最近遠出することが多かったから、今日はお金を掛けないデートをしよう、と僕が言って、葉留佳さんも頷いてくれた。
 とにかく色々な場所を歩き回って、昼は葉留佳さんお手製のお弁当を一緒に食べて、公園で近所に住んでるらしい子供達に混ざって遊んだり、芝生の上でお昼寝したりして、少し汚れながらも楽しい時間を過ごした。
 帰りが早かったのは、単純に疲れた所為だ。葉留佳さんの家まで戻ってきた時、僕達は揃って玄関に座り込んだ。息が切れるほどじゃないけれど、足裏やふくらはぎの辺りがじんじんと痛んでしばらく立ち上がれなかった。

「お互いへとへとですネ」
「最近の子って随分元気だよね……。それともこっちが歳取ったからなのかな……」
「あはは、理樹くんおじさんみたい」

 そんな風に笑われつつ、靴を脱いで葉留佳さんの後に続く。
 洗面所を借り、手洗いうがいをしてから向かった居間には誰もいない。夕方前とはいえ明かりが消えていた部屋は、さっきまで無人だったことを証明している。

「理樹くん、コーヒーでいい?」
「あ、うん」
「じゃあちょっと待っててー。適当に座っちゃっていいから」

 台所の様子が窺える席に腰を下ろし、僕は葉留佳さんの背中をぼんやりと見つめた。
 結わえられた長い髪が尻尾のようにふりふり動く様を眺め、今更二人きりなんだと実感する。
 そう思った途端、何となく居心地の悪さを感じて、本当にいいのかなと小さく呟いた。
 明日になるまで、葉留佳さんの両親は帰ってこない、らしい。折角の機会なんだしたまには夫婦水入らずで出かけてくれば、と佳奈多さんと二人で勧めた結果、連休なのもあって、一泊二日の旅行を決めたそうだ。ただ、その間葉留佳さんは一人になってしまう。本当は佳奈多さんが顔を出しに来る予定だったけど、急な用事が入ったので僕に白羽の矢が立てられた。……まあ、つまり、デートの一環としてお泊りの誘いが掛かったわけで。
 勿論、嫌なはずはない。少しでも長く葉留佳さんといられるのは嬉しいし、寂しい思いだってさせたくない。けれど、二人きりという響きにどうしても妙な想像が膨らむのは、男の悲しい性なんだろう。
 きっと葉留佳さんはそんなこと望んでなんかいないのに、つい妙な思考が脳裏を過って、後ろめたい気持ちになる。

「……大丈夫? 何だか変な顔してるよ?」

 そんな風にもやもやした感情を持て余していた僕は、コーヒーカップを目の前に置かれるまで気付かなかった。
 心配そうな声と共に横から表情を窺われ、苦笑いで誤魔化す。
 ふわりと湯気を立てる真っ黒な液体に口を付け、火傷しそうな熱さと強烈な苦味に慌ててカップを取り落としそうになった。

「わ、危ないなぁ。さっきから理樹くん変だよー」
「ごめん……。ちょっと考え事してて」
「もう、はるちんが心を込めて淹れたコーヒーなんだから、しっかり味わってくれなきゃ」
「そうだよね。……あれ、葉留佳さんは砂糖とミルク、入れないの?」
「大人の女には不要! カッコよくブラックで優雅な午後のひとときを演出ですヨ!」
「じゃあ僕はまだ大人じゃないから砂糖もミルクも入れるね」

 葉留佳さんがカップの傍らに用意してくれたスティックシュガーの端を切って、コーヒーの中に流し込む。続けてミルクも注ぎ、スプーンで掻き回して溶かしてから改めて一口。舌に残る苦さが幾分か緩和されて、丁度良い感じだ。
 ほっと息を吐いた僕にしばらく葉留佳さんは抗議の視線を向け、対抗して唇を自分のカップの縁に触れさせた。

「……苦っ! しかも渋くて酸っぱいっ!?」
「だから訊いたのに……」
「むむむ、どうやらはるちんが大人の女になるにはまだまだのようなのでした。ということでお砂糖ざばー」

 今度は楽しそうに鼻歌交じりで砂糖を投入していく様子に、僕は頬が緩むのを抑えられなかった。
 一緒にいると飽きない。振り回されることも多いけど、毎日が刺激的なのも確かだと思う。

「そういえば、夕ご飯はどうするの?」
「当然私が腕を奮って……って理樹くん、何ですかその不安げな瞳は」
「え、いや、そんなつもりはないけど」
「最近はちゃんとお姉ちゃんに教わってるし、日々進歩してるのですヨ。今日は新生はるちんの料理を本邦初公開! だから調理中は絶対見に来ないように。見たらいくら理樹くんでも怒るからね?」

 よっぽど内容を秘密にしたいのか、念入りに釘を刺してくる葉留佳さんに頷きを返す。
 その後、お風呂はどうするか、明日はどこに出かけようかといったことを話し、お互い一杯ずつコーヒーのおかわりをして、陽が暮れるまで雑談に興じた。葉留佳さんが僕を居間から追い出して食事作りを始めたのは、五時を過ぎた頃だった。










 全く不安がなかったと言えば、嘘になる。
 葉留佳さんの料理の腕前は決して悪くない(僕や真人と比べたら充分できる方だろう)けれど、例えば今日の昼に食べたお弁当はおかずのほとんどが冷凍食品で、明らかに自分で作ったとわかるものは卵焼きくらい。
 自信があるというそれはほんのり甘く、焼き加減もいい感じでおいしかった。でも、他も同じように上手く行くとは限らない。ノックするまで開けちゃ駄目だからね、と葉留佳さんの部屋に閉じ込められた状態で、何もすることがなく手持無沙汰でいた僕の耳に、だいぶ離れているにもかかわらず「はるちんミステイクー!?」とかそんな声が聞こえてきたら、そりゃあ誰だって少しは不安を抱くんじゃなかろうか。
 結局僕が呼ばれたのは一時間以上も経ってから。冷たく微かに湿った手でドアを開け、何かをやり遂げた表情で葉留佳さんは食卓に案内してくれた。廊下を歩いている最中、ふわりと漂ってくる、食欲を刺激する匂い。
 不安は小さな期待に変わり、その期待が確信になるのにはさしたる間を必要としなかった。

