ざぁ、と木々の梢を風が渡る。

「…クド」

目の前に立っているのは、僕の大好きな女の子のかたちをしていた。

「…だよね?」

でも、僕は訊いてしまう。

その光景が信じられなかったから。

僕の元に帰ってくることを願っていたのに。

願っていたからこそ、とても信じられなくて。

「………」

幻なんじゃないか、と僕は手を伸ばす。

「クド…?」

僕の手は――僕の手に呼応するかのように伸ばされたクドの手と結びついた。

温かくて、ちっぽけなクドの手のひら。

「ただいまです、リキ」

そう、クドリャフカは還ってきたのだ。

僕が好きになったあの笑顔を携えて。

「…リキが出迎えてくれて少しびっくりです」

「言うなれば、くどりゃふか・すとらいく・ばっくす!」

「…ですか?」

こんなときでも、クドは間の抜けたことを言った。

「クド…っ!」

「わふーっ!?」

僕はクドの手を引っ張ると、抱き寄せた。

しっかりと腕でクドの小さな体を抱え込む。

抱きすくめられたまま、クドはそっと僕の背中に手を回した。

その温もりを制服越しに感じる。

彼女がここにいるという証を。

「行きましょう、リキ」

「うん…」

僕はクドの体を放した。

クドがにっこり笑う。

目の端からこぼれた涙を、振り払って。

僕はクドの手を引き、歩き出す。

再び始まった、僕たちの日常に。










しーゆー、あげいん










「ぐっどもーにんぐです、リキ」

「おはよう、クド」

クドが帰ってきてから一週間。以前と変わらない日常の中に僕たちはいる。

学園についてはすでにどこからか手が回っていたらしく、クドも知らないうちに休学扱いになっていた。

だからこうして、今でも同じ教室で同じ時を過ごせる――それはとても嬉しいことだった。

「まだ復習が追い付きません…」

「前期の試験まではまだ時間があるから、焦らなくていいと思うよ」

前期試験は七月の終わり。大体、修学旅行が終わってから一ヶ月。

ちなみに修学旅行は来週末だから、実際はそこまで時間があるわけではない。

でもクドは頑張っていると思う。さすがに赤くはないから三倍のスピードというわけにはいかないけど。

「先生も考慮してくれると思うし。実力テストの結果も加味されるでしょ?」

「…そうですね、リキもいてくれますし」

真っすぐな笑顔を向けながらこんなことを言うクド。正直、恥ずかしい。

だけどその恥ずかしさは、きっと喜びなんだと思う。

「そろそろ授業が始まっちゃいますね、また後でです、リキ」

「うん、頑張ろうね」



午前中の授業が終わり、昼休み。

「リキ、れっつらんちたーいむ、なのです」

いつかのように、そしていつものように、クドが僕のところに。

ここ数日は、クドの作ったお弁当をいただくことが日課になっている。

「今日は何を作って来たの?」

「何だと思いますかっ」

「うーん、お酢の匂いがするような気がするけど…よく分かんないや」

「ふふふ、いっつあちらしずし、なのですー」

「…またすごいものを作ってきたね」

このあたりは、さすがとしか言いようがない。

ちなみに昨日は茶そば(自家製)、一昨日はひつまぶしだった。一体いつ準備しているのだろう。

「どうぞ、リキ」

「ありがとう、クド」

「では、いただきましょうっ」

「うん、いただきます」

手を合わせて、挨拶。

クドは僕を上目遣いで見ている。僕は皿によそわれたちらしを口に運ぶ。

「お味はいかがですか?」

「………」

「…どきどき」

「…すごくおいしい」

「そうですか、嬉しいです」

クドはどうも一口めの感想が気になるらしく、いつもこういう風に訊ねてくる。

僕は決まって「おいしいよ」と返す。

実際にすごくおいしいんだけど、こういうときは自分の語彙の無さにうんざりするものだ。

それでも、毎回喜んでくれるクドを見ると笑顔になれる。

「なんていうか、本格的な味だね」

「はいっ、頑張りましたから」

「将来は和食レストランを経営してみるとか」

言ってから、僕はしまったと思った。

「それではダメですよ、リキ」

子供をあやすような優しい声で、ぴしゃり。

「私の夢は、いつだってこすもなーふとなのです」

「そうだったね」

ごめん、と付け加えてから、

「応援するよ、ずっと」

「リキが応援してくれるなら、百人力です」

