一年が経った。 舞と再会し(当時は全くお互い自覚がなかったが)、ひとことでは言い表せないようなことを体験し、 三年生だった二人が卒業してから、およそ一年。 およそ、というのは、厳密にはまだ少しばかり俺の学校生活が残っているからだ。とはいえ、もうほとんどやることはない。 (主に)佐祐理さんのコーチを受けながら来るべきXデー、即ち受験当日まで死力の限りを尽くさねばならないが、 逆に言えばそれ以外の懸念事項はなかったりする。 ほとんど自習ばかりの授業に適度に参加しつつ、 息抜きを兼ねて美坂チーム(もうクラス内ではこの括りで定着してしまった)の面々と百花屋に行ったり百花屋に行ったりだ。 おかげで懐が泣けるほど寂しい。イチゴサンデーいくらすると思ってるんだあの寝ぼすけは。 ……まぁ、それはどうでもいい余談である。 何故俺がこんなモノローグ的なことをしているのかというと、 他にすることがなかったからだ。だからぼんやりと考えを廻らせていた。 今いるのは、屋上。冬なので当然寒く、雪こそ降っていないものの、 給水塔の辺りに積もった白いものが如実に現在の気温を示している。 とにかく寒い。凍えそうなほど寒い。 しかも、俺は上着をここに持ってきていないので、冷気を凌ぐアイテムのひとつも所持していない。 なら屋上から出ればいいのにと自分でも思うのだが、 景色だけは良く、冬らしく些か早い夕焼けがそろそろ見られそうだったのだ。 どうせなら、校舎の窓越しで眺めるよりも、一番高いところで見ておきたい。 寒いのは正直我慢ならないが、何となく意地になって夕陽が落ちるまでは戻らないと決めてしまっていた。 己に負けるのも悔しく、結果こうしてアホみたいな暇潰しをしている。 何とはなしに、自分の姿を顧みる。 びしっと決まっ……ているかどうかは怪しい、タキシード。 これで外や普段の校舎内を歩けば好奇の視線に晒されること間違いなしだが、今日に限っては誰にも咎められない。 舞踏会。 体育館では今頃、豪華絢爛なパーティーが繰り広げられているだろう。 先ほどまでは、俺も参加していた。 一般家庭ではまず出てこないような料理を頬張ったり、クラスメイトや後輩の知り合いに挨拶をした。 しかし、会場を彩る華やかな雰囲気に中てられて出てきたのだ。 ……正確には。ここは自分がいる場所ではないと、そう思った。 だから離れて、一人でぶらぶらと歩き回り、屋上に辿り着いた。 この学校に於いて、舞踏会は一年間の中でも三指に数えられるほどの大イベントだ。 一般生徒である俺にはわからないが、色々と手間隙掛かっているんだろう。楽しみにしている生徒も決して少なくはない。 俺にとっては、楽しい思い出と苦い思い出の混じったもの。 舞踏会の開催を知り、けれどどうにも参加する気力が起きなかった俺に、佐祐理さんは言った。 「駄目ですよ。私達がいなくても、祐一さんはしっかり思い出を作ってきてください。 折角あるんですから、楽しまなくちゃ勿体無いです」 ずいっと顔を寄せられ、めっ、と指を立てながら少し膨れた顔で叱られ、拒否できるはずもない。 なし崩し的に俺は頷いてしまい、それじゃあ今年も衣装は貸しますねとその場でタキシードを渡されたところで、 この用意周到さは明らかに狙ってやったのだと気づいた。 が、時既に遅し。漢が約束を違えるのは、相手を裏切る時である。 当然俺の頭に佐祐理さんを裏切るなんて選択肢は存在せず、誘う女性もいないのに参加する羽目になってしまった。 北川は今年もいるらしいのだが、男二人は余計に虚しい。 名雪も香里も都合がつかず不参加、勿論舞も佐祐理さんも卒業済みなので、 当日俺はタキシードに着替えながら大変ブルーな気分だった。 適度に料理を摘まんで腹を膨らませ、それからは手持ち無沙汰。途端に居心地悪く感じ、逃亡と相成ったわけだ。 「……何やってるんだろうな、俺は」 心残りがあった。 去年の舞踏会、舞とのダンス。 