「じゃじゃーん! これぞはるちん特製スペシャルディナー!」

 テーブルの上に並べられているのは、決して豪勢とは呼べない料理だ。適度なサイズに切り分けた野菜サラダ、おそらくはコンソメベースの、ベーコンとじゃがいものスープ。主食はご飯じゃなくて、皿に盛り付けられたペペロンチーノ。あとはおかずに一品、ふっくらと膨らんだオムレツが置かれている。

「……思ったよりまともでびっくりした?」
「えっと……うん、正直」
「理樹くんひどーい。私だってこういう時はちゃんと自重しますー」
「別に葉留佳さんを信頼してなかったわけじゃないんだけど……結構叫んでたみたいだから」
「あれ、聞こえてた? ……やはは、はるちん迂闊でした。実はオムレツに火を通し過ぎちゃったりとか、ベーコンがかなり厚切りになっちゃったりとか、パスタ茹で過ぎてふにゃふにゃだったりとか、こう、色々と失敗しちゃって」

 恥ずかしそうに俯き頬を掻く葉留佳さんに、僕は無言で椅子に座って、いただきますと告げた。
 スープを一口。それからパスタ、オムレツの順に手を付け、しっかり噛んで飲み込んで、

「うん、おいしいよ。確かにオムレツなんかちょっと焦げちゃってるけど、いけるいける」
「……ほんと? 嘘吐いてたりしてない?」
「こんなことで嘘は言わないって。ほら葉留佳さん、冷めないうちに食べよう。折角よくできたんだからさ」

 僕の言葉に納得してくれたのか、向かいの席に葉留佳さんも腰を下ろした。
 視線で意思を交わし、改めていただきますのひとことを口にする。出来たてのスープは程良い温かさで、胃に入れると熱が広がっていくのを感じた。塩加減もいい。失敗したというベーコンはサイコロみたいな直方体になって浮かんでいたけれど、味自体は全然悪くなかった。
 サラダに掛けるドレッシングは市販のもの。取り分ける際、水が滴っていたのは気にしないことにする。オムレツは表面こそよく焼けて(端が焦げて)いたものの、内側はうっすらととろみを残していて、舌触り良くいくらでも食べられそうだった。たぶん葉留佳さんは完全に半熟で作るつもりだったんだろう。結果的に上手くいかなかったとはいえ、形の整った完成品を見る限り、悲観するようなところはないと思う。
 ガーリックの風味が利いたペペロンチーノは、パスタの歯応えが若干ふにゃっとしていたのを除けば素直においしいと言える。唐辛子の辛味も舌が焼けるほどのきつさはなく、僕としては好みの味だ。
 おおよそ二十分、ペペロンチーノとスープを両方おかわりして平らげ、僕はフォークを置いた。

「ごちそうさまでした」
「おそまつさまでした、っと。理樹くんすごくいい食べっぷりだったね」
「そうかな。結構食べたなあとは思うけど」
「えへへ、そこまで喜んでもらえたならはるちん的にも頑張った甲斐がありましたヨ」

 遅れて葉留佳さんも食卓に向かって両手を合わせ、皿を重ねて持ち上げる。
 ご飯作るのを任せちゃったお詫びに食器くらいは洗おうかと提案し、二人肩が当たりそうな距離で使い終わったそれらを片付けた。僕が洗い、どこに何があるかをだいたい知っている葉留佳さんが拭いて棚に仕舞う。
 場所がわからないのは一緒に探して、ああだこうだと言い合うのも楽しかった。
 最後、サラダ用の小皿を棚の奥に入れて、台所を後にする。
 夕方前に話した通り、お風呂は僕が先に借りることになっていた。葉留佳さんが「理樹くんが絶対先!」と強硬に主張したからだ。理由は教えてくれなかったけど、何となくわかる気もした。
 デート前日の時点で泊まるのは決まっていたので、着替えはしっかり持ってきている。鞄ごと更衣室に運び、手早く服を脱いでとりあえず丸めておいた。さすがにここで洗濯はできない。帰ってからまとめて、になる。
 当然ながら初めて入る葉留佳さんの家のお風呂は、やっぱり寮のとは少し勝手が違った。シャンプーやボディソープはどれを使っていいのか、事前に教わってなかったらもっと戸惑ってただろう。肩身の狭さも感じながら出た時、時刻は八時を回っていた。言うまでもなく、続いて入った葉留佳さんは僕よりお風呂にいる時間が長かった。

「ふぃ〜、さっぱりさっぱり」

 緩い声で戻ってきた葉留佳さんを目にして、僕は一瞬言葉を失う。
 普段結われている髪は解かれ、真っ直ぐ下ろされていた。まだ湿り気を残し艶やかに濡れていて、変則ツーテールの姿を見慣れている分、胸がどきりと高鳴るような新鮮さがある。頬のみならず首元やうなじの辺りも熱で薄い赤に染まり、何というか、思わず生唾を飲み込んでしまった。

