見上げた空に雲がないのを確認して、僕は安堵の吐息を漏らした。
 時刻は夜更け、場所は中庭の渡り廊下。木々に阻まれて全天とはいかないけれど、曇らないことがわかれば充分だ。

「理樹君、あの、待った?」
「ううん。さっき来たところ」

 視線を下ろすと、目の前に布の袋と毛布を持った小毬さんがいた。ささやかな嘘を吐き、微笑みを向ける。そっかー、といつも通りの柔らかい笑みが返ってきて、ほんの少し胸の中にあった夜に対する恐れが薄まったのを感じた。
 そうして僕達は闇に紛れて歩き出す。声を潜め、足音を殺し、当たりの様子を窺いながら慎重に進む。
 事前の調べで、第二美術室にセキュリティがないことはわかっている。恭介と来ヶ谷さんの力を借り、事前に外から窓のロックを開けられる簡単な仕掛けを用意しておいた。そこからこっそり校舎に侵入。僕が先行し、スカートを履いてる小毬さんが後に続く、という形で。
 窓の付近に飾ってあるものを壊さないよう気を付けて着地すると、乾いた音が厭に響いた。それだけで心臓がどくんと跳ねる。ここまで夜遅くなら宿直の先生も見回りを終えているだろうけど、不審者に気付けばすぐにでも飛んでくるはずだ。見つかるわけにはいかない――そんな緊張感が身を固くして、自然足取りも重くなる。
 見慣れたはずの廊下は、昼のものと全く違う様相を呈していた。勿論電気は点けられないし、万が一のことを考えれば携帯のライトだって使えない。非常口を示す緑の蛍光灯と、ところどころに設置されている非常灯の赤い光、そして微かに射し込む淡い月明かりだけが頼れる光源で、深い闇の中を僕らは手探りで進むしかなかった。

「……肝試しの時より怖いね」
「でも、理樹君がいるからだいじょーぶ、ですよ」

 そう言って小毬さんは繋いだ手をきゅっと握り直す。歩き難くなる代わりに、恐怖と緊張は薄れてくれた。
 一階の階段に差し掛かり、まずは一歩。躓かないよう慎重に、ゆっくり上を目指していく。
 途中小毬さんが踏む段を間違えて転びかけたけど、上から引っ張ってどうにか怪我をさせずに済んだ。囁き声で感謝の言葉を告げられ、何となく微笑ましい気持ちになってちょっと足が軽くなる。
 四階まで来れば、誰かに見つかって咎められる可能性はほとんどない。その先、今は未使用の机と椅子が並べられている踊り場を、非常口のものと同じ緑色の光がうっすらと照らしていた。
 二人して顔を見合わせ、安堵の表情を揃って浮かべる。

「小毬さん、ドライバーは?」
「ちゃんとあるよ〜」

 訊ねるとポケットから細身のプラスドライバーを取り出し、僕に手渡してくれた。閉ざされた屋上の扉の横、本来は決して開かないはずの窓を固定する木ネジを必要な分だけ外して、なくならないようわかりやすい桟の部分に置いておく。あとは手で軽く押せば、人一人分程度の通れる隙間ができる。すぐそこから拝借した椅子を足場に、頭を前にして身を乗り出した。
 途端、頬に触れる冷たい風。肌掛け用に毛布を持ってきてもらって正解だったな、と思いつつ、小さく跳躍する。

「荷物先に受け取るよ」
「あ、うん。お願いしますっ」

 主にお菓子が詰まった袋(ビニール袋じゃないのは、がさごそ音がして見つかりそうな気がするかららしい)は、随分膨らんでいて意外に重かった。毛布の方は薄手で軽い。広げれば場所を取りそうだけど、きっちり畳んであるのでさほど邪魔にはならない。それを普段の定位置へと運んでいる間に、小毬さんも屋上に踏み入る。
 中庭で見上げた時よりも、ずっと空が近かった。

「雲ひとつないね。星も綺麗だよー……わ、ねえ理樹君、あっち」

 フェンスに寄った小毬さんを追って、隣に並ぶ。彼女が指差す遠くの場所を見渡すと、そこにあるのは家々が灯す町の光。海抜の高いここからしか見られないだろう、地上の星だ。
 しばし僕はその景色から目を離せず、ぼんやりと眺め続けた。胸の中で、僅かに滲む既視感を飲み込みながら。
 ――流星群、見に行きませんかっ?
 そんな提案を聞いたのが先日のこと。冬を間近に控えた十一月半ば、小毬さんの話では、一時期新聞やテレビで騒がれたしし座流星群がもうすぐ出現するそうだった。昔ニュースで見た覚えのある、夜空を埋め尽くす流星雨が降る日。いつもとは違ったデートの誘いに、その時の僕は少しうきうきして頷いた。
 夜の学校に忍び込むのはリスクの高い行為だってわかっていたけど、よく考えたら恭介達と既に何度もやってる。正直、提案に対して躊躇いや迷いはほとんど持たなかった。結果的に僕はこっそり座布団を持参し、小毬さんは大量のお菓子と毛布を抱えて、見事ミッションコンプリート。こうして眼下に視線を向けている。

「風、強いけど、寒くない?」
「へ? あっ、えっと……その、実は、ちょっと」
「じゃあしばらく毛布に包まってようか。予定の時間まではまだあるんだよね?」

 高所に吹く、下から煽るような風は結構な勢いで、何も掴んでいない手はだいぶ冷えていた。
 吐く息も気の所為でなければ白く煙っている。かしゃんと指でフェンスを揺らすと、携帯の画面で時刻をチェックしていた小毬さんは頷いた。どちらからともなくまた手を繋ぎ、荷物を置いた場所に戻る。

