傍から見ても、僕達の関係はとても良好なものだと思う。
 夏休みが明けて少し経った九月半ば、僕は西園さんと付き合い始めた。といってもそれで何かが大きく変わったわけじゃなく、野球を中心とするリトルバスターズの活動には相変わらず参加しているし、お昼を中庭で食べるのも割と以前からだ。
 休日はデートと称して映画を見に行ったり、本屋巡りをしたりもするけど、世間一般の『恋人らしいこと』っていうのはそれくらいかもしれない。
 お互いの間にあった距離が確実に縮まってるのは確かで、ただ――この場合は、健全過ぎるのが問題だった。

「……だいぶ葉も落ちてきましたね」
「あ、うん」

 秋も深まってきたからか、昼の中庭に人影はほとんどない。長袖の隙間に入り込んでくる風の冷たさに小さく身を震わせながら、僕は寄り掛かっているケヤキの枝葉を見上げた。鮮やかな色に染まった紅葉が、ひらり、ひらりと落ちてくる光景はどこか幻想的だけど、かなりの量を散らしてしまった長い枝は肌寒そうにも感じる。
 視線を戻し西園さんの方を窺うと、丁度葉の一枚が頭頂に乗ったところだった。そっと手を伸ばし、掃う。
 突然の接触に、僅かに身が引かれた。

「ごめん。葉っぱがくっついてたから」
「いえ、こちらこそすみません。ちょっとくすぐったかったので」
「……もう少しこうしてていい?」
「……構いません」

 駄目元で恥ずかしい提案をしてみたら、頷きが返ってきた。
 仄かに頬が赤い。僕も顔が熱くなったのを自覚して、誰かに見られてなくてよかったと思いつつ手のひらを動かす。
 短く切り揃えられた西園さんの髪は、女の子らしくさらさらと流れていて、指を通すのが心地良い。
 頭を撫でるように優しく梳く。ん、と微かな声を上げ、西園さんは目を細めた。
 一分ほどそうしてから手を引っ込める。

「直枝さんは、どんどん積極的になってきてますね」
「そ、そう……かな?」
「先ほど自分が恥ずかしいことを言ったという自覚はあるんですか」
「まあ、その」
「はっきり口にしてもらわないと伝わりません」
「ありましたごめんなさい」

 勢いに押されて謝ると、隣で忍び笑いが聞こえた。
 どうやらからかわれていたらしい。時折、僕の彼女は意地の悪い時がある。
 しばらくくすくすと笑みを漏らしていたけれど、不意に体重が肩に預けられて、心臓がどきりと跳ねた。
 中庭に漂う秋の草の匂いに混じった、淡いシャンプーの香りを感じる。
 そして、横顔を覗けば否応なく目に付く、閉じられた唇。

「……直枝さん」
「な、何?」
「あの……いえ、何でもありません。忘れてください」
「そんなこと言われたら余計に気になるんだけど……」
「女性に対して無闇に詮索すると、嫌われますよ?」

 そう釘を刺され、僕は口を閉ざすしかなかった。
 だから、本当は西園さんがいったいどんなことを言うつもりだったのか、その時になるまで気付けなかったのだ。
 後ろめたいような気持ちを、こちらも隠すのに必死だったから。










 休日を控えた土曜、筋トレする真人を横目に、ベッドに寝転がりながら厚手の文庫本と格闘していると、傍らに置いてあった携帯が歌い始めた。本を枕の上に伏せ、ボタンプッシュで着信音を止めて注視する。
 新着メールが一件。差出人は見るまでもなくわかった。西園さんだ。

「お、何だ、西園からか?」
「うん」

 ちらりとこっちへ視線を向けた真人にも悟られたのは、まあ、着信音が他のみんなとは違うからで。
 軽い冷やかしの言葉を聞き流しつつメールを開くと、かなり短い本文が目に入った。
 以前のあの戸惑いようを考えれば、間違えずにこうして送れるようになったのも大きな進歩だと思うんだけど、まだ完全に慣れてないからか、あるいは元々そういう書き方を好んでるからか、基本的に西園さんの文章は長くならないことが多い。顔文字も使わないし、だいたい一文しか書かれてなかったりする。
 今回も例に漏れず、タイトルは『無題』、本文は『今から中庭のケヤキの木の下まで来てください』。
 相変わらずな味気ないくらいの中身に苦笑するのと同時、どうして今なんだろう、という当然の疑問が浮かび上がった。
 カーテンを閉めてるのでどれほどかはわからないけど、もう陽はとっくに沈んで外も暗い。そろそろ消灯時間が近く、見回りだってしばらくすれば来る。決して大手を振って部屋から出られる状況じゃないのに、リスクを負ってまで呼び出しのメールを送ってきたのは何故なのか。

(……考えてても仕方ないよね)