「ん、私の顔に何か付いてる? って我ながらベタな台詞ですネ」
「……ベタかどうかはわからないけど、何でもないよ」

 じっと見つめていたのを悟られ、なるべく平常心を保ったまま横に首を振る。
 そっか、と葉留佳さんは軽く流し、

「ねえ理樹くん。理樹くんは今日、どこで寝るつもり?」
「うーん……リビングにソファがあったし、あとは身体に掛けるものを借りられればいいかなって」
「じゃあ、その、一緒に寝ないかなー、とか」
「え?」
「だから、一緒に……あ、おんなじベッドってわけじゃなくて、ここに布団持ってきてさ、眠たくなるまでいっぱいお話しよ。その方が楽しいし、寂しくないもん。ね?」
「でもいいの? わかってるだろうけど、一応僕、男だよ?」
「ぶー、はるちんを馬鹿にしてるなー。そんなことくらいちゃんとわかってますー。それとも、他に心配事がある? すっごく寝相が悪いとか、いびきが酷いとか、よく寝言で変なことを口走るとか」
「どっちかというとそういうのは真人の方だけど……」
「ならいいじゃん。理樹くんが、嫌じゃなければ」

 ほんの僅か、僕に向けて注がれる眼差しに、縋るような色を認めて。
 それ以上の反論は、続けられなかった。
 元より、葉留佳さんが望むのなら断る理由もない。そっと嘆息し、布団を取りに行こうと仕舞われている場所を訊ね終えたところで、葉留佳さんの唇からごめんねと微かな呟きが漏れた。

「前は、そばにいてくれたらそれだけでいいって思ってたのに。私、贅沢になっちゃってる」
「……別にいいんじゃないかな。僕だって、そんな風に感じる時があるよ」
「私だけじゃないんだ。ふふ、おそろいかぁ。おそろいおそろい」

 嬉しそうに何度もそう繰り返す葉留佳さん。
 僕はその様子に安心し、二つ隣の部屋にあるらしい布団を運ぶためにゆっくりと腰を持ち上げる。
 と、不意に背中へ声が掛けられた。

「理樹くん」
「なに、……っ!?」

 振り向いた瞬間、間近に顔が迫っているのを知り、それがどういうことかを考える時間もなく、唇が触れた。
 吐息が流れ込む。今日も、今までも感じた柔らかさに、抵抗心がごっそりと削られる。
 視界に入った睫毛は、閉じた瞼の動きに合わせて震えていた。

「ん、っはぁ……本日二回目のキスなのでした」

 はにかんだ笑みを前に、もう我慢はできなかった。
 気付けば身体が勝手に動き、後ろへ下がる葉留佳さんをベッドに押し倒していた。天井の明かりを遮り、突然の状況にきょとんとした瞳を覗き込む。おそらく葉留佳さんの目には、僕の雰囲気が急に変わったように見えただろう。獲物を捕らえた獣が纏う、雰囲気に。
 表情は徐々に困惑の色を濃くし、僕は我に返って罪悪感を覚える。だけど、止まれない。止まれそうにない。辛うじて衝動を抑えた理性が、ギリギリのラインで僕を留まらせている全てだった。

「わかってるって、言ったよね。なのにどうして、」
「他の人にはあんなことしないよ。理樹くんだからできる。理樹くんだから、自分を預けられる」
「怖くは、ないの?」
「ちょっと、どきどきしてる。これからはるちんはどうなってしまうのかー、みたいな。えっちなことなんて経験ないし、服脱がなきゃいけないんだって思うとすっごく恥ずかしいけど……怖いけど」

 ――私、贅沢になっちゃってるから。

「私は知ってるもん。理樹くんがちゃんと好きだって言ってくれるのを。誰でもない私を必要として、愛してくれてるんだってことを。いや何か愛とか口にすると嘘っぽいけどさ、理樹くんなら信じられるよ。言葉にしなくても、伝わってくる」
「……葉留佳さん」
「もう、そっちこそわかってる? 女の子にこういうこと言わせるなんて、理樹くんってばキチクだよ?」
「う……ごめん、あながち否定できない」
「これから頑張って、精一杯優しくしてくれたら許してあげるね」

 組み伏せられても怯えないどころか、力を抜いて何もかもを委ねてきた葉留佳さんに、僕は参るしかなかった。
 さっきまで猛っていた本能がすっと鳴りを潜める。落ち着いた気持ちでゆっくりと身を落とし、今度はこっちからキスをした。軽く啄むだけの、始まりを告げる口付け。
 後には引けない。今更ながら、最後の一線を踏み越えるその覚悟を、決めた。










 さすがに組み敷いたままじゃ身動きが取れないし、何より言い訳の利かない体勢なのでまずは葉留佳さんの上から退く。
 改めて向き合うと、途端に恥ずかしさが湧き上がってきた。心臓が鼓動のペースを速める。頭の中が真っ白になって、どうすればいいのかわからない。それでも止めるという選択肢は思いつかず、無意識のうちに僕の両手は葉留佳さんの肩を掴んだ。言葉は要らない。ただ葉留佳さんは目を閉じて、受け入れようとしてくれている。
 顔を寄せて、互いの唇が触れ合った。淡い熱を感じ、しばしその温かさを堪能してから舌を伸ばす。
 僕にとっても、葉留佳さんにとっても、初めてのことだ。けれど今は、行為に躊躇う必要もなかった。柔らかな唇の隙間を割り入り、些か遠慮気味に口内を探る。硬い歯を、頬の裏側をなぞり、やがて先端が葉留佳さんのを捉えた。ほんの僅か唾液で粘ついた、僕のそれと同じくらいの熱さを持つ舌。知識というにはあまりに少ない、キスに関する記憶を総動員して、慎重に絡める。優しく、一つ一つの動作を確かめるように。

「ん、ふ……んむ、は、ぁ……」

 息苦しくなったら無理をせずに離れ、また繋がる。次第にお互い慣れてきて、鼻で呼吸することを覚えた。奇妙な酩酊感に浸り、ひたすら僕は葉留佳さんの唇を貪る。共有する小さな空間に溜まる唾液がくちゅくちゅと水音を響かせ、追いやられて溢れたものが口端からだらしなくこぼれていく。
 顎が疲れ始めた頃になって、ようやく僕達は距離を置いた。葉留佳さんが漏らした艶っぽい吐息が、やけに耳に残った。

