自慢じゃないが、俺はバレンタインにチョコを貰ったことが一度もない。 そのことを先日何となくマサ兄に話したら、 「お前、ある意味そっちの方が珍しいだろ。今時絶滅危惧種みたいな奴だな」 なんて言われた。まぁ、確かにその通りだと思う。 だいたいどこにでもクラスに一人くらいは義理チョコと称し一ヶ月後の三倍返しを期待する女子がいるもので、 実際俺のところにも例に漏れずいた。グループ単位でいた。 しかし、相手構わず配る奴らがいるのに、ひとつたりとも受け取ったことはないのだ。 理由はというと、正直何となく、としか表現できない。 浮ついたのが嫌いなのかもしれないし、バレンタインが気持ちを伝える日であるなら軽すぎると感じるからかもしれない。 結果としてクラス内では『瀬名川は硬派だからああいう軟弱でチャラチャラしたことは好かない』みたいな噂が出回り。 以来、もともと皆無だった義理チョコの申し出は完全になくなった。 別に俺は全然構わないのだが、兄貴に言わせれば「不健全だろそりゃ」らしく、やっぱりおかしいのか、と思い始めている。 普段変人として扱っている相手の言葉なら尚更ショックだ。実の弟を養子縁組に出そうとする奴と同類にはなりたくない。 今まで生きてきて、俺は人を好きになったことがない。 当然そういう人にプレゼントをあげたこともないし、ラブレターを貰ったり告白された経験もゼロ。 そもそも女性というものが苦手なのだ。長く関わった人ならまだしも、クラスメイト程度だとどうしても一歩引いてしまう。 女嫌いかと訊かれればそうでもなく、単純に理解に苦しい存在だから駄目だったりするのだろう。 あるいは自分の知っている女性とかけ離れているから、かもしれないが。 なら知った相手ならいいのかと言われれば……それは相手次第。今回は、そういう話。 二月十三日。学年末テストが近い。 適度に不真面目でない俺は赤点、補習回避のために必死で勉強するのだが、未だに上位三十位を射程内に入れたことはない。 ちなみにマサ兄は学生時代常に五位以上で、産まれた時から頭の作りが違うわけだ。世の中の不公平さを感じる。 得意科目も特になく、ぱっとしない俺が辛うじて苦手な英語を平均点で保てているのは、コーチが優れているからだろう。 試験前は、いつもシェラちゃんが付いてくれている。 年端も行かない子供が何の役に立つかというと、両親が両親なので日本語と英語の両方が喋れるのだ。 教育の賜物か一応ある程度は綴りまで書けるので、英語の教科に関しては少なくとも俺より遥かに優秀だったりする。 だが、今ここにシェラちゃんはいない。 毎日のように朝食や夕食に誘われるのに、今日だけは訪問禁止のお達しが来た。 どうやら外出してはいないらしく、自宅で集中してやりたい何かがあるのかもしれない。 とにかく俺は一人で全てをしなくてはいかず、それを少し寂しくも思う。 時間は夕刻。そろそろ食事を作らなくちゃいけない。 冷蔵庫に使えるものはあるだろうか。机を離れて開けてみると、とりあえず今晩は乗り切れそうだった。 「最近買い物に行ってなかったな……」 基本は自活。放っておいても誰もやってはくれない。 一人暮らしとはそういうものだ。この歳で慣れている自分が時々嫌になるが。 手間要らずのスパゲティにでもするかと、まずは鍋を火に掛けた。 一方その頃。 隣の瀬名川家では、台所で苦戦する少女とその母の姿があった。 「ああもう、そうじゃないわシェラ。丁寧に、慎重に。気遣いは大事よ?」 「でも母様……難しいですの」 小さな手では包丁をまともに握ることすら叶わない。 背が届かないので踏み台に乗って立ち、へらを使って鍋の様子を見る彼女は危なっかしかった。 しかし、そんな娘の面倒を見るのが母の役目だ。決して覚えは悪くない。ゆっくりと、そして着実に教えていく。 失敗した数だけ成功に近づくのが料理。初めから完璧にできるだなんて思ってはいけない。 事実、五時間を掛けて少しずつではあるがマシな形になってきた。 チョコを刻み、鍋にそれを入れて湯煎で溶かす。 重要なのはテンパリング、温度調整で、一番難しく、だがそこさえ乗り切れば完成は間近だ。 