お互いまともに踊ったことなど一度もなかったが、 ステップを踏んでくるくると動き回っている間、確かに俺は楽しさを感じていた。 充実した時間。あの頃はまだ今のような関係になっていなかったものの、 寡黙で無表情な舞の新たな一面を見ることも出来、本当に、このままでいたいとまで思っていた。 ―――― 耳に残る、ガラスの破砕音。降り注ぐ鋭利な破片。 潰れ折れるテーブル、風を纏った不可視の存在。 そして、どこからか取り出した剣を振り回す、舞。 その表情に舞踏会を解り難いながらも楽しんでいた時の色はなく、ただ険しく、憎悪さえ浮かべて叫びと共に戦っていた。 悲鳴。怒号。久瀬の雑言。傷つき気絶した佐祐理さん。 全てが最悪な形で終わってしまった、悲しい思い出。 できるならもう一度、舞と踊りたかった。 今度は最後まで。曲が鳴り止むまで、ずっと。 「ま、無理だよな」 そう、無理だ。舞はここにはいない。 俺も屋上で、徐々に色を変える空を眺めている。 ならせめて、寒さに耐えてまで見ようと思った景色を―――― ―――― 金属が擦れ、軋む音を聞いた。 俺は振り返る。錆びついた屋上の扉から、慌てたような足音。 荒く息を切らし、剥き出しにした肩を上下させながらも、凛とこちらを見据えるその視線に、これ以上ないくらいの覚えがあった。 「…………舞、どうして」 「祐一、探した。会場には、いなかった、から」 懐かしい、ドレス姿。 去年と寸分違わぬ、舞の容姿を際立たせる絶妙な衣装。 「……祐一」 呼吸を整えながら、ゆっくりと舞が近づいてくる。 目の前まで来て、手を掴まれた。舞の手は、温かかった。 「なぁ、舞。どうして来たんだ?」 「…………佐祐理が」 「佐祐理さんが?」 「佐祐理が、行ってと言ったから。……私も、行きたかったから」 「………………」 ここまで、全て仕組まれたことだとすぐにわかった。 わかったのだが、逆らう気にもならず、俺はただ舞を正面から見つめる。 舞はたおやかな手をそっと差し出し、 「……祐一、ここで、踊ろう」 「―――― 屋上までは、曲も聞こえてこないぞ?」 「……構わない」 「相変わらず俺、ステップなんて覚えてないぞ?」 「私も。だから問題ない」 「手……凄い冷えてるぞ?」 「……踊れば、温かくなる」 「じゃあ……踊るか」 指を絡め、手のひらを合わせる。 片腕は伸ばし、もう片方は肘を曲げ、向き合う形でセット。 頭の中でリズムを取る。去年少しだけ耳にした曲が、聞こえ始める。 勿論それは錯覚だ。ただ、吹き抜ける風の音が合図。俺達は同時に、動き出した。 流れるようにステップ、屋上のステージを最大限に使い、ターンやスピンを時折混ぜながら、踊る。踊る。踊り続ける。 1、2、3。1、2、3。観客はおらず、けれど俺達は見せつけるつもりで、 去年のどうしようもない終わりを払拭するかのように、笑い飛ばすかのように、楽しんだ。 緩やかに、曲がフェードアウトしていく。 ステージの中心で俺は舞を抱き留め、舞は俺の首に腕を回して、見つめ合う。世界の色は黄昏。夕焼けが空を染める。 今度は、合図さえ要らなかった。 触れる唇は熱く、感じる吐息は甘く、その瞬間は限りなく永遠に近かった。 最初は優しく、次は少し強く。他の何も目には入らない。今の俺には、舞だけが全て。 唇が離れると、二人の間を唾液が繋いでいた。 身体が火照っている。ダンスの所為……だけではない、かもしれない。今の俺達には、判別がつかなかった。 「……帰るか。別に途中で抜け出しても大丈夫だろ」 返ってくる肯定の頷きに、俺は心底安心し、満足した。 もう陽はほとんど沈み、暗くなり始めている。 さっさと着替えて、少しばかり寄り道をしよう。 火照った身体を冷まし終わるまで、二人で。 「…………お腹すいた」 「……会場、ちょっと寄るか。まだ食べる物あると思うし」 「はちみつくまさん」 「うわ、校舎の中あったけー」 とりあえず……舞が部外者だってバレませんように。 |