「実はこんなこともあろうかと、ホットなこーしーを持ってきました」
「一杯もらってもいいかな」
「もちろん、ですよ〜。紙コップ紙コップ……あったっ。はい理樹君、これ持っててー」

 中空に掲げたコップへと、湯気を立てる液体が注がれていく。
 ブラックじゃない。白の混ざった色……カフェオレだ。苦いものがあまり飲めない小毬さんらしいセレクト。
 軽く口に含めば、仄かな苦味とそれ以上の甘味が広がった。来るまでに汗も掻いたので、喉を潤す水分が心地良い。
 ただ、結構熱くてちびちびとしか舌を付けられないけど。

「はぁ〜……あったかくておいしい」
「これ、小毬さんが作ったの?」
「そうだよー。パックのこーしーにミルクとお砂糖をたっぷり入れた、私特製なのです」
「なるほど、だからこんな甘いんだね」
「理樹君はもうちょっと薄味の方がよかった?」
「ううん、これくらいで丁度いいよ。身体がすごくあったまる」

 また一口飲んで紙コップを床に置き、傍らの毛布を後ろ手で被る。半分は小毬さんの背中に掛け、僕は少し肩を寄せた。
 互いの服が擦れて、布越しにほんのりと熱を感じる。真横から微かに漂ってくる、柔らかな髪の匂い。
 がさがさとポテトチップスの袋を取り出して開けようとする小毬さんを注視していると、視線に気付いたのか恥ずかしそうに頬を染めた。相変わらずこういうのには慣れてないんだな、と苦笑し、懐に仕舞った携帯のディスプレイを見やる。……そろそろ、日が変わりそうだった。

「もうすぐ、かな」
「確か、十二時過ぎに降り始めるって――」

 一瞬。
 夜空の端を、何かが横切った気がした。

「……理樹君、今の、見た?」
「小毬さんも?」
「うん。もしかして……あれだよね」
「あ、また見えたよ」

 今度はよりはっきりと光が流れる。本当に短い間だけど、白色の尾がうっすらと軌跡を残してなだらかな曲線を描いた。
 肉眼で確認できる明度のそれは、秒単位で徐々に量を増し、やがて雨のように無数の流星となって空を埋め尽くす。

「……すごい、きれいだ」

 思わず呟き、でも僕は他の言葉を発することができなかった。
 どんな形容も陳腐になってしまいそうで、この夢みたいな光景をしばし呆然と眺め続ける。
 そうしてふと横に目をやると、小毬さんが光を辿りながら、小さく唇を動かしていた。
 ……これからもお菓子がたくさん食べられますように。
 一気に力が抜けた。

「……小毬さん、何願ってるのさ」
「えっと、その……こんなにいっぱい流れ星があるなら、それだけ願い事も叶うかな、って思ったんだ」
「にしたって今のはないんじゃないかな……」
「も、もしかして、聞こえてた?」
「これからもお菓子がたくさん食べられますように、だよね」
「あ、あのね? それは別に私が食いしん坊だからってわけじゃなくて、なんというか理樹君と一緒にお菓子食べる時間はすっごく好きだし、りんちゃんとも食べるのは大好きで、もちろんみんなと食べられたら幸せだから、そういう日が変わらず来ればいいなーとか……」
「そんな慌てて弁解しなくても、僕は気にしないよ。小毬さんが食いしん坊だって」
「うぅ……理樹君いじわるだよ〜……」

 ぷくー、とほっぺを膨らませる姿が可愛くて、つい笑ってしまった。
 あんまり機嫌を損ねるわけにもいかないから、ごめんね、と謝って顔を寄せる。
 誤魔化しも含めた触れるだけのキスは、微かにカフェオレの味がした。甘くてほろ苦い、大人と子供の中間めいた味。

「他の願い事は、考えた?」
「お勉強がもっとできますようにとか、何もないところで転びませんようにとか」
「あはは、小毬さんらしいね」
「むー。それって私がよく転ぶ子だって言われてるみたい。じゃあ理樹君の願い事は?」
「僕? うーん……みんなといつまでも仲良くいられますように、かな」

 一緒に、とは言わない。現実にそれは叶わないことだと知っているから。
 もう半年もない先の話、恭介の卒業を皮切りに、僕らは次第に疎遠になっていくだろう。
 ただ、離れ離れになっても、何かが大きく変わっても、みんなの間にある絆は揺らがないでほしいと思う。
 星に願ったりするようなことじゃ、ないのかもしれないけど。

「だいじょーぶ、理樹君がそう願ってるなら、きっと叶うよ」
「……だといいな」
「私もお願いしてみるね。みんなといつまでも、仲良くいられますように」

 文字通り星の数ほどあって、どれに祈ればいいのかわからない。でも、こうしてればどこかに届く気がする。
 手を組み、目は閉じ、小さく三回、早口で。僕達は二人分の願い事を、夜空に向けて囁いた。
 十数度繰り返して少しだけ俯けた顔を上げる。寒さに身を震わせて、小毬さんは平気かなと視線を移すと、まだ祈っていた。声が小さ過ぎて聞き取れない。最後の文句が「ますように」じゃないことまでは判別できたけど、他はわからなかった。