温度計を確認しながらの作業。ちょっとでも気を抜くと出来は悪くなる。 根気と集中力、そして完成させようという意気込み。誰かのために料理をするのに必要なそれを、シェラは持っていた。 「いい、シェラ? プレゼントを渡す上で大事なことはいくつかあるけれど、今回はふたつよ。ひとつは気持ち、そしてもうひとつは」 「もうひとつは?」 「味よ。料理の世界は厳しいの。おいしくなければ価値は半減するわ。だから―――― 頑張りなさい」 「……はいっ」 横には失敗作が捨てられている。 中途半端に固まってしまったもの、分離してしまったもの、上手く溶けなかったもの。 それらを糧にして、着実にシェラは成長していく。 「兄様……私、頑張りますの」 全ては、渡すべき相手のために。 はじめてのひとのために。 「…………おーい、それはいいんだが、飯は食わないのかー? ベルー、俺お腹ぺこぺこなんだけどー……」 その後ろで、料理ができない一家の主人は二人の作業が終わるまで待つしかなかった。 二月十四日。何故か今日は朝からシェラちゃんの様子がおかしかった。 妙にそわそわしていたり、何か言いたげな瞳でこっちを見ては目を逸らす、の繰り返し。 お互い学校と幼稚園があるので呼ばれて同席した朝食を済ませるまでの僅かな時間しか顔を合わせてないのだが、 どう考えても変だったし、なのにマサ兄もクーさんもそれが当然だという感じで娘の奇行をスルーしていた。 正直、そんな挙動を取る理由にひとつだけ思い至ったんだが、まさか、と首を振る。 いくら何でも自意識過剰というか、確かにシェラちゃんが俺に好意を持っていることは知っているが決めつけるのは早計であって。 そもそもバレンタインデーだからといってもどうすればいいのかなんて、経験のない俺には皆目見当つかないのだった。 とりあえずシェラちゃんを見送り、登校する。 教室に入ると、試験前の緊迫感を含みながらも、こう、バレンタイン当日特有の空気が広がっていた。 見ればところどころで丁寧に包まれた物を男子に渡す女子がいる。 大事そうに頬を赤らめながら手渡しする人、選挙活動の如く握手の代わりに配る人、別のクラスに飛んでいく人、と様々だ。 男子の面々も心なしか顔が緩んでいたりして、何か俺だけ取り残された気分になってどうしたものかと思う。 その空気は授業の始まりと共に緩和するのだが、根本的な部分は一日変わりそうになかった。 どこか落ち着かない、この先訪れるタイミングを待ち焦がれるようなイメージ。 ふと考える。彼女達はどんな気持ちで相手にそれを渡すのだろうか、と。 そして、朝のシェラちゃんのことを思い出した。 もしバレンタインだからあんな様子だったとすれば、彼女もどんな気持ちでいたのだろうか、と。 俺は今までこの日に何も貰ったことはない。 でも、シェラちゃんが俺にチョコレートを渡そうとしたら、受け取るのか。受け取れるのか。 つまらない意地とか、こだわりとか、変な願望とかが、彼女の気持ちよりも大事なものなのか。 「……まぁ、勘違いかもしれないしな」 結局、俺は信じられなかったのだ。 特に目立つわけでもない、格好良くもなく、成績優秀でも運動神経抜群でもない。 どこにでもいるような、極々平凡な自分の価値というものを。 「……お、時間だな。授業終わり。ここテストに出るからな、ちゃんとやっておけよ」 気づいたら昼休みが来て、あまりノートを取ってないことに今更ながら愕然とした。 今日の夜は睡眠時間をちょっとばかり削らないとまずいだろう、なんて考えている俺はやはり浮いているのかもしれなかった。 勉強中、ぴんぽーん、という間抜けな音と共に、声が聞こえた。 よくよく聞かずともマサ兄だった。 「ハルー、いるかー? お兄様が来てやったぞー」 「現在瀬名川春哉は外出しております。ご用件は後でお伝えくださいっていうか何も言わずに帰れ」 「つれねえなぁ。ほら、夕食の誘いだ。有り難く受理しろ」 「はいはい」 こういう場合は逆らうと碌なことがない。 前に同じシチュエーションで断った時は、後ろからシェラちゃんが現れて涙目でじっと見つめられた。 子供の涙は最終兵器だ。しかも兄貴なら俺が泣かせた泣かせたと半年は言い続ける。