私の耳元に、カウントダウンを告げる声が聞こえてきます。
 席に固く縛られた身体は小さく強張り、緊張でごくりと息を飲みましたが、恐れを抱いたのは一瞬。
 横たわった姿で天井、精密機械と金属の壁に囲まれるように設置された分厚いガラスの先へ視線を固定します。
 いえ――正確には、そこは天井ではありません。空を向く巨体は、飛び立つための姿勢でいるのですから。

『8……7……6……』

 仲間の乗組員と共に私が乗るロケットを、きっとリキはテレビで見てくれているでしょう。
 そう思うと、仄かな喜びで心が少し落ち着きを取り戻しました。
 どうしても拭えない不安。それは私だけでなく、ここにいる誰もが持っているものです。
 たった一箇所の不備があっただけでも、この計画では取り返しの付かない事故を引き起こす可能性があります。
 だから、まるで審判を待つ罪人のように、私達は祈るのです。どうか、どうか無事に飛び立って、と。

『5……4……3……』

 遠い国にいる愛すべき人に思いを馳せます。
 リキ。あなたがいたから、私はここまで来れました。
 あなたがいてくれるから、私は還るために飛べるのです。

「とぅー……わん……」

 最後の数字を数えます。
 たくさんの人に見守られて、成功を願われて、その果てに――

「ぜろ!」

 ――旅人スプートニクは、始まりの光を灯し始めました。










50ノーティカルマイルの空










 修学旅行の日、バスに乗っている間も、私の心の中では色々な感情が渦を巻いていました。
 発端は、母から送られてきた手紙です。今度打ち上げがあるからよければ来ないか、という誘いが書かれた内容。

 優秀な宇宙飛行士コスモナーフトとして各地を飛び回り、仕事に明け暮れるおかあさんのことが、私は決して嫌いではありませんでした。 でも、髪が黒くて、背が高くて、英語も流暢に話せて、立派で全然変じゃないおかあさんと、 髪が黒くなくて、背も低くて、英語が全然駄目で、他の教科もちょっと怪しくて、情けなくて変な子である私は全然違います。
 一緒にいれば、その違いが殊更見えてしまって……何だか、自分がおかあさんの本当の子供じゃないみたいに思えて。

 素直に行きたい、という言葉は出てきませんでした。
 それに何より私には、日本に抗い難い誘惑があったのです。母の誘いを断ってもいいと考えてしまうほどの。

 ……私のことを、笑わなかったひと。
 リキのそばに、いたかった。仲間がいて、好きな人がいる場所で、幸せな時間に浸りたかった。
 そんな想いが勝り、私は「行かない」と返事を書いていました。
 少なくともその時は、自らの決断が間違いだと気付かないまま。

『衛星画像は打ち上げ直後のものですが、はっきりとした爆発をとらえており……』

 ロケットが墜落した、と知ったのは、修学旅行直前のことでした。
 朝食の時に食堂のテレビで流れたニュースは凄惨な光景を映し出していて、それを目にした途端、意識が遠くなったのを覚えています。 私は知っていたのです。その、宇宙へ行くはずだったロケットに、おかあさんが乗っていたことを。
 生存が絶望的なのは、誰の目から見ても明らかでした。化学的汚染ケミカルハザードなどによる二次災害の影響を恐れて 諸外国がテヴアを隔離し、入手できる情報も限られるようになりました。

 そして、不安で胸を焼きながらも修学旅行の準備をしていた時。
 大使館の人がやって来て、全てを教えてくれたのです。
 おかあさんの安否……いえ、死亡が確認できたということ。
 政府の事業に反対していた現地の人々が暴動を起こし、現在は空港も損壊したためあちらに向かうのは危険であること。
 特に災害の引き金となった航空宇宙局の関係者、つまりおとうさんを含めた人達を暴徒が公開処刑していること。
 けれど今なら、帰ろうと思えば向こうに行くことも可能だということ。
 最早言葉を失った私に対し、最後、大使館の人はあるものを手渡しました。
 透明なビニール袋に仕舞われた、個人認識票ドッグタグが溶けてくっついた機械の部品。
 名前の部分を読み、それがおかあさんのものであることを確認し、私はようやく実感を得ました。
 ――自分が、取り返しのつかない過ちを犯してしまったのだと。
 堕ちたロケットの欠片、形見を手に、泣いて、泣いて……それでも私は、テヴアへ行かなかった。
 リキと、いたかったから。好きで、離れたくなかったから。