 どちらにしろ、行かないという選択肢は思いつきもしなかった。
 これから行くねと返信し、携帯をポケットに突っ込んで立ち上がる。……と、忘れてた。伏せておいた本を手に取り、栞を挟んで閉じる。開きっぱなしだと癖が付いてしまいます、なんて怒られて以来、僕は書籍の扱いには気を配るようになった。

「ごめん真人、ちょっと外出てくるね」
「おう。あんまり遅くなんなよ。窓の方開けとくからな」
「わかった、ありがとう」

 ラフな部屋着しか身に着けてないので、夜風を凌げる厚手のものを一枚羽織る。
 やたら恭介や鈴が出入りするからと備え付けてあるサンダルを爪先に引っ掛け、僕はそっと寮を抜け出した。
 外は昼より格段に肌寒く、その代わりと言っちゃ何だけど、幸いにもほぼ全ての部屋がカーテンをぴっちり閉めていた。念のため姿勢を低くし、足音を殺しながらぐるりと迂回して校舎の方へ歩を進める。
 そういえば、肝心の西園さんはちゃんと出てこられたんだろうか。連絡をした時点で中庭にいるって可能性も考えられるし、もしその通りならかなりの時間待たせてることになる。なら急がなきゃ、と途中からは人目を気にせず走った。
 土を踏みしめる音が響き、蹴り上げた砂の欠片が足裏とサンダルの間に入ってくる。微妙な不快感を覚えるも、いちいち脱いで叩き落とす余裕はない。正門側へ回り、暗緑の木々が織り成す深い闇の奥へ、点在する非常灯の赤い光と月明かり、そして携帯のライトを頼りに飛び込んだ。
 昼に見るのとは全然違う、どこか恐ろしくもある様相。それでも、正確に道筋を記憶している僕にとっては迷うような場所じゃなく、芝生を踏み抜いた先、指定されたケヤキの木の下へ辿り着くまで、おそらく五分も掛からなかっただろう。
 枝葉の隙間から漏れ落ちる微かな月光に照らされて、西園さんはただ、立っていた。

「はぁ、はぁ、ま、待たせちゃった、よね……?」
「いえ。今回はわたしが呼び出しましたから」

 そっか、と口だけを動かして呟いてみたけれど、荒れた息のせいで言葉にならない。
 しかもサンダルで無理に走った反動か、安堵した瞬間身体の力ががくんと抜ける。
 危うく倒れかけ、膝に手を付こうとしたところで、不意に上体が支えられた。

「……直枝さん」

 たおやかな白い指が肩に触れ、気付けば鼻先に西園さんの顔がある。
 間近で見たその表情は、どこか、悲しそうだった。

「まずは落ち着いてください。座りましょう」
「服、汚れちゃうような、気もするけど……いいの?」
「構いません。多少汚れてもいいものを着てきました」

 そう言い、幹に背を預けるようにして腰を下ろす。僕も隣に並び、しばらく呼吸を整えることに専念した。

「……そんな、息が切れるほど急がなくてもよかったと思います」
「でも、今日は寒いし、待たせてるのなら悪いかなって」
「だからといってその様子では、わざわざ走ってきた意味もないでしょう」
「あー……言われてみればそうだね。結局西園さんを待たせちゃってるや」

 自分は温まったけど、と苦笑すると、投げ出してあった左手をそっと握られる。
 外気に晒されていたからか、その肌はかなり冷えていた。やっぱり、急いで来て正解だったのかもしれない。

「温かいですね。それに、わたしより大きい。こうしていると、直枝さんが男の人だと改めて感じます」
「西園さんの手は小さいよね。女の子ってみんなこうなのかな」
「さあ、どうでしょう。わたしとしては、それを直枝さんが知る日は来なければいいと願っていますが――」

 ――本当に、一瞬だった。
 言葉を返す時間すら与えられず、伸ばした僕の足の上に西園さんは跨った。柔らかな重みが腿に伝わり、否応なく、今目の前にいるのがとても可愛らしい女の子であることを思い知らされる。
 闇の中に浮かび上がる、琥珀色の瞳。震える睫毛と瑞々しい唇。
 少なくとも僕にとって、背筋にぞくりと甘い痺れが走るほどに、西園さんは美しかった。

「あなたは、優し過ぎます。優し過ぎて、残酷ですらあります」

 頬に手が添えられる。影がこちらへ落ちるのと同時、鳥の啄みにも似たキスをされ、僕は目を見開いた。
 今まで西園さんから積極的にこうしてきたことは、片手で数えられる回数しかない。
 ちろりと唇を舌で舐める姿は普段とのギャップもあって、恐ろしく扇情的だった。