ついでに近所に言い触らす。 あの場はどうにか乗り切ったが、以来二度と同じ徹は踏まないと誓った。 玄関を開ける。合鍵は持っているのに、律儀に俺が出るまで待ってくれているのだからつくづく兄貴のことはわからない。 隣まではおよそ六歩。その間に、俺はひとつ簡単な質問をする。 「なぁ、マサ兄」 「ん、どうしたハル」 「……朝からシェラちゃんの様子がおかしかったけど、何かあったのか?」 足が止まった。 二歩先の兄貴は振り返って、深い溜め息をつく。 「お前なぁ……わかってんだろうが。今日が何の日か」 「…………え、マジ? だってシェラちゃん、」 「早過ぎるわけじゃないさ。あの子にだって渡したい相手はいるってこった」 「………………」 「ま、何だ、俺から言えるのはひとつだけだ。……シェラを泣かすなよ?」 「泣かさないって」 「そこはいまいち信用できねえんだよなぁ。ウチの弟は女心って奴をわかってないし」 俺が反論しようとしたところで、さっとマサ兄は扉を開けて中に入ってしまった。 理不尽にも負けたような気分を味わいつつ、俺も続く。 リビングでは既に夕食の用意ができていた。 今日は鍋らしい。料理担当はクーさんだが、生まれも育ちもイギリスなのにこの人は和食も完璧に作れたりする。 しかも全てこちらに来てから覚えたというのだから恐ろしい。中華も制覇し、後はマイナー系統の地方物だけだとか。 本人は割と凝り性でもあるので、少なくとも俺が作るよりは何倍もおいしいのが食卓には出るのだった。 「こんばんはっす」 「ハルくん、鍋よ鍋。いっぱいあるからガンガン食べてねー」 「あ、はい。動けなくならない程度に」 堅苦しい挨拶もなく、クーさんの軽口を流して椅子に座る。 シェラちゃんは既に着席していて、ちらりとそっちの方を見ると、さり気なく視線を逸らされた。 微妙に傷つく自分のナイーブさに驚きながら、マサ兄の一声で俺も箸を伸ばした。 「母様、取っていただけます?」 「はいはーい。まだシェラは自分じゃ届かないものね」 「あ、こら兄貴っ、俺が掴んでる豆腐を崩すなっ!」 「油断している方が悪い」 とこんな感じで慌しくも鍋の中身を順調に四人で減らし、締めのうどんも終えてやっと落ち着く。 皿を片づけてからシェラちゃんを探してみたのだが、いつの間にかリビングからは消えていた。自室に戻ったのかもしれない。 「女性の部屋に許可なく入るものではありませんわ」と前々からきつく言われているので当然無遠慮に行くわけにはいかず。 しかしここに来る前マサ兄に言われたことを思い出し、どうしたものかと悩んでいると後ろから声を掛けられた。 「ハールくん」 「…………クーさん」 「今日はバレンタインよねー」 人が懸念してることをさくっと突いてくる。 敵わないなぁ、と思い、そういえばクーさんからはバレンタインに何か貰ったことはないな、と気づいた。 「ひとつ質問いいですか?」 「あら、何かしら?」 「今まで、俺に対してバレンタインの件ではノータッチでしたよね」 「ええ、そうね」 「どうしてですか?」 「簡単じゃない。私はハルくんが一度もチョコレートを貰ったことがないのを知ってるから」 「だから……?」 「娘に華を持たせたかったのよ」 そう言って、クーさんがにっこり笑ったのと同時。 物音がしてまた振り返ると、おそらくは部屋から出てきたシェラちゃんが現れた。 不自然な後ろ手で。少し俯き気味で。妙におめかしして。 「ほーら、二人ともちょっと散歩行ってきなさい。はいハルくん退場ー」 「ちょ、何なんですかいきなり、って兄貴も共犯か!」 「そりゃ娘のためだからな。だから強制連行」 ずりずりと引き摺られ、そして俺はご丁寧に靴まで履かされてシェラちゃんと一緒に外に放り出された。 あんまりにもあんまりな展開にシェラちゃんと目を合わせたが、力一杯背中を押されて、 「……兄様、行きますのよ」 為すがままに二人でエレベーターに乗るのだった。 黙々と歩き続ける。会話はない。マンションを出ても背中は押されっぱなしだ。 何度か後ろを見ようとしたが、その度に強く服を引っ張られて諦めた。 