だけが見つけられる結論。



言おう。





「…………きっとそれは、受け止めるために必要だから」




















disintegration-3




















「受け止めるために、必要…………?」
「ああ。お前だけじゃない。俺達も、そうなんだと思う」


例えば。
行き場を失くした魂は、自分の居場所を求めるだろう。

通じ合える存在モノのいるところ。
誰かと一緒にいられるところ。

ひとりでは寂しいから、ひとりではいられないから。
誰かじゃない存在がいても、意思の疎通ができないのなら誰もいないのと同じだ。


「人には、伝える手段があって、同時に受け取る手段も持っている」


例えば。
居場所を見つけた魂は、そこに幸せを見出すだろう。

大切な存在のいるところ。
必要な誰かがいるところ。

ふたりならば、寂しさにも耐えられる。分かち合える。
そうやって生きていくのは、決して悪いことではない。


「機械的じゃ駄目だ。何もそこになかったら、きっと何処にも行けなくなるから」


いつでも相手たにんを求めている。
孤独であるのは、本当に辛いことだから。
寂しさは心を壊していくから。


「救いがないと、全てが嘘になる。行き場がないと、全てが空になる」


おはよう。
ただいま。
おかえり。
ありがとう。
ごめんなさい。

それらはみんな、自分以外の存在がいて初めて成り立つ意思。
言葉は伝えるためにある。誰かに届けるためにある。


「だから、必要なんだ。どんなに辛くても、どんなに要らないと思っても。…………絶対に、失くしてはいけないんだ、それは」


今も。
俺は彼女に、伝わってほしいと願う。





「…………ひとつだけ、もうひとつだけ、教えて」

微かではあるけれど、感情の窺える声。
懇願ではない。ただ訊ねるだけの、わかっていることを改めて訊くだけの、そんなような口調。


「私は、世界中のこころを受け止める。なら、私自身のこころは、何処に行けばいいの?」
「俺が抱えるよ。…………一人分くらいは、何とかなる」


嘘偽りの混ざらぬ本心で。
これだけははっきりと、口にできる。

単純なこと。
俺は、ディスという存在に、自分の居場所を求めている。


「……そう。…………ふふ、何故か、そう言うと思っていたわ」

彼女の言葉が少し気恥ずかしい。
けれど、嫌なものでは決してなかった。


風が湿った薫りを運んでくる。
空は暗い。泣きそうなほどに、暗い。

「…………私、ずっと悩んでいたわ。自分の存在が始まってすぐに。苦しくて悲しくて、でもそれらは手放せない。 だって、私が見捨ててしまったらもうどこにも居場所はないから。放っておくことは、私にはできないから」

独白は続く。

「いつもいつもこの身を苛む。息が詰まって、吐き出してしまいそうで、その度に耐えて。 なのに理不尽だと思ったことは一度もなかった。背負うのが私一人でいいのなら、それでいいと心から思った」

冗談も虚偽もなく。

「挫けそうにもなったわ。こんな思いをするのなら、こころなんてなければいいと。何も考えることがなければいいと。 その答えを教えてくれる人もいなかったから。自分で考えても答えなんて出るはずもなかったから」

誇張も自嘲もなく。

「私には永遠がある。仮初めの永遠。世界が潰えてしまうまで、終わらせ続ける存在として定義された。 私は私。他の誰にもなれず、他の誰もわかってくれない。…………そんなこと、ずっと前から知っていた」


全て、彼女自身の声。


それは真摯なものだったけれど。
表情には見せず、なのに泣きそうだったから。初めてそんな顔を見せてくれたから。

耐えかねずに口を開いた。

「誰も、本当の意味で理解はできない。誰も、本当の意味で理解されない。――― だから、辛い思いもする。 傷つけられて、傷つけて、それを馬鹿みたいに繰り返して、でも、それでも解り合おうとするんだ」

理解できるなんて言葉は嘘かもしれないけれど。

「俺達は、歩み寄れる。互いが必要とする限り、触れ合える」

そこに至る道は、嘘になんてならないはずだ。


「…………そうね。それを私に教えてくれたのは、誰でもない、あなたよ」

迷わずに、彼女は断言する。
今まで一度も逸れなかった瞳は、強い色を湛えたまま。



答えは出た。
見つけるべきだったもの。見つけたかったもの。

きっと、彼女だけが求めていたんじゃない。
俺もどこかで、探していた。迷いながら、探していた。

受け入れよう。行き場がないというのなら、俺が場所を作る。
一人分でも重いだろう。でも、彼女の荷物それに比べれば大海の一滴にも満たない。


これくらいしか、できることはないから。
だから、精一杯背負ってみせる。彼女が望む限り。



「…………………………ありがとう。でも、ごめんなさい」



なのに。
何故、謝るのか。

「私は、あなたとはいられない。これで、お別れ」
「…………な、」
「どう足掻いたって、一緒にはなれないもの。だからここまでが一番いい」

それは明確な離別の言葉。
拒絶ではない。ただ、離れるしかない、と。


ここで、激情に身を任せられたらどんなに楽なことか。
どうして、と叫びたい衝動に駆られるが、寸でのところで押し留める。

彼女が選んだ道ならば。
異論を挟む権利はない。

「…………そう、か」


俺は、どんな顔をしていただろう。


引き止められない自分が少し腹ただしくて、
それでいいと思う自分がいるのが少し悔しくて。

けれど、彼女が選んだと言うのなら。
笑って見送ることだけが、俺にできること。


雨が降ってきた。
ぽつりぽつり、世界を濡らす。

さほど時間も掛からずに大降りとなり、服が肌に張り付き始める。
いつもは不快に感じるそれを、何故だか嫌だと思わなかった。

「…………雨って、案外気持ちいいのね。初めて知ったわ」

見れば、彼女も全身を濡らしている。
長い白髪も、黒い外套も、水を滴らせていて。
今更、そんな姿を綺麗だと考える自分がいた。


吐く息は白く煙り、手はかじかんで感覚が消えてきた頃。
声にならない会話を終えて、俺達は最初で最後の別れをする。

――― あなたに、会えてよかった」

大して長くもないその言葉に、今までの全てを乗せて。

――― 俺もだ。お前に、会えて嬉しかった」


二人は感謝の意を送る。



「さよなら」



笑顔で。
二度と会うことはないと、彼女の瞳は語っていた。





もう、何も口にできないほど呆気なくて。
どこからが終わりで、どこからひとりになったのか。
実感も薄いまま、まだ耳に響く凛とした声を聞いていた。


雨は止まない。
全部流そうとでもするように激しく、視界が霞むほどに強く降る。



……これなら泣いても、誰もわからない。



背を向けて、未練なく、降り返ることもなく、公園を後にした。



もう一度。
空を見上げ、星月がないことを確認し、





「さよなら」

と、小さな声で呟いた。