「先日、わたしが何か言いかけたのを覚えてますか?」
「……うん」
「あの時口にしなかったことを言いましょう。直枝さん、わたしを子供扱いするのは止めてください」
「え……? いや、子供扱いなんて、」
「なら言い方を変えましょうか? 自分を過剰に抑えて遠慮しないでください。直枝さんが抱いている劣情は人間として自然なものです。それを否定するつもりはありませんし、可能な限り受け入れたいとも思ってます。……わたしは、あなたが考えているような無垢な存在ではないんです」
「………………」
「壊れ物のように扱われるのは、もう嫌なんですよ」

 手指を絡めるだけでも恥ずかしそうに頬を染める、いつも楚々とした西園さんのことを穢れた目で見るのには、かなり抵抗があった。一種侵し難い、神聖なものに思えて――そういう幻想を押し付けて、下劣な自分を表に出すまいと必死に取り繕ってきた。大切な何かが壊れてしまうのが、怖かった。
 傍目には確かに、僕達の関係はとても良好に映ってるんだろう。キスをするにも人目を気にして躊躇うような、健全なお付き合い。僕らの関係はプラトニックで、生々しい感情なんて必要ないんだと、そんな風に勘違いしてたんだ。
 綺麗でいようとした僕と、決して綺麗であることを望んでいなかった西園さん。僕らは通じ合ってるようで、その実ずっと擦れ違い続けていた。互いに遠慮して、ぬるま湯に浸かるのを良しとしていた。
 ちゃんと腹を割って話せば、西園さんにこんなことを言わせなくてもよかったはずなのに。
 傷付けてしまった、と思う。嫌な気持ちにもさせちゃったな、と思う。
 何より、半ば押し倒される形で、泣きそうな顔を恋人にさせている自分自身が情けなかった。

「……抱きしめて、いい?」
「聞かないでください」

 それを肯定の返事と受け止め、僕は細い背に手を伸ばした。
 華奢な身体はいつもよりも小さく見えて、愛しさが込み上げてくる。少し抱く力を強くしてみると、僅かに身じろぎしたけれど、ほとんど抵抗なく体重を委ねてくれた。密着した胸元からは心臓の鼓動を感じ、穏やかな吐息と合わさって僕を昂らせていく。今は、肌寒さも気にならなかった。

「西園さん」
「はい」
「僕は、西園さんが欲しい」
「……その言葉を、聞きたかったんです」

 抱き合ってたから、表情は窺えなかったけど。
 耳にすっと届いた囁き声は、本当に、嬉しそうだった。










 さて。
 とりあえず二人で起き上がり、向かい合って姿勢を正してみる。

「えっと、な、何をすればいいのかな」
「お見合いしていても始まらないのは間違いないですが……」
「そ、そうだよね。……どうする?」
「そこでわたしに振りますか……。そういえば直枝さん」
「なに?」
「いつまでも西園さんというのは、些か他人行儀ではないでしょうか」
「……やっぱり?」
「ですので、まず呼び名を変えましょう。直枝さん、どうぞ」
「え、う……み、美魚」

 心の準備をするのに一拍、どもりながらもどうにか口にすると、西園さんは仄かに頬を染めた。
 美魚、ともう一度呼ぶ。……何だかこっちも恥ずかしくなってきて、妙な空気を払拭するために、

「僕だけ変えるのは不公平だよ。美魚も直枝さんって言ってるよね?」
「……では、何と?」
「呼び捨てでもいいんだけど」
「わかりました。行きます。……り、理樹……さん」
「微妙に逃げたね」
「いけませんか」
「いや、いけなくはないけど……」

 でもまあ、今の僕達じゃこのくらいが限度だろう。
 呼び名に関しては、以降各自努力する、ってことで。

「にし……じゃなくて、美魚。キス、するね」

 言ったそばから間違えそうになり、誤魔化しにもならない訂正と共に告げる。今度は、同意を求めなかった。
 瞼が下りたのを確認し、すっと身を寄せて唇に触れる。表面の柔らかさと温かさのみを味わい、僅かに離れて一息、再び口付けた。嫌がられるだろうからとしてこなかった、深いキス。ぴっちりと閉じた艶やかな唇を舌で軽くつつき、強張りが抜けたのを感じて慎重に割り入る。

「ん……っ」

 初めての行為だけど、何となくこうすればいいという想像は付いた。外気と比べ熱くしっとりした口内へ侵入した僕は、美魚の舌を捉える。先端が当たり、萎縮するように引っ込むそれにアプローチを繰り返すと、やがて恐る恐るといった様子で応えてくれた。染み出る唾液が徐々に溜まり、音が立ち始める。理性を蕩かす粘ついた音。
 思わず息をするのも忘れて、しばし没頭した。

「ちゅ、っはぁ……。不思議な感じだね」
「……長く続けると、頭がぼんやりしてきます。これが、ディープキスというものですか」
「もう一回、してみる?」
「急に積極的になりましたね」
「だって、遠慮しないでくださいって言ったのは美魚だよ」
「はい。ですから、悪いとは言ってません」

