「みんな、ごめん。今日は先に行っててもらえるかな」 いつもの朝、いつもの毎日。今日も朝から飯が美味かった。 いや、少し違うか。今日も美味しく食べることが出来た、だ。 理樹、鈴、謙吾に真人。仲間と囲う食卓は毎日が特別だ。昨日はどうだっただの今日は何をするのかだの。気兼ねしない上に遠慮もどこかへ置き忘れてきた俺達の会話は騒々しいの一言に限る。 そんな食事だからか、いつの間にか料理が無くなっているなんていう事も珍しい話ではない。横取りされたのか、はたまた食べる瞬間まであいつらに意識を向けすぎているのか。 俺にしてみればそれこそどちらでも構わない。そういった時間を過ごせるからこそ楽しい毎日なんだ。全てを踏まえた上でごちそうさまと言い切れる。 朝食後は俺達全員で校舎へ向かうのが普段の通例だ。 だが今朝に限って言えば、なんとも奇妙な流れになっていた。 最初は理樹だった。あいつは自分の携帯に届いたメールを読むと、先に行っててと俺に断りを入れて俺達から離れていった。どうやら三枝から呼び出されたらしい。 「あいつも恋人に振り回されて大変だよな」 俺は苦笑しつつも、理樹が今を十分楽しんでいることに対して言葉にならない安堵を感じていた。 理樹と三枝。晴れて恋人同士となったあいつらは傍から見てもお似合いの二人だったからだ。お互いがお互いの長所と短所を補いつつも、場合によっては行き過ぎとも思える連帯感を発揮したりもする。 おしどり夫婦とはまた違うが、二人を見守る周囲をも幸せにしてくれると思わせてくれる。 そんな理樹達に対するとりとめもない感想を思い描いていると、今度は鈴や謙吾に真人、簡単に言うと俺以外の全員がそれぞれ急用とやらを思い出して道を引き返していった。 一瞬、理樹の行動が引き鉄になったかのように錯覚する。 俺はあいつらが離れていく度に声を掛けた。忘れ物だと言うやつには皮肉を。急用だと言うやつには応援を。全員それぞれに違う言葉を投げかけたが、不思議なことに返答は全て同じだった。 『悪い、先に行っててくれ』 待っててやるよと答えても、いいから先に行けの一点張り。 あいつらに心配されるほど遅刻回数のボーダーラインが迫っているわけでもないのだが。 とはいえ溢れんばかりの幼馴染愛だ。俺はその気遣いを汲み取り、校舎へと歩みを進めることにした。 ……本当に、いい仲間を持ったものだ。 と、数分前の出来事を噛み締めていた俺に、容赦の無いつっこみが囁かれる。 「……なによ。一人でにやにやして。いやらしい」 「やらしくなんてねえよ。心外だな」 隣から向けられているのは俺を見上げる視線だった。 俺の隣にいるこいつ自身、所謂平均的身長の持ち主ではあったのだが、流石に男子と比べれば頭一つ分以上の差が生まれている。だから斜め下から見上げられているという構図に不思議はない。 ない、が。 感じる視線はやけに強く、冷たく熱く。そこには射抜かれるような鋭さが含まれていた。俺、なんか気に触るようなことしたか? 突き刺さる視線に戸惑いつつも、視線の主である幼馴染の恋人の姉──二木佳奈多へと意識を向けた。 この三年間何度も通った寮と校舎を繋ぐ道。 二木を見かけたのはその途中でだった。彼女は行き交う生徒達から一歩だけ横に道を離れて一人立ち竦んでいた。 俺の姿に気が付くと、やや戸惑った後、怒っているのか驚いているのかよくわからない表情を浮かばせた。 「……おはよう」 彼女の本日第一声は当たり前な挨拶から。 朝はおはよう。そこに問題はない。むしろ『朝はおはようだよ』と全生徒に徹底させてもいいぐらいだと思う。どうでもいいが。 俺も挨拶を返し、そのまま続けて毎度お馴染みとなった誘い文句を付け足そうとする。 「葉留佳がねっ」 だが俺達の間で恒例となっているやり取りは、二木の言葉によって遮られた。 聞くところによると、二木は三枝と二人で学校へ向かっていたらしいが、その途中で三枝だけが引き返していったそうだ。