「ねえ、小毬さん――」
「理樹君。カフェオレ、もう一杯要る?」
「あ、うん。もらうね」
「わかったよ〜。はい、こぽこぽーっと」

 訊いてみようかと口を開きかけた瞬間、そう問われて頷く。残っていた分を飲み干し、新たに注がれたものに唇を付けて、さっきのはだいぶ冷えてたということに今更ながら気付いた。
 未だ降り注ぐ流星群は、心なしか勢いが弱まったように見える。

「あとどのくらいで止んじゃうのかな」
「一時間……は持ちそうにないよね」

 言葉が途切れた間に受け取ったチョコレートを舌で転がしつつ、一息。

「小毬さんは、まだ眠くない?」
「うん、平気だよ〜。カフェオレもまだまだあるし」
「たぶんそれはあんまり効果期待できないんじゃないかな……」
「理樹君こそ眠くないの?」
「たまに夜更かししてるから。小毬さんほど寝付き良くないし、恭介に引っ張り回されたことも何度かあって」
「そっかぁ……。ならもうちょっといられるね」
「小毬さんさえ大丈夫なら」

 ……あ、そういえば、トイレは問題ないんだろうか。
 けれどもそんなことを言うわけにもいかず、何となく勝手に気まずさを覚えてそっぽを向いた僕の肩に、体重が預けられる。柔らかな匂いが強くなって一瞬どきっとし、もしかして寝ちゃったのかと様子を窺ってみたところで、

「ね、理樹君。もしもの話をしませんか?」
「もしも?」
「うん。三年生になって、がんばって勉強して、二人とも進学できたら、どこかに部屋を借りて住むの」
「いきなり同棲って、随分大胆だね」
「もう、茶化しちゃだめだよ〜」
「ごめんごめん。部屋っていうと……アパートの一室かな。バイトしながら、狭いけど一緒に暮らして……」
「私がご飯を作って、帰ってきた理樹君におかえりを言うの」
「そしたら僕はただいまって言って、小毬さんの作ってくれたご飯を食べるんだね」
「夜はひとつのお布団で並んで寝て……私は理樹君に抱きしめてもらって、それで……」
「……えっと」
「あ、そう! 子供は何人がいいかな!?」
「……ふ、ふたり? 男の子と女の子、とか……ずっと先の話、だろうけど」

 物凄く妙な空気になった。
 この状況、会話の流れじゃ、どうしてもこう、色々想像しちゃうというか。
 互いに俯いたまま、けれど先に顔を上げたのは小毬さんの方だった。

「今のはちょっと大胆だって自分でも思うけど……でもね、私は卒業しても、理樹君と一緒にいたいな。お互い近くに住んでみるとか、週に一度は必ず会うようにするとか、それくらいでいいの」
「…………うん」
「みんな離れ離れになっても、いろんなことが変わっても、私はずっと理樹君が好きだから」
「ここで、僕もだよ、って言ったら、嘘臭く聞こえちゃうかな」
「ううん。理樹君の言葉なら、信じられるよ」

 未来や人の心――そういう見えないものを信じるのは、きっとすごく難しくて。
 でも、それでも信じてくれるのなら、僕はちゃんと応えなきゃいけないと思う。

「……小毬さん。僕と、これからも一緒にいてください」
「はいっ。こちらこそ、これからもよろしくお願いします、あうっ」

 毛布を被ったまま、正対して頭を下げ合ったものだから、かなりの勢いで額をぶつけた。
 何というか、肝心なところで決まらないのは小毬さんらしいっちゃらしいのかもしれない。

「うう〜……理樹君、石頭だよ〜」
「いや、こっちもかなり痛いんだけど……」

 瞳に涙を浮かべるくらいのダメージなようで、仕方ないなあと頬を緩ませた僕はそっと手を伸ばした。
 仄かに赤くなった患部を優しく擦り、くすぐったそうな顔をする小毬さんに苦笑する。
 しばらくそうしていると、もういいよぅ、と羞恥混じりの小さな声が返ってきた。

「なんだか子供扱いされてるみたい」
「気のせいだって」
「じゃ、じゃあ、キス、してもいい……かな」

 答える代わりに目を閉じる。珍しい、小毬さんからの申し出。
 一秒待って、唇に柔らかな感触が来た。まずは触れるだけ、そしてそっと舌が差し込まれ、僕の口を開こうとする。逆らわず受け入れ、するがままに任せた。たどたどしい動きで歯茎や頬の裏側をつつき、躊躇いがちに舌を絡めてくるその懸命さに、情欲が底から湧き上がってくる。
 ギリギリのラインで自分を抑えつつ、こっちも小毬さんを求めた。初めはおずおずと、やがて拙くも積極的に、僕らは互いの間で水音を響かせる。子供はこんなことを決してしないなと思いながら。

「んぅ、はぁ……息するの、忘れてた」
「今まで何度もしてるのに?」
「もう、今日の理樹君は本当にいじわるだよ〜」

 糸を引いて離れるのと同時、そんな文句が飛んでくる。僕も自覚はあるので、反論はしなかった。
 目の前の小毬さんは瞳を潤ませていて、普段のほんわかした雰囲気に混じって艶やかさを感じる。否応なく意識してしまい、身体の芯が疼いた。濡れた唇、紅潮した頬、決して小さくはない胸の双丘。無意識のうちに視線が下り、臍の辺りで止まって、ふと以前見た小毬さんのお腹を僕は思い浮かべた。一人無防備に眠ってた時のあどけない姿と、外気に晒された滑らかな肌。捲れ上がった服を起こさないよう直そうとした傍ら、ほんの一瞬だけ、性的な想像をしたことを。
 あの時、慌てて跳ね起きた小毬さんは、なんて言ったんだったっけ。