「……理樹くん、キス上手だね」
「そうかな。ああいうのははじめてだから、上手くいってるかどうか心配だったんだけど」
「何かね、頭がふわふわーってして、それでくらくらするの。うわ、私すっごい幸せだー、って感じ」
「幸せ?」
「うん。理樹くんがすっごい一生懸命頑張ってくれてるのがわかるから」
「葉留佳さんも、頑張って応えてくれようとしてるのがわかったよ。……じゃあ次は、どうしよっか」
「提案ー。脱がせっこしない?」
「脱がせっこって、相手の服を?」
「そうそう。二人一緒なら恥ずかしさも半分になるかなー、とか。同時にってわけにはいかないけどね」

 なるほど、いいかもしれない。極力葉留佳さんの意見を受け入れたいというのもあって、僕はすぐに頷いた。
 こっちが着てるのは、ボタンがないスウェットシャツとインナー、薄手のズボン。対する葉留佳さんは上下セットのシンプルなデザインのパジャマで、ボタンを留めるタイプだ。下はともかく、上の脱ぎ方は全く違う。ということで、どっちが先に脱がせる側に回るかでじゃんけんをすることになった。……結果、僕の負け。

「はい理樹くん、ばんざーい」
「う……ば、ばんざーい」
「いいよいいよそのままそのままー……とりゃっ」

 半ば子供みたいな扱いで、あっという間に上半身の服を引っぺがされる。
 肌が直接外気に晒され、夜の寒さに背筋が震えた。特に胸元辺りを注視され、咄嗟に両の腕で身を抱く。
 そんなことで隠し切れるはずもないけれど、気持ち的には何もしないより遙かにマシだった。

「おおー……こうして見ると理樹くんって、結構身体しっかりしてるんだね」
「よく真人の筋トレに付き合ったりしてるから……」
「触ってもいい?」
「ど、どうぞ」

 そう言うと葉留佳さんは僕の首筋に右手を伸ばしてきた。鎖骨の窪みを指の腹で撫で、すっと降っていく。羞恥心を我慢し僕が腕の遮りを解くのを見計らって、胸元へ。手のひらで軽く圧迫され、微妙な冷たさとくすぐったさに声が漏れる。開かれた五指は曲線を描くようにして斜め下に動き、臍まで行って止まった。手が引かれる。

「……満足した?」
「はるちんご満悦です」
「じゃあ次は僕の番だね」
「待って、お願い……ちょっと待って」

 立場が入れ替わった瞬間、唐突な制止の言葉を浴びせかけられて、僕は拍子抜けした。
 思わず「どうして」と問いたくなったけど、寸でのところで抑える。
 葉留佳さんの表情に、茶化すような色は一切なく――僅かに伏せられた瞳が、不安で揺れていたから。

「私、綺麗じゃないよ。いっぱい殴られて蹴られて、痣だらけで醜いよ。それでも理樹くんは、見たいって言える?」

 ……すぐに答えれば、全く悩んでないように取られるかもしれない。そんな風に考え、咄嗟に開きかけた唇を強く閉じた。
 慎重に返事の文句を考える。嘘偽りないこの想いが、できるだけ真っ直ぐ伝わればいいと。

「僕は……僕は、葉留佳さんが、好きだよ。痣の一つもない綺麗な身体じゃなくて、葉留佳さんが、好きなんだ」
「……うん」
「そういう僕を信じてる、って言ってくれたよね。なら、不安にならないで。最後まで僕を信じ切って。葉留佳さんが望む通り……とはいかないかもしれないけど、嫌な気持ちにさせちゃうかもしれないけど、優しくする。約束する。だから、」
「――いいよ理樹くん、それ以上言わなくても、大丈夫」

 その時の表情をどう形容すればいいのか、僕にはわからなかった。
 嬉しさ。悲しさ。辛さ。苦しさ。色々なものをない交ぜにしてそこに幸福感を加えた、くしゃくしゃの笑顔。
 ふとした弾みで泣き出しそうな、弱々しくも美しい、見惚れてしまう笑みだった。

「試すようなことしちゃって、ごめん。ごめんね。だけど、うれしいよ。どうしようもなくうれしい」
「じゃあ、これは言わなくてもいいかな」
「ううん、ちゃんと教えて。信じてるけど、理樹くんの口から聞きたい」
「葉留佳さんの全部が見たい。……脱がせるよ」

 敢えて疑問形にはしなかった。頷きがなくても構わない。僕達は通じ合ってると、信じる。
 首元から一つずつ、ぷちりぷちりと丁寧にボタンを外していく。胸を過ぎた辺りでブラジャーが露わになり、さらに続けると正面が完全に開いた。女の子らしいふっくらとしたお腹と腰の輪郭、布を一枚取り去ってより明確になった双丘の膨らみ。最早意義を失った服の袖を抜いてもらい、目線で行くよ、と告げて、ブラジャーのホックを探るため背中に手を回す。
 ゴム紐とは明らかに違う硬い感触に、心臓がどきりと跳ねた。ここの留め具も外せば下着は落ちる。心躍らせる己がいるのを自覚し、けれどなるべくその感情を抑えて、そっとホックの合わせ目を解いた。
 音もなく重力に引かれ、下着が葉留佳さんの太腿に着地する。頬を紅潮させながらも、胸は隠さないでくれた。