無駄に派手なリアクションと共に。 捨て台詞は先に行ってて、とのこと。どこかで聞いた流れだったがそれはどこだったか。 三枝の行動に虚をつかれた二木は、妹を待つか先に行くかで少し逡巡していたらしい。 そんな折に俺が来た、と。 奇遇だった。俺も似たような状況だったからだ。 「どうせだから一緒に行くか」 だからその言葉も当然のように口にしていた。お互い麗しの幼馴染愛、姉妹愛を受け取った身だ。遅刻とは無縁の朝を迎える義務がある。 二木は俺の言葉を受けて身を固くした。戸惑いか期待か。彼女の表情からは様々なイメージが汲み取れた。 零れ出たイメージから彼女の心情を推測する。 ……なるほど。妹を置いていく事に対して後ろめたいんだな。 ああ。やっぱりこいつはいいやつだ。 妙に嬉しい。 俺はこいつを安心させてやるべきだと思った。大丈夫だと。きっと三枝は理樹と一緒に来るからと。 目の前にあった頭に掌を乗せる。彼女の頭が丁度いい高さにあったのもあり、それはほぼ無意識での行動だった。 ぽん、ぽん、と軽く撫でて俯き加減な彼女を優しく諭す。 そして数秒。彼女は突如歩き出し、数歩進んだところでその足を止めた。 どうやら俺が横に並ぶのを待ってくれているらしい。知らず苦笑が零れる。そんなに照れなくてもいいじゃないかと。 妹を案ずる心情は恥ずかしい事なんかじゃないさ。俺だって同じようなもんだ。 彼女の行動をそのように受け取った俺は、慌てることなく彼女の隣に並んだ。 ──そして今に至る。 ゆったりとした歩調はどちらが原因か。俺達は何人もの生徒に追い抜かれていた。 その都度、彼らから妙にこそばゆい視線を向けられる。 改めて周囲に意識を向けると、俺達への視線はどういったわけか登校中の生徒達全員から注がれていた。 それに、 「……」 無言になってしまっている同行者も気になるところだ。 「どうした? なんかあったのか?」 「少し、恥ずかしくて」 恥ずかしいとな。何がだろうか。 「言ってくれればどうにか出来るかもな。なんだよ、恥ずかしい事って」 「言えるわけないでしょうっ」 「そこは勇気だぞ二木? ほら」 立ち止まって耳を向ける。だが二木はいつまでたっても口を開いてはくれなかった。 「お兄さんに教えてくれるかな?」 「誰がお兄さんよ誰が。太々しい」 「仮にも妹を持つ身なんだが……」 どうも埒が明かない。っと、そうか。周りには聞かれたくないのか。 「俺の耳にだけ聞こえるようにすればいいさ」 「そういう問題じゃ……っ」 「な?」 「……と、届かないからいいわよっ」 届かない? 背が? 確かに身長差はあるが……。 「背伸びすればいいだろ?」 「馬鹿っ! それはキスする時の作法でしょ! 別になんでもないわよっ。ただちょっと……生徒達からの視線が、ね」 彼女の顔には赤みが差している。 キスってお前……。妙に古風というか夢見がちというか。 それにしても視線が原因だったのか。そんなに恥ずかしいものなのかと若干の驚きを感じる。どうもこうも、こういった状況はあれだろ? 「恥ずかしいのも最初だけだって。そのうち慣れるさ」 「慣れ……? そ、そういうものなの?」 「ああ、そんなもんだ。ま、俺ぐらい胸を張る事だな」 「あ、あなたは気にならないの? この視線が」 「だって問題ないだろ? いくら歩くのが遅いとはいえ、遅刻を心配されるほどじゃないさ」 「……は?」 「あいつらは俺達が遅刻しないか心配して視線を送ってるんだろ」 まったく。うちの生徒は揃いも揃って心配性だな。理樹達のお陰で多少は時間があるんだ。いいだろお前ら。羨ましがるといいさ。 なんて言い切れるまで余裕があるわけでもなかったが、特別緊張するほどの事でもないという判断を下した。 「だからそんなに周りを気にする必要はないってことさ」 「はぁ……」 二木の返事は溜息だった。どうやら朝からお疲れな様子だ。 続きは |