「…………で、だ」 「はい」 「今になって訊くのもアレだが、どうだ、楽しかったか?」 「はい! ……姉さんは優しくて、祐一さん達も優しくて、楽しかったですよ」 「そうか。ならいいさ」 現在、俺と一弥は二人きり。 ではかしまし娘三人衆はどこにいるのかというと、俺達の居場所を知ればすぐにわかるだろう。 煙る空間、涼しげな大気、周囲を取り囲む柵。手足は包み込むような温さを感じている。 湯気越しの空は茜色に近く、美しい。その光景を男同士で眺める。 つまり、ここは露天風呂だ。ノット混浴。そんな夢物語は望まん。佐祐理さんならやりかねんが。 柵の向こうに三人はいるはずなので、声を掛ければ言葉が返ってくるのかもしれない。 一弥の身体は随分と華奢なものだった。 細く、弱々しいという印象すら受ける。だが、昼の海水浴では決して運動音痴でないところを見せてくれた。 姉の佐祐理さんも何気に鈍くはないので、その辺りは遺伝的な才能なんだろうか。 ただ見た目通り体力がなく、へたるのは誰より早かった。 逆にまいは全く息を切らしてなかったのが何だか憎たらしく、一度砂浜に埋めて放っておいたりした。五分で戻ってきたが。 事情が事情である、一弥には難しい部分が多い。 特に姉弟の関係はあまり俺達が口を挟める問題ではないのだ。 発破を掛けることくらいしかできないし、それを少しもどかしくも思う。 気遣いすら無用と突っぱねられる可能性だって、ないとは言い切れない。これは、お節介以外の何物でもないのだから。 でも―――――― 「……あの、祐一さん」 「ん、どした? のぼせたか?」 「いえ、違います。その……どうして、僕に気兼ねなく接してくださるんですか?」 「そりゃまた難しい質問だな」 「だって、言ってしまえば僕は新参者ですよ? 祐一さん達とは今までほとんど接点もなかったのに」 「なぁ、一弥。家族っていうのがどういうものか、わかるか?」 「え?」 「俺はな、一緒に暮らすだけが家族じゃないと思う。それじゃあただの同居人だろ? そうじゃなくてな、何というか……長く近くにいると、嫌なところもたくさん見えてくるもんだ。 だが、それも含めて受け入れて、互いに互いのことを思い遣れる、そういう関係が、家族の条件なんだよ」 「家族の、条件」 「そ。俺は佐祐理さんを家族だと思ってる。大切だと思ってる。だから気遣うし、優しくしたいとも思うさ。 そんな相手の弟だぞ? どうして遠ざける必要がある。……それに、まだ短い間だけど、一弥は俺達と一緒に暮らしてるだろう。 初めて会った時より多くのことが見えてるはずだ。例えばまいの悪行三昧とか」 「あ、あはは……」 「――― ほら。もう下地はできてるだろ? 俺達はもう、ほとんど家族なんだよ。 家族なのに余計な気を遣うなんて、何でそんな馬鹿馬鹿しいことをしなきゃならんのだ」 いつか、まいのいる生活が当たり前になった時のように。 きっとあっという間に、一弥がいる日々も当然のものになっていくのだ。 少なくとも俺は、それを望んでいる。 ならば問題ないだろう。一弥は決して鈍くない。佐祐理さんも、勿論。 俺や舞が大人だと言うつもりもない。ただ、一弥達より僅かに早く学んだことがあっただけの話。 ……あー、ちょっと長く入りすぎたな。 頭がぼーっとしている。どうやらのぼせてきたらしい。 これ以上入り続けてもいいことはあまりないだろう。 先に出るぞ、と告げて立ち上がる。一弥はもう少し入ってますと呟いて見送ってくれた。 ぴちゃり、ぴちゃりと身体から流れ落ちて響く水音がどこか印象的だった。 "まい"のいる生活+1。 -4- プライデートビーチ。ここは倉田家所有の島だという。 それは現在俺達がいるホテル(見た目は間違いなくそのものだ)も同じで、 ついでに言うと従業員を除きこの島には俺、舞、佐祐理さん、まい、一弥以外の何者もいない。 部屋はスイート、露天風呂完備、食事は豪勢海も近いと至れり尽くせりなんだが、ひとつ、困ったことがある。 「…………祐一、おかえり」 「舞、………………まさか、一人? まいは? 佐祐理さんは?」 そう。 何故か俺と舞が一緒の部屋になっているのだ。 