「………………」
「うぅ、理樹くん、そんなじろじろ見ないでー……」

 到底無理な注文だ。上半身のみとはいえ、初めて目にする女の子の裸。それが大事な、好きな人のものなら感動もひとしおで、しばらく僕は硬直したままでいた。瞳に今の葉留佳さんの姿を焼き付け、無意識に唾を飲む。
 確かに、新雪めいた綺麗さはなかった。鳩尾から臍下、脇腹、正面にいるとわからないけどおそらくは背中にも、毒々しく染まった痣や、治り切らず引き攣れたような傷が残っている。勿論、葉留佳さんが受けた仕打ちはこの痕跡の数よりも遙かに多いんだろう。ただ、痣や傷があるから醜いのかと言えば違う。そんなものが葉留佳さんを貶めるわけじゃない。

 ――全部含めて、葉留佳さんだ。

 手を伸ばせば触れられる距離にある肌は壊れ物のように思えて、ほんの少し躊躇いも覚える。
 でも結局、好奇心と雄の欲求が僕を突き動かした。
 焦る必要はない。キスを一度、近付いた流れで背中に両手を回し、緩やかに擦っていく。ざらつきの少ない、滑らかな表面。太ってるわけじゃないけど肉付きもいい。最初こそ強張っていた身体も、徐々に力が抜けていった。ギリギリ体重を預けない程度、僕に身を委ねる葉留佳さんが愛しくて、より丹念、かつ執拗に口付けを交わす。
 たっぷり味わい離れた互いの唇に唾液のアーチが掛かり、ぷつりと切れるのに合わせて、心持ち優しく葉留佳さんの左胸を掴む。思ってた以上の柔らかさに、妙な感慨を抱いた。しばしその手触りを楽しみ、指を沈めて揉みしだく。僅かに手のひらからはみ出し収まり切らない豊満さ。背を撫ぜていた左手も正面に持っていき、右胸に運んだ。

「結構大きいよね」
「ふ……姉御ほどじゃ、んっ、ないけど……理樹くんは、ぁ、おっきい方が、好き?」
「どうだろう。葉留佳さんのなら小さくたっていいと思うよ?」

 正直に告げ、親指で乳首をぐっと押し込む。気のせいでなければ硬くなったそこを弄ると、一際高い悲鳴が上がる。
 僕はそんな葉留佳さんの反応に味を占めて、重点的に責めることにした。
 指の腹を往復させて間断ない刺激を与え、時折爪を弱めに食い込ませ、摘まむ。揉んでいるだけでは薄かっただろう性感も、こうすると声を我慢できないほどになるらしかった。
 無防備に乱れる姿を前にして、僕も徐々に昂っていく。弾む双丘にかぶりつきたくなる気持ちは堪え、代わりに首筋へ唇を寄せ、ねっとりと舌を這わせる。仄かに感じる、汗の塩辛さ。
 淡く立ち昇っている体臭も、不快じゃない。他の誰でもない葉留佳さんの匂いに、僕はくらくらしていた。

「もう……っ、理樹くんだけずるいよ、ひぁっ!」
「なら止めよっか?」
「そ、そこまでは、言わない、けど」
「葉留佳さんがそういうなら続けるね」
「いや、ストップ! このままじゃ絶対私ばっかり責められる!」

 我ながら意地の悪い問いに予想通りの返答が来たところで、葉留佳さんがさっと上半身を引いた。名残惜しさに腕を伸ばすも、両手で胸が隠されたので諦める。僕はちょっぴりの不満を声色に乗せて、どうしたいの、と訊ねた。

「散々好き勝手されたんだから、次ははるちんのターンってことで」
「ことで?」
「先に理樹くんに下を脱いでもらいましょう。……いいよね?」

 一応疑問形になってはいるけれど、それが問いかけではなく確認なことくらいは理解できる。
 後ろめたさも手伝って、無抵抗なのを示すために再び万歳の姿勢を取った。僕の様子に葉留佳さんはにんまりとした笑みを浮かべ、ズボンの腰辺りに手を掛ける。留め具のないタイプなので、下向きに引っ張れば簡単に落ちてしまう。晒された下着も同じ流れで脱がされ、十秒もしないうちに僕は剛直を剥き出しにすることになった。

「……うわ」
「うわって何さ、うわって」
「ひょっとしなくても、すごい興奮してた?」
「えっと、まあ、その……うん」
「そっか。私の裸見ておっぱい弄って、こんな硬くなるまで喜んでたんだ」

 意趣返しと言うべきか、今度は葉留佳さんが言葉責めをしてくる。否定できない恥ずかしさに視線を逸らすと、その状況を待っていたとばかりに細い指が逸物に絡んだ。突然の生温かい感覚に、口から小さな呻きが漏れる。

「ねえ、どうすればいい? どんな風にしたら気持ちいい?」
「い、いいよ、僕のなんて進んで触りたいものじゃないでしょ」
「理樹くんのだったら平気だよ。ぐにぐにして不思議な感じだけど、何だか可愛い気もするし」
「でも……」
「教えてくれないなら勝手に色々するよ?」

 ほとんど脅しだ。勿論本当にしてくれれば恥ずかしくも嬉しいわけで、自分に素直になった結果、葉留佳さんの好きにさせると決めた。急所を握られているという危うい状況も今は快感のスパイスにしかならず、醜悪な僕のそれに葉留佳さんが奉仕しようとしてる、その事実がまた雄茎を強張らせる。血が集まり過ぎて、少し痛い。

「指で、輪を作って、力を入れながら上下に動かして」
「こう?」
「ん、その調子……エラみたいなところに引っ掛けるように」
「なるほどなるほど。男の子はこうすると感じるんだ……。ぐにぐにーっと」
「うあ、く、ぅ」
「あはっ、理樹くん、気持ち良さそう」

