別に、何か特別なことがあったわけじゃない。



……ただ、今日は少し寒すぎる、それだけだと思う。




















present for -like and love-




















遠野と昨日のうちに約束をした。
内容はありがちで、単純にデートしましょうというもの。
デート、と口に出すと恥ずかしいが、ならば他にどう称すればいいんだろうか。……まぁ、別にそんなことはどうだっていい。
みちるは今日に限って不在らしく(家族旅行だそうだ)、遠野は母と家では二人きりだという。
あいつがいて都合が悪いわけでもないが、恥ずかしいといえば恥ずかしい。

(しかし"ふたりきり"か…………)

考えて頬が熱くなった。
いつも遠野とみちるでセットのようなものなので、こんな状況は珍しいのだ。


まだ遠野は来ない。
約束の時間より三十分も早く来ているのだから当たり前なのだが、やはり一人だと寂しいものだ。

「俺もずいぶんと変わったな……」

そんなコトを口に出してみる。



この街に来てからだ。
遠野と会って、みちると会って、俺の全てが変わった。
存在意義も、日常の中心も、帰るべき場所も。
あいつが……遠野が俺の掛け替えのない、大切な、本当に誰よりも大切な存在になって。

離れたくない。傍にいたい。ずっと、いつまでも。

そうして俺はこの町に足を留めた。
此処を自分の居場所と決めて。



今、俺にとっての世界は此処にしかないのだから。













「…………待ちましたか?」
「いや、あまり待ってはいないぞ」

遠野は俺の姿を確認すると、走って寄ってきた。
何故だか少し困らせてしまったようで、心苦しい。

「……送れたお詫びに進呈」

お米券を渡される。
最近では捨てるのは自己嫌悪に繋がるので、大人しく戴きポケットに突っ込む。
遠野はそんな俺を見て薄い笑顔を見せるので、そうすると何となく頭を撫でたくなったりするのだ。


僅か頬を染める彼女を見て、限りない愛しさを感じずにはいられなかった。













まだ朝は早い。
早いと言っても十時頃、陽はそれなりに昇ってはいるのだが、まだ人気は少ないので早いと断言してもいいだろう。
見慣れた町並みを通る。もう秋が訪れ始めている証拠に、紅く染まっている木の葉が風と共に地を這っていた。
少し寒い。……と、遠野が俺の右腕を掴んで抱きしめた。

「……寒いですね」
「そうだな」
「国崎さんの腕……あったかいです」

腕越しに伝わってくる、遠野のぬくもり。

「……遠野も、あったかいな」

そんなコトを口走った自分は、本当に変わったと思う。
すると遠野は、懐に手を入れた。

「……あったかかったので進呈」



今日二枚目のお米券だった。













海からの風が強い。
堤防の上は少し冷たい空気が流れている。
人はなく、静かに波の音だけが響く。

「もう……秋なんですね」
「時間が過ぎるのは早いものだな」

時は必ず流れ、人も景色も、その姿を変えていく。
まるで夏しかなかったようなこの町は、確実に季節の移り変わりを実行していた。


夏の印象が強すぎる所為か。
冬の雪景色も、春の桜吹雪も全く思い浮かばない。
今でも脳裏に焼き付いているのは、強い陽射しと小さな木陰。はしゃぐ子供達と蒼穹。……そして、満点の星空と黄昏色の風景。
きっと、一生忘れないだろう。もう過ぎ去ったあの日々は。

「なぁ、遠野……」
「どうしました?」
「……海、綺麗か?」
「…………はい、とても綺麗です」

変わらないのは、目の前の海だけだったのかもしれない。

「……詩人な国崎さんにはこれを進呈」



渡されたのは、この場面には到底似合わないようなモノだった。
いやそれより、頭の中を読まれたコトに突っ込んだ方が良かったのか。













『武田商店』と書かれた看板を目の前にする。
この時期になっても凧やアイスが売っているというなかなかに素敵な店だ。
……横の自動販売機には『どろりシリーズ』の文字。
そして甦る悪夢。……今でもぞっとする。

