「リキ、お願いがあります」
「え、どうしたの?」

 昼休み。
 食事を終えて、さてこれからどうしようかと考えていたところで、クドに話しかけられた。何事にも一生懸命なクドは、今日も真剣な顔をしている。
 こういうところ、見習うべきところかも。

「はい、実は勉強を教えて欲しいのです」
「うん。僕に教えられるかは分からないけど、もちろんいいよ。今日の授業で詰まったところでもあったの?」
「いえ、そうではないのですが……家庭科部の部室まで一緒に来て欲しいのです」

 どういうことだろう。この教室内では問題があるのだろうか。
 よくは分からないけど、とりあえず僕はうなずく。

「では、れっつごーなのです」






『クドのお勉強』






 家庭科部の部室について、クドに見せられたのは一冊の本だった。

「わふー、実は、リキに教えて欲しいのはこれなのです」
「ん、これは……」

 本のタイトルは、『心身相関入門』となっている。

「これって、心と体の健康は密接に関係している、ってやつだよね」
「はい。まいんどぼでぃーいんたらくしょんです」

 確か、心療内科だかで使われている言葉だ。

「勉強って、これのこと?」

 だとしたら、僕では役者不足だ。
 テレビなんかの聞きかじり程度の知識しかない僕に、専門的なことを教えることは出来そうにない。

「いえ、リキには実践方法を手伝って欲しいのです」
「実践?」

 どういうことだろう。
 実践ということは、心か体に何らかの刺激を与えて結果を見る、ということになるのだろうか。

「わたしは、こんな外見なのに英語も満足に話せないですし、中身と噛み合ってないのです……」
「それは……」

 クドの外見と中身のギャップは、初めてあった相手は大抵驚くことだ。
 そこに相手の悪意がなかったとしても、それはクドを傷つける。
 だから、クドはその溝を埋めるための努力をいつだってしているんだ。
 よく分からないけど、今回のこともその一つなのだろう。

「けど、それでもクドはクドだよ。クドの努力はもちろん応援するけど、僕は――僕たちは今のクドだって大好きなんだから」
「リキ……」

 クドが、外見と内面のギャップを埋めても。ギャップを持ち続けていても。
 そのどちらもクドには違いない。
 だったら、僕は今ここにいるクドも、成長して変化するクドも肯定したい。
 どんなクドだって、大切な存在なんだってことを、伝えたい。
 ……まあ、一人称が複数になってしまったのは、色々と僕の中で葛藤があったということで。

「ありがとうございます……キュンってなりました」
「う、うん……」

 クドはいつでも笑顔だけど――こう、改めてこういうことを言ったあとに笑顔を向けられると、照れてしまう。
 というか、僕はすごく恥ずかしいことをいったんじゃないだろうか。

「と、ところでさ、実践って何をするの?」

 どうにも照れくさくて、僕は話題を元に戻す。

「はい」

 なにやらクドは本を手に取ると、神妙な顔で目を閉じた。

「この本によると、心と体には密接な関係があるのです」
「うんうん」
「例えば生活習慣です。この本には、日本に住んだ外国人が次第に日本人らしさを見につけていく、といったえぴそーどが紹介されています」
「なるほど」

 それは納得できる話だ。
 日本人の時間間隔が染み付いてしまったインド人、なんてのをテレビで見たことがあるけど、母国に帰った時に待ち合わせをして、実際の集合時間が一時間ほど差があったらしい。
 その番組では日本人は時間に正確だ、という結論になっていた。

「ということは、逆もまた然りです」
「そうだね」
「なので、あめりかの英語をますたーするには、あめりかんな生活が必要なのです」

 つまり、所謂アメリカ人っぽいことをしたいのだろうか。
 といっても、いまいち発想が貧困な僕としては、なんかハンバーガーとか大食いとかストリートとか銃社会とか自由とか訴訟とか、いまいちまとまらない。

「具体的には、どうしようか」
「まずははぐなのです、リキ」
「は、ハグッ!?」

 言うが早いか、次の瞬間には僕はクドに抱きしめられていた。
 体格的にすっぽりとはいかず、どちらかといえばぎゅーっと、って感じで。つまりそれはクドの小さいけど柔らかな感触とか、体温の高めな体の温かさとかが服越しとはいえ伝わってきてしまうってわけで……。

