八月の頭。
川澄舞はバイト帰りの途中で、とある貼り紙に目を奪われた。
それは数日後、近くに建てられた神社で、例大祭を開催する、というもの。

祭りと言えば出店。出店と言えば食べ物。その他諸々。
香ばしかったり甘かったりする匂いが漂う神社内とその付近の光景を想像した舞は、くぅと小さくお腹を鳴らした。

「………………」

開催日の予定を思い出してみる。
土日ならバイトもない。当然大学は夏季休校中だ。なら祐一は? 佐祐理は?
普段通りなら大丈夫なはずなのだけれど、その時のことは訊いてみなければわからない。

ただ、一人では行きたくなかったから。
肯定の返事をもらえればいいと、少しだけ足を早めてまた歩き始めた。





虹色のルシア 〜夏祭りの夜、幸せの行き先〜





「……ただいま」
「おう、おかえりー」

返ってくる声はひとつ。祐一のものだ。
靴を脱ぎ、居間に入って見回すが、佐祐理の姿はない。
時刻は八時を過ぎ、夏の空も夜の色に変わっている。この様子だと、佐祐理はまだ掛かりそうだ、と思う。
三人の中で彼女は一番忙しく、バイトの他にも何やら色々としているようで。
こうして帰りが遅くなることも、祐一や舞に比べて少なくはなかった。

「祐一、何してるの」
「いやな、腹減ったんだが佐祐理さんもいないし、じゃあ俺が作ってやろうと思って」
「…………味噌汁。沸騰してる」
「ぬ? おおっ!?」
「……味噌が少ない。だから味が薄い。味噌は具を入れる時に薄くなることを加味して入れるもの」
「な、なるほど。ほとんど包丁も握ったことないからどうすりゃいいかわかんなくてなぁ」
「………………代わる。祐一、見てて」
「おう」

多少出来が悪いからといって捨てるのも勿体無いので、味噌汁は火を止め、追加で味噌を溶かす。
細かく味見をし、濃過ぎず薄過ぎずという程度で抑える。一度沸いたので薫りは飛んでしまったが仕方ない。
まな板の上には切りかけの野菜が並んでいた。見ればどれも不揃いだ。
祐一の努力だけは認めて、もう一度切り直した。流れるような包丁捌きで形を整えていく。
適当な大きさの皿に盛り付けて完成。少し不恰好だが食べる時にはさして気にならないだろう。
おかずに関しては、祐一が買ってきた惣菜があるので心配は要らなかった。

「…………ん、ご飯はちゃんとできてる」
「それだけは俺もよくやってるからな」
「……威張れない」
「しょぼーん」

炊飯器を開けると、大量の蒸気が外に溢れ出た。
しゃもじで米を混ぜる。特に柔らかくも硬くもなく、水加減はちょうどよかったらしい。
あとは冷めてしまった惣菜を温め直し、ご飯を盛ってテーブルに皿を並べて準備完了。夕食の出来上がりだ。

今でこそこうして祐一に駄目出ししつつ完璧に作れるようになっているが、舞も過去は消費者でしかなかった。
三人で共同生活をすると決めた時、佐祐理の猛特訓を耐え抜いて、料理のできる女性として生まれ変わったのである。
最も多忙な佐祐理だけしか食事を作れないのは不便だし、それに舞もできるようになりたいと常々考えていた。
総じて男は料理の作れる女性に弱いのだ。舞だって、ご飯を作って祐一においしいと言ってもらいたかった。

「いただきます」
「……いただきます」

一番嬉しいのは、自分の作ったものを口に入れて、うまい、と笑顔を向けてくれる姿を見た時。
その瞬間のためならば、僅かばかりの苦労なんて苦労のうちにも入らない。

「…………祐一」
「ん? どした?」

食事の中程で、舞は話を切り出すことにした。
帰り道の途中で見かけた例大祭の貼り紙。近くある祭りのこと。
佐祐理も一緒に誘って行こうと思うがどうか、と。
それに対する返事は、ひとことだった。

「いいぞ」
「…………本当?」
「嘘ついてどうするんだよ。土曜はちょっとバイト入っちまってるけど、日曜なら平気だしな」
「…………そう」
「何だ、断るかもしれないって思ってたのか?」
「……ちょっとだけ」
「心配すんなって。舞に誘われたら、予定なんて全部キャンセルしてでも行くから」

