まだ一人部屋だった頃に一度シーツを酷く汚して以来、私は必ず腰辺りの下にバスタオルを敷くようになった。 触り心地はお世辞にも上等と言えない、安っぽい生地。少し肌に当たるとちくちくするけれど、その感覚は決して嫌いじゃない。毛布を被り、真っ暗な部屋の中で息を潜める。そうして慎重に、物音を立てないよう気をつけながら服を脱いでいく。 しゅるり、しゅるり。普段なら意識することのない小さな衣擦れの音も、みんなが寝静まった夜だといやに響いてしまう。緊張で全身に汗が浮き、どきどき、ぽかぽかしてくる。 すぐ近くの、もうひとつのベッドで眠っているルームメイトの彼女にどうか起きないでと祈りつつ、アオザイの長袖からゆっくりと腕を抜いた。身を捩って、ドロワーズも下ろす。手が届かないし姿勢的にも辛いから、膝のところで止めた。 今の自分は下着姿。薄いキャミソールとパンツだけ。我ながら、はしたない格好だと思う。 でも、これからやろうとしていることを考えれば、服を脱ぐなんて「はしたないこと」のうちには入らない。 何度も。 何度も、してきた。 パンツの両端を摘み、静かに太腿の上を滑らせる。汗で湿ったそれが丸まって下腹部から離れる。 お尻が毛羽立ったバスタオルを擦った。やっぱりくすぐったい。シーツの側にある左手を顔のそばに持っていき、タオルの端っこを取って口にくわえた。しっかりと噛む。涎と声が、外に漏れないように。 鼓動の速さに比例して、身体がどんどん熱くなる。蒸れてさらに汗が滲み、落ち着かなくなってくる。 それら全てを抑えず、私は目を閉じた。瞼の裏に、前と同じものを思い浮かべた。 いつもみたいに。 リキのことを。 初めてそれをしたのがいつだったかは、よく覚えていない。 ただ、訪れた未知の感覚には、ほんの僅かな恐怖と、癖になりそうな気持ち良さが混ざっていた。 後始末の方法を思案するようになったのはその時から。以降回数を重ねるにつれ、より長く、より静かに続けるやり方を学んでいった。すぐには終わらせない。正直な身体は早く達してしまいたいと訴えてくるけれど、なるべく焦らした方が快感は増すと知った。 ――みぎてがおりる。 ――そこにふれる。 覚えたての頃は、頭を真っ白にして触るだけだった。 そうすると背筋がぞくぞくと痺れて、勝手に指が動き出す。我慢しても唇を押し開いて声が出そうになる。 毎日とはいかないまでも、割と頻繁に私は自分を慰めた。その度にティッシュを枕の横に置き、バスタオルと合わせて痕跡が残らないよう、真夜中に一人で飛び散った汗や染みになりそうな水を拭き取った。 勿論完全に綺麗にはならない。だから周りの人達よりシーツを洗濯に出す間隔が短かったけど、幸い誰も不審には思わずにいてくれた。きっとシーツの扱いなんて、私の外見や中身のおかしさと比べれば取るに足らないものだったんだろう。 ――ゆびがしずみこむ。 ――やわらかなにくをかきわける。 本格的に意識するようになってから、夢の中にもリキは現れた。 いけないと思いながら、悪いと思いながら、それでも私はリキの姿を、声を求めてしまう。 想像するのはどうしようもなく自由で、ささやかな自責の念や罪悪感は何の抑止にもならなくて、私が思い描く、私にとって都合のいいリキは、優しくこの身体をまさぐって、私を幾度も絶頂に導いた。 実際には、ずっと離れた男子寮の一室で、私なんて少しも気にすることなく眠っているはずなのに。 私のわがままが、身勝手な想いが、リキを汚しているみたいだった。 ――ぷっくりとしたふくらみをみつける。 ――ゆびのはらでおしつぶす。 堪えても堪えても、閉じた唇を割って声は漏れる。 むずがるようなそれが、だんだん甘く鼻に掛かったものに変わる。 最初は自分がそんな声を出しているなんて信じられなかった。でも、どんなに恥ずかしくても繰り返せば慣れる。当たり前になる。布団の中でこもる熱や、噛みしめたバスタオルをべたべたにする涎の粘つき、内腿を濡らす雫の温かさを、私はもう手放せなくなっていた。 ――なでるだけじゃもどかしい。 ――つめをたててかるくひっかく。 