日本中、あるいは世界中という括りならどうかはわからないが、少なくともこの町では倉田家は名家だ。 ……いや、あの傍若無人っぷりを見ている限り想像以上じゃないかと俺は推測するわけだが。 佐祐理さんはそんな家の令嬢で、ちょっと俺達とは生まれが違う。 何気ない仕草や礼儀、言葉遣いだけでも、どことなく高貴さが滲み出ている……気がする。 まぁ、要するに何が言いたいのかというと。 名高き倉田家のお嬢様はさぞかし優雅で豪勢な生活をしているのだろう、と周りに思われているのだ。 勿論それは大きな間違い。1LDKに四人(現在は五人)暮らし、具体的には八畳三間くらいでベッドはキングサイズがひとつきり、 築七年の賃貸(家賃は恐ろしいことに八万円。一時期幽霊騒ぎで全然人が入らなかったらしい。原因は一弥ではない)と、割合質素なのである。 親からの仕送りも俺と舞が僅かながら、佐祐理さんは基本的になし。 バイトで日々の生活費を稼ぐ、一般的な大学生らしい毎日。 ただ、ある意味ではそういった世間の評価もおかしくはなかったりする。 エージェントチックな黒服さん達は倉田家直属の人らしいし、倉田という名前はそれだけで大きな力を持つ。 ついでに、佐祐理さんはこの歳で会社経営もやってるので、実はバイトをしなくてもお金はいっぱいあるとか。 それでも生活費をバイトの給料で賄っているのは、 「見聞を広めるためですよー。それに、佐祐理は祐一さん達と一緒に頑張りたいんです」 とのこと。 正直、頭が上がらない。いい意味でも悪い意味でも。 ――― さて、話は変わるんだが佐祐理さんはまいに弱い。 だいたいの我が儘、お願いの類は喜んで聞き入れてしまう。その際五割以上の確率で巻き込まれるのは俺。 なのでふとした会話から突発的なイベントにスライドすることが多々あるのだ。 今回も、発端はまいの何気ないひとことからだった。 「海行きたいよねー」 「じゃあ行きましょうか」 あははー、なんて気軽に笑って言うものだからてっきり冗談とかだと思っていたんだが、甘かった。たい焼きの胴体より甘かった。 次の日、気まぐれに朝の散歩に出ていた俺は街中で黒服方に拉致されることとなる。ご丁寧に目隠し耳栓付きで。 長年の経験からこうして捕まったならもうどうにでもなれといった感じで流されるしかないのはわかっているので無抵抗。 車(らしきもの)に乗せられ、降ろされ手を引かれ、耳栓越しでも聞こえてくるジェット音(らしきもの)に怯えながらも為すがままにシートベルトをぎっちり付けられ、 物凄いGによって座席に押さえつけられながら(主に精神的な)疲れでぐったりする俺だった。 そして到着。 外に出され、感じるのは澄んだ空気と……灼けた砂の匂い。異様な陽射しの強さ。 先に耳栓を取られ、俺の聴覚は波の音を察知した。そこまでわかれば目の前に広がっているであろう光景も想像できる。 アイマスクをゆっくりと外し、眩しさに手をかざし視界を細めながら見ると、 「………………うわ」 思わずそう呟いてしまうような、誰もいない海があった。 ……つか、あれ? ここ、どこ? "まい"のいる生活+1。 -3- 「ここは倉田家所有のプライベートビーチですよー」 「え?」 呆然とする俺の後ろから掛かる声。 振り向くとそこには、 「あははー、どうですか祐一さん、似合ってます?」 「………………水着」 「いえーい!」 佐祐理さんを初めとした三人(と一弥)の姿。 無意味に広い砂浜と、遠くに建つ何か異様な高層物を背景に、彼女達は惜しげもなく白磁の肌を晒していた。 そう。 水着だ。水着なのだ。 俺も男である以上、もう完全無欠にこれは眼福である。 ただでさえスタイル良く十人中十人が美人と答える舞と佐祐理さん(まいは除く)が布面積の少ない水着なんぞを着ようものなら。 胸とか太腿とか足先とかうなじとか下腹部に目が行っても仕方ない。性だ。 敢えて細かいディテールは言わないでおこう。皆の想像に任せたい。 だがどんな想像も現実には及ばないだろう。俺は今、楽園を垣間見ている……っ! 「…………祐一?」 「はっ! 俺、飛んでたか?」 「……五秒ほど」 「すまん。……今更だが舞、可愛いぞ」 無言でチョップを入れられた。 