 遠回しな許可の仕方に少しだけ笑みを漏らす。そして目敏い彼女が不機嫌な顔を見せるよりも早く、その口を塞いだ。
 次はより深く、激しく。涎が口端を伝って垂れるのにも構わず、僕達は濃厚な繋がりを求める。自然と手のひらを重ねる形で指が絡まり、そのまま美魚をケヤキの幹に寄り掛からせ、斜め上から押し付けるようにして口内を蹂躙していく。若干荒い動きにも不快な顔の一つもせず従い、僕が流し込んだ唾液も、こくり、こくりと喉を鳴らして飲み干した。
 キスを終え、遠ざかる。半透明のアーチがお互いの間でぷっつり切れ、美魚の顎を静かに濡らした。

「……理樹は鬼畜です」
「いきなりそれはないんじゃないかなあ……。確かに、今のは僕もちょっと遠慮すべきだったと思うけど」
「キスだけでこの調子では、後々どれほどのことをされるのか……全く以って未知数です」
「ねえ……僕、そんなに信用ない?」
「男は狼ですから。理樹に限らず、ですよ」

 そういう風に軽口を言える辺り、まだ余裕があるらしい――って、あれ?
 何だかすんなり名前呼びに慣れてるみたいだけど……。

「無理にさん付けするよりはこちらの方が呼びやすいことに気付きました」
「そうなんだ……」
「慣れれば、悪くありませんね」
「うん。やっぱり名前の方がいいなって思う」

 ――自分を、自分という存在を認められてるようで。

「もう、いいですよ。続きをしましょう」
「あんなにしといて何だけど、大丈夫? 夜とはいえ外だし、もしかしたら……」
「メールを送った時点で、覚悟はできてます」
「……そっか」

 懐から取り出した白いハンカチで口元を拭った美魚は、穏やかに微笑んだ。
 なら僕も、覚悟を決めよう。誰かに見られるかもしれない、という不安と背徳感で鼓動が速まるのを感じながら、その胸元に手を伸ばす。清潔な白いシャツのボタンを外していくと、微かに美魚が身を捩った。ただ、あからさまな抵抗はない。構わない、という意思表示。それを好意的に受け止め、さらに外して前を開いた。

「袖、抜いて」

 シャツを脱ぎ去れば、残るのは薄手のインナーが一枚と、下に透けて見えるブラジャーだけだ。
 つい注視してしまった僕に気付き、美魚は恥ずかしそうな表情を浮かべて胸を隠そうとしたけれど、腕がお腹の辺りまで上がったところで動きを止めた。信頼されていることを実感し、大丈夫、と耳元で囁く。

「あとは自分で脱ぎます」
「手伝わなくてもいいの?」
「一人で服も着られない子供じゃありませんから。それとも、どうしても自分の手で脱がせたいんですか?」
「あ、いや……そんなことは、まあ、ちょっとあるかもしれないけど」
「鬼畜なだけでなく、変態ですね」
「……ごめんなさい」

 なんてやりとりをしてる間に、インナーの裾に指が掛けられた。万歳をするような恰好ですぽりと薄布が取り払われ、控えめな双丘を包む下着が露わになる。派手な装飾のない、シンプルでシックな色とデザインのもの。下着の値段や良し悪しはわからないけど、美魚にはぴったりだと思った。

「あまりじろじろ見ないでください」
「だって、すごく似合ってるから……」
「下着姿を評価されても嬉しくないです。……それと、ホックは後ろですよ」

 うずうずしてたのを見抜かれる。わざわざ教えられたことが何だかとても恥ずかしく、頬の熱を誤魔化すように近寄って、背中へ手を回した。ゴム紐を辿り、堅い感触の留め具を見つける。解こうとして幾度か背中に触れ、冷たさとくすぐったさで小さく声を上げる姿は正直可愛かった。
 そのうち乾いた音が響き、すとんとブラジャーが美魚の膝に落ちる。もうしばらく身を寄せ合ったままでいたくもあったけど、上半身の全てを取り去った美魚が見たいという気持ちが勝って一歩分の距離を置く。

「………………」

 静寂と暗闇の中で、まばらな月明かりのみに照らされるその裸体は、一つの絵画めいた美しささえ宿していた。
 さすがに耐えられなかったのか、片腕で胸を、もう片腕で臍の辺りを覆っているものの、夜の淡い光に透き通った白い肌が、細い彼女の身体を浮かび上がらせている。全体的に痩せた印象を受けるけれど、女の子らしい柔らかな肉付き。服の上からじゃわからない、ありのままの姿に、僕は長い時間言葉を忘れた。それくらいの、感動だった。