愛しい人が、耳元で囁く。 大丈夫だよと私に言い聞かせながら、一枚一枚丁寧に服を脱がせてくれる。 まずはキス。間近にリキの顔を見る。唇を少しだけ開いて、吐息の交換をする。十秒ほどで離れて、もう一度。次は舌が入る。形だけの抵抗には構わず、先端がちょんとつついてくる。一瞬躊躇い、私はそれに応える。応えて、貪る。 そのまま私の胸にリキの手が伸びる。大丈夫だよとまた言って、さわさわとてのひらで撫でてくる。私が下でリキが上。流し込まれる唾が溢れてこぼれるけど気にしない。興奮してきて、私は足を擦り合わせる。じわりとそこが湿り始めたのを自覚して、リキの背に両手を回して抱きしめる。 クド、どきどきしてるね。リキが呟いて私は認める。返ってくる笑み。頭を私の胸元に運び、キャミソールをめくりあげて舌を這わせる。犬みたいにぴちゃぴちゃと。くすぐったさと気持ち良さが半々の感覚に我慢していると、充血して尖った部分にキスされる。今度はちゅうちゅうと吸われ、あ、と声が出る。耐えられない。腰が跳ね、どっと滲む水の量が増える。 ――それでもたりなくてつよめにつまむ。 ――わたしはわたしをおいつめていく。 リキの指が下腹部に来る。溢れる粘液をまぶし、つるつるの皮膚を撫でて入口に差し掛かる。つぷり、と第一関節が沈み、徐々に指先は奥を目指し進む。私の意識とは関係なしにひくつく肉の覆いを越え、リキに責められたせいで胸よりも充血し膨れ上がったそこに辿り着いた指が、遠慮がちに刺激を与えてくる。 これまでとは段違いの快感に、私は懸命に声を抑える。けれどいじわるなリキは何も言わず、私の反応を楽しみながら愛撫を続ける。やがて訪れる、どこかに飛んでいきそうな、私が一瞬私でなくなりそうな、お腹の底に溜まっていたものが一気に解放されるような、そういう圧倒的な気持ち良さ。視界も思考もまっさらになって、何もかもがわからなくなる。 ――びくんとからだがはげしくはねる。 ――しばらくかたでいきをする。 カーテンの隙間から射し込む月明かりに、布団を除けてぬらぬらと粘液をまとった指をかざすと、てのひらを、甲を伝い、手首をのろのろと滑り落ちていく。そんな光景をしばし眺め、他のところに触れないよう気をつけてティッシュを何枚か箱から引き抜く。薄い紙が擦れる乾いた音をぼんやりと聞き、濡れた手指と下腹部をざらついたそれで今日も拭ってから、私は急な喪失感を得る。甘く幸せな夢から醒めた時の、どうしようもなく悲しい気持ちを。 優しいリキは、全部まぼろし。本当の私はひとりきり。人目を気にしてひっそり隠れて、惨めに自身を慰めている。 いつも、そうだった。後片づけをしていると、こんなことをしてる自分が酷く情けなかった。 なのにやめられない。決していいことじゃない、このままじゃだめだとわかっていても、私は浅ましい欲望を抑えられずにいる。……違う。抑えようとすらしていない。望んで、リキを汚している。 ――ゆっくりこきゅうをととのえる。 ――まくらのよこにてをのばす。 私は、リキが好き。好きだけど、でも、私の想いは届かないと思う。 背がちっちゃくて、髪の毛も目も黒くなくて、胸はぺったんこで下もつるつるな幼児体型、英語はできないし喋れない、運動だって特にできるわけでもない、何よりこんなにも自分勝手な、変なところばっかりの私のどこに、リキに好かれる要素があるんだろうか。 周りには、素敵な女の人がいっぱいいる。鈴さん。小毬さん。三枝さん。来ヶ谷さん。西園さん。リキの気持ちはわからないけど、もし私達の中から誰かを選ぶんだとしたら、きっと私は選択肢に入らない。 かつて、リキは私を笑わなかった。それでも。 ああ、ねがてぃぶですね、と心の中で呟いても、前向きになろうとしても、それで現実が変わるはずはなかった。 ――からだをきれいにしておく。 ――いきをころしておきあがる。 隣のベッドでは、佳奈多さんが寝ている。時折聞こえる呻き声。もしかしたら、悪夢を見てるのかもしれない。 以前、お風呂で佳奈多さんの裸を目にしたことがあった。