頬を染める仕草がぷりちーだ。素晴らしい。 「佐祐理はどうですか?」 「勿論似合ってますよ」 「あは、ありがとうございますー」 「ねえねえあたしはー?」 「おお一弥、いい海パンだな」 「褒められても複雑な気持ちですね……」 「あたし男以下っ!?」 と、そんなやりとりも程々に一人私服の俺も着替えに行くことに。 少し離れたところに更衣室らしき建物があり、入ってみればぽつんと一枚パンツタイプのものが置かれていた。用意周到だ。 おそらく全て佐祐理さんが選んだのだろう。……念のため、何か仕掛けがないかチェックする。 引っ張り伸ばし、裏を眺め、問題がないことをちゃんと確認してからカーテンのある場所へ。 ここでも俺は警戒心を消さない。上下左右、物陰の隅々まで視線をめぐらす。 どこに監視カメラが隠れていてもおかしくないからだ。佐祐理さんが首謀者である以上、注意してもし過ぎることはない。 ……よし、大丈夫だな。 懸念事項の有無を確認して初めて安心できる。ああ、なんて素敵な日常。 俺はもう待たせるわけにいかないな、と着替えを始めた。 「佐祐理、何見てるのー?」 「いいもの、ですよ。まいちゃんも見ます?」 「見る見るー。………………おお。じゅるっ」 「祐一さんもツメが甘いですねー。兵法は相手の裏の裏のさらに裏を読んでこそです」 「……ちなみに佐祐理、どこから録ってるのこれ?」 「天井裏から部下にやってもらってますー。夢の壁透過技術ですよ?」 「なるほど。……今度舞と三人で鑑賞しよっか」 「はい、楽しみですねー」 得体の知れない寒気に襲われながらも(室温25℃以上)、どうにか着用して舞達のもとへ。 佐祐理さんとまいが屈んで何か話しているのが気になったが、見なかったことにして声を掛ける。 「着替えてきたぞ」 「よし、じゃあ遊ぼー! で、何する?」 まいがまず適当に騒ぎ、 「…………とりあえず泳ぐ」 「佐祐理もそれでいいと思います。一弥はどうしたい?」 「僕も……泳ぎたいなぁ。泳ぎ方、わからないんだけどね」 舞、佐祐理さん、一弥がそれに続く。 「じゃあ佐祐理が教えればいいんじゃない? その間にあたしは祐一くんとっ」 「こらまい、引っ張るなっ」 「……抜け駆けはなし。私と祐一とまい、三人で」 勝手に俺の手を二人が取り、 「よし来たー! 行っくぞー!」 「だから引っ張るなってちょっと待て舞もか! 痛い痛い引きずってる!」 「…………いい子だから我慢」 そのまま倉田姉弟を置き去りにして走っていった。 途中からまいの策略、いや、気遣いに気づいていた俺はずりずり地面を下半身で擦りながら苦笑する。 ……ていうかもう腰から下の感覚なくなってきたからやめろ。 「――― まぁ、何か腫れ物を触ってるようなところがあったからな」 「うん。でも、姉弟だもん。仲良くなってほしいから」 「そっか。偉いぞまい」 「頭撫でてくれたらもっと嬉しいんだけど」 「だったら手離せよ。いい加減足止めろよ」 後ろを見ると俺の通った砂浜が抉れていた。 事情を知らない人間がこの光景を目の当たりにしたら、どんなモグラが通ったんだとでも思うのかもしれない。 既に佐祐理さんと一弥の姿は豆粒ほども見えない。 ここまで離れてればさすがにこちらの意図もわかるだろう。佐祐理さんはそこまで鈍くないから。 俺達はしばらくして適当に疲れた顔で帰ってくればいいのだ。 「…………祐一」 「ん?」 「佐祐理は大丈夫」 「だな。俺も信じてるさ」 頷き合い、笑い合って、何となく気恥ずかしくなった俺はとりあえずまいを海に投げ飛ばした。 後に小一時間、川澄コンビに文字通りへとへとになるまで連れ回されることになった。 表には出さないようにしていたけれど、やっぱりみんなにはバレていたらしい。 考えてみれば、隠せるはずもなかったのだ。祐一さんも舞もまいちゃんも、そういうところは鋭いから。 わたしの隣には、一弥がいる。 嬉しい。それはとっても嬉しい。 でも、わたしは、わたしには――― 「…………姉さん?」 「ふぇ!? な、何、一弥?」 「……祐一さん達、行っちゃったね。追いかけなくていいの?」 首を横に振る。 気遣いは、有り難く受け取るべきだ。 