目指している場所も知らず、ただ、最終的に背後の少女が何を目的としているのかは、わかっている。 ……初めて会った時。シェラちゃんはクーさんの後ろに隠れて、玄関で呆然とする俺を窺っていた。 その目が映していたのは知らない人で、きっと、怯えていたのかもしれない。 兄夫妻の隣に(半ば強制的とはいえ)引っ越してから、俺は頻繁にシェラちゃんの面倒を見るようになった。 仕事柄なのか、マサ兄はクーさんと一緒によく家を空ける。両親がいない間、幼稚園への送り迎えなどをするのが俺の役目だ。 今より小さい頃はトイレの世話もした。まだ背が足りなくて一人じゃ沈んでしまうので、二人で風呂にも入ってる。 そうして付き合って、俺は兄と慕われ、家族にも近い信頼関係を築いてきた。 三年半は、決して短くない。多くを知るには十分過ぎる歳月だ。 もうずっと。リシェラザード・F・瀬名川という人間を、俺は見てきたのだ。 だから。 たぶん。 背中に掛かる力が消えて、周りの景色は覚えのある、というかさっき見たものへと変わっていた。 どうやら一周して戻ってきたらしい。ゆっくり振り返ると、俯いていたはずの顔が、瞳が、こちらを真っ直ぐ射抜いている。 その真剣さに俺は息を軽く呑んで、言葉を待った。 「…………あの、兄様」 「なに?」 「私……父様から話は聞いてますの。今まで、兄様はバレンタインにプレゼントを頂いたことがない、と」 「……うん」 「理由も、聞きましたわ。でも、」 一瞬、戸惑いの間があった。 けれどシェラちゃんは、おそらくは勇気を振り絞って、 「……それでも、渡したいと思いましたの。軽い気持ちじゃありませんわ」 「………………」 「兄様は…………やっぱり、嫌、ですの?」 ―――― 俺は、シェラちゃんが大人になってしまうのが、怖かった。 恋とか愛とか、そういうこととは無縁だと、勝手に信じていた。 クラスメイトの女子達と同じような、打算や損得勘定を腹に抱える、そんな生き物に彼女もいつか変わっていくのが、嫌だった。 ……でも、違う。みんな、男だってもともとそうで。 自分の気持ちを押しつけたり、傷つかない方法を選んだり、相手の出方を窺ったりする。 さっき、シェラちゃんが戸惑ったのだって、俺が今までチョコを貰わなかったことだって、結局は全部一緒なのだ。 大事なのは、何か。 伝える側と受け取る側の、気持ちだ。 「……シェラちゃん。ひとつだけ、訊いていい?」 「何ですの?」 「勉強も運動も大してできないし、特に才能も面白味もない、こんな俺の、どこがいいの?」 「……はぁ。兄様はそんなことを気にしてますのね。決まってますわ」 その時のシェラちゃんの笑顔を、俺は忘れない。 「私の知る、全てですのよ」 初めて、迷いなく、バレンタインのチョコレートを貰った。 家に帰って開けた包みの中、少しだけ不恰好で、仄苦く甘いビターチョコレートは、とてもおいしかった。 あれからお互いぎくしゃくすることもなく(当たり前だ、意識するには年齢差がありすぎる)、俺達は普段通りの関係に戻った。 試験前ということでまた英語のコーチもやってもらっている。……いや、これが普段通りなのは実に情けない話なのだが。 その学期末試験を二月の終わりに控え、天才でも秀才でもない俺はせめて平均点を保つために必死に勉強しなければならず。 結局下旬のほとんどを試験対策に使ってしまい。 あまり余裕がなかった俺は忙しさにかまけて、何か、大事なことを忘れているような気がしていた。 しかしもどかしくも原因がわからないまま三月を迎え、どうにか無事に試験日程を終えた次の日だった。 だいたいどこの家にもカレンダーは置いてあるもので、それは俺のところとて例外ではない。 一般的な月めくり形式のだが、これが当然ながら放っておいても勝手にめくれることは有り得ないのだ。 ようやく心に平穏が戻り、そういう細かなところにも目が行くようになって。 べりっと剥がした二月分の下にある三月の日々、その十四日に謎の印。 はて、こんなものいつ書いたんだっけかと思い返して一瞬。俺は確かに、自分の顔から血の気がさあっと引いていくのを感じた。 そう。三月十四日は、いわゆるホワイトデー。 