「……あ、そうだ」
「どうしたの?」
「ほら、前に小毬さんがお臍丸出しで寝てたことあったでしょ。僕が触った途端にがばって起きて」
「ああう……恥ずかしいこと思い出させないで〜……」
「いやさ、その時小毬さんが、ちゃんと順序を踏んで、少しずつじゃないと、って物凄い勘違いしてくれたよね。まあ勘違いはともかく、あれから付き合うようになってだいぶ経つけど、僕達はどこまで来たのかなって思ったんだ」
「それは……えーとかびーとかしーとか?」
「小毬さん、意味わかって言ってる?」
「ふえ?」

 ああ、その顔は絶対わかってない……。
 でもあながち間違ってないから返し難いというか。

「だから、えっと……我ながら自惚れてると思うけど、勘違いだったらすっごい恥ずかしいんだけど、さ」

 さっきの、例え話で出た言葉。
 ひとつの布団で並んで寝て、僕が小毬さんを抱きしめて、それで、どうするか。
 濁した先の部分は、もしかしたら、同じことを考えてたんじゃないか、なんて。

「小毬さんも、僕と、し、したいって思ってる……のかな、って」
「………………」
「ごめん、やっぱり今の言わなかったことに」
「あ、違う、違うの! 別に理樹君とが嫌なわけじゃなくて勿論他の人とだなんて想像もできなくてだけどこんなこと考えてるなんて私がえっちな子みたいに思われちゃいそうだし、」
「落ち着いて、落ち着いて小毬さん」
「あっ、あのねっ、理樹君は、そういう私に……幻滅とか、しない?」

 取り乱した小毬さんを宥めようと両肩に手を置いたところで、上目遣いに問われた。
 僕は反射的に首を横に振る。まさか、そんなはずはない、と。むしろ、

「……嬉しい、かな」
「うれしい?」
「空回りしてたのは、僕だけじゃなかったみたいだから」

 ――ひとつになりたいと思うのが、本当に自然なことかなんて僕にはわからない。世の中にはただ一緒にいればそれで満足だって人も少なからずいるし、どっちがいいとか悪いとか、綺麗だとか汚いだとか、優劣や正偽を決めるようなものでもないだろう。ただ、僕の中にはそういう気持ちがあって、けれども表に出すべきじゃないと抑え続けてきた。
 変に欲を見せて、嫌われたくない。幻滅されたくない。今の関係を、壊したくない。
 きっと、小毬さんと、おんなじだ。

「小毬さんこそ、こんな僕にがっかりした?」
「ううん。私も……その、嬉しいよ。理樹君が、私を求めてくれてるってことだもん」

 これまでの僕達は、たくさんの『はじめて』を経験してきた。
 デートして、手を繋いで、キスをして……どれも、最初はほんのちょっと、勇気が必要だったから。
 だから、言おう。恥ずかしさも、怖さも、全部ひっくるめて。

「……小毬さん。僕と……し、して……ください」
「は、はいっ! えっと、よろしくお願いしますっ」

 何というか……いまいち決まらないなあ。
 僕達らしいって言えば、そうなのかもしれないけど。










 向き合って、まずは今日三度目のキス。息継ぎを挟み少しでも長く、長く続けてみる。
 口端から幾分かを垂らしつつも唾液を交換し、喉を鳴らして飲み干す。密着した唇の隙間で不規則に起きる水音に混じり、こくん、と微かな嚥下の音も聞こえた。苦いような、ほんのり甘いような、不思議な味。いくつもの要素が、僕を陶酔へと導いていく。時折身を捩っては鼻で呼吸する小毬さんの背に手を回し、さらに唇を押し付けて、たっぷり一分以上を費やした。高まる鼓動、熱を増す口内。小毬さんが僕の胸元の服をぎゅっと握り締める力を強める。

「ん、んん……くちゅ、んふぅ……っは、あふ、りき、くん」

 名残惜しさを覚えるけれど、延々キスだけしてるわけにもいかない。距離を置く間際、舌でそっと小毬さんの唇をぺろりと舐めた。ふわ、と驚く声を敢えて無視し、首筋に顔を寄せる。そのまま夜風で冷えた肌に口付けた。
 抱きしめた身体に困惑の震えが走ったのを見逃さず、軽く背中を叩く。大丈夫だよという意思表示。まだ僅かに強張りが残っているものの、それで怯えは解いてくれたのがわかった。もう遠慮は要らない。僕から見て左、右鎖骨とその後ろに湿った唇で触れ、舌を這わせる。白い、新雪めいた肌を濡らし、ところどころに赤い跡を付けていく。

「ひゃっ、理樹君、んっ、くすぐったいよぉ……」

 むずがる小毬さんの首周りを思う存分蹂躙して、僕は顔を遠ざけた。
 こころなしか何かを期待するような表情を浮かべる彼女に、打算と好奇の感を織り交ぜて訊ねる。
 問いかけというよりは、確認。