「……国崎さん、顔色悪いですよ?」
「いや、気にするな。大したコトじゃない」

言えない。どろり濃厚ピーチ味を喉に詰まらせて御亡くなりになった自分を想像したなどと冗談にもならないコトを思ったなんて。
立ち去ろうとすると、遠野に袖を掴まれた。

「……あれ、食べませんか?」

指の先には箱の中のアイスの山。どろりよりはマシだが、この寒い中では少し堪える。
しかし、遠野の希望なので断りたくない。というか断るという選択肢は俺の中にはなかった。
店の親父にアイスをふたつ差し出す。懐から金を出そうとすると、親父は受け取らなかった。
どうやら無料にしてくれるらしい。なんて素敵な人間だろう。
すると、遠野がずいっと前に出た。

「……粋なあなたにこれを進呈」



お米券を渡された親父は、ちょっと焦っていた。
そして何故か、俺にも渡された。













「……さむっ」

先ほど腹に突っ込んだアイスが全身を震わせる。
根性で食べ切ったが、代償は大きかったようだ。かなり寒い。


さりげなく凍えていると、遠野があろうことか背中から前に両手を回して後ろから俺を抱きしめた。

「…………寒いですね」
「そりゃ、アイス食ったからな」
「……こうしてると、すごく暖まります」

遠野がアイスを食べようと言った真意が、今更になってわかった。
彼女の身体もこころなしか冷たい。……だから、向きを変えて俺も遠野を抱きしめた。



「ああ……確かに暖まるな。すごく」



しばらくそうしたあと、またお米券を渡された。
今回は『さらにあったかかったで賞』らしい。……この時点で、もう一ヶ月は米に困るまい。













時刻はちょうど昼。
今日は遠野が弁当を持ってきたらしいので、さっそく披露してもらう。

「……じゃーん」
「おおっ!」
「……えっへん」

この会話の内容から如何なるモノか察して欲しい。
味は無論、美味のひとことだ。
つい一時間ほど前にアイスを腹に詰めたにも関わらず、全てを食べ切ってしまった。それくらいの味。

「遠野、これならいつでも嫁の貰い手があるな」
「……………………」

……強い視線を横から感じる。
その方向には……考えなくてもわかる。此処には俺と遠野しかいない。



言葉はもう少し選ぶべきだなと思いつつ、無言で渡されたお米券をポケットに仕舞った。













現在位置は学校屋上。
今日は日曜なので開いていないはずなのだが、結構簡単に進入できた。
遠野も止めなかった、というか発案者。そういえば俺もあの日から来ていないので、いい機会といえばいい機会だ。
風が強く、空が近い。
まだ時刻は昼過ぎなので、太陽はほぼ真上だ。空は陽射しでほんの僅か白み掛かり眩しい。

目の前にはフェンス。
"あの"みちるがいた、最後の場所。



今でも少しだけ、泣きそうな気持ちになる。
柄にもないが、こればかりは仕方ない。……"生まれなかった"みちるは、幸せだったとわかっているけど。
それでも悲しかった。彼女の変わりはもういない。新しいみちるを残して。


「……国崎さん」
「なんだ?」
「私は……笑っていられますから」

そういう遠野の顔は、言葉通りの笑顔だった。
俺が愛しいと思う、大好きな微笑み。


一度強く抱きしめて、本当に強く抱きしめて。
手を繋ぎながら、屋上を後にした。



学校を出てから渡されたお米券は、何故だか装丁が豪華だった。













夕方。
雲ひとつないその空は、黄昏色より紅い。
廃駅に着いた俺達は、ベンチに座って夕焼けを眺めていた。

これで何度目か。
もう夜は近く、太陽は月とその役目を交代する。
遠野は俺の方に頭を預け、薄い瞳で地平線を見つめている。
一方の俺は身体を動かすわけにもいかず、そのままの姿勢で遠野と同じ視線を追っていた。


静かに、陽は沈んでいく。
音も立てず空の色は変わり、大気の冷たさも変わる。


「……そろそろ、夜になりますね」

不意に彼女はそう呟く。
俺も頷き、また世界は音をなくした。

「国崎さん……膝、貸してください」

言われたままにそうすると、彼女は頭をゆっくりと俺の膝に下ろした。
腿に伝わる確かな感覚。遠野の頭は視界のすぐ下だ。
自分の手で、横になっている遠野の髪を優しく梳いた。
良く手入れの行き届いた髪は、何の抵抗もなく指を通す。
……長い間、ただそれだけを続けていた。