シェラちゃんに、プレゼントのお返しをしなければならないのだ。 「…………考えてなかった」 今更思い出したのだから当たり前である。 しかも最悪なことに、こういった経験が皆無な俺には何を渡すべきなのかがさっぱりわからない。 無論、シェラちゃんが好きな物ならいくつも考えつくのだが、いざプレゼントに、となるとちょっと違う気がするわけで。 じゃあ喜ばれるプレゼントって何だよと悩み始めて、俺の思考は底無し沼に沈むが如くずぶずぶと。 あれがいいか、いやこれじゃ駄目か、などと呻いているうちに一日が過ぎ、二日が過ぎ、三日が過ぎ。 気づけば十四日まで残り一週間という洒落にならない状況に追い込まれた。 ここでやっと妙案を閃く。 若干禁じ手かもしれないが、俺には一応訊く相手がいるのだった。 二択。マサ兄かクーさんか。この二人しかいない時点で妙案どころか地雷の可能性も浮かんできたが仕方ない。 最終的に俺はクーさんを選んだ。こういうのは女性の方が強いんじゃないかという偏見からだ。 「ちょっと話したいことが」と呼び出し、事情を説明すると、 「そうねぇ。私がシェラのプレゼント選んでも意味ないのはわかるわね?」 「あ、はい」 「なら簡単な話よ。ハルくんがシェラから受け取って喜ぶ物でいいの」 それは、実に的確な言葉だった。 考えてみる。例えば先日のチョコレート、正直嬉しかった。 他ではどうだろうか。食べ物、アクセサリー、実用品――― 『…………私がプレゼントですのよ』 ……こんな時に何を考えてるんだ俺は。 ぶんぶんと首を振り、もっとしっかり考えようとして、 「そう言うとシェラちゃんは自らの身体に絡まったリボンをゆっくりと解き――― 」 「……何やってるんですか」 「いや、ハルくんはシェラがそういうことやったら嬉しいかなー、と」 「やめてください。ていうか声似過ぎです」 「だって親娘だもの」 「そもそも、それを俺がやったら気持ち悪いだけでしょう」 想像してみる。二秒で吐きそうになった。 「……とにかく、俺真面目なんですから」 「そんな難しく考えなくていいのよー。あの子にも言ったけど、大事なのは気持ち」 「気持ち……ですか」 「女はね、喜んでくれるだろうか、なんていう男のいじらしさに弱いものなのよ?」 「それはちょっとシェラちゃんには、何か、早い気がしますけど」 「違うわね」 「即答ですか」 「女心がわかってない。そういうのに年齢は関係ないの。勿論シェラにもね」 マサ兄にも同じようなことを言われたのを思い出す。 こうして夫婦に揃って指摘されれば、間違いとは否定できない。 ……俺、そんなに鈍いんだろうか。女心、わかってないんだろうか。 「だからといっても、何でもいいわけじゃないからね。それくらいはわかってるでしょ?」 「はい」 「じゃあこれ以上私から教えることはないわ。自分なりの方法を見つけて、頑張って」 言うだけ言って、クーさんは帰ってしまった。 後に残された俺は、結局指針らしい指針を得られなかったことに気づく。 「…………ま、いっか」 でもまぁ、やるだけやってみようと、そう思った。 三月十四日。二月はちょうど四週間なので、当然ながら先月と同じ曜日だ。 学校はまだあるのだが、三年生の卒業式も終え、春休みまで残り僅か。 午前授業と軽い連絡事項程度で帰宅となり、途中で買ってきた昼食用の弁当を片手に俺は最後の一手について考えていた。 シェラちゃんが帰ってくるのは夕方頃。つまりプレゼントを渡す機会もそれ以降になる。 タイミングがわからないとか気に入ってくれるかとかそんなことは二の次で、問題はひとつ。 ……俺は、何て言えばいいんだろうか。 茶化すわけにはいかない。シェラちゃんはあの時、本気で、真摯に俺と向き合ったはずだからだ。 だからこちらも誠意を見せるしかなく、しかしどうすればいいのか全然思いつかない。 『女はね、喜んでくれるだろうか、なんていう男のいじらしさに弱いものなのよ?』 『それはちょっとシェラちゃんには、何か、早い気もしますけど』 『違うわね』 クーさんの言葉が、俺の頭の中でぐるぐると回る。 気持ち。シェラちゃんに対する、気持ち。 『女心がわかってない。