嬉しくて、でも恥ずかしくて、言葉の代わりに空っぽになった祐一の茶碗をご飯でいっぱいにした。

「……俺こんなに食えないぞ?」
「平気。祐一ならいける」
「何故そんなところで妙な信頼を!?」










日曜、例大祭最終日。黄昏の景色の中、祐一は神社近くの交差点前で、通り過ぎていく人々を眺めていた。
さして大きくもない祭りだ、流れる人の全てがそちらに行くわけでもないが、楽しそうな談笑を耳にすると気になるものである。
何となく急くような気持ちを抱く。その証拠に、いつの間にか片足が同伴者を待ち焦がれてぱたぱたと乾いた音を鳴らしていた。

集合時間の五分前。舞はまだ来ない。
普段なら彼女は遅くとも十分前には着いているので、デートの際、祐一が後から、ということも一度や二度ではない。
あのすらりとした長身を見つけ、慌てて走っていったところ「……私も今来た」と言われた時は本当に情けなかった。
ついでに、その日の夜佐祐理さんに「祐一さんは甲斐性無しですねー」ととどめを刺されて死にたくなった。

そんな舞が遅れるというのは、それだけで異常事態だ。
トラブルでもあったんだろうかと思うが、舞に限って道中変なのに絡まれた、なんて心配は無用である。
自分の三倍強い(昔「祐一三人と戦っても勝てる」と断言された)彼女を持つ彼氏は逆に心配される立場にあるわけで。
……虚しくなってきた。泣いていい、泣いていいんだぞ俺。心の中で。

ちなみに、佐祐理さんはアウトだった。
運悪く土日両方とも予定があるらしく、しきりに「ごめんねー」と舞に謝ってたのを覚えている。

だから、今日は二人きり。
最近お互い忙しくて、こういう時間が取れなかったから。
待ち遠しいと感じているのは、自分だけでないと思いたかった。

「…………舞ー」
「……ごめん、準備に遅れた」

時計の長針がさらに二分ほど進んだ頃、祐一が名前を呟くと、それに呼ばれたかのように舞が現れた。
珍しいなお前がこんな時間に来るなんて、と言おうとして振り返り、言葉を失う。

「お、おお、おおおお」
「………………酸欠?」
「違うっ。じゃなくて、舞、その格好」
「……着るのにちょっと手間取った。佐祐理に簡単な着付けは教わったけど」

浴衣だった。完全無欠な浴衣姿だった。
深い夜の蒼色を下地に、弾ける花火の七色をあしらったもの。
少々いつものイメージから考えれば派手めだが、そんな些細なことはどうでもよくなるくらい似合っていた。

「…………行く?」
「あ、ああ」

しかも何故だか積極的。祭り独特の高揚感が原因か、舞は自分から腕を取ってきた。
木綿の程良く滑らかな肌触りに、柔らかな感触。思わず頬が赤くなる。


正直、帰るまでに色々と持つかどうか、心配になる祐一だった。










有名どころの祭りには遠く及ばないだろうが、二人から見れば十分過ぎるほどに賑わっていた。
出店の並ぶ通りに溢れる人々。思い思いに買ったものを持ちながら、友人同士、あるいは恋人同士が連れ添い歩く。

「……祐一、あれ」
「たこ焼きか。そうだな、甘い物の前に腹を膨らませるか」
「…………お金」
「いや、今日は俺に任せろ。ちゃんと用意してきた」
「…………いいの?」
「おう。だから遠慮なく食べたいのがあったら言っていいぞ」

大概出店で売っているものは相場より遙かに高いが、二万円もあれば尽きることはないだろう。
それに、男の甲斐性というか。正直、前に佐祐理さんに言われたことをまだ気にしている祐一だった。

まずはぐるりと店を流し見る。
例えばたこ焼きひとつ取っても、定番の商品を売るところはひとつやふたつじゃない場合が多い。
値段、一箱に入る数、具の大きさ、ソースなどのサービス。
それらが全て違うため、中からおいしいものを見極める力が必要なのである。正に戦場。
祭りとは、出店と出店の戦いであると共に、売る側と買う側の戦いでもあるのだ。
良心的なところもあれば、半ばぼったくりみたいなところも存在するが故に。