 しごく動きが加速する。覚えたての拙さこそあれど、葉留佳さんの手淫は確実に僕の理性を追い詰めていった。
 堪えても声は出てしまう。こっちの感じ方を見て、遠慮がなくなってきた葉留佳さんが空いた左手も使い始める。肉幹の根元に掛かった五指が適度な力で締め付け、じわりと鈴口から溢れる先走りの汁が葉留佳さんの手指を汚すと共に、にちゃにちゃと粘ついた、卑猥な音が僕らの間で響く。
 限界は、あっという間に訪れた。

「ひゃっ! わ、すご、びくんびくんって出てる」
「くあ、っは、ぁ……」

 迸る欲望が飛び散り、下半身の猛りも同時に抜けていく。緩やかに萎びる陰茎を握ったまま、葉留佳さんは目を白黒させて射精の様子を見つめていた。尿道に残る最後の白濁が吐き出されてから、おもむろに精液塗れの手を口に運ぶ。そっと唇で掬い取り、すぐ露骨に顔を顰めた。にが、という呟きが聞こえ、僕は苦笑する。

「無理して飲まなくてもいいのに。絶対おいしくないと思うよ」
「んー……んく、でも、理樹くんのなら好きになれるかもしれないじゃん。まずいし喉に絡んですごく飲み込みにくいけど、言うほど嫌いじゃないよ? 慣れればいけるような気がする」
「……慣れるようなことに、なるのかな」
「理樹くんは、これで終わりにしたいの?」

 ここまでしておいて、その問いを否定できるはずもない。
 プラトニックな関係で満足だというのなら、僕も、葉留佳さんも、今頃はぐっすり眠っているだろう。
 一度関係を持ってしまえば、二度目を望むのも当然だ。僕らが互いを求めている限り、何度でも繋がりたいと願う。
 それもまた一つの、好きな気持ちを伝える手段。愚直で冴えない、けれどたぶん一番激しい幸せの感じ方。
 だから僕は「ううん」とだけ告げ、胸やお臍に白濁を付着させた、淫猥な姿で座る葉留佳さんの腰に手を伸ばす。
 股間のモノは気付けば硬度を取り戻し、まだ足りないとわかりやすく主張していた。

「お尻持ち上げて、そう、足伸ばして。一気に脱がすよ」

 攻守交替、僕の番。従順に指示通り動いてくれたおかげで、下着も両足から抜き取るのは容易だった。
 下腹部を覆う布地が完全に下り切った時、羞恥に耐える声が微かに届いてきたけど、聞こえなかったふりをする。部屋の明かりを反射し銀色に光る糸めいたものが見え、それが秘裂の辺りから伸びているのを知って、肉棒がびくんと疼いた。
 淡い茂みの奥で閉じた陰唇は、うっすらと液体を滲ませている。何かを期待するように。

「……葉留佳さん」
「い、言わないで……。わかってる、わかってるから」

 恥ずかしそうな表情で俯くも、開いた両足は閉じずにいてくれた。繊細な壊れ物に触れるつもりで、花弁の中に指を沈める。外目には濡れ方が足りないと思っていたけど、予想よりも内は熱く蕩け、挿入しても問題なさそうだ。
 銀糸が纏わり付いた人差し指を引き、僕は葉留佳さんと向き合う。ようやく、ここまで来た。

「それじゃあ、行くね。痛かったり辛かったりしたら言って」
「できれば優しくしてほしいなぁ……。理樹くんの理性を信じてるよ?」
「う、なるべく善処してみます」

 細い身体を引き寄せて抱き締め、動きやすい状況を作る。間近で目にした葉留佳さんの瞳は不安と小さな情欲の炎で揺れ、僕の姿を映し出していた。心が逸る。腰を落とし、慎重に先端を秘裂の隙間に宛がって、

「んん……っ」

 さほど抵抗なく入った。肉を掻き分け、愛液の海を進みながら膣口を目指す。
 詰まった息と声が耳元に掛かり、剛直が陰唇の内側を擦る度、背筋はぞくぞくと震えた。甘い痺れが股間の底から走り、射精の衝動を徐々に耐え難いものへと変えていく。でも、まだ早い。さらに押し込み、鈴口が膜に触れる。
 軽く力んだだけでは破けそうになかった。そのことに安心し、僕は葉留佳さんの顔を窺う。

「平気?」
「っは、ふぅ……うん、なんとか、大丈夫。一気に行っちゃって」
「痛くないかな」
「勢いでやっちゃった方が、痛いのも一瞬で済むと思う」
「……わかった」
「理樹くん、お願い、手繋いでて」

 要望通り右手をきゅっと握る。左手は目前、葉留佳さんのお尻の後ろに置き、少し姿勢を正面に傾けて入れやすいようにした。僅かに腰を引く。タイミングを告げる代わりに右手の握力を強めて、一息に、突いた。
 鼓膜に直接届いてきたかのような、ぷつん、という破瓜の音。細く伸びる媚肉の道を無理矢理拡げて進んだ雄茎が、熱い葉留佳さんの身体の芯に辿り着き、己が姿を主張しているのがわかる。
 聞いているこっちまで苦しくなりそうなほどに痛みで乱れた呼吸を唇から漏らしながら、葉留佳さんは涙を浮かべた。
 緩やかに、頬を綻ばせて。

「えへへ……すっごい痛かった。けどもう、どうしようってくらいに、しあわせ」
「僕も……葉留佳さんの中、きついけど気持ち良くて、たぶん、あんまり持ちそうにない」
「お腹の奥で、理樹くんのおっきいのが、びくんびくんってしてるの、わかるよ。私で、感じてくれてるからだよね」
「うん、葉留佳さん、だから、こんなになってるんだ」