「と言っても、高校レベルの英語くらいしか手伝えないけど」

残念なことに、これは事実。

「いえ、それでも十分ありがたいです」

その後も食事をしながら談笑…と、不意にクドが口を開いた。

「そういえば」

「どうしたの?」

「何だか静かですね、リキ」

「…そうかな?」

「はい、まるで…」

「まるでこの世界に私たちだけしかいないみたいです」

おとぎ話の主人公みたいですね、と付け加えてクドは笑った。

その笑顔はいつになく明るく見えた――痛いくらいに、眩しく。

「クド、明日は暇?」

頭より先に口が動いていた。理由はよく分からないけど…そう言わなくちゃいけないような気がしたんだ。

「はい、受けていなかった授業の復習をするくらいしか予定はありませんが…」

「じゃあ、どこかに遊びに行こうよ」

「それは、でででででっ、でーと、のお誘いですかっ」

「うん、まあ、そうなるのかな」

そういえばクドとまともなデートなんてしてなかったな、と気付く。

「の、のぞむところですっ」

果し合いじゃないんだよ、クド。

「じゃあ、どこに行こうか? クドの行きたいところでいいから」

「そうですか。では…ゆうえんちに行きましょう!」










「ぐっどもーにんぐです、リキ」

「おはよう、クド。随分早いね」

まだ待ち合わせた時間までは20分くらいある。

「楽しみで仕方なかったですから」

一時間前に来てしまったんですよ、とクドは言った。正直、早すぎる。

けど、それならクドは40分も待っているわけで…僕としてはかなり複雑だった。

「少し早いけど、もう行こうか」

じっとしていてもしょうがないし。

「はい! れっつらごー、なのですっ!!」

ネタが古いよ、クド。



それから電車とバスを乗り継ぎ、2時間ちょっとかかって目的地に到着。

隣の県にあるテーマパークだから、僕自身も今まで来る機会がなかった。

「わふー、いっつ『はいらんど』ですー!」

「わっ、ちょっと、待ってっ」

はしゃぐ子犬にいきなり置いて行かれそうになっていた。



「リキ、リキ、あれに乗りましょうっ」

と言ってクドが指差したのは、このテーマパークの目玉となっているジェットコースターだった。

『地上79mからのファーストドロップ』が売りらしいけど…僕としては正直遠慮したい。

それに、クドの冗談かもしれないし…とりあえず確認してみよう。

「…まじ?」

「はい、まじです」

冗談で言っているわけじゃなさそう。

「…すっごいよ?」

「はい、すっごいです」

「………」

どうやら逃げ場はないみたいだ。

「ほら、早く行きましょうっ」

「わ、わ、ちょっとクドっ」

「わふー、『FUJIYAMA』くらいみんぐですー」

その直後地上79mから駆け降りるコースターには、歓喜のクドと恐怖で顔がひきつった僕がいたことは言うまでもない。



「…ねぇクド、気持ち悪くない?」

実のところ、僕は少々グロッキーだ。

「いえ、とても楽しかったですよ?」

笑顔でさらりと言ってのけるクド。

「…まじ?」

「はい、大まじです」

『大』が付いた…と呆然とする僕をよそに、クドは次のターゲットを見つけてしまったようだ。

「次はあれに乗りたいです」

「…『ええじゃないか』?」

これはこの前テレビに出てたやつ…だよね?確かループに加えてひねり回転したりシートが回ったりっていう…

「うわぁ…」

想像するだけで酔ってしまいそうだった。

「ええじゃないかよいよい、なのですー!」

「ねぇだから待ってってばっ」

クドは本当に自分の感情に素直だなぁ、行動に出まくってるぜ! …思わずそんなことを言ってしまいそうになった。



…その後も僕の体力と体調と気力という犠牲を払いながら楽しいデートは完全にクドペースで進んでいった。



散々遊んでクドも疲れた様子。僕たちは園内のレストランで少し早目の夕食をとることにした。

「さすが日本のゆうえんちは一味違います」

「そうなの?」

「はいっ、べりーべりーじゃばにーず、です」

それは名前だけじゃないの、とか思うのはいけないことだろうか。

「それに、ここにはとても来たかったのです」

「あれ、来たことなかったの?」

「と言うよりも、ゆうえんち自体に行ったことがありません」

「そうなんだ」

それは結構意外だった。クドはこういうところ好きそうだから…(それは今日のはしゃぎっぷりで実証されている)