隣が倉田姉弟の部屋で、まいはどっちでもいいらしいが、本人曰く「今回は佐祐理と一緒の部屋で寝る」とか。 つまり、その、何というか。 ぶっちゃけ一晩中ふたりっきりってことである。 しかしどうせ深夜になって眠るまでは五人で話したり遊んだりするものだとばかり思っていた。 特に普段から騒がしい、お祭り大好きなまいのことだ。 若干引っ込み思案な一弥もしっかり巻き込んで、自分がダウンするまでわいわい語り明かすだろう、と。 それが、 「……まいはまだお風呂。佐祐理は一弥を待ってる。たぶんこの部屋には来ない」 「………………マジで?」 「マジ」 珍しい即答だった。 「……佐祐理が言ってた。頑張ってくる、って」 「だから来ないと?」 「…………そう」 「………………なぁ、舞」 「……何?」 「いや、すまん、何でもない」 舞は綺麗だ。贔屓目に見ても、一般的なレベルは軽く飛び越えている。 風呂上がりの髪はまだ微かに濡れていて、黒曜石のように輝き。 浴衣を緩く着ただけの身体はふとすれば折れてしまいそうなほど細く、そして艶やかだ。 薄い布地を纏って自身を強調する双丘、いつもと違い解かれた黒髪の裏側にあるうなじ、首筋。 ベッドに腰掛けた姿勢でこちらを見つめる瞳は、相変わらず真っ直ぐで、美しい。 今更になって、俺は激しく場違いな場所にいるんじゃないかと思い始めた。 豪奢なホテルの一室。しかもふたりきり。全く有り得ないシチュエーション。 意識するなという方が無理だ。不可能だ。だって、舞は可愛い。どうしようもなく可愛い。 普段、俺や舞のそばには必ずと言っていいほど誰かがいた。 それはまいだったり佐祐理さんだったり、最近は一弥だったり。 特に家の中では、こういう状況になる時なんて一ヶ月に一度でも多い方。 振り回されてばかりの日常だと、まず意識する機会も余裕もない。 だからだろうか。反動かもしれない。あるいは、この状況のせいかもしれない。 心臓がどくどくと高鳴る。口の中が乾いて、俺は唾を飲み込んだ。 舞から目が離せない。見慣れている顔なのに、別人みたく感じる。 きっとまいも佐祐理さんも一弥も、俺と舞を"気遣った"んだろう。 部屋割りの時点で確信犯だったに違いない。主犯は佐祐理さんで副犯がまい、一弥は協力者と言ったところだ。 「……舞」 「…………?」 「俺と相部屋でよかったのか?」 言って、馬鹿なこと訊いたと後悔した。 舞はここにいるのだから。嫌なら初めから、俺を待ってなんかいない。 「…………私は、祐一がいい」 長身が立ち上がった。三歩の距離を近づいてくる。 一、二、三。俺は身動きも取れず、舞の顔を見つめ続けたまま。 石鹸と女の子の匂いがふんわりと漂ってきて、頭がくらくらして。 頬に細い手指が触れる。彼女の目が閉じられる。ゆっくりと、ゆっくりと小さな唇が迫り、 「ん…………」 蕩けていくような感覚が伝わってくる。 今更ながら俺も目を閉じて、それを受け入れた。 五秒。十秒。正確な時間はわからない。互いの唇が離れていって、名残惜しくも感じた。 しかし、女性からさせるっていうのは男としてどうなんだろうか。 ちらっと舞を見ると、恥ずかしそうに頬を染めている。 けれどどこか、その表情は次の行為を待っているようで、 「………………」 ――― 腹を括る。 ここで引き下がっては男じゃない。相沢祐一、臆するな! 今度は俺が手を伸ばす。目線は一緒だ、しゃがむことも爪先立ちすることもない。 顔を寄せる。間近で見た舞は、やっぱり、綺麗だった。 「……祐一」 「な、何だ?」 「今日、大丈夫だから」 「ぶっ!? けほっ、けほっ! ま、舞!?」 「………………だから」 潤んだ瞳に映る俺は、いったいどんな間抜け面をしているんだろう。 「…………わかった」 「……うん」 当然ながら、ベッドはすぐそばにあった。 恥ずかしいし情けないけど、でも、それ以上に嬉しくも思う。 数秒後、部屋の鍵を閉め忘れたことに気づき、慌てて玄関に走った。 どうにも決まらないもんだな、と苦笑して、少しだけ肩の力も抜け、事を始める俺達二人だった。 朝。 目覚めて妙に柔らかい感触に気づき、ふっと横を見ると舞が抱きついていた。 ……うぉい。この子服着てないよ。昨日の夜を思い出せば当たり前だけど。 