 僕の言葉を受けて、じわりと愛液の分泌量が増す。あれほど狭かった膣内も潤滑液のおかげで多少はスムーズに動けた。ゆっくり、ゆっくりモノを引き抜いていく。
 竿の大半が外気に触れると、生まれた隙間を通って血の混じった液体が溢れ出してきた。
 肉襞に擦れる感覚が、洒落にならない。今や抑えが効かなくなった葉留佳さんの嬌声も相まって、何度も理性が飛びかける。その度にどうにか心の手綱を掴み、必死に歯を食い縛って堪えるも、限界は目に見えていた。

「う、あ……っ、くぅ、はっ、葉留佳さんっ」
「はぅん、ああぁっ、理樹く、ふぁっ、いき、くるし……!」

 繰り返す抽挿は僕らの繋がりをより強くし、意識が薄れかけるくらいの快楽を発生させる。いつしかまともな言葉も喋れなくなり、それでも互いの名前を呼ぶことだけは止めなかった。
 腰を打ちつけながら、一心不乱に目の前の唇を貪る。両手は背へ回し身を抱き寄せ、柔らかな双丘が僕の胸でむにゅりと潰れるのを感じる。汗の浮いた肌をなぞると僅かに盛り上がった傷跡に触れ、そこを重点的に撫でた。
 ……醜くなんかない。この傷も、痣も、心も、全て合わせて葉留佳さんだ。
 そして僕は、そんな葉留佳さんを好きだと胸を張って言える。いつも騒がしくて賑やかで、時々周りに迷惑と思われることもあるけれど、本当はとっても純情で悪意のない、優しい女の子。
 喘ぐ表情、口端から垂れる涎、火照った身体、僕を受け入れてくれた彼女の何もかもが、どうしようもなく愛しい。
 ずっとこうしていられればいいのに、と。少し、思った。

「まず、出る……っ!」
「ん、あっ、あっあっあっ、理樹くん、理樹くんっ、ふああああああああぁぁっ!」

 絶頂の声と共に、葉留佳さんの身体が弓なりに反った。一瞬遅れて猛烈な射精感が走り、寸でのところで剛直を抜き去る。血と愛液塗れの鈴口から、勢い良く白い塊が吐き出された。お尻や秘裂の周り、お腹へと降り注ぎ、ベッドのシーツも盛大に汚していく。
 達した後、僕達は行為の名残を確かめるように、しばらく呆然と見つめ合っていた。

「……葉留佳さん、平気?」
「痛かったりまだくらくらしたりするけど、なんとか。理樹くんは優しくしてくれたし」
「ならよかった。あ、でも、撒き散らしちゃってごめん……。すぐ拭かなきゃ」
「……シーツ、やっぱり洗わないとだめかな」
「さすがにこのままじゃ、寝られないよね」

 どうしよっか、と問いかける。
 とりあえず裸のままいるわけにもいかないから服を着て、それで。

「そうだ、お布団。ベッドが駄目ならお布団で寝ようよ」
「……もしかして、一緒に?」
「今日はその方が嬉しい、かな」
「じゃあ、うん、着替えたら持ってくるね」

 セックスよりはまだ健全だろう。そう思えば、同衾することにも抵抗はない。
 倦怠感を振り払い立ち上がる。ベッドのそばに置いてあったティッシュで精液を拭き取り、丸めてゴミ箱に捨ててから着替えを掴んだ。引っぺがしたシーツを胴体に巻いた葉留佳さんは、ちょっと身体洗ってくると言い残し、本日二度目のお風呂に向かう。
 触れ合えるほど密着した状態でまともに眠れるか、それだけが心配と言えば心配だった。










 翌日。
 目覚ましもなく自然に覚醒した僕は、瞼を開いてぴしりと固まった。
 鼻が当たりそうな至近距離に、葉留佳さんの顔がある。穏やかに寝息を立て、時折外界の刺激に睫毛を震わせてはほにゃっと口元を緩ませる様子が、贔屓目だと自覚しているけれどやっぱり可愛らしかった。
 まあ、問題はそこじゃなく、僕の腕が葉留佳さんの胸に抱かれていることで。
 そっと抜こうにもかなりがっちり押さえられてるものだから、起こしてしまうんじゃないかともがく動きも控えめになる。
 意識すると余計に柔らかさと人肌のぬくもりが伝わり、生理現象も相まって下半身が大変なことになっていた。

「うぅ……」

 少し乾いた唇に目が行く。よく寝てる今ならキスしても気付かれないかもしれない、なんて考え、慌ててその気持ちを頭の中に閉じ込めた。本当にそうしたら抑えが効かなくなる気もするし、眠ってるうちにするのは何だかずるい。
 小さく溜め息を吐き、他にできることもないので葉留佳さんを眺め続けた。幸いにも無事なもう片方の手で、枕の上に投げ出された髪を整える。シャンプーだろうか、ふわりと広がる爽やかな匂いが目前にいる女の子のものだと殊更意識して、朝から僕は心臓を高鳴らせた。ずっと一緒にいたら、それこそどうにかなっちゃいそうだった。
 ひたすら悶々としていると、葉留佳さんが急に僕の腕をひっしと抱きしめたまま身じろぎする。薄く瞼が開き、

「……ん、ふ、ふぁ……あ、りきくんだぁ」

 甘えたような声で、蕩けた表情を浮かべる。
 寝惚け眼は一種の艶やかさを宿し、焦点の合わない胡乱な瞳が細められ、やがて閉じた。腕ごと引き寄せられる。迫る顔。混乱した僕が抵抗する間もなく、葉留佳さんの温い感触が半開きの唇を撫でる。
 不覚にも離れた時、名残惜しさを感じてしまった。

