夕方、家庭科部室で勉強をしていた僕達は、出された宿題を一通り終えて同時にペンを置いた。
 互いに息吐き、顔を見合わせて小さく笑う。

「リキ、助かりました。相変わらず英語は全然駄目で……」
「そんなことないと思うよ。少しずつだけど、クドもできるようになってきてるから」
「本当にそうなら嬉しいです」
「うん。それにこっちもクドに結構教えてもらったところはあるしね」
「お互い様、ですか」
「だね」

 他愛ない話をしながら、卓袱台の上に広げていた勉強道具を片付ける。
 教科書とノート、プリントをまとめて重ね、きっちり鞄の中に詰め込んでいく。クドが立ち上がり、少しして持ってきた布巾で卓袱台を拭くと、周りはそれなりに綺麗になった。

「お茶淹れてきますね」

 勉強の後は、もうほとんど恒例になったティータイム。
 といっても必ず紅茶が出てくるわけじゃなくて、お茶請けの内容によって緑茶だったりほうじ茶だったり、その辺は毎日ころころ変わる。昨日は見慣れた醤油せんべいに渋めの熱い緑茶だった。もうだいぶ寒くなり始めてるから、特別おいしく感じるような気がする。
 大人しく座って待っていると、お皿を片手にクドが戻ってきた。
 ことん、と僕の目の前に置かれたのは、仄かに甘い匂いを漂わせるクッキー。
 シンプルな色合いながらどれもよく焼けていて、見るからにそそられる。
 次いでマグカップとポットを運んできたクドに、僕は素直な感想を告げた。

「すごくおいしそうだけど……作ったのはクド?」
「はい。お昼と放課後の余った時間で頑張ってみました。小毬さん直伝です」
「なるほど。じゃあ期待できるね」

 ちょっぴり冗談めかして言うと、クドは微かに頬を緩めて僕の前にマグカップを置く。
 一度お湯を入れたからか、底の方にまだ水が残っているカップの中へと、静かに紅茶が注がれた。
 白い湯気と共に器を満たしていく、琥珀色の透き通った液体。独特の強い香りが鼻をくすぐる。

「しゅがー、しゅがー♪」
「あ、クド、僕にもひとつお願い」
「わかりましたっ」

 楽しそうにシュガースティックの口を開くクドから一本もらい、僕も紅茶に流し込む。
 ざらららー、と白い粒が落ちて、スプーンでかき混ぜるとゆっくり溶けていった。
 渦を巻く様子をしばらく眺め、一口。苦味と甘味が同時に広がって、喉を通ると身体が温まるように思える。
 マグカップを置いて一息吐くと、クドが僕をじっと見つめていた。

「どうですか?」
「いつも通り、おいしいよ」
「そうですか……。よかったですー」
「クッキーはもう食べていいかな?」
「勿論ですっ。今回のは自信作なのですよ」

 胸を張るクドの仕草が微笑ましくて、僕は少し笑った。
 お皿からクッキーを一枚取り、口の中に入れる。舌の上に乗るくらいのちょうどいい大きさだ。
 焼き菓子の香ばしさがふわりと鼻を抜け、柔らかな甘さが伝わってくる。
 さくさくした歯ごたえもあって、飲み込んでからまた次の一枚が欲しくなった。

「……うん、これならいくらでも食べられるよ」
「本当ですかっ」
「こんなところで嘘なんてつかないって」
「……できれば焼きたてを食べてもらいたかったですけど、勉強に集中しててすっかり忘れてました」
「あはは。でも、先にこうしてたら宿題は手に付かなかったかも」
「かもしれません」

 二人でクッキーを摘まみながら、そんな話をする。

「寒くなったよね……」
「はい。ますますマントが手放せない季節です」
「そういえばクドは寒がりなんだっけ」
「ですが冬は嫌いじゃないのですよ?」
「え、そうなの? 寒がりな人って大抵冬は好きじゃないって言うものだと思うけど」

 僕の言葉にクドは答えず、代わりにマグカップを持ったまま立った。
 とてとてとこっちに歩み寄り、僕のカップの隣に自分のを置いて、それと同じように僕の隣へ腰を下ろした。