「……胸」
「え?」
「わたしの胸、小さいでしょう。幻滅しましたか?」
「ち、違うよっ」
「ならどうして呆然としてたんですか」
「その……見惚れてた。すごく綺麗で、なんていうか、嬉しくて」
「嬉しい?」
「うん。言葉にするのは難しいんだけどさ、嬉しいんだ」
「わかるような気はします。わたしも、勿論恥ずかしいですが、不思議と嫌ではありません。理樹だから、ですね」

 そう言って、美魚は僕の手をおもむろに掴む。
 戸惑いを覚えたのは一瞬、躊躇いなく左胸に導かれ、隠すものがないそこへ手のひらを押し当てる形になった。
 とくん、とくん。肌で直接命の音を聴く。僕と同じ、少し早く、でもどこか穏やかな調子。
 美魚のもう片方の手が、こっちの胸に触れた。
 ――そうして僕らは、心を共有する。

「控え目だ」
「揉めるほどないのは自覚してます」
「でも、好きだよ。柔らかくてあったかくて、ドキドキしてる」
「……しないわけ、ないじゃないですか」

 喜びが、際限なく膨らんでいくようだった。
 服を着たままの僕が風除けの役割を果たしつつ、薄い胸に指を這わせた。癖になりそうなくらい滑らかな肌触りを堪能していると、次第に美魚の唇から甘い声が漏れ始めてくる。

「ん、ぅ……っく、はぁ……っ、ぁ……」
「痛くはない?」
「平気です、けど、背筋がぞくぞくして……んんっ」

 なだらかな双丘を丹念に撫で擦り、時折突起を軽く弾き、手の中で転がす。その度にぴくりと震えては小さく首を横に振る美魚が本当にいじらしくて、僕は今にも千切れそうな理性を保つのに必死だった。気を抜けばすぐ、滅茶苦茶にしてやりたい衝動に駆られる。これまでの人生で一番激しく実感する、男であるが故の本能。
 聞きかじりの知識を総動員しながら、この先どうすればいいのかを考えた。未知過ぎて明確な想像ができないけれど、自分達が最終的に為そうとしているのはどういうことか、一応理解してるつもりだ。
 だからこそ、絶対に焦りたくはない。遠慮しないのと無理をさせるのは、違うから。
 名残惜しい気持ちを振り切って、彼女の膨らみから手を離す。あ、と風に掻き消されそうな囁き声がふと聞こえ、目の前で美魚が慌てて己の口を塞いだ。無意識のうちにこぼれたものらしく、熟れた林檎のように顔を真っ赤に染める。

「もしかして、美魚……」
「言ったら怒りますよ。気のせいです。幻聴です。理樹の聞き間違いです」
「わかった、わかったから拳を握らないでっ」
「罰としてそちらも脱いでください。わたしだけなのは不公平、でしょう?」

 名前の時の意趣返しだとはすぐ気付いた。そんな風に言われたら拒否するわけにもいかない。
 ボタンもない簡素な上着なので、腕と首を抜くだけですんなり脱げる。結果、ものの二十秒で僕も半裸になった。
 うう……ちょっと視線が痛い。

「ど、どう?」
「意外と逞しいと言いますか……見た目ほど弱々しくはないんですよね」
「野球の練習は続けてるし、たまに真人の筋トレにも付き合うから」
「適度な運動が秘訣、ですか。ですが、井ノ原さんみたいには何があってもならないでください。そうなったら別れます」
「いや、頼まれても無理だと思うけど……まあ、わかった」
「約束ですよ。……触っても?」
「えっと……どうぞ」

 返事代わりに、指の腹が鎖骨の少し下に当たり、軽い力で押し込んできた。闇に灯る明かりにも似た、仄かなぬくもりを感じる。それは水月を通り、臍の上を跨ぐようにして、腹下まで一本の線を描き、ズボンのホックに辿り着いて止まった。
 そこで今更思い出す。あからさま過ぎるほどに、その付近が盛り上がっていることを。
 我ながら驚くくらいの速度で、さーっと血の気が引いていくのがわかった。

「あ、そ、それは、あの、ほら、そう、錯覚! 錯覚だよ!」
「自分で言ったら認めてるも同然だと思いますよ?」
「どうか見なかったことには……」
「無理です。そもそも、これからすることを考えれば、恥ずかしがっても仕方ないのでは」
「それは、そうだけど」
「ということで、下も脱ぎましょう」
「え、あっ、ちょっ」

 ささやかな抵抗も虚しく、留め具を外されチャックも降ろされ、一瞬の間を置いて下着まで全て剥かれた。
 押さえを失い、閉じ込められていた僕のモノが屹立する。膨張し硬度を得たそれは、冷えた大気に触れても萎びることなく、醜悪な姿を美魚の前に堂々と晒した。興味と好奇の視線が注がれ、すぐにでも両手で隠したくなったけど、彼女は許してくれなかった。
 指が、絡められる。弱い力で握られ、喉の奥から息が漏れた。