 引っ繰り返るバス、
 全身を強打する衝撃、


 ……それからの記憶は曖昧です。
 あの世界での出来事の全てを覚えているわけではありません。
 ただ、私は一度きりのチャンスを得られました。現実ではもう絶対に不可能な、贖罪の方法。
 おかあさんにちゃんと会いに行って、私が、生贄になればよかったのです。おかあさんとおとうさんの分も。
 仲直りの橋渡しをするコウモリのように、自分は居場所を持たずとも、自分だけが仲間外れになろうとも。
 何もできない私。劣っている私。ズレている私。おかしな、私。そんな自分でも、世界を動かす歯車になれるのなら。

 私達の想いで築かれた世界は、ある程度、こちらの願いに沿ってくれました。
「おそらくこうしていればこうなった」という不安定な想像を、不安定ながら形にして動かすのは、難しくなかったのです。
 そうして冷たく暗い岩牢の中、足下から迫り来る水に浸かり、片腕に繋がれた鎖で固く縛られて、私は償いたかった。

 Ни пука, ни перо.

 毛も羽もない身体で、何にも護られず、痛みも、苦しみも、全てを背負って地獄に行けば。
 少しは私の過ちも贖えると、そう、思っていたのです。
 ……それなのに。心残りはない、はずだったのに。

『――あきらめちゃダメだ!』

 私は、捨てられませんでした。忘れられませんでした。
 あのぬくもりが。優しさが。笑顔が。声が。リキと一緒にいることを、リキが待つ場所に還ることを、どうしても。
 いずれ終わる世界で、後悔の鎖に縛られたまま朽ち果てても、きっと幸せでいられたけれど――。

『……かえり、たい、です……っ!』

 こんなにも浅ましくて、みっともなくて、自分勝手な私の願いを、リキは叶えてくれました。
 小さな箱に閉じ込めた、過ちのかたまり。おかあさんの最期に立ち会えなかった私が唯一持つ、喪失の証明。
 苦しみ、悲しみ、憧れ、望み……何もかもが詰まった私の『きもち』を、届けてくれたのです。
 手放しちゃいけない、と。それは、自分のものだから、と。

 おかあさんとおとうさんを、見殺しにしてしまったようなもので。
 ふたりよりもリキを選んでしまった、おばかな子で。
 ずっと辛くて、悔やんで、でもそれすらも忘れていた、本当にだめな私を、あなたは、好きでいてくれた。

 うれし、かったんです。
 こころから……リキのもとにかえりたいと、おもったんです。

 私は夢見ました。
 いつかおかあさんと一緒に、見に行きたいと願った景色を。
 広い、広い――地球わたしたち宇宙そらを隔てる、50ノーティカルマイルの空を。
 あの日の約束はもう叶わないけど、今度は、だいすきなひとと、ふたりで。










 バスの転落事故からしばらく経ち、私は無事退院したことをおじい様に告げてから、テヴアに行きたいと言いました。
 おじい様は複雑な表情を浮かべましたが、そこは譲れません。
 修学旅行へ行く前にはできていなかった決意も、覚悟も、その時には持ち合わせていました。
 生き延びられた私が虚構の世界で得たのは、現実を受け入れられるだけの心です。
 閉じた箱を開け、覆い隠そうとしたおかあさんの形見と、死と向き合って、ようやく私は前に進めたのでした。

