修学旅行の中断が告げられたのは、宿泊先に着いてから一時間も経たない頃だった。
 どこか青ざめた顔で、言葉を選びながら語った教師の言葉をその場で理解できた者は、おそらく全生徒の半数もいなかったと思う。私も初めは自分の耳を疑い、冗談じゃないかと考えた。
 だとすればそれは、あまりにも性質の悪い冗談で。
 現実なら、いくら何でも酷過ぎる。
 学校を出発した時点で、私は葉留佳が他のクラスのバスに乗り込んでしまったことを知っていた。いきなりの勝手な行動に、今すぐ怒鳴ってやりたい衝動に駆られたが、当人がいないのならそれも叶わない。紛れた先はあのリトルバスターズの面々がいるクラスだと予想を付けても、既にバスは走り去った後なのでどうしようもなかった。
 けれど、当然のように信じていたのだ。行き先は同じなんだから、向こうで顔は合わせられるだろう、と。

 ……そのバスが、事故を起こしたと聞いた。
 詳しいことはまだわからない。ただ、山道で横転し崖下へ転落した車体は、衝撃で漏れたオイルに引火し、爆発炎上したという。死傷者の数は不明。二次災害の山火事に対する鎮火作業と合わせて救助活動も行う予定らしいが、現状、生存者は絶望的である――。

 皆が集められたフロントに、様々な声が響き渡った。
 ほとんどの生徒は実感が湧かず、単純に修学旅行自体が潰れてしまったことを嘆いていた。
 事故に遭った者達の中に友人や兄弟がいる人間は、完全ではないものの現実を受け入れ、ショックで呆然とするか、あるいは泣き出すかのどちらかだった。意識を失って倒れる生徒も幾人か出始め、折り返し学校へ戻る準備を進めつつ、教師陣は場を落ち着かせようと奔走することになった。
 そして私は、

「……そん、な」

 膝の力が抜け、ぺたりと床に座り込み――身を震わせるほどの激しい後悔に、襲われていた。










サ イ ハ テ










 遺体は残らなかった。落下地点一帯を吹き飛ばすほどの爆発だったそうだから、ある意味当然だろう。むしろそれを理由に二木と三枝の家がまともな葬式すら挙げなかった方が問題だ。
 もっとも、例えそうしたとして、葉留佳を悼んでくれる人が集まるかどうかは怪しい。あの子に親しい友人はほとんどいないみたいだったし、当てはまる数少ない存在は、二人を除いて同じく帰らぬ人になってしまっている。勿論、家の奴らは論外。
 だからこそ堂々と「三枝葉留佳の葬儀は控えましょう」だなんて言えたのかと思うと、思考が真っ白になるほどの怒りが湧いてくるけれど……未だに檻の中から逃れられない私には、表立って何も反論できない。
 それがまた苦しく、吐き出す場所のない鬱屈した感情は、事故から二ヶ月半の時が経過しても私の内で暴れ狂っていた。

 結局私と葉留佳は、解り合えないまま終わってしまった。
 大事に思うからすれ違って、守ろうとしたから憎まれて、けれども私はそれで構わないと信じていた。
 あの子が生きていけるなら。絶望しかない世界の中、私を憎むことで生きていけるなら。
 守るために傷付ける、そんな矛盾した行動理念にも迷いを持たずにいられたのだ。
 なのに、私達を取り巻くどうしようもない境遇は少しも変えられず、ついには守り切れなかった。……どころか、最期を看取ることさえできなくて。私が明確に葉留佳の死を認めた瞬間、心に重く圧し掛かった後悔の念は、おそらく事故の事実を告げられた時、同じ場にいた者の誰よりも大きかったと思う。

 こんなことになるなら、もっと優しくすればよかった。
 家の大人にどう言われようとも、殴られて蹴られようとも、あの子の全てを守ればよかった。
 悪戯は叱って、でも時々見逃して、楽しそうな姿をただ笑顔で見ていればよかった。
 あなたは世界でたった一人、他のどんなものより大切でかけがえのない妹なんだ、と伝えれば、よかった。

 ――全ては最早叶わない。
 葉留佳はどこにもいない、そんな現実が私の心を苛み続ける。
 比べて貶める対象が消えたことで、奴らは玩具を無くして膨れる子供のように不機嫌さを露わにしたけど、私に完璧さを求めることは止めなかった。学校側がマスコミの取材に生徒を関わらせないため、夏季休暇と合わせ八月末まで閉校している間も、不快な腐った視線がいつも私を追い回していた。
 二木の名に恥じない人間になれ。二木の名に決して泥は塗るな。二木の者は選ばれた存在と知れ――。

 ……何も。
 何も、変わりはしない。
 葉留佳という一つの生き甲斐さえ失って、それでも私は生きている。
 当然のように訪れる明日を苦痛に感じながらも、流されるまま、生きている。