「おじい様が連れて行ってくれなかったのです…」

おじいさんが言うには『遊園地の乗り物は危ない』らしいとクドは話した。

「特にジェットコースターは大嫌いだったようです」

「まあ、確かにあれは事故が起こると大変なことになるからね」

「でも全然怖くなかったですし、危なくもありませんでしたよ」

そう言ってまた素敵な笑顔を見せてくれる。それだけで疲れなんてどこかに行ってしまいそうだった。

「でもどうしてここなの? ディズニーランドとかUSJとかあるでしょ?」

「日本と言えば『ハラキリ・フジヤマ・ゲイシャ』ではないですか」

大体予想した通りの答え。

「…それだけ?」

「…それだけですけど何か?」

「いや、何もないよ…クドらしいな、って思って」

たぶん彼女は誰よりも日本人らしいのだろう。それがコンプレックスではあるようだけれど。

でも僕は、そんなクドが好きになったんだ。



帰りのバスでは二人とも寝てしまっていた。熟睡しすぎて運転手さんに起こされてしまったのはここだけの話。

『デートかい? いいねぇ、かわいい彼女がいて』とはその運転手さんの弁。

あまりにそのとおりだったから、すごく恥ずかしかった。

ちなみにこのときクドはまだ寝ていたから、それに対する僕の返答は聞かれていないはず…聞かれていたら困るなぁ。



「今日はすごく楽しかったです」

学園に帰る途中、クドは僕に言った。

「僕も楽しかったよ、すごく」

「リキはずっときつそうだったじゃないですか」

苦笑しながら返すクド。残念だけど、その通りだ。FUJIYAMAとええじゃないかには、もう二度と乗らない。

「ごめんなさいです…リキ」

「どうして謝るの?」

「いえ、せっかく誘っていただいたのに私だけで楽しんでしまって…」

「そんなことないよ」

それだけははっきりと否定する。だって…

「僕はクドといるだけで楽しかったんだ。すごくすごく、ね」

心からの気持ち。いつになっても、最後にはその答えにしか行き着かないと思う。

「そうですか…そう言っていただけて嬉しいです」

クドは少し泣きそうな目をしていた。

その後にジェットコースターはもうこりごりだと言ってみたら、笑ってくれた。

よかった、こんな日にしんみりしたくはないから…

「ずっと、こんな楽しい時が続いて欲しいものですね」

珍しく星が綺麗な夜空に向けてつぶやくクド。その想いは僕と共有されている――なぜだろう、そんな気がした。

そんな僕たちの帰り道、お互いの手は知らない間につながれていた。

きっとこれが恋人という関係なんだろうと感じながら。










翌々日。

「能美、ちょっといいか」

放課後、寮に帰る途中の僕たちを呼び止める声があった。

正しくは、呼び止められたのはクドひとりなのだけど。

「あれ、どうしたの?」

今日は練習は休みのはずだけど。

「ああ理樹、能美に相談事があるんだが…少し借りて行ってもいいか?」

「僕は別に構わないけど…クドは?」

「私も別に構いませんよ」

「そうか、じゃあちょっと借りるな。理樹は寮に戻っててくれ」

どうやら僕は少し渋い顔をしてしまっていたらしく、

「すぐ済むからさ」

笑顔でこう付け加えられた。

こんなことを言われると、首を縦に振るしかない。

「分かったよ。じゃあクド、しーゆーれいたー」

「はい、しーゆーです、リキ」

………。

「それにしても、相談事なんて珍しいな」