「……クーニャ、本当にいいのか?」
「はい。大丈夫です。だからおじい様」

 ――さあ、帰りましょう。
 きっと、私がそう言えたのも、小さな進歩だったのだと思います。
 どっちつかずのコウモリは、自分の故郷を見つけたのですから。

 事故の処理がある程度終わり、一時的に封鎖の解かれたテヴアに向かった私達は、快く迎え入れられました。
 航空宇宙局の中でも有名だったおかあさんの娘ということもあり、職員の方々が代わる代わる話を聞かせてくれて、 そのおかげで私は自分が知らなかったおかあさんの素顔や生活を知ることができました。
 不思議です。もう二度と会えなくなってから、こんなにも鮮明におかあさんが思い浮かぶなんて。
 持ってきた形見の個人認識票と金属片を握りしめたまま泣き始めた私を、皆さんが慰めてくれました。

「すまなかったな。損壊が酷かったし、あの人の身分を証明できるものはそれくらいしか見つからなかったんだ」
「いえ、いいん、です……。ひっく、ありがとう、ございました……っ」

 何でもできたおかあさん。愛されていたおかあさん。
 たくさんの素敵な仲間がいて、それでも、生きて帰っては来れなかったおかあさん。
 ……墜落したロケットは原形を留めないほどに四散し、死体は残っていなかったそうです。
 操縦席だったろう場所の近くに、爆発時の熱で溶けて破片とくっついた個人認識票だけが転がっていたらしく、 消火と撤去が終わった時点で発見されたそれが、大使館を経由して日本の私に届いたということでした。

 おかあさんの死を私が悲しんだように、ここにいる人達も悼んでくれたのでしょう。
 夢を共にした仲間だった分、もしかしたら娘である私よりも、悲しんだ人がいたのかもしれません。
 それでも彼らは涙を拭い、暴徒の脅威からも生き残って、今もこうして頑張ってる。
 この場所が、どれだけ尊い犠牲と尽力の果てに保たれているのか、そのことに思いを馳せて、もう一度、ありがとうと言いました。 皆さんは誇らしそうに、笑い返してくれました。

 おじい様と一緒に局を後にした私達は、病院へと向かいました。
 おとうさんがそこにいることを、おじい様が事前に調べてくださってたのです。
 病室はすぐに見つかり、おとうさんの無事も確認できました。研究者として働いていたおとうさんは、騒ぎに巻き込まれて骨折をしたものの、 命に別状はなく、もう少しで退院できるみたいで、久しぶりに会った私の頭を優しく撫でてくれました。

「……顛末は、聞いているか」
「ええ。ちょこちょこ見舞いに来る友人の口からも現状は耳にしてますし、当時のことはこの目で粗方」
「そうか。……これから、どうするかね?」
「退院したら職場復帰しますよ。僕の働き口はまだちゃんとあるみたいですしね。それに……」
「それに?」
「妻の分も、やれるだけのことは全部やりたいですから。……ごめんな、クーニャ」

 謝罪の言葉が、日本には来れないことを指しているとすぐにわかりました。
 だから私は小さく首を横に振って、大丈夫、と言います。
 おとうさんも、おじい様も、知らないけれど。私にも、かけがえのない仲間がいるから。

「ここはクーニャの故郷だ。帰りたくなったら、いつでも来るといいよ。忙しくて会えないかもしれないけど、 その時は二人でご飯でも食べようか。僕は料理ができないから、お願いしてもいいかい?」
「ちょっと待て、わしを抜かすな」
「そうでした。僕と、お父さんと、クーニャの三人で、だね」
「――はいっ。次に来る時は、私が腕に寄りを掛けて作りますっ」

 ささやかな約束を交わしおとうさんと別れた私達は、もうひとつの行くべき場所を目指しました。
 人で賑わう区域からは少し離れた、とても静かな敷地。
 そこにあるのは、おかあさんの眠るお墓です。ストルガツカヤの人間が死後に名前を刻まれる、 素気ない墓碑の前に持ってきた花を添え、おじい様と二人で祈って、私は日本で体験したたくさんのことを語りました。
 学校のこと、勉強のこと、仲間のこと……好きなひとのこと。
 おじい様も横で相槌を打ちながら、私に何も言うことがなくなるまで、ずっと聞いていてくれて。
 最後に私の頭に手を乗せ、

