ポケットに仕舞っていた携帯が震え出したのは、いつもの四人と食堂でご飯を食べている時だった。朝からテンション高い謙吾の言葉を一瞬遮り、ごめんとひとこと謝って懐に手を入れる。差出人は、葉留佳さん。
 開いたメールに目を通すと、向かいに座っていた恭介が何気なくこっちを覗こうとしてきた。さっと携帯を下ろしながら空いた片手でやんわりと制止し、見られなかったことに安堵する。元々恭介も本気で覗くつもりはなかったらしく、僕をなだめるようにちょっぴり申し訳なさそうな笑みを浮かべた。「悪い悪い」なんて言って、全然そうは思ってないのが丸解りだ。
「三枝からか?」
「うん」
「相変わらず仲がいいっつーか……ま、いちゃつくのはそこそこにしとけよな。あんまり見せつけられると、独り身の俺達は複雑な気分になっちまうぜ」
 現在進行形で複雑な気分になってるのはこっちの方なんだけど……。
 僕の隣にいる鈴はあからさまに溜め息を吐いて、口にカップゼリーを放り込んだ。ゆっくりと味わってから飲み込み、食器を片づけるために立ち上がる。それを皮切りにみんなも腰を上げ、鈴に続いてお盆を置きに行く。
 それぞれ鞄は持ってきてるから、あとはこのまま渡り廊下に向かうだけだ。メールの文面を思い返し、どうやって恭介に気づかれず事を運べるか考える。……というかその前に、鈴達に葉留佳さんの意図を伝えなきゃいけない。
 どうしよう、と内心穏やかになれないでいると、突然恭介が真人に鞄を押しつけ、割と切羽詰まった表情で走り出した。行き先を見る限り、どうやらトイレみたいだ。こう言っちゃ何だけど、理想的なタイミングだった。
 チャンスは今しかない。
 食堂の喧騒から離れて恭介を一緒に待つ残りの三人を、手招きで呼び寄せる。
「鈴、昨日来ヶ谷さんから連絡は来てる?」
「あれか?」
「いや、あれって言われてもどんな説明を受けてるかはわからないけど、葉留佳さんが恭介と佳奈多さんをくっつけようとしてるって話だよ」
「あー、うん、あれだな。ちゃんと聞いてるぞ」
「そっか。真人と謙吾もいいよね?」
 二人が頷いたのを確かめて、さっきのメールがどういうものだったのかを説明した。
 内容は単純。適当に理由をつけて恭介を一人で先に行かせ、同じく先行させられた佳奈多さんと二人きりにする。勿論それだけでいい雰囲気になるとは到底思えないけど、まずはとにかく一緒にいる機会を増やして、もっと意識させようという感じの作戦なんだろう。
「ってことは、あいつを上手く騙せばいいわけだな」
「お前にそんな高等な嘘を吐くことができるのか?」
「あぁ? んだよ、じゃあてめえこそできんのかよ?」
「無論だ。恭介の五人や十人、騙し通してやろう」
「……想像したらくちゃくちゃきもいな」
 最初から不安が山積みだった。
「もう、上手くやれなんて無茶なことは言わないから、何とかこの場は離れてね」
「理樹はどうするんだ」
「僕はさっきのメールで、葉留佳さんに呼ばれたってことにするつもり」
「ならあたしもこまりちゃんに呼ばれたことにしよう」
「うん。鈴はそれで大丈夫かな」
「オレはきんに――」
「真人。昨日貸した数学のノート忘れてるよね」
「は? ちゃんと持ってきて……マジでねえー!」
「今日授業あるんだからないと困るよ。恭介が戻ってきたらすぐ行ってきて」
「……まさか、理樹」
 半ば問いかけに近い謙吾の声には、曖昧な笑みを返した。
 元々は、結局ノートを借りといてほとんど写しもせずに寝てしまった真人への、ちょっとした意趣返しだ。とはいえ何となくこんな展開になる気もしていたし、こっそり鞄からノートを抜き取った時の罪悪感も、無駄にならなくてよかったと思う。
「謙吾はどうするの?」
「ふっ、まあ見ていろ。誰もが予想だにしない理由で恭介を驚かせてみせるぞ」
「ほんまつてんとーってやつだな」
 普段は的外れなことばかり言うけれど、今回ばかりは鈴が正しい。
 五割増しの不安に頭痛を覚え始めた時、軽快な足音が近づいてきて、右肩にぽんと手が乗せられた。振り返るまでもなく恭介だとわかる。心配は胸の内に留め、意識的に不満げな顔を作って「遅いよ」と告げると、如何にお腹の調子がよかったかを語り出した。すぐに鈴が背中を蹴って黙らせようとする。
周囲の喧騒からも浮いた僕達の、それがいつもの日常だった。
 少し笑って、空気が落ち着いてから、おもむろに僕は携帯へ視線を向ける。なるべく何気ない風を装い、
「みんな、ごめん。今日は先に行っててもらえるかな」
「ん、どうしたんだ?」
「さっきのメール。葉留佳さんに呼ばれたから」
