「なあ北川」
「どうした相沢」
「最近、俺達はマンネリ化してきたと思わないか?」
「うーむ……確かに、一理あるな」
「ボケとツッコミの流れは王道だが、やり過ぎると面白味も薄れる。今では観客も俺達の身体を張ったギャグに慣れ切ってしまってるだろう」
「なら、何かいい案でもあるのか?」
「北川よ、客を笑わせ、驚かせるのに一番必要なものとは?」
「そうだな、やっぱりインパクトだと思うぞ」
「ああ。だから、俺達を目にした奴らが揃って例外なく言葉を失うような、そんな衝撃を与えてやろうぜ!」
「よし相沢、そうと決まったら作戦会議だ!」
「応ともソウルブラザー北川!」

 わははははははは! と脱兎の勢いで教室から走り去っていく二人を見送り、香里は頭を抱えた。
 どうもこの頃大人しいなと思っていたらこれである。というか受験生だろうあいつら。
 美坂チームと呼ばれて長らく、暴走しがちな男二人の制止役は基本的に香里しかいない。苦労役の重い溜め息に、隣の名雪が肩を叩いて慰めた。

「まあまあ香里、一応祐一達も受験生だって自覚はあるだろうし」
「本当にそうだといいんだけどね。馬鹿が問題起こすと先生にお前の監督不行き届きだろうって目で見られるのよ……」
「何だか、悪戯好きな猿とその飼育員さんみたいだね」
「名雪、あなたさり気なく酷いこと言ってるわよ」
「え、そ、そうかな。お猿さん、可愛いと思うよ?」

 これだ。
 男どもと比べればまだマシなのだが、分類するなら名雪も充分非常識側に入る。
 この天然ボケと、所構わず舟を漕いでしまうところがなければいいのに、と考えることはなくもない。
 どちらにしろ常識人は自分のみであって、いつかストレスで倒れるんじゃないかと時折心配になる香里だった。

「……とにかく、今日は心配ないでしょうけど、問題は明日ね」
「作戦会議って二人で何を話し合うのかな」
「さあ。少なくとも勉学についてでないことは間違いないわ」
「あ、でも、あれで祐一って家ではちゃんと勉強してるんだよ」
「正直信じ難い話ね、それ……」
「わたしが夜に部屋行くと、よく机に向かってるし」
「そういえば、相沢くんってあんなに騒いでる割には赤点とか取ってないのよね」
「一応大学には行くつもりみたいだよ。前に聞いたことあるんだ」
「ふうん。……まあ、だからって私の苦労が減るわけじゃないんだけど」
「北川くんはどうなのかな」
「馬鹿だけどボーダーラインは越えてる、ってところね。成績の位置付けで言えば、中の下くらいかしら」
「こう考えてみると、二人とも案外要領いいのかも……」
「その方が余計に性質悪いわよ」

 言いながら、香里は机の横に掛けてあった鞄を手に取った。
 名雪もそれに続き、二人が出ていくと教室内は突然すっと静まり返る。
 もういないな、ああ大丈夫だ、などという会話が交わされ、残っていた生徒達は一糸乱れぬ動きで輪を作り始めた。
 ちなみに、ほとんどが男子である。

「おい、聞いたか?」
「久しぶりに相沢達が何かやらかすつもりらしいぞ」
「あいつらしばらく大人しかったからつまらなかったんだよなあ」
「美坂は止める気らしいが……」
「今のところ勝率は五分五分だぞ」
「よし、相沢と北川がやり遂げるか、その前に美坂が制止するか、どっちかに賭けようぜ」
「相沢達に五百円!」
「俺も俺も」
「いや、今回は美坂が勝つな」
「私も美坂さんに賭けるわ!」
「お、随分乗り気だな」
「ていうかあいつら今度は何するつもりなのかな」
「わからん。が、面白ければいい」
「……ちょっと待て、お前ら大事なことを忘れてるぞ」
「はあ? 何がだよ。賭けの対象はどっちかしかないだろうし……」
「馬鹿野郎! 美坂チームにはとっておきのダークホースがいるじゃねえか! わからねえのか!?」
「ま、まさか……!」
「水瀬さんだな!」
「そう、俺は、俺は敢えて、水瀬さんの一人勝ちに財布の中の全額賭けるぜ!」
「うおおおおおおっ、ここに勇者がいるぞー!」