いつの間にか、遠野は静かに寝てしまって。
微かに見えるその顔を、俺はずっと眺めて続けていた。



夢の中で見たのか、現実に寝ながら渡されたお米券に苦笑しながら。













夜、外灯のほとんどないこの廃駅でも、星空のおかげで辺りは明るかった。
ついさっき起きた遠野に「私…………寝てしまいましたか」と訊かれたのでそうだと答えたら、彼女は少し顔を赤らめてしまった。
寝顔を凝視していたのは拙かったか。

起きてすぐ、彼女は駅舎から望遠鏡を引っ張り出した。
「……こんなこともあろうかとここに仕舞っておいたのです」とのことで、実に用意周到だと思う。
満点の星空、という形容が最も合っているだろう空は、しっかり見ないと勿体無いとでも言わんばかりに輝いていた。


「…………国崎さん、見てください」
「ん、どれどれ……おおっ、すごいな」

望遠鏡のレンズを通して見る星々はやはり綺麗で、見てよかったと思えるモノばかりだった。
覗くと映る景色に同じモノはなく、どれもこれもその存在感を強く出している。
やはり、感心するしかない。


ふと思い出したように、遠野は懐からシャボン玉を取り出した。
空に向かって浮かぶ泡沫。星の光と混ざり合って、ソレは幻想的な風景を創り出していた。

「シャボン玉は……どこまで飛んでいけるのでしょう……」
「……きっと、遠く遥か彼方まで行くんだろうな」

遠野の口から漏れた微かな呟きに、俺は律儀に答える。
彼女はそっと振り向いて「そうですね」と囁いた。



後片付けの際に、何故か進呈された。
『星空が綺麗だったで賞』だそうだが、適当に聞こえたりもする。













廃駅の中の部屋のひとつに寝床を確保した。
ふたり別々に寝るほどのスペースはなく、それはつまり密着して寝なくてはいけないというコト。
……今更それを嫌だと言うような間柄ではないのが救いか。

すぐ目の前に遠野の顔があるというのはどうしても心臓に悪い。
さっきから心臓はどきどきしっ放しで、それを考える度に自分は意外と純情なのかもしれないなと馬鹿なことを思ってしまう。
自然と視線を逸らしてしまうが、遠野はそれを許してくれない。じっと見つめてくるのだ。

「……国崎さん」
「…………なんだ?」
「…………こっち向いてください」

見ると、遠野は気持ち拗ねたような顔をしていた。
……ああ、そんな顔をされたら思いっきり抱きしめたくなっちゃうじゃないか。


自分の身体は、欲求に忠実だと思う。
思った通り、俺は遠野を抱きしめていた。
遠野も俺を抱き返してくる。


小さく、彼女は口を開いた。

「国崎さん……私はお米券をどうして渡すと思いますか?」
「うーん、どうして、か……」

答え難い質問だ。

「…………それでは正解をお教えしましょう。……あれは、親愛の気持ちです。ですが、国崎さんに限ってはそれだけではありません」
「……ん? 俺だけ……何なんだ?」



「………………あれには"私の気持ちを進呈する"意味があるんですよ」



そう言って、彼女は今日だけでちょうど十枚目のお米券を取り出し、俺に渡して。

―――――― では、進呈」





同時に、優しいキスをした。










お互いを抱き枕にして、静かに今日に終わりを告げた。























「そういえば遠野……」
「……どうしました?」
「昨日はお米券、進呈し過ぎじゃなかったか?」
「…………つい先日、量が二倍になったので出欠大さーびす」
「……なるほど。ちなみに何枚あったんだ?」
「…………………………529枚です」



ということだったらしい。










どうも神海です。
リクエストで刹那さんに『AIR、お米券を10回全て別の場面で』という、ある意味トンデモナイ試練を課せられましたが。
根性で書き上げました。というか長い(汗

……なんちゅーか、今まで書いたことのないレベルでらぶらぶです。甘々です。
初体験ですよここまで書くの。大丈夫かこの脳味噌(爆
最後の方の「どうしてお米券を〜」は、自分の中の脳内適当設定です。
本当に適当ですみません。美凪さんファンごめんなさい(滝汗


もうあとがきまでだらだら書いてたら収拾つかないんでこの辺で。
ではではー。