「わふぅ〜……リキのかんしょくです……」
「え、ええと……」

 ど、どうしていいのかわからない。
 こんな風に密着してしまうと、クドが女の子だってことを、すごく意識してしまう。いや、他の誰かだったらまだそれで済むんだろうけど、クドだっていうのが問題なわけで。
 いや、でもクドに協力するって決めてるんだし、そうなるときちんと相手役を務めなきゃいけないんだけど……。
 って、これじゃいけない。
 クドはあくまで、自分のコンプレックスを克服するための特訓をしているんだ。
 だっていうのに、僕がそんなよこしまな考えをもってどうするっていうんだ。
 それよりも、クドの間違いを正してあげるほうが先だ。

「クド、ハグってのは挨拶なんだし、こんな風に強く抱きしめたりするものじゃあないよ」
「リキ〜、次です〜……」

 ……聞いてなかった。
 なんというか、恍惚とでも表現するべき表情なのだろうか。
 顔には全体的に赤みが差し、目は潤んでいるようで、頬が緩んでる。
 と、その目が閉じられた。

「クド?」
「きっすは挨拶代わりです……だから次なのです」
「ええっっ!!?」

 それはさすがにまずい。
 というか、それはもうどんな顔していいのか分からない。

「クド、それはちょっと」

 僕がうろたえていると、クドはいったん閉じた目を開いた。

「リキ、今のリキはこーちなのです」
「う、うん」
「だから、リキが教えてください」
「教えてっていわれても……」

 どうしよう。
 なんて、迷っている場合でもなさそうだ。
 ええい、ままよ。

「実は、僕そういう経験がまったくないからさ。教えてあげられないんだ、ごめん」

 いいながら、さっきまでとは別の意味で赤面していく。
 女の子とまともに付き合ったことがないって告白しているみたいだ、これじゃ。
 よりにもよって、クドに対してこんなことをいうことになるなんて……。

「リキ……大丈夫です。わたしも初めてなのです」
「って、それはかえって大丈夫じゃないよっ」

 初めてって、大変なことじゃないか。

「でも、リキが相手ですから」

 そういって、クドは再び目を閉じた。
 そ、それはもしかして、そういう意味なんだろうか……。
 なんだか、すごく心臓がどきどきしていた。
 クドの唇を、まじまじと見つめてしまう。
 小さく突き出されたそれは、潤いを保っていて、抗いがたい魅力を感じさせた。
 さすがにこの状態でいつまでもいるわけにはいかないし――


 キーンコーンカーンコーン


「あっ」
「わふーっ」

 僕の懊悩を破ったのは、昼休み終了5分前を告げる予鈴だった。

「い、急いで教室に戻らないと」
「は、はいっ」

 教室に戻るために、僕は慌ててクドから離れる。
 それにしても、危なかった。もしもう少し予鈴が遅ければ、僕は今頃――って、いけない。
 惜しいとか、そういう気持ちが頭の片隅にあるのを無視して、僕は部室を出ようとする。

「リキ」
「ん?」

 声に振り返る。
 畳から降りて、一段下がった僕の視界。
 ちょうど同じくらいの身長になったクドがすぐ傍にいて、僕に触れた。
 接点は、肩にかかる手と、頬に感じる柔らかな感触。
 瑞々しさを含んだそれが、つい先程見つめていたものだと理解した瞬間、クドは僕から離れた。

「クド……」
「え、えと、もどりましょう」

 そしてわたわたと、先んじて教室に向かう。
 僕はよく回らない頭で、先程クドに触れられた部分を押さえながら後を付いていく。

「参ったなあ……」

 なんというべきか。
 先を越されてしまった、ということになるのか。
 情けないことだ。
 ものすごく嬉しいんだけど、軽く落ち込みそうになる。いや、それにしては顔がにやけるけれど。
 まあ、うん。まだ残ってるわけだし。
 急げば放課後にでもいいし、もしダメだったらそのあとでも明日でもいいから。
 勉強の続きは、僕から誘おう。








終わり




あとがき

 口実なんて何でもいいわけですよ。ということで内容的には特にひねりもなくくっつくものを書いて見ました。
 クドSSだしなんかロシア語入れようかと思い少し調べましたが、なかなかうまくいかないものですね。



ばっくとぅいんでっくす、なのですっ


専用掲示板にじゃんぷですー