だが、その辺りは舞に任せておけば問題なかった。
鷹のような目は的確に良品を発見し、的中率はほぼ十割。
おかげで無駄な買い物をせずに済み、出費は最低限だった。

……最低限、だったのだが。

「……むぐ。祐一、これもいける」
「確かにうまいんだが……舞、食い過ぎじゃないか?」
「………………そんなことない」
「その間は何だ」

たこ焼きを始め、焼きそば、お好み焼き、フランクフルト、じゃがバター……。
さらに食後のデザートとして、ソースせんべい、りんごあめ、クレープ、チョコバナナ、ベビーカステラ……。
ベビーカステラに至っては四十個入り、千円のを買って中身はもう半分なくなっている。
ついでに、彼女の右即頭部はファンシーなうさぎのお面が括り付けられていた。

財布を開く。
気づけばもう八千円が消えていた。

「…………祐一? 顔色が悪い」
「ははは……気にするな。人生上手くいかないものだと過去の自分を振り返っていたんだ」
「……挫けちゃ駄目。前向きに生きて」
「おう、ありがとな舞。……って聞いてないし!」

励ましに対する礼を告げようとした時には、既に別の店をロックオンしていた。
ふらりと舞が立ち寄ったのは食べ物を売るところではない。
直径が祐一の身長よりもあるだろう水槽。そこに浮かぶ無数の赤色や黒色。

「お、金魚すくいか」

どんな小さな祭りにも、必ずと言っていいほどある出店のひとつだ。
最近は割と廃れてきているのかもしれないそれを、祐一は嫌いではなかった。今となっては、好きでもないのだが。

目線で、やるか、と舞に訊く。
返ってきたのは小さな頷き。禿頭の店主に一回分のお金を渡し、ポイ(柄の付いた輪に紙の膜が貼られたもの)を舞が受け取る。
右手にポイを持ち、構え、じーっと水中を縦横無尽に泳ぐ金魚達に視線が注がれた。

―――― そのまま硬直。
思わず息を飲んでしまうような緊迫感の中、永遠に似た一瞬。
舞の手が、銀閃の如く水を切った。しゅばっ、という音と共に飛沫が跳ね上がる。そしてそこには、

「………………舞」
「…………何?」
「見事に破けてるぞ」

穴の開いたポイと、空っぽの金魚入れだけが獲物を待ち焦がれていた。
ちらりと祐一は彼女の横顔を見やる。……正直、無表情なのが逆に怖い。

「お嬢ちゃん、まだやりますかい?」
「……祐一」

催促を受けて、財布を開かざるを得ない祐一だった。

しゅばっ!
―― おじさん、もう一回。
あいよ!

しゅばっ!
―― もう一回。
あいよ。

そーっ……ぽちゃ。
―― ごめん、もう一回。
……あいよ。

その後も舞と金魚との戦いは繰り返されたが、一度たりとも成功しなかった。
祐一の資金はその六割強が金魚すくい屋含む出店に流れ、紙の破れたポイの残骸は二桁を越した。
言うべきか否かを迷い、しかし祐一は思ったことを口にする。

「……舞、お前、案外不器用なのな」
「………………そんなことない」

今度の「そんなことない」には随分傷心の色が見え隠れしていた。
結局参加賞みたいな感じで二匹を貰い、金魚すくいの屋台を後にする。

指に赤いビニール紐を絡ませて歩く舞はまださっきの失敗を気にしているらしく、俯きがちで。
どうしたもんかなぁ、と祐一は苦笑する。だいぶ満腹だから餌付けは意味ないだろうし。

「……そういえば」
「ん?」
「祐一は、どうしてやらなかったの?」

やっぱりそこを突かれるかと思う。
確かにああいう場面では後ろから「ほれ貸してみろ」とか言うべきだったかもしれないのだが。

「答えなきゃ駄目?」
「ん」

こくり、返ってくる頷き。
祐一は仕方ないなぁ、と頭を掻く。

「こう見えても昔は『ゴールドフィッシュハンター祐ちゃん』として俺は恐れられていたんだ」
「………………」
「何だその疑わしい目は。……で、だ。金魚を持って帰ったんだが、家に水槽がなくてなぁ」
「…………それで?」
「指に吊るした袋達の中で大量死。全部土に埋めて、それからどうも金魚すくいは苦手になっちまってな」

誤魔化しのような笑みをする祐一を見て、舞は左手指から垂れ下がる水入り袋と、そこで泳ぐ金魚をじっと見つめた。
元気に泳いでいる。けれどその中は狭く、そして水槽にいれば足されるはずの酸素もない。
いつか、彼らは酸欠で儚い命を散らし、水面にぷかりと浮かぶだろう。
舞にとって、それはとても嫌なことだった。
だから、