「中に、手、入れるよ?」
「……う、うん」

 背中側の裾を掴み、するりと手指を潜り込ませる。互いの肌の温度差にさっきとは違う色の声が上がるけど、身じろぎは一瞬だった。一往復分滑らかな触り心地を楽しみ、下着に指を掛ける。小毬さんは目を閉じて、羞恥に耐えてくれている。
 硬い尾てい骨の感触を過ぎると、しっとりと汗ばんだ尻に辿り着く。想像以上の弾力に興奮を覚えるも、可能な限り自制してさらに奥へと腕を差し入れた。全体を撫で回しながら太腿まで伸ばし、五指の腹で優しく線を描き、時に力を込めて食い込ませる。耳に届く、愛らしくも艶やかな声色。
 我慢できなくなって、空いた左手を正面の裾内に突っ込んだ。臍の付近を擦り、ゆっくり上ってブラジャーに触れる。
 今度は許可を求めない。恥ずかしさのあまり言葉を失った小毬さんの頬に軽く口付け、留め具を探す。硬質なものを指先に感じ、少し戸惑いつつも外したところで、消え入りそうなほどか細い声が横から漏れ聞こえた。
 ブラジャーを落とす。最高潮に達した、小毬さんの身体の強張りが伝わってくる。

「胸、さわるね」

 返事はなく、でも抵抗しないことが答えだと判断した。
 今や覆う布を失った双丘は服に隠されて視界にこそ入らないけれど、その大きさと柔らかさは見えなくてもわかる。手のひらに収まり切らないサイズ。着痩せするタイプなのかな、という思考は頭の中で留め、壊れ物を扱うつもりで揉みしだく。
 下を探る右手も止めない。内腿を緩やかに、焦らすようになぞり、意図的に秘所を避ける。
 じわじわと、じりじりと、己が嗜虐心の手綱を握って、理性の糸を情欲の火で炙り続けていく。

「あぅ……なんだか、理樹君の手付き、うぅ、すごくいやらしい……」
「そりゃあ、そうしてるからね」
「やっぱり今日は特にいじわるだよ、くぅんっ!」

 箍が外れかけているのを自覚しながら、指先で乳首をぴんと弾いた。鼻に掛かった甘い声が上がり、切なげな吐息が唇からこぼれるのを目にして、興奮の度合いはさらに高まる。

「……ねえ、小毬さん。小毬さんが嫌なら、ここで止めてもいいよ」
「ふえ……?」
「僕としては、無理してまで頑張らなくてもいいって思うんだ。どうする? 今回はここまでにする?」

 散々愛撫をした状態での、卑怯な提案。僕を見つめる小毬さんの潤んだ瞳は明らかに快楽を求めていて、上気した頬も、甘やかな汗を浮かせて香る肌も、固く尖った胸先も、熱とそれ以外の何かでむわりと蒸した下着の内も――全て、収まりの付かないところまで僕らが来たことを証明している。
 ただ、今なら辛うじて獣欲を抑えられるのも確かだ。僕の中で、小毬さんを滅茶苦茶にしたい欲求と、できる限り大事にしたい、優しくしたいという気持ちがせめぎ合ってる。もしさらに一歩踏み出せば、正直もう、自分を抑えられる自信はない。
 だから、ずるいと理解していても、最後は小毬さんに決めてほしかった。
 ひとつになれるのなら、本当に嬉しいと思える時がいい。

「理樹君」
「うん」
「私は、理樹君が好き。いじわるだけど優しくて、いつも私を幸せにしてくれる、そんな理樹君が大好きです」
「……僕も。ほんわかしてて可愛くて、いつも僕を幸せにしてくれる、そんな小毬さんが大好きだよ」
「じゃあ、一緒だね。私が幸せなら理樹君も幸せ。理樹君が幸せなら私も幸せ」

 とん、と左胸を突かれる。そして温かい手のひらが当てられ、

「すごく、どきどきしてる。私とおんなじ。ね、理樹君も手を当ててみて」
「……いいの?」
「恥ずかしいけど、いいよ」

 触れれば早い鼓動が響いてきて、

「ほんとだ。小毬さんも、どきどきしてる」
「ぜんぶおんなじなんだから、私だけ頑張ってるわけじゃないよ。理樹君だって頑張ってくれてるのを、私は知ってる。だからへいき。理樹君がえっちだと、私もえっちでいいんだって思うの。恥ずかしくて、でも嬉しくて、理樹君ならいいやって思うの」

 それは決して僕達が一緒だって証明にはならないけど、

「痛い思い、させちゃうよ? 小毬さんのこと、泣かせるかもしれないよ?」
「理樹君がいれば、だいじょーぶ。幸せぱわーいっぱいの女の子は、無敵なのですっ。それに、」
「……それに、なに?」
「願い事、したんだ。ほんのちょっと、私に勇気をください、って」
「もしかして……えっと、もしもの話をする前?」
「うん。そしたら、理樹君が見事に叶えてくれました」
「ええっ、僕!?」
「だって理樹君は、私の願い星だから。ほんのちょっとじゃなくて、たくさん、たくさん勇気をくれたよ。今も、こうして」

 ――少なくともこの瞬間だけは、互いが同じ気持ちなんだと言える気がした。

「……で、理樹君はいつまで私のパンツに手入れてるのかなぁ」
「え? ……ああっ! ご、ごめん! 今更だけど、嫌だった?」
「すごくくすぐったかったよ〜。でもその、優しかったし……触られてると頭がふわーってしてきて」
「気持ち良かった?」

 こくりと頷く小毬さんが、本当に愛しい。
 抱きしめたい衝動は敢えて抑えず、けれども他には何もしなかった。
 今すぐ乱暴に唇を奪いたい。服を脱がしてしまいたい。そういう短絡的な激情が静まるまで小毬さんのぬくもりを感じ、落ち着いてから腕を解く。肺に溜まった熱を吐息に乗せて外へ出す。