「寒いと、こうして触れ合うことで暖を取れますから」
「……なるほど」
「リキは嫌いですか?」
「まさか。僕も好きだよ」
「じゃあ一緒ですね」
「うん、一緒だ。……クド、こっちにおいで」

 足を胡坐の形に崩し、膝を軽く叩いて示すと、意図を理解してくれたのかクドは僕の前に座り直す。
 クッキーやマグカップには手を伸ばせなくなるけれど、代わりにクドのあたたかさを間近で感じられるようになった。
 小さな身体はまるで初めから誂えられてたみたいに、僕の正面にすっぽりと収まっている。
 そっと腰に腕を回すと、クドが力を抜いたのがわかった。

「……こうしてリキに抱きしめられてると、すごく安心します」
「僕も、こうやってクドを抱きしめてると、すごくほっとする」

 表情は見えなくとも、今、愛しい人がどんな顔をしているかは簡単に想像できる。
 だって、きっと僕と全く同じことを思っているんだろうから。

「ねえクド、髪の毛、触ってもいい?」
「……リキは好きですよね。私の髪」
「さらさらしてて、いい匂いがして、綺麗だから」
「わふっ、具体的に言われると恥ずかしいです……」
「それでどうかな、いいの?」
「そんな風に訊かれたら、嫌だなんて言えません。……言うつもりも、ないですけど」

 長い、亜麻色の髪は触れると滑らかで、指で梳いているとクドがくすぐったそうに小さく身を捩った。
 構わず手で掬い上げ、くるくると人差し指に絡めたりして堪能する。お世辞なんか抜きで、クドの髪は綺麗だ。
 恋人の贔屓目なのかもしれないけど。本当に、素敵だと思う。
 左手で房を弄りながら、クドの後頭部に顔を埋めた。甘いような、くらくらするような、不思議な匂い。

「変な匂いとか、しないですか?」
「全然。女の子の……クドの匂いがする」
「私の匂い……。いったいどんなものなのでしょう……」
「うーん、シャンプーっぽい涼やかな匂いと、あとは汗とかが混ざった感じ」
「汗ですかっ!? リキ、き、汚いですよっ」
「僕は別にそんなこと思わないよ? クドだから、汚くなんてない。ずっとこうしててもいいくらい」
「わふー……リキが変態さんなのです」

 言って、自分でも可笑しかったらしくクドは堪え切れずに笑みを漏らした。

「なら、僕が変態だってわかってるのに離れようとしないクドも変な子だ」
「ですね。私、変な子です。……でも、リキが好きなのは変な子みたいなので、今のままでいいです」

 穏やかな声に、僕は少しだけ強く抱きしめることで答える。
 そうするとより体重がこっちに寄り掛かってきて、さらに密着することになる。クドの右肩に顎が触れるか触れないかの体勢で左を向いた僕と、こっちの動きに気付いて右を向いたクドの視線が絡み合った。
 あとは自然な成り行きで、僕達の唇がそっと触れ合う。

「ん……」

 ついばむような短いキスが終わると、クドはとろけるような笑顔を浮かべた。
 吐息を鼻先に感じ、もう一度しようかとも思ったけど、やめておく。
 何となく今日は、こうしていたい気分だったから。

「……そういえば、クドは髪を切ろうって思ったことはなかったの? 手入れとか大変でしょ?」
「いえ、考えたことなかったです」
「どうして?」
「おかあさんみたいな外見に憧れてたのもありますし……それに何より、リキが言ってくれましたから」

 その次の言葉は、聞くまでもなかった。
 僕もちゃんと覚えている。そして、今でも自分の気持ちは変わらない。

「そっか。……だけど、切りたくなったら遠慮なんてする必要ないからね?」
「はいっ。気が向いたらさっぱりした私をお見せしますね」
「うん。楽しみにしてるよ」

 陽が暮れるまで、僕達はずっとそうしていたのだった。
 いつまでも、いつまでも。あたたかさを、分け合いながら。


何かあったらどーぞ。



めーるふぉーむ


感想などあればよろしくお願いしますー。


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