 彼らの異様な盛り上がりに、廊下を通りすがった他の生徒は例外なく早足で逃げ去った。
 水面下ではここぞとばかりに胴元を名乗り出た男子生徒(斉藤)の先導によりオッズが組まれ、相沢・北川組の未だ不明瞭な目的達成を支援する側と、 香里の制止成功を応援する側、あとついでに大穴で名雪がどうにかしてしまうのを祈る少数の生徒との睨み合いが勃発、教室に視線の火花が散ることとなる。
 勿論そんな状況は露知らず、祐一達の作戦会議は佳境に入り、一方の香里と名雪は百花屋でまったりお茶を飲みながら放課後の楽しい時間を過ごしていたのだった。



 そして。
 各々が緊張と期待の糸を張り詰めさせたまま、翌日を迎える。
 早朝の部活に向かう者、つい普段より早く登校した者、マイペースに来た者、美坂チームと同クラスである全員は、メンバーが教室に現れるのを待っていた。 明らかにいつもとは空気の違う中、まず始めに顔を出したのは、当然というべきか、香里だった。

「おはよう」
「あ、ああ、おはよう」
「おはよう……美坂さん」

 何故か微妙に声を引き攣らせた同級生の態度に首を傾げつつも、クールな表情を崩さず自席に座る。
 元々香里は四人の中で一番登校時間が早い。ほぼ間違いなく遅刻ギリギリ(たまにアウト)な名雪と、それに付き合わされている祐一は相手にならないとして、 北川もあまり真面目な方ではないので割と遅く、まあ要するに比べる相手が間違ってるとも言えるのだが。

「……ねえ、美坂さん、ちょっといつもと違わない?」
「何だか不機嫌そうだよね……」
「やっぱり相沢君と北川君が気になるからかな……」
「あいつら何やらかすか全然わからねえし」
「そういや前はいきなり漫才始めてたっけ」
「旬のネタを上手く集めた、実にキレのいいボケとツッコミだったよな」
「途中で石橋が来て、すっげえ変な顔してたの覚えてるぞ」
「まさかあそこで無理矢理巻き込んで三人漫才始めるとは思わなかった」
「あーあー、全然状況掴めずに流されるままの石橋が滅茶苦茶面白かったなあ」
「俺腹抱えて笑って後で叱られたよ。石橋の奴、本気で殴るんだもんな……」
「あ、あたしは怒られなかったよ?」
「私も私もー」
「畜生、女尊男卑だー!」

 そんなクラスメイトの会話を余所に、香里はどうしたものかずっと考えていた。
 あの二人はやることなすこといつも唐突かつ脈絡がない。そのため後手に回ってしまうことが多く、 やっと追い詰めたと思った時には既に手遅れ、なんて時も一度や二度ではなかった。 前回も、まあ漫才程度なら微笑ましいレベルだし、ホームルームまでに終われば誰の迷惑にもならないでしょと眺めていたのが失敗で、担任が予定より早く来てしまい、制止する間もなく馬鹿二人が漫才に組み込んでしまった。生徒の煽りとその場の流れに飲まれ、ついノってしまう石橋も石橋だが、ホームルームを五分遅延させた挙句満足そうな表情で意気揚々と戻ってきた二人も二人である。
「やったな北川、大成功だぜ!」「このまま俺達コンビ組んでデビューしちまうってのはどうだ?」「おっ、それもいいな!」とか世迷言を吐いているアホ達に鉄拳制裁を加えて黙らせたとはいえ(名雪は最初から最後まで寝ていた)、勝ち負けで言えば敗北だということは香里も自覚している。

 学校の平和は、自分の手に掛かっているのだ。
 人知れず拳を握り、香里は祐一と北川が登場してくるであろう瞬間を静かに座して待ち構える。
 その一種物憂げとも取れる横顔に一部の女子生徒がきゅんとしたりしたがともかく。
 ふと、廊下の方から悲鳴のような声が聞こえ、教室にいる全ての生徒が息を飲んだ。
 何かが来る、そんな確かな予感をひしひしと感じ、彼らの視線が集中した教卓とは反対側の出入口に、ふたつの影が見え、