「温かい……というより、熱いですね。なるほど、男の人のはこうなっているのですか」
「冷静に分析しないでよ……っ!」

 羞恥の気持ちを堪えて訴えるも、目の前の光景には興奮してしまう自分がいるのも確かだった。
 性的な物事とは最も縁遠いように見える美魚が、グロテスクな肉棒を、しかも僕のを掴んでいる。
 そう認識するだけで、下半身の剛直はさらに硬さを増した。
 勿論、こっちの様子は悟られる。文字通り手の内だし。

「これは、わたし相手に興奮してると思っていいんでしょうか」
「答えなきゃだめ?」
「強制はしません。ですが、そうしていただけると嬉しいです」
「う……うん、美魚だから、だよ」

 自分から振ったのにもかかわらず、紅潮して俯く様子が愛おしい。
 次第に恥ずかしさも薄れてきて、もう他に見せるもののない僕は余裕すら持てるようになった。
 肉棒に掛かった指をそっと解き、手は使わず顔だけ寄せて口付ける。鳥が花の甘い蜜を啄んで吸うように数度、ちゅっ、ちゅっ、と触れて、最後に舌を差し込む。脳に直接届いて思考を痺れさせる、官能の味。
 キスをしながら、僕の側に向かって投げ出された足と腰を覆う、最後の砦に手を付けた。あまり肌の露出をしたがらない彼女のロングスカート、そのホックを探り当てようとすると、横から僕と同じくらい冷たい手指が伸びてきて、添えられる。案内された箇所に金属の感触を見つけ外すことで、腰回りの締め付けが緩まった。問いも、合図も要らない。僅かに尻が浮いたのに合わせ、スカートを抜く。上半身と同じく、陽に当たってないからか眩しいくらいに白い腿が目に入った。
 胸と並び女性の象徴である秘所を包む下着は、ブラジャーとお揃いのものだ。清楚さと可愛らしさの中間を行く薄布にも指を掛け、そこで気付く。もじもじと擦り合わせる股の間、おそらく美魚のそれが秘められている位置に、少しとは言えない湿り気が存在している。
 ……濡れてる。
 その事実に僕は、たったひとことでは表せない感情を抱いた。心臓が激しく跳ね上がり、頭がくらくらし、ぐちゃぐちゃになった何かが溶け合っていく。本能と理性、愛と性欲――今、僕が美魚を感じさせられている。
 そんなことが、本当に、できてるんだ。
 無言で下着を取り去り、僕もまだ中途半端にしか脱いでなかったズボンとトランクスを足から抜いて、お互い完全に一糸纏わぬ姿になる。遮るもののない身体に秋の夜風は些か厳しい。誰かに見られるかもしれない可能性も考えれば、長々とこうしていてもデメリットしかないだろう。焦らず、でも急いで。僕達は事を為さなきゃならない。

「これからどうするのか、美魚はわかってる?」
「はい。激しい痛みを伴うことも、知識としては知っています」
「辛かったら言って。でも、遠慮はしないからね」

 それが、彼女の望んだことだから。

「ひとつだけ、いいですか」
「……なに?」
「わたしの名前を呼んでください。そして、愛してください。他の誰でもない、わたしを。西園美魚を。そうすればきっと、どんな痛みにも耐えられます。あなたがいる限り、あなたがわたしをわたしだと言ってくれる限り、何もかもを、受け入れられます」

 僕は、美魚を。
 美魚は、僕を。
 ここに繋ぎ止める、楔だ。

「いくよ、美魚」
「きてください、理樹」

 距離を詰め、慎重に逸物を秘唇へ宛がう。挿入しやすいようにと美魚が二本の指で入口を軽く開き、鮮烈な肉の色に一瞬眩暈を覚えつつ、まずは先端を沈めた。分泌された愛液と陰唇が持つ、外気とは断絶した人体の熱に理性がじりじりと炙られるけど、速度を上げず、ゆっくり、ゆっくり進んでいく。
 寒さを紛らわすために強く抱き合い、美魚の腰を後ろから引く形でまた少し。肉棒が幹を奥に埋めていく度、鼻に掛かった甘やかな声が僕の鼓膜をくすぐる。ただ、時折苦しそうにも呻いて、彼女は重い息を何度も吐いた。
 はっきり言えば、中はきつい。潤滑液も溢れるほどには流れてなくて、突き出す毎に柔らかい肉を擦る感覚がある。
 ……それでも美魚は、来てくださいと言った。なら僕にできるのはきっと、迷わないことだけ。
 薄い何かに鈴口が当たる。ともすれば容易く突き破れそうにも思える膜。
 これまで誰の侵入も許したことがないという、純潔の証。