その腕や背中を染め上げる痣の存在は、誰にも言わないで、黙ってて、と釘を刺されている。当然私も不用意に口にするつもりはないし、どうしてそんな風になってるのか、実家へ行って帰ってきた時に何故新しい痣が増えてるのか、深く詮索しようとは思わない。佳奈多さんが私に言いたくなったなら、たぶん教えてくれる。だから、それまでは何も訊かない。 布団に包まったままパンツとドロワーズを穿いた。佳奈多さんを起こしてしまわないよう、そっと私はベッドから出て、使い終わったティッシュをゴミ箱に捨て、役目を果たしたバスタオルを洗濯物として積んでおく。ベッドにこもっていた私の匂いは、しばらく放っておけば消えてくれるだろう。身体と布団の熱が冷めるまでの間、何とはなしに窓の外へ視線をやる。遠くから、にゃあ、と猫の声が聞こえた気がした。 腕を軽く持ち上げ、すんすんと鼻を鳴らす。ちょっと汗臭いけど、お風呂に入ることはできない。朝になって佳奈多さんに指摘されたりはしないだろうか。優しくも厳しいひとだから、色々と迷惑を掛けるかもしれない。それが心苦しかった。 ――よけいなものをかたづける。 ――これでぜんぶもとどおり。 姿を見るだけで心が躍って。 話しかけてくれるのが嬉しくて。 その笑顔を向けられると幸せで。 何もかもを単純に受け止めて、はしゃいでいられればよかった。 けれどいつしかもっとそばにいたくなって、叶いそうにないと気づいて、気づいても諦め切れなくて。 こんな風にひとり、すぐ消えてしまうようなむなしい夢にすがっている。 どこまで行っても私は、変わらない。変われない。誰より低い身長も、亜麻色の髪も蒼い瞳も、女らしさが全く感じられない身体も、勉強の上手くできない頭も……お母さんみたいになれない自分自身が、どうしても好きになれない。 ……だから、これくらいは、許してほしいと思うのです。 アオザイを羽織り、首元から腋にかけてのホックとリボンを留める。 まだベッドの中はあったかい。赤ちゃんのように縮こまって、私はばさりと毛布を被った。 世界は真っ暗。目を閉じる。リキと、それから佳奈多さんに、おやすみなさいと言葉を投げた。 じゃらり。 鎖の音が、頭の奥で響いた。 ――ゆめからさめて、わたしが「わたし」でなくなっても。 ――ずっと、いつまでも、わたしはあなたのゆめをみる。 あとがき 第19回草SS大会に投稿したもの。かなり迷ったんですが結局。あそこの人達は異様に読解力あるから大丈夫だと無責任に思ってたら誰にもわかってもらえませんでした。へこむー……。 多量の解釈が必要な時点でアレなんですけどね。ええ。 頭の方にある謎の記号は、そんな難しいものじゃないです。『○』はルート終了前のクド、地の文。『――●』は虚構世界から抜けた後のいわゆるNPCクド。わたし=能美クドリャフカという存在から「わたし」=クドの魂(光の玉)が抜けても、変わらず「あなたのゆめをみる」=同じことをし続ける、という感じ。だから、途中(――ゆっくりこきゅうを〜)から地の文とズレてるんです。まあわからないよね! 色々対比もあるんですがそこは以下略。 ひらがななのはちょっとあざといですけど、タイトル先行で書いてたので、調和のためにそうする必要がありました。ちなみに後者、解釈次第ではクド以外でも適用できそうです。例えばはるちんとか。 他にもいくつか、猫の鳴き声(レノン)や鎖の音(劣等感や罪悪感、総じて不変の象徴)などの意味深なモチーフをばら撒いてますが、その辺は何となくでわかってもらえればいいかと。あと、気付く人は気付くと思いますけど、発想元はmarlholloさんの『Bサイズ69cmの膨らみ』。発端は『変わらぬ君』です。私もみんなが書かないような、暗部……というか、そういういやーなところが書きたかったのです。虚構世界特有のギミックも思いつきましたしね。 そういえば、くどふぇす以来久々にクドを書きました。それがこんなんってのはどうなんだ私。 出来上がるまで時間は掛かりましたが、結構ノリノリでやってた辺り、察してください。 ……あれ? 結局またエロだぞ? 何かあったらどーぞ。 |