かくいう俺も見事なほどに素っ裸なので、起こさないようゆっくり這い出し脱ぎ散らかした服を集める。 いつまいや佐祐理さんが訪れるとも限らない。迂闊な場面を見られたら致命的だ。 慌ててズボンに足を突っ込み転びそうになったところで舞が身じろぎする。起きたらしい。 「ん…………祐一」 「おはよう」 「……おはよう」 むくりと細い身体が起き上がる。 「ちょ、舞、服、服っ!」 「…………………………っ!」 一瞬の逡巡を経て、ぼっと顔を赤くした舞に全力で枕を投げつけられた。 顔面に直撃して後頭部を床に強打、何するんだと叫ぶ間もなくもうひとつ。容赦がない。 照れ隠しだということはわかっているんだが、可愛いんだが、如何せん手加減がなさ過ぎた。 素人目にも高価そうな壺を片手で持つ姿を確認し、命の危険をマジで感じて必死になだめる俺。色々と台無し。 とりあえずはお互い恥ずかしい格好で居続けるのを止め、何故かベッドの上、正座で向かい合う。 「………………」 「………………」 しかしこれがまた何とも言えない雰囲気で。 夜のことが幾度も脳裏に浮かんでは二の句が告げなくなる。 まるで小学生だ。十年前だよ。思春期はとうに過ぎてるっての。 「…………舞、あのな、」 「…………祐一、あの、」 「二人ともおっはよーっ!」 「うおっ!」 「……っ!」 そしてあまりにもベタな台詞の被りをかました瞬間、闖入者が全ての空気をぶち壊した。 言うまでもなくまいである。喜んでいいやら惜しむべきやら。 あとは流されるまま、当初の予定通り、支度を終えて俺達は倉田家プライベートビーチを去った。 帰りのチャーター機(往路よりも格段に快適)の中で、ぎこちなさのなくなった姉弟の触れ合いが印象的だった。 余談だが、家の前で佐祐理さんに呼び止められた。 他の三人は既に荷物を片付けに入っているので、自然と二人だけになる。 いったいどうしたのかと近づいて、笑顔で見せられたものを見て俺は凍りついた。 「さ、佐祐理さん、それは?」 「見た通りビデオです。DVDもありますよ?」 「ではなくて、その、な……中身は?」 「祐一さん、何か心当たりでもあるんですか? 佐祐理、ちょっと訊いてみたいです」 「え、あ、あわわ…………」 「あとでみんなで見ましょうねー」 「勘弁してくださ――――――――― いっ!!」 結局、内容を確認することはできなかった。 いつか目の前で公開される日が来ないよう、俺はただ祈るばかりだった。 まい「………………何さこれ」 何と言われても。 まい「あたしは!? あたしの出番は!? 皆無じゃん!」 まあそうだね。 まい「これって"まい"のいる生活でしょ!? 主役はあたし! あたしが主役っ!」 …………え? まい「え、とか言うなー!」 舞「…………まい、怒るといいことない」 まい「舞はいいなー。出番いっぱいだし。祐一くんと相部屋だし」 舞「………………(ぽっ)」 まい「うわその反応勝者の余裕っぽくてむきー!」 忘れがちだけどこのおはなし舞ルート後なのよね。アレンジ入ってるとはいえ。 まい「だから?」 君は問題児役にしかならない。 まい「ふざけんなー!」 おぶぅっ! ちょ、ちょっと今日はカリカリし過ぎだよ君。どうどう。 まい「しかも朝の場面、あたし完璧に邪魔者だよ!? いくらなんでもこの仕打ちは酷くない!?」 困った時のまい頼り。 まい「……舞、やっちゃって」 いやいやいやいや。舞さんは今回機嫌いいから。そうだよね? 舞「………………(ちゃきっ)」 あれ? なんで剣を構えてるのかな? 舞「……恥ずかしい思い、したから」 マジか。ここまでやっても最後には死にオチなのか。私はそういう運命なのか。 舞「…………大丈夫。ちょっと手加減する」 ちょっとって待って目が据わってるよほら穏便に解決しぎゃああああああああぁぁ!(ぱたっ) まい「あーすっきりした。さ、舞、帰ろー。ごはんーごはんー♪」 舞「…………あれ、処理しないと」 まい「放っといても平気でしょ。どうせ次回でまた復活してるだろうし」 舞「……それもそう」 まい「ごはんーごはんーきょうのごはんはすっぺありぶー♪」 ……そろそろ、オチも厳しくなってきたなぁ。 |