「心の準備はいい?」
「覚悟は……」
「できてる、でしょ?」
「……わかってるなら訊かなくてもいいでしょう」
「大事なことだから、ね」

 背を叩く。安心して僕に委ねて、と。そうすることで、僅かな身体の強張りが抜けた気がした。
 一息。ぐっと強く腰を押し出し、

「あ、ぐ……っ! ひっ、ぁ、っは、っあぁぁ……はぁ、はぁ、はぁ」
「美魚、入ったよ」
「言われ、なく、ても……っ、んちゅ、ちゅく……ちゅぱっ、ん、んふ……ぷは、ぁむ……」

 ちょっとでも痛みを忘れられればと思い、強引にキスをする。奥に到達した肉棒はぎゅうぎゅうと膣壁に締め付けられ、微かに滲んだ愛液が辛うじて動きやすい状況を作ってくれていた。
 唇を離し、瞳に浮かんだ雫を舌で掬い取る。刺激的な塩味に眉を顰め、再び口付け。執拗に求め、快感を高めることで徐々に膣内の滑りを良くしていこうと、しばらくそれだけに集中する。
 果たして、愛液はその分泌量をじわじわと増していった。……これで、大丈夫なはず。

「もう、動いても、大丈夫だと思います」
「僕もそうしようと思ってた。けど、美魚にも気持ち良くなってほしいから……痛いだけだったら教えて」
「心配は、要りません。理樹が相手なら、痛くても、幸せですから」
「……そっか。じゃあ、動くね」

 抱き合ったまま緩やかに。日中、服を着てる時は柔らかい、けれども今はちくちく肌を刺す芝生の草の上で、僕達は淫らな音を響かせる。本当はもっと何か言いたかったけど、優しくするよ、とか、そういう言葉を掛けようかとも考えたけど、結局気休めにしかならないと気付いた。美魚の、女の子の匂いに混じった鉄錆めいた血の香りを感じ、僕は破瓜の痛みを想像する。でもそれは、男には絶対わかりようのないもので、こうして繋がってても、一つになることができていても、僕らはどうしようもなく別々の存在だ。苦痛も、快楽も、僕は僕の、美魚は美魚のものでしかない。
 ――そんなことは、みんな知ってるんだ。

「くっ、ん、あぁっ、あ、んうぅ……っ、あっ、理樹、のが、さらに大きくっ」

 喉に詰まったような吐息が、次第に熱を帯びてくる。結合部から溢れる蜜は加速的に増加し、水音もより激しくなっていく。
 違ってたって構わない。だからこそこうしていられる。愛しい人を抱きしめて、重なり合える。何もかも、分かち合える。
 限界まで膨らんだ剛直で抽挿する毎に、なけなしの理性を削られる気がした。なのに不思議と我を忘れてしまいそうになることはなく、最初と変わらないペースを保っていられた。
 着実に近付いてくる終わりの予兆。モノの根元に溜まり続ける射精感。
 それらを全て意思だけで抑え込み、何度も、何度も、ひたすらに突き入れる。

「理樹、理樹、ふあぁっ、理樹、好きです、好き、りきぃっ!」
「うくっ、美魚、美魚、愛してる、みおっ!」

 僕達は互いを認める。ただ名前を呼ぶことで、そばにいる。
 一緒に。ここに。最後まで、ずっと。
 膣奥を貫く勢いで挿入した瞬間、爆発的な衝動が下腹部を襲った。堤防の決壊を察知し、残りの気力を振り絞って僕は肉棒を引き抜く。ずるりと愛液を纏ったそれが外に出たところで、鈴口から白濁が噴き出した。射精の反動で暴れながら、美魚の腿や秘唇を汚していく。腕の中で、絶頂を迎えた彼女はくたりと僕にしなだれかかった。
 何とも言えない性交の名残をしばし味わっていると、ゆっくり美魚が頭を持ち上げる。

「……平気?」
「そんなはず、ないでしょう」
「だよね……。まだ動けない?」
「考えが、まとまりません。それに、まだ身体が、敏感で……んっ」
「じゃあもうちょっと、このままでいよっか」
「はい」

 そう呟き、頷いた美魚が微かに震えるのを見て、きゅっと抱きしめる力を強くした。

「寒い?」
「ここでいいえと答えたら、どうしますか」
「僕が寒いから離さない」
「……ずるいですね。それではどちらにしても変わりません」
「ほら、今日は遠慮しないでって頼まれたから」
「……ふふ、そういえばそうでした」