 ようやく世間が事故のことを忘れ始めた九月、学校は新学期を迎えた。
 とはいえ事故の爪痕は深く、新聞などのメディアで『奇跡の生存者』と呼ばれた直枝理樹と棗鈴の二人は揃って別のクラスに異動。それによって、私達の学年の一クラスが事実上消滅し、今年度予定されていた他の行事も自粛という形になった。生徒からは不満の声も上がったけれど、死者のことを出されれば口を噤むしかないだろう。何より、当事者にしてみればまだ記憶に新しい出来事だ。他の人間がとやかく言える義理ではない。

「………………」

 そうして始業式から数日後、放課後に風紀委員の仕事で一人三階の見回りをしていた私は、校内がやけに静かだと感じた。何故だろうかと考え、すぐ答えに気付く。

「ああ、そっか。彼らがいないのね」

 リトルバスターズ。数多くの騒ぎの元凶だった十人のうち、葉留佳を含めた八人は事故の被害者に名を連ねている。
 上級生である棗恭介までが何故同行していたのかはわからないが、彼の性格や普段の言動を多少なりとも知っているのなら、何食わぬ顔で修学旅行に付いてきている光景を容易く思い浮かべられるはずだ。
 あんな惨事にならなければ、きっと今も私の頭痛の種になっていたと思う。

(……でも)

 当時は疎ましかったあの騒がしさを、心のどこかで少しだけ楽しみにしていたらしい。
 学校で葉留佳と接触できる機会でもあったし、何だかんだで、彼らのことは嫌いではなかった。
 あるいは、羨ましいような気持ちも持っていたかもしれない。棗恭介達みたくいられたら、どんなに幸せなんだろうか、と。
 想像する。あの輪に加わり、似合わないことをしてると自覚しながら振り回される自分を。
 葉留佳と一緒に笑っていられる、そんなどうしようもなく眩しい夢を。

「……っ」

 記憶の蓋を開けて、胸が軋んだ。
 閉じた口の中で歯噛みし、私は途端に噴き出した後悔の念を、感情の奥底に封じ込める。
 人目がないことが幸いだった。今の私を見られていたら、要らぬ心配をされるのは間違いない。
 肺に溜まった重い息を吐き、再び巡回を再開する。といってもこの時間帯にまだ残っている人間は少なく、寮に戻っているか部活動に勤しんでいる者がほとんど。例えそうでなかったとしても、処罰するには至らない。窓ガラスでも割ろうとしていない限りは、早く帰ってください、と注意する程度だ。
 各教室に教卓側からそっと踏み入り、中の様子を確認する、その繰り返し。
 三つ目まで異常がないことを確認して、四つ目の引き戸に触れようとした瞬間、ふと私の耳が小さな音を捉えた。
 隙間から漏れ聞こえるのは、囁きにも近い声。一定のリズムを持った、歌声だった。

 向こうはどんなところなんだろうね?
 無事に着いたら便りでも欲しいよ


 微かに届いてくる淡々としたソプラノは、決して上手いとは言えない。
 しかし、明るい曲調で語られる、永遠の離別を想起させる歌詞に乗せて、歌声の主は訴えていた。
 扉一枚隔てた先、誰に聴かせるでもなく響く旋律が、私の足をその場に留める。
 ……時間にして二分もなかったろうか、声が途切れたことで、歌が終わったと気付いた。
 私は引き戸の取っ手に指を掛け、がらりと静かに開ける。
 教室の奥、窓際でこちらに背を向けていた人影が、物音を察知して振り向いた。予想通り、同学年の女生徒だ。
 私は歩み寄り、驚愕と羞恥をない交ぜにした表情で立ち尽くす彼女に言う。

「もうだいぶ遅い時間よ。いつまでも残ってるのは感心できないわね」
「あ……ごめんなさい。窓閉めて、すぐ帰りますから」
「……ねえ」
「はい?」
「どうして、こんなところで歌っていたの?」

 平静は装えていた。微かな心のうねりも隠し通せていたはずだ。
 でも――きっと、私はどうかしていたんだろう。
 窓の横枠を掴もうと軽く爪先立ちをした背中に、迂闊な問いかけをしてしまうなんて。

「え、あ、その……き、聴いてました?」
「盗み聞きするつもりはなかったんだけど、耳に入ったものだから。勝手に聴いたことは謝るわ」
「いえ、いいんです。ただちょっと恥ずかしくて……。わたしあんまり歌うの上手くないですし」
「そうかしら。いい歌声だったわよ」
「あはは……お世辞でも嬉しいです」

 僅かに頬を赤らめ、彼女は先ほどと同じ姿勢になって外に視線を向けた。
 私も隣まで寄り同じ景色を眺める。室内に流れ込む風の冷たさに、秋の到来が間近に迫っていることを感じる。

「わたし、付き合ってた人がいたんです」
「いたってことは、別れたの?」
「……違います。彼は修学旅行の時、あのバスに乗ってました」

 そこから先を訊ねる必要はなかった。
 事故の生存者が二名のみと知っていれば、他の生徒がどうなったかは少し考えればわかる話だ。
 そしてその中に心を傾けていた人間がいるのは、何も自分だけではない。