「注意したそばからそれかよ。ったく、この幸せ者め」
 洗ってきたせいか、冷たく湿った手で、恭介はおもむろにこちらの頭をわしゃわしゃと乱暴に掻き回してくる。揶揄するような口調とは逆に、荒っぽくも優しい手付きで。しばらくそうして、最後に乱れた髪を一撫ですると、僕の背を小さく押した。
「ほら、さっさと行ってこい。待ってるんだろ」
「うん」
 去り際、無言で鈴が目配せをしてきたので、何だか可笑しくなって口元を緩めた。
 四人の姿が見えなくなるまで歩き、寮と校舎を繋ぐ渡り廊下から離れたところで足を止める。目の前には、楽しそうに「やほー、理樹くん」と片手を上げる葉留佳さんの姿。集合場所に指定されたここは、事前に下調べでもしてあったのか、渡り廊下の両側から死角になっている。
 ……絶対、何か悪戯に使おうとしてたんだろうなあ。
 そんなことを考えていると、さっきまでの表情から一転、唇を尖らせた葉留佳さんがぷくりと頬を膨らませた。
「むー。朝から彼女に会えたっていうのに、その表情はあんまりじゃないかとはるちんは思うわけですよ」
「ごめんごめん。おはよう、葉留佳さん」
「まだ理樹くんだけ?」
「鈴達もそろそろ来るはずだけど……」
「理樹、はるか」
「あ、鈴ちゃん、おはよーっ」
 僕の返答を合図にしたかのように、まず鈴が、謙吾が現れる。真人がまだ来てないのは、部屋にノートを取りに行ったからだろう。つまり、これで恭介は一人になった。先に行っててと伝えたし、あとはこっちに来るのを待つだけだ。
 物陰からこっそり渡り廊下の様子を窺う。僕達の視線の先、幾人もの生徒が行き交う中に、呆れと困惑をない交ぜにした顔で立ち尽くす人がいる。
「……葉留佳さん、いったいどうやって逃げてきたの?」
「いやー、結局全然いいアイデア出てこなかったから、先行っててお姉ちゃん! と言い残しながら振り向いてダッシュを」
「本当にノープランだね……」
「やはは、それほどでもー」
「……どう考えても褒めてないだろう、今のは」
「硬いことは言いっこなしですヨ」
 腕を組んだ謙吾の呟きをさらっと流し、しきりに寮の方角を気にしている、件の人物――佳奈多さんを、葉留佳さんは遠巻きに見つめる。建物の影に隠れ、腰を落として僕も同じように覗き込んだ。鈴と謙吾も追随し、四つの頭が縦に重なる。
「きょーすけ、遅いな」
「うーん、もしかして怪しまれちゃったかな」
「それはないだろう。キミ達に不備はなかったとおねーさんは思うぞ」
「っ!?」
 無防備な首筋に触れられた鈴が、声にならない悲鳴を上げた。
 いつの間に近づいてきてたのか。反射的に蹴りの軌道を描きかけた鈴の足を加速する直前で止め、来ヶ谷さんはするりと僕らの輪に混ざる。さらにその後ろには、クドと西園さん、小毬さんの姿もあった。
「まさか来ヶ谷さん、見てたの?」
「遠巻きにだがな。こんな楽しいイベント、見逃すのは勿体無さ過ぎるだろう。能美女史に頼んで撮影の方もばっちりだ」
「写真係はお任せくださいっ」
 小さな指がデジカメのシャッターを押して、渡り廊下から動かないままの佳奈多さんをクドが撮っていく。小毬さんは鈴のそばに寄り「今日はがんばろうね〜」と手を握った。間延びした声を聞いて、恥ずかしそうに、でも嬉しそうにこくんと頷く鈴。その横で西園さんが来ヶ谷さんに話しかけ、具体的にこれからどうするのか、というようなことを訊いていた。
 ふと、肩を叩かれる。
「あのさ、理樹くん。鈴ちゃんや謙吾くん、姉御……とクド公はまだわかるんだけど、こまりんとみおちんまで来てるのはなんで?」
「僕が来ヶ谷さんにみんなを呼んでって頼んだんだ」
「へ? どうして?」
「だって葉留佳さん、昨日は見るからに怪しかったし……。それに僕もあの二人には早くくっついてほしいからさ、みんなで考えて色々やった方が上手く行くんじゃないかって」
「私には内緒で?」
「うん。でも、葉留佳さんだって僕には言わなかったでしょ?」
「そりゃそうだけどー……」
 疑問に疑問を返すと、唇を尖らせて拗ねられる。
 ただ、そっぽを向いたその視線が、ちらちらとこっちを窺っているのがわかって、苦笑した。本当に、可愛いと思う。
 だから俯き気味な顔の正面に回ろうとして、



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 汚いなさすが神海きたない



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