 ならわたしも、少しくらい甘えてみますか、なんて。
 密着した美魚の身体は、とても、あったかかった。










 未開封のポケットティッシュ二つ。
 僕のモノは勿論、美魚の股や腿をぐちょぐちょに濡らしていた諸々の粘液をお互い懐に忍ばせていたそれで拭き取り、使い終わったティッシュを持って帰るのには抵抗があったけど仕方なくこっちがズボンのポケットに突っ込んで、ついでに最低限の証拠隠滅をした後に、そろそろと中庭を去った。
 暗い木々の群れを抜ければ、広い空が見える。寮までは歩いて五分も掛からないから、自然と足取りは遅くなる。
 何かを口にするのは恥ずかしい雰囲気だけど、なるべく二人でいたい、って気持ちは同じだった。
 ……まあ、僕はともかく、美魚は歩きにくそうにしてるし。

「こんなことなら、替えの下着を持ってくるべきでした」
「でも、下着片手に寮出たりなんかしたら怪しんでくれって言ってるみたいじゃないかな……」
「隙を見て懐に仕舞えばいいでしょう。多少のリスクを考えても、充分メリットはあります」

 月明かりに照らされてひらひらと揺れるロングスカートの下、今彼女が穿いている下着は、困ったことに湿ってるわけで。
 初めて僕を受け入れたのもあって、不快な感覚が纏わり付いてるらしい。あからさまに不機嫌そうな顔を浮かべる美魚はやっぱり可愛いと思うけれど、言ったら睨まれるのが目に見えてるので、心の中で小さく笑うだけに留めた。
 くすぐったいひととき。繋がってた時間とはまた違う、穏やかで幸せな帰り道。

「理樹」
「ん、どうしたの?」
「その……気持ち、良かったですか?」
「あー、えっと、それは…………うん。正直、すっごく」
「なら満足です」
「え? あれ、美魚は? 美魚はどうなの?」
「……女の子の口から言わせたいんですか、あなたは」

 今日も何度かずるいって言われたけど、本当にずるいのはそっちじゃないんだろうか。
 とはいえ、答えは聞かなくてもわかってるからそれ以上追及しない。僕達はちゃんと通じ合ってる。

「……ねえ、美魚」
「何ですか、理樹」
「そろそろ女子寮だね」
「はい。名残惜しいですけど、お別れです」

 例え『あを』と『白』は混ざらなくても。交わらなくても――

「キス、しよっか」
「……わたしも、言おうと思ってました」

 ――こうして簡単に、解り合えるんだから。



 隠すことなんてない。
 深い海のような夜空の青に満たされて、僕らの影は堂々と重なった。










 あとがき

 30KBのために十日近く掛かった辺り、我ながらかなり苦戦したんだなぁ、と思います。
 最初の5KBはすんなりできたんですが、中盤がとにかく進まなかった。クドほど想像がきっちりしてなかったからか、素手でぶつかりまくってどうにか突破した感じです。たぶん読んでみれば苦心の跡が窺えるんじゃないかと。
 何となく、西園さんって手を出し難いイメージがありますよね。清廉というか、下劣な欲望で汚すのを躊躇っちゃう。けれども彼女も一人の女の子であることに変わりはなくて、理樹君と付き合い始めたらいつかそういうことだって考えるでしょう。薄い本のおかげで間違いなく耳年増な西園さんだって、きっとあれこれ妄想するに違いありません。幻想ですけど。幻想ですけど! ……とまあ、そんな経緯から擦れ違う可能性を孕んでる、とも思うわけですよ。
 西園さんシナリオで、人間は本質的に孤独だ、という(ような)テーマを見ることができますが、結局のところどこまで好きでも、愛してても、解り合おうとしても、相手そのものにはなれないのです。決定的な断絶が自己と他者の間には存在してる。
 それでも私達が一人でいようとしないのは、きっとそばにいることで色々な物を得られるからなんですよね。
 何の障害も間違いもなく素敵な関係だけが続いていくより、喧嘩したり挫折したり、そういう苦難を一緒に乗り越えていく方が、とっても人間らしいんじゃないか、なんて、私はよく感じます。
 あ、エロ的な部分はおそらく前回(あいうぃっしゅーしゅありぃとぅもろー)と比べて劣化してます。エクスタシー(公式)で掲げられている『初々しさ』をなるべく表現しようと頑張ってみましたけど、そもそも初体験が野外プレイって時点で何か致命的なところを間違えてる気がします。みおちん実は結構えろい説。ごめん嘘です。
 美鳥に関する描写を敢えて出さなかったのは、これが虚構世界じゃない、現実だから。西園さんはおぼろげに妹と別れを告げたことを覚えてるけど、理樹君は彼女に話を聞いただけ、という裏設定があったり。もう片付いた問題なのです。
 もうひとつ。あとがき考えながら付けたタイトルは、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』より。
 特に意味はありません……あっ、ごめん、石投げないでっ!

 うんうん唸って書き続けましたが、多少は技能が上がって……ればいいなぁ。
 冷却終わったらまた次の子、行ってみます。



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何かあったらどーぞ。



めーるふぉーむ


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