 私は、かけがえのない妹を。
 彼女は、親しかっただろう恋人を、失った。

「陸上部で外を走ってた彼を、よくここから見てたんです。息を切らしながら頑張ってる姿が恰好良くて好きでした。何度か差し入れして、それから勇気を出して告白して、付き合うようになって……部活で忙しくてなかなか遊びにも行けなかったけど、一緒にお弁当食べたり、部活の後にお疲れ様って言いに行くだけでも充分でした。そういう毎日がずっと続くんだって信じてて……でも、あんなことになっちゃったから」
「そう、ね」
「どうして歌ってたのかって話ですけど、あの曲、修学旅行より前に、友達に教えてもらったんです。インターネットで公開されてる、プロとかじゃない普通の人が作った歌。初めて聴いた時からずっと頭の中に残ってて、携帯に入れて毎日のように流してました。サイハテ、っていうんです」

 サイハテ。旅の最後に辿り着く、終わりの場所。
 それは――なんて的を射た名前なんだろう。

「あの歌詞みたいに、わたしの気持ちとか全部、届けばいいんですけどね。……ごめんなさい、一人で長々話しちゃって。何か、ずっと誰かに聞いてほしかったから。迷惑、でした?」
「……いいえ。私も少し思うところがあったから、あなたの話、聞けて良かったわ」
「それじゃ帰ります。風紀委員さんも気を付けてください」
「ええ、ありがとう」

 すぐ後ろの机に掛けてあった鞄を取り、彼女は教室から立ち去った。
 閉じた窓越しに見える、葉が落ち始めた緑の木々が目立つ外の景色。その向こうに無人のグラウンドを認め、私の視界がほんの少し滲んだ。いつかの日々、交わされる言葉も表情もしっかりとはわからなかったけれど、楽しそうにノックを受けていた葉留佳を、彼女と同じように眺めていたことを思い出して、様々な感情が去来する。

「……あの子は、無事に着いたのかしらね」

 祈りや想い、何もかもが届くのなら、そこには救いがあるのかもしれない。
 例えそれが私達だけのものだとしても、決して届くことはないのだとしても。
 生者わたし死者はるかが幸せであるようにと願う。そんな最果ての希望を、信じたいと思う。

 無意識に、自分の唇から覚えたてのメロディがこぼれた。
 足音にも消し去られそうな声で、私は歌う。二ヶ月半も遅れてしまった、別れの言葉を告げるために。



 ――さよなら、葉留佳。またいつの日か会いましょう。










 あとがき

 リトルバスターズ!投稿小説に何となく投稿してみたもの。
 超難産。実質二日しか掛けてないのに、密度的には一週間くらい使った気がします。
 タイトル兼発想元は小林オニキスさんという方が初音ミクで制作した同名曲。これが実に衝撃だったと言いますか、何だろう、比較的ポップな曲調でミクの声も淡々としてるんですけど、歌詞の内容は若干暗喩ながらすごい直接的なんですよね。いわゆるfarewell song、さよならを告げる別れの歌。
 これをリピートしまくってる時に、ふと佳奈多さんとの関連性を妄想して「こいつはひとつ書いてみるのもいいかもなぁ」と、とりあえずプロット組んでみたんですが、本編をプレイして久しいからか、二木佳奈多という人物とのズレを感じてなかなか進みませんでした。一応言い訳しますと、本編の佳奈多さんをNPCと仮定した場合、彼女を操作できる側によって、意図的に歪められてる部分があると思うわけです。風紀委員という機構が一種の憎まれ役として機能してるところとか。その辺のフィルターを除いたら、佳奈多さんってもう少しわかりやすい弱さを抱えてるんじゃないのかな、という観点から劇中ではあんな感じになってます。
 あ、よく考えたらこれってオリジナル要素ありですね。名前も容姿も出してないので微妙ですけど、嫌う人はいるかもしれません。でも、亡くなった生徒の人数を考えれば、他のクラスの子と親しい関係だった人も結構いたように思えます。意外とそういう部分を描いてる方がいないので……って、そういえばえりくらさんの『恭介の一問一答』が正にそんな話だよなぁ……。どうかあれほど完成度の高いものとは比べないようお願いします。確実に負けてるもの。

『サイハテ』を知らないという人はどうぞ一度聴いてみてください。ニコニコを筆頭に、ご本人のブログやピアプロではmp3を拾えるので、合わせて読んでいただけると佳奈多さん及び名も無き彼女の心情にもう少しだけ浸れるかもです。
 あとこれは余談なんですが、ニコニコでは別解釈版というのがありまして、それがライカ犬、つまりクドリャフカを「あなた」に当てはめたものなんですよね。意外なリトバスとの共通点を見つけて、面白いなぁ、と思ったのでした。



index



何かあったらどーぞ。