そういうのに年齢は関係ないの。勿論シェラにもね』 脳裏に浮かぶ少女の笑顔。拗ねた顔。泣き顔。怒った顔。寂しそうな顔。 妹みたいな、実の兄の娘。俺を好きだと言ってくれた、そんな女の子。 「…………うん」 悩んで、悩み続けて、答えは決まった。 箱に詰まった少し大きい包みを持ち出し、手元に置く。 時計を見るといつの間にか三十分が過ぎていた。まだ長いなぁ、と苦笑して、席を離れる。 難しく考える必要はない。気楽に、いつも通りで行こう。 六時半を過ぎ、そろそろ帰ってきた頃だろう、さてどう呼ぼうかと考えていた時だった。 唐突にチャイムが鳴り、出てみるとマサ兄とクーさんが立っていた。 しかも何故か妙に真面目な顔で、 「すまん、シェラ預かってくれ」 「は? な、何だよいきなり」 「急用ができてな。ちょっとベルと一晩出なきゃならんのだ」 「ということでハルくんよろしくねー」 「ちょ、ちょっと待っ」 まくしたてるような勢いに俺は逆らえず、ぽんと背中を押されたシェラちゃんを受け止め、風の如く去る二人を見送るしかなかった。 いくらなんでもあんまりな展開だ。伸ばしかけた手が虚しく空を切り、呆然とする。 ゆっくり下を見ると、シェラちゃんが苦笑いしながら俺のズボンを掴んでいた。 「…………えっと、とりあえず、ご飯用意するね。まだ食べてないでしょ?」 「ええ、まだ済ませてませんわ」 「じゃあ少し掛かるけど、適当に待ってて」 居間まで連れていき、作りかけの夕食を再開しながら、数分前の光景を思い返す。 今日がホワイトデーだということはあの二人もわかっているはずだ。 そして、兄貴もクーさんも、娘のためなら急用を捏造することも厭わない人である。 疑えばキリがないのだが、本当かもしれないし、でも嘘臭いし、とかくとことん扱いづらい実兄とその妻なのだ。 まぁ、きっと気を使ってくれた部分も少しくらいはあるんだろうけど、基本は娘本位の二人なわけで。 全ての準備を終え、軽く味噌汁の入った鍋を火に掛けて、俺は後ろ手の姿勢でシェラちゃんのところに行く。 ちなみに包みは急いで台所の方に隠したので、見られていないはずだ。 目の前にそっと座り、どうやらこっちの様子を眺めていたらしい彼女と背を正して向かい合う。 しかし不思議そうな瞳で見つめられ、もしかしたらシェラちゃんはホワイトデーのことを知らないんじゃないかと考え至った。 クーさんには相談までしたのだから俺がプレゼントを用意しているのはわかっているのだろう。 その上で今日のことを教えずにこっちに預ける、なんてやり方も十二分に有り得る。 理由はきっと、俺に焦った顔をさせたいから。少なくとも兄貴ならそれだけでも実行しそうだ。 「……兄様? どうかなさいましたの?」 「え、あ、いや…………」 不意に話しかけられ、思考が全て吹き飛んだ。 ここで誤魔化すことも可能だが、一度機を逃したら再度は難しい気がする。 どうして俺はこんな六歳児に対して緊張などしているんだろうと自分を馬鹿馬鹿しく思いつつ、頭の中を整理。 一瞬だけ目を閉じて慎重に言葉を探り、 「シェラちゃん。バレンタインの時は、チョコ、ありがとね。おいしかった」 「そう言っていただけると、とても……嬉しいですわ」 一ヶ月前のことを浮かべたのか、シェラちゃんはほっとしたような表情で微笑み、頷く。 その仕草に安心しながら俺は続けた。 「それでね、ちょっとしたお返しに、俺もプレゼントを用意したんだけど」 後ろ手に隠した物を前に回し、ぽんと差し出す。 ちゃんと渡せた達成感を感じてシェラちゃんを見ると、彼女は、 「………………」 微かに、本当に微かにだが、瞳が潤んでいた。 あまりに唐突過ぎる反応に俺は戸惑う。 「どうしたの!? 俺、何かまずいことした!? ごめん、」 「ち、違いますの!」 物凄く狼狽し謝りかけた俺にシェラちゃんは一喝、ぶんぶんと激しく首を振り、僅かに俯いて、 「私、そんな、兄様にお返しを頂けるなんて思ってなくて……」 「………………シェラちゃん」 「だから、言葉にできないくらい、嬉しかったんですの」 ――― 簡単なことだった。 彼女は、自分が渡しただけでもう満足していたのだ。 