「……祐一。ちょっと、戻ってもいい?」
「ああ、いいよ」
「…………ありがとう」

自分が持っていなくても、他の誰かが持っていく。あるいは何度もすくわれ弱って、いくつかはどうしようもなく死んでしまう。
なら結局偽善なのかもしれない。でも舞はこの金魚達を飼ってやれないし、元気でいてほしいと願う。

さっきの屋台で、そっと袋から金魚を放つ舞の横顔はどこかほっとした表情で。
その姿を眺める祐一の表情も、同じようなものだった。










「もう食えねぇ……」
「…………うぷ」

九割方の出店を制覇し、行きの時より幾分か膨れた腹を押さえながら、二人は座った。
そこは祭りの喧騒より離れた神社裏で、遠くから薄い光が届くだけの静かな場所。
社と住む人間の住居は分かれているらしく、誰かが不審がって来る様子もなさそうである。

少しばかり身体が重い。当然先ほど胃の中に詰めた物の所為だが、こればかりは時間に任せるしかないだろう。
基本今まで立ちっぱなしで足も疲れていた。ついでに財布もだいぶ寂しくなって、祐一はちょっと切なくなる。

「舞ー」
「……何?」
「しばらくここで休もうぜー」
「…………私も、そうしようと思ってた」
「そっか」

ちらりと横目で見た舞は、暑さからか、胸元に指を入れて風を呼び込んでいた。
腰を下ろした浴衣の裾がはだけ、すらりとした長い足が曝け出されている。
薄く汗に湿り、夏の熱気で火照った肌。口から漏れる、悩ましげな吐息。

今更ながら、祐一は舞のことを激しく意識した。
普段忘れがちなのだが、隣にいるのはとびきりの美人なのだ。
祐一自身が不能なわけでもなく、そんな艶姿を見せつけられて、ドキドキしない方がおかしかった。
しかも本人は全く無意識。自覚がない分、余計質が悪い。

人気のない空間。暗がりで二人きり。きっと誰も来ない。あつらえたような好状況である。
自然、そろーっと舞の胸元に伸びる祐一の手。

「…………祐一」
「おおう!?」

慌てて手を引っ込めた。
気づかれなかっただろうかと心中で焦りつつ、祐一はどうした、と返事をする。

「……見てた?」
「何をだ?」
「…………胸と、足」

バレバレだった。
完璧に見透かされていた。

「祐一」
「お、おう」
「……私、今下着を着けてない」
「なにぃ!?」
「……嘘」
「………………」
「…………がっかりした?」
「……そんなことはないぞ」

本当は滅茶苦茶がっかりした。
あからさまな落胆ぶりに満足したのか、舞はくすりと小さく笑う。

「……実は、誘ってた」
「マジか」
「マジ」
「…………それは、つまり、えっと、そういうことか?」
「……そう取って、構わない」

思わず唾を飲む。

「でも、ほら、誰か来るかもしれないぞ? 舞は平気なのか?」
「…………大丈夫。きっと誰も来ない」
「何故にそんな自信を持って言う」
「……勘」
「勘かよ。っていうかそれは本来男の俺が言うべき台詞だろう」
「……気にしない」
「あー…………本当に、いいのか?」
「…………これでも、勇気を出した」

贔屓目かもしれない。惚れた弱みかもしれない。
でも、祐一には舞以上に可愛い、好きになれる人間なんて存在しなかった。
上目遣いの視線。潤む瞳。胸元から覗く双丘。艶やかな黒髪に上気した薄紅の頬。
ぞっとするほどの美しさだ。その身体に自分が触れると思うだけで、例えようのない快感が脳を痺れさせる。

優しくするから。耳元でそっと囁き、祐一は舞の浴衣に手を掛けた。
場所が場所である故、あまり声を出せないことだけが不満だったのだが。










事後、二人共々きっちりと衣装を整え、熱の篭った身体を冷やしてから何気ない顔で喧騒を抜けた。
一回分とはいえ体力は使ったし、どうにも気怠かったのだがそれはしばらく続く感覚だろう。

神社から祐一達の住むアパートまでは大した距離もない。
祭りの高揚感、独特の名残を惜しむかのように、二人はゆっくりと歩く。
ひらりと風に揺れる浴衣の裾、そこから見える腿に祐一の視線は行ってしまいがちだったが今度は悟られていないらしい。