何の相談だろうと思ったが、見当もつかなかった。



その晩は、クドからメールが来た。

「今日も楽しかったです」といった感じの、別に何でもないような内容。

クドはもともとあまり頻繁にメールを打つ方ではない。

返信を簡単に済ませてしまったけど、もう少し話せばよかったと少し後悔した。


翌日、遅刻ギリギリで教室に入ってきたクドに違和感を覚えた。

何と言うか…小さな傷を薄い塗装で隠しているみたいな、そのくらい些細な違和感だったけど。

それなのに、聞かずにはいられなかったのは、どうしてだろう。

「どうしたの? 何だか元気ないよ」

「え…そう見えますか?」

「うん、何か考え事をしてるみたいだ」

「………」

「リキ」

「今日はお泊まり会をしましょう」










「リキ、押し入れからお布団を出していただけますか」

「あー、うん」

『お泊まり会』といっても、ただ家庭科部室で一晩過ごそうというだけだった(敷き布団完備だとは思わなかったけど)。

…いや、それだけで十分とんでもない事態ではあるんだけど。

それに、僕だって男だから…その…ちょっと期待してしまったりもして。

だから、さっきから何か空回りしてる感がある。とりあえず落ちつけ、僕。

深呼吸をして、気持ちを静める。よし、もう大丈夫だ。

そうしてクドに話しかけようとした、まさにその時。

廊下から『天敵』とも言える集団の声が聞こえた。

「…ぃじゃないですか」

「もう誰も起きてないですよぉ」

「ここで今日の見回りもおしまいだから、しっかりしなさい」

「………っ!」

「風紀委員だ! 隠れて、クドっ」

「はい、あ、電気消しますっ」

電気を消したクドを引っ張り寄せたのとほぼ同時に、風紀委員(たぶん二木さんだろう)がドアを開ける音がした。

数秒の静寂。

「………」

「…はぁ」

「電気もついてないし、人の気配もしないから、ここはいいでしょう」

「じゃあ、これでおしまい。ご苦労さま」

その声を合図に、足音が遠ざかっていく。

「行ったみたいだね…」

「はい、そうみたいです…」

「…ってうわっ!」

急いで抱きかかえたせいだろう、僕の右の手のひらが、クドのおしりにぴったりとフィットしていた。

「ご、ごめん!」

慌てて手を上にずらす。抱きかかえているのに変わりはないけれど。

「のーぷろぶれむ、なのですよ」

そう言ってクドは僕に笑いかける。

「私はリキにこうされているのは、結構好きなわけです」

「ですから、しばらくこうしててもらってもいいでしょうか?」

意外なお願い。断る理由なんて、当然ない。

「え、あ、うん、いいけど…」

クドの体に回された腕に少しだけ力を込める。

「そしてできれば、もう少し先まで…」

「え、何か言った?」

「あ、いえ、何でもありません」

静寂が再び空気を支配する。

「………」

「………」

「リ、リキ…」

クドが口を開く。心なしか、声が上ずっているようにも思えた。

「やー、るぶりゅー、てぃびゃー…」

「…意味は、分かりますよね?」

…もちろん。

クドの言葉を借りるなら、『ぶらっくほわいと』。

「リキ…」

「こっ、こういうことを言うのは、すごく恥ずかしいのですけど」

「………」

「私の『はじめて』を、もらっていただけませんか?」

「リキと、ひとつになりたい…です」

「………え?」

今クドは何と言ったのだろうか。

僕と、ひとつに…?