「…………………………は?」

 思わずそう口走ってしまった香里の簡潔なひとことが、皆の気持ちをこれ以上ないほど見事に表していた。
 そこにいるのは、二人の―― いや、二匹の魚。魚、としか言えない。
 胴体は一般的な男子生徒の制服に身を包んだ、特に奇抜なところも見当たらない様相をしているが、問題は首から上。 すっぽりと、人の頭を覆い尽くすように、魚の兜が鎮座していた。遠目から見る限り本物ではないらしい、ということはわかり、 しかしぎょろりと宙を向く濁ったふたつの目、てらてらと蛍光灯の光を反射する銀色の表面、ぱくぱく開閉するエラ、間抜けにも中途半端に開かれた頂上の口、 そのどれもが異様にリアルで、ぶっちゃけかなり気色悪かった。魚っぽい生臭さが漂っている風にも感じる。 しかも頭の向きが横になっていて、まあ縦向きよりは邪魔にならないだろうがかなり怖い。
 そんなものが自分の方に迫ってきたのだから、香里がつい条件反射で手を前にやってしまったのは仕方なかった。
 椅子を背中で押して窓側に下がる香里の前で、魚×2はぴたりと止まる。
 と、突然鞄から何かを取り出した。

「……ホワイトボード?」

 まず、二匹の中で背の高い方が書き始める。
 すぐに掲げたボードには、大きく二文字で『相沢』と。
 それに追随して隣のもう一匹が、これも持参のホワイトボードに『北川』と書く。
 ここまで来て、教室の人間はようやく現状を理解した。

「相沢達、今回はかぶりもので来やがったぜ……!」
「あれって前見えんのか? 全然歩き方に迷いがなかったんだが」
「しっかし、触覚が見えないと北川ってかなり没個性だなあ」
「顔がわからないと結構判別できないもんだね」
「うわ、魚の目がこっち向いてるよ……」
「気のせいだって」
「でも相当気持ち悪いなあれ。どこで入手してきたんだろ」
「あの二人のことだ、自分で作ったっていうのも充分有り得るぞ」
「匠の技だな……」
「喋れない設定なのか?」
「まあ、確かに魚は喋らないけど……」
「どうやってご飯食べるのかな」
「俺はあんな姿でここまで歩いてきたことを評価したい」
「恥ずかしくてできねえよなあそこまでは。畜生、悔しいがあいつら輝いてるぜ」

 周りが好き勝手言う間にも、馬鹿二人はホワイトボードで香里に説明を続ける。
 質疑応答は幾度も繰り返され、香里の「もしかしてそれで授業受ける気なの?」という問いに揃って肯定が返ってきたところで名雪がやってきた。
 ちょうど握った拳を放とうとしていた香里は、慌てて手を後ろに隠した。

「みんな、おはよー……って、わ、おさかなさんがいるよー」
「ちょっと名雪、北川君はともかく、相沢君は家で見なかったの?」
「わたしが起きた時にはこんな格好してなかったし、ご飯食べてる間に祐一先行っちゃったから……」

 酷いよね酷いよね、と呟くマイペースな名雪をスルーして、香里は魚を見やる。
 当然ながら表情の変わらない不気味な頭部をじっと眺めていると、意味もなくイラついてきて、発作的に頭を掻いた。
 ああもう、と苛立たしげに言い、とりあえず祐一の魚部分をがしりと両手で掴む。

「このままやらせるわけにはいかないわ。絶対授業中は取ってもらうからね」
「………………」
「"無理だと思う"だって……? やってみないとわからないじゃない、っ!」

 かぶりものを引っこ抜いてやろうと真上に力を入れるのと同時、祐一の首元からじゃらんと金属質な音がした。
 引っ掛かって、取れない。蛙の潰れたようなくぐもった声が聞こえた気がしたが、香里は音の発信源をばっと覗く。

「ちょっ、な、何よこれ!? 南京錠だらけじゃない!」
「………………」
「はあ!? "鍵は家に置いてきた"? "帰らないと外せない"? ま、まさか北川君も!?」
「………………」
「"モチのロン"じゃないわよ! 何考えてるのよこのアホどもがぁぁーっ!」

 二人の肩をがくがく揺らすが、そんなことで鍵が取れるはずもなく、結局香里が諦める結果になった。
 そうしているうちに予鈴が鳴り、教卓側の引き戸から石橋教諭が入ってきた。
 まずその視線が、あからさまに目立つ二匹の魚に行き、次に早くも疲れた顔をしている香里へ移り、 そして何事もなかったかのように出席を取り始めるのを見て、クラスの生徒達は少しだけ石橋教諭に同情した。
 最前列にいた者だけが、彼の目尻に小さく浮いた雫を発見することができた。