三人が帰ってくる前に、わたしはこの問題を解決しなくちゃいけない。 「…………あのね、一弥」 「何?」 すぅ、と息を静かに、大きく吸う。 気持ちを落ち着けて。たったひとこと、伝えなきゃならない言葉がある。 ……わたしは一弥に酷いことをした。 それが自分一人のせいであるとはもう思わない。一度過去と向かい合った時、祐一さんは、舞は、許してくれた。 関係ないと切ってしまえばそれまで。だけど二人は、わたしが全てを話し、返事を求めると、こう言ったのだ。 『俺達は、佐祐理さんを責めないよ』 受け入れてくれた。それに、どれほど救われたことか。 だから大丈夫。わたしの背中を押してくれる人がいる。 いつだって、離れていても力になってくれる、そういう存在が、家族というもの。 今度はわたしが、この痛みを受け入れる番。 「ごめんね。お姉ちゃんのせいで、ごめんね」 「姉さん…………」 「お姉ちゃんは、一弥を苦しめたから。辛い思いをさせて、ごめんね」 そっと抱きしめる。少しでも、気持ちが伝わればいいと思って。 「……姉さん。ありがとう」 「…………一弥?」 「いいよ。もう謝らなくていいよ。だって姉さんは、十分苦しんだから。僕のことを、考えてくれてたから」 ぽんぽん、と背中を叩かれる。 子供をあやすような優しさを感じて、ああ、一弥はいつの間にか大人になってたんだ、と知った。 身体を離す。 途端に、自分達が水着だってことを思い出して恥ずかしくなった。 「……あ、あははー」 「………………僕達も、遊ぼっか」 そんな苦し紛れとも取れる一弥の申し出にわたしは、 「いいけどまずは、一弥に泳ぎを教えてからね。お姉ちゃんが手取り足取り」 「……え、遠慮させていただきます」 「だめ」 「わーっ!」 姉らしく、これからも応えていこうと、そう心に決めた。 佐祐理「はーい、改めましてみなさんお久しぶりです。あなたのさゆりんですよー」 一弥「あ、どうもはじめまして。不肖の弟、倉田一弥です」 佐祐理「今回は佐祐理と一弥の二人であとがきを担当しますよー」 一弥「……姉さん、ちょっと訊きづらいんだけど、その右手に持ってるものは?」 佐祐理「何って、釘バットですよ?」 一弥「いや、そうじゃなくて……赤く染まってるように見えるから……」 佐祐理「気のせいですよー」 一弥「向こうの方でぴくぴくしてる人影が……」 佐祐理「それは錯覚ですよー」 一弥「………………(ゆっくりと現実から目を逸らす)」 佐祐理「あははー、一弥は賢いですねー。それでこそ自慢の弟です」 一弥「…………え、えっと、よく考えたら、あんまりこれってあとがきになってないよね?」 佐祐理「裏話とか一切ないですからねー。オチも毎回一緒ですし」 一弥「それは姉さんがそういう方向に持ってってるからじゃ……」 佐祐理「何か言いました?」 一弥「ううん、何も。何も言ってないよ?」 佐祐理「でも、祐一さんが随分いいひとみたいですよね」 一弥「いいひとだと思うけど」 佐祐理「佐祐理もそれは否定しませんが、ほら、主人公は基本的にヘタレと相場が決まってるじゃないですか」 一弥「決まってないよ」 佐祐理「不憫な立場にあるからこその祐一さんなのに、ってみなさんも思ってますよね?」 一弥「まぁ、でも確かに、このおはなしにシリアスはあんまり合わないよね」 佐祐理「すぐ内容が逸れるのは明らかな力量不足ですよー」 一弥「あ、向こうの人影が痙攣してる」 佐祐理「駄目だよ一弥、あれは見ちゃいけないものだから」 一弥「わっ、姉さん、目隠ししないで」 佐祐理「……こうしてると昔を思い出すね。佐祐理が後ろから『だーれだ?』って」 一弥「一度それで首を絞められて意識を失ったことがあったんだよ」 佐祐理「あははー、子供ながらのお茶目ですねー?」 一弥「絶対違うと思う……」 佐祐理「今度は祐一さんにやってみましょうか。背中から、こう、ぎゅっと。そうすればちょっとくらいのお茶目は許してくれますし」 一弥(確信犯だ、確信犯の言動だ…………) 佐祐理「それではさっそく実行しますよー」 一弥「あ、姉さん、待ってっ(と、止めないと……!)」 ……佐祐理さん、マジ容赦ないよ。しかし一弥くんも、苦労人、だなぁ。ごふっ。 |