「よく泣かなかった」
「……わふっ」

 荒っぽくわしわしと撫でて笑いました。
 思わず涙腺が緩み、どうにか泣くまいと堪えたけれど、呟くような声の震えだけは、隠し通せませんでした。

「おじい様」
「どうした、まだ何かあるのか?」
「私、こすもなーふとになりたいです」
「……クーニャ」
「危険なお仕事だってことはわかってます。でも、それでも私はおかあさんと同じところに行きたい。だからおじい様、」
「――そんな簡単になれるものではないぞ。だが……まあ、やってみるといい。おまえが思う通りに」
「わ……わふーっ!」
「こ、こら、いきなり抱きつくなっ」

 おかあさんがいなくなっても。
 私にとって、テヴアはやっぱり、故国なのです。
 それを実感することができた私は、きっととても幸せなのでしょう。
 この髪も、瞳も、全ては気に病むのではなく誇っていいもので。
 ちぐはぐで、ばらばらな私だからこそ、リキと、みんなと出会えたのですから。

 ここは私が帰れる場所。
 そして日本は、今の私が帰る場所。
 どっちも、大切な故郷です。










 大変なのは、リキに告白してそれが受け入れられた後でした。
 いえ、勿論いわゆるぶらっくほわいとも一大決心というか心臓が止まるかと思うくらい大変だったのですが、 何しろ私は英語が全然駄目で、しかし宇宙飛行士になるにはまず英語の習得が絶対条件なわけですから、とにかく勉強の毎日です。
 それも勉強ができる、なんてレベルではなく、英語圏の人とちゃんと会話が成り立つほど堪能でなければいけません。
 ロシア語は何とかなるにしても、こればかりはなかなか上手く行かず、協力してくれるリキや皆さんと一緒に悩む日々が続きました。

 問題はまだまだ山積みです。
 まず資格を得るためには、大学を卒業し、さらに企業で三年以上働く必要があります。 元々私はあまり頭の良い方ではありませんでしたし、専門的な知識を身に付けるためには並みならぬ努力が要求されました。
 また、身体的な制限もあり、149cm以上の身長と、裸眼で0.1以上の視力が最低限求められます。後者に関しては心配要りませんでしたが、 二年生の時点で私の背は141cm。この歳になって8cmも伸びるかどうかは、ほとんど賭けみたいなものです。
 なのでとにかく牛乳を飲んで小魚もいっぱい食べて、ご飯は欠かさないよう細心の注意を払いました。
 リトルバスターズの野球練習も含め、体を鍛えることも始めましたし、色々と背が伸びそうな方法を試したりもしました。
 そんな努力が実ったのか、卒業する頃には何とか150cmに達したのですが、さすがにもう一箇所育ってほしいところは大きくなりませんでした。 来ヶ谷さんには「小さくても悩むことはない、むしろキミは一生そのままでいてくれ」と言われましたけど、残念なものは残念です。

 リキと同じ大学に行くようになってから、留学を考え始めました。
 英語を喋れるようになるには現地で使い続けるのが最もいい方法だという結論を、私達はお互い話し合って出していたのです。 でも、留学中は離れ離れになってしまう。それが私の決断を鈍らせていました。

「……行ってきた方がいいよ。それはきっと、クドにとって一番いい道だから」
「リキは……リキは、寂しくないですか?」
「そりゃあ寂しいよ。だけどさ、クドが宇宙飛行士になったら、もっと長い時間会えなくなると思う」
「……はい」
「だったら、これくらいのことで根を上げてるわけにもいかないでしょ? 大丈夫、僕はちゃんと待ってるから」