「いいんだよね、小毬さん」
「は、はいっ、いつでもどうぞっ」
「なるべく早く終わらせるから。……パンツ脱がすよ」

 星降る夜空の下は変わらず寒く、さすがに全裸になるのは辛い。なので毛布を被ったまま、最低限の衣服だけを省いていく。腰を持ち上げた小毬さんのスカートに手を入れ、側面を掴んで引っ張ると、くるりと丸まりながら太腿を通過していった。引っ掛からないよう靴も脱がせ、両の足首から抜き取る。そっと握った下着は、気の所為でなければ湿っていた。
 冷たい床に尻を付けた小毬さんが、ひゃう、と可愛らしい声を上げる。しばらく覆うものがなくなった下半身を気にする素振りを見せ、小さく呻いて僕のズボンに視線をやった。無言で「外すね」と告げられ、僕は頷く。
 ベルトはないので、緩めるならホックとチャックをいじればいい。若干ぎこちない手際で正面が開かれて、地味な僕の下着が露わになる。そこで股間部のあからさまな隆起を認め、小毬さんが一瞬ぴしりと硬直するのがわかった。
 まあ、仕方ないと思う。布で押さえつけられているにもかかわらず、ともすれば突き破ってきそうな膨らみ方。実際前開きを割り広げるようにして飛び出しかけてるものだから、何というか、僕がどれだけ興奮してるか丸解りだった。

「とっ、とりゃあーっ!」

 幾度か躊躇しながらも、些か力の抜ける掛け声と共に小毬さんは最後の一枚を剥ぎ取った。
 外気に晒された剛直はそれを待ち焦がれていたかのような勢いで跳ね上がる。

「ほわぁ……これが理樹君の、なんだ……。おっきい……」
「……あんまり見ないでもらえると」
「さわってもいい?」

 散々小毬さんのいろんなところを好き勝手に弄くった僕に、その申し出を拒否する権利はない。
 こっちの許可を合図に女の子らしい小さな手が伸びてきて、おもむろに肉幹を五指で握った。好奇の視線と接触、二重の責め苦がさらなる興奮のスパイスとなり、モノが硬さと大きさを増す。
 ……まずい。しごかれなくてもイキそうだ。ふっと込み上げてきた射精感を全力で歯噛みして堪え、ごめんと謝って指を離してもらう。額に脂汗が浮き、それをあっという間に夜風が冷やした。嘆息。さすがにここで情けない姿は見せたくない。
 気を取り直して、次は僕が小毬さんの秘裂を確かめる。愛撫の時みたいに内腿をつつ、となぞり、微妙な感覚に身悶えする様子を眺めつつ入口を探ると、ある一点から指に粘ついた液体が絡み付いてきた。すぐその正体に気付き、一旦床に指を下ろしてみる。案の定と言うべきか、じんわり広がって柔らかく潰れた小毬さんの尻を濡らしているのは、愛液だ。
 追及して恥ずかしがらせたい衝動に駆られるけど、我慢。既に耳まで真っ赤な小毬さんをこれ以上追い詰めたら、倒れてしまうんじゃなかろうか。そう判断し、小刻みに揺れる股の間、閉じた陰唇へと指を差し入れる。

「ふぁ! あ、あ、あぁ……り、りきくぅん……っ」
「大丈夫だから、力抜いて。……うん、その調子」

 ゆっくり、ゆっくり奥へと沈め、膣口を覆い隠す襞を解していく。充分な濡れ具合だし、おそらくこれなら、すんなり……とは行かなくても、何とか挿入できるだろう。掻き回すのもそこそこに、僕はスカートの中から手を抜いた。
 薄く糸を引く、指に付着した粘液をそそり立つ陰茎に擦り付け、片手でスカートをめくり上げる。
 淫靡にひくつく秘唇を視界に捉え、先端を触れさせて、腰を少しずつ押し込む。亀ほどの歩みで、けれど着実に竿が飲まれていく。小毬さんは何も言わない。信じてくれてるんだ、と思い、僅かばかり残っていた躊躇いが消え去った。
 優しくするだけがいいとは限らない。お互い痛みなく終えようとするのは、甘えだ。

「一気に行くよ。平気?」
「う……やっぱりちょっと怖いから、理樹君、カウントダウンお願いします」
「わかった。それじゃ、さん、に、いち、っ!」

 瞬間、小毬さんがきゅっと目を瞑り、そのお尻の上を抱えて、僕は強く肉棒を突き入れる。膣口の先を通過する際、微かな抵抗を感じ、それが処女膜だと気付いた時には既に貫いて最奥まで達していた。全方位からきつく締めつけられる感覚を得て、下腹の堤防が再び緩み始める。耳に届く音は、荒く苦しそうな細い吐息と、激痛が窺える詰まった声。結合部の隙間から滲み出る蜜に混じって薄まった、破瓜の鮮血が見えた。
 不意に感慨が湧いてきて、すぐそばにいる彼女を無性に抱きしめたくなった。自分の気持ちに従い、そうする。

「泣かせちゃったね」
「悲しくて、泣いたわけじゃないよ」
「……うん。知ってる。だから謝らない」
「その方が嬉しいな。これは、しあわせのなみだだもん。……いたい、けど、しあわせ。えへへ、不思議だね」
「不思議なんかじゃないよ。すっごく、普通のことだ」
「そっか。……そうだね」