 相沢、北川の両名は、教師の間でも知らぬ者がいないほどの問題児として(ただしどこか憎めない、と付く場合もある)名を馳せているのだが、 そうと知っていて尚、今回ばかりは誰も注意の言葉を掛けられなかった。
 授業の時間になり教室に足を踏み入れると、彼らは妙に静かな雰囲気を疑問に思う。その原因は学年でも有数の優等生、美坂香里にあった。 彼女の不機嫌オーラが室内に充満し息苦しさすら感じるほどで、万が一問題を解いてもらおうと当てた日には、 射殺すような目で睨まれ二の句が継げなくなってしまうのだった。

 もうひとつの原因は、言うまでもなく教室の奥に座る二匹の魚である。
 二人とも何か問題を起こすようなことはしていないのだ。喋らないのは難点だが、それを除けばノートはしっかり取っているし、 指名するとちゃんと黒板で問題も解く。授業態度としては決して悪くない。ただ、問題ないと片付けるにはあまりにおかし過ぎた。
 何しろ、およそ人の頭三つ分の大きさをした魚の兜が授業中に目について仕方ないのだ。それもふたつ。 無視するには強過ぎるインパクトで、しかし注意をするにもあの濁った目は直視し難い。 事実、何かを言いかけた数学教師は計四つの目にぎょろりと見られ、あっという間に強硬な態度を萎ませてしまった。
 本人達にとっては教師の方を向いただけなのだがそれだけでも効果は絶大で、そして困ったことに、二人ともしっかり魚のポテンシャルを理解していた。 昨日の夜の時点でかぶりものを入手していた祐一と北川は、別に申し合わせたわけでもなかったが部屋に置いた魚の濁った目に晒されたまま寝たせいで悪夢を見たのである。他ならぬ自分自身で立証されているのだ、効果を疑うはずもない。

 関係ない生徒はというと、さすがに慣れたもので普通に授業をこなしていた。香里のコロス気に中てられた者も幾人かいたが、全体で見れば少数。 むしろ二対一(+名雪)の勝負の行方が楽しみで、中には文字通り生活の懸かった生徒も存在し、美坂チームの一挙一動から目を離せなかった。
 香里は授業の合間にある休み時間の度にあれやこれやと手を尽くしたのだが、結局昼を過ぎても馬鹿二人のかぶりものが外れることはなく、 勝負は放課後に持ち越しとなったのだった。
 あと、どうでもいい話だが、昼食の時は(中の人の)口付近がぱかっと小さく開いた。
 ハンドタイプのゼリーで済ませていた辺り、食事のことも一応計算に入れていたらしい。



 終わりを告げる鐘が鳴り、最後の授業を担当していた教師が教室から出ると、おもむろに二匹の魚が立ち上がった。
 鞄に勉強道具を突っ込み、軍人よろしくきびきびとした歩きで退室しようとする。
 その行動があまりに自然で、生徒達は誰もが反応できなかったが、香里だけは違っていた。

「待ちなさい、二人とも」

 手元でがちんと音が響く。彼女が持っているのは、自転車のチェーンなどを切る大型ペンチ。
 それを両手で構え、うふふふふと子供が聞いたら泣き叫びそうなほど不気味な笑みをして、一歩、また一歩と距離を詰める。
 気圧されるようにじりじりと退く魚。迫る香里。ついでに一触即発の状況でも微動だにせず寝たままの名雪。
 クラスメイトが揃って息を飲む中、ついに教室の壁に背中をぶつけた祐一と北川は、脱兎の如く逃げ出した。
 ペンチだけを手に、鞄も持たず香里が追いかける。廊下で気の弱い女子生徒が「ひっ!」と悲鳴を上げて後ずさった。 「般若のような顔をしてました。み、美坂さんってあんな風になるんですね……」と後に少女は述懐するのだがそれはともかく、 問題を起こさないよう制止役として頑張っているはずなのに、当人が問題の一部になってしまっている辺り、本末転倒である。

 しばらく校内の各所では、首上が魚で下半身が人という奇妙な生物の目撃証言が相次いだ。
 大きなペンチを持って髪を振り回しながら走り回る般若も見られたが、それが誰であったかと訊かれると、皆口を噤んだという。
 七不思議のひとつに数えられ、特に怖い物好きの後輩達の間ではまことしやかに「深夜頭だけ魚の男が校舎を爆走する」 なんて怪談が広まることになるのだがそれもまた別の話。
 追跡劇から三十分後、教室に戻ってきた香里は何事もなかったかのように澄ましていた。
 諸々の事情で部活がないからと誰も起こさなかった名雪が今更ながらに目覚めて迎える。