 最終的に背中を押してくれたリキのひとことで、私は留学を決めることができました。
 見知らぬ国、見知らぬ場所、見知らぬ人達の中で暮らすのは不安だらけでしたが、リキはこまめに連絡を入れてくれたので、私もどうにか頑張れました。 日本語もロシア語も通じない世界での生活を続けていると、少しずつ、言語が染み付いてくるものです。 いつしか日常会話もこなせるようになり、日本に帰る頃には、迎えに来たおじい様のお墨付きを貰えるほどになっていました。

 無事に大学も卒業し、その時期から私とリキは一緒に暮らすようになりましたが、お互い全く別の仕事に就いたので 二人の時間というものをなかなか作れず、月に二度あるかないかの予定が合う日はめいっぱい甘えるようにしました。
 結婚をしたのも同じ時期で、今更言うまでもなかったですけど、指輪を渡された私の返事は「はい」でした。
 忙しい中でも皆さんが集まり祝ってくださった結婚式のことは、忘れられないくらいしっかり記憶に残っています。
 懐かしい顔ぶれが揃っているのを見ると、まるで昔に戻ったかのように思えて。
 私はリキと顔を見合わせて、嬉しさに表情を綻ばせたのでした。

 ――そうして、今。
 諦めずに頑張り続けた結果、私は搭乗科学技術者としてロケット内の座席にいます。
 狭き道だった選考も、適性検査も、過酷な訓練も、全て乗り越えることができました。
 おとうさん達が作った宇宙船で、おじい様達が見守る中、私はリキといつか見た、この空の向こうへ行くのです。

 カウントダウンの終了と共に、強烈なGが全身に掛かります。
 座席に激しく押し付けられながら、見据える先は全天の空。あっという間に突き抜けていく、青と蒼のグラデーション。

「ああ……」

 ……そこにあるのは、約束の景色。
 長い、長い旅の果てに辿り着いた――50ノーティカルマイルの空。
 ずっと昔、私ではないクドリャフカも目にしただろう、きれいな、そら。

「リキ、見てますか? やっと……やっと、ここまで来れました」

 呟いた言葉に応えてくれる人は、今はいないけれど。
 遠い国で待っていることを知っているから、大丈夫です。
 私には帰る場所がある。旅に終わりがあるように、終われば家に戻るように――。

 絶対、無事に帰ります。
 だからあなたには、笑って迎えてほしいです。

 せかいでいちばん、たいせつなひと。



Я люблю тебя .










 あとがき


 な、何とか書き上がった……。
 ということで、考察SSなんだかいまいちよくわからないものを送りつけてしまいまず即行で陳謝。
 ロマンと雰囲気先行で書いているので、かなりおかしい点は多いかと思います。
 例えばロシア(テヴア)式の埋葬方法とか、他にも今はスペースシャトルよりロケット主体らしいとか、 苗字ストルガツカヤでいいのかなとか、おじい様一人称わしでよかったのかしらとか。
 あ、でも、リトバス本編で飛ぼうとしてたのはシャトルみたいですし、 ロケットにはどう考えても外の景色が見られるようなガラスはないけどシャトルなら大丈夫ですよね冒頭と終盤の描写。

 しかし調べれば調べることクドルートは緻密に組み立てられていて、正直どこから切り込んでいいのやら悩みました。 とにかく伏線や符号だらけ。その辺言及してるところが見つからなかったら絶対途中で挫折してましたよ。
 それにしても我ながら独自解釈が大量で困ります。嫌いな方は本当にごめんなさい。
 でも一応軽く補足程度の説明だけはしておきますね。