 身体を離す。目の前の小毬さんは、本当に、本当に素敵な笑顔を浮かべていた。
 背筋が震えるほどの幸福感を覚えながら、僕は唇で涙を掬い取る。仄かな塩味を舌に乗せ、笑みを返して口付ければ、しっかり応えてくれた。おそらくはまだ消えていない苦痛を紛らわせるために、涎がこぼれるのも気にせず深く交わる。
 そうしているうちに段々締めつけが緩くなってきたのがわかった。といっても窮屈なことには変わりなく、今も膣壁が僕のモノを責め続けている。どうにか堪えてるけど、決壊するのも時間の問題だろう。
 タイミングを見計らって、慎重に抽挿を開始した。

「ん、あっ、はぁ……っ、理樹君のが、中で、こすれて、っ」

 眉を顰めつつも、嬌声を響かせる小毬さんの表情は甘く蕩けていた。紅潮した頬、顎を伝う涎の跡、快楽に濡れた瞳、こっちの動きに合わせていやらしくくねる腰、とめどなく溢れる愛液、普段と正反対な乱れる姿、全てが、何もかもが愛しくて仕方ない。それでも自制心だけは手放さず、前後の動きを繰り返す。
 亀頭を子宮の手前まで深く入れ、狭まった肉の道を幹で削るように引いていく。陰蜜を纏ってぬらぬらと月明かりを照り返す剛直が抜けかけるところで、再び芯を突き込む。一連の流れは、徐々にペースを速めることで何度も僕達が繋がっているという現実を確かめさせてくれた。飽和した薄桃色の粘液がぶちゅり、ぐちゅりと外に飛び出し、それは次第に間断ない卑猥な水音へと変化して、僕を、たぶん小毬さんをも、どうしようもなく昂らせた。
 行為の熱が思考を鈍らせ、ぼやけた頭で絶頂が間近に迫っていると悟る。貫かれて喘ぐ小毬さんの声はもうほとんど言葉になっていなくて、互いに終わりはすぐだと察知した。
 息苦しくて気持ち良くて、寒いのにのぼせそうなくらい熱くてくらくらして、腰が砕けそうな幸せと快楽に酔っぱらってるような、ぐちゃぐちゃになって溶け合った感情が、もっと、もっと、と煽り立ててくる。
 僕は最後の気力を振り絞り、抽挿の速度はそのままに、勢いを強めた。身体の奥底まで響かせるつもりで、それこそ僕らが本当に繋がってひとつになってしまえばいいとばかりに、一層激しく、荒っぽく、想いを伝える。
 ――好きで、好きで、大好きだから、幸せにしたい。一緒に、幸せになりたい。
 届けばいいと願う。僕の、願い星に。

「だめ、りきくん、私、へんになって、こわ、こわい、どっか、飛んじゃう!」
「大丈夫、僕が、いるからっ……あ、く、小毬さん、ごめん、もう、出るっ!」

 細い背に手を回す。骨の硬さがわかるほどの力で抱きしめる。
 一際甲高い絶頂の声が聞こえるのと同時、気が遠くなる時間抑え続けていたものが一瞬で駆け上がってきて、慌てて腰を引いた僕の肉棒の先端から、大量の白濁が飛び散った。腕を解き、愛液よりもずっと粘っこい、液体と固体の中間みたいな精液が小毬さんの尻や太腿、スカートを汚す光景を眺めて、急速に冷めていく熱の名残を吐き出す。
 ……そういえば、コンドームとか使わなくてよかったのかな。
 落ち着いて冷静になると、そんなことを考える余裕もできた。何というか、ちょっと突っ走り過ぎたかも、なんて今更反省する。そして、再び現状に目をやって僕は大変な事実に気付いた。

「うわあ……こんなになって、どうやって帰ればいいんだろう……」

 頭を抱えて嘆息したけれど、意識を失って横になったままの小毬さんを見て、まあいっか、とも思う。
 たぶんどうにかなるよねと根拠もなく頷き、とりあえずは、キスでもして起こすことに決めた。
 いつの間にか、流星雨は止んでいた。
 









「うー、スカートの中がすーすーするよ〜……」
「ごめん、本っ当にごめんっ」

 結論から先に言えば、最低限の事後処理は済ませた。常備してるポケットティッシュ二袋という頼りない道具を可能な限り有効に使って、身体に付着した色々なものをささっと拭い、衣服や毛布にこびり付いたのは乾いてない部分だけ取り去った。ゴミは空になったお菓子の袋へ。地面に広がった混合液……は仕方ないから放置して屋上を出たけど、もしかしたら匂いとかシミがしばらく残るかもしれない。本来立入禁止なのが幸いだった。あ、でも鈴に見つかる確率もないとは言い切れない気が……。
 数ある問題の中で一番困ったのは、小毬さんのパンツが想像以上にぐちょぐちょな濡れ方をしてたことだ。勿論、僕の拙い愛撫ですごく感じてくれたのは嬉しい。しかしそれとこれとは話が別で、要するに、悪いのは僕だって流れにもなる。
 無理に穿いて帰るのとどっちがいいか、二つの選択肢を天秤に掛けた小毬さんは、触ると少し粘ついてるように思える下着をお菓子入れの袋に突っ込んで、ノーパンでいると覚悟したらしい。しきりにスカートを気にしながら歩く様子は微笑ましさと可愛らしさが半々だけど、正直にこの気持ちを口にしたら間違いなく怒られるだろう。
 ちなみに、屋上の窓をくぐる時は小毬さんが先に行って、僕は「もういいよ〜」と呼ばれるまで後ろ向きでしゃがんでいた。さすがにここで悪戯心は湧いてこなかった。