「ねえ、クド」

「…それはやっぱり、『そういう』こと…だよね」

「…はい、『そういう』ことです」

どうやら冗談とか間違いとかではないらしい。クドは僕と一線を越えたいと言っているんだ。

…それに気付くと同時に、心が引き締まる。

「…いいの? 本当に」

「ずっと前から決めていたことです」

「『はじめて』をあげる相手は、リキにしようと」

「…少し違いますね」

「リキにもらってほしいと、思っていたのです」

「…だから、おっけー、なのですよ」

何かが切れる音がした。僕が僕でありながら、僕ではなくなっていく感覚。

「…僕も」

だんだんと収まりがつかなくなっていく。

「クドが、欲しい」

そうして半ば欲望に流されるように、僕はそう言った。

「わふっ…」

いつもより少し乱暴に、クドを抱き寄せる。もう理性なんかでは自分をコントロールできない。

「…やめるなら、今のうちだよ」

最後に残った理性の欠片が、もう一度決断をさせようとする。

「いえ、リキの好きにしてください」

…答えは分かっているのに。

僕はクドを、さっき敷いたばかりの布団の上に寝かせる。

「………」

緊張しているのだろう、クドは恥ずかしそうに僕から目を逸らす。

「じゃあ…いくよ」

「は、はい…いざ来られよー、です」

果し合いじゃないんだよ、クド。

心の中でいつものようにツッコミを入れながら、クドに笑いかけた。

そうするとクドも笑いかけてくれた。何と幸せなのだろうか、僕は。

そう思った瞬間、性欲なんかを越えたところで、クドを欲しいと思った。

そう、きっとそれはただ、ただ純粋に。

もう一度、僕のすきなひとの顔を見る。

笑ってはいるけど、少しだけ不安そうだ。

だいじょうぶ、できるだけ…やさしくするから。

そんな想いを乗せて、いつもよりも優しく、いつもより深くキスをした。

そうしてその夜、僕はクドとひとつになった。

何と幸せなのだろうかと、もう一度強く思った。

………。

だけど、

その幸せには、ほのかに哀しさが混じっていて。

それなのに、

僕は、気付くことさえできなかったんだ。










―Side 理樹―

「じゃあ僕はそろそろ部屋に戻るよ」

もう時間は朝と言っていいころだけど、さすがにこのまま女子寮にいるのはまずい。

「そうですか、じゃ、玄関までお見送りしますね」

「うん、よろしく」

玄関までの短い時間、僕たちはきつく手を握っていた。今という瞬間を惜しむように。

「…同じです」

不意に、クドが口を開く。

「入寮の時にも、こうしてリキをお見送りしました」

ああ、そうだったな、と僕は思う。

「でも、一つだけ違うことがあります」

「すごく大きな違い」

「今の私たちは、恋人同士です」

「…そうだね」

そう、今の僕たちは、つながっているんだ。

「リキ、ひとつだけお願いをしていいでしょうか?」

「いいよ、何?」

「…だいすき、って、言ってほしいです」

いつものような、甘えた声。その声を聞くたび、僕は実感する。

能美クドリャフカという女の子が、本当に好きなんだということを。

――だから。

「………」

「…だいすきだよ、クド」

「この世界の、誰よりもずっと」

深く噛み締めて、想いを届けた。

「…やっぱり、恥ずかしいです」

クドはそう言うけれど、優しく笑っていた。僕も自然に笑顔になる。

「では」

うん、もう帰らなくちゃね。

「しーゆーあげいん、リキ」

今度はおかしくて笑ってしまった。こんなところも、本当にクドらしくて愛おしい。

だから優しく言ってあげよう。

「それじゃお別れするみたいだよ」

「『あげいん』じゃなくて、『とぅもろー』でいいんじゃないかな」

今日はもうすぐ終わる。だけど、明日もまた会えるから。

「あはは、そうですね」

「じゃあもう一回しようか」

「しーゆーとぅもろー、クド」

「はい、しーゆー、です」

………。

クドに背を向けて少し歩いた後、なんとはなしに空を見上げてみた。

夜明けの優しいライラックブルーの空。

その空に星を見つけることはできなかった。

ふと…僕は不安になる。

いつか抱いたそれと同じ。

僕のそばにいるはずのクドがふわり、とそのライラック色に融けてしまうような不安。

目の前から飛び去ってしまう――そんな理由のない不安。

………。

そんな想像なんて馬鹿げていると、僕は思った。

そうだ。不安になることなんかない。

クドはここにいる。

…ここにいるんだ。

確かめるように、もう一度強く心に思った。

そうして前に進もうとしたとき、強烈な眠気に襲われた。

どうして、こんな…ときに…?