「葉留佳さん、ちゃんと起きて」
「んー、まだこうしてるー。えへへ、りきくんあったかーい」
「葉留佳さんってば……もう」

 肩を揺すろうとしたけど、幸せそうにふやけた表情を見て止めた。
 何だかんだで嫌じゃないと思う辺り、僕もだいぶ葉留佳さんに感化されてるんだろう。仕方ないなあと呟き、満足するまで為すがままにされようと思う。外気はほんのちょっとばかり肌寒く、抱き枕代わりになるのはむしろ歓迎だった。
 と、もぞもぞしていた葉留佳さんの両手が僕の腰に伸び始めて、物凄い焦る。

「あっ、ちょっと……!」

 制止しようとするも時既に遅し。不自然な股間の膨らみを圧迫され、くぐもった声が口から漏れる。
 あまりの恥ずかしさに、今すぐにでも消えてしまいたくなった。

「……できればあんまり追及しないでもらえると、嬉しいんだけど」
「昨日あんなにしたのに、元気だね」
「それはその、男ならみんなおんなじというか……」
「ねえ」

 ――声色が変わる。僕を誘惑するような、ねっとりとしたものに。

「理樹くんは、また、したい?」
「え……?」
「私ならいいよ。さすがに朝からは辛いけど、理樹くんのを鎮めるくらいなら今でも」

 お互い横たわった姿勢で、葉留佳さんの指が服越しに僕のモノを軽く擦る。
 抗うには魅力的過ぎる提案。欲望に負け、僕はこくりと頷こうとして、

「葉留佳、もう起きて……る……?」

 いないはずの人が部屋のドアを開けて入ってきた。ぎょっとして振り向く僕達。交差する視線。凍る空気。
 入口に立ち尽くす人影――佳奈多さんは、一枚の布団に包まって密着している僕と葉留佳さんを冷たく見下ろし、おもむろに近付き掛け布団を力いっぱい剥ぎ取って、全ての現状を把握した。
 地の底から響き渡る低い声が、僕らの耳を打つ。
 無言の圧力に押され、自然と腕を組む彼女の前で二人して正座した。

「直枝理樹」
「は、はい」
「どうして、あなたはここにいるのかしら?」
「紆余曲折が、ありまして」
「葉留佳」
「な、何デスカ?」
「当然のようにあなた達が抱き合っていることに関して、私を納得させられる弁明ができるのなら言ってみなさい」
「や、やはは……実はかくかくしかじかなわけでして」
「本当にそんなひとことで言い訳になると思ってる? というか、馬鹿にしてるの?」
「いやー、まさか……理樹くんダッシュ!」
「え、ええ!?」

 僅かな間隙を突いて、僕の手を掴んだ葉留佳さんが咄嗟に立ち上がり、走り出した。
 突然のことに反応が遅れた佳奈多さんの横をすり抜け、開け放たれた扉が本来塞ぐ場所を通過する。木造の階段を足早に駆け降り、目指す先は玄関、外。
 追いかけてくる佳奈多さんの怒号と足音を背後に聞きながら、葉留佳さんは楽しそうに、歌うように言った。

「理樹くん!」
「何、葉留佳さん!?」
「怒られる時も、一緒にねっ!」

 騒がしくも楽しい恋人に、これからも僕は振り回されるんだろう。
 ……勿論、望むところだった。



 ちなみに、玄関で上手く靴を履けずもたついていたらすぐ捕まって、揃って一時間の説教と朝食抜きの罰を喰らった。
 足が痺れて前のめりに倒れた葉留佳さんの手を、僕と佳奈多さんは笑って取った。










 あとがき

 一番納得行ってるのが冒頭とラストっていうのは正直どうなんだ自分……orz
 何だか回を重ねる毎に難航してる気がします。こまりんの時もヒイヒイ言ってましたが、今回は輪を掛けて。
 はるちんは比較的エロに持っていきやすかったんですけど、肝心の動機に乏しい……というよりは、単純に私が書き切れてないだけですね、うん。四作目にもなると描写の重複やパターン化を意識してしまうので、どうしても縛られがちに。なるべくそうならないよう気を付けたとはいえ、そもそも体位とかほとんど変わらないので違いを出すのにも一苦労です。いや、出せてないのか……はぁ。
 色々とはるちんらしい要素は詰め込んでます。傷や痣に関しては解釈が分かれるところなんですが(本編でも例えばお泊り会とかで言及されてる描写がない)、全くないわけじゃないと思うので、うっすらと、くらいに留めてます。あとは、以前山鳥さんのblogで拝見した、はるちんとクドについての話から発想を。女性としての一種のずるさ、あざとさみたいな部分が、私は結構好きです。そういう打算めいた側面ってすごく人間らしいじゃないですか。
 こまりんもでしたけど、はるちんは口調の再現が難しかった。おちゃらけモードなら他のみんなと明確に違うのでわかりやすいですよね。でも、そうじゃないと特徴が薄れちゃう。バランスの配分に悩んで、結果的には失敗した感が否めません。
 はるちんシナリオで強調されているのは、彼女が他者の愛情に飢えていること、認められたい、肯定されたいと思っていること。理樹君になら全部委ねられるんです。我が儘言っても許してもらえるし、彼の前でなら無理して笑顔を貼り付けなくてもいい。自分を取り繕って誤魔化さなくてもいい。依存し切るのでもなく、互いを信じて受け止めるような関係。そんな二人であってほしいな、と思って色々盛り込みました。盛り込んだ、つもり、なんです……orz
 ちなみに、えろシーンは全部うんうん唸って書いてましたが、それ以外で突っかかったのは夕食の献立でした。はるちんの腕で作れて、かつそれなりに食べられるもの(我ながら酷い)を候補に挙げるのに、二日近く。どんだけ発想力ないんだ私。
 タイトルは例によって適当。というかもう全然思いつかない。うあー、しばらく読み専に回るかなぁ。
 残りは二人。果たしていつ書き上げられることやら。



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何かあったらどーぞ。



めーるふぉーむ


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