「階段も私が先に行くね」
「転ばないように気を付けて」
「わかってるよぅ。もう、理樹君は心配性なんだから、わ、わわっ」

 言ったそばから躓きかける。
 寸でのところで手を掴み、派手に転がり落ちるのは免れた。

「目が離せないというか……ねえ小毬さん、もしかして一人の時はもっと酷い?」
「そんなことありませんっ。……その、時々頭ぶつけたりとかするけど」
「どのくらいの頻度で?」
「あう……言わなきゃだめ?」
「心配性だから聞かないと安心できない」
「……一日一回くらい」
「多過ぎだよ……。ということで、手、繋いだままでいいよね?」

 恥ずかしいからと言われて背中を追っていたけど、足早に段差を駆け下りて横に並ぶ。手すりと小毬さんの間に割り込み、右手で鉄の棒を、左手で冷え始めた小さな手を握った。無言で抗議の視線が注がれる。ただ、決して振り解こうとしない辺り、本気で嫌がってるわけじゃないのはわかった。
 四階から三階へ、三階から二階へ、二階から一階へ。気の所為か深みを増した闇に満ちた廊下も、行きより躊躇わず、恐れずに進める。第二美術室の窓を今度は僕が先に乗り越え、小毬さんも着地したのを確認して鍵開けに使った仕掛けをズボンのポケットに仕舞う。外側から閉めることはできないけれども、侵入に気付かれはしないはずだ。僕らだと特定される証拠は、見逃しがないのなら一つも残してない。
 しばらく会話なく歩き、寮の外観が見えてきた時、小毬さんが不意に「くしゅっ」と唇から音を漏らした。

「寒い?」
「うん、いっぱい汗掻いたからかなぁ……。お風呂入れたらいいんだけど」
「この時間じゃ無理だよね」
「理樹君は寒くないの?」
「実は少し」
「じゃ、じゃあ、ちょっぴり温め合いましょうっ」

 真っ赤な顔で告げられ、僕は言外の意図をすぐに察して手を伸ばす。
 いやらしい気持ちとか、そういうものを全て取り去った後の抱擁には、安らげるぬくもりがあった。

「……はぁ、理樹君、あったかいね」
「小毬さんの方があったかいんじゃないかな」
「なら、ふたりともあったかいってことにしよっか」
「だね」

 ――身を寄せ合う僕達は、弱くて、小さくて、まだまだ未熟な子供だけど。
 それでも手のひらを重ねて、一緒に生きていくことくらいはできる。
 触れた肌から感じる熱と、柔らかい笑顔と、ひとにぎりのしあわせ。少なくとも今は、そのくらいで、充分だ。










 あとがき

 や、やっと、終わった……orz
 先に謝っておきます。色々とごめんなさい。たぶん繋ぎ目が上手く噛み合ってなくてちぐはぐだと思います。
 もう正直途中で投げようかと。どうやったってこまりんがえっちに突入しそうになくて、この話の根本、アイデンティティを疑うと共に、自らの技量の無さに深く恥じ入った次第です。今読み返しても強引だよなぁ、これ……。
 リトバスメンバーの中でもキャラクターを掴み切れてない、ってのもありますが「別に焦らなくてもええやん、もっと大人になってからでも遅くないんじゃね?」と考えてしまったが最後、書き直しても書き直しても違和感が拭えず。
 結果的に、あるラインで物語が乖離するという事態になって……しまった、かも……ああ……orz
 どうしたって主観じゃわからない部分はありますので、読み手の皆さんにもよります。ただ、おそらくは前の二作(クドとみおちん)より出来が悪いことを承知してくださると、ほんのり私の心が安らぐかも。
 序盤でわかるでしょうけど、クド編と似通った構成(本編シナリオの既視的流用。日本語間違ってたらごめんね)です。もっともあちらはポン・ウィンネケ流星群ですが、こちらは秋ってことでかの有名なしし座流星群を採用しました。過去、最大で一秒間に二百七十近い流れ星が落ちたと言われる超大規模なものなんですけど、周期は西暦下二桁が33の倍数の年前後らしく、リトバスの推定年を考えるに、ピークは過ぎちゃってたりします。まあそこは浪漫先行ってことでご勘弁を。
 劇中でよく「普通だよ〜」と口にする小毬さん。確かにドジで注意力散漫で天然なところもありますが、書いてみて「ああ、普通の子だよなあ」とすごい実感しました。痛けりゃ泣くし、えっちなことにも人並みには興味あるだろうし、快楽にだって流されるかもしれない。そういうところを強調してみた……って言っても伝わるかなぁ。はぁ。そんな感じでテーマは『等身大の幸せ』です。夢は覚める。願い事は大抵叶わない。それが現実で、みんな情け容赦ない今を生きていかなきゃならないわけです。でもその中で得られるものはやっぱりかけがえがなくて、きっと二人は大事にしていけるだろうな、と。
 タイトルは特に深い意味もありません。が、本編BGM『お砂糖ふたつ』を意識してなくもない、かな?
 あと、今回もチャット先でmarlholloさんとhaizisoさんにチェックしていただきました。ありがとうございますー。

 次ははるちん。いつスタートできるかしら。



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