「すまないな、理樹」

「この先には、もう進めない」

「…タイムリミットだ」

よく知っている人の声がした。

温かく、それでいて僕から大切なものを奪っていこうとする、冷酷な声。

ねぇ、たいむりみっとって、なんのこと…?

それが僕の、この世界で最後の知覚だった。










―Side クドリャフカ―

「じゃあ僕はそろそろ部屋に戻るよ」

「そうですか、じゃ、玄関までお見送りしますね」

「うん、よろしく」

部屋を出る時、私からリキの手を握りました。離したくないから、強く握りすぎていたかもしれません。

「…同じです」

「入寮の時にも、こうしてリキをお見送りしました」

それは、まだリキのことを『直枝さん』と呼んでいた時。

「でも、一つだけ違うことがあります」

「すごく大きな違い」

「今の私たちは、恋人同士です」

確かめるように、そう言いました。

「…そうだね」

だから、リキがこう言ってくれて、すごく嬉しかったです。

玄関まではあっという間でした。

玄関――私とリキを隔てる空間。ここが私たちのお別れの場所。



         『単刀直入に言うぞ

       お前の世界は既に役目を終えている

       それでも形を保っているのは、有り体に言ってしまえばお前の我侭のせいだ

       …しかし、それももう限界だ

       明後日の朝には、この世界は跡形もなく消えてしまうだろう

       それでお前の舞台は、幕だ』




一昨日『あの人』から受けた宣告。でもこの結末は、本当は最初から台本にあったのです。



          ―今日、これから、ここで、

             『もう一度』

                だいすきなあなたと、お別れ―




でも、せめてその前に、

「リキ、ひとつだけお願いをしてもいいでしょうか?」

私の最後の思い出に、

「いいよ、何?」

そしてこの日々を一緒に過ごした証として、

「…だいすき、って、言ってほしいです」

もう一度ぶらっくほわいとを、私に。

「………」

「…だいすきだよ、クド」

「この世界の、誰よりもずっと」

「…やっぱり、恥ずかしいです」

リキの、精一杯のぶらっくほわいと。

本当は恥ずかしくなんかなく、

嬉しいけれどそれもどこか違って、

巡り巡っていくうちに、最後に残ったのは哀しさだけでした。

でも。

それでも。

これでもう、思い残すことはありません…

「では」

これ以上は私が辛くなるだけですから、早くお別れをしなければ。

「しーゆーあげいん、リキ」

私がそう言うと、リキは小さく声を出して笑いました。

「それじゃお別れするみたいだよ」

「『あげいん』じゃなくて、『とぅもろー』でいいんじゃないかな」

「あはは、そうですね」

ああ、私は、ちゃんと笑えているでしょうか…?