お返しなんて、これっぽっちも求めてなんかいなかったのだ。 きっとそれは子供しか持ち得ない、綺麗で純粋な無償の愛。 「……開けてみて。遠慮しなくていいから」 「はい、そうしますの」 小さな手指が包み紙を剥がし、箱の上部分を取り除く。 中に詰まっていたのは、緩衝材に包まれた物。俺が必死に考えて選んだ、そんな贈り物。 「ティーカップ……ですのね」 「うん。シェラちゃん、紅茶好きだから喜んでくれるかな、って」 「勿論ですわ。こんなに……こんなに幸せなこと、他にないですのよ」 「あ、そうだ。ちょっと待って」 俺は立ち上がり、食器棚に向かう。 そこからひとつ手に取り、持っていってシェラちゃんに見せた。 「それ、私とお揃い、ですの?」 「同じ日に買ったんだ。家で一緒に飲む時のために、ね」 ちょっぴり演出過多だと思ってしまったのと、シェラちゃんが噴き出したのは同時だった。 それを皮切りに、俺も笑う。可笑しくて。似合わないやり方も、何もかもが可笑しくて。 散々笑ったところで、くぅ、とお腹が鳴った。 どっちのものかはわからない。どっちでもよかった。 やっぱり決まらない、けれどこれがいつもの、俺達なのだ。 「ご飯食べよっか」 「そうですわね」 「では姫様、食後のお茶を楽しみにしていただけますか?」 「当然でしてよ。お茶請けの用意は任せますわ」 「…………ぷっ」 「ふ、ふふっ」 悩んだり、柄にもなく焦ったりしたのが馬鹿みたいに感じるほどの、普段通りな一日だった。 「……あ、味噌汁沸騰してる」 最後まで決まらないのも、普段通り。 翌日、兄夫婦の『用事』は見事に嘘だったことがわかった。 二人に問い質すと、こんな答えが返ってきたからだ。 「まず予約したレストランに行ってな。豪勢な食事を堪能した後、飲み屋を梯子した」 「たまには羽目を外すのもいいでしょ? 今度ハルくんも連れてってあげるから」 「俺未成年なので遠慮しておきます」 全く悪びれてないこの夫婦(特にマサ兄)は大したものだと思う。 でも結果として、色々感謝しなければならない部分もあるのだから、複雑な気分だった。 以来、俺の中でバレンタインに対する妙なこだわりはなくなり。 それから毎年シェラちゃんにだけはチョコを貰い、そのお返しをすることになるのだが、来年以降の顛末はまた別の話だ。 「ところで、去年まではバレンタインのことなんて全然知らなかったよね。……どこで聞いたの?」 「父様と母様からですわ。一年に一度、手作りのチョコレートと一緒に想いを伝え、あわよくば既成事実を作る日だと」 「………………」 「兄様。きせいじじつ、って何ですの?」 「…………あんの馬鹿親ぁっ!!」 その時、俺がシェラちゃんの質問に答えられたかどうかも、別の話。 ------------------------------- あとがきかもしれないもの ロリこん用に書いたものですが、容量の問題で削ったホワイトデーの話もこっちには入ってます。 結構向こうのとは相違がありますけど、一番の違いはそことキャラ紹介の有無。 こっち先に読んだ人は『はるかなひび』も是非。つかあっち読まないとわからないよね? ちなみにちょっとした豆知識。ホワイトデーは本来飴を送る日です。 1980年に、全飴協ホワイトデー委員会の企画によりできた日なので。 バレンタインデーがヴァレンティヌスとかバレンタインとか諸説あるらしい神父殉教の日だというのは広く知られてますが。 その時恋愛結婚の禁止令に触れた男女が、一ヵ月後、即ち3/14に永遠の愛を誓い合ったことが所以だそうです。 もうちょい知りたい人は適当にyahooとかで『ホワイトデー』って調べてください。一発でわかるのでw これは3/15に書き終わってます。でも公開はロリこん結果発表後の3/20。ルールですからね。 つか時間掛けすぎ私。バレンタインデー部分までは9日には出来上がってるのにonz 追記。 まさかナイトガード賞なんてものをいただけるとは露ほども思わず。 ホントありがとうございます。感謝の極みです。今でもちょっと白昼夢に見ます。いやマジでマジで。 それに追従して微妙に訂正。訂正しきれてないとこも多々ありますが。 |