 まず、個人認識票はクドのおかあさんのものであることを前提にして話が進んでます。
 ここはとりあえず頷いていただかないとどうしようもないので納得してください。
 下に参考として読み込んだ考察のあるサイトへリンク貼っておきますが、まずはそれから。
 あとは現実世界と虚構世界を分けて考えれば、自ずと答えは出てくるかと思います。
 現実世界での修学旅行以前にテヴアでの墜落事故が発生し、搭乗者だった母親はおそらく死亡。 クドが「行かない」と言ったのはたぶんそれより前に送られてきた打ち上げの誘いに対してでしょうが、 とにかく後悔したのは確かでしょう。不和を残したまま、二度と会えなくなってしまったわけですから。
 クドルートでの事故〜公開処刑の流れは、若干「やりすぎ」な感もしますがおそらく現実と同じ流れかと。 本編で取得できる情報から推察するに、父親の仕事は宇宙船の、それも設計か何かに携わるもの。 「クド以外家族は全員あっちにいるらしい」という理樹の台詞も含め、 父親もTASA(テヴア共和国宇宙航空局)の職員として暴徒の脅威に晒されていたのではないでしょうか。
 しかし、そこで両親共々死亡と断ずるにはあまりにも暴力的。 生存の確率は半々ですが、個人的には生きている、に一票を投じた次第です。
 航空宇宙局の要人として有名な母の死は、クドに、勿論祖父にもすぐ伝わったはず。 それが修学旅行の少し前のことで、おそらくその時に個人認識票と金属片を大使館の人間に渡されたのでしょう。一種の形見として。
 クドの心境は推し量るに少々複雑なものですが、とにかく彼女は修学旅行に行きました。
 そして転落事故に遭う。母と娘、両方とも「堕ちて」いるのは何だか皮肉めいてますね。
 虚構世界での話は、他の私よりもっとしっかりした人が書いた考察の方が遥かに詳しいので省略。
 紆余曲折を経て生還したクドが、自身の心の整理をするためにもテヴアに向かう……というところからの話が拙作になります。 本編トゥルーエンド以降、順当に考えればあの時点で好意マックスなクドが一番早く告白すると思うんですよ。
 そういう流れで、まあいちゃいちゃパートはゲーム本編からシリアス部分をばっさり切り取ったような感じと イメージしていただければわかりやすいかもしれません。そりゃあ幸せだぜ。
 ……とまあ、解釈はここまで。本文でだいたい語ってますので、そこから何かを汲み取ってもらえると嬉しいです。

 専門的なところでは、宇宙飛行士になるための数箇条。
 日本以外ではどうかわかりませんが、一般的に以下の条件を満たす必要があります。


・日本国籍を有すること
・大学(おおまかに分類すれば自然科学系、まあ理系です)卒業以上であること
・その系統(自然科学系)の研究・設計・開発などに三年以上の実務経験があること(要約すれば三年以上働く)
・英語がペラペラ(死語?)なこと
・心身共に健康であること(身長149〜193cmくらいとか。クドにとってはたぶんこれが最難関の条件)
・みんなと仲良くなれること

 こんな感じ。英語力と身長の問題さえクリアできれば、クドにも充分なれる可能性はあるかと。
 TASAの方になら、コネクションもあるわけですしね。
 それと、今回のタイトル、本編にも出てきた『50ノーティカルマイルの空』ですが、国際航空連盟では100km以上、 米軍では92.6km以上の高空を宇宙と定義しています。92.6kmがつまり、50ノーティカルマイル。 地上から宇宙までの間の距離ってことです。いやはや相変わらず大活躍だねWikipedia。

 ふたつのロシア語に関しては、リトバスまとめWiki参照。
 こっちでも言っておきますが、上が「に・ぷーか、に・ぺーら」で、下が「やー・るぶりゅー・てぃびゃー」。
 雰囲気出したかったのでルビとかは振らなかったのでした。

 そろそろあとがきだけでアホみたいな分量になりそうなのでいい加減打ち止め。
 ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
 抽象的で拙い文章ですが、少しでも何か思うところがあったなら幸い。

 では、お祭りが賑わえばいいな、と願いつつ。
 参加する方々は節度を持って臨みましょう。言葉を掛ける相手が、自分と同じ人間だという意識を忘れずに。



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 参考サイト:Ни пуха, ни пера! |かみかみ神谷の凸凹にゃんにゃん