「じゃあもう一回しようか」

「しーゆーとぅもろー、クド」

「はい、しーゆー、です」

また、あした。ここではないどこかで、逢いましょう。

「しーゆー、です…」

………。

…足音がしました。『あの人』が来たのでしょう――終わりを告げるために。

「もう、いいのか」

「…はい」

「これ以上一緒にいると、言ってしまいそうでしたから」

――『この世界の秘密』を。

「言ってしまうと、私はこの世界の歯車ではなくなってしまう気がします」

「私は最後まで、良き歯車でありたいです」

そして次の歯車を回す――きっとそれが、私の次の仕事ミッションだから。

「だから、リキとは…」

「私のだいすきなひととは、これで、お別れです」

「そうか…」

「ひとつだけ、聞きたいことがあります」

「リキの、この世界での記憶は、どうなってしまうのでしょうか?」

「ほとんど全てを忘れてしまうだろうな。覚えていたとしても、それを自覚することはないだろう」

「そうですか…それなら、よかったです」

私との日々を忘れてくれるのなら、それで。

次の瞬間、目が眩むほどの光が射して、視界が白一色になりました。

きっと、それが終わりの瞬間だったのでしょう。

私と、リキのせk………。

……。

…。










帰り道、女子寮付近の駐車場から宅配便の軽トラックが走り去るのが見えた。

「あれ、おかしいな」

荷物の受け取りは、寮の玄関の宅配ボックスを使用するはずなんだけど。

「ん?」

広場の端っこから、頼りなくふらふらと向かってくる物体を認識する。

その物体は白地にカエルのマークをつけたダンボール箱を三つも積み重ねている。

それから一番下から白い棒っきれを2本突き出してよたよたと前進していた。

僕はなんとはなしに足を止めた。

「ふぅ、ふぅ」

僕の前を通り過ぎようとしたところでそれは歩みを止めて、荒い息をついていた。

「ふぅ…ふぅ…よし、が、がんばるぞっ」

息を整えたあとでそんな台詞が聞こえてきた。

その物体は小柄な女の子だった。背は僕の肩ぐらいまでしかない。

小さなからだを、すっぽりと白いマントが覆っている。

背中の真ん中ぐらいまで伸ばした髪の毛は緩やかに波打っている。

生成りの亜麻色を薄くしたような色合い。

その毛先がマントの生地の上をふわふわと夕方の風に吹かれて揺れていた。

僕はこの女の子のことを知っている。

能美クドリャフカ。クラスメイトだ。

いつでも明るくて、いつでも一生懸命で。

どうしてか、見ていると支えてあげたくなる。

たぶん、それがクドリャフカという女の子なのだろう。

あの亜麻色の髪の毛も、手で梳いたりするときっと気持ちがいいと思う。

………。

そういえば、僕はどうして彼女のことをこんなに知っているんだろう。

そんなによく話す方でもないし、校舎を案内したことくらいしか接点はなかったはずだ。

それでも、僕は知っている。

…どうしてだろう?

考えても、到底分かりそうになかった。

彼女に目を向けてみる。もう女子寮の玄関付近にいた。荷物は何とか部屋まで運べるだろう。

支える必要は、もうないかもしれない。

そう思った僕は、どこか悲しげな背中を横目に次の一歩を踏み出した。










あとがき

どーも、たぶん初めまして。BJです。こんな未熟な僕の作品を読んでくださった皆様、もう感謝感謝です!

クドでシリアスは書けないだろうから、あまあま路線でいこう…と思ってたのに、気がついたらシリアスになってました(笑)

そしてあまあまなところの方が書けなかったという罠。

とりあえずクドリャフカスキーな方々申し訳ありませんでした(ぉ

そしてネタがかぶってしまった感じの蒼泉市役所さんホントすいません(土下座)

しかしこれ一本に2ヶ月弱ってかかり過ぎだろ常考…

そのせいで一部推敲が極端に甘いところがあります。どうぞ指摘してやってください(ぉ

気を取り直して。

作者的には、通らざるを得ない必然的なBAD(ただしあくまでクドにとって)という位置づけのSSです。

『世界』の終末と、予定されていた別れ――

クドには過酷を強いてしまいましたが、一生懸命なひんぬーわんこなら乗り越えてくれるはず…

そう信じてこのような役を任せました。なのでそこらへんで勘弁してやってください(ぇ

何?ものすごい既視感がある? えーとですね、仕様ですとしかお答えできません。

あえて「それはデジャ・ビュです」と言い張ってみたり。え、ケフィアじゃないかって?いいえ、実はヒトデです。

「せk」ってなんじゃ? ええと、演出としかお答えd(ry

お泊まり会での理樹君の行動が理解できない? えっと、僕の語彙の問題としか(ry

他にも、「ここどうなっとるん?」とか「ここおかしいんやないん?」とかいうのがあれば、教えていただけると超嬉しいです。

前述のとおり推敲が甘いですし、何よりまだ2作目なもので…

あと、是非エンディングには「Song for friends」か「リグレット」を脳内再生してみてください。


P.S.

『巡り巡っていくうちに、最後に残ったのは哀しさだけでした。』

この一文で桜の木の下でのキスシーンを連想した人は同志だ!



ばっくとぅいんでっくす、なのですっ


専用掲示板にじゃんぷですー