「香里、どうだった?」
「……逃げられたわ。もう少しだったんだけど」

 言いながら、ガチガチとペンチを噛み合わせる。怖い。

「そういえばそれ、どこで借りてきたの?」
「部活経由でね。ちょうど学校に持ってきてる人がいて」

 ちょうどって何持ってきてるんだよそいつ、とツッコめる勇気ある生徒はその場にいなかった。
 代わりにひそひそと「逃げられたってことは相沢達の勝ちか」「つまり俺の学校生活明日から薔薇色!?」「大損したあああああ!」 聖域にはあるまじき取引の内容が囁かれる。マジ泣きしているのもいるが勝ち組がぽんと肩を叩いたところでキレた。

「はあ……。でも、私としたことが迂闊だったわ。我を忘れて駆け回るなんて」
「そんな風に香里が暴れたのって久しぶりじゃないかな」
「なるべく冷静でいようって決めてたんだけど、あの顔見てると何か凄い馬鹿にされてる気がするのよね……。それでつい……」
「まあまあ、あんまり落ち込まないで、今日はわたしがクレープ奢るから」
「へえ、珍しいわね。名雪がそんなこと言うなんて」

 香里が苦笑しながら茶化すと、唐突に名雪は鞄の奥に手を突っ込んだ。
 じゃら、と金属の擦れ合う音が聞こえる。

「じゃじゃーん」
「何それ。鍵の束? ……って、あ」
「朝祐一がわたしを置いていったから、その仕返し。机の上に置いてあったし、たぶん悪巧みに関する何かだろうなって思って持ってきたの」
「ってことは、つまり……」
「北川君はともかく、祐一は家に帰ってもあれ、脱げないよ」

 教室に静寂が満ち、そこにいる全ての生徒の視線が名雪と、その手にある鍵の束に向いた。
 そして、沸々と煮え滾った感情が一気に湧き上がり、ぐわあっと歓声が響き渡る。

「み、水瀬の逆転勝ちだ!」
「すげえ、誰もこんな展開予測してなかったぜ!」
「俺は今ここで奇跡の瞬間を目撃している……!」
「いやそこまで大袈裟なことでもないと思うんだけど」
「でも何だか痛快だよね」
「そうそう、こういうのがあるから美坂チームを見てるのは飽きないんだよ」
「お……」
「お?」
「俺の時代が、来たあああああああああああぁぁぁぁあぁあああぁぁぁぁああぁぁぁぁっ!!」
「うわっ、いきなり何!?」
「お前、確か水瀬に財布丸ごと賭けてた……!」
「倍率は……に、二十倍!?」
「ここに成金の億万長者がいるぞー!」
「畜生いいなてめえ羨ましいぞこの野郎学食で奢れ!」
「ふざけるなこれは俺の勝利の証だ! 譲ってたまるか!」
「あ、あの、みんな落ち着いた方が……」

 もう収拾が付かない。
 ほとんど狂乱めいた騒ぎから遠ざかり、香里と名雪は教室を後にする。

「あのね、香里。わたし、思うんだ」
「何をかしら?」
「祐一や北川君、それにクラスのみんなもすっごい馬鹿だけど、毎日、楽しいよね」
「正直どうにかしてほしいけど……後半には、まあ、同感ね」
「こういうの、愛すべき日常、って言うんじゃないかな」
「……ふふ、そうかもしれないわね」

 彼女達は知っている。
 今あるものが、どれだけ尊いのかを。

「で、名雪。その鞄に仕舞ってる鍵は、いつ返してあげるつもり?」
「えっとね……どうしよっかな」
「あら、そう簡単に返す気はないの?」
「うん。それはそうだよ。だって――



 ―― 好きな人には、いじわるしたくなるものでしょ?










 おまけ


「うおおおおおおおおおっ、確かにテーブルの上に置いてあったはずなのに、鍵が見当たらねえええええ!」
「あ、すまん潤。随分錆びてて古ぼけてたし、要らないのかと思ったからゴミに出しちまった」
「親父いいいいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃ!?」

 北川君も外せなくなってた。