「……楽しかった?」

すぐには答えられなかった。
先の問いの主語は、祭りが、なのか。あるいは、私といて、なのか。
どちらでも、最終的に言うべきことは変わらない。まだ頭が少しぼんやりしていて、反応が遅れただけだ。

「そりゃあ楽しかったさ。舞と一緒だったし、可愛かったしな」
「………………」
「痛っ! お前、そんな容赦なく脛を蹴るなよ!」
「…………祐一にはデリカシーがない」
「自分に正直であるよう心がけているんだ」
「ただの馬鹿」
「即答!?」

ああ、俺の彼女は本当に容赦ない、と祐一は思う。
……まぁ、そんなところも含めて参ってるんだが。

「……何だか、ちょっと、勿体無い気分」
「ん? 勿体無いって?」
「……この時間が、終わるのが」
「………………舞。ここらに公園とかあったか?」
「…………五分ほど歩けば」
「そっか。ん、じゃあちょっと待っててくれ。準備してくる」
「……何を?」
「それは俺が戻ってくるまでのお楽しみ、だ」

言い残し、さーっと走り去ってしまう祐一。
ぽつり取り残された舞は、微かに首を傾げた。

およそ十分後。
帰ってきた祐一は両手に何かを抱えていた。
息を切らし、舞の横で呼吸を整える。舞がよく見ると、その手にあるのはバケツと花火だった。

「ほれ、公園まで行くぞ」
「…………それ」
「見た通りだ。あ、心配すんな、ちゃんとライターと蝋燭も持ってきてる」

的外れな返答に、舞は溜め息をつく。
しかし、どうしてそんなものを持ってきたのかは、訊かずともわかることだ。

公園には人影はなかった。騒ぎたい人は皆祭りに出ているだろうし、こんな時間にわざわざここで遊ぶ子供もいないだろう。
遠慮なくできるな、と祐一は呟き、バケツに水を汲み、蝋燭を立て、ライターで火を点けてから簡易風除けを作り置く。
袋から取り出した花火は、二人でするには十分過ぎる量で。

手に持つタイプのものをひとつ。点火させ、その輝きが途切れる前に、次のに火を移す。
楽しいという気持ちが、ここで終わらないように。跳ねる火花が夜闇を染める。
赤。橙。黄。緑。青。藍。紫。くるくると変わる、虹色の光。

あらかたを使い終え、残ったのは幾本かの線香花火。
だいぶ短くなった蝋燭から火を貰い、そっと目の前まで持っていく。

向かい合う二人の間で、弾ける光はぱちぱちと花を咲かせていた。
風に揺られて、もしくは僅かな手先の震えで、ぽとりと火種が落ちる。
そうしたらまた新しいものを取り、火を点けて、しゃがんだ膝下の高さに固定する。

四本目の線香花火を蝋燭に向けながら、祐一は舞の横顔を眺めていた。
微かな黄昏色の光に照らされる頬と、じっと手元のそれを見つめる両の瞳。
憂いを含んでいるようで、寂しそうなようで、けれど全く沈んでいない表情。
……その顔を見られただけで祐一は満足だった。例え財布がもうほとんど空になってしまったとしても。

最後の一本が、落ちることなく燃え尽きた。
水の中にそれを放り込み、後片付けを済ませる。

「さて、帰るか」
「…………うん」

片手にゴミとバケツを持って、祐一は立ち上がった舞の手を握った。
きゅっと、優しく握り返される。行きの時より控えめな、小さな温かさ。

家路に就きながら、舞は心に決めていた。
帰ったら、まずは佐祐理に話そう。今日の出来事を。楽しかったことを。幸せな気持ちを。
そして今度は、三人でも行こうと。そうすればきっと、違った楽しさが、幸福感が得られるはずだからと。

「……祐一」
「おう」
「次は、佐祐理も一緒に」
「そうだな。三人で来ような」
「…………でも」
「でも?」
「………………二人きりでも、私は嬉しい」
「…………舞、今すぐ抱きしめていい?」
「……後で」
「そんなー……」
「…………くすっ」


――――あなたに出逢えた私はきっと、未来も、空も飛べる。


ただ、今は。
互いに並んで歩く幸せを、噛み締めていよう。

二人の気持ちは、同じだった。